何気なく使ってる言葉の意味

「あちこち」

 

皆さんは、普段何気なく、「あちこち」探し回ると言った事が、ありませんか?。

探すものが「目に見える物」なのか「思い出」や「夢等」の「目に見えない物」なのか、

知りませんが。

でも、私は,まだ、探し足りていない気がします。

「あち」は、「あっち」、「こち」は、「こっち」で、「そっち」が、足りない気がします。

「どこも」(全部)と言うと、探しきった印象が 、見て取れます。

「どこも」は、ケータイの「docomo」では、ありません。

「あっち」を、漢字で書くと、「仮方」「こっち」は、此方」「そっち」は「其方」です。

近い順番に言うと、ここ「此処、」そこ「其処」、あそこ「彼処」と、なります。

全部を 網羅する意味の言葉は、「何処」(いずこも)が、妥当な気がします。

「何処」をも、探して見つけられなければ、私は、諦めます。

そして、違った道を、探します。

 

         「井上陽水」            「夢の中へ」       作詞・作曲 : 「井上陽水

 

探しものは 何ですか?

見つけにくい ものですか?

カバンの中も つくえの中も

探したけれど 見つからないのに

 

まだまだ探す気 ですか?

それより僕と 踊りませんか?

夢の中へ 夢の中へ

行ってみたいと 思いませんか?

 

休む事も 許されず

笑うことは 止められて

はいつくばって はいつくばって

いったい何を 探しているのか

 

探すのを やめた時

見つかる事も よくある話で

踊りましょう 夢のなかへ

行ってみたいと 思いませんか?

 

探しものは 何ですか?

まだまだ探す気 ですか?

夢の中へ 夢の中へ

行ってみたいと 思いませんか?

 

私が、支店を回っていた時、提出してもらい、返却した書類が、見当たらない、

と言う話は、何度も有りました。

そんな話を聞くと、私は支店の人達に電話して、「見つからなくなった物は何ですか?」

と尋ね、「いつか、思いがけない所から、出て来るので心配しないで」と、

「アドバイス」してあげたものでした。

 

「夢の中へ」は、私が19歳、大学2年の時に、発売された歌です。

小さな農家生まれ で、貧乏だった私は、本来大学へ進学できる身分では、有りませんでした。

私より優秀だった兄も、学区内で一番の進学校と言われていた高校(私も同じ)

を 、卒業した後、就職しました。

親は、二男の私には、学歴が必要と判断し、所有していた僅かの山を売って、学費と、

東京での4年間の生活費を、作ってくれました。

父母二人共死んだ今だから、言えますが、私は、4年間に、4日しか授業に出ていません。

その理由は、機会があったら、いずれまた、お話しさせて頂きたいと、思っています。

私と同年代の人には、おおよその見当がつくかもしれませんが。

 

井上陽水は、他にも「傘がない」「人生が二度あれば」等の、名曲を作り、歌いました。

同時代に、活躍した歌手に「小椋佳」が、いました。

東大法学部を卒業し「第一勧業銀行」(現在の「みずほ銀行」に、入行後も、

音楽活動を続けた、異色の歌手でした。

(恐らく、銀行という職柄「副業禁止」だったと思いますが、その知名度故、

銀行は「兼業」を、許したと、私は、思っています)

小椋佳」は、歌の印象と全く違って、歌手のイメージを壊すような、凡庸な風貌で、

且つ、私と同じ「若ハゲ」だったので、メディアに顔を出す事もなく、神秘的な歌手でした。

 

井上陽水」を「動の歌手」と呼ぶなら「小椋佳」は「静の歌手」でした。

私は、当時、今と違って「火曜、木曜な男」(寡黙な男)と、名乗っていましたので、

小椋佳」の方が、好きでした。

小椋佳」は、歌手であると共に、作詞・作曲家として、本当に多くの名曲を、作りました。

国民的歌手であった「美空ひばり」にも「愛燦燦」(あいさんさん)  

(愛「さんざん」ではありません)  という名曲を、作りました。

「さらば青春」という名曲も作りました。

 

私は、支店の人達に、「私の青春は、今だ」と、よく言いました。

「さらば青春」には「少女よ、泣くのは、おやめ」と言う歌詞がありました。

私は、幼げに見える新入生を「少女」と呼び、支店長から「セクハラにならない様

気をつけて下さい」と、アドバイスを受けた事もありました。

しかし、何故か誰からも、面と向かって、「セクハラ」と言われた事は、

一回もありませんでした。

新入生に、後輩ができたので、私が「もう、少女と呼べなくなったね」と言うと、

「私はまだ未熟だから、まだ、少女と呼んでください」と、返事する女性もいました。

昨今、「セクハラ」「パワハラ」問題が、大きく取り上げられています。

(私は、力(職位)が無かったので、「パワハラ」と言われる恐れは、有りませんでした)

「セクハラ」は、当事者が、どう感じるかが問題であり、第三者には、

とやかく言う資格は無いと、私は、考えています。

 

小椋佳」の歌の中でも、1番私が好きだったのは、「シクラメンのかほり」と言う歌でした。

小椋佳」自身も歌いましたが、「布施明」は、違った感性の表現で歌い、

日本レコード大賞」を、獲得しました。

 

   「布施明」     「シクラメンのかほり」       作詞 ・作曲 : 「小椋佳

 

「真綿色」した シクラメンほど

清しいものはない

出逢いのときの 君のようです

ためらいがちに かけた言葉に

驚いたように ふりむく君に

季節が頬をそめて 過ぎてゆきました

 

2番、初めだけ

 

「うす紅色」の シクラメンほど

まふしし ものはない

恋する時の  君のようです

 

3番、初めだけ

 

「うす紫」の シクラメンほと

淋しい ものはない

後ろ姿の 君のようです

 

アウストラロピテクス」→「ピテカントロプス」→「北京原人」・「ジャワ原人

ネアンデルタール人」→クロマニョン人ホモ・サピエンスと、人類は進歩して来ました。

私が、生きている間には、新たな人類は、出てこないでしょう、

私の「感性」は、何故か「栄枯盛衰」を予感します。私は「逆戻り」するのみだと。

今はまだ、「ネアンデルタール人」位だと、私は感じています。

シクラメン」の花の色も、「純情無垢」な色→壮年期を感じさせる、活気ある「眩い色」

→人生の最期が近くなった事を、暗示させる「黄昏色」(たそがれいろ)へと、変化する「宿命」

は、いくらあがいても、変えることは無理です。

しかし、努力することによって、多少なりとも時期を遅らすことは、可能と 、

私は、期待しています。私は、努力を、厭わない(いとわない)つもりです。

 

2,018年9月30日(日)、中学校の同窓会が、ありました。

初めて開催された同窓会(15年位前)には、出席しました。

その時には、私が大嫌いだった先生(無理矢理やらせられた生徒会、部活の顧問だった先生)が、

出席して来たので、以後欠席していました。

その時は、最初に座った席を離れる事をせず、勿論、恩師に酒を注ごうともしませんでした。

恩師は、私を、いぶかしげに、見ていました。私は、新しい名字の名札を付けていました。

旧姓を名乗れば、すぐに気づいたと思います。

 

しかし、私が「脳梗塞」に罹患した事を聞いて、心配している人がいると、聞いていたので、

私の元気な姿を 、見てもらう為に、今回は出席しました。

話を聞くと、「恩師」が出席したのは、初回だけだったそうです。

案の定、皆、私の元気な姿に、驚いたようでした。

貰った名簿を見ると、 10人位は、亡くなっていました。

(名簿は、二次会で、無くしてしまったようです)

私の廃人の様な姿を、想像していたとしても、不思議ではない年齢に、

私達は、既に、なっているのでした。

 

私は、生まれた家を養子になる為に離れ、実家とは少し離れたた街に住んでいます。

訃報の情報が入らず、葬式にも行っていませんでした。

私が、なんら体の不自由を見せず、酒を飲み、タバコを吸い、未来の夢を語る姿に、

少しだけ嫉妬している様な、態度を示した人も、いた様な気がします。

私が、「小林旭」が歌った「熱き心に」のような気持ちで、何人かに夢を語ると、

皆、私の考えに驚きを隠しながらも、賛同し、協力の意を示しました。

 

私は、二次会へ出席する意思を、伝えて有りました。

二次会には、25人程参加しました。内女性は、5人だったと、憶えています。

記憶のない人も、名前を聴くと、当時の顔、部活名、エピソードが、脳裏に浮びました。

せがまれ、カラオケを、15年ぶりかに歌わさせて貰いました。

私は、いきがって、「松山千春」の「時のいたずら」という歌を、選曲していまいました。

酔いも手伝っていたのかも、知れません。

(この歌は、「松山千春」の曲の中でも、一番音程の差が大きく、しかも、

最初から、一番高い音階からスタートします。私が普段軽トラックの中で歌っているCDには、

入っておらず、パソコンの 「YouTube」で聴いたことがあっただけでした)  

 

 結果は、無残なものでした。

私は「ニの轍を踏む」ことは、しないつもりです。

「ニの轍を踏む」(にのてつをふむ)は、「同じ誤ちを繰り返す」という意味です。

「轍」(てつ)は「わだち」(車輪が通った跡)です。

努力の結果 、今は、高い声が出るようになりました。

因みに「二の足を踏む」の意味は「ビビって、前に進めない」という意味です。

 

それでも、次の歌を勧められたので、かつてよく歌っていた「布施明」の

シクラメンのかほり」、続いて「平浩二」の「バスストップ」を、ほとんど、たて続けに、

歌ってしまいまいました。

こちらの評価は、まずまずでした。

自分でも、歌詞に感情が乗っていて、ビックリしました。

 

話が「あちこち」から、外れてしまいました。

 

「3月、9月」の2回ある、「彼岸」とは、「あの世」の事です。

もう過ぎてしまいましたが、平成30年度は、

「春」

  彼岸入り                   中日(春分の日)                 彼岸明け      

3月18日(日)                  3月21 日(水)                 3月24日(土)

「秋」

  彼岸入り                  中日(秋分の日)                 彼岸明け

9月20日(木)                 9月23日(日)                 9月26日(水)

で、「彼岸」は、7日間有ります。

 

「彼岸」に、ほとんどの人が食べる物に「ぼたもち」・「おはぎ」が、有ります。

「もち米」と「白米」を炊き「すりこぎ棒」で、すりつぶした米で、四角張った楕円形の餅を、

作ります。

その上に、茹でた「小豆」(あずき)を、砂糖と、味付けの為に少量の塩を加えて作った、

「餡」(あんこ)を乗せ、 「ぼた餅」・「おはぎ」を、作ります。

大きさは、売っている場所によって様々です。

私が子供だった頃は「おにぎり」より大きくて丸かったです、乗っている「あんこ」は、

少ししか、ついていませんでした。

 

私がビックリしたのは、「ぼたもち」と「おはぎ」の違いを、知らない人が結構いる

と言う事です。

「ぼたもち」を漢字で書くと「牡丹餅」「おはぎ」 を漢字で書くと「御萩」と書きます。

私は、子供の頃、花札ゲームで遊んでいたので、(もちろん、金品は掛けていません)

違いは、知っていました。

「ぼたもち」は、「牡丹」の季節、春の彼岸に食べる事から、「あずき」の粒を、「牡丹」に、

見立て、「こしあん」を、使います。

一方、「おはぎ」は、「萩」の季節、秋の彼岸に食べる事から、「 あずき」の粒を、「萩」に、

見立て、「粒あん」を、使います。

諸説あるようで、私と違う解釈をしている人は、どうか私を「嘘つき」と、言わないで下さい。

コンビニで、春に「おはぎ」を、売っていたので、私が指摘すると「問屋さんが、

持ってきたんだから、正しいんじゃないですか?」と、店員さんに、返事されたのを

憶えています。

 

「カフェオレ」と「カフェラテの違いを知っていますか?。

同じ、「コーヒー・ミルク飲料」だそうです。

フランス語で「カフェオレ」、イタリア語で「カフェラテ」と呼ぶだけの違い、だそうです。

これも諸説あり、責任は負いかねます。

 

「彼岸」(ひがん)に対応する言葉として、「此岸」(しがん)が、あります。

「彼岸」とは「あの世」「此岸」とは「この世」の事です。

「江戸っ子」の様に、「ひ」の発音ができない人は「一生」「この世」で、

苦しみ続けなければ、ならないのかも、しれません。

 

得意の「三途の川」の話をしようと思っていましたが、話すと、途方もなく長くなりそう

なので、機会を改めます。

 

「あちこち」を英語で「Around」と、言うそうです。