何気なく使っている言葉の意味

『「夢」なき者に「成功」なし』

 

 

『「夢」なき者に「理想」なし』
                  ↓

『「理想」なき者に「計画」なし』

                  ↓

『「計画」なき者に「実行」なし』

                   ↓ 

『「実行」なき者に「成功」なし』

                   ↓

『故に、「夢」なき者に「成功」なし」』   (吉田  松陰  言)

 

「吉田 松陰」(よしだしょういん)は、「幕末」の「思想家」「教育者」です。

松下村塾」(しょうかそんじゅく)を開き、

「高杉 晋作」「久坂 玄瑞」「伊藤 博文」「山縣 有朋」等々、

明治維新」に関わる「スーパー・スター」達を、多く輩出した「教育のプロ」でした。

 

「20歳代後半」に、老中(ろうじゅう)「間部 詮勝」(まなべ あきかつ )

「暗殺計画」を「画策」したことにより「投獄」されてしまいました。

大老」(たいろう)「井伊 直弼」(いいなおすけ)による「安政の大獄」(あんせいのたいごく)

により「獄中」で「処刑」されました。

(「享年」(きょうねん・満年齢+1歳)、  30歳でした)

 

『「日本」の「夜明け」ぜよ』と、言ったとされる「坂本 龍馬」達「下級武士」は

何故、日本を動かす「キーマン」になれたのかを、私は考えた事があります。

彼等は、出会う人達との「闘い」に勝ち続けて来たと思います。

彼等は「相手を打ち負かす」「何らかの力」を、持っていたのだと思います。

 

人の「能力」は

「知力」・「胆力」(根性)・「徳」・「体力」・「運」・「魅力」の「6能力」+

「経験値」で決まると、言われています。

「坂本 龍馬」は、それら全てが「図抜けていた」と思います。

(最後は「運」を使い果たしましたが)

だから「地位」有る「公家」「大名」と「対等」に、或いは「対等以上」に渡り合えたと、

私は思っています。

「経験値」は「成功」より「失敗」から「生まれる」方が多いと言われています。

 

ご存知かも知れませんが、「坂本 龍馬」は、1,867年11月15日「近江屋事件」で

(「池田屋事件」と勘違いしている人が、多いそうです)

33歳で、人生の終焉(しゅうえん)を迎えるまでの「5年間」で「41,000km」を移動し、

「勝 海舟」・「西郷 隆盛」・「桂 小五郎」・「トーマス・グラバー」(イギリスの武器商人)

等を動かし『日本を「内戦」から守った』『世界への「属国」(ぞっこく)を守った』、

「日本の恩人」だと、私は思っています。

 

「坂本 龍馬」は、「情熱の固まり」「強い信念の持ち主」「人間としての魅力」

「真っ直ぐな気持ち」「常識に囚われ無い(とらわれない)柔軟な考えを持ち」

故に、誰からも愛されました。

その中でも「坂本龍馬」の「1番の評価」は『新しい日本を造る」という「夢」を持った事』

だと、私は思っています。

 

そして「坂本 龍馬」亡き後は「志」(こころざし)を継いだ人達の手によって、

「坂本 龍馬」の「夢」は「成功」を、収め(おさめ)ました。

「夢」を持ったからこそ「成功」(自分の手ではありませんが)を

「勝ち取れた」と、私は思っています。(「夢」なき者に「成功」なし)

 

皆さんは「100円札」があった事を、知っていますか?。

肖像画は「板垣 退助」(いたがき たいすけ)です。

「板垣 退助は「自由党・総理」時の、1,882年(明治15年)遊説(ゆうぜい)先の「岐阜県」で

「暴漢」に短刀で「襲撃」され、胸や手に「深傷」(ふかで)を負いました。

そして「暴漢」を睨みつけ、あの「名言」を、言い放ったそうです。

『「板垣」死すとも「自由」は死せず』

この「名言」が、世に広まり「板垣 退助」は『自由民権運動」の

「カリスマ」(人々の心を引きつける様な、強い「魅力」を持つ人)になったそうです。

 

そして驚いた事に『「深傷」を負った「板垣 退助」を「治療」した医者』が

「学校の教科書」にも出ていた「後藤 新平」(ごとうしんぺい)だったそうです。

(「後藤 新平」が、日本にどういう貢献をしたかは、調べていません)

当時の人達には「自分さえ良ければ」とか「スペシャリスト」とかの「発想」は

無かったのかも知れません。

「平賀 源内」(ひらがげんない)の様に、何でもこなせる「ジェネラリスト」が、

数多くいた様です。

 

「知ったかぶり」ついでに、言わせてもらいます。

皆さんの中には「大老」「井伊 直弼」(いいなおすけ)に「悪いイメージ」のみ持っている人が、

多いのではないでしょうか?

そもそも、「大老」という「職制」は常時、置かれたものでは、有りませんでした。

享保の改革」(きょうほのかいかく)を行なったのは「暴れん坊将軍」と言われた

「8代将軍」「徳川 吉宗」(とくがわよしむね)です。

寛政の改革」(かんせいのかいかく)を行なったのは、

「老中」(ろうじゅう)「松平 定信」(まつだいらさだのぶ)です。

天保の改革」(てんぽうのかいかく)を行なったのは、

「老中」「水野 忠邦」(みずのただくに)です。

 

こういった「時代」には「大老職」は、有りませんでした。

『「国」に「有事」(ゆうじ)が発生した時のみ「朝廷」「将軍」が

大老職」を、発令しました。

「井伊 直弼」が「大老」を命じられたのは「アメリカ」の「黒船来航」のせいだと、

   私は思っています。

 「井伊 直弼」は「安政の大獄」で「吉田 松陰」他「尊王攘夷派」(そんのうじょういは)を

  「粛清」(しゅくせい)しました。

   その結果、恨みを買い「桜田門外の変」で「暗殺」された

「悪人」の「イメージ」が有ります。

 

しかし一方で、「日米修好通商条約」を締結し「外国からの侵略」を防ぎ、

「日本を守った大きな功績」を評価する考え方も、有るそうです。

前にも言いましたが「先入観」「固定観念」とは、恐ろしいですね。

 

江戸幕府」の「ピラミッド型・ヒエラルキー」は、

天皇」→「将軍」→「大老」→「老中」(ろうじゅう)→「若年寄」(わかどしより)

→「旗本・御家人」(はたもと・ごけにん)→「以下省略」でした。

私は支店を回っていた頃『私は「初老」で「老」が付くから「若年寄」より偉いんだ』と

自慢していたら、馬鹿にされたものでした。

 

『「夢」なき者に「成功」なし』の「対偶」(たいぐう)(対となる言葉)は、

 

『「成功」する者に「実行」あり』

                     ↓

『「実行」する者に「計画」あり』

                    ↓

『「計画」する者に「理想」あり』

                    ↓

『「理想」ある者に「夢」がある』

                   ↓

『『全ての「成功」は、「夢」から始まる』=『「成功」の「哲学」』です。

 

「似た意味の言葉」としては、

 

『この世で「1番哀れ」な(あわれ)な人は「眼」は見えていても、

「未来」の「夢」が見えていない人です』 があります。  (ヘレン・ケラー   言)

 

「三重苦」(さんじゅうく)(39歳の意味ではでは無い)を克服して「輝かしい人生」を送り、

多くの人に「感動」を届けた「偉人の言葉」が「ズッシリ」と、胸に響きます。

 

※ 「恥ずかしながら」私は、「ヘレン・ケラー」の先生「サリバン」先生を、

タリバン」(中東の過激派)と、最近まで間違えていました。

「間違い」を教えてくれたのは「妻」でした。

 

『「夢」なき者に「成功」なし』の「対義語」は、「ケータイ」検索しても出て来ません。

(今「パソコン」は「無線」の故障で、使えません)

よって、「ブログ」の「投稿」も「御無沙汰」です。

 

『「夢」は「成功の母」なり』

 

私が考えた『夢」なき者に「成功」なし』の「反対語」です。

「当たらずとも遠からず」と、思っています。

 

「8月」には「ブログを書く」という「夢」を偶然に見つけました。

そして、「10月末」に「紆余屈折」(うよくっせつ)の末に、知り合いの協力を得て

はてなブログ」の開設を「実現」出来ました。

 

私は「3カ月前」『「松山 千春」の様な「高い声」で歌うという

「夢」』を、持ちました。

以前に紹介した様に、私は「3カ月間」愛車「ペガサス」の中で「CD」の音量を

「VOL 15」にして「車内」で、大きな声で歌って来ました。

 

「有森 裕子」は、1,992年の「バルセロナ五輪・女子マラソン」で「銀メダル」を

獲得、し「日本女子陸上界」としては、64年ぶりとなる「五輪メダル獲得」という

「快挙」を達成しました。

 

1,996年の「アトランタ五輪・女子マラソン」でも「銅メダル」を獲得しました。

 「2大会連続」で「五輪メダル獲得」という「快挙」を、成し遂げました。

この時の「インタビュー」に対し「有森 裕子」は「名言」を吐きました。

「初めて、自分で自分を褒めたいと、思います」と、涙ながらに語った姿が、

当時大きな話題となりました。

「自分で自分を褒めたい」という言葉は、その年の「流行語大賞」に選ばれました。

 

私は、『「3ヶ月間の努力」の「成果の歌」』を、知り合いの力を借りて

この「ブログ」に「張り付け」ます。

皆さんが は、どう「評価」するか、知れません。 

そんな事はどうでも良いと 私は、思っています。

自分の「自分に対する評価」さえ良ければ「合格」と、思っています。

 

「CDの音量」を「VOL 30」に、上げ「Ipab」で録音しました。

この位の「音量」にしないと「Ipab」が「曲」と「松山千春の声」を、拾えません。

この「音量」だと「車のドア・窓を閉めて」いても

私にでさえ「50m」離れていても 、聞こえます。

私は「マナー」を破る事は有りますが

「法」・「条例」を、破る事はしません。

迷惑防止条例違反」に、ならない様、辺りに『「車」・「人」』が

いないのを、確認しました。

 

私は「7年前」より『「両耳」共に、「高音」が

聞こえにくい「難聴」』だと

「定期健康診断」『近所 の「耳鼻咽喉科」専門医」』に

言われ続けて来ました。

妻と一緒に「テレビ」を見ていても、私には、良く聞こえません。

「3年前」には、東京にある「その道で有名な病院」に

「長期入院」を「覚悟」の上、

「治療」に、行ったこともありました。

私は「手術」も、辞さない気持ちでした。

 

しかし「診断結果」は「地元の医者」と、同じでした。

「加齢」に、よるもので、手の施しようがない』でした。

私は「2階の自分の部屋」で「字幕」が

表示された「テレビ」を見ています。

 

ところが、これが思わぬ「奏功」(そうこう)を、もたらしました。

集中して「字幕」を見る「癖」が付き、「含蓄ある言葉」を

見逃すことが無くなりました。

以前にも書きましたが、「脚本家」は「テレビ」を観る人に

「感動」を与えようと「セリフ」を考え、「役者」に言わせています。

役者は「4字熟語」「ことわざ」「名言」を

わざとらしく「声のトーン」を変えたり、

「大きな声」で言ったりして「視聴者」に、訴えようとしています。

 

「ながら族」で「テレビ」を「見ている人」

或いは「聞いている人」は、そうした「意味深」な

「言葉」を聞き流してしまうかも、知れません。

私は「見て覚える力」は「聞いて覚える力」より

「格上」と、思っています。

そして「書いて覚える力」は「見て覚えると力」より

更に「格上」だと、思っています。

 

私は念の為、家の近くの「専門店」で

比較的高価な「補聴器」を買い求めてあります。

今のところ「補聴器」無しでも、何とか不自由なく

暮らせているので、装着していません。

店の人達は「皆、良い人ばかり」で、特に用事が無くても

顔を出してしまう事が、有ります。

 

もし、皆さんが「添付の歌」を、聞こうとするのであれば「イヤホン」で聞くか、

周りに「人がいない」事を確認してから、聞いてください。

周囲の人は「音のの大きさ」に「ビックリ」すると思います。

「ケータイ」では「音が割れている」ので、できれば「パソコン」で聞いて下さい。

 

私には「声の高さ」では「松山 千春」と「遜色無く」聞こえます。

私が「3ヶ月前」に描いた「夢」は「成功」した気がします。

ホトトギス」は、「高い鳴き声」を出すために

「喉から血を吐きながら鳴いた」と

言われていますが、私も「喉から血を吐く覚悟」で

「ペガサス」の、中で「CD」と共に、

「3ヶ月間」歌い続けて来ました。

「音程」(歌のリズム)は、兎も角

「音階」(音の高さ)には、満足しています。

 

「私」は「有森 裕子」が言った

「自分で自分を、褒めたい」の「心境」です。

「自分に、ご褒美」で、「ワイン」を

「飲みながら機嫌良く「Ipab」を、打っています。

 

「青い薔薇の、花言葉」は「夢叶う」だと

「私」は、何度も言って来ました。

   しかし「青いバラ」を持っているだけでは

「夢は、叶わない」と、私は思っています。

「夢が叶う」為には「努力と発想」が

「絶対に必要」と「私」は、思っています。

 

松山千春」と「同じ音階」で、歌いたいという「目的達成」の為、

「私」は、自分の「強味」と「弱味」を、分析しました。

 

「強味」

 

・「バブル真っ只中」の「30歳」〜「40歳代半ば」に、かけて

家庭もかえりみず、毎日のように「飲み」「歌って」いました。

かと言って、「仕事を手抜き」した事は、有りませんでした。

結果として「私」は、ほとんどの歌を知っています。

 

・「私の歌」は「3曲・100円」と、言われていました。

(「歌の価値が小さい?」) 或いは

(「3曲」歌え」ば「100円・オマケ」して、もらえた?)

「従って」「スナック」に 行けば

「最低」でも「3曲」歌わされ「持ち歌」が、多く有りました。

 

・「演歌は苦手」で『「布施明」の「積木の部屋」』

『「平浩二」の「バスストップ』

『「秋庭豊とアローナイツ」の「献身」』の様に

「サビが 比較的高音」な 歌を、好んで歌っていました。

 

「弱味」

 

・「恥ずかしがり屋?」の為、かなり飲まないと

    「歌えません」でした。

 

・「余韻」を出そうと「長く歌詞を伸ばす」ので

    「曲」に、付いて行けませんでした。

 

・「高音」が「地声でなく」「裏声」の為

   「声がひっくり返ったり」

    「声がカスレたり」しました。

 

・「歌詞」「記憶していない」為

   「.カラオケのモニター」の「歌詞」を 追うのに

   「気が行ってしまい「感性」「感情」

   「歌詞が言わんとする意味」が「歌に伝わり」ませんでした。

 

「己の力」を、知らず「物事に当たる事」は

「無謀であったり」「間違った方向」に

「行ったり「無駄な時間」を「費やしたり」して

「闘いに勝つ事」は、難しくなります。

「私」は「自分の強味」を 伸ばし

「自分の弱味」を「克服する事」で

「松山 千春」の歌に「挑戦」しました。

 

「私の歌」は、まだ「発展途上」ですが

「3ヶ月前」よりは「多少なりと」も

「進化している」気がします。

「いつか」「松山千春」に

「追いついてみたい」と、思っています。

 

「そして」いよいよ「4月から」は「2つ」の

「新たな夢」への「チャレンジ」が、始まります。

(「冬の間」に「可能な準備」は、しておくつもりです。)

「私」は「何時も複数の夢」を、持ち続けます。

 

福沢諭吉」の「学問のすすめ」と、並び

「明治の2大書籍」と、言われる

「著書」「西国立志編」「自由論」の

「中」で

「イギリス」の「作家・医者」

サミュエル・スマイルズ」が、言った

 

「天は自ら助くる者を助く」

(「神様は、自らの手で、道を切り開こう」と

「努力する「人間を助ける」) と、いう

「名言」は「正しい」と「私」は

「思って」います。

 

「努力に勝る才能」「無し」

「或い」は

「努力に勝る天才無し」とも

「言い」ます。

 

「私」は「キチガイ」と「天才」は

紙一重」だと、思っています。

「プロセス」は「同じで」も

「成功すれ」ば「天才と呼ば」れ

「失敗すれ」ば「キチガイ」と

「先人達」は、言われてきました。

 

「私」も「そうした言い方」に

「違和感を感じています」が

「1つだけ」「自信を持って言える事」は

「チャレンジ」しない「人間」は

キチガイにも劣る」と、いう事です。

 

「もうすぐ」「65歳」に、なろうとする

「私でさえ」も「複数の 夢」が、有ります。

「みなさん」が「夢」を「持てないはずは無いと

「私は 思って」います。

 

 

「私が若い頃」は

「吉永 小百合」を「サユリスト

「栗原 小巻」を「コマキスト」と

(「くりはらこまき」)

「呼んで」いました。

 

「私」は「何故」か「イタリアの女優」

ソフィア・ローレン」に「似て」

「野性味」の「有る」

「栗原 小巻」の 方が、好きでした。

 

「栗原 小巻」に「興味がある人」は

「ネット」で、

「栗原 小巻」「竹脇 無我」

                   (「たけわき むが」)

「3人家族」「二人の世界」で

「検索して」下さい。

 

 

「私」は「子供の頃」「木下恵介 アワー」の

「3人家族」「2人の世界」を

(「両 番組」「共」に「主題歌」を

あおい 輝彦」)

「泣きながら見ていた」「記憶」が、あります。

 

 

「この作品」の「ルーツ」は

「君の名は」です。

 

「佐田  啓二」と「岸 恵子」の「W 主演」で

「役名」は「後宮 春樹」「氏家 真知子」です。

(「あとみや はるき」)    ( 「うじいえ まちこ」)

 

「登場人物に「同じ名前」が、引き継がれています。

 

「その流れ」が「冬のソナタ」に

「繋がった」とも「言われて」います。

 

「私」は「支店の人達に「役名」を、含め

「ストーリー」を「語り」ました。

 

「名字」「名前」が「同じ人」「以外」は

「興味を持って」くれなかった、気がします。

 

 

 

 

 

「佐田 啓ニ」は「中井  貴一」の「父」で

 

「橋 幸夫」と「吉永 小百合」は

「いつでも夢を」と、いう

「歌を歌い」ました。

 

「橋 幸夫・吉永 小百合」

「いつでも夢を」  

「作 : 詞」「佐伯 孝夫」

「作::曲」  :吉田 正」   

 

(男) 星よりひそかに  雨よりやさしく

(男) あの娘(こ)はいつも  歌ってる

(女)声が聞こえてる  淋しい胸に

(女)涙に  濡れたこの胸に

(男・女)言っているいる  お持ちなさいな

(男・女)いつでも夢を  いつでも夢を

(男)星よりひそかに  雨よりやさしく

(男)あの娘(こ)はいつも  歌ってる

 

(男)歩いて歩いて  悲しい夜更けも

(男)あの娘の声は  流れくる

(女)すすり泣いてる  この顔上げて

(女)きいてる歌の  懐かしさ

(男・女)言っているいる  お持ちなさいな

(男・女)いつでも夢を  いつでも夢を

(男)歩いて歩いて  悲しい夜更けも

(男)あの娘の声は  流れくる

 

(男・女)言っているいる  お持ちなさいな

(男・女)いつでも夢を  いつでも夢を

(男・女)はかない涙を  うれし涙に

(男・女)あの娘はかえる  歌声で 

 

「夢なき者に成功なし」を、英語で何というか検索してみましたが、長すぎます。

 

「No  Dream  No  Success」

 

(夢がないと、成功はない) で、十分だと私は、思っています。

 

 

「動画」の「添付」(てんぷ)可能時間を考慮して「1曲1分程度」を目安にしています。

全て「松山千春」の歌です。

私は「ずっと」歌っています。

「1人の声」に聞こえる時は「松山千春」と私の「音階」と「音程」「歌のスピード」が

合っている時です。

 

「1曲目」は「旅立ち」です。

「1,977年1月」に「リリース」した「デヴュー曲」です。

『「私の第2の人生」への「旅立ち」を祝うかの様な「曲名」で、

「縁起が良い」と、思っています。

 

ここに動画を貼り付け

 

「2曲目」は「恋」です。

「恋」という「曲名」なのに『「愛」する事に疲れたみたい』という歌詞から始まる

「不思議な歌」です。

 

ここに動画を貼り付け

 

「3曲目」は「銀の雨」です。

「私が支店を回っていた頃」2階の廊下から「窓越し」に外を見ていると。 

「急に」雨が降り出した事が、何回も有りました。

「廊下」ですれ違った「女性」に指を指して『あの雨は「銀の雨」だ」と言っても

「曲名」だと知っていた人は、少なかったと記憶しています。

 

ここに動画を貼り付け

 

「4曲目」は「季節の中で」です。

「めぐる季節」という「歌詞」より「フォーシーズン」の事を言っていると思います。

ウサイン・ボルト」の走りの様に「ローギア」から一気に「トップギア」に

「切り替える」ような「1オクターブ」「ジャンプ」する「難しい歌」です。

「何時」この歌を「克服」出来るか、「見当」がつきません。

 

ここに動画を貼り付け

 

「5曲目」は「凡庸」(ぼんよう)です。

松山千春」の「歌詞」には「脈絡(みゃくらく)がありません。

「曲の歌詞」を覚えるのに、随分と苦労しました。

  私は「凡庸」な毎日を過ごすことは、しません。

 

ここに動画を貼り付け

 

 

「夢なき者に・成功なし」を

「英・語」で

 

 「No success for the 

    dream dead」と

 

 (「夢なき者に・成功なし」)

 

 「言・う」そうです。