何気なく使っている言葉の意味

「馬耳・東風」

 

「皆さん」は「馬耳・東風」(「ばじ・とうふう」) と、いう

「四字・熟語」を「使った事」は「有り」ませんか?。

 

「馬耳・東風」の「意味」は「下記」だ、そうです。

 

・「人」は「暖かい・東風」(「こち」) が「吹け」ば

 「冬が・終わり」「春が・来た」事を「喜び」ます。

 

・「しかし」「人に・とって」は「喜ばしい・東風」(「春の・風」) も

 「馬」は「単に・風が 吹いている」と「感じる・だけ」で「春が・やってくる」と、いう

 「特別 な・感慨」(「かんがい」) を「持つ・事」は「有り」ません。

 

・「そこ」から「自信・家」で「他人 の・意見」や「忠告」を「聞く耳 を・持たない 人」

 「何を・言って」も「聞き流す・だけの 人」を「馬耳・東風」と「言い」

 「何を 言っても・無駄」な「状態」を「意味」します。

 

 

「馬耳・東風」の「語源」は「下記」だ、そうです。

 

・「中国」「唐の・時代」(「とうの・じだい」) 「杜甫」(「とほ」) と「並び」

 「詞・仙」(「しせん」) と「呼ばれ」た「詩人」「李白」(「りはく」) が

 「自身 の・体験」を「元に・作った 詩」の「下記」「一節」だ、そうです。

 

 「世間 の・人」は「詩・歌」「しい・か」を「聴いて」も、その「意味」を

 「理解・せず」に「単に」「首を・かしげる」だけだ。

 「馬の耳 に・東風」(「こち」) が「吹いて」も「馬は・何も感じない」ように

 「世間 の・人」も「何も・感じる 事」が「無い」。

 

 「世間」では「世渡り・上手な 人」が「出世」し

 「本当 に・能力が ある 人」は「認め・られず」「力を・発揮できる」

 「場所 を・与えられ ない」と「嘆いた」(「なげいた」)

 「筈王十二寒夜独有権」(「おうじゅうに、かんやどくしゃして、おもいありにことう」) に

 「李白」が「詠んだ」(「よんだ」)「詩 の・一節」(「し の・いっせつ」) です。

 

 

「馬耳・東風」の「類義語」は「下記」だ、そうです。

 

・「糠 に・釘」(「ぬか に・くぎ」)

 

・「暖簾 に・腕押し」(「のれん に・うでおし」)

 

・「柳 に・風」(「やなぎ に・かぜ」)

 

・「蛙の面 に・小便」(「かえるのつら に・しょうべん」)

 (「何れ の・言葉」(「いずれ の・ことば」) も「いくら・注意」・「忠告」しても

 「相手 は・聞く耳を 持たず」「効き目 が・無く」

 「一方通行 に・なって しまう」と、いう「意味」です。

 

 「人」には「口 は・一つ」で「耳 は・二つ」「有り」ます。

 「自分の事 を・話す」より「他人の話 を・聞く方」が「大事 な・証拠」です。)

 

「馬耳・東風」の「対義語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

・「青菜 に・塩」(「あおな に・しお」)

 (「青菜」に「塩を・振りかける」と「青菜 が・しおれる」事より「効き目 が・有る事。」)

 

 辺りが「妥当な 気」が、します。

 

 

「平安・時代」の「貴族」(「きぞく」) で「子供 の・頃」には

「神童」(「しんどう」) と「言われ」

「学問 の・神様」と「呼ばれる」「菅原 道真」(「すがわら みちざね」) は

「朝廷」(「ちょうてい」) で「右・大臣」(「う・だいじん」) にまで「上りつめ」ました。

 

「右に出る 者・無し」と、いう「言葉 が・有り」「左・大臣」(「さ・だいじん」) より

「右・大臣」の方が「格上」だと「私」は「勘違い」して、いました。

「左・大臣」は「現代」の「内閣・総理大臣」だ、そうです。

 

 しかし「菅原 道真」は「謀反」(「むほん」) を「計画した」と、して

「福岡県・太宰市」(「だざいし」) に、ある「太宰府 の・長官」に

「左遷」(「させん」) されました。

 

太宰府天満宮」(「だざいふ・てんまんぐう」) には「多く の・受験生」が

「学業・成就」(「がくぎょう・じょうじゅ」) を「祈願」し「参拝」(「さんぱい」) します。


「菅原 道真」は「京の・都」の「時代 の・栄華」(「えいが」) を・偲び」(「しのび」)

「下記」「有名 な・歌」を「詠み」(「よみ」) ました。

「東風吹かば・匂いおこせよ 梅の花・主人なしとて・春な忘れ そ」

 (「こちふかば・においおこせよ うめのはな・あるじなしとて・はるなわすれ そ」) 

 

「歌 の・意味」は「下記」だ、そうです。

 

「春の東風」(「都の方・から」の「東風」が「吹いた」ら「また・美しい花」を
「咲かせて・おくれ」「梅の花」をよ。

「京の・屋敷」の「主人だった・私」は「左遷」され「留守宅」(「るすたく」) だが

「春に・花咲く」のを「忘れて・くれるな」よ。

 

 

「東風」は「ありがとうの歌」と、いう「歌」を、歌いました。

 

「東風」(「こち」) は「1,998年」に「結成」された「男女・2人組」の「デユオ」です。

「ヴォーカル」・「ギター」の「東風原 高根」(「こちはら たかね」は「沖縄県・出身」です。

「ヴォーカル」・「三味」(「しゃみ」) の「高橋 康子」は「ベルギー・出身」です。

沖縄県」の「居酒屋」を「中心」に「地道」に「ライブ・活動」を「積み・上げ」ました。

 

「2,004年」「想い歌〜ウムイウタ〜」で「デビュー」しました。

「2,005年」「1年・間」に「215 本 の・ライブ」を「開催」しました。

「2,006年」「映画」「涙 そうそう」(「なだ そうそう」) の「挿入歌」

「太陽」を「歌い」ました。

 

「2,007年」「大阪」にて「初」の「単独・ライブ」を「開催」しました。

「2,008年」「ありがとうの歌」を「発売」しました。

you tube 」で「聞き・ました」が「何故・ヒット しなかった のか?」
「不思議 に・思って」います。

 

「2,009年」「ヒット・曲」も「無い・まま」「活動 を・休止」しました。

「2,017年」「小笠原 諸島・父島」の「サマー・フェスティバル」「OHANA 2,017」で

「一夜・限り」の「ヂュオ」を「復活」し「イベント・内」で「4・曲」を「披露」しました。

 

 

「東風」「ありがとうの歌」「作詞」:「東風平 高根」「作曲」:「東風平 高根」

 

ずっと こうして いたいな 誰の 邪魔 (「じゃま」) も されず

泣き虫 同士の 僕ら だけど きょうは 涙は 禁止 だよ

手を ね 強く 握れば 怖いものは ないね

迷いながら 歩く道 だけど 「大丈夫」幸せの 方角 (「ほうがく」) だよ

泣いた分 だけ 信じたい 未来が ある 傷跡は (「きずあとは」) もう 昨日をたどる 事は ないね

僕は 君のために 生きてみる 事で 折れそうに なる 心を つなぎ止めて いられる

君も 同じように 思ってくれる かな

君を 守って あげたいな

 

君が くれる 言葉が 僕の 勇気に 変わる

うつむきそうな ときに ふと 思い出して 「大丈夫」背中を 押して くれる

できもの の ように 膨らんだ (「ふくらんだ」) 寂しさは (「さびしさは」)

消える事 なく 僕を 惑わす (「まどわす」) けれど

君が 僕の前で 笑っている だけで 僕は ただ嬉しくて 生きていて よかった

湧き上がる イメージ に 心 震えてる

君に 守られて ばかり だな

 

降り積もる 降り続く 悲しみの 雨に 歌え

僕が 温もり (「ぬくもり」) と いう名の 傘を (「かさを」) さして あげる

やがて 降り注いでくる 光の中に 見るだろう

輝く 希望の光 澄み切った (「すみきった」) 青空の 下で

 

ありがとう 今まで ありがとう これから

僕を 信じて 君を 信じて

 

わかりあえる 事が こんなにも うれしくて

僕は ただ 頷いて (「うなずいて」) もう 言葉に できない

一人で 泣いた夜に さよならを 告げ (「つげ」) たら

僕は 笑顔と 歩いてく

君の 笑顔と 歩いてく

 

 

※「馬の耳に・念仏」(「うまのみみに・ねんぶつ」)

 

「馬の耳に・念仏」は「馬耳・東風」と「似た・イメージ」が「有り」ますが

「肝心 な・所」で「異なり」ます。

 

「馬耳・東風」の「主体」(「しゅたい・中心 人物」) は

「意見 を・受け入れない」「相手」です。

「馬の耳に・念仏」の「主体」は「相手に・対して」「何を言っても・無駄」と

「決め付けて・いる」「自分」です。

 

「馬の耳に・念仏」は「相手の・愚かさ」を「上から・目線」で「言う・言葉」なので

「絶対」に「年上」や「会社の・上司」に「使って」は、いけません。

 

 

「馬の耳に・念仏」の「意味」は「下記」だ、そうです。

・「念仏」(「ねんぶつ」) とは

 「お釈迦様」(「おしゃかさま」が「人間 の・あるべき姿」を「説き」(「とき」)

 「こうやって・生きなさい」と「生き方 の・指針」(「ししん」) を「説いた」

 「有り難い」(「ありがたい」)「言葉」です。

 

・「馬」に「有難い・念仏」を「聞かせて」も

 「馬」は「その・有り難さ」を「理解・出来ず」「少しも・効果が無い」事より

 「有り難さ の・分からない 人」の「たとえ」と、して「使われて」います。

 

 

「馬の耳に念仏」の「類義語」は「下記」だ、そうです。

 

・「牛に・経文」(「うしに・きょうもん」)

 

 (「有難い・お経」(「ありがたい・おきょう」) を「説いて」(「といて」も

 「効き目 が・無い」(「ききめ が・ない」) 事の「たとえ」です。)

 

 

「金曜日」「10:00」〜「11:00」に「テレビ・ドラマ」

「病室で 念仏を 唱えないで ください」が「放送・されて」います。

 

「僧侶 で・あり」ながら「緊急・救命医」(「きんきゅう・きゅうめいい」) でも、ある

「松本 照円」(「演」「伊藤 英明」) が「主人公」で「含蓄 (「がんちく」) 有る・セリフ」が

「数多く・出てくる」「面白い・ドラマ」です。

 

「番組の・主題歌」は「三浦 大知」が、歌う「I'm Here」です。

 

「三浦 大知」(「みうら だいち」) は「1,987年・生まれ」で「沖縄県・出身」の

「ダンサー」「歌手」「エンターティナー」「作詞家」「作曲家」「演出家」です。

「6歳 の・時」「ダンス・スクール」に「通い」「歌唱 の・練習」を「始め」ました。

「9歳 の・時」「バンドを・結成」し「ヴォーカル」を「務め」て、いました。

 

「2,005年」「Keep It Goin On 」で「歌って・踊る」「スタイル」で「デビュー」しました。

「2,007年」「アメリカ」で「開催」された「ロック・フェスティバル」に「参加」しました。

「2,016年」「テレビ・朝日」の「ミュージック・ステーション」に「出演」しました。

 

「2,017年」「21th・シングル」「EXCITE」を「リリース」し

仮面ライダー・エグゼイド」の「主題歌」に、なり「オリコン・1位」に、なりました。

「同曲」で「日本・レコード大賞・優秀作品賞」を「受賞」し

「三浦 大知・紅白スペシャル」を、歌い「紅白・歌合戦」に「初・出場」しました。

 

「2,018年」「Be Myself」で「日本・レコード大賞・優秀作品賞」を「受賞」し

「同曲」で「2・回目」の「紅白・出場」を、しました。

「2,019年」「片隅」で「3年・連続」「日本・レコード大賞・優秀作品賞」を「受賞」し

Blizard」を、歌い「3年・連続」「紅白・出場」を「果たし」ました。

 

 

「三浦 大知」「I'm Here」「作詞」:「三浦 大知」「作曲」:「UTA

 

どこに も 行きたい 場所が ない

明日 を 描く気にも なれない

 

頭と心 の 中を 歩いても

やりたい事 一つ 見つからず

あゝ また 目を 伏せた(「ふせた」)

 

Goodbye Goodbye Goodbye

悪く ないな

Hello Hello Hello 

何もない 自分を

ただ 生きて いけば いい

分からない まま

 

その まま

ありの まま

 

I know you, the way you are 

 

世界 は 誰のものでも ない

僕ら まだ 何者でも ない

(「気付け ば」)

身体中 に (「からだじゅう に」) 貼られて いた (「はられて いた」) 誰か の

理想や 期待には 笑顔で

「じゃあ また」剥がす だけ(「はがす だけ」)

 

Goodbye Goodbye Goodbye 

悪く ないな

Hello Hello Hello 

何もない 自分を

ただ 生きていけば いい

分からない まま

 

Goodbye Goodbye Goodbye 

足元 に

Hello Hello Hello

広がる

誰かのため じゃない 今

さあ 踏み鳴らして

 

その まま

ありの まま

その まま

 

Goodbye Goodbye Goodbye

眩しい (「まぶしい」) 未来

Hello Hello Hello

淀んだ (「よどんだ」) 今を

繋いで (「つないで」)

ただ 生きていけば いい

君の まま

 

Goodbye Goodbye Goodbye

悪く ないな

Hello Hello Hello

何もない 自分を

ただ 生きていけ ばいい

分からない まま

 

Goodbye Goodbye Goodbye 

足元 に

Hello Hello Hello

広がる

誰かの ためじゃ ない 今

さあ 踏み鳴らし て

 

 

「馬耳・東風」を「英語」で「言う」と

 

「in one way ear and out the another 」

 

 (「こっち の・耳」から「入って」「反対側」の「耳」から「抜ける」)

 

 と「言う」そうです。