何気なく使っている言葉の意味

「砂を噛むような」

 

「皆さん」は「砂を噛むような」「すなをかむような」と、いう「慣用句」を

「使った事」は「有り」ませんか?。

 

 

「砂を噛むような」の、「意味」は

 

・「味わい」や「面白味」が「全く無い」事の「たとえ」。

 

・「物事」に「味わい」や「情緒」が「無く」「無味乾燥」に「感じる」事の「たとえ」。

 

・「物事」を「面白くない」と「感じる」さま。

 

 

「砂を噛むような」の「類義語」と、しては

 

・「おもしろくも何ともない」

 

・「味も素っ気もない」

 

・「無味乾燥な」

 

・「無味無臭な」

 

・「つまらない」

 

・「退屈な」

 

・「もどかしい」

 

・「苦々しい」

 

  等が、あるそうです。

 

 

「砂を噛むような」の「反対語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

・「興味津々な」

 

・「熱中できる」

 

・「没頭できる」

 

・「やりがいを感じる」

 

・「面白そうな」

 

・「楽しい」

 

・「面白い」

 

「興味深い」

 

  等々が「妥当」な「気」が、します。

 

「何れ」も「人の心」を「前向き」な「気持ち」に、させます。

「砂」の「代わり」に「何を噛めば」「元気が出るか」「考えて」みましたが「分かり」ません。

「人それぞれ」に「違う」のかも「知れ」ません。

「八代 亜紀」は「スルメ」だと「歌い」ました。

 

「辛い時」「苦しい時」には「ドラゴンクエスト」の「悟空」の様に「周りの人」から

元気玉」を「もらい」「反撃する事」も「時には」「大切」だと、思います。

 

「砂の定義」は

 

「岩石」が「風化」「侵食」されて「ミクロン単位」(「1mmの千分の一単位」) に

「細かく砕かれた」「物質」です。

「主に」「砂漠」「海岸」「河川の下流」「河口」に「在する物質」の、事です。

「噛んでみる」と「無味無臭」で「口の中」が「ザラザラ」し「思わず吐き出して」しまいます。

 

「砂」には「土」と「違い」「有機質」が「含まれて」いません。

「砂場」や「砂漠」に「雑草が生えにくい」のは「この為」です。

 

「土」には『「味」・「臭い」・「栄養素」』が、ある為「土を食べる」

「哺乳類」「鳥類」は「結構」います。

「オウム」「コウモリ」「ネズミ」「ウシ」「ゾウ」等、です。

「砂と土の違い」は「人間性の違い」に「似ている」「気が」します。

 

  私は「自然薯」の「圃場」として「砂」を「使い」ました。

「砂」を「使わざるを得なかった」のは「土」の「集合体」である「畑」が

「無かった」からです。

 

  私は「有機質」で、ある「腐葉土」と「バーク堆肥」と「ボカシ肥料」を

  砂の中」に「すき込み」ました。

「自然薯」は「臭い」を「吸収してしまう」ので「鶏糞」(けいふん)「豚糞」(とんぷん)

「牛糞」(ぎゅうふん) のような「動物性・肥料」を「使う事」は「出来」ません。

 

「圃場」が「砂」から「土」に「変わるか?」は「一か八か」の「賭け」でした。

  私は「わずかの期待」を「持って」いました。 

「僅かでも希望があれ」ば「賭け」は「一か八か」です。

「零か百か」に「賭けた」のは「自然薯」の「水耕栽培」でした。

 

「圃場の草取り」を「行った」という「事実は「砂が土に変わったのでは?」と思いました。

「希望と期待が生まれ」た「吉兆」(きっちょう・めでたい事が起こる前ぶれ) だと

  私は「前向き」に「考える事」に、しました。

 しかし「現実の「ツル・葉」の「生育の状況」を「見る」と「気持ち」が、へこんできます。

 

 

「松浦 亜弥」は「砂を噛むように・・・NAMIDA」という「歌」を、歌いました。

 

「松浦 亜弥」は「1,986年・生まれ」の「歌手」「タレント」「元・アイドル」です。

あやや」の「愛称」で「親しまれ」て、います。

 

「2,001年」に「Hello!project 「2,001」 すごいぞ!21世紀」で「歌手‘・デヴー」しました。

「同年」に「LOVE 涙色」で「「第52回・NHK’・紅白歌合戦」に「初出場」しました。

「2,002年」に「フジテレビ」で「放映」された「天使の歌声〜小児病棟の奇跡〜」で

「ドラマ」「初主演」しました。

「同年」「Ysar!めっちゃホリデイ」で「2年連続」で「紅白・出場」しました。

 

「2,003年」「新幹線・のぞみ」「姫路・発着開始記念」で「1日駅長」を「務め」ました。

「同年」「ね〜え?」で「3年連続」で「紅白・出場」しました。

 

「2,004年」「18歳の時」「後藤 真希」「安倍 なつみ」と「トリオ」を「結成」しました。

「同年」「後藤 真希」&「松浦 亜弥」で「冬の童謡〜メリークリスマス&ハッピー2,005年〜」を

「歌い」「デヴー以来」「4年連続」で「紅白出場」しました。

 

 

「松浦 亜弥」「砂を噛むように・・・NAMIDA」「作詞」:「森村 メラ」

「作曲」:「Joey Carbone  ・Kyoko Nitta」

 

「2,006年」「20歳・の時」「発売」されました。

 

雨が明日に向かって 急ぐ足引ひきとめる

忘れ物なら 忘れたまま  置いてきたのに

空が流すなみだが  時計の針と 日付を

あなたと出会い  過ごした日々に 心だけ 還した (かえした)

 

約束なら  まだ覚えている  去り行くモノは  何故いつも 愛しい (いとおしい)

 

早すぎた恋でした  傷つけあってばっかりで

涙は雨の様に  激しく止まない (やまない)

あの日が  手の平から 遠く離れ  気付きました

 

現在(いま) を尋ねないでよ  他の誰かのことも

知っているでしょ?  嘘をつくのは あまり 上手(じょうず) じゃない

 

話の合う人はいるけど  胸をうごかすような 気持ちに なれない

 

早すぎた恋でしか  確かめられないものが

あるから不思議なの  今は愛おしい

記憶の 中を調べ  なくしたのは 貴方でした

 

鮮やかだった 記憶の色は  時の経過と共に  淡く

 

大好きな恋でした  大好きな人でした

だけど 砂を噛むように  目覚めの ベルがなる

戻らなくちゃ わたしは今を 歩いているの

あなたのこと 胸に  抱き  笑いながら

 

 

「この歌l」の「歌詞」も、私には「意味不明」です。

  しかし「何とか」「砂を噛むように」という「歌詞」に「たどり着き」ました。

  それでも「前後の歌詞」と「砂を噛む」という「歌詞」の、間に「脈略」(みゃくらく) を

「見つける事」が、できません。 

 

「単に」「綺麗な言葉」を「散りばめた」だけの「歌詞」の、様に「感じ」ました。

  私は「自分の感性が衰えてきたせい」とは「思いたく」「有り」ません。

 

 

※  「星の砂」

 

「星の砂」というと「沖縄県」の「石垣島」を「イメージする人」が「多い」ようです。

 

 「今年の 3月」 どうしても「確認しなければならない用事」が、でき「支店の女性課長」に

  電話」しました。

「今、何をしているの?」と「尋ねられ」ました。

  私は「あちこち」「星の砂」を「探し回っている」と「答え」ました。

 

「綺麗な星の砂」を見つけると「願い事が叶う」と「言われて」います。

  それを「信じて」「暑い中」「汗だくに」なりながら「ビーチ」で「綺麗な星の砂」を

「探し続ける」そうです。

 

「夢を壊す」ようで「言いにくい」のですが「星の砂」は「砂」では「有り」ません。

「前述した」ように「砂」は「ミクロン・単位」の「粒」であり「星の砂」の様な

「大きな砂」は「あり得」ません。

 

「星の砂」の「正体」は「微生物のかたまり」です。

植物プランクトン」の「死骸」が「星の形になった物」が「星の砂」です。

「正式名」は「バキュロシブシナ」と「言う」そうです。

 

 

「小柳 ルミ子」は「星の砂」と、いう「歌」を、歌いました。

 

「電話で話した」「女性課長」は「この歌」を「知らなかった」と「言い」ました。

 

小柳 ルミ子」は「1,952年・生まれ」の「歌手」「女優」です。

「福岡市」の「築紫女学院中学校」を「卒業後」「宝塚音楽学校」に「入学」しました。

「1,970年」に「宝塚音楽学校」を「首席」で「卒業」しました。

 

「1,971年」に「私の城下町」で「歌手・デヴュー」し「大ヒット」しました。

「同局」は「オリコン年間シングル売上チャート」で「第1位」を「記録」しました。

「第13回・レコード大賞・新人賞」も「獲得」しました。

 

「1,972年」に「瀬戸の花嫁」が「大ヒット」し「第3回・日本歌謡大賞」を「受賞」しました。

「その後」も「お祭りの夜」「京のにわか雨」「漁火恋歌」(いさりびこいうた) 等が

「ヒット」しました。

「天地 真理」「南 沙織」と共に「新・3人娘」と「呼ばれ」ました。

 

「1,970年代後半」〜「1,980年代」にかけては「アイドル」を「卒業」し「正統派歌手」として

「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人」(「ライムライト」)「お久しぶりね」

   等、の「ヒット曲」を「生み出し」ました。

「1,971年」の「デヴュー」から「「18年連続」・で「紅白・出場」を「果たし」ました。

「機転の効いたコメント」が「評価」され「8時だよ!全員集合」の「最多出場ゲスト」でした。

 

「1,989年」「37歳・の時」「13歳・年下」で「無名のダンサー」で、あった

「大澄 賢也」(おおすみ けんや)と「電撃結婚」しました。

「おしどり夫婦」と「言われ」て、いましたが「2,000年」には「離婚」しました。

「離婚の原因」は「小柳 ルミ子」の「理不尽な要求」と「言われて」います。

 

 

「作詞」した「関口 宏」は「1,943年・生まれ」の「司会者」「俳優」「タレント」

「ニュース・キャスター」「作詞家」「芸能プロモーター」「経営者」です。

「妻」は「歌手」「女優」の「西田 佐知子」です。

「息子」は「俳優」「タレント」の「関口 知宏」です。

 

「作曲」した「出門 英」は

「1,942年・生まれ」の「歌手」「俳優」「作曲家」です。

「1,968年」「後に妻となる」「イタリア出身」の「ロザンナ」と「コンビ」を「組み」ました。

「同年」「ヒデとロザンナ」の「芸名」で「デヴュー曲」「愛の奇跡」を「歌い」

「大ヒット」しました。

 

「出門 英」は「実母」が「ガン」で「早世」(そうせい) した事より

「仕事の傍ら」で「ガン研究・啓蒙活動」「基金事業」に「奔走」しました。

「1,989年・7月」〜「数度の症状」が「出現」するも「病院」に「行か」ず

「仕事」を「優先して」しまいました。

 

「同年・年末」に「医師の診察」を「受ける」と「結腸ガン」と「診断」されました。

「妻の・ロザンナ」には「秘密」に、しました。

 

「翌、「1,990年・1月」に「緊急入院」しました。

  しかし「既」に「ガン」は「あちこちに転移」しており「末期ガン」で「手遅れ」でした。

「同年‘・3月」に「一時退院」し「妻と共に」に「二男」の「小学校の卒業式」に

「出席」しました。

 

「同年・4月」「高熱により再入院」しましたが「直腸ガン」が

「肺にまで転移」している事が「判明」しました。

 

ロザンナ」は「ロザリオ・祈りの十字架」を「イメージ」させる

「敬虔なカトリック信者」でした。

「出門 英」は「洗礼」を「受け」ました。

 

「1,990・6・17」「大量の吐血」をし「入院先の病院」で「没し」ました。(「没年・47歳」)

「葬儀」は「三軒茶屋カトリック教会」で「執り行なわれ」ました。

 

「出門 英」は「生前」は「ステーキ」他「肉類が大好物」でした。

「250g」の「レア・ステーキ」を「毎日のよう」に「食べていました」が

「付け合わせ」の「野菜」には「手を付けず」「典型的」な「肉好き・野菜嫌い」の

「食習慣」が「ガン・発症」に「繋がった」と「言われて」います。

 

 

「小柳 ルミ子」「星の砂」「作詞」;「関口 宏」「作曲」:「出門 英」

 

二度と出来ない恋を捨て  あなた遠く

離ればなれになってゆくの  今  つらいわ

 

嫁ぐ日  岬に一人たたずみ

君住む島に  別れを告げる

ないてないてまぶしい  サンゴの島が

にじんでおちて  星の砂

 

過ぎし日  二人は 海辺「うみべ) に遊び

変わらぬ愛を  夕陽(ゆうひ) に祈る

いつか  いつか  二人は運命(さだめ) にさかれ

私は遠く  石垣へ

 

髪にかざしたブーゲンビリア

そえぬ運命に赤く咲く

海よ海に流れがあるのかあるならば

届けて欲しい欲しい星の砂

 

ルルル・・・・・ルルル・・’・・・

ルルル・・・・・

風よ吹け  波よ打て

それであなたに  つぐなえるならば

 

海よ  海に流れがあるならば

届けて欲しい  この思い

届けてほしい  この思い

 

 

「砂を噛むような」を「英語」で言うと

 

「be as tasteless as sawdust」

 

  (「tasteless」の「意味」は「味がしない」です。)

  (「sawdust」の「意味」は「おがくず」です。)

 

  (「砂を噛むような」)

 

  と「言う」そうです。