何気なく使っている言葉の意味

「可愛さ 余って・憎さ百倍」

(「かわいさ あまって・
    にくさ ひゃくばい」)

 

「皆さん」は

「可愛さ 余って・憎さ百倍」

   と、いう

 

「ことわざ」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「可愛さ 余って・憎さ百倍」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

・「可愛い と・いう」
 「気 持・ち」が

 「強けれ ば・強い」

 「程」

 

 「一・旦」

 「憎しみ の ・感情」が

 「湧・け」ば

 「そ の・憎しみ」は

 「並大抵 で・無い」と

 「いう・意味」の

 「ことわざ」だ

  そうです。

 

「可愛さ 余って・憎さ百倍」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「日 頃・から」

 「可愛がっ て・いた」

 「相・手」や

 「恋焦がれ て・いた」

 

 「相・手」に

 「裏切られ たり・して」

 「ひと たび・憎い」と

 「思う ように・なる」と

 

 「そ の・憎しみ」は

 「可愛さ よりも・強く」

 「愛 と・憎しみ」は

 「表 裏・一体」で

 

 「有 る・事」が

 「由・来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「可愛さ 余って・憎さ百倍」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼」は

 「入 社・以来

 「手塩 に・かけ」て

 「可愛がっ て・きた」

 

 「後・輩」が

 「陰・で」

 「彼の・悪口」を

 「言っ て・いる」と

 

 「風 の・便り」で

 「知・り」

 「可愛さ 余って・憎さ百倍」と

 「成・り」

 

 「口を 聞く・気」も

 「無く なって・しまった」

    そうだ。

 

・「友・人」は

 「ウンザリ する・ほど」

 「彼女の のろけ・話し」を

 「し て・いた」が

 

 「別れ た・途端」に

 「可愛さ 余って・憎さ百倍」で

 「彼女の 悪口・ばかり」

 「言 っ・て」いる。

 

「可愛さ 余って・憎さ百倍」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「愛は 憎しみの・始めなり」

   (「あいは にくしみの・

       はじめなり」)

 

・「人を 愛して・いる」と

 「知ら ない・間」に

 「相手 に・対し」て

 「何かを 望んで・しまい」

 

 「思う ように・ならない」と

 「いと しい・気持」も

 「憎 し・み」へ

 「変わって・しまう」と

    

 「い う・意味」の

 「ことわざ」で

 「愛は 憎悪の・始めなり」

    と も

 

 「表 現・する」

    そうです。

 

「可愛さ 余って・憎さ百倍」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。


・「憎い 憎いは ・可愛いの 裏」

 (「にくい にくいは・

        かわいいの うら」)

 

・「男と 女の・間」に

 「生ま れる・感情」は

 「とても わかり・にくく」て

 「微妙 な・もの」で

 

 「憎いと いう・表現」は

 「裏 を・返せ」ば

 「愛し て・いる」

    と、いう

 

 「気持ち の・場合」も

 「有・る」

    と、いう

 「意・味」の

 

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 

「美川 憲一」は

(「みかわ けんいち」)

 

「女心も 知らないで

    貴方が にくい」の

「歌詞 が・ある」

 

「釧路 の 夜」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1968・年」に

「リリース」

   し た

「11 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「美川 憲一」は

「1946 年・生まれ」で

「長野 県・諏訪 市」

「出・身」の

 

「歌・手」

「俳・優」

「タレント」です。

 

「独身 の・母親」と

「妻 子・ある」

「男性 との・間」に

「生 ま・れ」ました。

 

「母 は・一人」で

「美 川」を

「育て て・いました」が

「美川 が 2 歳の・時」に

 

「肺・結核」を

「患・い」
(「わず ら・い」)

「母の 姉・夫婦」に

 

「養子 と・して」

「引 き・取られ」

   ました。

 

「小 学・3 年生」の

「時」に

「養・父」は
「急・逝」しました。

 

「美 川」が

「自・身」の
「出生 の・真実」を

「知っ た・のは」

 

「中 学・1 年生」の

「時」でした。

 

「中学校 を・卒業後」に

「二人 の・母親」を

「養おう と・して」

「芸能界 を・目指し」て

 

「単身 にて・上京」し

「タレント・養成所」の

東宝 芸術・学校」に

「入・学」し

 

「アルバイト」で

「学費 と・生活費」を

「賄・い」ました。
(「まかな・い」)

 

「1964・年」
「18 歳の・時」に

「大 映・ニューフェイス」に

「合・格」しました。

 

「当・初」は
「役者 志望・でした」が

「プロダクション」の

「意・向」で

「歌手 に・転向」

   しました。

 

「1965・年」
「19 歳の・時」に

「リリース」

   し た

 

「ファースト・シングル」

「だけど だけど だけど」で

「歌 手・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

「青春 歌謡・路線」で

「美 少年・キャラクター」

   でした。

 

「代 表・曲」に

 

「さそり座 の 女」

「新潟 ブルース」

「釧路 の 夜」等が

「有・り」ます。

 

「1966・年」に

「ムード 歌謡・路線」に

「転 向・して」

「リリース・した」

 

「岐阜 県」の

「ご 当地・ソング」で

「サード・シングル」の

「柳ヶ瀬 ブルース」が

 

「120・万枚」を

「売 り・上げ」

「ミリオンセラー」を

「記 録・する」

 

「大・ヒット曲」に

「成・り」

「一躍 に・して」

「人 気・歌手」の

 

「仲 間・入り」を

「果 た・し」ました。

 

「同・曲」は
「同名 の・タイトル」で

「映画 化・され」
「自身 も・出演」し

 

「俳 優・デビュー」

   しました。

 

「1967・年」に

「リリース・した」

「7 th・シングル」

「新潟・ブルース」は

 

「カラオケ」で

「広 く・歌われ」

「リクエスト」

「ランキング 」で

 

「1・位」に

「成・り」ました。

 

「1968・年」に

「リリース・した」

「11 th・シングル」
「釧路 の 夜」が

 

「自身も 出演・した」
「同名 の・映画」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「上 記・3 曲」は

「ご 当地・ソング」

「シリーズ」

   と、して

 

「知 ら・れて」

   います。

 

「1971・年」に

「リリース」

   し た

「21 th・シングル」


「お金を ちょうだい」は

「当時 と・して」は

「奇抜 な・タイトル」と

「話題 に・なる」も

 

「保 守・的」な

NHK」は

「放 送・禁止」と

   しました。

 

「1972・年」に

「リリース・した」

「25 th・シングル」
「さそり座 の 女」が

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

「星 占い・ブーム」が

「起 こ・り」ました。

 

1984・年」に

大麻 取締法・違反」で

「現 行 犯・にて」

「逮 捕・され」

 

「懲 役・1 年 6ヶ月」

「執行 猶予・3 年」の

「有 罪・判決」を

「受・け」ました。

 

「マスコミ」の

「記 者・会見」で

「誘惑 の・悪魔」に

「唆 さ・れた」と

(「そそのか」)

 

「弁・明」し
「謝・罪」しました。

 

「以・後」

「テレビ」の
「出 演・機会」が

「大幅 に・減り」

 

「スナック・回り」

「地方 の・温泉」

   で の

「公・演」等

 

「暗黒 の・時代」が
「続・き」ました。

 

「1980 年代・終盤」に

「巻 き・起こった」

「ものまね・ブーム」の

「到来 に・伴い」

 

「ものまね・タレント」

「第 一人・者」の

「コロッケ に・よる」

「美川 の・ものまね」や

 

「ちあき なおみ」と

「共 演・した」

「キンチョー」

「蚊取 り・線香」の

 

「C・M」が

「話題 と・なり」
「奇跡 の・復活」を

「果 た・し」ました。

 

「1991・年」に

「コロッケ・との」

「ヂュエット・にて」

「自身 の・代表曲」

 

「さそり座 の 女」で

「17 年・振り」に

「紅 白・歌合戦」に

「出・場」しました。

 

「毒・舌」 と

(「どく・ぜつ」)
「オネエ・

   キャラクター」が

「好評 を・博し」

「バラティー・番組」に

「数 多く・出演」

   しました。

 

「見かけ に・よらず」

「男気 が・強く」

「芸 能・界」の

ご意見番 と・して」

 

「確 固・たる」

「地・位」を

「確 立・して」

   います。

 

「現 在・77 歳」
   です が

 

「毎・年」
「新曲 を・発表」し

「現 役・にて」

「第・一線」で

 

「活躍 して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」
   で は

 

「生・涯」
「独・身」を
「貫い て・来た」

「様」です。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,968・年」の

「釧路 の 夜」〜

「2,009・年」の
「さそり座 の 女」まで

    (「7 回・目」) 

 

「通 算・26・回」

「出・場」しました。

 

「美川 憲一」

「釧路 の 夜」

「作・詞」「作・曲」
「宇佐 英雄」

 

貴方の つめたい その ひとみ

(「あなた」)

なぜに 私を いじめる の

やさしく 抱いて 欲しい のに

女心 も 知らない で

貴方が にくい 貴方が にくい

 

風の つめたい 釧路川

今日も 一人で 来てみた の

しばれた 心を 抱きしめ て

女心 も 知らない で

貴方が にくい 貴方が にくい

 

霧は 降る 降る 今日も 又

一人歩き の ヌサマイ 橋よ

船の 汽笛も 泣いて いる

女心 も 知らない で

貴方が にくい 貴方が にくい

 

 

※「坊主 憎けりゃ・

     袈裟まで  憎い」

(「ぼうず にくけりゃ・

    けさまで  にくい」)

 

「坊主 憎けりゃ・

   袈裟まで  憎い」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「坊 主・には」

 「短く 刈った・髪型」や

 「男 の・幼児」等の

 「意味 も・有ります」が

 

 「この ことわざ・では」

 「僧・侶」を

 (「お 坊・さん」)

 「指 し・て」います。

 

 「袈 裟・とは」

 「僧・侶」が

 「肩 に・かける」

 「法衣 の・事」で

 (「ほうえ」)

 

 「左肩 から・右脇下」に

 「かけて 纏う・衣装」で

           (「まとう」)

 「法事 等・には」

 「欠 か・せ」ません。

 

 「坊主 憎けりゃ・

       袈裟まで憎い」

    と は

 「憎 い・僧侶」が
 「身に つけて・いる」

 

 「袈 裟・までも」が

 「憎・い」と

 「感じ ら・れる」

 「事」より

 

 「一旦 嫌いに・なる」と
 「その人 に・関する」

 「全て の・事」が

 「憎 く・思える」や

 

 「そ の・人」と

 「親しい 人・までも」が

 「嫌い に・なる」

    と、いう

 

 「ネガティヴ」で

 「ストレート」な

 「表現 の・ことわざ」だ

    そうです。

 

 「因・み」に
 (「ち な・み」)

 「袈裟 の・色」で

 「僧侶の・階級」が

 「分 か・り」ます。

 

 「緋・色」
 (「ひ・いろ」)
 「紫・色」

 「緑・色」

 「水・色」

 「茶・色」
 「黒・色」の

 「順・だ」

    そうです。

 

「坊主 憎けりゃ・

   袈裟まで 憎い」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「江 戸・時代」の

 「徳 川・幕府」の

 「寺 請・制度」が

 (「てら うけ せいど」)

 

 「由・来」だ

    そうです。

 

 「寺請 制度・とは」

 「全て の・人々」が

 「いずれか の・寺院」の

 「檀家に なる・こと」を

 

 「強制 させ・られ」て

 「檀家 に・なった」

 「寺 院・から」

 「寺請 証文と・いう」

   (「てらうけ しょうもん」)

 

 「身 分・証」を

 「受け 取ら・なけれ」ば

 「なら ない・制度」だ

    そうです。

 

 「江 戸・幕府」や

 「諸・藩」は

 「僧侶 を・通じ」て

 「宗 教・統制」

 

 「特・に」

 「キリシタン」を

 「排除 する・ため」に

 「各 寺院・から」

 

 「檀家 の・名簿」を

 「提 出・させ」

    ました。

 

 「これ に・より」

 「寺・院」は
 「幕 潘・体制」に

 「従属する 事に・なり」

 

 「汚・職」が
 「まん延した 事・から」

 「僧侶 を・憎む人」が

 「多 く・なり」

 

 「坊主 憎けりゃ・

       袈裟まで 憎い」

    と、いう

 「言葉 が・生まれた」

    そうです。

 

「坊主 憎けりゃ・

   袈裟まで 憎い」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼」は

 「犬猿 の・仲」の

 「同・僚」が
 「大・嫌い」で

 

 「坊主 憎けりゃ・

       袈裟まで 憎い」

 「様」に

 「同僚 と・親しい」

 「人」は

 

 「全・員」

 「嫌・い」に

 「成っ て・しまった」

    そうだ。

 

・「彼・女」は

 「恋・人」の

 「何気 ない・態度」で

 「本性 に・気付き」

 

 「喧嘩 別れ・した」が

 「坊主 憎けりゃ・

  袈裟まで 憎い」で

 「もら っ・た」

 「プレゼント」も

 

 「に わ・か」に

 「気に 入らなく・なり」

 「全・て」

 「捨 て・て」しまった。

 

「坊主 憎けりゃ・

   袈裟まで 憎い」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「親が 憎けりゃ・子も 憎い」

   (「おやが にくけりゃ・

       こも にくい」)

 

・「親を 憎む・あまり」に

 「罪の ない・子供まで」

 「憎く 思えて・しまう」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「坊主 憎けりゃ・

   袈裟まで 憎い」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「惚れ た・欲目」

   (「ほれ た・よくめ」)

 

・「異・性」を

 「好・き」に
 「成っ て・しまう」と

 「相手 の・全て」が

 

 「実 際・より」も

 「良く 見えて・しまい」

 「その人 以外・なら」

 「欠点と 思える・事」も


 「長所に 見えて・しまう」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「平田孝雄 と・

   セルスターズ」は

(「ひらた たかお と

     セルスターズ」)

 

「悪魔が にくい」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,971・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「平田 隆夫 と

   セルスターズ」は

「1968・年」に

「結 成・した」

「男 女・混合」

 

「4 人・組」の

(「当 時・6 人組」)

「音 楽・グループ」
   です。

 

「1971・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「悪魔 が 憎い」で

「デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

「100・万枚」を

「越 え・る」

「売 り・上げ」を

「記 録・する」

「ミリオン・セラー」に

「成・り」

オリコン・1 位」の

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「悪魔 が 憎い」

「ハチ の ムサシ は 死んだ のさ」

「急げ 風の ように」等 が

「有・り」ます。

 

「1972・年」に

「リリース・した」

「セカンド・シングル」

「ハチ の ムサシ は 死んだ のさ」は

 

オリコン・8 位」

「な が・ら

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「太陽 に・挑み」

「負 け・て」

「死ん で・しまった」

「ハチ の・物語」で

 

「寓話 的・歌詞」が

(「ぐうわ てき」)

「評判 に・なり」

「自身 の・代表 曲」の

「一曲 に・成り」

 

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

(「紅 白・出場」は

「この・1 回 のみ」)

 

「歌・詞」を

「ハ チ・から」

「ハ エ」に

「変 え・て」

 

キンチョール

「殺 虫・剤」の

「C M・ソング」に

「起 用・され」

 

日本テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・アニメ」

「天 才・バカボン」の

 

「挿入 歌・にも」

「起 用・され」

   ました。

 

「同・年」に

「リリース・した」

「サード・シングル」

「急げ 風のように」が

 

「フ ジ・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「時代 劇・ドラマ」

「浮世絵 女ねずみ小僧」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「1976・年」に

「8 年・間」の

「グループ・活動」に

「終止符 を・打ち」

 

「惜しま れ・つつ」

「解・散」しました。

 

 

「平田 隆夫 と・セルスターズ」

「悪魔が にくい」

「作・詞」「作・曲」

「平田 隆夫」

 

おまえ が 好きさ 好き なんだ

たまらなく 好き なんだ

おまえ の いない 夜は つらい

苦しみ つのる ばかり

 

だけど どうにも ならない

たまらなく 好き だけど

一人 迎える 朝は つらい

夜明けが 胸に しみる

 

僕には 何故か わからない

おまえ の 移り気 が

あんなに 愛し合った はず なのに

おまえ が 欲しい

 

おまえ の 胸に 忍び込んだ 悪魔が

僕は にくい Tyu tyu tyu tyu ・・

 

おまえ が 好きさ 好き なんだ

抱きしめて いたいんだ

あの日 おまえ の 愛は 消えた

悲しみ つのる ばかり

 

だけど どうにも ならない

帰らない 愛なんだ

涙に 濡れる 夜は 長い

孤独に 耐える だけさ

 

おまえ の 為なら いつだって

命も おしく ない

すべて おまえ の 為に 生きている

おまえ が 欲しい

 

おまえ の 胸に 忍び込んだ 悪魔が

僕は にくい

おまえ の 為なら いつだって

命も おしく ない

すべて おまえ の 為に 生きている

おまえ が 欲しい

 

おまえ の 胸に 忍び込んだ 悪魔が

僕は にくい

おまえ の 胸に 忍び込んだ 悪魔が

僕は にくい

 

Uuh uh uh uh ・・

 

 

「可愛さ 余って・憎さ百倍」を

「英・語」で


 「The deepest love turns into 

    the deepest hatred」と

 

 (「最高の 愛も 最大の 憎悪に

     変わり うる」)

 

 「言・う」そうです。