何気なく使っている言葉の意味

「寄 り・添う」

(「よ り・そう」)


「皆さん」は

「寄 り・添う」

   と、いう

 

「慣 用・句」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「寄 り・添う」の
「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「誰か や・何処か」と

 「体が 触れる・程」

 「物 理・的」に

 「近 付・く」や

 「親身 に・なって」

 「相手の 心に・近付き」

 「精神的 に・共感して」

 「理解 して・あげる」と

 

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

 「相・手」に
 「寄り 添う・時」は

 「相手 の・気持ち」が

 「最優先・なの」で

 

 「こ ち・ら」が

 「好意 を・持って」

 「接 近・して」も

 「相・手」が

 「嫌がる よう・では」

 「余計 な・お節介」に

 「成っ て・しまう」

    そうです。

 

「寄 り・添う」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「本・来」は
 「もたれ・かかる」や
 「そばに・寄る」の

 「様」に

 

 「物 理・的」に

 「近くに 寄る・行為」を

 「意 味・しました」が

 「時代と 共に・変化」し

 

 「精 神・的」に

 「近くに いる・行為」も

 「指 す・よう」に
 「成っ た・事」が

 

 「由・来」の
 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「寄 り・添う」の
「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「友・人」は
 「奥さん の・気持ち」に

 「寄り添う と・言いながら」

 「自 分・勝手」な

 

 「事ばかりする・ので」

 「ほとほと・愛想」を

 「尽かされて・しまった」

    そうだ。

 

・「彼・女」は

 「人 の・気持ち」に

 「寄り 添う・のが」

 「とても・上手」で

 

 「何・時」も
 「良 い・相談役」に

 「成 っ・て」くれる。

 

「寄 り・添う」の
「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「身を 寄せ・合う」

   (「みを よせ・あう」)

 

・「互・い」に
 「密 着・する」や

 「困難 な・状況」に

 「於 い・て」

 

 「互・い」に

 「助 け・合う」
    と、いう

 「意・味」の

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「寄 り・添う」の
「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「突 き・放す」
   (「つ き・はなす」)

 

・「特定 の・人物」と

 「意 図・的」に

 「距離 を・取ったり」

 「離れて・扱い」

 

 「相手 と・親密」に

 「接する・事」を

 「拒否する・様」な

 「姿勢 を・示す」と

 

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

 

テレサ・テン」は

 

「見つめて 寄りそって

   そして 抱きしめて」の

「歌詞 が・ある」

 

「愛 人」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1985・年」に

「リリース」

   し た

「15 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

「日本 有線・大賞」を

「受・賞」しました。

 

テレサ・テン」は

「1953 年・生まれ」で

「台 湾・出身」の

「歌・手」で

「愛・称」は

「軍人 の・恋人」

   でした。

 

「両・親」は

「949・年」に

「中国 本土・での」

「内戦 に・敗れ」た

 

「蒋 介石」と

(「しょう かいせき」)

「共・に」

「台湾 に・移った」

 

「外 務・人」の

(「外交官」)

「中」の

「一・組」でした。

 

「10 歳の・時」に

「台・湾」の

「ラジオ・局」

「主・催」の

 

「歌・唱」
「コンテスト」に

「最・年少」で

「優・勝」し

 

「天 才・少女」

   と、して

「多く の・人」の

「注目 を・集め」

 

「14 歳の・時」に

「プ ロ・歌手」

   と、して

「デビュー」しました。

 

「中 華・圏」

「日・本」

「タ イ」等を

「含 め・た」

 

「アジア」に

「於 い・て」

「広 く・人気 」を

「博・し」


「アジア」の

「歌・姫」と

「呼 ば・れ」

   ました。

 

「1974・年」

「21 歳の・時」に

「来・日」し

「日 本・での」

 

「歌 手・活動」を
「開・始」
   しました。

 

「既・に」

「アジア の・スター」

「だ っ・た」

テレサ・テン」は

 

「同・年」に

「鳴り 物・入り」で

「リリース・した」
「ファースト・シングル」

 

「今夜かしら 明日かしら」で

「日 本・歌謡界」に

「メジャー・デビュー」
   しました。

 

「同・曲」は

「アイドル 歌謡・

   路線」

   でした、が

 

「予 想・外」に
「C・D」の

「売 れ・行き」は

「不・振」で

 

「デビュー」は

「不・発」に

「終 わ・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「時の流れに 身をまかせ」

「つぐない」

「愛 人」等が

「有・り」ます。

 

「そ こ・で」

「演歌 歌謡・
   路線」に

「転・向」しました。

 

「同・年」に

「リリース」
   し た

「セカンド・シングル」

 

「空 港」が

「爆 発・的」な

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「レコード・大賞・

   新人賞」他

「各種 新人賞・レース」を

「総ナメ に・して」

 

「日 本・でも」

「トップ・歌手」の
「仲 間・入り」を

「果 た・し」ました。

 

「そ の・後」も

「香・港」を

「拠点 と・して」

「アジア・各地」を

 

「行き 来・する」

「多忙 な・生活」を

「送・り」ました。

 

「1979・年」に

「本来 の・台湾」の

「パスポート」で

「無・い」

 

インドネシア」の

「パスポート」で

「入・国」

「しよう と・して」


「逮 捕・され」

「国外 退去・処分」を
「受け て・しまい」

   ました。

 

1984・年」

「31 歳の・時」に

「日・本」の

「音 楽・ファン」の

 

「強 い・要望」で

「再・来日」が

「許 可・され」
   ました。

 

「同・年」に

「リリース」

   し た

「14 th・シングル」

 

「つぐない」で

「再・デビュー」し

「150・万枚」を

「売 り・上げ」る

 

「ミリオン・セラー」を

「記 録・して」

「有線 放送・大賞」を

「受・賞」しました。

 

「1985・年」に

「リリース・し た」

「15 th・シングル」

「愛 人」が

 

「150・万枚」を

「売 り・上げ」る

「ミリオン・セラー」に

「成・り」

 

「中 国・唐代」の

「楊 貴・妃」を

(「よう き・ひ」)

「イメージ・した」

「デザイン」の

 

「衣装 を・まとい」

「紅 白・歌合戦」に
「初・出場」
   しました。

 

「1986・年」に

「リリース」

   し た

「16 th・シングル」


「時の流れに 身をまかせ」が

「200・万枚」を

「売 り・上げ」る

「ダブル・ミリオン」を

 

「記 録・する」

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

「レコード・大賞・
   金 賞」や

 

「有線 放送・大賞」他

「各・賞」を

「総・ナメ」に
   しました。

 

「上 記・3 曲」
「つぐない」

「愛 人」

「時の流れに 身をまかせ」が

 

「アジア の・歌姫」

テレサ・テン」の
「代 表・曲」に

「成・り」ました。

 

「同・年」に

「米・タイム 紙」の

「雑 誌・報道」に

   よ り

 

「世・界」

「7 大・歌手」の

「1・人」に

「選 ば・れ」ました。

 

「1995 年・5 月」に

「静養 の・ため」に

「訪れ て・いた」
「タ イ・チェンマイ」の

「ホテル」で

 

「気管支・炎」の

「発・作」と

「診 断・され」て

「死・亡」しました。

 

「部 屋・から」

「出 て・きて」

「倒れ て・いた」

「所」を

 

「ホテル」の

「従 業・員」に

「発 見・され」

「救 急・車」で

 

「病・院」に

「搬 送・される」も

「到着 時・には」

「既・に」

「死 亡・して」

   いました。

 

「弱・冠」

「42・歳」の

「若・さ」でした。

 

「私・生活」
   で は

 

「1981・年」

「28 歳の・時」に

「香港 の・財閥」の

「御・曹司」と

(「おんぞうし」)

 

「婚 約・する」も

「先方 の・母親」

   か ら

「結 婚・した」ら

 

「芸能 界・引退」の

「条・件」を

「突きつ け・られ」て

「悩ん だ・挙句」

           (「あげく」)

 

「歌 を・選び」

「翌・年」に

「婚約 を・解消」

   しました。

 

「以・後」

「逝去 時・まで」

「独・身」を

「貫・き」ました。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1985・年」の

「愛 人」〜

「1991・年」の

「時の流れに 身をまかせ」まで

      (「2 回・目」)

 

「通 算・3 回」

「出・場」しました。

 

 

テレサ・テン

「愛 人」

「作・詞」「荒木 とよひさ」

「作・曲」「三木 たかし」

 

あなたが  好きだから 

それで  いいのよ

たとえ一緒に  街を 

歩けなく  ても

この部屋に  いつも 

帰って  くれたら

わたしは  待つ身 の 

女で  いいの

 

尽くして 泣きぬれて

そして  愛されて

時がふたりを 離さぬように

見つめ て 寄りそって

そして 抱きしめて

この まま 

あなたの胸で 暮らし たい

 

めぐり逢い 少しだけ 

遅いだけ なの

何も言わず いてね 

わかって いるわ

心 だけ せめて 

残して くれたら

わたし は 見送る 

女で いいの

 

尽くして  泣きぬれて

そして 愛されて

明日が ふたりを 

こわさぬ ように

離れて 恋しくて

そして 会いたくて

この まま 

あなたの胸で 眠りたい

 

尽くして 泣きぬれて

そして 愛されて

明日が ふたりを 

こわさぬ ように

離れて 恋しくて

そして 会いたくて

この まま 

あなたの胸で 暮らしたい

 

 

※「似 たり・寄ったり」

  (「に たり・よったり」)

 

「似 たり・寄ったり」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

・「どれ も・これ」も

 「同・程度」で

 「よく 似て・いて」

 「違いが ほとんど・無く」

 

 「優劣 付け・難い」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「似 たり・寄ったり」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「似たりたる 者が・寄りたり」が

 「縮 まっ・て」

 「似 たり・寄りたり」と

 「成・り」

 

 「それ が・更に」

 「言 い・やすい」

 「似 たり・寄ったり」に

 「変化 した・事」が

 

 「由・来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「似 たり・寄ったり」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「友・人」は

 「二人の 女性・から」

 「ほとんど・同時」に

 「告 白・され」て

 

 「両手 に・花」の

 「状 態・だった」が

 「二 人・とも」

 「美人で 性格も・良く」

 

 「似たり・寄ったり」で

 「悩ん で・しまった」が

 「結 局・最初」に

 「声を かけて・くれた」

 

 「女・性」と
 「交 際・する」

 「事」に

 「決 め・た」そうだ。

 

・「彼・女」は

 「ハムスター を・飼う」か

 「モルモット を・飼う」か

 「迷っ て・いた」が

 

 「ど ち・ら」も

 「似 たり・寄ったり」で

 「決め手 が・無く」

 「家族 の・すすめ」で

 

 「ウサギ を・飼う」

 「事・に」した。

 

「似 たり・寄ったり」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「五十歩・百歩」

   (「ごじっぽ・ひゃっぽ」)

 

・「中国 戦国・時代」の

 「思想 家・孟子」が

             (「もうし」)

 「戦 場・から」

 「50 歩 逃げた・者」が

 

 「100 歩 逃げた・者」を

 「臆病者 と・嘲笑った」

     (「あざわらった」)

 「事」に

 「対 し・て」

 

 「逃げ た・事」に

 「変わり は・無く」

 「本質 は・同じだ」と

 「言った・事」が

 

 「由・来」で

 「多・少」の

 「違い は・有る」も

 「大差 は・無く」

 

 「似 たり・寄ったり」と

 「い う・意味」の

 「故 事・成語」だ

    そうです。

 

「似 たり寄ったり」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「雲泥 の・差」
   (「うんでい の・さ」)

 

・「天空に ある・雲」と

 「低地に ある・泥」と

    に は

 「大き な・違い」や

 

 「隔たり が・ある」

    と、いう

 「意・味」の

 「慣 用・句」で

 

 「月 と・スッポン」も

 「同 義・語」だ

    そうです。

 

 

「工藤 静香」は

(「くどうしずか」)

 

「あなた に 似ている人も

   いるのに」の

   「歌詞 が・ある」

 

「黄砂に 吹かれて」

(「こうさ」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1989・年」に

「リリース」

   し た

「8 th・シングル」で

 

「太陽 誘電・

   カセットテープ」

「That's OW 1」の
「C M・ソング」に

 

「起 用・され」て

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「工藤 静香」は

「1970 年・生まれ」で

「東京 都・羽村 市」

「出・身」の

 

「歌・手」
「女・優」

「画・家」です。

 

「小 学・1 年生」の

「時」に

「劇 団・東俳」に

        (「とうはい」)

「所・属」し

 

「中 学・2 年生」の
「時」に

「ミ ス・セブンティーン・
   コンテスト」で

 

「特 別・賞」を

「受・賞」し

「芸能界・入り」

   しました。

 

「都・立」
「板橋 高校・1 年生」の
「時」に

「お ニャン子・クラブ」に

 

「加・入」し

「日本 音楽・高校」に

「転校後 に・同校」を
「中・退」しました。

 

「1987・年」

「17 歳の・時」に

「女 性・3 人 組」の

「音 楽・ユニット」

 

「うしろ髪 引かれ隊」を

「結・成」しました。

 

「同・年」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

「禁断の テレパシー」で

「ソ ロ・デビュー」し

 

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「慟 哭」

(「どう こく」)

「黄砂に 吹かれて」

「風の 素顔」等が

「有・り」ます。

 

「以・後」

「1980 年代・後半」〜

「1990 年代・後半」に

「至・り」


「立 て・続け」に

オリコン・上位」の

「大 ヒット・曲」を

「連・発」し

 

「中山 美穂」

「南野 陽子」

「浅香 唯」と

「共・に」

 

「女 性・アイドル」

「四 天・王」と

「呼 ば・れ」

   ました。

 

「1988・年」に

「リリース・した」

「4 th・シングル」

「FU - JI - TSU」〜

 

「1990・年」に

「リリース・した」

「11 th・シングル」

「私に ついて」まで

 

「シングル・曲」

「8 作品 が・連続して」

オリコン・1 位」に

「成・り」ました

 

「特・に」

「1988・年」に

「リリース・した」

「中島 みゆき・作詞」の

 

「5 th・シングル」

「MUGO・ん、色っぽい」は

カネボウ 化粧品 秋の

   キャンペーン・ソング」に

 

「起 用・され」て

「大・ヒット」し

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「1991・年」に

「リリース・した」

「13 th・シングル」

「Please」と

 

「1993・年」に

「リリース・した」

「18 th・シングル」

「慟 哭」も

 

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「アルバム」

   で は

 

「1988・年」に

「リリース・した」

「セカンド・アルバム」

「静 香」

 

「1989・年」に

「リリース・した」

「サード・アルバム」

「JOY」

 

「1990・年」に

「リリース・した」

「5 th・アルバム」

「rosette」

 

「1991・年」に

「リリース・した」

「6 th・アルバム」

「mind Universe」が

 

「各・々」

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「画・家」と

   して は

 

「1990 年・から」

「2010 年・まで」に

「二 科・展」で

「特 選・1 回」

 

「入 選・14 回」を

「果 た・し」

「才能を 発揮・して」

   います。

 

「現 在・53 歳」

   です、が

 

「2022 年・7 月」に

「デビュー・35 周年」を

「記 念・して」

「5 th・カバーアルバム」

「感 受」を

 

「リリース・する」等

「第・一線」で
「活躍 して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」
   で は

 

「2000・年」

「30 歳の・時」に

「2 才・年下」で

SMAP の・メンバー」で

 

「スーパー・スター」の

「キムタク・こと」

「木村 拓哉」と

「結・婚」しました。

 

「結 婚・当時」

「静 香」は

「妊 娠・4ヶ月」の

「授かり・婚」で

(「さずかり・こん」)

 

「世・間」に
「衝・撃」を

「与・え」ました。

 

「2001・年」に

「第 一子・長女」が

「2003・年」に

「第 二子・二女」が


「各・々」

「誕・生」しました。

 

「長・女」は

「フルート・奏者」

「モデル」の

「Cocomi」で

 

「二・女」は

「作 曲・家」

「モデル」の

Koki」です。

 

「紅 白・歌合戦」
   に は

 

「1988・年」の

「MUGO・ん、色っぽい」〜

「1988・年」の

「きらら」まで

 

「通 算・8 回」

「出・場」しました。

 

 

「工藤 静香」

「黄砂に 吹かれて」

「作・詞」「中島 みゆき」

「作・曲」「後藤 次利」

 

黄砂に 吹かれて 
きこえる 歌は

忘れたくて 忘れた

なくしたくて なくした

つらい 恋の歌

眠りを 破って 

きこえる 歌は

わかってる つもりの

紛らせてる つもりの

ひとつだけの 歌

もう 蜃気楼なのかも しれない

(「しんきろう」)

片思いかも しれない

あなたに 似てる人もいるのに

あなたより やさしい男も

砂の数 より いるのにね

旅 人

 

黄砂に 吹かれて 

さまよう 旅は

地下を 深く流れる

澄んだ水に 似ている

終わりのない 旅

微笑 ずくで 

(「ほほえみ」)

終わらせた 恋が

夢の中 悲鳴あげる

あなたに 似てる人もいるのに

あなたより やさしい男も

砂の数より いるのにね

旅 人

 

「うそつき」「うそつき」

「うそつき」こみあげる

答えてもらえば よかったのに

きくのが恐かった 名前

私じゃない 名前だもの

笑顔で終わった あの日から

旅 人

 

 

「寄 り・添う」を

「英・語」で

 

 「snuggle up」と

 

 (「寄り 添い・ます」)

 

 「言・う」そうです。