何気なく使っている言葉の意味

「しっぺ返し」

 

「皆さん」は「しっぺ返し」という「慣用語」(かんようご)を「使った事」が

「有り」ませんか?。

 

「しっぺ返し」(しっぺがえし)「の「意味」は

 

・「あることをやられたら時、すぐやり返す事」

 

・「裏切られた時」「嫌な事を」を、された時「やり返す事」又は「やり返される事」

 

  です。

 

 

「しっぺ返し」の「語源」は「下記」です。

 

「しっぺ返し」とは、もともとは「竹箆返し」(しっぺいがえし) という「言葉」でした。

「竹箆」(しっぺい) とは「坐禅の際」に「戒め」(いましめ) の時に「打つ道具」で、

「割った竹に漆を塗った」「板状物の物のこと」です。

 

坐禅」を「組んでいる時」に「居眠りしている」と「喝!」(かつ!)と「言われながら」

「叩かれるシーン」が「テレビを見ている」と「出て来」ます。

「その時に使われる」のが「竹箆」です。

 

「竹箆」は「鎌倉時代」に「禅宗の伝来」と、共に「日本に伝わり」ました。

「寺で坐禅を行う時」「高僧の僧」が「先ず誰か」を「竹箆で打ち」ます。

「打たれた人」は「誰かを打ち返す立場」に、なります。

 

「この事」から「やられた事を「即座に」「やり返す事」を「竹箆返し」「しっぺいがえし」と

「言うよう」に、なり「しっぺ返し」へと「転じた」そうです。

 

「子供の頃」「人差し指」と「中指」を「揃え」「しっぺ!」と、「言い」ながら

「相手の手首」を「叩いた経験」が「有り」ませんか?。

「二本の指」を「竹箆」(しっぺい) に「見立てた事」より「しっぺ」と、言うそうです。

「子供に限らず」「大人になって」も「意味の分からないまま」「使っている言葉」は

「結構多い」そうです。

 

 

「しっぺ返し」の「類義語」と、しては

 

「やられたらやり返す」

 

「目には目を、歯には歯を」

 

「仕返し」

 

「報復」

 

「復讐」

 

「雪辱」

 

「お礼参り」

 

「敵討ち」(かたきうち)

 

「仇討ち」(あだうち)

 

  等が、ある、そうです。

 

 

「しっぺ返し」の「反対語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

「やられても、やり返さない

 

「右の頬(ほほ) を、打たれたら、左の頬を差し出す」(「イエス・キリスト」の「言葉」)

 

「耐え忍ぶ」

 

「我慢する」

 

  辺りが「妥当」な「気が」します。

 

 

キャンディーズ」(「Candies「)は「微笑みがえし」という「歌」を、歌いました。

 

キャンディーズ」は「1970年代」に「活躍」した「女性3人組」の

「アイドルグループ」(「伊藤 蘭」(ラン)「田中 好子」(スー・故人)「藤村 美樹」(ミキ)です。

「食べてしまいたいほど可愛い・3人娘」の「意味」から「キャンディーズ」と

「名付けられ」ました。

   (私は、それ程には「可愛い」とは、思いませんでした)

 

「1,973年」に「あなたに夢中」で「デヴュー」しました。

「人気バラエティー番組」「8時だよ全員集合」に「レギュラー出演」しました。

「当初」「スー」が「メインボーカル」を、務めていましたが「ラン」に「お姉さん」の

「イメージ」が「有る」との「ファン層」が、多かった為「ラン」を「メインボーカル」

  にする事と、なりました。

 

「1,975年」に「5枚目のシングル」「年下の男の子」が「ヒット」し

オリコンベスト10入り」しました。

 

「1,976年」に「春一番」が「ヒット」しました。

「1,977年」に「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「ハートのエースが出てこない」

   が「連続ヒット」しました。

 

「5枚連続・ミリオンセラー」を「叩き出し」「怪物」とまで言われた「ピンクレディ」とは

「ファン層」が「異なり」「2大勢力」が「誕生」しました。

 

「1,977年」「夏」「絶頂期」に、あったにも「拘わらず」「普通の女の子に戻りたい」という

「名文句」と、共に「解散宣言」しました。

「解散曲」(ラストソング)と、なった「微笑みがえし」は「解散を惜しむ」「熱狂的なファン」の

「支持を受け」「最初で最後」の「オリコン・1位」を「獲得」しました。

 

「作詞家」の「阿木 燿子」(「あぎようこ」・ジュディー・オングに、似た美人) は

「ヒット曲」「春一番」「ハートのエースが出てこない」を「意識した」のか

「微笑みがえし」の「歌詞」の、中に

春一番」・「ハートのエースが出てきましたよ」という「言葉」を「挿入」し

「解散曲」を「イメージ付け」しました。

「微笑みがえし」は「失恋ソング」では、無く「ファン」との「お別れの歌」です。

 

  私が「現役」だった頃「頼んだ事をやってくれた人」

「頼みもしない」のに「私の気持ちを察して」「先廻りして」「やってくれた人」に

「お礼」は「微笑みがえし」で「いいですか?」と、「よく言い」ました。

「ほとんどの人」は「そんなお返しはいりません」と「断り」ました。

 

 

キャンディーズ」「微笑みがえし」 「作詞」:「阿木 燿子」「作曲」:「穂口 雄右」

 

春一番が  掃除したての サッシの窓に

ほこりの渦を  踊らせてます

 

机  本箱 運び出された  荷物のあとは

畳の色が  そこだけ若いわ

 

お引っ越しの  お祝い返しも

済まないうちに  またですね

 

罠にかかった  うさぎ みたい

いやだわあなた  すすだらけ

おかしくって  涙が出そう

1・2・3 (ワン・ツー・スリー) あの三叉路で

1・2・3   軽く手を振り

私達  お別れなんですよ

 

タンスの陰で  心細げに

迷子に なった

ハートのエースが  出てきましたよ

 

おかしな ものね

忘れたころに  見つかるなんて

まるで青春の  想い出そのもの

 

お引越しの  お祝い返しも

今度は二人  別々ね

 

何年たっても  年下の人

いやだわ  シャツで顔ふいて

おかしくって  涙が出そう

 

1・2・3(イチ・二・サン)3ツ数えて

1・2・3  見つめ合ったら

私達  お別れなんですね

 

お引越しの  お祝い返しは

笑顔にして  届けます

 

やさしい悪魔と  住みなれた部屋

それでは鍵が  サカサマよ

おかしくって  涙が出そう

1・2・3(アン・ドウ・トロワ(フランス語の数え方)三歩目からは

1・2・3それぞれの道

私達  歩いて行くんですね

歩いて  行くんですね

 

 

※「ムカゴ栽培」

 

「梅雨明け」から「一気に」「気温が上がって」きました。

「田村さん」の「池掃除」をしていたら「熱中症らしき症状」に、なったので

「最低限の事」だけ、やって「終わり」に、しました。

 

「ムカゴ栽培」の「圃場」(ほじょう・作物を育てる場所」を「手で触る」と「熱くて」

  すぐに「手を引っ込めて」しまいました。

「真夏の海の砂浜」を「裸足で歩く感じ」てした。

 

「一応」「遮光ネット」を「敷いて」有りますが「焼け石に水」でした。

「圃場」は「西向き」に「セット」したので「夕方遅く」まで「強い日差し」が

「差し込んで」いました。

 

  私は「ムカゴのツルが枯れた」のは「長雨による事象」と、「考えて」いました。

  しかし「私の考え」は「全くの方向音痴」でした。

「ムカゴ」が「やられた」のは「長雨の合間」に、あった「真夏の日照り」でした。

「常識的な考え方」が「あざ笑うよう」に、私を「誤った方向へ」「誘い」(いざない) ました。

「決して」「二度と」「騙され」ません。

 

「ムカゴ栽培」は「自然という大きな力の前」では「私の力」は「余りにも「無力」でした。

  私の「完敗」でした。

「手の施しよう」が「有り」ません、でした。

 

「ムカゴ」は「ツルを伸ばす」為「養分を使いきり」「シワクチャな小さな塊」に

  なっていました。

「復活する事」は有り得ません。

  私は「全部を廃棄」せざるを、得ません

 

 

※「自然薯栽培」

 

「害虫の消毒」が「功を奏し」「被害」は「何とか」「食い止める事」が「出来」ました。

「北向きの早く日が陰る場所」で「大量の砂を使った」せいか

「何とか」「踏み止まって」います。

 

「種イモの養分」が「ほとんど無くなり」「新たな栄養を補給する」為に

「8月中」に「2〜3回」「追肥」(ついひ) しなければ、なりません。

   しかし「私の行方」を「雑草」が「拒んで」(こばんで) います。

 

「3日前」には「足首位だった」のに「今日」は「膝の上」まで「雑草」が「伸びて」いました。

「圃場」は「草の種一つない砂」を「使ったにも拘らず」「雑草が、はびこって」います。

追肥」は「遮光ネット」を「めくって」「砂の上に直接肥料を撒かなけれ」ば、なりません。

「雑草が邪魔」して「遮光ネット」が「めくれ」ません。

 

  私は「意を決して」「圃場」の「雑草取り」を「始め」ました。

「日が陰り涼しくなった」「3時間位」「作業しました」が『「全体の「6分の1」』位しか

「捗り」(はかどり) ません、でした。

「明日になれ」ば「今日取った雑草」が、また「生えてくる」と、思います。

  私は「果てしない」「雑草との闘い」を「覚悟」しました。

 

「自然薯のツルの為に作った」「誘導棒」には「ツル性の雑草」が「巻き付いて」

「上に上に」と「伸びて」います。

「自然薯」より「ズット元気」です。

「自然の風景」と「ほとんど」「変わり」ません。

「栽培している事」を「忘れて」しまいそうです。

 

「らんちゅう・飼育」「自然薯・栽培」「ブログ」「テレビドラマ」の「何れかを」

「犠牲にしなければ」「虻蜂取らず」(あぶはちとらず) に、なりそうです。

  私は「欲をかきすぎ」た、ようです。

「自分なら出来る」と「過信」して、しまったようです。

 

  それにしても「雑草の生命力」には「凄まじい物」(すさまじいもの) が、有ります。

  私は「羨ましい」(うらやましい) と、「重い」ました。

 

 

「神野 美伽」(しんの みかは「雑草の歌」を、歌いました。

「雑草の歌」を「作詞」したのは「美空 ひばり」(加藤 和枝)です。

「もちろん」「美空 ひばり」の「歌」です。

「この歌」を「カバー」しているのは「神野 美伽」だけです。

「美空 ひばり」は「神野 美伽」の「歌唱力」を「高く評価」したのだと「思い」ます。

 

「神野 美伽」は「1,965年・生まれ」の「演歌歌手」です。

  その「歌唱力」から「ロックフェスティバル」や「海外の音楽イベント」にも

「出演」しました。

「1,984年」に「歌手デヴュー」しました。

 

「1,987年」に「浪花育ち」で「NHK紅白歌合戦」に「初出場」しました。

「2,003年」にも「浮雲ふたり」で「2回目の出場」を「果たし」ました。

レコード大賞・金賞」を「計・3回」「受賞」して、います。

 

 

「神野 美伽」「雑草の歌」「作詞」:「加藤 和枝」(「美空 ひばり」の「本名」)

「作曲」:「遠藤 実」

 

生まれて 今日まで  耐えてきた

こんな涙を  誰が知る

踏まれながらに  生き抜いて

路ばたに はえる 草のよな

強い 強い  女に なりました

 

咲かずに 散っては  いけないと

そんな自分に  むち を打つ

辛い この世を  生き抜いて

路ばたに はえる  草のよな

強い  強い  女になりました

 

「セリフ」

 

私の この体の中 には

日本に生まれた 古い血が 流れています

そんな人間の 少なくなった 今日でも

おてんとう様 だけは

私を照らして くれました 

 

辛い この世を  生き抜いて

路ばたに はえる  草のよな

強い  強い  女なりました

 

 

「しっぺ返し」を「英語」で「言う」と

 

「Back」

 

と、言うそうです。