何気なく使っている言葉の意味

「手の平を返す」

 

「皆さん」は「手のひらを返す」という「慣用句」(「かんようく」) を「使った事」が

「有り」ませんか?。

 

「手のひら」は「漢字」で「掌」と「書き」ます。

「掌」は「たなごころ」とも「読み」「手のひら」の「意味」です。

 

「手のひらを返す人」は「テレビドラマ」にも「よく出て」きます。

「主役」となる事は無く「刺し身のつま」の様な「役」です。

「1番多い」のは「立場が変わって」「言う事が正反対になった」という「ケース」です。

 

  私も「サラリーマン人生の行方」を「決定づけられた」「手のひら返し」を「食らった事」が

「有り」ましたが「今は・責める気」も「失せ」(うせ) ました。

 

 

 

「手のひらを返す」の「意味」は

 

「急に態度を変え、従来とは正反対の対応を取る事」です。例として

 

・「今まで親切にされていたのに、急に冷たくなる」

 

・「今まで無視されていたのに、急に暖かく迎えられる」

 

   が、あるそうです。

 

 

「手のひらを返す」の「類義語」と、しては

 

・「八方美人」

 

・「気が変わる」

 

・「心変わりする」

 

・「態度を変える」

 

・「主張を変える」

 

・「豹変する」(ひょうへんする)

 

   等、が「該当する」そうです

 

 

「手のひらを返す」の「対義語」を「検索」しても「出て来」ません。 

 

・「首尾一貫した」

 

・「終始一貫した」

 

・「強固な意志」

 

・「心中する覚悟」

 

・「要領が悪い」

 

   辺りが「妥当」な「気が」します。

 

 

「手のひらを返す人」の「特徴」と、しては

 

・「損得勘定に敏感」

 

「自分にとって何が有益か」「誰にくっついて行くのが得か」を

「アンテナを伸ばし」「常に考えている人が多く」

「あからさまに・手のひらを返す傾向」が、あります。

 

「手のひらを返す」事は「周囲の人」に「バレて」しまいます。

  しかし「周囲の目を気にしない」と、いう事も「手のひらを返す人」に

「共通した・特徴」と「言え」ます。

 

「利己的」で「人の目を気にする事無く」「自分の利益」に「まっしぐらに走る事」を

「躊躇」(ちゅうちょ) しません。

「出世・昇進」の為に「常に」「自分に有益となる情報」を「探して」います。

 

・「正しいのは自分」

 

「自分を中心」に「物事を考えている」為「自分が間違っていることを認識」して、いても

「間違い」を「認め」ません。

「認める」と「自分の立ち位置」(「たちいち・立場」) が、下がるからです。

 

「間違いを説得」しても「通じる相手では無く」「間違い」を「認めさせよう」と、しても

「一人相撲」で「終わって」しまいます。

「懸命に説得する事」が「阿呆らしく」なってきます。

 

  こういう状態を

 

・「糠に釘」(ぬかにくぎ)

 

・「暖簾に腕押し」(のれんにうでおし)

 

・「豆腐に鎹」(とうふにかすがい)

 

・「柳に風」(やなぎにかぜ)

 

・「馬の耳に念仏」「うまのみみにねんぶつ)

 

・「カエルの面に小便」(かえるのつらにしょうべん)

 

   等、と「言い 」ます。

 

・「すべて自分のため」

 

「困っている人」が、いれば「助けようとする」のが「普通の人」です。

  しかし「自分の利益を最優先」にする「手のひらを返す人」は「自分に利益が生じない」と

「判断した場合」は「自分の時間を割いてまで「人を助ける事」は、しません。

 

「もちろん」「困っている人」を「助ける事」が「自分に利益をもたらす」と

「判断すれ」ば「我れ先に」と「救助に駆けつけ」ます。

  それは「親切心」からでは無く「打算からの行為/」以外の「何物でも」「有り」ません。

 

・「嘘をつく」

 

「手のひらを返す人」は「自分の利益の為」で、あれば「嘘をつく」事に「罪悪感」を

「持ち」ません。

「事実」を「隠して」「自分に都合良くなるよう」に

「湾曲」(「わんきょく・ねじ曲げる」)  した上で「言いふらす」事、など「平気」です。

「事実を知らない人」は「正義役」と「悪人役」を「反対」に「捉える」でしょう。

 

「上から目線」

 

「手のひらを返す人」は「相手が自分より格下」と「判断」すると「容赦無く」(ようしゃなく)

「いじめて」来ます。

「自分の力」を「誇示」(こじ) しようと、します。

「もちろん」「相手が格上な事が分かった時」には「面白い」様に「手のひらを返し」ます。

 

 

いきものがかり」は「手のひらの音」と、いう「歌」を、歌いました。

 

いきものがかり」は

 

「吉岡 聖恵」(「よしおかかきよえ・ヴォーカル」)

 

「山下 穂尊」(「やましたほたか・ギター」)

 

「水野 良樹」「「みずのよしき・ギター」)

 

  の「3人組」(トリオ)「音楽グループ」です。

 

「1,999年・2月」「小学校時代」からの「同級生」で、あった 「山下」と「水野」は

「男性・2人組」「アマチュア・バンド」を「結成」しました。

「同年・11月」に「ヴォーカル」の「吉岡 聖恵」が「加わり」

「現在の・男女3人組」に、なりました。

 

いきものがかり」という「バンド名」は「山下」と「水野」が「小学1年生時の・係活動」で

「2人共」「金魚にエサをあげる」「生き物係」(いきものがかり) で、あった事に

「由来」し「名付けた」そうです。

 

「2,006年」「SAKURA」で「プロ・デヴュー」しました。

「数々のヒット曲」を「世に送り出し」「音楽ファンが選ぶ」

「好きなアーティスト・ランキング」で「2,010年」から「4年連続」で「2位」と、なりました。

NHK紅白歌合戦」には「2,008年」から「9年連続」で「出場」しました。

 

 

「いきものががり」「手のひらの音」「作詞」:「山下穂尊」「作曲」:「山下穂尊

 

かざす掌(てのひら) に映る太陽は 沈む心を照らすよ  ずっと遠くまで

 

時に僕等は傷ついた  小さな声さえ届かず ただ無償を探す影に押された

緩い(ゆるい) 坂道を抜けたら窓の空いた白い部屋

まだ時計の針は確かに動き続けてる

 

揺れていた日々今は遠くなる想い出たち

朽ちかけ(くちかけ)たこの足跡も揺れて咲く一輪の花

 

かざす掌(てのひら)に映る太陽は沈む心を照らすよ  そして僕は足元を知る

道は果てしなく  時間は限りなく僕の心に続くよ  ずっと遠くまで

 

立ち止まり空を見上げる「始まりの声は聞こえるよ」と

隣の人が微かに(かすかに) 呟いて(つぶやいて) 過ぎていく

 

止まらない涙  いつかきっと見たあの陽炎(かげろう)

やっと見つけたこの場所はもっと輝きを放って

 

鳴り続ける靴音届けどこまでも  道の狭間(はざま) で響くよ  疲れ眠りにつくその前に

部屋の片隅で佇んだ(たたずんだ) 季節ははぐれた夢と幻  今もそのままで

 

絡まる(からまる) 糸達解き (ほどき)   全てを掴んで(つかんで) ゆく

砂地の暗闇(くらやみ) 歩き陽(ひ) の当たる場所を目指してく  今までもこれからもずっと・・

 

かざす掌(てのひら) に映る太陽は沈む心を照らすよ  そして僕は足元を知る

道は果てしなく  時間は限りなく僕の心に続くよ  ずっと遠くまで

 

繋ぐ掌(つなぐてのひら) は少し瞬いて(まばたいて) 肩にかかる力を溶かした  

もう怯む「ひるむ)意味もない

全てを委ねた(ゆだねた) あの頃は遠く  道の果てをさがしてく

ずっと遠くまで  もっと遠くまで

 

止まらない涙いつかきっと見た陽炎

やっと見つけたこの場所はもっと輝きをを放って

 

 

※自然薯栽培

 

「1・8・20」(火)

 

「天気予報」は「曇りのち雨」でした。

 

「自然薯の葉」は「圃場外」(ほじょうがい) から「生えてきた雑草の葉」に「邪魔」され

「目立ち」ません。

「十分に・光合成」は「為されていない」気が、します。

 

 私は「諦め切れず・2回目の追肥」を、しました。

「やれる事を・やらずに失敗」したら、私は「後悔の念」から「立ち直れない」でしょう。

  しかし「やるべき事を全てやって・失敗した」のなら「諦めがつき」「今年の失敗を糧とし」

「来年・もう一度」「挑戦しようという気力」が「湧いてくる気が」します。

 

「今年は全てが・初挑戦」です。

「できるだけ多くの事」を「経験しておかなければ」なりません。

「体力的」にも「何年も先の成功」を「夢見ている時間」は「有り」ません。

  私が考える「最終形」は「自然薯掘り・体験ツアー」の「開催」です。

 

「自分で」「土まみれになりながら・掘った自然薯」を持ち帰り「家で調理し・食べる」と

「一味違った」「美味しさ」に、なるはずです。

「経験の無い人」が「真下に伸びる1mの自然薯を・掘りあげる事」は「不可能」です。

 

  私が「大学1〜2年生の時」「考古学部で経験した」ように「横から掘れ」ば

「園芸用のスコップ」で「小学生」でも「傷つける事なく」掘り切る事」は「容易」と

  思っています。

 

  その為には「協力者」が「必要」です。

「協力者を納得させる事」が「出来る」ように「今年中に・出来るだけ多く」の

「経験と成果が・欲しい」と、私は「思っています。

 

追肥作業が終わり・家に帰る途中」に「天気」は「急変」しました。

「雷雲(らいうん) が立ち込め」「叩きつける様な雨」が「数時間」降りました。

「雨」が「肥料を溶かし」「自然薯の根」が「吸収してくれる事」を、私は「祈り」ました。

「8月中〜9月初旬」に「もう1回」「追肥する事」を「考えて」います。

 

地震」「台風」の様な「大きな・自然災害があった後」「ニュース」では

「大きな爪痕」(つめあと)」が「残った」と「報道」します。

「爪痕を残す」の「意味」は「甚大な被害」(じんだいなひがい)に

「遭遇する」(そうぐうする) 事、です。

 

 

「水原 弘」は「女の爪あと」という「歌」を、歌いました。

 

水原 弘」は「1,935年・生まれ」の「歌手」「俳優」です。

「1,959年」「黒い花びら」で「歌手・デヴュー」しました。

「黒い花びら」は「大ヒット」し「第1回・レコード大賞」を「受賞」しました。

「第10回・NHK紅白歌合戦」に「初出場」し「その後」「3年連続・出場」しました。

「独特」の「甘い低音」で「一世を風靡」(いっせいをふうび) しました。

 

「この頃」から「取り巻きを引き連れ」て「夜の街を豪遊」し

「業界屈指の・酒豪」と「言われるよう」に、なりました。

「日常的な酒浸りの豪遊」や「莫大な賭け金のギャンブル」に「負け続け」た「結果」

「高利貸し」「ヤミ金融」から「借金を重ね」「ピーク時」には「1億数千万円」に

「膨れ上がり」ました。

 

「1,965年」「稲川会系・暴力団」が「開いた」「花札賭博」(はなふだとばく)が

「警視庁」に、より「摘発」され「参加していた・水原弘」は「事情聴取」を「受け」ました。

水原弘」は「50万円」「巻き上げられていた」そうです。

「この事件」により「事実上」「芸能界追放」と、なりました。

 

「1,967年」「水原弘」は「奇跡のカムバック」を「果たし」ました。

「君こそわが命」が「大ヒット」し「第9回・レコード大賞」を「受賞」しました。

NHK紅白歌合戦」に「5年ぶり・4回目の出場」を「果たし」ました。

「その後」も「活躍」しましたが「相変わらず」「酒に溺れる日」は「続き」ました。

 

水原弘」は「この頃」「放蕩三昧」(ほうとうざんまい) の「生活」に「舞い戻り」ました。

「膨れ上がる借金の返済」の為「取り立て屋」に「追われながら」

「クラブ」「キャバレー」の「地方営業」の他「様々な仕事」を「昼夜を問わず」

「休む事なく」「こなさざるを得ない状態」でした。

 

「1,977年・1月」「巡業先の金沢」で「体調不良」を「訴え」「緊急入院」しました。

アルコール依存症」の「影響」で「肝臓の機能」は「低下」しており

「黄疸」(おうだん)・「腹水」(ふくすい) の「症状」も「起きて」いました。

「6ヶ月間」の「入院・自宅静養」の後「仕事に復帰」しました

 

水原弘」は「借金返済」の為「満身創痍」(まんしんそうい) の「体」で「馬車馬のごとく」

「地方営業」を「続け」ましたが「酒を手放す事」は「有り」ませんでした。

 

「1,978年・6月」「北九州市」の「祝先先の・ホテル」で「大量の吐血」を、しました。

「瀕死」(ひんし) の状態の所」を「偶然」に「マネージャー」に「発見」され「病院」に

「緊急搬送」されました。

「既に」「血液の・1/3」が「失なわれて」いました。

 

「自分の体重」の「8 %」が「血液」です。

「血液」の「1/3」が「失なわれる」と「生命の危機」と「言われて」います。

 

「水原 弘」は「奇跡的」に「命を取り留め」「意識」も「復活」しました。

水原弘」は「マネージャー」に「馬鹿野郎・俺は死なねーよ」と「怒鳴り付け」

「再度の・奇跡のカムバック」の「意志」を「示し」ました。

 

  しかし「水原 弘」の「願い」は「叶わず」「吐血から・11日後」「肝硬変の重症化」による

「食道静脈瘤破裂」の為「死去」しました。

「享年」(きょうねん・「満年齢+1歳」)「43歳」でした。

 

「残った借金」は「9,000万円」と「言われて」いました。

「水原 弘」は「結婚した事が無かった」ので「相続人」は「親・きょうだい」の、はずですが

相続放棄」したと「思い」ます。

 

「42歳の・生涯」でしたが「自分の生きたい様に生きた」「水原 弘」は「死ぬ直前に」

「自分自身」が「歩んだ人生」を「どう評価したか?」私は「気に」なります。

 

 

「水原 弘」「女の爪あと」「作詞」:「西沢 爽」「作曲」「猪俣 公章」

 

おれのこの手の  小さな傷は

おまえがつけた  爪のあと

夜風がしみる  いたみより

別れないでと  泣く声が

おれの背中に  おれの背中に

つきささる

 

すがるお前を  抱きしめながら

涙が胸に  ふきあげる

おまえがほしい  幸福の (しあわせの)

かけらも一つ  残せない

おれは死ぬほど  おれは死ぬほど

つらかった

 

ひとり爪あと  唇あてて

男がいまは  むせび泣く

おまえの細い  指さきに

こめた女の  悲しみが

おれの心に  おれの心に

痛むから

 

 

「手のひらを返す」を「英語」で

 

「do  a  180 !」

 

   (「180度、態度を変える」)

 

  と「言う」そうです。