何気なく使っている言葉の意味

「浅い川も 深く・渡れ」

(「あさいかわも ふかく・わたれ」)

 

「皆さん」は

「浅い川も 深く・渡れ」

   と、いう

 

「ことわざ」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「浅い川も 深く・渡れ」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「せせらぎ の・音」が

 「聞こえ て・くる

 「様」な

 「小さ な・浅瀬」の

 

 「浅 い・川」も

 「深い 川 ・だと」

 「思 っ・て」

 「慎重 に・渡れ」と

 

 「いう 意味・から」

 「転 じ・て」

 「些細な 事・にも」

 (「ささい」)

   

 「用心 す・べき」だ

    と、いう

 「戒め の・ことわざ」だ

    そうです。

 

「浅い川も 深く・渡れ」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「一 見・して」

 「浅く見える 川・にも」

 「危険が 潜んで・いる」

 「可能性 が・ある」や

 

 「見 かけ・以上」に
 「深いかも 知れ・ない」し

 「さほどの 事で・ない」と

 「たか を・くくり」

 

 「油断 する・のは」

 「禁物 で・ある」と

 「い う・事」が

 「由・来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「浅い川も 深く・渡れ」の

「代 表・的」な

「使 用・例」

「下・記」だ、そうです。

 

・「上・司」は

 「一 見・して」

 「簡単そう に・思える」

 「仕 事・でも」

 

 「浅い川も 深く・渡る」

 「様」に

 「用心 して・取り組む」

 「必要 が・ある」と

 

 「彼」に

 「教え て・くれ」た

    そうだ。

 

・「浅い川も 深く・渡り」

 「決して 油断・するな」と

 「いつ も・監督」に

 「注意されて いた・のに」

 

 「格下 の・相手」と

 「油断 した・せい」で

 「野・球」の
 「トーナメント」

 

 「初・戦」で

 「負け て・しまい」

 「勝・利」を

 「確信 して・いた

 

 「応援 席・から」

 「一・斉」に

 「ブーイング」が

 「巻 き・起こ」った。

 

「浅い川も 深く・渡れ」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「念には 念を・入れよ」

   (「ねんには ねんを・いれよ」)

 

・「注意 す・べき」
 「状況 の・中」で

 「更に 注意を・重ね」

 「用心. した・上」に

 

 「重ねて 用心・する」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「浅い川も 深く・渡れ」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「危ない 橋を・渡る」

   (「あぶない はしを・わたる」)

 

・「今」にも

 「崩れ 落ち・そう」な

 「危険な 橋を・渡る」

 「事」より

 

 「自分 の・目的」を

 「達成 する・為」に

 「危険を 承知の・上」で
 「敢 え・て」

 (「あ え・て」)


 「危な い・手段」を

 「用 い・る」

    と、いう

 「意・味」で

 

 「一般 的・には」

 「法律 に・触れる」

 「す れ・すれ」の

 「事」を

 

 「行 う・時」に

 「使 用・する」

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 

「倍賞 千恵子」は

(「ばいしょう ちえこ」)

 

「せせらぎ の 歌に

   この空の 色に」の

「歌詞 が・ある」

 

「世界の 約束」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「せせらぎ」

   と は

「漢・字」で
「細流 と・書き」

 

「小川 の・浅瀬」に

「水」が

「流れ て・いる」

「場・所」や

 

「ピチャ・ピチャ」

   と、いう

「水」の

「流れ る・音」です。

 

「2,004・年」に

「リリース」

   し た

「77 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「倍賞 千恵子」は

「1,941 年・生まれ」で

「東京 都・北 区」

「出・身」の

 

「女・優」
「歌・手」

「声・優」

「タレント」で

 

「愛・称」は

「チコ・ちゃん」

   です。

 

「実・妹」は

(「じつ・まい」) 

「2,022 年・10 月」に

「没 し・た」
「プロレスラー」

 

「アントニオ・猪木」の
「元・妻」で

「女・優」の

「倍賞 美津子」です。

 

「実・父」は
「都電 の・運転士」で

「実・母」は

「都電 の・車掌」 でした。

 

「幼少 の 頃・から
「のど 自慢・荒らし」

   と、して

「知 ら・れ」

 

「みすず・児童 合唱団」を

「経・て」

「1,957・年」に

「松竹 音楽舞踊・学校」に
「入・学」し

 

「1,960・年」に

「同・高校」を
「首・席」で

「卒・業」しました。

 

「同・年」に

「松 竹・劇団」に

(「S K D」) 

「入・団」し

 

「若 く・して」

「逸・材」と

(「いつ・ざい」) 

「注 目・され」

 

「同・年」に

「東京 踊り」で

「初・舞台」を

「踏・み」ました。

 

「1,961・年」

「20 歳の・時」に

「松 竹・映画」に

「スカウト・され」


「斑・女」に

(「はん・にょ」)

「準・主役」

「出 演・して」

「女 優・デビュー」

   しました。

 

「1,963・年」
「22 歳の・時」に

「山田 洋次・監督 の
「松 竹・映画」

 

「下町 の 太陽」で

「初・主演」

   しました。

 

「1,969 年〜1,995 年」

   ま で

「26 年・間」

「続 い・た」


「山田 洋次・監督」の

「指 揮・下」で

「渥美 清」と

「W 主演・した」

 

「男 は つらいよ」

「シリーズ」

「全・48 作」に

「連 続・出演」

   しました。

 

「渥美 清」が

「扮・する」

(「ふん・する」)

「テキ・屋」の

「トラ さん・こと」

 

「車 寅次郎」の

(「くるま とらじろう」)

「妹・役」

「さくら」を

「好・演」し

 

「ブルー・リボン」

「最 優秀・女優 賞」と

「日 本・アカデミー賞

   最優秀 主演 女優 賞」を
「受・賞」し

 

「庶民 派・女優」

   と、して

「不動 の・人気」を

「獲・得」しました。

 

「2,004・年」に

「スタジオ・ジプリ」

「製・作」で

「宮崎 駿・監督」の

(「みやざき はやお」)

 

「アニメ・映画」

ハウル の 動く城」で

「ヒロイン」

「ソフィー」の

 

「声 を・担当」し

「声優 と・して」

「デビュー」

   しました

 

「歌・手」と

   して は

 

「1,963・年」

「22 歳の・時」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

 

「下町 の 太陽」で

「デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

「自・身」が

「主 演・した」

「同名 の・映画」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

「大 ヒット・曲」に

「成・り」


「レコード・大賞・
   新人 賞」他

「各種 新人賞・レース」を

「総ナメ に・して」

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「下町の 太陽」

忘れな草を あなたに」

「世界の 約束」等が

「有・り」ます。

 

「歌 謡・曲」

「ポピュラー・ソング」

「童・謡」

「唱・歌」等

 

「幅広 い・ジャンル」を

「歌 い・こなす」

「事」に

「加・え」て

 

「良 く・伸びる」
「ソプラノ」と
「日本語 の・発音」の
「美し さ・から」

 

「歌手 と・して」も

「非・常」に

「高 い・評価」を

「得・て」います。

 

「1,966・年」に

「リリース・した」

「34 th・シングル」

「おはな はん」が

 

NHK・テレビ」で

「放 送・され」た

「連続 テレビ・小説」

「おはな はん」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

「大・ヒット」
   しました。

 

「1,971・年」に

「リリース」

   し た

忘れな草 を あなたに」が

 

「菅原 洋一」と

「競作 に・なり」

「共」に

「大・ヒット」し

 

「抒 情・歌」

(「じょ じょう・か」)

   と、して

「広 く・知られ」

 

「梓 みちよ」他

「多く の・歌手」に

「カバー・され」

   ました。

 

「2,004・年」に

「リリース・した」

「77 th・シングル」

「世界の 約束」が

 

「スタジオ・ジプリ」

「制 作・映画」

ハウルの 動く城」の

「主 題・歌」に

 

「起 用・され」て

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「2,005・年」に

「紫 綬・褒章」を

(「し じゅ・ほうしょう」)

「受・賞」しました。

 

「2,013・年」に

「旭 日・小授賞」を
(「きょく じつ・
    しょうじゅしょう」)

「受・賞」しました。

 

「現 在・81 歳」

   です が

 

「北海道」の

「別・荘」で

「暮ら す・こと」が

「多・く」

 

「仕事が ある・時」は

「東京 の・自宅」で

「生活 を 送って・いる」

   そうです。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,976・年」

「35 歳の・時」に

「8 歳・年下」の

「俳・優」

 

「小宮 健吾」と

「結 婚・する」も

「1,980・年」に

「離・婚」しました。

 

「二人 の・間」に

「子供 は・いない」

   そうです。

 

「1,993・年」

「52 歳の・時」に

「8 歳・年下」の

「作 曲・家」

 

「小六 禮次郎」と

(「ころく れいじろう」)

「再・婚」しました。

 

「二・人」は

「仲・むつまじい」

「おしどり・夫婦」

   と、して

 

「知られ て・いる」

   そうです。

 

「紅 白・歌合戦」
   に は

 

「1,963・年」の

「下町 の 太陽」〜

「1,966・年」の

「おはな はん」まで

 

「4 年・連続」で

「出・場」しました。

 

 

「倍賞 千恵子」

「世界の 約束」

「作・詞」「谷川 俊太郎」

「作・曲」「木村 弓」

 

涙の奥に ゆらめく ほほえみ は

時の 始めからの 世界の 約束

 

いまは 一人でも 二人の 昨日 から

今日は 生まれ きらめく

初めて 会った日の ように

 

思い出 の うちに あなたは いない

そよかぜ と なって 頬に 触れてくる

木漏れ日 の 午後の 別れの あとも

(「こもれび」)

決して 終わらない 世界の 約束

 

いまは 一人でも 明日は 限りない

あなた が 教えて くれた

夜に ひそむ やさしさ

 

思い出 の うちに あなたは いない

せせらぎ の 歌に この空の 色に

花の 香りに いつまでも 生きて

 

 

※「深い川は 静かに・流れる」

(「ふかいかわは しずかに・
    ながれる」)

 

「南・アメリカ」の

「ブラジル」を

「流 れ・る」

「アマゾン・川」は


「河 口・から」

「1,000・km」

「遡 上・した」

(「そ じょう」) 

「オビドス 村・付近」で

 

「水・深」が

「91 m・あり」

「世 界・一」

「深 い・川底」と

 

「言われ て・いる」

   そうです。

 

「深い川は 静かに・流れる」の
「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「真」に

 「能力 が・あり」

 「思 慮 ・深い」

 「人」は

 

 「悠・燃」と

 (「ゆう・ぜん」)

 「し て・いて」

 「や た・ら」に


 「騒ぎ 立て・ない」と

 「い う・たとえ」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「深い川は 静かに ・流れる」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「英・語」の

 「ことわざ」

 「Still waters run deep」の

 「日本 語・訳」が

 

 (「深い川の 流れ は

    浅い川の 様 に

    水音を 立てず

    静かで ある」)

  

 「由・来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「深い川は 静かに・流れる」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「深い川は 静かに・流れる」

    と、い う

 「ことわざ」が

 「有・る」が

 

 「寡・黙」な

 (「か・もく」)

 「彼」にも

 「き っ・と」

 

 「考え が・ある」に

 「違・い」ない。

 

・「深い川は 静かに・流れる」と

 「言・う」が

 「彼・女」は

 「何・時」も

 「能ある鷹 は・爪を隠す」

 「様」に

 「ドッシリ」と

 「構 え て・いる」が

 「いざ と・なる」と

 「とてつ も・ない」

 「力」を

 「発揮 する・ので」

 

 「周囲 の・人達」は

 「彼女の・力」を

 「尊 敬・する」と

 「共」に

 

 「普 段・との」
 「ギャップ の・大きさ」に

 「呆 れ・返って」

    いる。

 

「深い川は 静かに・流れる」の

「類 魏・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「大智は 愚の・如 し」

  (「だいちは ぐの・ごとし」)

 

・「知恵の ある・人」は

 「それ を・ひけら かす」
 「事」は

 「しない・から」

 

 「一・見」

 「愚か に・見える」

    と、いう

 「意・味」の

 

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「深い川は 静かに・流れる」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「鳴く猫は 鼠を・捕らぬ」
 (「なくネコ は ネズミ を・とらぬ」)

 

・「しきりに 鳴く・ネコ」は

 「ネズミ を 捕まえる・事」が

 「あまり上手で・無い」

 「事」より

 

 「口数 が・多く」

 「よく しゃべる・人」に

 「限 っ・て 」

 「口 先・ばかり」 で


 「実行力 が・無い」
 「事  を

 「例え た・ことわざ」だ
       そうです。

 

 

「新沼 謙治」は

(「にいぬま けんじ」)

 

「爽やかな 朝靄の 中を

   静かに 流れる川」の

「歌詞 が・ある」

 

「ふるさとは 今もかわらず」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2,012・年」に

「リリース」

   し た

「52 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「新沼 謙治」は

「1,956 年・生まれ」で

「岩手 県・大船渡 市」

「出・身」の

 

「演 歌・歌手」

「俳・優」

「タレント」です。

 

「ズーズー・弁」

「丸出し で・話す」

「朴訥 と・した」

(「ぼくとつ 」)

 

「歌手 と・して」

「知 ら・れて」

   います。

 

「1,971・年」に

「地元 の・中学校」を

「卒 業・後」に

「集 団・就職」で

 

「上 京・する」も

「職 を・変え」

「栃木 県・宇都宮 市」の

「左 官・会社」に

 

「就・職」し

「3 年・間」の

「社会 人・生活」を

「経・験」しました。

 

「1,975・年」

「19 歳の・時」に

「日 本・テレビ 系」の

「オーディション・

   番 組」

 

「スター・誕生」で

「見事 に・合格」し

「男・性」

「史 上・最多」の

 

「17・社」の

「音楽 事務所・から」

「オファー」を

「受・け」ました。

 

「1,976・年」

「20 歳の・時」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

 

「おもいで 岬」で

「歌 手・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

オリコン・38 位」の

「スマッシュ・ヒット」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「嫁に 来ないか

「ふるさとは 今もかわらず」

「ヘッド・ライト」等が

「有・り」ます。

 

「同・年」に

「リリース・した」

「セカンド・シングル」
「嫁に 来ないか」が

 

「大・ヒット」し

「レコード・大賞・

 新人 賞」他

「各種 新人賞・レース」を

「総 ナメ に・して」

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」

   しました。

 

「2,012・年」に

「リリース・した」

「52 th・シングル」で

「東 日本・大震災」の

 

「復興 応援・ソング」

「ふるさとは 今もかわらず」が

「合唱曲 と・して」

「数・多く」の

 

「小 中・学校」で

「歌 唱・され」

   レコード・大賞・
   企画 賞」を

「受・賞」しました。

 

「現 在・6 7 歳」

   です が

 

「メディア・への」

「露・出」は

「ほとん・ど」

「無・く」

 

「稀・に」に

「コンサート」で

「歌っ て・いる」

   そうです。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,986・年」

「30 歳の・時」に

「7 才・年上」の

「バトミントン・選手」で

 

「世 界・一」に

「4 回 君臨・した」

「世 界・的」

「プレーヤー」の

 

「湯木 博恵」と

(「ゆき ひろえ」)

「結・婚」しました。

 

「二・人」の

「馴 れ・初め」は
 (「な れ・そめ」)

「バトミントン」が

「趣 味・だった」

 

「新 沼」の

「故郷 で・ある」

「岩手 県」
「大船渡 市」を

 

「現・役」を

「引 退・直後」の

「湯木 博恵」が
「訪・れ」

 

「新 沼」を

「指 導・した」

「事」が

「キッカケ」で

 

「5 年・間」の

「交際 を・経て」

「結・婚」しました。

 

「二・人」は
「超 の・付く」

「おしどり・夫婦」で

「知ら・れ」

 

「一 男・一女」に

「恵ま・れ」ました。

 

「2,011・年」に

「博 恵」は

「甲状 腺・ガン」の

「診 断・にて」

 

「享 年・63 歳」で

「他・界」しました。

 

「妻」が
「亡 く・なった」

「当・日」

「新 沼」は

 

「東 日本・大震災」

「チャリティー
   コンサート」に

「出場 して・いて」

 

「最期 を・看取る」

(「さいご を・みとる」)

「事」は

「出 来・ません」

   でした。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,976・年」の

「嫁に 来ないか」〜

「1,990・年」の

「渋谷 ものがたり」まで

 

「通 算・13 回」

「出・場」しました。

 


「新沼 謙治」

「ふるさとは 今もかわらず」

「作・詞」「作・曲」
「新沼 謙治」


爽やか な 朝靄の 中を

(「さわやか な あさもや」)

静か に 流れる 川

透き 通る 風は 身体を すりぬけ

薫 る 草の 青さよ

(「かおる」)

緑 豊かな ふるさと 花も 鳥も 歌うよ

君 も 僕 も あなた も

ここで 生まれた

あ あ ふるさと は 今も かわらず

 

この 町で あなた に 出逢えて

本当 に 良かった

ありがとう ふるさとの 青空よ

友 よ 君に 逢いたい

緑 豊かな ふるさと 花も 鳥も 歌うよ

君 も 僕 も あなた も

ここで 育った

あ あ ふるさと は 今も かわらず

 

みんな で 声を かけ 合って

力 合わせ て 生きて きた

遠い 山並み その 姿

いつも 静か に 見つめ てる

 

緑 豊かな ふるさと 花も 鳥も 歌うよ

君 も 僕 も あなた も

ここで 育った

あ あ ふるさと は 今も かわらず

 

ふるさと 未来 へ 続 け・・

 

 

「浅い川も 深く・渡れ」を

「英・語」で

 

 「Cross the shallow river deeply」と

 

 「浅い川も 深く・渡れ」と

 

 「言・う」そうだ。