何気なく使っている言葉の意味

「逃した魚は大きい」

 

「皆さん」は「逃した魚は大きい」(「にがしたさかなはおおきい」) と、いう

「ことわざ」を「使った事」は「有り」ませんか?。

 

「のがした」で「検索」しても「出て来」ますが「言葉の意味を・考える」と

「にがした」が「正しい」と「思い」ます。

 

「逃した魚は大きい」の「意味」は

 

・「一度手に入れかけた」のに「失った物」は「実際よりも・素晴らしく」「見える」です。

 

・「一度手に入りかけた物」を「失って」「惜しくなり」「実際より大きな価値」に

 「感じる事」です。

 

・「後に・振り返って」「失った物」に「実際よりも大きな・価値」を「感じ」

 「後悔する」事です。

 

・「恋愛において・良く使われる」「言葉」です。

 

 

「何か」を「手に入れ損ねた時」「その逃した物」が「大きな物だった様に感じて」

「後悔する事」は「有り」がちです。

 

「後悔している最中」には「失った物」が「実際には・大した物ではなかった」事に

「なかなか・気付かない」で「実物より・美化」(「びか」) して、しまうのが
「世の常」(「普通であること」) だ、そうです。

 

「冷静」に「物事を・判断する」「能力」を「身に付け」「後悔の・沼」から

「一刻も早く・抜け出し」「次に進む」のが「賢明」だと「思い」ます。

 そもそも「過ぎ去った時間」は「元には戻らず」「やり直す事はできない」ので

「後悔すること自体」が「未練がましい・行為」の、様な「気が」します。

 

 

「逃した魚は大きい」の「由来」は

 

・「三寸」(「約・9.09cm」) の「鯛」(「タイ」) でも「釣り上げる・寸前」に「逃がして」

 しまうと「逃げた鯛の・大きさ」は「一尺」(「約・30.3cm」) に、見える」

 

 だ、そうです。

 

 

「逃した魚は大きい」の「類義語」と、しては

 

・「逃がした物に小さい物なし」(「にがしたものにちいさいものなし」)

 

 (「逃したものは大きく見える事」)

 

・「逃げた鯰は大きく見える」(「にげたなまずはおおきくみえる」)

 

  (「逃がしたものは実際のそれよりも良く感じる事」)

 

・「死ぬる子は眉目よし」(「しぬるこはみめよし」)

 

 (「早く死んだ子は才能があったと惜しまれる事」)

 

・「死んだ子は賢い」(「しんだこはかしこい」)

 

 (「過去に去った者はその美点が目に付くという事」)

 

 が「該当」する、そうです。

 

 

「逃した魚は大きい」の「反対語」と、しては

 

・「酸っぱい葡萄」(「すっぱいぶどう」)

 

  (「何かを手に入れよう」と、して「失敗した時」に「その物の価値を・下げ」

 「悔しさを紛らわせ」「心の安定を・図ろうとする事」)

 

 が「該当」する、そうです。

 

イソップ寓話」(「ぐうわ」) に「酸っぱい葡萄」と、いう「物語」が「有り」ました。

 

「ある日」「お腹を空かせた・一匹のキツネ」が「森の中を・歩いて」いました。

 すると「目の前」に「大きな実をつけた・立派なブドウの木」が「生えて」いました。

「キツネ」は「舌なめずり」して「手を伸ばし」「ブドウを・取ろうと」しました。

 しかし「ブドウ」は「大きな木の・上の方」に「なって」おり「手が届き」ませんでした。

 

「全力で・ジャンプ」しても「手が届くこと」は「有り」ませんでした。

「キツネ」は「いくら頑張っても」「ブドウを・手に入れられない事」を「思い知り」ました。

「キツネ」は「うらめしそう」に「ぶどうの木を・見上げ」「言い」ました。

 

「なんだ、どうせ、あのブドウは・熟していないに決まっている」

「酸っぱいブドウの実なんて・欲しくもなんともないや」

 

「キツネ」は「自分の・力不足」を「認めず」「不合理な・言い訳」を、しました。

「キツネの・考え方」は「自分にとって・不都合な事」を

「覆い隠そう」(「おおいかくそう」) と、する

「心理学」に、於ける「合理化」に「相当」するそうです。

 

 

  私が「小学生の頃」「隣町」に「坂田の池」と、いう「大きな池」が「有り」ました。

「水際」には「沢山の・葦」(「あし」) が「生えて」いました。

「現在は・公園の一部分」に、なっています。

「池の周りは・遊歩道」が「囲い」「当時の面影」は「全く・残って」いません。

 

  私は「一人で」「自転車に・乗り」「たまに・釣りに行き」ました。

「竹で出来た・簡易な釣竿」で「エサ」は「ミミズ」でした。

「ある日」「とてつもない・大物」を「ヒット」して、しまいました。

「釣竿が・しなり」「池の中へ・引きずりこまれて」しまいました。

 

「何十分・格闘」したか「覚えて」いません。

「相手も疲れてきた」のか「魚影」(「ぎょえい」) を「見せ」ました。

「優に・1m」は「有る」「鯉」(「コイ」) でした。

「恐らく」「この池の・主」(「ぬし」) だと「思い」ました。

 

  私は「少しずつ」「陸に近づき」ました。

「私の持っていた」「たも網に・入る大きさ」では「有りません」でした。

「あと少しで」「体が」「池から陸に上がる時」でした。

「コイ」は「糸を切って・逃げて」しまいました。

 

「それからしばらくして」「池の近くにある・床屋」(「とこや」) に「行き」ました。

「床屋」には「大きな・魚拓」(「ぎょたく」) が「飾って」「有り」ました。

「床屋の・主人」に「尋ねる」と「1m・20cm」の「コイ」で「口には釣針が・1本」

「刺さっていた」と「答え」ました。

 

   私が「逃した・コイ」に「間違い有り」ません。

  私が「逃した魚」は「思い込み」で、無く「実際に・大きかった」のです。

  私は「悔しさを・感じません」でした。

 「子供の私」には「あの・コイ」を「陸まで・引き上げる」事は「無理」でした。

 

 

モーニング娘」は「逃がした魚は大きいぞ」の「歌詞」で「始まる」

「直感〜時として恋は〜」と、いう「歌」を、歌いました。

 

モーニング娘」は「1,997年」に「結成」された

「女性アイドル・ヴォーカル&ダンスグループ」です。

「モーニングセット」の、様に「色々ついてくる」「盛り沢山」「おトク感」を

「意図」した「ユニット」で「生みの親」で、ある「つんく」が「命名」しました。

 

「1,998年・1月」「モーニングコーヒー」で「メジャー・デヴュー」しました。

「歴代1位」の「21年連続」「オリコン・トップ10入り」を「果たし」で、います。

「紅白・歌合戦」には「1,998年」から「連続・10年」「出場」しました。

「レコード・大賞」も「4回」「受賞」しました。

 

 

モーニング娘」「直感〜時として恋は〜」「作詞」:「つんく」「作曲」:「つんく

 

逃した魚は 大きいぞ

出会い頭が 大切なのに

逃した魚は 大きいぞ

またこの次なんて あるわけ ないじゃん

 

そうだ  そうだ  そうだ  全く

そうだ  そうだ  そうだ  全く

そうだ   そうだ そうだ 全く その通り

 

この次に 出会う人

その先に 出会う人 そうだ そうだ そうだ 全く

欲望に きりは無く

夢ばかりが 広がる そうだ そうだ そうだ 全く その通り

 

目が合った その瞬間

女だけが 持っている そうだ そうだ そうだ 全く

ものすごい

直感が働く ときもある

 

そうだ そうだ そうだ 全く

そうだ そうだ そうだ 全く

そうだ そうだ そうだ 全く その通り

 

信じて 進むのか? そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ

疑って 進むか? そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ

どっちが 楽しい恋 ですか?

賢い人なら 分かるわ?

 

押したり 引いたり するけれど

自分に素直に 進めば いいじゃん

押したり 引いたりする たびに

裏目裏目に 結果が出たり・・・

そうだ そうだ そうだ 全く

そうだ そうだ そうだ 全く

そうだ そうだ そうだ 全く その通り

 

大好きと デザートは

入る場所が 違う そうだ そうだ そうだ 全く

電話より メールより

睡魔が  NO.1  そうだ そうだ そうだ 全く その通り

 

あわてんぼう さみしんぼう

かわいい 行動 そうだ そうだ そうだ 全く

でもなぜか 恋人に

見せるのとは 全く違う

 

そうだ そうだ そうだ 全く

そうだ そうだ そうだ 全く

そうだ そうだ そうだ 全く その通り

 

いつが 潮時か? そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ

年収で 決めますか? そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ

本当の愛って 何ですか?

分厚い辞書には 載って(「のって」) ますか?

 

逃した魚は 大きいぞ

出会い頭が 大切なのに

逃した魚は 大きいぞ

またこの次なんて あるわけ ないじゃん

 

そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ 全く そうだ そうだ そうだ

そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ そうだ 全く そうだ そうだ そうだ

 

逃した魚は 大きいぞ

出会い頭が 大切なのに

逃した魚は 大きいぞ

またこの次なんて あるわけ ないじゃん

 

逃した魚は 大きいぞ

出会い頭が 大切なのに

またこの次なんて あるわけ ないじゃん

 

 

※「逃避行」(「とうひこう」)

 

「逃避行」の「意味」は

 

・「すべてを投げ出して自由になる」と、いう「意味」では、有りません。

 

・「逃避」とは「取り組むべき事」に「困難や・不安」を「感じて」

   「逃げたり」「避けたり」する事、です。

 「現実逃避」(「げんじつとうひ」) と、いう「言葉」で「使われて」います。

 

・「行」は「いく」「すすむ」「あるく」等の「意味」が「有り」ます。

 

・「逃避」に「行」が「プラスされ」「逃げ出していってしまう」事に、なります。

 

・「逃避行」は「後ろめたい事がある人」「犯罪を犯した人」が「世間の目を避けて」

 「居場所」を「転々とする事」で「テレビドラマ」に「よく出て」きます。

 

 

「麻生 ようこ」は「逃避行」(「とうひこう」) と、いう「歌」を、歌いました。

 

「麻生 ようこ」は「1,955年・生まれ」の「歌手」です。

「1,974年」「逃避行」で「デビュー」しました。

「同年」「レコード大賞・最優秀新人賞」を「受賞」しました。

  私より「1歳・年下」なので「名前」「曲名」に「記憶」が「有り」ました。

 

「デビュー曲・以降」は「目立った・ヒット曲」に「恵まれなかった」様です。

「結婚を・契機」に「引退した」様ですが「時期」「相手の名前」は「不明」です。

 

「麻生 ようこ」「逃避行」「作詞」:「千家 和也」「作曲」「都倉 俊一」

 

あのひとから  言われたのよ

午前五時に  駅で待てと

知らない街へ  ふたりで 行って

一からやり直す ために

あのひとから  言われたのよ

友達にも  打ち明けるな

荷物をつめた  トランク さげて

また 空いた汽車を  空いた汽車を

見送ったー

昨日の酒に  酔いつぶれて いるのだわ

おそらく あの人の ことよ

それがなきゃ  いい人 なのに

あきらめたわ  私ひとり

キップ 買うー

 

あのひとにも  念を おした

裏切ったら  お別れだと

今までずっと  泣かされたけど

今度だけは 賭けて みると

あのひとにも  念を おした

遅れたなら  先に行くと

柱の時計  横眼で にらみ

また 空いた汽車を  空いた汽車を

見送ったー

女のひとに  引きとめられてるの だわ

おそらく あのひとの ことよ

それがなきゃ  いい人 なのに

あきらめたわ  私ひとり

汽車に 乗るー

 

 

「逃した魚は大きい」を「英語」で「言う」と

 

「You don't know what you've got, til it's gone」

 

 (「失った時やっとその良さが分かる」)

 

 と「言う」そうです。