何気なく使っている言葉の意味

「阿吽の呼吸」

 

皆さんは、普段何気なく「阿吽の呼吸」(あうんの こきゅう)という「ことわざ」を

使った事は有りませんか?

 

「阿吽の呼吸」の意味は   (「餅は餅屋」でもこの「諺」を使いました)

 

「言葉を交わさなくても、「意思疎通」が出来ている。息が合うこと」

 

だ、そうです。

 

「阿吽の呼吸」の「同義語」は

 

つうかあ の仲」

「ウマが 合う」

 

だ、そうです。

 

「阿吽の呼吸」の’対義語」は、検索しても、出てきません。

私が思いついた「対義語」

 

「支離滅裂」(しりめつれつ)の意味は

 

「統一されておらず、

「バラバラな状態。筋道が立っておらず、まとまりがない状態」

だ、そうです。

 

 

先のブログで、紹介させていただいた「切迫流産」と診断され「里帰り出産」に

備えていた長女が、無事出産しました。

予定日より1ヶ月早く、出産しました。

 

「妊娠は奇跡・出産は新しい命の誕生」という言葉が有ります。

「人類の起源」が「アウストラロピテクス」だとすれば、

「生命の起源」は「バクテリア」だと 、私は考えています。

 

2018年11月25日(日)、10時30分、体重2,550gでした。(長女は、2,510gでした)

今「保育器」に入っています。

名前は「良祐」です。兄の名前は「秀佑」です。

 

「名付け親」を「God father」「Godb mother」と言いますが、2人で相談して決めた様です。

私は、保育器から出て長女のベッドに戻る迄は、会いに行きません。

これで、孫は4人になりました。

長男の子供は「高校1年生」(おとこ)と「小学6年生」(おんな)です。

私の三女は「大学3年生」です。

 

 

日本最高峰の「女子駅伝日本一決定戦」が、行われました。

2,018年11月25日(日)12時15分「号砲」が、鳴り響きました。

コース:宮城県松島町文化観光交流館前〜弘進ゴムアスリートパーク仙台。

6区間「42、195km」のコースで 、出場22チーム※上位8チームには来年の出場権(シード権)

が、与えられる条件で「女達の熱き闘い」が、なされました。

 

主な注目選手

松田端生(ダイハツ)鈴木亜由子(JP日本郵政グループ)関根花観(JP日本郵政グループ)

福士加代子(ワコール)堀優花(パナソニック)上原美幸(第一生命グループ)山之内みなみ(京セラ)

 

「コメンタリー」

解説:「増田 明美」・「千葉 真子」

実況:「新夕悦男」・「清水 大輔・「土井 敏之」・「伊藤 隆佑」・「石井 大裕」・

「熊崎 風斗」・「善入 友浩」ほか

 

「リポート」

「小林由未子」・「上杉彩子」

 

「選手入場」

「宇賀神 メグ」

の、スッタフでした。

 

レースの結果、入賞した8チームは

1位  「パナソニック」   (2連覇)

2位   「天満屋

3位    「ダイハツ

4位   「ヤマダ電機

5位   「ワコール」

6位   「豊田自動織機

7位   「日本郵政

8位   「デンソー

でした。

 

「レース前実況」

メインの実況中継「新夕 悦男」は、静かな口調で話し始め、解説の2人を紹介しました。

「解説の2人」は「宜しくお願いします」と答えました。

「新夕 悦男」は、今大会の「有望チーム名」「有望選手名」等を、紹介して

「解説者2人」に話を振ります。

「解説者2人」は、それぞれその「根拠・感想」を述べました。

「新夕 悦男」は、「各中継点の「実況者、「リポーター」〜「ゴール・リポーター」

を、紹介しました。

 

そうこうする内に、「スタートの号砲」が轟き、選手は一斉にに飛び出して、

陸上競技場」を、後にしました。

 

「タスキ中継」

実況者は「先頭が見えてきました」トップは「パナソニック」の○○です」と言いました。

(「パナソニック」は、1区〜アンカーまで先頭を譲らず「完全優勝」でした。)

そして、2番手〜後続チームを、紹介しました。

次の区の「有力選手」を、紹介しました。

 

有望視されていた選手全員がゴールすると、「区間賞」は○○といいました

「女性リポーター」が、「区間賞」の○○に「インタビュー」しました。

区間新」だった場合は、念入りに「インタビュー」しました。

選手は、「サングラス」を外し「インタビュー」に、答えました。

(この時初めて、苦しそうに眉間にしわを寄せていた、選手の素顔が分かりました)

 

「バイクリポーター」は

「テレビを見ている人達」が、仙台に応援に行っていると勘違いしそうな「臨場感」

溢るる「リポート」をしました。

スピードを上げ、後方から選手を追い抜き、先頭が見える処まで、

「順位」と「距離差」を報告しました。

選手の実績・エピソードの紹介」「先頭との差を声高に、

少し早口に中継しながら、画面から消え去りました。先頭までは行きませんでした。

先頭のを走る選手の中継は「1号車」の担当でした。

 

「ゴール中継」

観客の声援に応え、先頭の選手が「陸上競技場」に帰って来ると

「クライマックス」となり「ゴール実況中継者」が、大袈裟な言い方で、

「チーム名と選手名」を、紹介しました。

2番手以降の選手が、続々と「陸上競技場」に帰ってきました。

全員が「ゴールテープ」を切れる様に、白い帽子を被った「大会関係者2人」が

「ゴールテープ」を、何度も張り直しました。

 

「シード権」争い(8位)を、闘っている選手が「陸上競技場」に帰って来ると「ボルテージ」

は、最高潮になりました。

シードされるのと、来年「地区大会の予選会」から出発するのでは、

「天と地の差」(雲泥の差)が有ります。

争いに敗れた選手が、「サングラス」を外すと、涙を浮かべている様に見えました。

 

「ラストチーム」がテープを切ると「優勝チーム」の「インタビュー」が、始まりました。

6人は、「サングラス」を外し、1列に並びました。

この時、6人の背の高さと、素顔が分かりました。

私は、応援する選手を間違えたと、後悔しました。

 

皆、「チームメイトのお陰で優勝出来た」と、他の5人を讃えました。

私はこれまで、「私が頑張ったから優勝出来た」と答えた選手を、見た事が有りません。

「優勝監督」の「インタビュー」が始まりました。

「監督」は、「選手が期待通りに走ってくれたので勝てた」と答えました。

私はこれまで「監督の指導が良くて優勝出来た」と、答えた監督を、見た事がありません。

 

来年の「1月2・3日」に行われる「箱根駅伝」で、もしも青山学院大学が「往路・復路優勝」

の「完全優勝」を成し遂げたら(私は、可能性は高いと思っています)

「原 晋」(はら すすむ)監督」は、言いかねないと思っています。

そして「優勝監督」の「胴上げが、始まりました。

 

「アンカー」が「ゴール」に近づくと、「スポーツ応援ソング」が流れていました。

「女子駅伝」「女子マラソン」「トライアスロン」の定番曲である「以下の曲」内

どの曲だったかは、聞き漏らしてしました。

或いは、違う曲だったかも知れません。

 

アルフィー」(「高見沢 俊彦」・「桜井 賢」・「浜崎 幸之助幸之助 」)  「冒険者達 」

ZARD 」  「 負けないで」

「槇原 敬之」 「どんなときも」

爆風スランプ 」  「Rnner」

「中島 みゆき 」  「ファイト」

コブクロ 」   「今、咲き誇る花たちよ

「ゆず 」   「栄光の架橋

EXILE 」   「銀河鉄道

 

長たらしく、なってしました。

以上の流れが正に、「阿吽の呼吸」でした。

恐らく「2秒間の言葉の空白」は無かったと私は、記憶しています。 

 

私は、この「駅伝番組」の主役は、解説をしていた「増田 明美」だったと思います。

 

私は「増田 明美」を「頭が切れる人」と (「短気でカッとし「頭が切れる」)

意味ではありません)(ケガをして「頭がキレた人」の意味でも有りません)

思っています。

 

「頭が切れる人」は「頭がいい人」より「格上」と、私は思っています。

 

「頭がいい人」の「特徴」は

 

「理解力」「発想力」「直観力」「整理力」「記憶力」「国語力」

これらの要素の内、どれか1つでも優れ、結果として、

学校の成績でも上位となり「頭がいい」と言われる人だそうです。

 

「頭の切れる人」の特徴は

 

・物事に対する考え方が鋭ぐ 又、優れていて、問題を素早く解決できる。

・集中力が、ズバ抜けている。

・相手が言った事を、瞬時に理解できる。

・本質を見抜く力、要点をまとめ上げる力がある。

・圧倒的なスピード感を持ち、物事を認識・理解した上で、行動に移すまでが迅速である。

・国語力に優れ、人に教える事が上手い。

・観察力が優れており、常に多方面にアンテナを張っている。

・抜群の「コミュニケーション」能力があり、誰とでもすぐ親しくなれる。

人生の経験値が豊富で、経験に基づき、人に「アドバイス」する事ができる。

    (「若いうちの苦労は、買ってでもしろ」)

    (「私」は「歳をとってからでも、苦労は買ってでもしろ」と言いたいです)

・自分の考えに対して、ブレる事がない。

・記憶力が、並外れている。

・知識の引き出しが多く、話題を変えながら、長時間話す事が出来る。

・頭の切り替えが早い。

・無駄な事を、嫌う。

・多角的な視点を組み合わせることにより、仕事を上手に回せる。

・頭の切り替えが、早い。

・1つの事にとらわれる事なく、常に幾つかの事を考えている。

・結論から逆算して「出発点」を決める事が出来る。

 

等々、だそうです。

「訓練」により、誰でも「身に付ける」事が、可能だそうです。

 

「増田 明美」は、1,964年に「千葉県 成田市」の「専業農家」の家庭に生まれました。

地元の中学校に入学し、当時人気のあった漫画「エースをねらえ」に憧れて

軟式テニス部」に、入部しました。

素質を見込まれ、中学3年生の時「軟式テニス部」とかけもちの形で「陸上部」に

入部しました。

そして「千葉県大会、800m」で「千葉県新記録」の「タイム」で「優勝」しました。

さらに、全国大会で「4位」に入賞しました

 

「増田 明美」の素質に惚れ込んだ「私立成田高校」の「陸上部監督」にスカウトされ、

同校の「陸上部」に入部しました。

1年生の時「貧血」にかかり「監督」から「マネージャー」への転向を勧められました。

「増田 明美」は、これに反発し退部しました。

「中学校時代」に目指した「教員への道」を再び目指す事を考えました。

 

しかし、「マネージャーを指示した監督」を見返してやろうと考え「復部」しました。

そして「中距離」から「長距離」に転向し、猛練習を積みました。

3年生の時、「5,000m・10,000m」で「日本新記録」を樹立し優勝しました。

その後数回、「日本記録」を更新し「努力の天才ランナー」と呼ばれていました。

誰もが、「オリンピックメダリスト」となる事を、信じていました。

 

「実業団」に入ると「マラソン」に転向し、「ロス五輪・マラソン代表」に選ばれました。

しかしながら「プレッシャー」に勝てず「中途棄権」してしまいました。

 

ソウルオリンピック」では、期待されながらも、脚を痛め、

優勝争いにも、加われませんでした。

走る事が出来ず、歩く姿に、観衆は「もうお前の時代は終わった」と

「辛辣な野次」を浴びせました。

 

全日本実業団対抗駅伝」では「ウォーミングアップ」中に足を痛め、後続に「タスキ」

を引き継ぐ事も、出来ませんでした。

過去の、過酷な「トレーニング」と「減量」で「月経」が2年程止まっていた為、

骨がもろくなり「複雑骨折」を、起こしていました。

その後も、不運が続き「悲運のマラソンランナー」と呼ばれました。

 

引退後「スポーツ・ライター」に転身すると、「特異な才能」を発揮し始めました。

今までの常識を覆えす、独自な解説方法でした。

顔が「宮澤 喜一  首相」に、何となく似ている事でも、評判になりました。(褒め言葉です)

 

・「自腹で単独取材」「監督やコーチと一緒に食事」「選手の母親の電話番号ゲット」

     の「小ネタ収集3原則」を駆使して、情報を集める「情報収集力」が凄い。

・そうして得た「ネタ」を覚えている「記憶力」が凄い。

・「実況者」の言う事を瞬時に理解し、適切な回答が出来る「理解力・対応力」が凄い。

・ふんだんに「四字熟語」「ことわざ」を取り入れる事が出来る「国語力」が凄い。

・子供の頃からの「成功・失敗経験」が豊富であり「経験値」が凄い。

・「話の引き出し」が豊富で、どんな質問にも回答できる「話題力」が凄い。

・「解説の仕方」を「批判する人」がいても、自分の意志を曲げない「ブレない力」が凄い。

 

「実況者等々」との間に「阿吽の呼吸」が生じ、番組は「スムーズ」に進行しました。

「国際大会」となると「オリンピック・メダリスト」である

「高橋 尚子」「有森 裕子」「野口 みずき」(あまり見かけない)が「主解説者」を務めます。

しかし、誰もが、増田 明美」には、かなり引けを取っていると私は、考えています

 

もう1人の解説者「千葉 真子」(ちばまさこ)は、1,976年に京都府宇治市に生まれました。

私の家の近くの「コンビニ」で働いている「西浦さん」を見ると、何時も

「千葉 真子」を、思い出してしまいます、

 

「千葉 真子」は、身長155cm位、体重、40kgにも満たない、小柄で華奢な選手でした。

「千葉 真子」は「立命館宇治高校」在籍時に「全国高校駅」に出場しました。

面長で、目鼻立ちが整っていました。

特に「大きな目」が印象的で「ファン」は、多かったと思います。

 

1,996年「アトランタ・オリンピック」では「10,000m」で「5位入賞」を果たしました。

世界陸上選手権大会」では「10,000m」と「マラソン」に出場しました。

世界で初めて「異種目複数メダル 」を獲得し「前人未到の快挙」を、成し遂げました。

 

引退後は、解説者になりました。

「親しみやすい性格」で、根強い人気が有りましたが、独特の「甲高いアニメ口調」が

「アダ」となり、長い解説は任せて貰えませんでした。

本来、男の役である「バイクレポーター」の役を、何度かこなしました。

 

「陸上長距離選手」と言うと「真木 和」(まき いずみ)と言う名前を

私は、忘れる事ができません。

私はテレビで見る度に「あの人に少し似ている」と思っていました。

 

支店に「真木」という苗字の人がいたので、「真木 和」を知っているかと私が問うと、  

「真木さん」は「知らない」と答えました。

その話を聞いていた、私の年齢に近いと思われる男性社員が、パソコンで検索し

「アッツ本当だ」と言ったのを、私は「ハッキリ」と覚えています。

「パソコン」で「若い頃の写真」を調べてみましたが「イメージ」通りに写っている写真を

見つける事は、出来ませんでした。

日本新記録」更新時の動画では、「体の力を抜き、少し前傾し、

軽く腕を振る綺麗なフォーム」で走っています。

残念ながら、2,018年10月に「乳ガン」の為、49歳の若さで逝去してしまいました。

 

「真木 和」は1,968年「愛知県今治市」に生まれました。

「全国都道府県対抗駅伝 」京都チームのアンカーとして、3年連続ゴールテープを切りました。

バルセロナ五輪 」「女子1万メートル」「アトランタ五輪女子マラソン」代表となりました。

5,000メートル、1万メール、「ハーフマラソン」で「日本記録」を樹立しました。

 

1,995年、「マラソン」への準備して「札幌国際ハーフマラソン」に出場し、優勝するも、

「ドーピング」検査に引っ掛かり失格 、数ヶ月の出場停止処分を受けてしまいました。

「真木 和」も監督も、何故「ドーピング」に引っ掛かったか、

全く身に覚えはありませんでした。

私が思うには、ウッカリ「ビタミン剤」でも飲んでしまったのでは?と思いました。

 

当時、私は「真木 和l」は「卑怯な事をする人間では無い」と、信じていました。

私は「人を見る目」を、持っていると自負していました。

 

 

私は子供の頃、「幼稚園」も「保育園」も行かず、野山を駆け廻っていました。

その為か、「短距離走」が、得意でした。

「小学校」「中学校」と「クラス対抗リレー」「紅白対抗リレー」「部落対抗リレー」と、

  全部、選手でした。

長距離走」については「凡庸」な成績でした。

 

「中学3年生」の、秋のことでした。

近所に住む「小梛 睦男(おなぎむつお)ちゃん」が「マラソン」の練習をしていました。

(以下「むっちゃん」と言います。

「むっちゃん」は、普段「勉強・運動」に於いて、特別目立つ存在では有りませんでした。

しかし、冬が近付くと「むっちゃん」は、急に注目を集め始めました。

「むっちゃん」は、小学1年生から、中学2年生まで「マラソン大会」で「ダントツ優勝」

していました。

当然、その年も「むっちゃん」が「ダントツ優勝」するものと、誰もが思っていました。

 

私は、高校で「陸上部」に入ろうと、思っていました。

「高校受験」ついては、担任の「石橋 きん 先生」から「お墨付き」「折り紙付き」を、

もらっていました。

私は、家の手伝いをしながら、家の前の道(80m位)を、毎日、何十回も「ダッシュ走」

していました。

 

私は背が低いくせに「ロングストライド走法」でした。

「サージャント・ジャンプ」(垂直跳び)でも「80cm位」跳べたと覚えています。

 

ある日の事でした。

「むっちゃん」が「マラソン練習」していたので、私は一緒に走らせてもらいました。

直ぐに置いていかれると思っていましたが、何故か離れませんでした。

「むっちゃん」は「ピッチ走法」で、私は「ストライド走法」でした。

私は、走っていても、あまり息が苦しくなりませんでした。

 

知らない内に「80mダッシュで「スタミナ」が付いていたのかも知れません。

「むっちゃん」は、それまで、人と並んで走った事が無かったのか

「ビックリしていました。

そんな事が何回か続きました。

 

私は、「醜いアヒルの子」の様に、自分の才能に気付き、驚きました。

「むっちゃん」は、初めて負けるかもしれないと、言っていました。

私も、勝てるかもしれないと、思っていました。

2人共この事は、誰にも話していませんでした。

私という「ダークホース」がいることは、誰も知りませんでした。

 

ところが、私の持って生まれた「ツキのなさ」で、「マラソン大会」の前日に、

風邪をひいてしまいました。

「マラソン大会」当日、私は高熱を押して出場しました。

案の定、息が苦しくて、まともに走る事はできませんでした。

「途中棄権」しようとも考えましたが、冷や汗を浮かべ、朦朧となり学校に続く坂道を

歩いて、何とか「ゴール」しました。

結果は、後ろから数えた方が早かったと思います

「むっちゃん」は、私が付いて来ないのを、ずっと心配していたそうです。

 

私は周りの人に、高校に入ったら「陸上部」に入いると言っていました。

「むっちゃん」に引けをとらず走った事は、言いませんでした。

みんなは、私が「短距離走」を目指していると考えた様です。

私は、「短距離走」では、限界が有ると思っていました。

むしろ、まだ未知数の「伸びしろ」の有る「長距離走」に期待していました。

結局、家の手伝いの為、1週間で「陸上部」を退部してしまったので

結論を見る事は出来ませんでした。

 

私は、退職した今も「凡庸」な毎日を過ごす気にはなれません、

「凡庸」(ぼんよう)の意味は

「平凡で、とりえのないこと」です。

 

似た字に「汎用(はんよう)があります。

「汎用」の意味は

「広い範囲で、用いる事が出来ること」です。

 

「ペガサス」と名付けた「トラック」の中で「松山千春」が「CD」の中で歌っている

「凡庸」という歌を、私が一緒に歌うと、

松山千春」と「私」は「阿吽の呼吸」で歌っているかの様です。

 

 

「松山 千春」 「凡庸」(ぼんよう)    作詞  :  作曲 : 「松山千春

(私が、1番好きな歌)

 

何もできないと  思い悩むよりは

せめて悔いのない  時を送ろう

こんなはずじゃない  誰を責めてみても

すべて大切な  私の人生

いつも歩いた  私なりの日々よ

言葉にするほど  幸せでなく

涙にするほど  不幸でもない

 

人は同じだけ  風を感じている

同じ陽射し(ひざし)受け  雨にうたれる

老いてゆくことも  愛を語ることも

人は同じだけ  夢を求める

いつも歩いた  私なりの日々よ

言葉にするほど  幸せでなく

涙にするほど  不幸でもない

 

言葉にするほど  幸せでなく

涙にするほど  不幸でもない

 

 

「阿吽の呼吸」を英語で言うと

 

「Synchro」と、言うそうです。

 

(「シンクロナイズド・スイミング」の様に呼吸が合っている)