何気なく使っている言葉の意味

「餅は餅屋」

 

みなさんは、「餅は餅屋」という「ことわざ」を

使った事が、ありませんか?

「餅は餅屋」の意味は、

・「何事においても、それぞれの専門家に、まかせるのが、

    一番よいということのたとえ」

・「上手とはいえ、所詮(しょせん)素人では、

       専門家にはかなわないと、いうことのたとえ」だそうです。

 

「餅は餅屋」の類義語としては、「蛇の道は蛇」(じゃのみちはへび)

「海の事は、漁師に問え」が、該当するそうです。

 

対義語は「左官の垣根」(さかんのかきね)だそうです。

左官の垣根」の意味は

左官職人が、垣根を造ろうとしても、

   専門外だから、上手く行かない事のたとえ」

  だそうです。

 

私が子供だった頃、暮れには毎年、餅つきをしていました。

(「餅屋」に頼んだ事はありません)

私の生まれた家は、農家だったので、もち米は田んぼから収穫した、

当時最高品質だったもち米を、使いました。

一反歩(いったんぶ   300坪) 当たり、

うるち米(コシヒカリササニシキ等)は、

10俵取れますが、もち米は、7俵しか取れなかったと、

記憶しています。

 

母は、蒸したもち米を、臼(うす)に、投入します。

そして、父が、大きく重い杵(きね)で、もち米を、つき始めます。

20回位つくと、餅らしい粘りが、出て来ます。

父がつく度に、母は、桶(おけ)に汲んであった水に、

手を突っ込み、少し水を餅にかけ、餅をひっくり返します。

こうする事によって、母は火傷(やけど)から手を守り、

餅が手にくっつかくことなく、柔らかい餅が、出来上がります。

全部で何回ついたかは、はっきりとは、覚えていませんが、

恐らく100回は、ついたと思います。

二人のタイミングが合わないと、母の手は、つぶされてしまいます。

危ないので、子供の私には、やらせてもらえませんでした。

正に、「阿吽の呼吸」(あうんのこきゅう)です。

サーカスを、見ている様でした。

 

奈良県東大寺には「阿行像」(あぎょうぞう)と

「吽行像(うんぎょうぞう)の、

背丈8mを超える、2体の「金剛力士像」が、

安置(あんち)されています。

「阿行像」は、口をあけて「あ」と、言っています。

「吽行像」は、口を閉じて「ん」と、

頷くように言っています。

 「あ」は「ひらがなの」の、最初の文字です。

「ん」は、最後の文字です。

「あ」は「宇宙の始まり」を、意味するそうです。

「ん」は「宇宙の終わり」を、意味するそうです。

このことから「阿吽の呼吸」とは、

何から何まで「一致しているとこと」と、

解釈しても良さそうです。

 

実父は、72歳で死にました。

実母は、92歳で死にました。

生前、2人は 仲が悪く、何時もけんかばかりしていました。

何故、餅つきのの時は、あんなに楽しそうに、

気が合っていたのでしようか?

私は、2人は表面上は仲が悪くとも、

奥底では、深く繋がっていたと信じます。

 

正月の、もちの食べ方は、3 種類しか有りませんでした。

大根おろしに、しょうゆと、削り節を混ぜた「辛味餅

 ・きな粉に、砂糖を混ぜた「きな粉餅」

・青のりと、ハバのり(現在では、高価になりました)を、

   タップリかけた「雑煮」です。

 

私は、「雑煮」が、好きでした。

「雑煮」の食べ方は、様々です。

私の実家は、○○市○○町○○番地です。

義姉の実家は、○○市○○町○○番地です。

市町村合併前は、同じ町でした。

小さな町で中学校は、1 校 しか有りませんでした。

私達は、校歌を「1万2,000の雄叫びに」と、歌いました。

今は、過疎化で、1万人位か?。

 

因みに、義姉は(「ぎし」)と、読みます。

私は、義姉を「おねえさん」と、呼んでいます。

義姉の実家では、餅を焼きます。

私の実家では、餅をゆでます。

今まで、何人かに聞きましたが、皆、餅を焼くそうです。

(もちろん、「生で」と言う人は、いませんでした)

餅を、とろける寸前まで茹でると、

箸で餅を持ち上げると、スーと垂れます。

餅に、汁が絡みつき、餅と汁を一緒に食べているような、

濃い味の餅を食べられます。

当然、餅を食べ終わると、汁は減っています。

興味ある人は、騙されたと思って、やってみてください。

コンタクトレンズ」をつけている人は

「目からコンタクトが落ちる」かもしれません。

付けていない人は「目からウロコが落ちる」かもしれません。

 

頼んでも、わが家の「尊い人(たっといひと)は、作ってくれません。

こういう人を「食わず嫌い」とは言わず

「作らず嫌い」と、呼ぶべきと思います。

餅を食べながら、汁を飲めば、同じだと、反論されたています。

私には 「返す言葉」がありません。

 

突然「武田鉄矢」率いる「海援隊」が歌った、

卒業式の定番曲で、「3年B組金八先生」の

主題歌「贈る言葉」を、思い出しました。

 

    作詞 : 武田鉄矢  作曲 : 千葉和臣    「贈る言葉

 

「暮れなずむ」町の光と影の中

去りゆくあなたへ  贈る言葉

悲しみこらえて 微笑むよりも

涙かれるまて 泣くほうがいい

人は悲しみが 多いほど

人に優しく できるのだから

さよならだけでは さびしすぎるから

「愛する」あなたへ  「贈る言葉

 

「暮れなずむ」は「日が暮れそうで、

   なかなか暮れないでいるさま」です。

 

私は、完全に、勘違いしていました。

この曲は「卒業の歌」では、ありません。

「失恋ソング」です。自信が、あります。

思春期の中学生が、別れるのに

「愛する」と言う言葉は、使わないはずです。

せいぜい使っても 「恋する」です。

私は「恋」と「愛」の違いについては「持論」が、あります。

機会がありましたら、いずれまた。

 

「学校ドラマ」だから「卒業の歌」と

「上っ面」(うわっつら)でしか、見ていませんでした。

正に、「見る」(目に飛び込んできた物を、そのままに判断する)

           「観る」(目に飛び込んできた物を、念を入れて判断する)の

違いを、全く理解していなかったということです。

だから、虚偽「False」を、真実「Truth」と、

見誤ってしまったのです。

「感性」が、全然足りませんでした。

もし、叶うのであれば、これまで誤った 判断をしてしまった

人達に、お詫びしたいです。

 

現在は「相棒」「科捜研の女」のような「刑事物」、

「リーガルV」「京都地検の女」の

ような、「弁護士・検事物」のドラマに対する、見方が変わった事より、

番組の面白さが倍増しました。

どちらも、必ず「正義」「真実」という言葉が、

何度も聞くことができます。

「正義」(Right)・「真実」(Truth)   「 Light」(光)   「 Right)」(右)  

「正義」=  (右翼)?

 

「刑事物」については、「県警、警視庁、警察庁検察庁」の違い、

「それぞれの職位の呼び方」を習得するには、多少の努力は必要です。

(難し過ぎて、覚えるのを、断念しました)、

特に、「職位」は、大事です。

「上の人」が「下の人」を

「怒ったり」「叱ったり」「諭したり」するのは、

当たり前、且つ、何ら変哲も無い話で、

面白くも何ともありません。

しかし、逆となると話は別です。

脚本家が、知恵を絞って考えた意味を、分かってやらないと、

可哀想です。

 

「弁護士・検事物」については、

民法」「民事訴訟法」「刑法」「刑事訴訟法」を、

少し、齧れば(かじれば)、「脚本家」が、意図している事が、

自然に分かってきます。

 

下町ロケット」も、面白いです。

「阿部 寛」が、演じる「佃 航平」は、どこかで

必ず、「チャレンジ」という言葉を使います。

私の信条「チャレンジしない人は、キチガイにも劣る」と、

共通するものがあります。

 

そして、私の1番の過ちは、その番組を面白くしているのは、

主役の「杉下右京・榊マリコ・小鳥遊翔子・鶴丸あや・佃航平 」でなく、

そのドラマの「幹」で、「テロップ?」に、チラッとだけ名前が出る

「脚本家」だったのでした。
「セリフ」も、脚本家が書いた言葉を、言っているだけです。

もっとも、「杉下右京」クラスになると,

脚本家に変更させる事も、できるようです。

 

1つの番組には、脚本家が、何人かいます。

1〜2 時間のドラマの脚本を 、毎週1人で書くのは、不可能です。

同じ番組でも、脚本家が変わると、別の番組になってしまいます。

今日のドラマは、いつもより面白くなかったと感じたら、

違う脚本家が書いた可能性大です。

「上っ面」を、何気なく「見ている」人には、分からないことです。

今、聞いたことのない題名の、2 時間ドラマを見ながら

iPad」を、打っていますが

全然面白くありません。

もうすぐ、「相棒」の再放送です。

脚本家が誰でも面白い事、請け合いです。

この番組の脚本家は、全員優秀なので、「太鼓判」を押せます。

 

私が「相棒」で、1番好きな脚本家は

輿水泰弘」(こしみずやすひろ)です。

渡る世間は鬼ばかり」を書いた「橋田壽賀子」(はしだすがこ)や、

男はつらいよ」を書いた「山田洋次」のような、脚本家には、

「相棒」の脚本を書く事は、

絶対にできません。

 

私は「Spectacles」(スペクタクルズ)という「メガネ」を

かけているので、見誤ることは、少なくなったと、思っています。

メガネは、「Glass」(グラス)と言ったほうが、

分かりやすいと思います。

「サングラス」は、よく使われる、言葉です。

ただ、「glass is on the  desk」と言うと、机の上にあるのが

「メガネ」なのか「ガラス」なのか、

分からないので、「スペクタクルズ」と、言っているだけです。

 

私は、自分の考えを述べる時は 、考えたそのままの言葉を使います。

客観的事実で、自信の無い事は「パソコン」で調べながら、

iPad」でブログを書いています。

そんなには、間違いは無いと思っています。

 

歴史の世界では「海援隊」は「新しい、日本の、夜明けぞい」と

言ったと伝えられるれる?

坂本龍馬」が、率いた組織でズす。

彰義隊」(しようぎたい)は、有名ではありませんが、

大村益次郎」に、滅ぼされたそうです。

私は、「坂本龍馬」が、好きです。

 

話が、かなり、本筋から、それてしまいました。

イエス・キリスト」は「聖書」の中で

「人はパンのみにて生きるにあらず」と、言い、

「人はパン(目に見える結果)だけで生きるのではない、(物欲)

神から出る言葉(目に見えない原因)で生きるのだ」(精神欲が大事)と

諭しました。

その言葉に対し「ルイ16世」の妻「マリー・アントワネット」は、

「パンがなければ、お菓子(ケーキ)を食べればいいじゃない」と、

贅沢を言ったので、

(本当は、ルイ14世の妻、「マリー・テレーズ」が、言ったとの説あり)

飢饉で飢えたていた、貧しい民衆の怒りを買い

フランス革命」が、勃発したそうです。

「漫画」及び、「宝塚歌劇団」の

ベルサイユのばら」(作 : 「池田理代子」)では

「(「私は、ずーと、「里中満智子」と、思っていました」)

ルイ16世と共に、ギロチンで処刑された、

「悲劇の王妃」として、同情を買っています。

どっちが、本当か、わかりません?。

 

「世界三聖人(釈迦、キリスト、孔子)の、一人

(「四聖人となる」と「ソクラテス」が加わる」)

「釈迦(仏陀)」(しゃか・ぶっだ)には

「人は餅のみにて生きるにあらず」と、いう、

発想はなかったのですかね?。

そもそも、「釈迦」は、何を食べていたか、分かりません?。

古代インドには、パンは、無かったと思います?。

インドカレー」でも、食べていたのかも、知れません?。

 

「餅は餅屋」を、英語で言うと

「Better leave it to specialist」と

(「専門家に任せた方が良い」)

   言う、そうです。

「leave」は、

「〜を任せる」という

   意味だ、そうです。