何気なく使っている言葉の意味

「風の便り」

 

「皆さん」は「風の便り」(「かぜのたより」) と、いう「慣用句」を

「使った事」が「有りませんか?。

 

「慣用句」(「かんようく」) とは

 

・「習慣として長い間広く使われて来た」「ひとかたまりの・言葉」「文句」「言い回し」

 

・「二語以上の単語」が「結びつき」「会話・文章上」で「用いられる」「言葉」

 

・「ことわざ」「格言」とは「一線を画す」「言葉」

 

だ、そうです。

 

『「風のうわさ」で、聞いたんだけど・・・』と、いう「使い方」を「した事」が

「有り」ませんか?。

 

「風の便り」は「間違いやすい・慣用句」「ランキング・3位」と「言われて」います。

 

                   (「誤」)                        (「正」)

 

「1位」「足元をすくわれる」→「足をすくわれる」

  (「出し抜かれたり意表を突かれるさま」)

 

「2位」「間が持たない」→「間が持てない」

  (「会話が途切れで、続かない時に使う言葉」)

 

「3位」「風のうわさ」→「風の便り」

 

 

「風の便り」の「意味」は

 

・「どこからともなく伝わってくる」『うわさ』「風聞 (「ふうぶん」)

 

・「吹く風が伝えるもの」(「風の使い」)

 

・「ふとした機会」

 

  だ、そうです。

 

 

「風の便り」の「同義語」は

 

・「うわさ話」(「うわさばなし」)

 

・「風説の流布」(「ふうせつのるふ・株価操縦」)

 

・「伝え聞き」(「つたえぎき」)

 

・「また聞き」(「またぎき」)

 

・「耳に挟む」(「みみにはさむ」)

 

・「聞き及ぶ」(「ききおよぶ」)

 

   辺りが「妥当」だ、そうです。

 

 

「風の便り」の「対義語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

 

・「直接確かめる」(「ちょくせつたしかめる」)

 

・「表沙汰になる」(「おもてざたになる」)

 

・「明るみに出る」(「あかるみにでる」)

 

・「周知される」(「しゅうちされる」)

 

・「公になる」(「おおやけになる」)

 

  辺りが「妥当」な「気」が、します。

 

 

「渚 ゆう子」(「なぎさ ゆうこ」)は『風のうわさ』を信じて・・・』で「始まる」

「京都の恋」と、いう「歌」を、歌いました。

 

「作曲」したのは「アメリカ」の「インストゥルメンタルバンド」(「楽器だけの演奏」)

ザ・ベンチャーズ」で「1,970年」に・開催された」「大阪万博」を「記念」し

「同年」に「日本で発売した・シングル」です。

「作詞家」の「林 春生」が「歌詞」をつけ「渚 ゆう子」が「カバー」し「大ヒット」しました。

 

「林 春生」は「風のうわさ」が「誤用語である事」を「知らぬはず」が「有り」ません。

「曲を聴いて」みると「ザ・ベンチャーズ」の「軽快なリズム」に「風の便りを信じて・・・」

  では「乗り切れ」ません。

「風のうわさを信じて・・・」だと「スッと」「心に’・溶け込んで」きます。

 

「当時」「言葉遣いが間違っている」と「いう声」は「誰からも上がりません」でした。

「小さな事」に「目くじらを立てて」(「他人の欠点を非難をする事」)

「とやかくいう人」は「誰もいません」でした。

「皆んな」「大局的な目」で「間違い」を「許し」ました。

 

「渚 ゆう子」は「1,945年・生まれ」の「歌手」です。

「1,967年」「ハワイアン・歌手」と、して「早くキスして」で「デビュー」しました。

「1,970年」「ベンチャーズ」「作曲」の「京都の恋」「京都慕情」を「日本語の・歌詞」で

「歌い」「大・ブレイク」しました。

 

「1,971年」「筒美 京平」(「つつみ きょうへい」)「作曲」の「さいはて慕情」で

「レコード・大賞・歌唱賞」を「受賞」しました。

「レコード・大賞」は「日本人」による「楽曲」が「対象」です。

ベンチャーズ」「作曲」の「歌」は「対象外」でした。

 

「同年」「京都慕情」で「紅白・歌合戦」に「初出場」しました。

「1,972年」「風の日のバラード」で「紅白・裏合戦」に「連続出場」しました。

 

 

「渚 ゆう子」「京都の恋」「作詞」:「林 春生」「作曲」「ザ・ベンチャーズ

 

風の噂 (「かぜのうわさ」) を信じて  今日からは

あなたと別れ  傷ついて

旅に出かけて  来たの

 

私の心に  鐘がなる

白い京都に  雨が降る

後姿(「うしろすがた」) の  あの人は

今は帰らぬ  遠い人

 

涙見せたくないの  今日からは

一度離れた  恋なんか

二度とは  したくない

 

このまま死んで  しまいたい

白い  京都に  つつまれて

 

恋によごれた女は  明日から

白い京都の  片隅に(「かたすみに」)

想い出を  すてるの

思い出を  すてるの

 

 

※「常識の嘘」(「じょうしきのうそ」)

 

『「タラバガニ」は「カニ」ではない』

 

「ネット」で「検索」すると「馴染み深い」「カニの・種類」「ランキング」と、しては

 

1・「ズワイガニ」(「松葉ガニ」「越前ガニ」)

 

2・「タラバガニ」

 

3・「花咲ガニ」

 

4・「毛ガニ」

 

5・「ワタリガニ

 

6・「タカアシガニ

 

と「出て来」ました。

 

カニ」は「私の・大好物」です。

「特に・毛ガニ」が「好き」です。

 

「私と・妻」の「新婚旅行」は「北海道」でした。

「乗った・飛行機」は「プロペラの・双発機」「YS・11」でした。

 

「何泊の・旅行」だったのか「ハッキリとは・覚えて」いません。

「宿泊ホテル」では「毎日」「毛ガニ」が「出て来」ました。

「毛ガニ」は「それ程大きなカニ」では「有りません」が「味が・濃厚」で

「特に・ミソ」は「絶品」でした。

 

「北海道・名産」の「タラバガニ」も「沢山・食べた」と「思い」ます。

  しかし「身は多いものの」「毛ガニ」に「比べる」と「大味」でした。

「タラバガニ」に、対し、私は「良い印象を持っていなかった」為

「美味しいと・感じなかった」の、かも「知れ」ません。

 

カニの王様」(「キング・クラブ」)とも「呼ばれる」「タラバガニ」は「カニ」では無い。

  私は「小学校・低学年の頃」「他の・カニの足」が「10本」なのに

「タラバガ二の・足」は「8本」しか「無い事」に「気付き」ました。

  私は「図書館」に、行き「一生懸命」「調べ」ました。

 

「当時」は「分からない事」や「思い出せない事」を「調べる」には「辞書を引いたり」

「図鑑を見たり」「書籍」で「確認する以外」「方法」が「有りません」でした。

「現在」は「キーワード」を「覚えている」か「「キーワード」に「辿りつく言葉」を

「発見出来」れば「ネットで・検索すれば」「素早く」「正解」を「見付け出せ」ます。

 

「図書館で・調べた結果」

「タラバガニ」は「オホーツク海」や「知床半島の・沖合」に多く・生息」し

「魚の・タラ」が「多く獲れる場所」で「捕獲される」為「タラ場」=「タラバ」と

「名付けられた」そうです。

 

「タラバガニ」は「エビ目・ヤドカリ下目・タラバガニ科」と、いう「分類」で

「ヤドカリ」の「一種」だ、そうです。

 

「常識」や「マニュアル」を「鵜呑みにしない」(「うのみにしない」) と、いう

   私の「ヒネクレ・根性」は「子供の頃」に「培われた」(「つちかわれた」) の、かも

「知れ」ません。

 

「ちなみに」「カニとヤドカリ」の「関係と・似た関係」に「エビとザリガニ」が

「有る」そうです。

 

「昔見た・テレビ番組」で「食通を自負する人達」が「調理された」「一匹・数千円」の

「伊勢海老」と「一匹・数十円」の「ザリガニ」を「食べ比べ」て

「間違い」「恥をかき」ました。

 

「服を着ていれば判る」が「服を脱いだら分からなくなる」「外面」(「そとづら」) だけを

「見て」「物事を判断する人」に「有りがちな話」です。

  私は「外面ではなく」「内面で判断できるよう」「自分」を「鍛えてきたつもり」です。

 

「手土産」に「割れせん」(「われせん」)「3種類」を「よく使い」ます。

「割れた・せんべい」でも「割れていない・せんべい」と「味に変わり」は「有り」ません。

「店の人」に「いつも「聞きます」が「両者の価値の違い」を「ハッキリ」と

「答えてくれた人」は「今まで」に、いません。

 

「皆んな」「割れていなけれ」ば「1枚」「百円位です」と「答え」ます。

  私が「せんべい」は「割って・食べますよね?」と「言う」と「笑いながら」

「そうですよね」と「答え」ます。

 

「割れせん」の「値段の価値」を「計算した人」は「いない」ようです。

  私の「勘」では「5〜七倍の・価値」は「十分に有る」「気」が、します。

「私の持論」は「外見より・中身が大切」です。

 

 

「小林 旭」(「こばやし あきら」) は「ヤドカリの歌」と、いう「歌」を、歌いました。

 

「小林 旭」の「プロフィール」に、ついては「1・8・21」に「投稿」した

「意気地なし」で「紹介」させて「頂き」ました。

 

「小林 旭」「やどかりの歌」「作詞」:「星野 哲郎」「作曲」:「四方 章人」

 

背(「せな」) の荷物も  おろさぬうちに

またも旅かよ  やどかりは

小石だらけの  さみしい磯を

情が島(「じょうがしま」) とか  言うけれど

 

岩の割れ目を  一夜の宿に

住めば  うつぼ が  じゃまをする

どこへ逃げても  苦労とやらの

重い甲羅(「こうら」) が  ついてくる

 

泣くなやどかり  つらいだろうが

しょせん  この世は  仮の宿 (「かりのやど」)

ころり  ころりと  ころがるたびに

角(「かど」) もとれます  まるくなる

 

波を枕の  船頭さんも

いわば  この世の  やどかりさ

百里  二百里  間切って(「まぎって」) みても   (「間切る」・「波を切って船を進める」)

狭い海から  抜けられぬ

狭い海から  抜けられぬ

 

 

「風の便り」を「英語」で「言う」と

 

「The News of  the wind」

 

  (「風の便り」)

 

  と、「言う」そうです。