何気なく使っている言葉の意味

「胸襟 を・開く」

(「きょうきん を・ひらく」)

 

「皆さん」は

「胸襟 を・開く」

   と、いう

 

「慣用・句」を

「使った・事」は

「有‘・り」ませんか?

 

「胸襟 を・開く」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「胸・筋」と

「書・く」

   の は

「間・違い」です。

 

「心 の・中」で

「思って・いる」
「本・音」を

「包 み・隠さず」に

 

「あら い・ざらい」

「打 ち・明ける」
   と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「胸襟 を・開く」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

「胸・襟」と は

「胸」(「むね」) と

「襟」(「えり」) の

「事」です。


「胸」と は

「首 と・腹」の

「間 の・部分」の

「事」で

 

「襟」と は

「衣・服」の

「首回り の・部分」を

「指・し」ます。

 

「昔」か ら

「物・事」を

「考 え・る」
「時」は

 

「頭」で は

「無・く」

「胸」で

「考 え・る」と

 

「信・じ」

「込 ま・れ」て
「い た」そうです。

 

「現・在」

   で も

「胸 の・内」を

「語・る」や

 

「胸 の・内」を

「明 か・す」

「等」の

 

「表・現」が

「存・在」します。

 

「そ の・こと」

   よ リ

「自・分」の

「思・い」を

 

「正・直」に

「話・す」

「事」が

   

「胸襟 を・開く」の

「由・来」に

「成っ・た」

   そうです。

 

「胸襟 を・開く」の

「代表・的」な

「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「あ の・人」は

 「有 る・事」
 「無 い・事」を

   「根 こ・そぎ」

 

 「他・人」に

 「言 い・ふらす」

    の で

 「胸襟 を・開い」て

 

 「話 す・事」

       な ど

 「到・底」

 「出・来」ない。

 

・「彼」は

 「警 戒・心」を

 「抱 か・せず」

 「最 後・まで」

 

 「話」を

 「聞い て・くれる」

 「聞 き・上手」

    なの で

 

 「いつ の・間」

   に か

 「胸襟 を・開い」て


   「全・て」の

 「本・音」を

 「しゃべ ら・せて」

    しまう。

 

「胸襟 を・開く」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「腹 を・割る」

   (「はら を・わる」)


 「信 頼・出来る」

 「人」に

 「本・心」を

 「全・て」

 「包・み」

 「隠 さ・ず」

 「言・葉」に

    し て

 

 「話・す」

    と、いう

 「意・味」だ

    そうです。

 

「胸襟 を・開く」の

「対義・語」を

「検・策」して も

「出て・来」ません。

 

・「胸 に・一物」

   (「むね に・いちもつ」)

 「腹 に・一物」

 (「はら に・いちもつ」)

     と も

 「言・い」ます。

 

 「言葉 に・こそ」
 「出 さ・ない」が

 「心・中」

 「密・か」に

 (「ひそ・か」)

 

 「企・み」を

   (「たく ら・み」)

 「抱い て・いる」

    と、いう
 「意・味」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な

 「気」が、します。

 

 

「寺尾 聰」は

(「てらお あきら」)

 

「襟 を 合わせ て

   日暮れ の 人波 に」の

「歌詞 が・ある」

 

「ルビー の 指環」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,981・年」に

「リリース」

   し た

「6 th・シングル」で

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「寺尾 聰」は

「1,947 年・生まれ」で

「神奈川 県・横浜 市」

「出・身」の


「ミュージシャン」

「俳・優」です。

 

「父・親」は

「人 気・俳優」
   だっ た

「宇野 重吉」です。

 

「子供 の・頃」

   か ら

「野 球・少年」で

「甲子園 を・目指し」

 

「私・立」

「法政 ニ・高校」に

「進 学・しました」が

「ケンカ」等 で

 

「警 察・沙汰」を

「起 こ・し」

「退・学」に

「成・り」

 

「和光 学園・高校」に

「入学・しました」が

「1 年・時」に

「留・年」し

 

「高校・1 年生」を

「通・算」

「3 年・間」

「経・験」しました。

 

「高校生 の・時」に

「フォーク・グループ」

「ザ・サベージ」を

「結・成」し

 

「1,966・年」
「高校・在学 中」に

「ファースト・シングル」

「いつまでも いつまでも」で

 

「ギタリスト」と

   し て

「デビュー」しました。

 

「ザ・サベージ」は

「1,968・年」に

「解・散」しました。

 

「同・年」に

「子供 の・頃」

   か ら

「憧 れ・だった」

 

「石原 裕次郎」が

「主・宰」

(「しゅ・さい」)

   す る

 

「石原・プロ」に

「入・社」し

「石原・軍団」の

「若・手」

「有 望・株」と

   して

 

「映・画」や

「テレビ・ドラマ」に

「多・数」

「出・演」しました。

 

「歌・手」と

   して  は

 

「1,981・年」に

「リリース」 し た

「6 th・シングル」

 

「ルビー の 指輪」が

「大・ヒット」し

「ミリオン・セラー」に

「成・り」

 

「レコード・大賞」を

「初」め

「多数 の・賞」を

「受・賞」し

 

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」

   しました。

 

「代表・曲」に

 

「ルビー の 指環」

「出 航」

「砂 の 迷路」等 が

「有・り」ます。

 

「2,001・年」に

「黒澤 明」

「監・督」の

「映・画」

 

「乱」

「夢」と

「立 て・続け」に

「主・演」し

「日本・アカデミー賞
   最 優秀・主演・

   男優 賞」を

「受・賞」しました。

「同・賞」と

「レコード・大賞」を

「受 賞・した」の は

「寺 尾・のみ」です。

 

「2,007・年」に

「ルビー の 指輪」で

「26 年・振り」に

「紅白・歌合戦」に

 

「2 回・目」の

「出・場」を

「果・たし」ました。

 

「2,008・年」に

「父・親」に

「続・き」

「紫 綬・褒章」の

 

「父 子・2 代」
   で  の

「受・賞」を

「果 た・し」ました。

 

「2,018・年」に

「旭 日・小綬章」を

「受・賞」しました。

 

「現・在」

「74・歳」

   です が

 

「2021 年・1月」に

「テレビ・東京 系」で

「放 送・され」た

「新 春・ドラマ」

 

「人生最高 の 贈りもの」で

「石原 さとみ」の

「父 親・役」で

「共 演・する」等

 

「温・厚」な
「持 ち・味」を

「発・揮」
   し て

 

「多・く」の

「テレビ・ドラマ」に

「出・演」し 

「活 躍・して」います。

 

「私・生活」で は

 

「1,973・年」

「26 歳の・時」に

「台 湾・出身」の

「女・優」

 

「范 文雀」と

(「はん ぶんじゃく」)

「結 婚・しました」が

 

「翌・年」に

「離・婚」しました。

 

「1,979・年」

「32 歳の・時」に

「13 歳・年下」の

「元・モデル」

 

「星野 真弓」と

「再・婚」しました。

 

「二人 の・間」

   に は

「三人 の・子供」が

「い る」そうです。

 

「紅白・歌合戦」に は

 

「1,981・年」の

「ルビー の 指輪」〜

 

「2,007・年」の

「ルビー の 指輪」ま で

(「2 回・目」)

 

「通 算・2 回」)

「出・場」しました。

 

 

「寺尾 聰」

「ルビー の 指輪」

「作・詞」:「松本 隆」

「作・曲」:「寺尾 聰」

 

くもり 硝子 の 向こう は 風の 街

   (「ガラス」)

問わず 語り の 心が 切ない ね

(「ひとりごと の・意味」)

枯葉 ひとつ の 重さも ない 命

貴女 を 失って から・・・
(「あなた」)

 

背中 を 丸め ながら

指の リング を 抜き取った ね

俺に 返す つもり なら ば

捨てて くれ

 

そうね 誕生石 なら ルビー なの

そんな 言葉 が 頭に 渦巻く よ

あれは 八月 目映い 陽の 中で

           (「まばゆい ひの なかで」)

誓った 愛の 幻

 

孤独 が 好きな 俺さ

気に しないで 行って いい よ

気が 変わらぬ うち に 早く

消えて くれ

 

くもり 硝子 の 向こう は 風の 街

さめた 紅茶 が 残った テーブル で

襟 を 合わせて 日暮れ の 人波 に

紛れる 貴女 を 見て た

(「まぎれる」)

 

そして 二年 の 月日 が 流れ 去り

街で ベージュ の コート を 見かける と

指に ルビー の リンク を 探すの さ

貴女 を 失って から・・・

 

そして 二年 の 月日 が 流れ 去り

街で ベージュ の コート を 見かける と

指に ルビー の リンク を 探すの さ

貴女 を 失って から・・・

 

 

※「胸 を・ときめかす」

(「むね を・ときめかす」)

 

「胸 を・ときめかす」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「喜・び」や

「期・待」で

「興・奮」

   し て

 

「ワク ワク」や

「ドキ ドキ」す る

   と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「胸 を・ときめかす」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

「普・段」は

「気付 か・ない」

「心臓 の・鼓動」が

「ハッ キリ」と

 

「聞こえ・始める」
「事」が

「由・来」に

「成っ・た」そうです。

 

「胸 を・ときめかす」の

「代表・的」な

「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼女 の・話」は

 「経・験」を

    「基 に・した」

       もの で

 

 「次 の・展開」を

 「読 む・事」が

 「出 来・ず」に

 

 「聞 く・人」の

 「胸」を

 「ときめ か・せる」
    に は

 「充・分」な

 「程」に

 「面 白・く」

 「魅 力・的」だった。

 

・「何・歳」に

 「成っ・て」も

 「人・生」

       に は

 

 「胸 の・ときめき」は

 「大・切」だ と

 「テレビ・ドラマ」で

 「言っ・て」いた。

 

「胸 を・ときめかす」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「胸 を・躍ら せる」
   (「むね を・おどら せる」)

 

 「期・待」や

 「喜・び」

 「等」で

 「興 奮・して」

 「心」が

 「ウキ ウキ」

 「す る」

    と、いう

 

 「意・味」だ

    そうです。

 

「胸 を・ときめかす」の

「対義・語」を

「検・策」して も

「出て・来」ません。

・「幻 滅・する」

   (「げん めつ・する」)

 

 「期・待」や

 「あこが・れ」で

 「美化して・いた」

 「イメージ」が

 

 「幻」に

 「過ぎ な・かった」

 「事」を

 「知 ら・され」

 

 「ガッ カリ」

 「す る」

    と、いう

 「意・味」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な

 「気」が、します。

 

 

「松崎 しげる」は

(「まつざき しげる」)

 

「この胸 の ときめき を

   あなた に」の

「歌詞 が・有る」

「愛 の メモリー

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,977・年」に

「リリース」

   し た

「17 th・シングル」で

 

オリコン・2 位」に

「成・り」ました。

 

「松崎 しげる」は

「1,949 年・生まれ」で

「東京 都・江戸川 区」

「出・身」の

 

「歌・手」

「俳・優」で

「通・称」は

「マ ツ」です。

「私・立」

「日大・一高」を

「経・て」

 

「日 本・大学」

「芸 術・学部」に

「進・学」し

「卒・業」しました。

 

「高 校・時代」

   まで は

「野 球」に

「打 ち・込む」も

 

「ヒ ジ」と

「肩」を

「負・傷」し

「野球 を・断念」し

  

「そ れ・以降」は

「音 楽・活動」に

「夢 中・に」

「成・り」ました。

 

「大学・時代」に

「バンド」を

「結・成」し

「宇崎 竜童」に

 

「スカウト」

   さ れ

「プロ・デビュー」

   しました。


「1,970・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「8,760 回 の

   アイ・ラブユー」で

「ソロ・デビュー」

   しました。

 

「代表・曲」に

 

「愛 の メモリー

「地平線 を 駆ける 獅子を 見た」

「俺たち の 朝」等 が

「有・り」ます。

 

「1,972・年」に

「リリース」

   し た

「5 th・シングル」で

 

「グリコ・アーモンド

   チョコレート」の

「C M・ソング」に

「成っ・た」

「黄色い 麦わら 帽子」が

「スマッシュ・ヒット」に

「成・り」ました。

 

「しか・し」

「そ の・後」は

「ヒット・曲」が

「出・ず」に

 

「不遇 の・時代」が

「続・き」ました。

 

「西田 敏行」と

「共・に」

「六本木」を

「中・心」に した

 

「流し の・活動」が

「関係者 の・間」で

「話題 に・なり」

 

「1,975・年」に

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・された」

「テレビ・番組」

 

「ハッスル 銀座」に

「西田 と・共」に

「起 用・され」

「人気 を・博し」ました。

 

「1,977・年」に

「リリース」

   し た

「14 th・シングル」

 

「愛 の メモリー」が

「大 ヒット」し

「レコード・大賞

   歌唱 賞」他

 

「各・賞」を

「総・ナメ」に

「し て」

 

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

(「紅白・出場」は

「こ の・1 回 のみ」)

 

「同・年」に

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・された」

「刑 事・ドラマ」

 

「噂の 刑事 トミー とマツ」で

「国広 富之」と

「W・主演」し

「俳 優・デビュー」し

 

「名・コンビ」が

「茶 の・間」の

「人・気」を

「獲・得」しました。

 

「TBS ・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「クイズ・番組」
「クイズ・ダービー」で は

 

「クイズ の・帝王」を

「自・称」し

「ゲスト・解答者」

   と、して

 

「出・場」し

「評・判」を

「得」ました。

 

「現・在」

「71・歳」

   です が

 

「年・間」

「200・本」

「近・く」の

「ディナー・ショー」を

 

「開・催」し て

「ディナーショー・キング」の

「異・名」を

「取 得・して」います。

 

「私・生活」で は

 

「時期 は・不明」

   です が

「デザイナー」の

「女・性」と

 

「結 婚・しました」が

「離・婚」しました。

 

「1,981・年」

「32 歳の・時」に
「モデル」で

「18 歳の・女性」と

 

「再 婚・しました」が

「1,991・年」に

「離・婚」しました。

 

「1,997・年」

「48 歳の・時」に

「23 歳・年下」で

「大 手・百貨店」の

 

「社 長・令嬢」と

「3 度・目」の

「結・婚」を、しました。

 

「1,998・年」に

「長・男」が

 

「2,000・年」に

「長・女」が

 

「2,007・年」

「57 歳の・時」に

「二・女」が

「誕・生」しました。

 

「長・男」は

「俳・優」の

「松谷 優輝」です。

 

 

「松崎 しげる

「愛 の メモリー

「作・詞」:「たか たかし」

「作・曲」:「馬飼野 康二」

 

愛の 甘い なごり に 
あなた は まどろむ

天使の ような

その 微笑み に

   (「ほほえみ」)

時は 立ち止まる

窓に 朝の 光が 

やさしく ゆれ 動き

あなた の 髪を 

ためらいがち に 染めて ゆく

 

美しい 人生 よ 

かぎりない 喜び よ

この胸 の ときめき を

あなた に

この世 に 大切 なのは

愛し合う ことだけ と

あなた は おしえて くれる

 

愛は 風の ささやき 

あなた は 目覚め る

            (「めざめ」)

子供 の ような 瞳 を 向けて 

指を からめる よ

そっと 肌を よせれ ば 

水仙 の 花の ような

(「すいせん」)

やさしい 香り が 

はじらう ように ゆれて いる

 

美しい 人生 は 

言葉 さえ 置き 忘れ

満ち 足りた 二人 を 包む よ

この世 に 大切なの は

愛し合う ことだけ と

あなた は おしえて くれる

 

美しい 人生 よ 

かぎり ない 喜び よ

この 胸の ときめき を

あなた に

二人 に 死が おとずれ て

星に なる 日が 来て も

あなた と 離れ は しない

 

 

「胸襟 を・開く」を

「英・語」で

 「to speak one's mind」と

 

 (「思って いる 事 を・話す」)

 

 「言・う」そうです。