何気なく使っている言葉の意味

「敵に・塩を送る」

 

「皆さん」は「敵に・塩を送る」(「てきに・しおをおくる」) と、いう

「ことわざ」を「使った事」は「有り」ませんか。

 

「似た・言葉」に「傷口に・塩を塗る」(「きずぐちに・しおをぬる」) が「有り」ますが

「全く・違った意味」の「言葉」です。

 

「敵に・塩を送る」の「意味」は「下記」だ、そうです。

 

・「敵だからと・いって」も「敵の 弱みに・付け込ま」ない。

 

・「たとえ・敵」でも「敵が 苦境に・陥っている 時」には「助け」る。

 

・「ビジネスの・シーン」でも「使われる・言葉」です。

 「ライバル」や「敵対する・人」が「弱って いれ」ば

 「見捨てる事・なく」「何らかの・やり方」で「相手に・利を 与え」る。

 

 

「敵に・塩を送る」の「語源」は「下記」だ、そうです。

 

・「室町時代」の「甲斐」(「かい・現在の「山梨県」) の「戦国・大名」

 「武田 信玄」(「たけだ しんげん」) は「駿河」(「するが・現在の「静岡県」)

 「相模」(「さがみ・現在の「神奈川県」) と

 「三国・同盟」(「さんごく・どうめい」) を「結び」ました。

 

  しかし「三国・同盟」は「崩壊」(「ほうかい」) して、しまいました。

 「駿河」と「相模」は「甲斐」へ「塩を 売るのを・禁止」する

 「塩留め」(「しおどめ」) と、いう「禁止令」(「きんしれい」) を「発令」しました。

 「甲斐」(「かい」) には「海が無い・為」「塩を・作れず」
 「武田 信玄」は「困り・果てて」しまいました。

 

 「この時」「越後」(「えちご・現在の「新潟県」) の「戦国・大名」
 「上杉 謙信」(「うえすぎ けんしん」) は「川中島の・合戦」等の「戦」(「いくさ」) で

 「長らく・敵対して」いた「武田 信玄」に「塩を・送り」ました。

  そして「多くの・領民を 含め」「敵の 命を・救った」そうです。

 

   (「塩」には「塩化・ナトリウム」が「含有・されて」(「がんゆう・されて」) おり

 「塩を 摂取・しない」(「せっしゅ しない) と「老化が・激しく」「早く・死に」ます。)

 「上杉 謙信」は「義の・人」と「呼ばれ」「義理 人情に・厚い」「人物」と

 「美談」(「びだん」) と、して「語り・継がれて」います。

 「ひねくれた・研究家」は「正式な・文章」が「残って ・いない」ので

 「作られた・美談では ないか?」と「疑い」ます。

 

   しかし「武田 信玄」から「お礼と・して」「上杉 謙信」に「送られ」た

 「塩留めの・太刀」(「しおどめの・たち」) が「重要・文化財」に、なっており

 「私は」「真実の・話 だと」「思って」います。

 

 

「敵に・塩を送る」の「類義語」と、して「下記」が「有る」そうです。

 

・「相手を・利する」(「あいてを・りする」)

 

 (「敵に・味方する事」)

 

・「ハンデを・与える」(「はんでを・あたえる」)

 

 (「たとえ・敵で あって」も「公正な 立場で ・争うべき」

 「対等な 状況で ・有るべき」と、いう「義理 人情に・あふれる」「考え方」)

 

・「柔道の・ラシュワン」 (「私が 思い付いた・話」)

 

 (「1,984年」に「開催」された「ロサンゼルス・オリンピック」の「柔道・無差別級」に

 「出場」した「山下 康裕」(「やました やすひろ」)

 (「現・東海大学 副学長」)  (「日本 オリンピック ・委員会 会長」) は

 「2回戦」で「西ドイツ」の「アルトゥール・シュナーベル」と「対戦」し「勝利・する」も

 「軸足 の・右 ふくらはぎ」に「肉離れ」を「起こして」しまいました。

 

 「山下」は「足を・引きずり ながら」も「勝ち・続け」「決勝」で
 「エジプト」の「ムハメド・ラシュワン」と「対戦」しました。

 「ラシュワン」は「山下の・痛めた足」を「攻め ません」でした。

 「結果」「山下は 寝技で・勝利」し「オリンピック・チャンピオン」と、なり

 「金メダル」を「獲得」しました。

 

 「金メダル」を「期待・していた」「母国・エジプトの 人達」は

 「山下の・痛めた足」を「攻め無かった」「ラシュワン」を「非難」しました。

 

   しかし「翌日」に「マスコミ」が「フェア・プレー」の 「体現者」(「たいげんしゃ」) と

 「ラシュワン」を「称賛」(「しょうさん」) すると

 「国民」は「手のひらを・返す」様に「態度を・豹変」(「ひょうへん」) させ

 「お前は・アラブの 誇りだ」と「持ち上げ」ました。

 

 「ラシュワン」は「引退・後」は「国際柔道・審判員」と、なり「2,008年」に
 「開催」された「北京・オリンピック」にも「審判員」と、して「参加」しました。

 「2,019年」「ラシュワン」に、対して「日本政府」から

 「旭日 単交賞」が「授与」(「じゅよ」) されました。)

 

 

「敵に・塩を送る」の「対義語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

・「傷口に・塩を塗る」(「きずぐちに・しおをぬる」)

 

 (「それでなくとも・痛い傷」に「塩を 塗られたら」「しみて・更に 痛くなる」)

 

・「童話」「かちかち山」の「ウサギ」

 

 (「ウサギ」は「タヌキ」に「燃えやすい・茅」(「かや」) を「背負わ」せ「火を付け」

 「背中」を「火傷」(「やけど」) させました。

   しかも「薬と・嘘をつき」「塩より・滲みる」(「しみる」)「唐辛子」(「とうがらし」) を

 「火傷の・跡」に「塗り」ました。

 

 「タヌキの・辛さ」(「つらさ」) を「考えた」ら

 「普通の・動物」(「人間」) には「出来ない・残酷な 行為」です。)

 

 

「ポルノ・グラフィティ」は「敵はどこだ?」と、いう「歌」を、歌いました。

 

「ポルノ・グラフィティ」は「岡野 昭仁」と「新藤 清一」から、なる「ロック・バンド」です。

「1,999年」「Tama」(「2,004年に・脱退」) を「含めた」「3人組・バンド」で

「アポロ」を「歌い」「デビュー」しました。

「愛称」は「ポルノ」ですが「卑猥な・言葉」(「ひわいな・ことば」) で、有り

「メンバー」は「言う時は・気をつけて」と「注意を・呼びかけて」いました。

 

「2,000年」「4th・シングル」「サウダージ」で「初」の「オリコン・1位」に、なりました。

「同年」「同曲」で「紅白・歌合戦」に「初・出場」しました。

「以後」「紅白・歌合戦」に「13・回」「出場」しました。

 

「通算」で「オリコン・シングル」「6作で・1位」

「アルバム」「3作で・1位」を「獲得」し

「全て・ミリオンセラー」に、なりました。

 

「2,001年」「セカンド・アルバム」「foo?」を「リリース」し

「アルバム」では「初の・ミリオンセラー」と、なりました。

「2,002年」「9th・シングル」「Mugen」が「NHK」「FIFA・ワールドカップ」の

「中継 公式・テーマソング」に、なりました。

 

「2,005年」「5th・アルバム」「THUMPX」を「リリース」し

「初」の「オリコン・アルバム・1位」と、なりました。

「2,006年」「横浜・スタジアム」で「初」の「単独・ライブ」を「開催」しました。

「同年」「21th・シングル」「Winding Road」で「2人・体制」に、なってから

「初」の「オリコン・1位」と、なりました。

 

「2,017年」「台湾」で「初」の「ワンマン・ライブ」を「開催」しました。

「2,019年」「メジャー・デビュー」「20 周年」を「記念」し「10年・振り」に

「東京・ドーム」で「単独・ライブ」を「開催」しました。

 

 

「ポルノ・グラフィティ」「敵はどこだ?」「作詞」:「新藤 晴一」「作曲」:「Tama

 

左胸 か (「ひだりむね か」) 若しく は (「もしく は」) 眉間を (「みけんを」)

確実に 狙って (「ねらって」) 引き金を 引き なさい

そう 言って 僕に渡された 銃は

何も語らず 冷たく 光って いた

( Declare War )  (「宣戦を・布告する」) 慈悲深き 正義?   ( Start war )

( Yes,Sir Declare war ) 無常か? Love & Peace ( Start war )

 

狙いを つけて 撃抜く (「うちぬく」) 瞬間 (「しゅんかん」)

決して 目と目を 合わせては いけない

もしも そいつの 瞳の奥 に (「ひとみ のおく に」)

恋人への 残した 想い を 見つけて しまったら・・・
( I'm a soldier ) 命令を ください ( Sergeant )

( Yes,Sir I'm a Soldier )   (「かしこまり ました」「私は・戦士です」)  

命令を ください ( Sergeant )

 

僕の 銃口 (「じゅうこう」) は 敵を 探していた

敵を 敵を 敵を 敵は どこだ?

決めて くれよ 撃つべき 敵を

いっそ 撃ってくれよ この 左胸 を

( Declare war ) 慈悲深き 正義? Love &  Peace ( Start war )

( Yes,Sir Declare War ) 無常か? Love & Peace ( Start war )

 

僕らは 聞いた 崩れる 音を (「くずれる おとを」)

それは 世界か? 敵味方 なく

僕らは 聞いた 争いの 音を (「あらそいの おとを」)

わかんなくなった 正義は どこだ

 

 

「歌詞の・内容」は「宣戦・布告」(「せんせん・ふこく」)

「私は・戦士」(「わたしは・せんし」等

「戦争で 戦っている・兵士」の「心持ち」を「表現した・歌詞」だと

「誤解させ」ます。

 

 しかし「作詞者」「新藤 清一」(「しんどうせいいち」) は「2,001年・9月・11日」に

アメリカ」で「発生」した「アルカイダ」(「イスラム・過激派」) に、よる

「歴史上・最大規模」の「同時多発・テロ」(「死者・2,996人」「負傷者・6,000人 以上」) を

「イメージ」し「作詞」した、様です。

「直接・詩にした訳」では「有りません」か「影響・されて」「作詞・した」様です。

 

「私も」「あの 映画の様な・光景」を「現実と・受け止める」のに

「かなりの 時間を・要し」ました。

 

「4機の・「旅客機」(「りょかっき」) が「ハイジャック」され

「世界 貿易センター・ツインビル」等に「突っ込んでいく・映像」は

「何度」も「テレビで・放映」されました。

 

「作詞」した「新藤 清一」は「他に」も「暗喩」(「あんゆ」・外形的 には 示さない」) で

「伝えたい・多くの」「メッセージ」を「盛り込んで・いる」と「思います」が

「私には・分かり」ません。

「恋人への 残した 想い を 見つけて しまったら・・・」と、いう「歌詞」が

「歌詞・全体の中」で「宙に・浮いている」気が、します。

 

 

※「清めの・塩」(「きよめの・しお」)

 

 

「清めの・塩」の「意味」は「下記」だ、そうです。

 

・「元々」(「もともと」) は「神道 (「しんとう」) の・考え方」だ、そうです。

 「死を・穢れた もの」(「しを・けがれた もの」) と、して
 「塩で・清める」(「しおで・きよめる」) と、いう「考え方」だ、そうです。

 

 「穢れを・清める」為に「お祓」(「おはらい」) や「禊」(「みそぎ」) が「行われ」ます。

 「禊」とは「水浴・行為」で「神社に・参拝」(「さんぱい」) する時「手を・洗う」事は

 「禊を・簡略化」(「かんりゃくか」) した「儀式」だ、そうです。

 

・「身近に・亡くなった人」が、いると「一定期間」「祭事 (「さいじ」) への・参加」

 「神社・参拝」(「さんぱい」) を「差し控える・文化」が

 「現在」でも「有る」そうです。

 

・「死を・穢れ」(「けがれ」) とは「考え・無い」「仏式の・葬儀」では「清め塩」を

 「使わない・宗派」(しゅうは」)  (「浄土 真宗・等」) も「有る」そうです。

 「従って」「香典の・お返し」に「清めの・塩」が「付いて・いない事」も

 「有る」そうです。

 

・「穢れを・祓い清める  物」(「けがれを・はらいきよめる もの」の「筆頭」が「塩」です。

 「神饌」(「しんせん」) と「呼ぶ」「神への・お供え」(「おそなえ」) には

 「必ず」「塩が・入って」います。

 「塩」は「清浄」(「せいじょう・けがれ の 無い事」) で

 「盛り・塩」」(「もり・しお」)「清めの・塩」と、して「使われて」います。

 

・「大相撲」でも「邪気 (「じゃき」) を・はらい」「土俵を・清める」為に

 「力士は・土俵」に「塩を・撒き」(「まき」) ます。

 

 

小金沢 昇司」は「御神酒 (「おみき」) と 塩で 清められた 親子神輿」の

「歌詞」が「有る」「小さな祭り」と、いう「歌」を、歌いました。

 

小金沢 昇司」(「こがねざわ しょうじ」) は「1,958年・生まれ」の「演歌・歌手」です。

「神奈川県・大和市」「出身」で「中学生・高校生の 時期」は「不良・少年」でした。

「16・歳」で「オートバイの・免許」を「取る」と「暴走族に・加入」しました。

「補導 された 事も・多く」「県内」の「殆どの・警察署」に「泊まった」そうです。

 

「北島 三郎」の「付き人」と、して「長い・下積み 生活」を「送り」ました。

「1,988年」「おまえをさがして」で「デビュー」しました。

「1,992年」「口径用・ヨード剤」「フィニッシュ・コーワ」の「テレビ・CM」で

「一躍」(「いちやく」)「全国に・名が 知れ渡り」ました。

 

「同年」「信託銀行・ヒット」の「テレビ・CM」で「当時」「アイドル・人気歌手」の

「河合 奈保子」(「かわい なおこ」) と「共演」し「広告・歌」「ちょっとだけ秘密」を

「デュエット」し「ヒット」しました。

 

「2,013年」「北島・事務所」から「独立」し「自身の・事務所」を「立ち上げ」ました。

「付き人・時代」から、ずっと「北島 三郎」と「折り合いが・悪かった」のが

「独立した・理由」だと「言われて」います。

 

「以後」「おまえだけ」「希望」「大月 みやこ」との「デュエット・ソング」

「東京 忍び恋」」などの「ヒット・曲」が「多数」「有り」ました。

 しかし「NHK」の「北島 三郎」に「対する」「忖度」(「そんたく」) の、せい?か

「紅白・歌合戦」の「出譲 歴」は「有り」ません。

 

 

小金沢 昇司」「小さな祭り」「作詞」:「八木 英二」「作曲」:「八木 英二」

 

夏の西日 が ブリキの 玩具 (「おもちゃ」) 照らす

たこ焼きの おばさん いい汗 (「あせ」) かいて いる

焼きイカの 大きさ 見比べ  悩んで いる

息子の 麦藁帽子 (「むぎわらぼうし」) が 風に 飛ぶ

かき氷 アンズ飴 (「あめ」)

さあ お婆ちゃん (「おばあちゃん」) と 食べよう

懐かしい ね (「なつかしい ね」) 故郷 の (「ふるさと の」) 小さな 祭り

大きな 掛け声  練り 歩く (「ねり あるく」) 子供・神輿  (「こども・みこし」)

・・・あの日の まま

 

裸電球 (「はだかでんきゅう」)  輪投げの 的を (「わなげの まとを」) 照らす

綿菓子 (「わたがし」) の おじさん 今年も 元気だ

御神籤 (「おみくじ」) 二つ 引き 見比べ  悩んで いる

娘の 浴衣の 帯 (「ゆかたの おび」) が 解け そう (「ほどけ そう」)

ニッキ水 (「すい」) リンゴ飴

さあ お爺ちゃん (「おじいちゃん」) と 食べよう

懐かしい ね 故郷 の 小さな 祭り

雨が 降っても 繰り 出すよ (「くり だすよ」) 大人・神輿 (「おとな・みこし」)

 

コンペイ糖 (「とう」) バナナ チョコ

さあ みんな で 食べよう

懐かしい ね 故郷 の 小さな 祭り

御神酒 と 塩で (「おみき と しおで」) 清め られた 親子・神輿 (「おやこ・みこし」)

 

 

「敵に・塩を送る」を「英語」で「言う」と

 

「To show hyuumanithy even to one‘s enemy」(「enemy」の「意味」は「敵」)

 

 (「人間味有る・行い」)

 

 と「言う」そうです。