何気なく使っている言葉の意味

「先見の明」

 

皆さんは「先見の明」(せんけんのめい)という「ことわざ」を

使った事が有りませんか?。

 

「先見の明」の意味は、

 

「先々を予測して、的確に判断する力」

「将来どうなるかを、前もって見抜く見識」です。

 

「先見の目」(せんけんのめ)は「誤用表現」なので「使用しない様」注意して下さい。

また「先見の明」は「後から振り返って考えると」という場合に使うので、

「まだ結果が出ていない事柄」に対して使う」事は、出来ません。

 

「先見の明」の「類似語」としては、

 

「予知能力」「見通す」「予見力」「先読み」「識見」(しきけん・「優れた意見」)

「洞察力」(どうさつりょく・「物事を観察して、その本質や、奥底にある物を見抜く力」)

「慧眼」(けいがん・「物事の本質を鋭く見抜く力」)

「深慮遠謀」(しんりょえんぼう・「遠い将来まで考えて、周到に計り事を立てること」)

 

等々が、あるそうです。

 

「先見の明」の「対義語」としては、

 

「旧態依然」(きゅうたいいぜん・「物事が昔のままで「発展」や「進歩」がないこと)

「後手に回る」(ごてにまわる・「先を越されたり、攻められたりして「受け身」になる)

 

辺りが、妥当だそうです。

 

「先見の明」は「努力」によって「身につける」事が「可能」だそうです。

『「以下」「ネット」の抜粋』

 

・「常日頃」から「人の意見」や「世の中の動向」「色々なこと」に、

    「広く興味を持ち」「アンテナ」を張っておく。

・「コミュニケーション」の「数」は「情報量」に、ほぼ「正比例」する。

・「人の話を聞く」ことも大事だが、その前に「自分をしっかり持つ」事が大切。

・「強い信念」を持ち「大勢」(たいせい)に流されない。

・「同じ過ち」を繰り返さない。(『二の「轍」(てつ・「わだち」を踏まない』)

・「経験値」を積み上げる。(自然と「知識」「知恵」が付いて来る)

・「現状の不自然さ」に気付く「感性」を磨く。(「感性」の身に付け方は、

   「人それぞれ、千差万別」なので「アドバイス」する事は出来ません。

・『「人の話を「鵜呑み」(うのみ)にしないで「足りない物」「無駄な物」が無いか、

      考える「習慣」を持つ。

・「叱咤」(しった)「励まし」が本当に「自分に向けられた」ものなのか良く確認する。

・「先見の明」のつもりが「先見の闇」(せんけんのやみ)となる可能性を「認識」しておく。

・「結果」がどうあれ、自分の「判断」「決断」を悔やまない。

・「結果」が出るのを「長い目」で見守る。(「一朝一夕」(いっちょういっせき)で事ならず)

・「周りの人達の声」に甘えていると「自分の成長」の妨げになる。

 

こうして書いて見ると「高いハードル」だと、私は感じました。

「結局」は「人に教わる事」ではなく「自分で身に付ける」しか無いのかも知れません。

 

 私は「入社3年目」(初任店)の時『「お見通し」みたいな言い方をする』と、

「言われた事」がありました。

どんな「シチュエーション」(立場・境遇・状況・局面)の時に「何を言ったか」

「全く」記憶がありません。

 

何かの機会に「人生の先輩」にその話をしたら、

『「その言葉」は「最低」の「言われ方」だ』

『「その場」の「空気を読めない」から「そんな言われ方」をされたんだ』

『何か「出すぎた」事を言ってしまったに違いない』と、

「諭された」(さとされた)記憶が有ります。

 

因みに「怒り方」には「3種類」有ると、私は思っています。

 

1・「怒る」(おこる)

・「100%」「自分のため」に「なす行為」と、私は思っています。

  『自分の「イライラ」「うっ憤」を発散したいだけで』

  「相手の成長」を何も「願って」いません。

・ 従って「相手」がいなくても「1人」で「独語」出来ます。

 

2・ 「叱る」(しかる)

・「一応」「相手のため」を思っているつもりの「行為」と、私は思っています。

・ しかし『「相手のため」に叱っているつもり』が「知らず知らず」のうちに、

  「自分の為」に「相手」を「怒っている」』事になる場合も、あるかもしれません。

・「基準」は「セクハラ」「パワハラ」と同じように「相手の感情」です。

・「叱る」時は「相手の感情」を「読みながら」行なうべきと、私は思っています。

・「自己満足」で「叱る」と「しっぺ返し」を喰らいかねません。

 

3・「諭す」(さとす)

・「100%・相手のため」を思って「なす行為」と、私は思っています。

・『「相手」も「100%」真摯(しんし)に受け止めて』くれるはずです。

・しかしながら、これが出来るには「相当な勉強」「相当な経験」「相当な人間性」を

    持った人しか「出来ない」と、私は思っています。

 

※『「嗜める」(たしなめる・「注意したり、直すよう指導する」)は、

     「怒る」に入るか「微妙」です。

 

「私の持論」『「恋」と「愛」の違い』も、これに「少し似て」います。

 

1・「恋」とは「憧れ」(あこがれ)だと、私は思っています。

・『「相手」に「○○してもらいたい」「○○だったら嬉しい」』

・「自分を中心」とした「考え方」です。

 

2・「愛」とは「慈しみ」(いつくしみ)だと、私は思っています。

・『「相手」に「○○してあげたい」「相手」の為なら「自分」はどうなってもいい」』

・「相手を中心」とした「考え方」です。

・「慈愛」(じあい)という「言葉」が有ります。

・「意味」は『「我が子」を「深く愛する気持」』です。

 

「愛」を英語で「Love」というのは、誰もが「知っている」と思います。

「恋」を英語で「Love」というのは、意外に「知られていない」気がします。

「初恋」を英語で「First Love」と、想い出せれば「答え」は簡単です。

 

私達が「子供の頃」ほとんどの人は「将棋」で遊びました。

「将棋倒し」「将棋崩し」「お金将棋」「はさみ将棋」「まわり将棋」

「重ね将棋」「軍人将棋」等です。

しかし「将棋」の「本来の遊び」は「本将棋」(ほんしょうぎ)です。

 

「2人」で「将棋盤」を挟んで向き合い、それぞれ「20枚」の「駒」を使います。

「先」に相手の「王」(「おう」「上位者」が使用)「玉」(「ぎょく」「下位者」が使用)を

「詰ます」(つます・動けなくする)「闘い」です。

 

現在「日本」には「将棋人口」「600万人」といわれ「プロ棋士」も「200人近く」います。

「プロ棋士」は「四段以上」の「資格」を持つ「棋士」です。

「プロ棋士」になると「給料」「対局料」を、もらえます。

「将棋界の頂点」である「A級棋士」は「10人」しかいません。

その人達の「年収」は「1億円」を超えるそうです。

しかし、野球等の「プロスポーツ」の「トップ選手」と比べると「少ない」気もします。

 

「プロ棋士」のほとんどは「小学生」の時「才能」を発揮するそうです。

「将棋」を覚えて「1年」もすると「周囲に、相手になる大人」は、いなくなるそうです。

そして「全国」の『「将棋の「神童」達」』は「日本将棋連盟」が運営する

奨励会」(しょうれいかい・「将棋の予備校」)に「入会」します。

奨励会」は「関東奨励会」(東京)と「関西奨励会」(大阪)の「2カ所」しか有りません。

「地方」に住んでいる人は「親の協力」が無ければ「無理」と思います。

 

※  「周囲」に「小さい子供」を持つ「父母」「祖父母」がいたら「将棋」の話を

       してあげて下さい。

    「塾」だけが「選択肢」では無いと思います。  

    「鉄は熱いうちに打て」という「ことわざ」が有ります。

   「将棋」をやるのに「早過ぎるという言葉」は、ありません。 

  「小さい子供」の「才能発掘」への「アプローチ方法」は「多岐に渡る」と思います。

 

この時点で「親・子」には『子供」・「自分」の将来の姿」』が、見えています。

早くも「先を見る目」(先見の明)を持ってしまいます。

「大学4年生」になっても「何の仕事」をしたいのか「分からなかった」私とは、

  大違いです。

 

「将棋」に興味が無い人でも、

「羽生 善治・永世七冠」(はぶ よしはる)

「藤井 聡太・七段」(ふじい そうた)の

「名前」を知っている人は、多いと思います。

 

「2人共」「中学生」の時「四段」になり「プロ棋士」になりました。

「2人共」「高校」まで「進学」しました。

「羽生 善治」は「社会常識」を学ぶ為に「高校」に「進学」したそうです。

「プロ棋士」の中には「中卒の学歴」しかない人が、結構いるそうです。

「米長 邦雄・九段」(よねなが くにお・永世棋聖)(2,012年・死去)は、

「3人の兄達」は「頭が悪い」から「東大」に入ったという「名文句」を語りました。

 

『神武以来』(じんむ このかた)の天才」と称されていた、

「加藤  一二三・九段」(かとう ひふみ「愛称」「ひふみん」)は、

「戦前生まれ」の「最期」の「名人経験者」で「最後の存命者」です。

「昨年6月」に「77歳」で「引退」しました。

 

「大学」まで進学(早稲田大学・第2文学部(夜間)中退)した「将棋界」では、珍しい人でした。

「77歳」になってもまだ「100手先」まで「読めた」のは間違いなく「天才」だったと、

私は思います。

「一般人」なら「痴呆症」になっても「何ら不思議の無い」年齢です。

 

「テレビ」の「将棋番組」は「NHK・2チャンネル」で「日曜日」に放映される

「将棋フォーカス」(10:00〜10:30)「NHK杯」(10:30〜12:00)しかありません。

「将棋指し」の「顔・姿」を見る「チャンス」は、その番組を見るしか有りません。

私は「起きている時」は、見ます。

 

「パソコンの将棋ゲーム」も、たまにします。

「自分が対局」すると、「考える時間が無くなって」「時間切れ」で、

「負けることが多かった」ので「自分で対局」するのはやめました。

「人が対局しているのを見て」「自分が判断」した「次の一手」と「実際に指している人」

  の「次の一手」の「違い」を見て「楽しむ」位に止めて(とどめて)います。

 

「将棋フォーカス」の司会は「プロ棋士」と「乃木坂46・伊藤 かりん」の「2人」です。

伊藤かりん」は「20歳」の時に「オーデション」に「合格」したそうです。

しかし「選抜メンバー」に選ばれた事が無いそうです。

(「アイドル」らしさ(ぶりっ子?)が、少ないのが原因?だそうです)

 

「伊藤 かりん」 は「4年前、番組に登用された」時は『「アマチュア・1級」』でした。

  その後「師匠」につき「猛特訓」したそうです。

「今年・4月」に「森内 俊之・元名人」に『「飛車」・「角」落ち』(ひしゃかくおち)で

「勝利」し『「アマチュア」「初段」』に昇格しました。

  (かなり「手を抜いて」もらったようです)

 

「アマチュア」の「将棋の棋力」は、

「15級」〜「1級」と「数が小さい程」「強い」です。

「初段」〜「七段」と「数が大きい程」「強い」です。

「七段」は「「アマ・名人戦」「2回・優勝」の様な「キャリア」が無いと、なれません。

 

「プロ棋士」は

「四段」〜「九段」で「段位」と「強さ」は「比例」しません。

 

「著名人」の中で「将棋」の強い人は(全て「アマチュア」)

 

「7級」「岩崎 宏美」(いわさき  ひろみ)  (歌手)

「4級」「華原 朋美」(かはら  ともみ)  (歌手・馬術選手)

               「江川 卓」(えがわ  すぐる)  (元プロ野球選手・タレント)

                「大橋 巨泉」(おおはし  きょせん)  (去年・死去)

                「桂 文枝」(かつら  ぶんし)  (桂  三枝(かつら  さんし・落語家)

「二段」  「渡辺 徹」(わたなべ  とおる)  (歌手・俳優等)

                「石立 鉄男」(いしだて  てつお)  (2,007年・死去)

「三段」   「つるの 剛士」(つるの  たけし)  (歌手・俳優等)

                 「古田 敦也」(ふるた  あつや)  (元プロ野球選手・タレント)

「四段」  「荒木 一郎」(あらき  いちろう)  (歌手・小説家等)

                「森本 レオ」(もりもと  れお)  (歌手・俳優等)

「五段」 「萩本 欽一」(はぎもと  きんいち)  (タレント・野球監督等) (現役最強)

「六段」「無し」

「七段」「団 鬼六」(だん  おにろく)  (2,011年・死去)

 

「プロの将棋」には「7つのタイトル戦」(賞金を含め、規模の大きい棋戦)が、有ります。

竜王戦」「名人戦」「棋聖戦」「棋王戦」「王位戦」「王将戦」「王座戦」です。

 

「羽生 善治」は、これらの「タイトル」を「5期〜10期」獲得して、

「史上初」の「永世七冠」を獲得しました。

永世称号」の条件は「タイトル戦ごと」により異なりますが、「永世七冠」を、

  を「獲得する」には、最低でも「40期の優勝)」が必要です。

 

私は「羽生 善治」が「小学6年生」の時に「小学生 将棋名人」になった頃から、

「テレビ」を見て知っていました。(36年前)

「テレビ」に写されている「緊張感」も有ってか「指先」が「プルプル震え」

「駒を掴む」のが大変そうでした。

「30歳位」まで「手が震えて」いました。

現在は「手の震え」は全く無く「棋士」の見本のような「駒さばき」をしています。

 

私も「手の震え」に「50年位」悩まされ続けて来ました。

「病名」は「本態性振戦」(ほんたいせいしんせん)で、生まれつきの、

「不治の病」(ふちのやまい)でした。

この「病」のせいで、随分と「肩身の狭い思い」をし続けて来ました。

「高額」を支払って「催眠療法」を受けた事もありました。

今は「スッカリ」治っています。

これも「脳梗塞」(のうこうそく)の「怪我の功名」(けがのこうみょう)かも知れません。

 

「近年」に「AI」(人工知能)が「将棋部門」にも参戦し、

「プロ棋士」と闘った事が、有りました。

そして「AI」が「プロ高段棋士」に、勝利する様になってしまいました。

「将棋」には「定石」(じょうせき・「人間社会」に於ける「常識」に似た意味)が

有ります。

 

しかし「AI」は「定石」を無視し「合理性」だけの「判断」で「指し手」を決定します。

「プロ棋士」が「長年の努力」で蓄積してきた「経験値」が、全く通用しません。

 

アダム・スミス」(イギリスの「哲学者」「倫理学者」「経済学者」)は

「著書・国富論」の中で『経済は「神の見えざる手」で動く』と言いました。

同じ様に「プロ棋士」達は「AI」の『見えざる「指し手」』に、

「翻弄」(ほんろう)されてしまいました。

 

「頭脳集団」の「プロ棋士」の中でも「最高峰」にいる、

「羽生・永世七冠」「藤井・七段」は、絶対に「AI」と「対局」する事は無いと思います。

もし「負けて」しまったら「人間の頭脳」が「人工知能」に勝てない事を、

「立証」してしまいます。

例え「本人達」が「対局したい」と言っても「周囲の人が」

「人類のメンツ」にかけて、やらせないと思います。

 

「一流棋士」になると「100〜150手先」まで「読める」といわれています。

「5手、10手先」を「何通り」も考えるそうです。

「テレビ」を観ていると「闘い」が終わった後の「感想戦」で「対局者」は、

「司会者」から「あの局面」と言われると「数十手」前の「局面」に「簡単に・間違いなく」

「話をしながら」さかのぼってしまいます。

まるで「脳」の中に「カメラ」が有って「指すごと」に「写真」を撮り「フィルム」に写し

それを「現像」し「記憶を蘇らせて」いるのではと、思ってしまいます。

 

不思議なことに「女流プロ棋士」は「1人」もいません。

「プロ棋士」には「四段」にならないと、なれません。

現在「女流棋士」の「最高位」は「三段」が「2人」います。

女流棋士」のトップである「里見女流三冠」は「奨励会三段」です。

 

「将棋のトップ棋士」は「中学生」の時「奨励会四段」になり「プロ棋士」になっています。

何故「男と女で差がある」のか不思議でなりません。

 

私は、信じたくありませんが、以下の説が有ります。

・「男女の脳」に「違い」があり「男性の脳」が「将棋」をする上で、

「有利」なのではないか。

・「体力的」な違い(「将棋」の対局は「長時間」に及ぶので)によって、

「男性」が有利なのではないか。

・「空間認識能力」(「スポーツ」などをする際に、自分の周りの状況を、

「的確に判断して認識」する能力)が「男性ホルモン」の影響によって「思春期」に、

「男女差」が、より広がる。

・「プロ」になれるような「一握りの天才の出現率」が「男女間」に差がある。

・「男」の方が「熱中しやすく」て「凝り性」である。

 

私には「男女間に差がある」とは「絶対に」考えられません。

もし「小学生」になる年代の「女の子供・孫」のいる人がいたら「是非」

「将棋」をやらして下さい。

「早く始めれば」「男に負けることは無い」はずです。

「女の意地」を見せつけてやって下さい。

 

「西田 佐知子」(「にしだ さちこ」・「関口 宏」の妻)は、

「女の意地」という「歌」を歌いました。

 

「西田 佐知子」  「女の意地」  作詞  : 「鈴木 道明」  作曲  : 「鈴木 道明」

 

こんなに別れが  苦しいものなら

二度と恋など  したくはないわ

忘れられない  あのひとだけど

別れにゃならない

「女の意地」なの

 

二度と逢うまい  別れた人に

逢えば未練の  泪(なみだ)をさそう

夜風つめたく  まぶたにしみて

女心ははかなく  哀しい(かなしい)

 

想い出すまい  別れた人を

女心は  頼りないのよ

泪(なみだ)こらえて  夜空を仰げば

またたく星が

にじんでこぼれた

 

私は「大学3年生」の時「軟式テニス同好会」に「入会」しました。

「1学年先輩」(大学4年生)に「児玉さん」がいました。

「児玉」さんは「一橋大学」に合格したにも拘らず、私と同じ「学部」に入学しました。

「中学生」の頃から「軟式テニス」をしていて「インターハイ」にも出場した「経験」が

あったと「聞いた記憶」があります。

 

「背が高く」「役者の様な風貌」でした。

「将棋」は「アマチュア・五段」でした。

とにかく、男から見ても「格好いい人」でした。

「天は二物を与えず」と言いますが「実際の世の中」には「何物」も与えられた人がおり、

「神様」は「不公平」だと、私はしみじみと思いました。

 

「そんな人」が「初めてラケットを持って入会」したばかりの「私の何処」を気に入って、

「可愛がって」くれたのか、不思議に思っていました。

私の「汚いアパート」に来ることもあれば、逆もありました。

「児玉さん」の「アパート」の方が「ズーッと綺麗だった」と、記憶しています。

 

「児玉さん」の「彼女」は同じ「同好会」に所属して、私と「同学年」でした。

「彼女」も「軟式テニス」の「経験者」でした。

「お互いのアパート」に「行き来する時」には、殆ど「彼女」も「一緒」でした。

 

「2人共」「カッペ(田舎者)ちゃん」と「親しみを込めて?」私を呼んでいました。

私は「中学生」の時にも、そう呼ばれていました。

私の名前が「かつお」だったせいかも知れません。

 

「彼女」は「ロシア人の血」を引く「クオーター」でした。

(「祖父母」のどちらが「ロシア人」だったかは、忘れてしまいました。

「彼女」は「カネボウ化粧品」の「キャンペーンガール」のバイト」をしていて、

「テレビ」の「コマーシャル」に「出ていた」こともありました

 

「児玉さん」の「彼女」が「水炊き」を作ってくれた事を、覚えています。

私も「おかず」が「からし菜の漬物」だけの「ご飯」を、ご馳走した事がありました。

「2人共」「美味い」と言って、喜んで食べました。

「米」と「保存の効くおかず」は「家に帰った時」に持ってきてありました。

 

「米」は「山麓」(さんろく)で『「清水が湧き」・「泥にひざの上まで潜る」

収穫が大変な「田んぼ」』で取れた「最高級」の「コシヒカリ」です。

同じ「コシヒカリ」でも、取れた環境で「味」は、違います。

「米」が良ければ「おかず」が「粗末」でも「大丈夫」です。

今は、何処も「耕地整理」されてしまったので「あの時代の旨いコメ」を食べる事は、

「不可能」に、なってしまいました。

 

私は、たまに「3合炊炊飯器」を使って「自炊」(じすい)もしました。

「塩チャーハン」(「具」は無く「ご飯」を「塩コショー」で味付けし、炒めたもの)は

「美味しかった」です。

「マヨネーズご飯」(「ご飯」に「マヨネーズ」と「醤油」をかけ、かき混ぜたもの)も

「美味しかった」です。

「マヨネーズ」は「キューピー」が合いました。

 

「将棋」も、よく教えてもらいました

「級」も無い私が「アマチュア・五段」と「闘って」どうだったかは、

「説明する」までも、ありません。

『「飛車」「角」「香車2枚」落ち』の「ハンデ」をもらって「何100回」もやりましたが、

もちろん「1回も」勝てませんでした。

「児玉さん」は「数十手」先まで「読んで」いたと思います。

私は、せいぜい「5手先」までしか「読め」ません。

「経験値」が、違いすぎました。

 

あの時、逆に『「玉」落ちの「ハンデ」をあげる』と言ったら、

「児玉さん」は「断った」と、私は思います。

「攻める目標」を失ってしまいます。

「玉」が無ければ「詰まして勝つ」ことが出来ません。

「駒数が多い」私が、負けることはありません。

 

「今年の10月」「近所の種苗店」に行きました。

「初対面」でしたが「その道のプロ」の「会長」に「私の考え」を「熱弁」しました。

「会長」は「面白い発想だ。やってみなさい」と、言ってくれました。

「大学の学部を間違えましたね」とも、言われました。

これから「私がやろうとしていること」は「一次産業」です。

私には「三次産業の世界」は、向いていなかった様な、気がします。

「正に」私には「先見の明」が有りませんでした。

コペルニクス」は「地動説」で「地球は横回転」している事を発見しました。

私は思い切って「地球が縦回転したらどうなるか?的発想」を、してみたいと思います。

 

もっとも「高校生」の時『「大学」の「農学部」』を選ぶ「先見の明」が私に有ったら、

私は「天照大神」(あまてらすおおみかみ)に匹敵する、

「慧眼」(けいがん)の持ち主と言われたでしょう。

天照大神」は「日本を造った」とされる「女神」(じょしん)です。

「太陽の女神」とも呼ばれ「日本国民」の「総氏神」(そううじがみ)です。

私に出来たはずが、有りません。

 

絶対に無理」とは思いますが「捲土重来」(けんどちょうらい)を意識してみます。

「捲土重来」の意味は、

「一度失敗した者が、再び勢いを得てやって来ること」です。

 

「サラリーマン現役」の頃、私の視野は「自転車のライト位しかない」と

支店の人達に言ってきました。

『「先」に「見」えるはずの「明り」』が見えない。

従って私には「先見の明」(光明・こうみょう)が無いと、私は言って来ました。

 

「先見の明」(光明)にたどり着くためには『車の「上向き」にした「ヘッドライト」

位の「広く」「遠く」まで届く「明かり」が「不可欠」だと思っています。

私の頭は「髪の毛」が少なく「ヘッドライト」だと「自虐ネタ」を使って来ました。

 

しかも、私の頭は「後光」(テイルライト) も差(さ)しています。

「後光が差す」(ごこうがさす)という「ことわざ」が有ります。意味は、

「仏様の様に」「神様の様に」本当に「ありがたいと思うような状況のこと」です。

「神々しい」(こうごうしい)と「拝みたくなるような状況」で、使います。

 

「2つのライト」を持つ私に何故「先見の明」が無いのか、不思議でなりません。

 

「新沼 謙治」(にいぬま けんじ)は「ヘッドライト」という「歌」を歌いました。

「新沼 謙治」(にいぬま けんじ)の妻は「バトミントン選手」の、

「湯木 博江」(ゆぎ ひろえ)でした。

全英オープン」を「4連覇」し「世界NO1」に「君臨」(くんりん)した名選手でした。

「バトミントン」が趣味だった「新沼謙治」を指導した事より、

「交際」が始まり「結婚」しました。

「世界NO1」の選手が「趣味」程度の実力しか無い「新沼謙治」を、

「指導する気」になったのか、不思議に思いました。

「新沼 謙治」は「東北弁」丸出しの「ズーズー弁」で話す、

「朴訥」(ぼくとつ)な人柄で、「嫁に来ないか」という「歌」を歌いました。

「湯木 博恵」は『「7歳年下」の新沼 謙治」』に「母性愛」を感じたのだと、

  私は思っていました。

「おしどり夫婦」で有名でしたが「湯木博恵」は「2,011年」「ガン」で亡くなりました。

 

「新沼 謙治」  「ヘッドライト」  作詞  : 「阿久 悠」  作曲  : 「徳久 広司」

 

北へ走ろう  お前と二人

北は雪どけごろだろう

春もあるだろう

そんなに泣くなよ

今夜からは 二人だけだよ

ふり向けば  つらいことばかりの

東京は捨てたよ

夜霧にゆれてる

悲しみの ヘッドライト

 

夜が明けたら  ドライブイン

からだ あたためてくれる

お茶をのもうよ

もたれて眠れよ

俺に遠慮なんかするなよ

もう二度と  戻らない町には

未練など持つなよ

二人でたずねる

しあわせの ヘッドライト

 

もたれて眠れよ

俺に遠慮なんかするなよ

もう二度と  戻らない町には

未練など持つなよ

二人でたずねる

幸せの ヘッドライト

 

 

「先見の明」を英語で

 

「Foresight」

 

(先見の明)

 

「先見の明を持つ」を英語で

 

「Have the Foresight to ○○」

 

(○○する先見の明がある)

 

と、言うそうです。