何気なく使っている言葉の意味

「命 あっての・物種」

(「いのち あっての・ものだね」)

 

「皆さん」は

「命 あっての・物種」

   と、いう


「ことわざ」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「命 あっての・物種」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「命 あっての 物種・

    畑 あっての 種芋」と

                (「タネイモ」)

 「続・け」て

 

 「語呂を 合わ・せる」

 「言・葉」も

 「有・る」そうです。


 「命 あっての・物種」

    と は

 「何事も 生きて・いる」

 「事 が・前提」で

 

 「命 が・あって」

 「初め て・何か」を

 「成し 遂げる・事」が

 「出来 る・こと」を

 

 「た と・え」た

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「命 あっての・物種」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「物 種・とは」

 「物事 の・根源」や

 「野菜 や・花」の

 「種」と

 

 「い う・意味」だ

    そうです。

 「命 あっての・物種」

    と は

 「命が ある・から」

    こ そ

 

 「様々な 事が・出来」

 「命」は

 「一・度」
 (「ひと・たび」)

 「失って・しまう」と

 

 「取り戻す 事は・出来」ず

 「だか ら・こそ」

 「命 の・危険」に

 「かかわ る・行為」は

 

 「避ける・べき」や

 「いかなる 時・で」も

 「命」は

 「大切 に・すべき」と


 「い う・戒め。が

 「由・来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「命 あっての・物種」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼」は

 「命 あっての・物種」と

 「自覚 して・日々」を

 「生き て・いる」と

 

 「何事 にも・感謝」

 「出来 る・様」に

 「成 っ・た」

    そうだ。

 

・「た と・え」

 「意気地・無し」と

 「思わ れ・て」も

 「命 あっての・物種」で

 

 「こ こ・は」

 「何 が・何で」も

 「逃げ の・一手」だ。

 

「命 あっての・物種」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「死んで 花実が・咲くものか」

   (「しんで はなみが・

       さくものか」)

 

・「花実が 咲く・とは」

 「事が 上手く・運んで」

 「良い 結果が・出る」

    と、い う

 

 「意・味」だ

    そうです。

 

 「死んで 花実が・咲くものか」

    と は
 「枯れ て・死んだ」

 「木」に

 

 「花 が・咲いた」り

 「実がならない 事・より」

 「死を 望む・者」に

 「対 し・て」

 

 「無駄 に・命」を

 「捨てて は・いけない」と
 「言い 聞か・せる」

 「言・葉」で

 

 「どん な・状況」に

 「陥 っ・て」も

 「生きて いれば・こそ」

 「いつか 良い・事」も

 

 「巡っ て・くる」が

 「も し・も」

 「死ん で・しまえ」ば

 「良い 事は・起こらず」

 

 「どん な・事」が
 「有 っ・て」も

 「生き て・いなけれ」ば

 「な ら・ない」と

   

 「い う・戒め」が

 「由・来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「命 あっての・物種」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「虎穴に 入らずんば・

       虎子を得ず」

   (「こけつに いらずんば・

       こじをえず」)

 

・「虎・子」は

 「虎 児・とも」

 「書・く」

    そうです。

 

 「危険 を・冒し」て

 「虎・穴」に
 (「虎が 棲む・洞穴」) 

 「入ら な・けれ」ば

 

 「虎の子を 捕獲・する」

 「事」は

 「出来ない こと・から」

 「転 じ・て」

 

 「危・険」を

 「冒さ な・けれ」ば

 「功名 や・成功」は

 「得られ ない・事」を

 

 「たと・え」た

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 「功名 や・手柄」の

 「比喩 と・して」

 (「ひゆ」)

 「虎・子」が

 「使われて いる・のは」

 

 「大切 に・して」

 「手放さ ない・物」や

 「秘蔵 の・金品」を

 「虎 の・子」と

 (「とら の・こ」)

 

 「言 う・よう」に
 「虎が 子を・大事」に

 「守 り・育てる」

 「事」が

 

 「由・来」だ

    そうです。

 

 

「竹内 まりや」は

(「たけうち まりや」)

 

「いのち の 歌」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2014・年」に

「リリース」

   し た

「11 th・アルバム」

 

「TRAD」に

「収 録・され」て

   います。

 

「同・アルバム」は

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・作」に

「成・り」

 

「同・曲」は

「2020・年」に

「シングル・カット」

   さ れ

 

NHK・テレビ」

「ドキュメンタリー・
   ドラマ」

「開拓者 たち」の

「主 題・歌」に

 

「起 用・され」て

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「竹内 まりや」は

「1955 年・生まれ」で

「島根 県・出雲 市」

「出・身」の

 

「シンガーソング・
   ライター」

「作 詞・家」

「作 曲・家」です。

 

「地・元」の

「県・立」
「大 社・高校」

(「たい しゃ」)

「2 年生 の・9 月」〜

 

「3 年生 の・8 月」まで

「AFS・留学 制度」を

「利 用・して」

「1 年・間」

 

「米・国」の

ロックフォールズ・
   高等 学校」に

「留・学」しました。

 

「大 社・高校」を

「卒 業・後」に
慶應 義塾・大学」

「文 学・部」に

 

「進学・する」も

「芸 能・活動」が

「忙 しく・なり」

「中・退」しました。

 

「大 学・在学中」は

「アマチュア・バンド」に

「所・属」し

「キーボード」と

 

「バック・コーラス」を

「担 当・して」

   いました。

 

「1978・年」

「大学 在学・中」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

 

「戻っておいで 私の時間」で

「メジャー・デビュー」し

「可・憐」な

「ルックス・より」

 

「アイドル・歌手」

   と、して の

「評・価」を

「受・け」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「駅」

「純愛 ラプソディ」

「いのち の 歌」等が

「有・り」ます。

 

「1979・年」に

「リリース」

   し た

「サード・シングル」


「SEPTEMBER」で

「レコード・大賞・

   新人 賞」他

「各種 新人賞・レース」を

 

「総・ナメ」に

   しました。

 

「1980・年」に

「リリース・した」

「サード・アルバム」

「LOVE SONGS」が

 

「自 身・初」の
オリコン・1 位」の

「大 ヒット・作」に

「成・り」ました。


1984・年」に

「リリース・した」

「6 th・アルバム」

「VARIETY」

 

「1987・年」に

「リリース・した」

「7 th・アルバム」

「REQUEST」

 

「1992・年」に

「リリース・した」

「8 th・アルバム」

「Quiet Life」

 

「1998・年」に

「リリース・した」

「27 th・シングル」

「カムフラージュ」

 

「2001・年」に

「リリース・した」

「9 th・アルバム」

「Bon Appetit!」

 

「2007・年」に

「リリース・した」

「10 th・アルバム」

「Denim」

 

「2014・年」に

「リリース・し た」

「11 th・アルバム」

「TRAD」が

 

「各・々」

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2019・年」に

「芸術 選奨・
   文部科学大臣 賞」を

「受・賞」しました。

 

「同・年」に

「デビュー・

   40 周年」を

「記 念・して」

 

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」し

「特別 企画・枠」で

「出・場」し

 

「いのち の 歌」を

「熱・唱」しました。

 

「2020 年・1 月」に

「2014・年」に

「リリース・した」

「11 th・アルバム」

 

「TRAD・から」

「シングル・カット」し

「リリース・した」

「45 th・シングル」

 

「いのちの 歌」が

オリコン・1 位」の

「快・挙」に

「成・り」ました。


「64 歳・10 ヶ月」

   で の

「1 位・獲得」は

「歴 代・史上」

 

「最 年長・記録」に

「成・り」

「昭和・平成・令和」の

「3・時代」で

 

オリコン・1 位」を

「獲 得・した」

「史 上・初」の

「女 性・アーティスト」に

「成・り」ました。

 

「レコード・大賞」

   で は

 

「通 算・4 回」

「各・賞」を
「受・賞」
   しました。

 

「現 在・68 歳」

   です が

 

「2023 年 12 月」に

「45 th・シングル」

「君の 居場所」を

「発 売・予定」で

 

「第・一線」で
「活躍 する・傍」で

出雲大社 の・参道」に

「在 す・る」

 

「実家 で・ある」

「老 舗・旅館」

「竹野 屋・旅館」の

「オーナー ・兼」

 

「女・将」

   と、して

「活躍 して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」

   で は

 

「1982・年」

「27 歳の・時」に

「1 歳・年上」で

「クリスマス・イブ」等で

 

「知 ら・れ」る

「シンガーソングライター」

「ミュージシャン」の

「山下 達郎」と
(「やました たつろう」)  

 

「結・婚」し

1984・年」に

「第 一子・長女」が

「誕・生」しました。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「山下 達郎」の

「大・晦日」は
「自・宅」で

「ゆっ・くり」と

 

「過ご す・もの」

   と の

「考 え・よ り」

「二 人・共」


「出・場」を

「控 え・る」も

「上・述」の

「通・り」

 

「2,019・年」に

「特 別・枠」で

「1 回・だけ」

「出・場」しました。

 

 

「竹内 まりや」

「いのち の 歌」

「作・詞」「竹内 まりや」

「作・曲」「村松 祟継」

 

生きてゆく ことの 意味

問いかける そのたび に
胸を よぎる 愛しい人々の あたたかさ
この星の 片隅で めぐり会えた 奇跡 は
どんな 宝石よりも  たいせつな 宝物
泣きたい日 も ある 絶望 に 嘆く 日も
そんな時 そばにいて

寄り添う あなた の 影
二人で 歌えば 懐かしくよみがえる
ふるさと の 夕焼け の

優しい あの ぬくもり

 

本当に だいじな ものは

隠れて 見えない
ささやか すぎる 日々の 中に

かけがえ ない 喜びが ある

 

いつか は 誰でも

この星 に さよなら を
する 時が 来るけれど

命は 継がれて ゆく

  (「つがれて」)
生まれて きたこと

育てて もらえた こと
出会った こと  笑った こと
その すべて に ありがとう
この命 に ありがとう

 

 

※「河豚は 食いたし・

     命は 惜しし」

(「フグ は くいたし・

 いのちは おしし」)

 

「河豚は 食いたし・

   命は 惜しし」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「快楽 や・利益」は

 「得 て・みたい」が

 「後 の・たたり」が

 「怖・く」て

 

 「ためらう・事」を

 「た と・え」た

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「河豚は 食いたし・

   命は 惜しし」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「美味 な・フグ」は

 「食 べ・たい」が

 「毒 に・当たって」

 「死ぬ かも・しれない」と

 

 「思う と・怖く」て

 「手が 出ない・事」が

 「由・来」だ

    そうです。

 

「河豚は 食いたし・

   命は 惜しし」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「河豚は 食いたし・

    命は 惜しし」
    と、いう

 「ことわざ」が

 「有・る」が

 

 「彼」は

 「美 食・家」で

 「有・名」な

 「陶 芸・家」

 

 「北大路 魯山人」の

 (「きたおうじ ろさんじん」)

 「死・因」は
 「フグ の・猛毒」

 「テトロドドキシン」に

 

 「当たった せい・だと」

 「長 い・間」

 「勘違い して・いた」が

 「実・際」は

 

 「生煮え の・タニシ」を

 「好んで 食べた・為」に

 「肝 臓・ジストマ」と

 「呼 ば・れる」

 

 「寄生虫 に・よる」

 「肝 硬変・だった」

    そうだ。

 

・「危険 が・伴う」と

 「知・る」と

 「チャレンジ 」

 「した く・なる」

 

 「性・格」の

 「友 人・には」

 「河豚は 食いたし・

    命は 惜しし」と

 

 「説 い・て」も

 「効果 は・全く」

    無い。

 

「河豚は 食いたし・

   命は 惜しし」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「あちらを 立てれば・

      こちらが 立たず」

   (「あちらを たてれば・
       こちらが たたず」)

 

・「両・方」が
 「納 得・した」り

 「喜ぶ ような・事」を

 「する のは・難しい」や

 

 「両・方」に

 「都合が 良い・事」は

 「同時 に・出来ず」に

 「どちら を・選ぶ」か

 

 「判断 に・迷う」と
 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「河豚は 食いたし・

   命は 惜しし」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「即 決・即断」

   (「そっ けつ・そくだん」)

 

・「即 断・即決」

 (「そく だん・そっけつ」)

    と も

 「言・い」ます。

 

 「その場 で・直ち」に

 「躊 躇・無く」

 (「ちゅう ちょ」)

 「決め る・こと」や

 

 「間・髪を 入れず」に

 (「かん・はつを」)

 「決断 を・下す」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「四 字・熟語」

    です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な

 「気」が、します。

 

 

「イルカ」は

 

「まあるい いのち」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2007・年」に

「リリース」

   し た

「35 th・シングル」で

 

「住 友・生命」の

「C M・ソング」に

「起 用・され」て

「大・ヒット」しました。


「イルカ」は

「1950 年・生まれ」で

「東京 都・中野 区」

「出・身」の

 

「フォーク・シンガー」

「絵 本・作家」

「大学 各員・教授」

   です。

 

「ジャズ・バンド」の

「サックス・奏者」の

「父」と

「音 楽・好き」の

 

「母 との・間」に

「生 ま・れ」

「中学生 時代・から」

「ギターを・弾き」

 

「曲・作り」を

「始・め」ました。

 

「東京 文化・高校」

「時・代」は

「器 楽・部」に
「所・属」し

 

「卒 業・後」は

「女子 美術・大学」

「生活 デザイン・科」に

「進・学」し

 

「卒・業」

   しました。

 

「大学生・時代」は

「フォーク・ソング」

「同 好・会」に

「所・属」しました。

 

「あ る・時」

「皆・が」

「ギター・ケース」を

「持 っ・て」

 

「帰る 姿を・見て」

「イルカ」の

「群 れ・みたい」と

「言っ た・事」が

 

「キッカケ」と

「成・り」

「周 囲・から」

「イルカ」と

 

「呼 ば・れる」

「様」に

「成・り」ました。

 

「1970・年」

「20 歳の・時」に
「音 楽・グループ」

「シュリークス」の

 

「ボーカル」

   と、して

「メジャー・デビュー」
   しました。

 

「1974・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「あの頃の ぼくは」で

「ソ ロ・デビュー」

   しました。

 

「代 表・曲」に

 

「なごり 雪」

「雨の 物語」

「まあるい いのち」等が

「有・り」ます。

 

「1975・年」に

「かぐや  姫」の

「伊勢 正三・から」

「楽・曲」の

 

「提供 を・受け」

「リリース・した」

「サード・シングル」

「なごり 雪」が

 

「80・万枚」を

「売 り・上げ」る

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

 (「紅 白・出場」は

    「この 1 回・のみ」)

 

「1977・年」に
「リリース・した」

「サード・アルバム」

「植物 誌」と

 

「1979・年」に

「リリース・した」

「5 th・アルバム」

「いつか 冷たい 雨が」が

 

「各・々」

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「1977 年」〜

「1980 年」の

「4 年・間」に

「か け・て」

 

「絵・本」

「小さ な・空」

「全・4 巻」を

「発・表」し

 

「ベスト・セラー」に

「成・り」ました。

 

「2004・年」に

「国際 自然保護・
   連合会」の

「親 善・大使」に

 

「任 命・され」

   ました。

 

「2010・年」に

「母校 で・ある」

「女子 美術・大学」の

「客 員・教授」に

(「かく いん」)

 

「就・任」

   しました。

 

「現 在・72 歳」

   です が

 

「毎・年」
「コンサート」を

「開 催・する」他

「ラジオ・放送」

 

「オールナイト・

   ニッポン」の
「D・J」等

「マルチ」に

 

「活躍 して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」

   で は

 

「1972・年」

「大 学・卒業」と

「同・時」の

「22 歳の・時」に

 

「大学生・時代」に

「結 成・した」

「フォーク・グループ」

「シュリークス」の

 

「リーダー」で

「3 才・年上」の

「神部 和夫」と

(「かんべ かずお」)

「結・婚」しました。

 

「1975・年」に

「イルカ」の

「ソ ロ・デビュー」に

「伴・い」

 

「夫」は

「音 楽・プロヂューサー」

「マネージャー」に

「専・念」し

 

「イルカ」と

「二人・三脚」で

「音 楽・活動」を

「続・け」ました。

 

「し か・し

「夫」は

「1986・年」
「39 歳の・時」に

 

「若年 性・
   パーキンソン 病」を

「発・症」し

「20 年間 に・及ぶ」

 

「イルカ」の

「必死 の・介護」も

「むな し・く」

「2007・年」に

 

「急 性・腎不全」の

「診 断・にて」

「59・歳」で

「永・眠」しました。

 

「一 人・息子」の

「神部 冬馬」も

(「かんべ とうま」)

「シンガー・ソング・

   ライター」です。

 

 

「イルカ」

「まあるい いのち」

「作・詞」「作・曲」

「イルカ」

 

ぼく から 見れ ば

小さな カメ も
アリ から 見れば きっと
大きな カメ かな?

みんな 同じ 生きて いる から
一人に ひとつづつ 大切な 命

 

ぼく から 見れば

大きな 家 も
山の上 から 見れ ば
こびと の 家 みたい

みんな 同じ 地球の 家族
一人に ひとつづつ 大切な 命

 

ぼく から 見れば 東 と 西 も
よそ の 星から 見れ ば
丸く て わかん ない

みんな 同じ 宇宙の 仲間
一人に ひとつづつ 大切な 命

 

二つ の 手のひら

ほほ に あてれ ば
伝わる ぬくもり

まあるい いのち

二つ の 手のひら

ほほ に あてれ ば
伝わる ぬくもり

まあるい いのち

 

ララララ ララララ
ラララララララ

ララララ ララララ
ラララララララ

ララララ ララララ
ラララララララ…

 

 

「命あって の・物種」を

「英・語」で

 

 「species with life」と

 

 (「命あって の・物種」)

 

 「言・う」そうです。