何気なく使っている言葉の意味

「皆さん」は「どうにかなるさ」という言葉を使ったことは、ありませんか?

 

「どうにかなるさ」=「なんとかなるさ」=『最高の「ポジティブ」思考』

だそうです。

 

「どうにかなるさ」の「類似語」としては、

 

ペギー葉山」が歌った「スペイン語」の歌の題名「ケ・セラ・セラ」

辺りが、相当する気がします。

 

「どうにかなるさ」の「対義語」を検索しても出て来ません。

 

「どうにもならない」「八方塞がり」(はっぽうふさがり)

辺りが、適当な気がします。

 

「どうにもならない」と「ニュアンス」の似た「言葉」としては、

 

「四面楚歌」(しめんそか)、「五里霧中」(ごりむちゅう)

辺りが、妥当な気がします。

 

「人生」には「不確定要素」だらけで「心配」すれば、キリが有りません。

「不安」を乗り切るには『どうにかなるさ「精神」』しか、無いそうです。

  これから「遭遇」する事を「予見」し「解決」する事が出来るのは、

「全知全能の神」「神々の神」と言われた「ゼウス」位しかいないと、

  私は思っています。

 

「人生」に於いて「二者択一」を迫られる事が何回も有ると思います。

 

1・「不安」も「恐怖」も全て受け入れ、前へ進む。

2・引きこもって、「布団」にくるまった様な生活」を続ける。

 

「1・」を選んだ人は「トラブル」も多いが「得るもの」は、「無限大」と思います。

「2・」を選んだ人は「何も無い」かわりに「何も得る事がない」と思います

 

「1・」を選んだ人は『「成功」しても「失敗」しても、

「経験値」豊富な人間になれる「可能性」があると、私は考えています。

 

「2・」の様な人を、漫画「巨人の星」の主人公「星 飛雄馬」(ほし ひゅうま)の父、

「星 一徹」(ほし いってつ)になぞらえ「保身  一徹」(ほしん いってつ)と

呼びたいと思います。

 

「最初の一歩」「初めの一歩」を踏み出すには「勇気」が必要です。

しかし、踏み出してみたら「「案ずるより産むが易し」のごとく、簡単に「ゴール」に

たどり着けたということは、有りがちな話しです。

「スタートライン」に立とうとしない人間を私は、後押ししてあげたいです。

私には「何度も一歩を踏み出した」経験が有ります。

 

私は、前回の「ブログ」で「CD」から流れてくる「松山千春の歌」に合わせ

「私が歌った歌」を「Ipab」で「動画」にし貼り付け、「投稿」しました。

しかし「2時間程度」で消えてしまいました。

ひょっとして、私が為したことが「著作権」に「抵触」したのかもしれません。

 

結果的に私は「私のブログを見てくれている方々」に

「嘘」をついた事になってしまいました。

深く、お詫び申し上げます。

私は「嘘つき」は、嫌いです。

今、自責の念(じせきのねん)にかられています。

 

私は、これまで「歌手名」「曲名」「歌詞。「作詞家名」「作曲家名」等を

「ふんだんに」に「ブログ」に掲載し、投稿して来ました。

しかし、今回のような「リアクション」を受けた事は、ありませんでした。

 

もちろん「ブログ」へ「歌を貼り付けた」事は「営利目的」では、ありません。

ひょっとして「公開する相手」が「不特定多数」だった事に

「問題」があったのかもしれません。

或いは「別の問題」が、あったのかも知れません。

私には「動画が消えた原因」が、よく分かりません。

私がよく言っている「知らざる罪」です。

 

「知らぬが仏」の「反対語」は

「知るが煩悩」(ぼんのう)が、相応しい気がします。

 

私は家族に「私の葬式」の時には「「葬儀場」で

「今回録音した歌」を流してくれる様、頼みました。

私にも「歌えた時期が有った」事を「弔問者」に、知って貰いたかったからです。

しかし妻は「葬式やるの?」と、答えました。

 

「営利業」である「葬儀場」は「日本音楽著作権協会」と契約しており

「楽曲使用料」を支払っていると思います。

従って「著作権侵害」にはならないと思います。

  念の為、確認しておきます。

 

兄は「私の葬式」の時「私の数々の武勇伝?」の中から「観光バス事件」を

「親戚代表」としで話してやると、言ってくれています。

 

「観光バス事件」とは「3年位前」に、私が為した「事件の1つ」です。

私は、家で「チューハイ」を飲んでいましたが「もう少し飲もう」と思い、

「夜8時頃」近くの「コンビニ」に「チューハイ」を、買いに行きました。

 

「コンビニ」からの、帰り道でした。

家から「50m」程の所で「歩道の縁石」に、つまずいてしまいました。

そして「車道側」にひっくり返ってしまいました。

「頭を強打」した訳ではありませんが「気を失って」しまいました。

「車道」に「大の字」に寝てしまいました。

 

どの位の時間「気絶」していたのかは、分かりません。

その間に「数十台」の「車」が、私を避けて、通り過ぎて行ったはずです。

親切な「観光バスの運転手」さんが、私を発見して、警察に通報してくれました。

 

「パトカー」が「サイレン」を鳴らして来た為「近所の人達」が「何事が」と

「私達」の様子を、遠まきに「興味津々」(きょうみしんしん)に見守っていました。

私は「義弟」に抱えられ、家に帰りました。

妻は、警察の「事情聴取」に対応していました。

 

帰り際に確認すると、私と「観光バス」との距離は「5m」も無かったと思います。

それ以来、近所の人達は、私を「酒癖の悪い男」」と、評価した様でした。

 

私は「1年半前」「本店の3階で仕事中」にも「気絶」し「救急車」で、

最寄りの「国立病院」に@「運び込まれた」事が有りました。

「気絶」して「イス」から「床」に転げ落ち「10分間位」「意識不明」だったそうです。

その時の「診断結果」は「失神」(しっしん)でした。

 

グループ・サウンズ」「全盛期」に「オックス」という「バンド」がありました。

「セクシー」な彼等の「歌」と「アクション」に「高校生世代の女性」は、

何人も「失神」しました。

当時1番人気があった「ジュリー」(沢田 研二)率いる

ザ・タイガース」の歌でさえも、「失神」した人はいませんでした。

「オックス」の歌で「失神」した人は「ヤラセ」だったという話も、

まことしやかに、囁かれて(ささやかれて)いました。

 

 

「観光バス事件」及び「上記事件」で私が「気絶した原因」は

「大量の薬」(危険ドラッグではない)のせいだったと、私は思っています。

臨死体験」(りんしたいけん)をした人は「お花畑」を見ると言われています。

私の場合は「近似(きんじ)した体験」ですが「黄色一面」に咲く

『「満開」の「菜の花畑」』を見た気がします。

 

「黄色」は『「身の安全を守る」色』です。

(『横断歩道を渡る時の「黄色」の旗』『小学生の「黄色」の「ランドセルカバー」』

『「黄色」の帽子』『「黄色」信号』(「青信号」から、いきなり

「赤信号」に変わったら「事故続出」となる事は明白です)

私は見た「お花畑」の色が「黄色」だったのが幸いしたのかも知れません。

 

その時「気が遠のき」ながら思ったのは『「なんとかなるさ」』という気持ちでした。

私に「天運」が有れば、絶対に車に轢かれない(ひかれない)と思いました。

或いは「絶対に正気に戻る」という気持ちでした。

「ポジティブ」な気持ちでした。

 

「美空 ひばり」は『「川の流れ」のように』を、歌いました。

私には「川の流れ」は「上」から「下」に「衰える」ように

「下って」流れている気がします。

 

テレサ・テン」は『「時の流れ」に身をまかせ』を、歌いました。

私には 、「時の流れ」は「下」から「上」に「成長」するように

「昇って」流れている気がします。

 

「時の流れのように」「武士」は成長するたびに、名前を変えていました。

「徳川 家康」の「幼名」(ようみょう)は「竹千代」(たけちよ)でした。

その後「元服」(げんぷく)した時に「元信」(もとのぶ)と、名前を変えました。

その後「元康」(もとやす)→「家康」(いえやす)と名前を変えていきました。

 

元服」とは、今でいう「成人式」のことです。

元服」(成人)の年齢は、「時代」により違います。

また「お家の事情」により違います。

 

「江戸時代」の「元服」は、「15歳〜17歳」が「一般的」だった様です。

当時は「家督相続」(かとくそうぞく)ではなく「跡目相続」(あとめそうぞく)でした。

家督相続」とは「父が隠居(いんきょ」して「子」が「相続」する「制度」です。

「跡目相続」とは「父の急死」などにより「子」が「相続」する「制度」です。

「御家断絶」(おいえだんぜつ)を免れる為「8歳位」で「元服」する事もあった様です。

 

「男の元服時」には、前髪を剃り「月代」(さかやき)にしました。

 

昭和6年」に公開された「日活映画」『侍ニッポン』の「主題歌」

 

「徳山 璉」  「侍  ニッポン」  作詞 : 「西條 八十」 作曲作曲  :  「松平 信博」

 

人を斬るのが  侍ならば

「恋の未練」が  なぜ斬れぬ

伸びた『月代』(さかやき)  寂しくなでて

新納 鶴千代(しんのう  つるちよ)  苦笑い

 

4番まであります。

 

「新納 鶴千代」(しんのう  つるちよ)は、「大老」「井伊直弼」の「実子」で有りながら、

日陰で育った「ニヒル」な「浪人」でした。

「時代に、もてあそばれ」「桜田門外の変」で

「実父」「井伊直弼」を襲撃した「数奇な運命」(すうきなうんめい)の持ち主でした。

 

「大学生」(考古学部)の頃「合宿の宴会」で「この歌」を皆で良く歌いました。

「野球」の「侍・ジャパン」は「屈託」(くったく)が無くて良いですね。

 

「女の元服」は「結婚と同時」未婚でも「18歳〜20歳」で、行いました。

「日本髪」を「丸まげ」等にし「厚化粧」になり「お歯黒」を付けました。

「この風習」は、現在でも「祇園の舞妓」等「花街」に残っています。

 

現在の「民法」では「20歳を以って「成年」とする」となっています。

しかし『「20歳未満」でも、結婚すれば「成年」とする』としています。

「結婚」出来る「年齢」は、「男・18歳」「女・16歳」からです。

 

その根拠としては

・『「女性」の方が「男性」より「肉体的」「精神的」に「早熟」であること。

・『「男性」が「一家の大黒柱」として「女性」を引っ張っていく

    「暗黙の了解」が有ったこと。

・『「男女の差」が「2〜5歳」ある中で「結婚」している「夫婦」が多くいたこと。

 

「現在の民放」の前、「ダグラス・マッカーサー元帥」の「占領統治」時代に

「制定」された「民法」では「結婚」出来る「年齢」は

「男・17歳」「女・15歳」でした。

「女・15歳」といえば「中学3年生」です。

「中学3年生」の「娘」から「私、結婚します」と言われたら「両親」は

「素直に喜ぶ」事は、出来なかったと思います。

 

ダグラス・マッカーサー」は「名言」を、残しました。

老兵は死なず、ただ消え去るのみ」

「老兵は、ただ消え去るのみ」であれば「誰もが納得」出来るのに

何故「死なず」といったのか?。

まだ「やるべき事」があるから「死ぬ訳」にはいかないという意味と、

私は解釈しています。

 

「中国の故事」にも「老いたる馬は、道を忘れず」が、あります。

「意味」は『「経験を積んだ者は、自分のとるべき道を誤らない」と、

   私は、解釈しています。

 

一方「老いて再び児(ちご)になる」という「ことわざ」も、有ります。

「意味」は『「人」は「老いる」と「子供」にかえる」です

 

「武士」の様に成長するたびに「名前」が変わる魚がいます

通称(つうしょう)「出世魚」(しゅっせうお)です。

皆さんは「ブリ」・「ボラ」が「出世魚」だと、知っていますか?。

出世魚」の呼び方は「関東」と「関西」では違うそうですが、

私は「関東」の人間なので、「関東流」で言います。(一部「関西流」を含む)

 

「ブリ」は、

 

「ワカシ」→「イナダ」→「ワラサ」→「ハマチ」→「ブリ」と出世

するそうです。

私は、「最終形」は『「知ったか「ブリ」』だと、思っています。

 

「ボラ」も、

 

「オボコ」→「イナッコ」→「スバシリ」→「イナ」→「ボラ」→「トド」と、

出世するそうです。

私は、「最終形」は、『大「ボラ」吹き』だと思っています。

 

ちなみに「スズキ」も「出世魚」だそうです。

 

「セイゴ」→「フッコ」→「スズキ」→「オオタロウ」と、出世するそうです。

私は、「最終形」は「さくらと一郎」が歌った『昭和枯れ「スズキ」』(ススキ)」

だと、思っています。

 

「ウナギ」の「さばき方」も。「関東」と「関西」では違います。

「調理」する「ツルツル・ヌルヌル」して 、逃げようとする「ウナギ」を

「まな板」の上に乗せます。

暴れる「ウナギ」の頭に鉄製の「串」を刺し「カナヅチ」の様な物で「目打ち」し、

「まな板」に、シッカリと、「ウナギ」を、固定します。

 

それでも「ウナギ」は「身体を丸めたり伸ばしたり」して、逃げようと暴れます。

そして「ウナギ」の「首に相当する部分」に、包丁を入れ「トドメ」をさします。

こうすることに「ウナギ」は「即死」し真っ直ぐな状態で捌けます。

ここまでは「関東」も「関西も、一緒です。

 

「串打3年」「さき8年」「焼き一生」というそうです。

これは、ウナギの調理人の「修行」を表した言葉です。

こうして「熟練」の技が生まれて来ます。

 

「関東」では「背開き」にします。

「関東」といえば「江戸」です。

「腹開き」は、「武士」が嫌がる「切腹」を「イメージ」させます。

 

そのため、 昔から「関東」では「腹開き」では無く「背開き」にします。

また「ウナギの腹の部分」には「旨味の脂」(うまみのあぶら)があり、

逃さないという意味も、ありました。

 

私の「祖父」は「直治」(なおじ)という名前でした

「私が子供の頃」私が捕まえて来た「ウナギ」をさばきました。

「ウナギの頭」を刺したのは「5寸釘」(ごすんくぎ)でした。

 

「1寸」は「3、0303030303」cmです。

ナマズ」も、さばきました。

ナマズ」と「ウナギ」とは「味」「食感」が、よく似ていた様な気がしました。

 

「関西」では「腹開きにします。 

「関西」は「商人の街」です

「腹を割って話そう」という事から「腹開き」になったそうです。

 

人の温かみが感じられます。

また「腹開き」の方が、調理し易く「合理的」だと言う由来も有ります。

「関西人」らしく「合理的」な「考え方」です。

 

「ウナギ」は「2,013年に「絶滅危惧種」に指定されました。

「日本」は『世界の「ウナギ」の7割』を食べている「消費大国」です。

土用の丑の日」(どようのうしのひ)は「7月下旬」です。

 

「ウナギの完全養殖」は非常に「難しく」「実用化」に、至っていません。

「ウナギの生態」は「ナゾ」です。「2,000年間、不明」とされていました

「2,009年」「東京大学研究チーム」は、「マリアナ海溝」で「ウナギの卵」を

「発見」しました。

 

「ウナギ」は「日本」から「6,000km」を泳ぎ「マリアナ海溝」で「水深」「6,000m」

の場所で「産卵」する事が分かりました。

「親ウナギ」は「産卵」を、終えると『死んで「海の「藻くず」となるそうです。

 

「1日半」で「卵から孵化」した「稚魚」(「ウナギ」は「魚」です)は

「約6カ月」「海流」に流され「日本の近海」に「到着」します

「この間のウナギの呼び方」を「「レプトケファルス」というそうです。

 

「レプトケファルス」の「エサ」を「発見・発明」出来れば『ウナギの「完全養殖」』が

「可能」になります。

「往復12,000km」の「長旅」を省略でき「生存率」は「飛躍的に向上」する為、

「ウナギ」の価格は「10%位」に、なるかも知れません

 

「現在」『「卵」から「成魚」に成鳥する「確率」』は「5%」しか有りません。

もし、私が「20歳」若かったら「朝鮮」したかも知れません

 

「ウナギ」は「5cm程度」に成長して「稚魚」は「シラスウナギ」と、呼ばれています。

シラスウナギ」は、川を「遡上」(そじょう)します。

「厳寒の中」海から程近い川で「シラスウナギ」を、捕まえます。

 

「盃1杯」で「数万円」になるそうです。

これに「チャレンジ」するのも面白そうですね。

 

「養鰻(ようまん)業者」は「シラスウナギ」を「購入」し「3年間」育て、出荷します。

「水温」「エサ量」を調整し「土用の丑」の日に照準を合わせて、飼育します。

従って「養殖ウナギの旬」は夏です。

 

一方「天然ウナギ」は『「例年、5月頃から獲れ始め」

「12月には「漁」を終了』します。

 

「天然ウナギ」は、他の魚と同じく「水温」が10度以下」になると「冬眠」します。

「天然ウナギ」は、「冬眠」に備え「栄養」を蓄えます。

 

「冬眠」は「厳しい冬」を乗り切り「春」に「子孫」を残そうとする、

「生物の本能」です。

従って、「天然ウナギ」の「旬」は「秋から冬」です。

 

「天然ウナギ」の特徴は、

・『「淡白」で「アッサリ」していて「脂くどさ」』(あぶらこどさ)を、感じない。

・『「「味」に「力強さ」』がある。

・『「川魚」特有の「爽やかな薫り』がある。

・『「1匹毎」に「味わい」が異なる。

・『「小骨」が、気にならない。

 

もっとも「天然ウナギ」の「流通量」は、全体の「0、3%」しか無いそうです。

「庶民の口」に「天然ウナギ」が入る事は「不可能」に近いと思います。

 

何時もの様に、話が「あちこち」と、「飛んで」しまいました。

 

「円 広志」(まどか ひろし)は「夢想花」(むそうばな)という歌を歌いました。

「歌の中」に、

「とんで、とんで、とんで、とんで、とんで、とんで、とんで、とんで、とんで」

「まわって、まわって、まわって、まわる」

という「歌詞」が、有りました。

 

「くどく」なりますが「重ねて」言わせて頂きます。

 

「どうにかなるさ」=「なんとかなるさ」の心境は、

「チャレンジ」しようとする人間には「必要不可」な「心持ち「で、

「ポジティブ」な言葉です。

 

「思ったより簡単だった」「明日は明日の風が吹く」「杞憂(きゆう)に過ぎなかった」

「取り越し苦労だった」「あっけなかった」等々、

「どうにかなるさ」=「なんとかなるさ」を、応援する「言葉」は、

いくらでもあります。

 

「遅すぎる」という事は、有りません。

「思い切って」「勇気」を出してみて下さい。

慣れてくれば「当たり前の事」の様になるはずです。

 

 

かまやつひろし」「どうにかなるさ」作詞  : 「山上 路夫」作曲  :「かまやつひろし

 

今夜の夜汽車で  旅立つ俺だよ

あてなどないけど  どうにかなるさ

あり金はたいて  切符を買ったよ

これからどうしよう  どうにかなるさ

見慣れた街の灯り  行くなと呼ぶ

けれどもおんなじ  暮らしに疲れて

どこかに行きたい  どうにかなるさ

 

仕事も慣れたし 街にも慣れたよ

それでもいくのか  どうにかなるさ

一年住んでりゃ  未練ものこるよ

バカだぜおいらは  どうにかなるさ

愛してくれた人も  一人いたよ

俺など忘れて  幸福つかめよ

一人でおれなら  どうにかなるさ 

 

「なんとかなるさ」を英語で

 

「It will be OK」だそうです。

(「will be 」は、〜になる)

という、意味だそうです。