何気なく使っている言葉の意味

「身から 出た・錆」

「皆さん」は「身から 出た・錆」(「みからでた・さび」) と、いう

「ことわざ」を「使った事」は「有り」ませんか?。

 

「身から 出た・錆」の「意味」は「下記」だ、そうです。

 

・「自ら」(「みずから」) の「良くない・行い」の「報い」(「むくい」) が

 「悪い・結果」と、して「自分・自身」に「降り・かかり」

 「苦しい 思い を・する事」だ、そうです。

 

・「他人 にも・迷惑が 及び」「責任 を・問われる 事」も「有る」そうです。

 

 

「身から 出た・錆」の「由来」は「下記」だ、そうです。

 

・「この ことわざ に・有る」「身」は「人の体 の事 では・無く」

 「刀身 (「かたなみ」) の・事」だ、そうです。

 

 「刀身 は・普段」は「刀 の・鞘」(「かたな の・さや」) に
 「納め・られ」(「おさめ・られ」)

 「戦いの 為に・使う 時」や「手入れ を・する 時」に「鞘 から・取り出し」ます。

 「刀身」は「砂鉄」(「さてつ」) から「抽出 (「ちゅうしゅつ」) ・された」

 「玉鋼」(「たま はがね」) を「主・原料」と、して「作られて」います。

 

 「玉鋼  は・鉄なの」で「酸素 や・湿気」に「触れる」と

 「簡単 に・錆びて」しまいます。

 「時代・劇」でも「刀を 手入れ する・シーン」が「有り」ます。

 「鞘に・入れっぱなし」に「しておく」と「錆びて・しまう」からです。

 

 「江戸・時代」の「刀工」(「とうこう」) と、して「有名」な「名工」(「めいこう」)

 「長曽弥 虎徹」(「ながそや こてつ」) が「作った・刀」は「お宝・鑑定団」に

 「出品・される」と「1,000・万円 程度」の「値 が・付き」ます。

 

 「幕末 に・活躍」した「新撰組・局長」(「しんせんぐみ・きょくちょう」)

 「近藤 勇」(「こんどう いさみ」) は「虎徹 の・刀」を「使った・事」で「有名」です。

 「近藤 勇」は「今宵の 虎徹は・血に 飢えている」

 (「こよいの こてつは・ちにうえている」) と、いう「名・ゼリフ」を「残し」ました。

 

 「名工 が・作った 刀」でも「錆びて・いた」ら「使い物 に・ならず」

 「常に・普段」から「手入れ が・必要」です。

 「その・事」から「自分 の・怠惰」(「たいだ」) や「犯した 罪 の・報い」(「むくい」) が

 「自分 自身 に・返ってくる 事」を

 「身から 出た・錆」と「言う様 に・なった」そうです。

 

 「身から 出た・錆」の「身」は「刀身・です」が「自分・自身」の

 「身体 や・命」に「なぞらえて・使う 事」も「出来る」そうです。

 「刀の・錆」は「刀 を・腐食 (「ふしょく」) して

 「使い物 に・ならなく して」しまいます。

 

 「取り返し の・つかない 事」を「して しまった・事」への

 「悔恨 (「かいこん」) の・言葉」と、して「使われる」そうです。

 「また」「自ら を・省みる」(「みずから を・かえりみる」)

 「自戒 (「じかい」) の・言葉」と、して「使われる」そうです。

 

「身から 出た・錆」の「類義語」は「下記」だ、そうです。

 

・「ブーメラン」

 

 (「自分 が・行った」「悪行」(「あくぎょう」) が

 「禍」(「わざわい」や「良くない・出来事」) と、なって

 「自分・自身」に・返ってくる 事」だ、そうです。)

 

・「自分で 自分の首 を・絞める」(「じぶんで じぶんのくび を・しめる」)

 (「自分で 自分を 苦しめる 様な 行為 を・行う 事」だ、そうです。)

 

・「しっぺ返し を・食らう」(「しっぺがえし を・くらう」)

 

 (「過去 の・悪行」が「原因」で

 「痛い目 に・逢う事」(「いたいめ に・あうこと」) だ、そうです。)

 

 

「身から 出た・錆」の「対義語」は「下記」だ、そうです。

 

・「因果・応報」(「いんが・おうほう」)

 

 (「過去 の・行い」の「善・悪」が「現在」「又は」「将来」の

 「幸・不幸」(「こう・ふこう」) に「影響 する・事」です。)

 

 「過去」に「悪行 (「あくぎょう」) を・行なって いれ」ば

 「現在」「又は」「将来」には「悪い事 が・身に 降りかかって」「来」ます。

 

 「反対」に「過去 に「善行 (「ぜんこう」) を・行っていれ」ば

 「現在」「又は」「将来」には「幸せ に・なる」事です。

 

・「自業・自得」(「じごう・じとく」)

 

 (「意味」は「因果・応報」と「ほぼ・同じ」です。)

 

 

「BUMP OF CHIKEN」は「錆び付いた車輪」の「歌詞」が「有る」

「車輪の唄」(「しゃりん の・うた」) と、いう「歌」を、歌いました。

 

「2,004年」に「リリース」され「オリコン・3位」に、なりました。

 

バンプ・オブ・チキン」は「1,996年」に「結成」された

「4人組 の・ロックバンド」です。

「全員」が「1,979年・生まれ」で「千葉県・佐倉市」「出身」です。
「中学・3年生の 時」「バンド を・組み」「文化祭」で「ライブ を・披露」しました。

 

「バンド・名」は「臆病者 の・一撃」(「おくびょうもの の・いちげき」)

「弱者 の・反撃」(「じゃくしゃ の・はんげき」) と、いう「意味」で

「名・付け」ました。

 

「2,000年」に「ダイヤモンド」で「メジャー・デビュー」しました。

「2,001年」「2th・シングル」「天体観測」が「大・ヒット」し

「知名・度」が「上がり」ました。

「2,002年」に「発売した・アルバム」「Jupiter」が「オリコン・1位」に、なりました。

「2,004年」に「発売」した「8th・シングル」「オンリー・ロンリー・グローリー」が

オリコン・1位」と、なりました。

「ファースト・アルバム」「FLAME」から「シングル・カット」した

「車輪の唄」が「オリコン・3位」に、なりました。

 

「同年」「幕張・メッセ」で「単独・ライブ」を「開催」し「最大・規模」の

「2日・間」で「3・万人」を「動員」しました。

「2,006年」「12th・シングル」「涙のふるさと」が「オリコン・1位」に、なりました。

「2,007年」「花の名」が「2作・連続」で「通算・3作 目」の

オリコン・1位」に、なりました。

 

「2,010年」「16th・シングル」「HAPPY」と

「17th・シングル」「魔法の料理〜君から君へ」の「異なる・歌」が「2週・連続」

オリコン・1位」に、なりました。

「同年」「18th・シングル」「宇宙飛行士への手紙」を「発売」し「自身・初」の

「3作・連続」「オリコン・1位」を「獲得」しました。

 

「2,011年」に「発売」した「2作 の・収益金」を「日本・赤十字社」を「通じ」て

「東日本・大震災」の「義援金」と、して「寄贈」(「きぞう」) しました。

「2,012年」に「22th・シングル」「グッド・ラック」を「発売」し「7作・目」の

オリコン・1位」と、なりました。

 

「2015年」には「横浜・アリーナ」で「カウント・ダウン」「コンサート」を「開催」し

「紅白・歌合戦」で「生・中継」(「なま・ちゅうけい」) されました。

「以後」「テレビ・ドラマ」や「テレビ・アニメ」の「主題歌・制作」にも「力を・入れ」

「2,019年」「TBS・日曜劇場」「テレビ・ドラマ」「グッドワイフ」の「主題歌」

「Auraro」を「書き・下ろし」(「かき・おろし」) ました。

 

 

BUMP OF CHICKEN」「車輪の唄」「作詞」:「藤原 基央」「作曲」:「藤原 基央」

 

錆び付い た (「さびつい た」) 車輪 悲鳴 (「ひめい」) を 上げ

僕等の 身体を 運んで いく 明け方の 駅へ と

 

ペダルを 漕ぐ (「こぐ」) 僕の 背中

寄りかかる 君から 伝わる もの 確かな 温もり (「ぬくもり」)

 

線路沿い (「せんろぞい」) の 上り坂で

「もう ちょっと、あと 少し」後ろから 楽しそうな 声

 

町は とても 静か すぎて

「世界中に 二人だけ みたい だね」と 小さく こぼした

 

同時に 言葉を 失くした (「なくした」) 坂を 上りきった 時

迎えて くれた 朝焼け (「あさやけ」) が  あまりに 綺麗 過ぎて (「きれい すぎて」)

 

笑った だろう あの 時 僕の 後ろ側 で

振り返る 事が 出来なかった 僕は 泣いてた から

 

券売機 (「けんばいき」) で  一番 端 (「はし」) の

一番高い 切符が 行く 町 を 僕は よく 知らない

 

その中 でも一番 安い

入場券 を すぐに 使うのに 大事に しまった

 

おととい 買った 大きな 鞄 (「かばん」)

改札に 引っ掛けて 通れず に 君は 僕を 見た

 

目は 合わせない で 肯いて (「うなずいて」)

頑に (「かたくなに」) 引っ掛かる 鞄の 紐を (「かばんの ひもを」)

僕の手が 外した (「はずした」)

 

響く (「ひびく」) ベルが 最後を 告げる 君だけの ドアが 開く

何万歩 より 距離のある 一歩 (「いっぽ」) 踏み出して 君は 言う

 

「約束 だよ 必ず いつの日か また 会おう」

応え (「こたえ」) られず 俯いた (「うつむいた」) まま 僕は 手を 振った よ

 

間違いじゃ ない あの 時 君は・・・

 

線路沿い の 下り坂 を

風より も  早く  飛ばして いく 君に  追いつけ と

錆び付いた 車輪 悲鳴を 上げ

精一杯 電車に 並ぶ けれど

ゆっくり 離されて く

 

泣いてた だろう あの 時 ドアの 向こう側 で

顔 見なくても わかって いたよ 声が 震えてた から (「ふるえてた から」)

 

約束 だよ 必ず いつの日か また 会おう

離れて いく 君に 見える ように 大きく 手を 振った よ

 

町は 賑わいだした けれど

世界中に 一人だけ みたいだ なあ と 小さく こぼした

 

錆び付いた 車輪 悲鳴を 上げ

残された 僕を 運んで いく

微か (「かすか」) な 温もり (「ぬくもり」)

 

 

※「身を 捨てて こそ・浮かぶ 瀬も あれ」(「みを すてて こそ・うかぶ せも あれ」)

 

「身を 捨てて こそ・浮かぶ 瀬も あれ」の「意味」は「下記」だ、そうです。

 

・「捨て身 の・覚悟」(「すてみ の・かくご」で「物事 に・取り組んで こそ」
 「成就・出来る」(「じょうじゅ・できる」)

 「身を 捨てて・かかれ」ば「成らぬ事 は・無い」(「ならぬこと は・ない」) と、いう

 「格言的 な (「かくげんてき な」) ・ことわざ」だ、そうです。

 

・「ピンチ の 状態の 人を・励まし たり」

 「苦境 に・陥った」(「くきょう に・おちいった」)

 「自分 を・奮い立た せる」(「ふるいたた せる」)

 「言葉」と、して「用いる」そうです。

 

 

「身を捨てて こそ・浮かぶ 瀬も あれ」の「由来」は「下記」だ、そうです。

 

・「江戸・時代」の「仮名・草子」(「かな・ぞうし」) に「記された」(「しるされた」)

 「下記・一節」で「2・通り」の「解釈 が・有る」そうです。

 

 「もののふ (「武士」) のや たけ心の ひとすじに 身を捨てて こそ 浮かぶ瀬も あれ」

 

 1. 「武士」が「勇猛・心 (「ゆうもう・しん」) を「ひとすじ」に
  「奮い・立て」 (「ふるい・たて」)「身を 捨てて・かかれ」ば

  「成らぬ・事」 「ならぬ・こと」) は「無い」と、いう「意味」です。

 

 2.「溺れ かけた・時」は「もがけ ば・もがく 程」「深み に・はまって しまう」が

  「捨て身 (「すて み」) に・なって」「水の・流れ」に「身を・まかせれ」ば

  「浅瀬」(「あさせ」) に「自然 と・たどり着い」て「立つ事 が・出来る」と、いう

  「経験・則」(「けいけん・そく」) から「生まれ た・言葉」だ、そうです。

 

 

「身を 捨てて こそ・浮かぶ 瀬も あれ」の「類義語」は「下記」だ、そうです。

 

・「肉を 切らせ て・骨を 断つ」(「にくを きらせ て・ほねを たつ」)

 (「自分・自身」も「痛手」(「いたで」を「受ける・覚悟の 上」で

 「相手」に「それ・以上」の「打撃 を・与える」と、いう「意味」だ、そうです。

 「捨て身 で・勝つ」(「すてみ で・かつ」) と、いう

 「気迫 が・有る」(「きはく が・ある」) 事だ、そうです。)

 「究極 の・戦法」(「きゅうきょく の・せんぽう」) だと「思い」ます。

 「しかし」「この戦法 が・成り立つ」為、には「互い の・刀」が

 「相手 に・届く」「間合い に (「まあい に」) ・いる 事」が「条件」です。

 

 「こらら」が「本気」で「決死 の・覚悟を 持ち」「相手」に

 「戦い を・挑んでも」) (「いどんでも」) も

 「相手 が・逃げ回って いて」は「戦い は・成立」しません。

 「従って」「相手」の「息の根 を・止める」(「いきのね を・とめる」) 事は

 「出来」ません。

 

 「本気 には 本気 で・応えて!」(「ほんき には ほんき で・こたえて!」と、いう

 「言い・回し」が「有り」ます。

 「男・女」の「恋愛・関係の 中」で「使う」のが「相応しい」(「ふさわしい」)

 「言葉」だと「思い」ます。

 

 「本気」で「この・言葉」を「瞳を・見つめ ながら」「言え」ば
 「もはや」「相手」は「のらり・くらり」と

 「誤魔化す (「ごまかす」)・事」は「出来 ない・はず」です。

 「この・歳」に「成って」「思い・付いた」「恋の・駆け引き」(「かけひき」) です。

 

・「死中 に・活を求める」(「しちゅう に・かつをもとめる」)

 

(「ほとんど」「助かる・見込みが 無く」「死 を・迎える」様な

 「絶望的 な・状況」の,中で

 「何とか」「生き残る 道を・見い出そう と する 事」だ、そうです。)

 

・「虎穴」に「入らずんば」「虎子 を・得ず」(「こけつ に いらずんば こじ を・えず」)

 

 (「虎 の・子供」」(「とらの・こども」) を「捕らえる」(「とらえる」) 為、には

 「危険 を・冒して」(「おかして」)「虎 の・洞穴」(「ほらあな」) に

 「入らね ば・ならない」事で

 「危険 を・避けて いて」は「大きな・成功も 無い」と、いう

 「中国 の・ことわざ」だ、そうです。)

 

 

「藤 あや子」は「浮かぶ瀬もある 紅の川」の「歌詞」が「有る」

「紅」(「べに」) と、いう「歌」を、歌いました。

 

「1,996年」に「リリース・され ました」が「オリコン・順位」は「不明」です。

「同曲」で「5回・目」の「紅白・出場」を、しています。

 

藤 あや子」は「1,961年・生まれ」の「演歌・歌手」です。

「デビュー・前」に「秋田県」が「主催」した「美人・コンテスト」で

「優勝」した「秋田・美人」です。

 

「1,987年」「ふたり川」で「デビュー」しました。

「1,992年」「こころ酒」が「大・ヒット」し「紅白・歌合戦」に「初・出場」しました。

「以後」「2,015年」の「曼珠沙華」(「まんじゅしゃげ・「彼岸 花」) まで

「21・回」「紅白・出場」しました。

 

「こころ酒」から「3作・連続」で「オリコン・トップ 10入り」し

「女性・演歌 歌手」と、して「新記録 を・樹立」しました。

「その後」「水森 かおり」が「記録・更新」し「継続・中」です。

「私・生活」では

 

「1,981年」「20歳 の・時」「2歳 年上 の・一般人」と「結婚」し
「同年」に「第一子・女児」を「出産」しました。

「しかし」「翌」「1,982」に「離婚」しました。

「2,017年」「56歳 の・時」「一般人 と・再婚」しました。

 

 

「藤 あや子」「紅」「作詞」:「坂口 照幸」「作曲」:「水森 英夫」

 

「紅 (「べに」) を ひきました。似合い (「にあい」) ますか?・・」

 

惚れて (「ほれて」) は いけない 男 ほど

優しさ 危なさ (「あぶなさ」) 裏表 (「うらおもて」)

追えば 誰より あなたが 困る

無理 よ ギリギリ もう 私

いつか あなた を あゝ いっそ 待てたら

浮かぶ瀬 も ある 紅の 川 (「べにの かわ」)

 

答えを 出す まで 悩んで も

答えを 出し たら あと 引か ず

誰が そんな に 割り切れ ましょう

ひとり 身を 引く 胸の うち

いっそ あなた と あゝ いっそ 泣けたら

堕ちて (「おちて」) 悔いない (「くいない」) 紅の 川

 

流れる ばかり の 憂世 川 (「うきよ がわ」)

どこまで 女の 迷い 川 (「まよい がわ」)

いいの あなた は 私の こと で

狭く (「せまく」) しないで 人生 を

いっそ あなた と あゝ いっそ 超えたら

浮かぶ瀬 も ある 紅の 川

 

 

「身から 出た・錆」を「英吾」で「言う」と

 

「I had it coming 」

 

 (「ツケ が・来る」のを「待って・いる」)

 

 と「言う」そうです。