何気なく使っている言葉の意味

「指切りげんまん」

 

「皆さん」は「指切りげんまん」という「言葉」を「使った事」が、有りませんか?。

 

ゆびきりげんまん、嘘ついたら、針千本のます、切った」(死んだらごめん)

 

「子供の頃」よく歌った「童謡」です。

 

「自分の誠意」と「相手の誠意」を「極端」な言い方で「表現」しています。

 

・「指切り」とは

    「約束を守る」「誓いを立てる」と、いう意味です。

 

・「げんまん」とは

   「漢字で書く」と「拳万」と、書きます。

    もし「約束を守らなかったら」「拳」(こぶし)で「1万回殴る」(なぐる)と、いう意味です。

 

・「嘘ついたら針千本のます」とは

     もし「約束を守らなかったら」「縫い針」(ぬいばり)を「千本飲ます」と、いう意味です。

 

  「1万回」も「千本」も「具体的な数」では無く「「数多く」と、いう意味です。

 

・「指切った」とは

   「了解しました」と、いう意味です。

 

  「童謡」では「歌われていません」が

  「指切りげんまん」には「続きがある」と、言われています。

 

・「死んだらごめん」とは

   「約束を破った」ら「死んで詫びする」と、いう意味だそうです。

 

  「子供」には「絶対に言わないで」下さい。

  「指切りげんまん」をする「子供」が「いなくなってしまう」かも、しれません。

 

「実は」この「童謡」の「原点」は

「江戸時代」の「浄瑠璃作家」(じょうるりさっか」

近松 門左衛門」(ちかまつ もんざえもん)が、書いた

曽根崎心中」(そねざきしんじゅう) の中の「遊女との契り」と、言われているそうです。

「実際」に「不変の愛を誓う証拠」として「小指の第一関節」から「先」を

「お互いに切って」「相手」に「渡した」とも、言われています。

 

  因みに「大正の歌」に「籠の鳥」(かごのとり) が、有ります。

 

あいたさ 見たさに

こわさを忘れ

暗い 夜道を

ただ ひとり

 

あいに 来たのに

なぜ出て あわぬ

僕の 呼ぶ声

わすれ たか

 

あなたの 呼ぶ声

忘れは せぬが

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出るに 出られぬ

籠の 鳥

 

籠の 鳥でも

知恵ある 鳥は

人目 忍んで

あいに くる

 

人目 忍べば

世間の 人が

怪しい(あやしい) 女と

指 ささん

 

指を ささりょと

恐れは せぬが

私しゃ 出られぬ

籠の 鳥  

 

「籠の鳥」とは「遊女」の事です。

「深窓の令嬢」(しんそうのれいじょう)と「勘違いしていた女性」が、いた気がします。

 

「深窓の令嬢」の意味は「箱入り娘」(はこいりむすめ) と「似て」います。

「令嬢」・「お嬢様」の中でも「世俗から隔離された環境」で、育てられた「娘の事」です。

 

「男の場合」の「言い方」としては

「名門の御曹司」(めいもんのおんぞうし)・「貴公子」(きこうし) 位しか「思い付き」ません。

「いずれにしても」私の「生まれ育った世界」には「縁の無かった」「言葉」です。

 

 

「約束」の「類似語」と、しては

 

「合意」・「契約」・「約定」・「協定」・「調和」・「賛成」・「合点」(がてん) 

「納得」・「承知」・「一致」・「承認」・「同感」・「合致」・「誓う」・「契る」(ちぎる)

「約す」・「デート」・「アグリーメント」・「アポイントメント」

 

  等々が、有るそうです。

 

 

「約束」の「対義語」と、しては

 

「解約」・「反故」(ほご) ・「破棄」・「契約違反」・「裏切り」・「約束破り」

「すっぽかす」・「踏みにじる」・「ひるがえす」

 

  等々が、有るそうです。

 

「テレビドラマ」(特に「ラブストーリー」) を「見ている」と「約束」という「言葉」が

「殆どと言っていい程」「出て」来ます。

 

「約束のないドラマ」なんて「クリープを入れないコーヒー」と「同じ」だと

  私は「思っています。

  何か「物足り」ません。

 

「古いメロドラマ」では「必ず」「偶然の出会い」と「約束」が、有ります。

  そして「約束が守られた場合」は「ハッピーエンド」で、終わります。

 

「ハッピーエンド」の「反対語」は「トラジックエンド」(「Tragic end 」)と

  私は「思って」います。

 

「トラジックエンド」の「意味」は

「悲劇な・悲惨な」「結末」です。

 

「原作者」・「脚本家」の「意図」により「結末」は「変わって」しまいます。

「中には」「ハッピーエンド」なのか「トラジックエンド」なのか「分からないまま」

「終わって仕舞うテレビドラマ」も、有ります。

 

  私が「忘れる事のできない」「約束のドラマ」は

「君の名は」と「3人家族」です。

 

「君の名は」「1,952年」〜「1,954年」に「NHKラジオ」で「放送」された

「ラジオドラマ」です。

「この時間帯」には「銭湯は空」に、なったそうです。

 

「忘却とは忘れ去ることなり」「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という

「名セリフ」は「響きの良い」「名言」です。

 

「君の名は」は「映画化」「テレビドラマ化」「舞台化」されました。

  私は「映画を見た記憶」は、有りません。

  しかし「何故か」「役者名」「登場人物名」を、知っています。

 

「近年」「アニメ化」され「テレビドラマ」になっている「君の名は」とは

「全く違った作品」です。

  しかし「ルーツ」を「感じる事」は「出来」ます。

 

「映画化」された「君の名は」の

「主人公」は「佐田 啓二」(「早大政経学部卒」で・中井 貴一」(「俳優」)、

「中井 貴恵」(「女優」・「エッセイスト」) の「実父」です。

「1,964年8月」「交通事故」により「死亡」しました。

「享年」「39歳」でした。

 

「若くして惜しまれつつ死んだ」「早逝」(そうせい) の「3羽ガラス」の「1人」でした。

  他の2人」は

・「和製ジェームス・ディーン」で「石原 裕次郎」・「小林 旭」の「後継者」と、言われた

   「赤木 圭一郎」(「ゴーカート」での「事故死」・「享年・22歳」)

・「白い巨塔」に主演「クイズタイムショック」の「司会者」を、務めた

   「田宮 二郎」(「散弾銃」による「自殺死」「享年・43歳」

    です。

 

「映画」「君の名は」での「佐田 啓二」の「役名」は「後宮 春樹」(あとみや はるき)でした。

「女性の主役」は「岸 恵子」でしたあ。

「役名」は「氏家 真知子」(うじいえ まちこ) でした。

 

第二次世界大戦」による「東京大空襲」の夜「焼夷弾」(しょういだん) が

「降り注ぐ中」(ふりそそぐなか)「たまたま一緒になった」

「見知らぬ若い男女」(「後宮 春樹」・「氏家 真知子」) は

「助け合って」「銀座の数寄屋橋」まで「たどり着き」ました。

 

「一夜明け」「互いの」「無事」を「確認」しました。

「お互いに生きていたら」「2人が出会った」「半年後」の「11月24日」それが、だめなら

  又「半年後」に「この数寄屋橋で会おう」と「約束」し「互いの名」も「告げぬまま」

「別れ」ました。

 

「戦後の渦(うず)に巻き込まれ」「互いに」「数寄屋橋」で、待つも「再開は叶わず」

「3度目」の「1年半後」に「やっと会え」ました。

しかし「その時」には「真知子」は「既に」「明日嫁ぐ身」(あしたとつぐみ) でした。

 

『「夫との生活に悩む」「真知子」』『そんな「彼女」を「気遣う」「春樹」』

「2人」を「めぐる運命」は「神のいたずら」に、あったかの様に「二転三転」します。

「結局」「紆余曲折」(うよきょくせつ)の末「ハッピーエンド」には「至りません」でした。

 

「ケータイ」の有る「現代では」この様な「原作」「脚本」を「書く事」は

「出来ない」と、私は思います。

 

 

「3人家族」は「1,968年〜1,969年」に「放映」された「テレビドラマ」です。

『「木下恵介・劇場」・「木下恵介・アワー」(「1,964年・10月」〜「1,974年・9月」) まで

「全・25作 )の中で「最高視聴率」(「平均視聴率・30.7%を「マーク」した「30分番組」

「全26話」の「ラブストーリー」でした。

 

「主人公」は「竹脇 無我」(たけわき むが)「役名」「柴田 雄一」と

「栗原 小巻」(くりはら こまき)「役名」「稲葉 敬子」でした。

 

「偶然のいたずら」の様に「6回」も「街で見かけたり」

「電車で顔を合わせたり」した「雄一」と「敬子」は

「互いの名も知らず」「互いに」「惹かれ合い」(ひかれあい) ました。

 

「7度目」の「神のいたずら」で「満員電車の中」で「抱き合う様な姿勢になった2人は」

「初めて言葉を交わし」ました。

  そして「まどろこしく」「2人の気持ち」が「結ばれて」行きました。

 

「時代」は「高度成長期」の「真っ只中」(まっただなか) でした。

ベトナム戦争」が「激化」し「学生運動」が「エスカレート」して、いました。

「出世が幸せに直結」するとの「感覚」が「主流」でした。

 

「雄一」は「エリート」の「商社マン」でした。

『「独身が条件」の「2年間・海外留学制度』に「挑み」「試験に合格」しました。

  しかし、それは「敬子」との「2年間の空白」を、意味しました。

 

「出世」を選ぶか「敬子」を選ぶか「雄一」は「悩み」ました。

「旅行会社に勤務」する「敬子」も「雄一の悩み」を「分かって」いました。

 

『「カイロ」への「海外留学」』を「2週間後」に控えた「ある休日」に「2人」は

「遊園地」で「デート」しました。

 

  そして「敬子」は、言いました。

「2年間なんて、何だ」「私、待ちます」「2年後に、又、ここで、会いましょう」

「雄一」にとっても「何ら依存のない話」であり「「2人」は「再会」を「約束」しました。

  ここで「テレビドラマ」は「終了」しました。

 

「2人」が、為した「約束」が「成就」(じょうじゅ) したのかは、分かりません。

「話の流れ」から「ハッピーエンド」だと、私は思っています。

 

「すれ違う恋人」を「テーマ」とした「3人家族」の「続編」とも「捉えられる」

「二人の世界」(1,970年〜1,971年)  (「30分番組」・「全26話」) が

「制作」されました。

 

「勿論」「役名」「設定」は「違います」が「結婚」し「商社を脱サラ」後

「スナック」を「開店」します。

「最終編」では「子供」を「宿し」ました。

「ハッピーエンド」でした。

「出世だけが幸福になる手段ではない」と、言っているような「脚本」でした。

 

 

「TAK _Z & KIRA」という「バンド」は「トラジックエンド」という「歌」を、歌いました。

「2,017年・12月」に「リリース」されました。

「実らなかった恋」の「切なさ」を「切々と」歌っています。

 

 

「TAK _Z & KIRA」「トラジックエンド」「作詞」:「TAK_Z・KIRA」「作曲」:「HiDEX」

 

あれから時が 経ってもう

あなたは忘れた だろうか

君のいない 部屋は未だ(いまだ) 広いまんま残る

消えない記憶と メモリー

 

伝えたくて  伝えたくて  強がるほど 胸が苦しくて

叫びたくて  叫びたくて  この声殺す程 情けなくて

堪え(こらえ)きれない涙は 愛しさ(いとしさ)の分だけ 溢れる(あふれる)

手放しちゃいけない きっと君だけはそう  分かってた

 

ほどけないよう 固く結んだ 愛なのに

この願い とは 裏腹に 残酷で

 

君で満たされた あの季節がまた  思い出に変わる 凍えた(こごえた)まま

戻れない  トラジックエンド

 

許せないこと ばかり だった

あんなに 愛をくれたのに  君は

今なら あなたを 支えて あげられるよ

だけど叶わない (かなわない)この願い

 

愛したくて  愛したくて  あなたを思うほど届かなくて

ただ虚しくて(むなしくて)    悔しくて(くやしくて)  今は未来すらも 描けなくて(えがけなくて)

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抑えきれない(おさえきれない)想いが増す度に(ますたびに) 胸を 締め付ける(しめつける)

失っちゃいけない ずっと君は一番  大事な人

 

ほどけないよう 固く結んだ愛なのに

この願いとは 裏腹に残酷で

君で満たされた あの季節がまた  思い出に変わる 凍えたまま

戻れない  トラジックエンド

 

何度でも  何度でも

思い出すよ  何してても

君がいつも  教えてくれた  自分を今より愛せるように

信じること  輝くこと  また出会うその日まで

 

ほどけないよう固く結んだ愛なのに

この願いとは裏腹に残酷で

君で満たされたあの季節がまた  思い出に変わる凍えたままに

戻れない  トラジックエンド

 

色褪せぬ(いろあせぬ)想いは 寒い冬を超えて

溶けて(とけて)ゆく  降り積もった雪と共に

君で満たされた あの季節がまた  思い出に 変わる凍えたまま

戻れない  トラジックエンド

 

 

こんなに「歌詞」を、打つのに「苦労した」のは「初めて」です。

 

「籠の鳥」の「歌詞の中」にも「出て」来ましたがが、

「更多更詳儘歌詞 在 * Moj Jim.com  魔鏡歌詞網  」とは

「ネット」での「歌詞サイトの説明」だ、そうです。

「歌の中」では「この部分」は「歌われて」いません。

 

  私は、これまで「何曲もの歌詞」を「書写し」して、来ました。

「他の「歌ネット」の「歌詞サイト」には「この一節」は、有りません。

  私は「運悪く」「この一節の有る」「歌詞サイト」」を「検索してしまった」様です。

 

  これを「究明」する為に「数時間」かを「要し」ました。

  私には『「分からない事」を「分からないまま放置する」』事を

「できるだけしたくない」という「悪い癖」が「昔から」有りました。

  この「悪い癖」のお陰で「随分と無駄な時間」を「潰して」(つぶして) 来ました。

 

「妻から」「24時間・暇な男」と「呼ばれている」私ですから「少々の」「遠回り」も

「意に介する」事は、有りません。

「何故」「歌詞の中に」こんな「意味不明な歌詞」を「挿入」したのか、「意味不明」です。

 

  私は「路を走る時」にも「わざと遠回り」する事が、有ります。 

  すると「今まで見たことのなかった景色」が「見え」ます。

  そして「謎」を「解決出来たこと」が「何度か」有りました。

 

急がば回れ」という「ことわざ」も、有ります。

 

 

 

「西城 秀樹」は「約束の旅〜帰港〜」(やくそくのたび・きこう)という「歌」を、歌いました

「1,986年12月」に「リリース」された「56枚目」の「シングル・レコード」です。

「西城 秀樹」にしては「穏やかな歌」です。

 

西城秀樹」は「1,955年・4月生まれ」で、私より「1歳年下」でした。

「1,972年・3月」「恋する季節」で「デヴュー」しました。

「キャッチフレーズ」は「ワイルドな17歳」で「カタカナ」の「ヒデキ」が「愛称」でした。

 

「同年・11月」「チャンスは一度」で「一躍」「トップ歌手」の「仲間入り」を、果たし

「郷 ひろみ」・「野口 五郎」と、共に「新・御三家」と、呼ばれました。

 

「1,973年」「ちぎれた愛」が「ヒット」し「愛の十字架」で

「第12回・「日本レコード大賞・歌唱賞」を「受賞」しました。

  誰もが「NHK紅白歌合戦」への「出場」を「確実視」して、いましたが「落選」しました。

 

「日本には元々」「歌はじっくり聴かせるものだ」という「固定観念」が、有りました。

  そうした「古い概念」を持つ「重鎮達」(じゅうちんたち) が

「西城 秀樹」の「大胆な衣装をまとい」「体全体を使いながら」「絶叫する歌唱法」は

NHK」で「放送」されるには、余りにも「規格外」だと「評価」した為だ、そうです。

 

「1,974年」「傷だらけのローラ」で「2年連続」で「第16回・日本レコード大賞・歌唱賞」を

「受賞」しました。

「この実績」により「NHK出場」に「異を唱える者」(いをとなえるもの) は、無くなり

「同年」の「第25回・NHK紅白歌合戦」で「文句なく」「初出場」しました。

快傑ゾロの衣装」を「纏い(まとい)「トップバッター」を「務め」ました。

 

「1,979年」には「社会現象」にまで、なった「外国人作曲家」の「カバー曲」

「YOUNG・MAN」(Y・M・C・A)が「大ヒット」しました。

日本レコード大賞」は「邦楽」(ほうがく) が「審査対象」の為

「YOUNG・MAN」は、「対象外」でした。

 

「西城 秀樹」は「勇気があれば」で「第21回・日本レコード大賞」に「エントリー」し

「ジュディー・オング」の「魅せられて」と「激しい大賞争い」を、しましたが

「敗れ」ました。

 

西城秀樹」には「熱狂的な女性ファン」が多く「コンサート」では

「失神する若い女性」が「数多く出」たり、中には「舞台に駆け上がろうとする人」も、おり

「収拾がつかなくなった事」も「数多く」有ったそうです。

 

「山口 百恵」や「岩崎 宏美」など「同世代のアイドル」達にも

「西城 秀樹」の「ファン」は「多かった」そうです。

若き獅子たち」で「第18回・日本レコード大賞・歌唱賞」を「受賞した時」には

「同じ壇上にいた彼女達」は「自分の事のよう」に「号泣した」という

「エピソード」が、有ったそうです。

 

「山口 百恵」から「ラブレター」を「もらったと言う噂」が「まことしやかに

「ささやかれ」ました。

 

「2,001年・秋」「46歳の時」「仕事から帰宅した際」「妻に」『「ふらつく」

「しゃべり辛い」』と「不調」を「訴え」ました。

「病院での検査結果」は「脳梗塞の中で1番軽い」「ラクナ梗塞」で「緊急入院」しました。

  (私が「罹患」(りかん)したのも「ラクナ梗塞」でした)

「疾患は軽度」で「再発の心配は無い」と「診断」され「1週間」で「退院」しました。

 

「2,003年」「韓国」での「ディナーショー」で「2度目の脳梗塞」を「発症」しました。

「ディナーショー」を「やり遂げ」「空路帰国」し「日本の病院」に「入院」しました。

 

「1ヶ月間」「懸命のリハビリ」後「復帰会見」を「行い」ました。

  しかし「歌手の命」とも言える「言葉を正確に発音する事」が「出来」ず

「引退」を「覚悟」しました。

 

  しかし「奥さん」に『「すぐに結論を出さず」「ゆっくり」「直して」いけば』と「諭され」

「芸能活動を続け」ながら「「回復に励む道」を「選び」ました。

 

「2,004年」「著書」「あきらめない・脳梗塞からの挑戦」を「発表」しました。

「同じ病気を患った(わずらった) 人達に役立てば」と「医療シンポジウム」などでの

「講演」も「積極的」に「行い」ました。

 

「2,006年」「51歳の時」「最初の脳梗塞発症後」「5年振り」に

「最後のシングル「「めぐり逢い 」・「same  old  story 〜男の生き様〜」を

「発売」しました。

 

「2,011年」「3度目」の「脳梗塞」が「発症」しました。

「右半身麻痺」の「後遺症」が「残り」ました。

「懸命のリハビリ」により「舞台に立つ事」が「出来る」ように、なりましたが

脳梗塞」の他に「小脳の機能」に「障害を及ばす」「多系統萎縮症」も「併発」していると

「診断」され「徐々に」「蝕まれて」(むしばまれて) 行きました。

 

「2,018・4・25」「自宅」で「家族団らん中」に「倒れ」「意識が戻る事」無く

「2,018・5・16」「永眠」しました。

「昭和を代表」する「スーパースター」が「また1人減り」ました。

「享年・64歳」でした。

 

 

 

「西城 秀樹」「約束の旅〜帰港〜」「「作詞」:「森田 由美」「作曲」:後藤 次利」

 

ためらうままに  ためた手紙

あふれるほど  両手に

 

潮風のなか  祈る思い

デッキに立ち  眼をこらす

 

淋しい日は  この愛

涙に 唄ったよ   

 

強く君に  打ち寄せると

信じ つづけて

 

遠い旅が 終わる

目の前に 愛が近づく

 

ああ かわらない

笑顔が 胸を射す(さす)

 

なんて言えば いいか

言葉さえ もどかしいくらい

 

ああ 抱きしめて

君を 確かめたい

悲しいほど 会いたかった

 

時に おし流されて

離されゆく 怖さ

 

待っててくれ そう言えずに

別れた あの日

 

君を連れて ゆくよ

今度でる 船は未来へ

 

もう ぼくだけの

夢は 追わないから

 

なんて言えば いいか

言葉さえ もどかしいくらい

 

ああ 抱きしめて

君を 確かめたい

もう ひとりに 決してしない

 

君を つれてゆくよ

今度でる船は 未来へ

 

もう ぼくだけの 

夢は 追わないから

 

なんて  言えば いいか

言葉さえ もどかしいくらい

 

ああ 抱きしめて

君を 確かめたい

もうひとりに 決してしない

 

 

「指切りげんまん」を「英語」で

 

「keep  promises」

 

(「約束を守る」)

 

と、言うそうです。