何気なく使っている言葉の意味

「負うた 子を・三年 探す」

 (「おうた こを・さんねん さがす」)

 

「皆さん」は

「負うた 子を・三年 探す」

   と、いう

 

「ことわざ」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「負うた 子を・三年 探す」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「探 し・もの」が

 「身近 に・ある」

 「事」に

 「気付 か・ず」に

 

 「長 い・間」
 「あ ち・こち」を

 「探 し・回る」

 「事」を


 「た と・え」た

 「ことわざ」だ

     そうです。

 

「負うた 子を・三年 探す」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

・「子・供」を

 「背中 に・負ぶった」

 「事」を

 「忘れ て・しまい」

 

 「どこ へ・行った」と

 「子・供」を

 「三年間 も・探す」

 「事」が

 

 「由・来」だ

    そうです。

 

「負うた 子を・三年 探す」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「フランス」の

 「童 話・作家」

 「モーリス・

    メーテルリンク」の

 

 「代 表・作」

 「青 い・鳥」も

 「負うた 子を・三年 探す」と

 「同 じ・く」

 

 「探 し・物」は

 「身近 に・ある」

 「事」を

 「教訓 に・した」

 

 「有・名」な

 「童・話」だ。

 

・「彼・女」は

 「帽子 を・かぶった」

 「事」を

 「忘れ て・しまい」


 「負うた 子を・三年 探す」

 「様」に

 「そ の・帽子」を

 「家 中・あちこち」と

 

 「躍起 に・なって」

 (「やっき」)

 「探 し・回って」

    いた。

 

「負うた 子を・三年 探す」の

「類 義・語」を

「検 索・して」も

「ピン と・来」ません。

 

・「灯台 下・暗し」

 (「とうだい もと・くらし」)

 

・「灯台・とは」
 「海 を・照らす」

 「灯台 では・無 く」
 「電気の ない・時代」に


 「部屋 を・照らした」

 「灯 明・台」の

   (「とう みょう・だい」) 

 「事」だ、そうです。

 

 「灯 明・台」は

 「高 い・場所」に

 「設 置・した」

 「皿」に

 

 「油 を・浸し」

 「燈芯 の・炎」で
 「部屋 を・明るく」

 「照ら し・ました」が

 

 「構 造・上」

 「皿の 下・に」

 「灯り が・届 かず」

 「暗 い・まま」でした。

 

 「この こと・より」

 「灯明台 の・下」は

 「暗 い・こと」

       か ら


 「身近  な・もの」は

 「逆・に」

 「見つ け・づらい」

      と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」です。

 

「負うた 子を・三年 探す」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「木を 見て・森を見ず」

   (「きを みて・もりをみ」)

 

・「欧・米」の
 「ことわざ が・由来」で

 「木・だけ」を

 「見 て・いる」と

 

 「森・全体」を

 「見 る・こと」が

 「出 来・ない」

 「事」より

 

 「物・事」の

 「全体 を・見渡す」

 「視野 が・無い」

 「為」に

 

 「些細 な・事」に

 (「ささい」)
 「こだわ り・過ぎ」て

 「気 を・取られ」て

       いる と

 

 「大事 な・こと」や

 「本・質」を

 「見落とし て・しまう」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「井上 陽水」は

(「いのうえ ようすい」)

 

「探しものは 何ですか?

   見つけ にくいもの ですか?」の

「歌詞 が・ある」

 

「夢の 中へ」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,973・年」に

「リリース」

   し た

「サード・シングル」で

 

「大・ヒット」し
「自・身」の

「代表曲 の・一曲」に

「成・り」ました。

 

「井上 陽水」は

「1,948 年・生まれ」で

「福岡 県・飯塚 市」
「出・身」の

 

「シンガー・

   ソング・ライター」

「作 詞・家」

「作 曲・家」です。

 

「中学生 の・頃」
   か ら

ビートルズ」に

「熱・中」し

 

「仲間 内・のみ」
   なら ず

「町 内・でも」
「音楽 狂 と・して」

 

「知 ら・れて」

   いました。

 

「県・立」

「西田川・高校」を

「卒 業・後」

 

「父」が

「地・元」で

「開 業・する」

「歯 科・医院」の

 

「後 継・者」と

「成 る・事」を
「周 囲・から」

「期 待・され」

 

「公・立」

「九州 歯科・大学」を

「受 験・する」も

「不合格 と・なり」

 

「浪 人・生」

   と、して

「予 備・校」に

「通・い」ました。

 

「翌・年・に」

「受 験・する」も

「失・敗」し

「二 ・浪」を

 

「そ し・て」

「次の 年・にも」

「受験する も・失敗」し

三浪 を・経験」し

 

「更・に」

「翌 年・にも」

「受 験・する」も

「失・敗」し

 

「大 学・進学」と

「歯科医 に・なる」
「事」を

「諦・め」ました。

 

「そ の・後」

「父 を・はじめ」

「家族 や・周囲」

   に は

 

「上・京」し

「大 学・進学」を

「目 指・す」と

「嘘 を・つき」

 

「歌・手」に

「成 る・為」の

「活・動」を

「始・め」ました。

 

「1,969・年」

「21 歳の・時」に

「リスナー・参加」の

「ラジオ・番組」に

 

「100・本」の

「自・作」の

「デモ・テープ」を

「持 ち・込み」ました。

 

「同・テープ」は

「ラジオ・番組」の

「中」で

「放 送・され」

 

「多・く」の

「リスナー・から」

「リクエスト」の

「要求 が・あり」

 

「番 組・関係者」

   か ら

「音 楽・事務所」を

「紹 介・され」ました。

 

「1,972・年」

「24 歳の・時」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

 

「人生 が 二度 あれば」で

「メジャー・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は
「200 位・以下」で

オリコン・圏 外」

   でした。

 

「代 表・曲」に

 

「少年 時代」

「夢の 中へ」

「傘が ない」等が

「有・り」ます。

 

「同・年」に
「ファースト・アルバム」

「断 絶」を

「リリース」しました。

 

「同・アルバム」は

オリコン・8 位」の

「ヒット・作」に

「成・り」

 

「陽水 の・名前」は

「一躍 に・して」

「全・国」に

「知 れ・渡り」ました。

 

「1,973・年」に
「リリース・した」

「4 th・シングル」

「心 もよう」が

 

オリコン・7 位」

   と、なり

「自身 の・出世作」に

「成・り」ました。

 

「同・年」に

「リリース」

   し た

「サード・アルバム」

 

「氷 の 世界」が

「自 身・初」の

オリコン・1 位」を

「達・成」し

 

「日 本・初」の

「ミリオン・セラー」

「アルバム」に

「成・り」ました。

 

「1,974・年」に

「リリース・した」

「4 th・アルバム」

「二色 の 挟楽」

 

「1976・年」に

「リリース・した」
「5 th・アルバム」

「招待状 の ないショー」

 

「1,993・年」に

「リリース・した」

「14 th・アルバム」

「UNDER THE SUN」が

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「1,985・年」に
「リリース」

   し た

「ファースト」

 

「カバー・アルバム」

「9、5 カラット」が

オリコン・1 位」で

「且・つ」

 

「自・身」

「2  作・目」の

「ミリオン・セラー」に

「成・り」ました。

 

「同・年」

「同・アルバム」で

「レコード・大賞・

   作曲 賞」と

 

「アルバム・賞」を

「受・賞」

   しました。

 

「1,977・年」

「29 歳の・時」に

大麻 所持・容疑」で

「逮 補・され」

 

「東京 地裁・から」

「懲 役・8 ヶ月」

「執 行・猶予」

「2・年」の

 

「有 罪・判決」を

「受・け」ました。

 

「記 者・会見」で

「陽 水」は

「自分 は・酒」が

「飲め ない・ので」

 

「くつ ろぐ・為」に

マリファナ」を

「吸っ・た」と

「発・言」しました。

 

「1,999・年」に
「デビュー・30 周年」を

「記 念・して」

「13 th・ベスト アルバム」

 

「GOLDEN BEST」を

「リリース」し

「ダブル・ミリオン」を

「記・録」しました。

 

「現・在」

「74 歳・です」が

「最新 の・情報」を
「ネット」で

 

「見 つ・ける」

「事」が

「出 来・ません」

    でした。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,974・年」

「26 歳 の・時」に

「熊本 県・出身」の

「一般人・女性」と


「結 婚・しました」が

「すれ違い を・理由」に

「1,976・年」に

「離・婚」しました。

 

「1,979・年」

「30 歳 の・時」に

「4 才・年下」で

「ハーフ の・歌手」

 

「石川 セリ」と

「再・婚」し
「同・年」に

「長・女」が

「そ の・後」に

「長・男」と
「二・男」が

「誕・生」しました。

 

「紅 白・歌合戦」
   へ  の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「井上 陽水」

「夢の 中へ」

「作・詩」「作・曲」

「井上 陽水」

 

探しもの は 何ですか?

見つけにくい もの ですか?

カバン の 中も つくえ の 中も

探した けれど 見つからない のに

 

まだまだ 探す気 ですか?

それより 僕と 踊りませんか?

夢の中 へ 夢の中 へ

行って みたい と 思いませんか?

 

休む事 も 許されず

笑う事 は 止められて

はいつくばっ て はいつくばっ て

いったい 何を 探して いるのか

 

探すのを やめた 時

見つかる 事も よくある 話で

踊り ましょう 夢の 中へ

行って みたいと 思い ませんか?

 

探しもの は 何ですか?

まだまだ 探す気 ですか?

夢の中 へ 夢の中 へ

行ってみたい と 思いませんか?

 

 

※「負うた子に 教えられ て・

     浅瀬を 渡る」

(「おうたこに おしえられ て・

    あさせを わたる」)

 

「負うた子に 教えられて・

   浅瀬を 渡る」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「年 長・者」で
 「長 く・人生」の

 「経験 を・積んだ」

 「者」でも

 

 「時」には

 「自分より・年下」で

 「経験 の・浅い」

 「者」に

 

 「物・事」を
 「教 わ・る」

 「事 も・有る」

    と・いう」

 

 「意・味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「負うた子に 教えられて・

   浅瀬を 渡る」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「小さ な・子供」は

 「一 人・では」

 「川を 渡る・事」は

 「出 来・ない」が

 

 「親 の・背中」に

 「負 ぶ・さった」

 「子・供」は

 「高い 目線・から」


 「浅瀬 と・淵」を

              (「ふち」)
 「見分け る・事」が

 「出・来」

 

 「そ の・子」に

 「教え ら・れて」
 「親」は

 「深み に・はまらず」に

 

 「無・事」に

 「川 を・渡れた」
 「事」が

 「由・来」の

 

 「ことわざ」で

 「上・方」
 (「京・都」)

 「いろは・かるた」の

 

 「一・つ」だ

    そうです。

  

「負うた子に 教えられて・

   浅瀬を 渡る」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「負うた子に 教えられて・

       浅瀬を 渡る」

    と、いう

 「ことわざ」が

 「有 る・から」

 

 「新 入・社員」の

 「言 葉・にも」

 「真・剣」に

 「耳 を・傾ける」べきだ。

 

・「人・生」の
 「ベテラン・でも」

 「パソコン や・スマホ」の

 「操・作」は


 「若・者」に

 「か な・わ」ない。

 

 「負うた子に 教えられて・

    浅瀬を 渡る」

 「様」に

 「余・分」な

 「見栄 を・張らず」に

 

 「時」には

 「教え て・もらう」

 「事」も

 「必・要」だ。

 

「負うた子に 教えられて・

   浅瀬を 渡る」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「愚者 も・一得」

   (「ぐしゃ も・いっとく」)

 

・「愚か 者・でも」

 「た ま・には」

 「良い考え方 を・する」

    の で

 

 「愚か者 の・話」も

 「良く 聞く・こと」が

 「大・事」だ
    と、いう

 

 「た と・え」の

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「負うた子に 教えられて・

   浅瀬を 渡る」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「河童 の・川流れ」

   (「カッパ の・かわながれ」)

 

・「カッパ」は

 「水辺 に・棲む」

 (「みずべ に・すむ」)

 「想像上 の・妖怪」で

 

 「泳・ぎ」が
 「大 の・得意」と
    されて、います。

 

 「そん な・カッパ」

    で、さえも

 「油 断・する」と

 「川 の・水」に

 

 「流さ れて・しまう」や

 「簡・単」な

 「失敗 を・する」

    と、いう

 

 「忠告の・意味」を

 「持・つ」

 「ことわざ」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

ケツメイシ」は

 

「教わり ながら

   大人に なった 」の

「歌詞 が・ある」

 

「トモダチ」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2,002・年」に

「リリース」

   し た

「4 th・シングル」で

 

「テレビ・東京 系」で

「放 送・され」た

「年 越・番組」

「JAPAN COUNT DOWN」の

 

「エンディング・テーマ」に

「起 用・され」て

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

ケツメイシ」は

「1,993・年」に
「結 成・した」

「男 性・4 人 組」の

 

「音 楽・グループ」

   です。

 

「グループ・名」の

「由・来」は
「中・国」で

「古 代・より」

 

「下剤 と・して」

「使用され て・いた」

「薬・草」
「決 明 子」です。

(「ケツメイシ」)

   

「薬草 の・効能」

   よ り

「全 て・出し尽くす」

   と、いう

 

「意・味」が

「込められ て・いる」

   そうです。

 

「2 年・間」の

「インディーズ」

「経・験」を
「経・て」


「2,001・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「ファミリア」で

「メジャー・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

オリコン・36 位」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「さくら」

「友よ〜 この先もずっと」

「バラード」等が

「有・り」ます。

 

「有 名・人」の

「中 に・も」

「熱 狂・的」な

「ファン が・多く」

 

ベッキー
「石川 亜沙美」

「上戸 彩」

「島谷 ひとみ」が

 

「有・名」だ

   そうです。

 

「多・く」の

「スポーツ・選手」も

ケツメイシ」の

「歌」を

 

「好ん で・歌う」

   そうです。

 

「シングル・曲」

   で は

 

「2,005・年」に

「リリース」

   した

「11 th・シングル」

 

「さくら」が

「初」の

オリコン・1 位」で

「自 身・最大」の

 

「セールス」を

「記・録」

   しました。

 

「2,006・年」に

「リリース・した」

「12 th・シングル」

「旅 人」と

 

「シングル・曲」が

「2 作・連続」で

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「アルバム・作品」

   で は

 

「リリース・した」

「17・作品」の

「内」

「6・作品」が

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「特」に

「2,005・年」に

「リリース」

   し た

 

ケツメイシ・4」は

「ダブル・ミリオン」を

「記・録」しました。

 

「映 像・作品」

   で は

 

「リリース・した」

「13・作品」の

「内」

「6・作品」が

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2,021 年・12 月」に

「リリース・した」

「12 th・アルバム」

「ケツメノポリス・12」が

 

オリコン・3 位」に

「成・り」

「人気 に・翳り」は

「有・り」ません。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「2,021・年」に

「ライフ・イズ・

   ビューティフル」で

     (「特 別・枠」)

「初・出場」しました。

 

 

ケツメイシ

「トモダチ」

「作・詞」「作・曲」
ケツメイシ

 

ずっと 友だち だが 時は 経ち

変わりゆく 街の 中で 共に 育ち

この街 から力溜め 一から の

             (「ちからため」)

スタート を 切った 君に 幸 あれ

 

ずっと 友だち だが 時は 経ち

離れた街 と 町で 別々の 道

選んだり Random された 人生を

共に 生きてる 君に 幸 あれ

 

あれから いくつか の 歳

重ねて いつの日 か 過ぎてた 日々

意味も なく 語り明かした 公園 の

鉄棒も 今じゃ 小さく 見え

見えてた あの山の 向こう も

今じゃ マンション だらけ コンクリート

ゆっくり 流れた 時間

気づかぬ 内に 過ごした

未完成 の 時間 ジタ バタ しながら も

見たままの 物を 信じた そして 笑った

あの頃 の ダチ 街から 離れても 変わらず

同じ気持ちで 変わらず この街 で

また 出会ったなら その足 で

更に 変わった 街 見つめ ながら

語り明かそう あの頃 の 気持ち で

 

僕らは 出会って 何年 経ってん だっけ?

もどかしい 矛先 を そこら に 大人 に

ぶつけ合い 互い 教わりながら 大人 に

なった 今 わかった 今 僕たちは 友だち

歴史の 寝息と 共に 変わる 景色

懐かしい 街並み は たちまち あちら に

 

育った 町から 巣立った ダチ でも

変わらない 気持ち それこそ が 命

あれから 何年 汗 ばらまいて

お前らは 未だ 走り続けてろ だろう?

常に 前上 見てる 決める myway の

気持ちで 祈り それが 愛しい

 

離れても 与えて 生き様 に やられて

友と 共に 登り出して 本物 の 男に

なる 日 わかる日 までが 共に 変わる日

なあ そうだろう?

そうなろう また 会おう 笑って

 

ずっと 友だち だが 時は 経ち

変わりゆく 街の 中で 共に 育ち

この街 から 力溜め 一 からの

スタートを 切った 君に 幸 あれ

 

ずっと 友だち だが 時は 経ち

離れた街 と 町で 別々の 道

選んだり Random された 人生 を

共に 生きてる 君に 幸 あれ

 

変わりゆく 街の中 で 時は 経ち

思い思い 形にして 旅立ち

もう 見慣れた のか 景色 見上げた 空

いつの間 にか 星の数 へった 夜空

遠く どこ に 居るだろう か 友は

届く ほど に 声上げ た「ここだ」

 

あの日 から 時の 流れの 中

あの街 は どこか 思い出 置いた まま

気付かず 忘れること も ある だろうが

あの頃 から 見れば 共に 育ち 大人

胸に 夕日の色 焼きついて ますか

俺ら 別々の 道進む 進めば

明日が 僕らを 創る

変わってく 中

変わらない ものも ある から

常 に 胸 に 君 に 夢 に

だれ かれ と 別れ 重ね

それぞれ と 与え 離れ

未知の日 に 向かって

走り出す 道のり

一途に 遠く 届 く 互 い  

長い 道のり

 

だれ かれ と 別れ 重ね

それぞれ と 与え 離れ

幾つも の 出会い は

理屈ない 願い お前

俺の 財産 だと ここに 書いたん だ

 

新た なる 旅立ち の 前に

君の 思い出 を

いつか 話せよ また 会った なら

すべて 話せよ また 会った なら

 

今も お前が 不安に 思う 事・・

 

いつか 話せよ また 会った なら

すべて 話せよ また 会った なら

 

今 思えば 不安だった あの 頃・・

 

いつか 話せよ また 会った なら

すべて 話せよ また 会った なら

 

 

「負うた 子を・三年 探す」を

「英・語」で

 

 「Search ror child who bears 

    for three years」と

 

 (「負うた 子を・三年 探す」)

 

 「言・う」そうです。