何気なく使っている言葉の意味

「捨てる神あれば拾う神あり」

 

「皆さん」は「捨てる神あれば拾う神あり」「すてるかみあればひろうかみあり」と、いう

「ことわざ」を「使った事」は、有りませんか?。

 

「捨てる神あれば拾う神あり」の「意味」は

 

・「見捨てられた事があって」も「一方で助けてくれる人がいる」事の「たとえ」。

 

・「不運な事」「困った事」が、あっても「悲観することはない」事の「たとえ」。

 

・「世の中には様々な人」がいて「自分のこと 」を「見限って」「相手にしてくれない人」も

      いれば「救いの手」を「差し伸べてくれる人」もいる」事の「たとえ」。

 

 ・ 「日本には」「800万」の「神」が、いるのだから「不運な事」「困った事」が、有っても

    「クヨクヨしなくて良い」事の「たとえ」。

 

・「人は縁」によって「生きている」ので「一つの縁」が「断たれても」

    「必ず」「違う縁」が「待っている」事の「たとえ」。

 

    だ、そうです。   

 

 

「捨てる神あれば拾う神あり」の「類義語」と、しては

 

・「渡る世間に鬼はなし」

 

・「浮世に鬼はない」

 

・「地獄にも鬼ばかりはいない」

 

・「倒す神あれば起こす神あり」

 

・「月夜半分闇半分」(つきよはんぶんやみはんぶん)

 

    辺りが「妥当」するそうです。  

 

 

「捨てる神あれば拾う神あり」の「対義語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

・「渡る世間は鬼ばかり

 

・「神に見捨てられた」

 

・「頼れる人がいない」

 

・「一人ぼっち」

 

・「はぐれ者」

 

・「一匹オオカミ」

 

・「アウトロー

 

・「異端児」

 

・「孤軍奮闘」

 

・「四面楚歌」(しめんそか)

 

・「拾う神がいなければ、誰か助けて」

 

   辺りが「妥当」な、気がします。

 

 

「いずれ」も「ネガティブ」な「気持ち」を「表している言葉」です。

「誰か助けて」と「呟きたい気持ち」(つぶやきたいきもち) になるほど

「切羽詰まった状態」に「なった時」の「対処方法」と、しては

 

・「助け呼ぶこと」を、恐れない。

 

「悩みの種」は「人それぞれ別」で「深刻度も千差万別」です。

「親や兄弟」「妻や夫」「子供や友人」「あなたと繋がっている人」に

「本気」で「SOS」(誰か助けて) を「発信」して、下さい。

「言わぬことは聞こえぬ」という「格言」の通り「言葉に」して「大きな声」で

「助けを求めて」下さい。

 

・たくさんの情報を取り入れる。

 

「世の中には」「知らないだけで損をしてしまう」事が/「たくさん」あります。

「私は昔から」「知らざる罪」と「言って」来ました。

「情報を得る」・「知識を得る」為には「アンテナ」を「伸ばし、広げる必要」が、有ります。

 

  もし「逃げるのを止め」「立ち向かおうとする気になった」としたら

「あなたと同じ境遇だった人達」の中で「その場から逃げた人」「止まった人」の

「その後」を「知る事」は「有益な情報」と「なり得る」かも、知れません。

 

「多くの情報」で「知識を増やし」「多くの経験を重ねれ」ば「どんどん」と

「たくましく」なると、思います。

 

・「見栄(みえ」を捨てる。

 

「誰か助けて」と「思うほど」「追い詰められている時」に「1番邪魔になる」のが

「見栄」です。

「手を貸して欲しい」「教えて欲しい」と「頼むことは恥ずかしい」という「気持ち」は

「私にも経験があり」「良く理解」できます。

 

「安易な道を選ばず」「仕事の効率性を上げる方法」を「考え」たり「いろいろ調べる」

「姿勢は「大切だと」私は、考えています。

 

  しかし「背に腹はかえられぬ」という「状況に陥る」事が、あるはずです。

  そんな時「あなたの持っている」「小さな見栄・プライド」が「あなたの首」を

「どんどんと締めかね」ません。

 

・まず、抱え込んでいることを一つ下ろす。

 

「誰か助けて」と「心の中で呟く人」は「責任感が強い人」ほど「陥りやすい」と、

  私は、考えています。

「知らず知らずのうち」に「たくさんの事」を「抱え込み過ぎ」て、いるかも知れません。

 

「男性」なら「仕事」「家族サービス」」「重圧」(プレッシャー) 等々。

「女性」なら「家事」「育児」「仕事」等々。

「学生」なら「学業」「部活」「習い事」等々。

 

「人それぞれ抱えている物」「度合い」は、様々ですが「抱え込み過ぎる」と

「いつか必ず」「パンク」して、しまいます。

「全ての事を完璧にこなせる人」は、いません。

 

  だから「心が悲鳴を上げている」と、したら「大量に抱え込んでいる事の内」

「まず一つ」を「周りの人」に「託してみて」下さい。

「少し楽になった気持ち」で「周囲を見渡す」と「更に楽になれる」「良いアイデア」が

「浮かんでくる」かも、知れません。

 

 

「ザ・テンプターズ」は「神様お願い」という「歌」を、歌いました。

「テンプター」の「意味」は『「悪魔」・誘惑者」』です。

 

「ザ・テンプターズ」は「1,967年」に「デヴュー」した「グループ・サウンズ」で

「1,970年」に「解散」しました。

ザ・タイガース」と、共に「グループ・サウンズ」の「最盛期を支えた」

「バンド」の「一つ」です。

 

「1,968年」に「リリース」された「神様お願い」・「エメラルドの伝説 」が「大ヒット」し

ザ・タイガース」に次ぐ「人気グループ・サウンズ」に「登りつめ」ました。

「ヴォーカル」は「萩原 健一」で「ハスキーで、繊細な歌声」が「評判」に、なりました。

「萩原 健一」は「グループ解散後」「俳優」「ソロ歌手」に「転向」しました。

 

萩原健一」は「1,950年・生まれ」の「歌手」「俳優」でした。

「ニックネーム」は「ショーケン」で「沢田 研二」(「ジュリー」)の「2歳年下」でした。

 

「ザ・テンプターズ」「解散後」は「俳優として」「活躍」しました。

「歌手」としても「212曲」の「ソロ・シングル」を「排出」しました。

「1,975年」に「音楽活動」を「再開」し「俳優との両立」を「果たし」ました。

 

「1,975年」「モデル」の「小泉 一十三」(こいずみひとみ) と

「最初の結婚」を、しましたが

「1,978年」に「離婚」しました。

「1,980年」には「歌手」の「いしだ あゆみ」と「2度目の結婚」を、しましたが

「1,984年」に「離婚」しました。

 

「1,983年」には「大麻不法所持」で「懲役1年・執行猶予3年」の「有罪判決」を、受け

「1年間」「全ての活動停止」を「余儀なく」されました。

「1,984年」「飲酒運転」で「人身事故を起こし」「業務上過失傷害罪」で「逮捕され」ました。

「1,985年」「女優・倍賞 美津子」との「ツーショット写真」を「週刊誌」に載せられ

「激昂」(げきこう)し「カメラマンと編集者」を「暴行」し「書類送検」されました。

 

「1,987年」「愚か者」という「歌」が「ヒット」しました。

「2,004年」「再び・交通事故を起こし」「業務上過失傷害罪」で「現行犯逮捕」されました。

「同年」「監督」「スタッフ」「共演者」への「暴行・暴言」を「繰り返した」との「理由」で

「主演した映画」「透光の樹」を「途中降板」させられました。

 

「出演料の半額分」(「750万円」)の「返還」を「プロヂューサー」から「求められた際」に

「一方的に降板させられた」として「拒否」しました。

  更に「プロヂューサー」に「電話をかけ」「国税庁」「「警視庁」「実在する暴力団」の

「名を挙げ」「必ずやっつけますから」と「脅迫する言葉」と、共に*「出演料全額分」

  (「1,500万円」)を「支払えとの言葉」を「留守電に残した」為「制作側」から

「恐喝未遂容疑」で「告訴」され「翌年に」「再び逮捕」されました。

 

「この恐喝事件」で「2,005念・6月」に「懲役1年6か月・執行猶予3年」の

「有罪判決」を「受け」「じばらく」は「活動を休止」する事と、しました。

  しかし「同年・7月」に「テレビ番組内」で「「大麻解禁を支持する発言」を、した事より

厚生労働省」から「注意された」際には「ジョークのつもりだった」と「釈明」しました。

 

「1,996年」には「ヘアーメイクアーティスト」と「3度目」の「結婚」を、しましたが

「2,006年」に「離婚」しました。

「2,008年」には「本格的に」「歌手活動を復帰」しました。

 

「同年」「5年ぶりの映画出演」(「主役・小栗 旬」)で「将軍・足利 義政」役を、演じ

日本映画批評家大賞・特別男優賞」を「受賞」しました。

「2,010年」には「7年ぶりとなる」「ライブ・ツアー」を「行い」ました。

 

「2,011年・2月」「61歳の時」「12歳年下」で「モデル」の「冨田 リカ」と

「4度目の結婚」を、しました。

「ジェットコースター」の様な「人生だったけども」「今後」は

「2人」で「メリーゴーランド」の様な「ゆったりとした人生」を「歩みたい」と

「プロポーズ」した、そうです。

 

「萩原 健一」の「主演映画」「約束」・「雨のアムステルダム」で「共演した」

三国連太郎」は「ショーケン」は「面白かった」なにせ『「彼は何をするか分からない」

「演技」で「毎回全部違う役」を、やってくる」』

「彼のような俳優は二度と現れないだろう」と「評した」そうです。

 

  ある「映画監督」は「ジュリー」には「演技の引き出し」が「1〜2個」しか無いが

ショーケン」は「5個も6個も次々と出てくる」「格の違いを感じた」と、

「述べた」そうです。

 

「2,019・3・26」「都内の病院」で「GIST」(消化管質腫瘍)の為「68歳」で「没し」ました。

「破天荒」(はてんこう)過ぎた人生」は「静かに幕を下ろした」ようです。

 

 

 

「ザ・テンプターズ」「神様お願い」「作詞」:「松崎 由治」「作曲/」:「松崎 由治」

 

アー  アアアー  アー  アアアー

神様  お願いだ

僕の  あのひとに

逢いたい  のさ

 

アー  アアアー  アー  アアアー

神様  つらいんだ

今日も  待ったのに

来な  かった

 

お願いが  あるの 神様

僕を  助けて

 

アー  アアアー  アー  アアアー

神様  もう遅い

あの娘は  遠くの空に

消えたのさ  イエイエイエ

 

さよなら  Baby  good-bye,

さよなら  Baby  good-bye

Baby  good-bye・・・・・

 

 

 

※「ムカゴ・栽培」

 

「以前の・ブログ」で、私は「ムカゴ」が「遅ればせながら」「芽生え」

「ツルを伸ばした」と「書き」ました。

  私は「急いで」「竹を切り出し」ました。

「ツルが竹に絡みつき」「上に上にと伸びられる」ように

「簡単な」「手作りの誘導棒」を「設置」しました。

 

「細い竹」を「使った」「簡易な物」なので「1日もかからず」に「完成」しました。

  (「自然薯の誘導棒作り」は「1週間以上」掛かりました)

「準備万端」でした。

 

「急ごしらえ」の為「ムカゴの培養土」は「傾斜が少なく」なって、しまいました

「結果として」「水はけの悪い環境」になって、しまいました。

 

「種イモ」から「栽培した」「自然薯」は「水はけが良くなる」よう

「傾斜を大きく」して、あります。

「ツル」が「枯れた」「自然薯」は「今のところ」「見当たり」ません。

「自然薯」は「水はけの悪い環境に弱い」「野菜」です。

 

「7月の長雨のせい」だと、思います。

「ムカゴ・栽培」の「ほとんどのツル」は「枯れて」しまいました。

「私の力の及ぶ範囲」を「超えて」いる、気がします。

 

  私は「現実を認めながら」「何ができるか」を「考えて」みます。

「何もせず」「諦めたくは」ありません。

「砂を掘り」「根の状況を確認」し「専門家の意見を参考」にして

「何かできる事はないか?」「考えてみよう」と、思います。

 

「梅雨が明けたこと」を「味方にする方法」が「何かないか?」を「現実に照らし」ながら

「考えてみよう」と、思っています。

「ささやか」で「意味のない」「抵抗」である事は「承知の上」です。

 

  私は「ムカゴ」の「枯れたツル」を見て『「大きな「ためいき」をつき』ました。

 

 

 

「森 進一」は「女のためいき」という「歌」を、歌いました。

 

「1,919・7・28」(日)

 

「森 進一」は「NHK・のど自慢大会」に「ゲスト出演」しました。

「シワクチャな顔」に、なって、しまいました。

「この歌を歌っていた頃」と違い「口数が多く」「明るく振る舞う姿」は

「老醜(ろうしゅう) を、さらけ出している」ようで「逆に哀れみ」を「誘い」ました。

 

  私は「うかつ」にも「テレビを見ながら」「イスの上で気絶したように」「1時間位」

「眠って」しまいました。

  したがって「森 進一」が「何の歌を歌った」のか「記憶に」有りません。

 

 

「森 進一」は「1,947年・11月生まれ」の「歌手」「作曲家」です。

「1,966年」「19歳」の時「女のためいき」で「デヴュー」しました。

「かすれ声」で「女心」を「狂おしく」(くるおしく)「歌う姿」は「衝撃的」で

「心無い人」からは「ゲテモノ」と「酷評」(こくひょう) されました。

 

「1,968年」「花と蝶」で「第19回・NHK紅白歌合戦」に「初出場」しました。

「1,969年」「日本全国の港町の情景を織り込んだ」「港町ブルース」で

「第11回日本・レコード大賞・最優秀歌唱賞」を「受賞」しました。

「同年の・紅白歌合戦」では「トリ」を「務め」ました。

 

  以後「おふくろさん」「年上の女」「襟裳岬」(えりもみさき)「新宿・みなと町」

冬のリヴィエラ」「冬のたび」「さらば友よ」「うそつき」等々

「数え切り上げられ無い」ほど「大ヒット曲」を「世に送り出し」ました。

NHK紅白歌合戦」には「48回・連続出場」しています。

「この記録」は「紅白歴代・1位」と、なっています。

 

「1,980年」「女優」の「大原 麗子」と「結婚」しました。

「1,984年」「大原 麗子」が「女優をやめて家庭に入ること」を「拒んだ」ため

「離婚」しました。

 

「1,986年」「歌手」の「森 昌子」と「再婚」しました。

「森 昌子」は「芸能界から引退」し「家庭に入り」「3人の男の子」を「育て上げ」ました。

「2,005年」「紆余曲折」の末「離婚」しました。

「離婚の原因を作った」のは「森 進一」の「身勝手さ」だと、私は思っています。

 

 

「森 進一」「女のためいき」「作詞」:「吉川 静夫」:「作曲」「猪俣 公章」

 

死んでもお前を  離しはしない

そんな男の  約束を

嘘と知らずに  信じてた

夜が  夜が  夜が泣いてる

ああ  女のためいき

 

どうでもなるよに  なったらいいと

思いなやんだ  時もある

なににすがって  生きるのか

暗い  暗い  暗い灯影(ほかげ)の

ああ  女のためいき

 

男と女の  悲しいさだめ

なんで涙が  つきまとう

ほれているから  憎いのよ

未練  未練  未練一つが

ああ  女のためいき

 

 

「捨てる神あれば拾う神あり」を「英語」で言うと

 

「When one door shuts another opens」

 

  (「一つのドアが閉まると別のドアが開く」)

 

  と、言うそうです。