何気なく使っている言葉の意味

「登 竜・門」
(「とう りゅう・もん」)

 

「皆さん」は

「登 竜・門」
   と、いう

 

「ことわざ」を

「使った・事」は

「有・り」ませんか?

 

「登 竜・門」の
「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「そ の・門」を

 「突 破・すれ」ば

 「出世 や・成功」に

 「つな が・る」

 

 「難し い・関門」の

 「た と・え」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」で

 

 「入 学・試験」や

 「企業 の・採用面接」

 「オーディション」

 「等」の

 

 「様々 な・場面」で

 「こ の・言葉」が

 「使 わ・れる」
    そうです。

 

「登 竜・門」の
「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「竜 門・とは」

 「中国 の・黄河」の

 「上流 に・ある」

 「竜 門・山」を

 

 「切 り・開い」て 

 「出来 た・急流」だ

    そうです。

 

 「そ の・竜門」を

 「登 り・切った」

 「鯉」は

 (「コ イ」)

 「竜になると・いう」

 

 「言い 伝え・から」

 「登 竜・門」

    と、いう

 「ことわざ」が

 

 「生 ま・れた」

    そうです。

 

「登 竜・門」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「か つ・て」は

 「映・画」で

 「美空 ひばり」と

 「共演 する・事」が

 

 「一流 俳優・への」

 「登竜門・だった」

    そうだ。

 

・「彼」は

 「大学 4 年生 の・時」

 「人生 の・登竜門」

 「と も・言える」

 

 「第 一・志望」の

 「採 用・面接」に

 「遅 刻・して」

 「面・接」を

 

 「受け られ・ない」

    と、いう

 「一生 の・不覚」で

 (「いっしょう の・ふかく」)

 

 「最・低」な

 「ド・ジ」を

 「踏ん で・しまった」

    そうだ。

 

「登 竜・門」の
「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「鯉 の・滝登り」

   (「コイ の・たきのぼり」)

 

・「黄河 上流に・ある」

 「竜門の滝 と・呼ばれる」

 「急流を 登り・切った」

 「コイ」は

 

 「竜 と・化す」

    と、いう

 「伝説 に・基づく」

 「表・現」で

 

 「立 身・出世」や

 「勢いの 良い・こと」の

 「た と・え」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「登 竜・門」の
「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「うだつ が 上がら・ない」

   (「うだつ が あがら・ない」)

 

・「う・だつ」は

 「漢・字」で
 「宇立 や・卯建」等と

 「書・く」そうです。

 

 (「木偏の 付く・一文字」の

 「うだつ の・漢字」が

 「有 り・ます」が

 「パソコン・では」

 

 「出 て・来る」も

 「iPad・では」

 「出 て・来」

      ません。)

 

 「うだつ は・中世」の

 「建 築・用語」で

 「隣家 との・境」に

 「造った・防火壁」で

 

 「防火 の・他」に
 「華・美」な

 「家の 装飾・にも」

 「成・り」

 

 「うだつ を 造る・には」

 「多額 の・費用」が

 「必・要」で

 「財 力・誇示」の

 

 「象・徴」と
 (「しょう・ちょう」)

 「言わ れて・いた」

    そうです。

 

 「この こと・より」

 「うだつ が 上がら・ない」

    と は

 「いつ まで・経って」も

 

 「出世 出来・ない」や

 「財力 が・無く」

 「暮らし・向き」が

 「一・向」に

 

 「良く なら・ない」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 

「畠山 みどり」は

(「はたけやま みどり」)

 

「出世 街道」

(「しゅっせ かいどう」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「歌詞 に・ある」

「一ぽんどっこ・とは」
(「いっぽんどっこ」)

「漢・字」で

「一本 独鈷 と・書き」

 

「こ の・世界」は
「どこ へ・行って」も

「結・局」は
「繋がって・いる」と

 

「い う・意味」の

「様」です。

 

「1,962・年」に

「リリース」

   し た

「サード・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

「私」は

「歌 の・歌詞」が

「好・き」で

「小学生 の・時」

「こ の・歌」を

「頻・繁」に
「口ず さ・ん」で

「い た・ので」

 

「今・で」も

「歌・詞」は
「記 憶・して」

   います。

 

「し か・し」
「聞いて いる・人」が

「引 い・て」

「しまう と・思い」

 

「カラオケ」で

「歌っ た・事」は

「一・度」も

「有・り」ません。

 

 

「畠山 みどり」は

「1,939 年・生まれ」で

「北海道・稚内 市」

「出・身」の

 

「演 歌・歌手」

「タレント」です。

 

「1,957・年」に
「道・立」

「士 別・高校」を

(「し べつ・こうこう」) 
「卒 業・後」

 

「デザイナー」を

「志・し」て

「単 身・にて」

「上・京」し

 

「ファッション」の

「専 門・学校」

「文化 服飾・学院」に

「入・学」しました。

 

「し か・し」
「幼少の 頃・から」の

「歌手 の・夢」を

「捨 て・切れ」ず

 

「退 学・して」

「古賀 政男・

   ギター 学院」に

「再・入学」し

 

「歌」の

「レッスン 」に

「励・み」

   ました。

 

「1,960・年」

「21 歳の・時」

「ラジオ」で

「放 送・され」た

 

「ニッポン・放送」の

「のど 自慢・番組」

「トップ・ライト・ショー」で

「優・勝」し

 

「レコード・会社」
「日 本・コロンビア」に

「スカウト・され」

   ました。

 

「1,962・年」

「23 歳の・時」に

「リリース」

   し た

 

「ファースト・シングル」

「恋は 神代の 昔から」で

(「かみよの むかし」)

「デビュー」しました。

 

「同・曲」は

「当時 と・して」は

「異例 と・なる」

「150・万枚」を

 

「売 り・上げ」る

「ミリオン・セラー」に

「成・り」ました。

 

「袴 を・履いた」

(「はかま を・はいた」)

「巫 女・姿」の

(「み こ」)

 

「歌謡 浪曲・路線」 で

「一躍 に・して」

「全国 に・名」が

「知 れ・渡り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「出世 街道」

「恋は 神代の 昔から」

「人生 舞台」等が

「有・り」ます。

 

「同・年」に

「リリース・した」

「サード・シングル」

「出世 街道」が

 

「250・万枚」を

「売 り・上げ」

「ダブル・ミリオン」を

「記 録・する」

 

「空・前」の
「大 ヒット・曲」と

「成・り」

「一・気」に


「スター・ダム」に

「の し・上がり」

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「芸能 界・随一」の

「健 康・マニア」

   と、しても

「有・名」で

 

「1,975・年」に
「出 版・した」

「紅茶 キノコ・健康法」が

「脚光 を・浴び」

 

「1,983・年」に

「出 版・した」
「ポカポカ あたため て

   グングン やせる」が

 

「50・万部」を

「セールス・する」

「ベスト・セラー」に

「成・り」ました。

 

「芸能界・きって」の

「株・トレーダー」

   と、して も

「知 ら・れ」

 

「バブル・景気」に

「乗・り」
「47・億円」を

「稼 ぎ・出し」ました。

 

「し か・し」

「バブル 崩壊に・より」

「25・億円」の
「借金 が・残り」

 

「周 囲・から」

「自 己・破産」を

「薦 め・られ」

   ました。

 

「し か・し」

「みどり は・奮起して」

「バラエティ・番組」

「等」にも

 

「積極的 に・進出」し
「精力的 に・活動」し

「借金 の・返済」に

「駆 け・回り」

 

「2,017・年」
「78 歳の・時」に

「遂 に・借金」を

「完・済」しました。

 

「現 在・83 歳」

   です が

 

「2,016・年」

「77 歳の・時」に
「自・身」の

「喜・寿」と

(「き・じゅ」)

「歌 手・生活」

「55・周年」を

「記 念・して」

「70 th・シングル」

「人生 舞台 〜

   私は 旅人じゃ ない〜」を

「リリース・する」

「等」で

 

「歌 手・業」に

「専・念」 し

「思い出 の・メロディー」

「等」の

 

「テレビ・出演」で

「精 力・的」に

「活躍 して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,965・年」

「26 歳の・時」に

「フジ・テレビ」の

「ディレクター」

 

「千秋 与四夫」と

(「せんしゅう よしお」)

「結・婚」し
「同・年」に

「第一子・長男」が

 

「誕・生」

   しました。

 

「時・期」は

「不 明・です」が

「夫 は・他界」し

「長 男・夫婦」と

 

「一・緒」に

「御 殿 場」で

「暮らし て・いる」

   そうです。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,963・年」の

「出世 街道」〜

「1,966・年」の

「どさんこ 一代」まで

 

「通 算・3 回」

「出・場」しました。

 

 

「畠山 みどり」

「出世 街道」

「作・詞」「星野 哲郎」

「作・曲」「市川 昭介」

 

やるぞ みておれ 口には ださず

腹に おさめた 一途な 夢を
                      (「いちず」)

曲げて なるかよ くじけちゃ ならぬ

どうせ この世 は 一ぽん どっこ

 

男 のぞみ を つらぬく 時にゃ

敵は 百万 こちら は ひとり

なんの 世間 は こわくは ないが

おれ は あの娘 の 涙が つらい

              (「こ」)

 

他人に 好かれて いい子に なって

(「ひと」)

落ちて いくときゃ 独りじゃ ないか

おれの 墓場 は おいら が さがす

そうだ その気 で ゆこう じゃ ないか

 

あの娘 ばかり が 花では ないさ

出世 街道 色恋 なしだ

泣くな 怒るな こらえて すてろ

明日も 嵐が 待ってる ものを

 

 

※「お 門・違い」

  (「お かど・ちがい」)

 

「お 門・違い」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「非難 や・クレーム」

 「等」の

 「ネガティヴ」な

 「感情 や・言葉」を

 

 「向け る・対象」が

 「見当違い の・時」

 「反論 する・際」に

 「用い ら・れる」

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「お 門・違い」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「元・々」は
 「訪ねる べき・相手」の

 「家 を・間違え」て

 「全く 知らない・人」の

 

 「家の 門を・入った」

         (「もん」)

 「事」から

 「お 門・違い」と

 「言う ように・なり」

 

 「そ こ から」

 「派 生・して」

 「見 当・違い」
    と、いう

 

 「意・味」に

 「成っ た・事」が

 「由来 に・なった」

    そうです。

 

「お 門・違い」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼」は

 「その 事に・一切」

 「関わっ て・いない」

    の に

 

 「上 司・から」

 「非難 された・ので」

 「私」は

 「ノータッチ・なの」で


 「お門 違い・ですよ」と

 「やん わり」と

 「返 答・した」

    そうだ。

 

・「先・輩」が

 「自分 の・失敗」を

 「棚 に・上げ」た

 「挙げ句 の・果て」に

 

 「関係 の・ない」

 「彼・女」の
 「せい に・して」

 「責め た・ので」

 

 「友・人」は

 「先輩 の・やり方」は

 「責 任・転嫁」で

 (「せき にん・てんか」)

 

 「お 門・違い」も

 「甚 だ・しい」と
 (「はなは だ」)

 「言 っ・て」

 

 「彼・女」を

 「庇 っ・た」

 (「かば っ・た」)

    そうだ。

 

「お 門・違い」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「筋・違い」
   (「すじ・ちがい」)

 

・「言・動」が
 「道 理・から」

 「外れ て・いる」や

 「全・く」の

 

 「見 当・違い」と

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「お 門・違い」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「的 を・射る」

   (「まと を・いる」)

 

・「的 を・得る」と

 (「まと を・える」)

 「用い る・人」が

 「多・い」そうです。

 

 「的 を・得る」は

 「本・来」は
 「誤 表現・です」が

 「時代の 流れと・共」に

 

 「汎 用・的」に

 (「はん よう・てき」)

 「用い られて・いる」
 「背景 が・あり」

 

 「誤用 か・否か」は

 「見・解」が

 「分かれ て・いる」
    そうです。

 

 「的を 射る・とは」

 「弓 から・放たれ」た

 「矢」が

 「見・事」に

 

 「命 中・する」

 「様 子・から」

 「物・事」の

 「核心 や・要点」を

 

 「的・確」に

 「捉 え・る」と

 (「とら え・る」)

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「稻葉 浩志」は

(「いなば こうし」)

 

「見当違いの 使命感を 抱いて

   いったい 僕は ナニサマ」の

「歌詞 が・ある」

 

「wonderland」

(「ワンダー・ランド」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2,004・年」に

「リリース」

   し た

「サード・シングル」で

 

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「恋する ハニカミ!」の

「テーマ・ソング」に

 

「起 用・され」て

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「稲葉 浩志」は

「1,964 年・生まれ」で

「岡山 県・津山 市」

「出・身」の

 

「シンガーソング・
   ライター」

「作 詞・家」

「作 曲・家」です。

 

「2 人・組」の

「音 楽・ヂュオ」

「B‘・z」の
(「ビー・ズ」)

 

「ボーカル」

   と、して も

「活 躍・して」

   います。

 

「ビー・ズ」」は
「1,988・年」の

「結 成・以来」

「人気 は・衰えず」

 

「平 成・時代」に

「C D が・売れ」た

「アーティスト」で

「1・位」です。

 

「ビーズ の・代表曲」

   に は

 

ultra soul

「いつかの メリークリスマス」

「イチブ ガ・ゼンブ」等が

「有・り」ます。

 

「稻葉 浩志」は

「岡山 県・立」

「津山 高等・学校」を

「卒 業・後」

 

「横浜 国立・大学」

「教 育・学部」に

「進・学」し

「4 年間 で・卒業」し

 

「教 員・免許」を

「保 有・して」

   います。

 

「教 育・実習」の

「際」に

「実習先 の・中学校」の

「校長 先生・から」

 

「髪を 短く・する」

「様」に

「指 示・され」

「これ に・反発して」

 

「教員 の・道」を

「断・念」
   しました。

 

「1,988・年」

「24 歳の・時」に

「ビーズ」の

「ボーカル と・して」

 

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

「だから その手を 離して」で

「デビュー」しました。

 

「1,997・年」
「33 歳の・時」に

「リリース・した」

「ファースト・アルバム」

 

「マグマ」で

「ソ ロ・デビュー」

   しました。

 

「同・アルバム」は

「ミリオン・セラー」を

「記 録・して」

オリコン・1 位」の

 

「大 ヒット・作」に

「成・り」ました。

 

「1,998・年」に

「リリース・した」
「ファースト・シングル」

「遠くまで」が

 

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「情 報・番組」

「王様の ブランチ」の

 

「エンディング・テーマ・
   曲」に

「起 用・され」て

オリコン・1 位」の

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「以・後」

 

「2,015・年」に
「リリース・した」

「5 th ・シングル」

「羽」まで

 

「歴代 1 位・タイ」
   と、なる

「デビュー・から」

「シングル・曲」が

 

「5 作・連続」で

オリコン・1 位」の

「快挙 を・成し遂げ」

   ました。

 

「アルバム」

   で は

 

「1,997・年」に
「リリース・した」
「ファースト・アルバム」

「マグマ」〜

 

「2,014・年」に
「リリース・した」

「5 th ・アルバム」

Singing Bird」まで

 

「歴代 1 位・タイ」

   と、なる

「デビュー・から」

「アルバム・作品」が

 

「5 作・連続」で

オリコン・1位」の

「偉業 を・成し遂げ」

   ました。

 

オリコン」が

「主 催・する」

「男性 が・選ぶ」

「なり たい・顔」

 

「ランキング」

(「芸能 人・全体」) 

「2,019・年度」

「調 査・では」

 

「1・位」に

「ランク・され」
   ました。

 

「又」

 

「男性 が・憧れ」る

「理想 の・ボディー」

「ランキング」

(「芸能人・全体」)

 

「2,019・年度」

「調 査・では」

「2・位」に

「ランク・され」ました。

 

「現・在」も
「ソ ロ・活動」と

「ビーズ」の

「ボーカル と・して」

 

「二足の・ワラジ」を

「履 い・て」

(「は い・て」)

   います。

 

「私・生活」
   で は

 

「1,994・年」

「30 歳の・時」に

「4 年間の・交際」を

「経・て」

 

「A N A」の

「スチュワーデス」で

(「キャビン・アテンダント」)

「一般 人・女性」と

「結 婚・する」も

 

「翌・1,995 年」に

「離・婚」しました。

 

「1,997・年」

「33 歳の・時」に

「2 才・年上」で

「愛の メモリー」が

 

「代 表・曲」の

「歌 手・俳優」
「松崎 しげる」の

「元・妻」で

 

バツイチ の・モデル」

「逢田 美奈子」と

(「よもぎだ みなこ」)

「再・婚」し


「2,003・年」に

「待・望」の

「第一子・長男」が

「誕・生」しました。

 

「紅 白・歌合戦」

   へ の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「稻葉 浩志」

「Wonderland」

「作・詞」「作・曲」
「稻葉 浩志」

 

ねぇ 扉を 閉ざして

そこから 動かない のは

臆病者 の やること だと

信じて 疑いも しなかったん だよ

君を 変えてやろう なんて

はずかしく 思いあがり

まるで 天国か どこか に

導くよう に 話しかけて いた

 

顔を 見る たび あせって いらいら

見当違い の 使命感 を 抱いて

いったい 僕は ナニサマ なんだ

ああ ほんとに 馬鹿 みたい

 

せっせ と 他人を 哀れむ

僕を 哀れむ だろ?

 

思い出す たび 不思議な 気がして

幸せが なんだか わかんなく なって

信じてた ものが 意味を 亡くす

何か 言おうと してたの?

 

O H La La La 

うらがえし の 世界を ごらんなさい

勇気が あるなら

しがみつく のも 手を離す のも

あっと いう まの Wonderland 

 

O H La La La 

うらがえし の 世界を ごらんなさい

勇気が あるなら

影は 光に 醜さは 美しさに

パッと 変わる Wonderland 

 

僕が いつか 捨てた 

ラクタ を 磨いて

ぴかぴか の そいつを 抱いて

君は ただ 笑って いる 

フツー に 笑ってる

 

 

「登 竜・門」を

「英・語」で


 「geteway to success」と

 

 (「成功 への・入り口」)

 

 「言・う」そうです。