何気なく使っている言葉の意味

「踏んだり・蹴ったり」

(「ふんだり・けったり」)

 

「皆さん」は
「踏んだり・蹴ったり」と、いう

「ことわざ」を「使った・事」は

「有・り」ませんか?

 

「踏んだり・蹴ったり」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「重ね・重ね」(「かさね・がさね」)

「短い・期間」に

「ひどい・目に あう」と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「例え・ば」「台・風」が

「直撃した・後」「すぐ・に」

地震が・起きる」様な

「ケース」が「該・当」します。

 

「こ  の」「ことわざ」は

「災難に・あった」と、いう

「被害者の・立場」で
「使う・言葉」なので

 

「受動・形」で

「踏まれたり・蹴られたり」と

「言いたくり・なります」が

「間・違い」で

 

「あくまで」

「加害者の・立場」で

「能動・形」で

「使・い」ます。

 

「踏んだり・蹴ったり」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

「倒・れ」て「地・面」に

「はいつく・ばって」
「いる・ところ」を

 

「足」で「踏ま・れて」

「更・に」「蹴ら・れた」

   と、いう

「状・況」を


「踏んだり・蹴ったり」と

「表現・した」箏が

「由・来」だ、そうです。

 

「由・来」と、して

「織田 信長」に

「まつわる・話」が

「有り・ます」が


「意・味」が「理・解」

「出・来」ません。

 

「気に・なる」「人」は

「踏んだり・蹴ったり」の
「由・来」で

「検策・して」下さい。

 

「踏んだり・蹴ったり」の

「代表・的」な「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「上・司」から

 「ぬれぎぬ」で

 「大目玉を・食い」

 

 「ツイて・いない」

 「日」だった。

 「しかも」「仕・事」で

 「会社の・女性」と

 「取引先の・ホテル」に

 「入る・ところ」を

 

 「彼・女」に

 「見とがめ・られ」

 「絶交・される」

 「踏んだり・蹴ったり」な

 「一・日」だった、

 

・「今・日」は

 「何を・やって」も

 「上手く・行かない」


 「踏んだり・蹴ったり」の

 「一・日」に

 「なり・そう」な

 「予・感」が、する。

 「こんな・日」は

 「家」で「ジッ・と」

 「して・いる」のが

 「一・番」」だ。

 

「踏んだり・蹴ったり」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「泣きっ面に・蜂」

  (「なきっつらに・はち」)

 

 「痛く・て」

 「泣いている・顔」を

 「ハチに・刺され」

 「更・に」

 「痛みが・増す」

 「事」から

 

 「不・運」や「不・幸」が

 「重・なる」と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「踏んだり・蹴ったり」の

「対義・語」を

「検索・して」も

「出て・来」ません。

 

・「盆と 正月が・一緒に 来たよう」
  (「ぼんと しょうがつが・

      いっしょに きたよう」)

 

 「うれしい・事」や

 「楽しい・事」が

 「重なる・事」の

 「たとえ」です。

 

 「辺・り」が「該当・な」

 「気」が、します。

 

 

TOKIO」(「トキオ」) は

「踏んだり 蹴ったり みたい

   そんな日も ある」の

「歌詞が・ある」

 

「上昇 思考」と、いう

「歌を・歌い」ました。

 

「シングル」

    と、しては

「発売・されて」いません。

 

「アルバム」に

「収録・されて」

「いる・はず」

   です が

 

「アルバム・名」を

「特定・出来」ません。

 

TOKIO」は

「1,989・年」に

「結成・された」

 

「ジャニーズ・事務所」

「所・属」の

「アイドル・グループ」です。

 

「代表・曲」に

 

「LOVE YOU ONLY」

「宙 船」(「そら ふね」)

「花 唄」「雨 傘」等が

「有・り」ます。

 

「1,994・年」に

「ファースト・シングル」

「LOVE YOU ONY」で

「メジャー・デビュー」しました。

 

「同・曲」は

オリコン・3 位」と、なり

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「1,995・年」に

「日本・テレビ 系」で

「放送・中」の

「長寿・番組」

 

「ザ・鉄腕ダッシュ!」の

「放・送」が

「開・始」しました。

「1,998・年」に

「日本・テレビ 系」で

「放・送」された

「愛は 地球を 救う」の

 

「パーソナリティ」を

「初め・て」

「務・め」

 

「2,003・年」に

「2 度・目」の

「パーソナリティ」を

「務・め」ました。

 

オリコン・1 位」

    と、なった

「作・品」は

「下・記」です。

 

「2,001・年」の

「22 th ・シングル」

「メッセージ/

   ひとりぼっちのハブラシ

 

「2,002・年」の

「27 th・シングル」

「dling 〜dong/glider」

 

「同・曲」は

「TBS・テレビ 系」

「ドラマ」

 

「やんパパ」の

「主題・歌」に

「成・り」ました。

 

「2,003・年」の

「28 th・シングル」

「AMBITIOUS JAPAN」

 

「同・曲」は

「JR ・東海」の

「イメージ・ソング」に

「採用・され」ました。

 

「2,004・年」の

「ファースト」

「カバー・アルバム」

TOKIO

 

「同・アルバム」は

「デビュー・10 周年」を

「記念・して」

「リリース」しました。

 

「2,006・年」の

「33 th・シングル」

「Mr. ETraveling Man」

 

「同・曲」は

「TBS・テレビ 系」

「ドラマ」

 

「夜王〜YAOH〜」の

「主題・歌」に

「採用・され」ました。

 

「2,006・年」の

「35 th・シングル」

「宙 船/do !do !do !」

 

「同・曲」は

「中島 みゆき」

「作詞・作曲」の

「楽・曲」で

 

「日本・テレビ 系」

「ドラマ」

 

マイ★ボス マイ★ヒーロー」の

「主題・歌」に

「採用・され、ました。

 

「2,007・年」の

「38 th・シングル」

「青春 .SEISYUN

 

「同・曲」は

「長渕 剛」
「作詞・作曲」の

「楽・曲」で

 

「TBS・テレビ 系」

「ドラマ」

「歌 姫」の

 

「主題・歌」に

「採用・され、ました。

 

「2,010・年」の

「42 th・シングル」

「- 遥か -」

 

「同・曲」は
「TUBE」から

「楽曲・提供」を

「受・け」

 

「ザ・鉄腕 DASH 」の

「企・画」

 

「DASH 海岸」の

「テーマ・ソング」に

「成・り」ました。

 

「2,014・年」の

「サード」

ベスト・アルバム

「HEART」

 

「同・アルバム」は

「デビュー・20 周年」を

「記念・して」

「リリース」しました。

 

「2,018 年・4月」に

「山口 達也」が

「共演・した」

「女子・高生」に

 

「飲酒・させた」

「上・に」

「わいせつ・行為」

   を、して

 

TOKIO」から

「脱退・する」と

「共・に」

 

「ジャニーズ・事務所」も

「退・所」しました。

 

「この・影響」で

TOKIO」は

「音楽・活動」を

「休・止」しました。

 

「2,020 年・7月」

「長瀬 智也」が

「2,021年・3月」を

「以っ・て」


TOKIO」から

「脱・退」し

「ジャニーズ・事務所」を

「退・所」し

 

「芸能界・から」

「引退・する」と

「発・表」しました。

 

「長 瀬」は

「TBS・テレビ 系」で

「毎週・金曜日」の

 

「22:00〜22:54」に

「放送・されて」いる

「俺の 家族の話」で

 

「主・役」と、して

「能・役者」と

「プロレスラー」を

「演じて・います」が


「見納めに・なる」かも

「知・れ」ません。

 

「残・る」

「城島 茂」「国分 太一」

「松岡 昌宏」の「3・人」は

 

「グループ・活動」を

「継続・する」箏を

「発表・して」います。

 

「紅白・歌合戦」には

 

「1,994・年」の

「LOVE YOU ONLY」〜

「2,017・年」の

「AMBITIOUS」まで

 

「ジャニーズ・事務所」では

「最・多」で

 

「歴代・11 位」の

「24 回・蓮速」で

「出・場」しました。

 

 

TOKIO」「上昇 思考」

「作・詞」「作・曲」:「山下 和彰」

 

どうにも こうにも ならない 

行き先 不明でも

何とか どうにか がんばって 

これ 生き様 だね

 

周り (「まわり」) では 浮いている? 

そんな 気がしても

結局は 人生って きっと 

楽しんだもん 勝ち

 

そして YOU 疲れた 目をして  

お人よしに 生きてないか?

めちゃくちゃ 理不尽な 箏さえも

上手く かわせば OK 

 

オレなりの ピース Yeah 手にして 

さぁ 歩き出す

ストレス するっと スルー して 

もっと 気楽に 見せようじゃない

 

キミなりの ピース Yeath これから  

そう 描ける (「えがける」) さ

理想の 未来 きっと 強く 

イメージ できる

 

例えば(「たとえば」) この 日常も 

見方を 変えれば 悪くない

 

踏んだり 蹴ったり みたいな 

そんな日が あっても

何となく ツイテ ない 

そんな 時もある

 

たまには「いそがば まわれ」で  

寄り道とか して みないか?

ひたすら がんばり すぎる だけが

がんばること でも なくて

 

オレ だけの センス Yeah つなげて 

さぁ まだ 行ける

あきらめ ない 気持ちが 

やがて 回り始める

 

キミだけのセンス Yeah 信じて 

そう 迷わずに

踏み出すこの 今から きっと 

明日 (「あした」) に 変わる

 

例えば 今 おちて ても 

明日は 笑顔に なればいい

 

 

※「同じ 轍を・踏む」

(「おなじ てつを・ふむ」)

 

「同じ 轍を・踏む」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「二の 轍を・踏む」と

(「にの てつを・ふむ」)

「表現・する」「人」が

「多い そう・です」が

「間・違い」です。

 

「おそらく」「類義・語」の

「二の 舞を・演じる」や

(「にの まいを・えんじる」)

 

「二の 足を・踏む」と、いう

(「にの あしを・ふむ」)

「言・葉」と

 

「混同・している 」と

「思わ・れ」ます。

 

「同じ 轍を・踏む」の

「意・味」は

 

「先・人」と「同・じ」

「失敗や・過ち」を

「繰り・返す」と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「失・敗」とは

「自・分」が

「過去に・犯した」

 

「失敗や・過ち」では

「無・く」

 

「先・人」が

「過去に・犯した」

「失敗や・過ち」と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「そのため」「自分・自身」が

「過去に・犯した」のと

「同・じ」

 

「失敗や・過ち」を

「繰り・返す」

「意・味」では「無・く」

 

「先・人」と「同・じ」

「失敗や・過ち」を

「犯・す」と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「同じ 轍を・踏む」の

「語・源」は

「下・記」だ、そうです。

 

「轍」(「てつ」) は

「訓・読み」で「輪・立ち」と

                      (「わ・だち」)

「読・み」ます。

 

「輪・立ち」とは

「舗装されて・いない」

「雨の・後」の

 

「ぬかるんだ・道」や

「雪・道」を

「車が通った・後」に

「残・る」

 

「車輪の・跡」

    と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「凹ん・だ」「輪・立ち」の

「上を・走る」と「タイヤ」が

「スリップ」して

 

「動けなく・なる」事が

「同じ 轍を・踏む」の

「由・来」だ、そうです。

 

「伝統を・継ぐ」と、いう

「ポジティブ」な「ニュアンス」の

「言・葉」では「無・い」為

 

「この・言葉」を

「使う・時」には

「注意が・必要」です。

 

「同じ 轍を・踏む」の

「代表・的」な「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「先・輩」から「注意・しろ」と

 「教えて・もらっていた」のに

 「同じ 轍を・踏んで」

 「失敗・して」しまった。

 

 「先・輩」に「合わす・顔」が

 「無」い。

 

・「人・類」は「数千年の・間」

 「戦・争」と、いう

 「同じ 轍を・踏んで」来た。

 

 「次・に」「大きな・戦争」が

 「起き・れば」「間違い・なく」
 「人・類」は

 「滅亡・する」だろう。

 

「同じ 轍を・踏む」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。


・「二の舞を・演じる」

  (「にのまいを・えんじる」)

 

 「二の・舞」とは「舞・楽」の

 「楽・曲」の「一・つ」で

 「安・摩」(「あ・ま」) と、いう

 「舞の・後」に「演じ・る」

 

 「安・摩」を「真似・た」

                     (「まね・た」)
 「下手な・舞」の 事で

 「転じ・て」

 「他人の・失敗」を

 「繰り・返す」と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「同じ 轍を・踏む」の

「対義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「人の振り見て・我が振り直せ」

  (「ひとのふりみて・わがふりなおせ」)

 

 「他人の・言動」を「見・て」

 「良い・ところ」は

 「見・習い」

 

 「悪い・ところ」は

 「反面 教師に・せよ」と、いう

 (「はんめん・きょうし」)

 

 「戒・め」(「いまし・め」) の

 「言・葉」だ、そうです。

 

 

「篠原・涼子」は

(「しのはら・りょうこ」)

「もう 2 度とくりかえさずに」の

「歌詞が・ある」

 

「恋しくて 切なくて 力強くて」

    と、いう

「歌を・歌い」ました。

 

「1,994・年」に

「リリース」した

「4 th・シングル」で

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「篠原 涼子」は

「1,973 年・生まれ」で

 

「群馬 県」「桐生 市」

「出・身」の

「女・優」「歌・手」です。

 

「代表・曲」に

 

恋しさと せつなさと 心強さと

「星に 願いを」「手 紙」

「薔薇が 眠れるまで」等が

「有・り」ます。

 

「2 歳の・時」に「母・親」を

「交通・事故」で「亡く・し」

「父・親」も

 

「出・稼ぎ」で

「不在・がち」の為

「祖・母」に

「育て・られ」ました。

 

「地・元」の

「桐生 第一・高校」を

「3ヶ・月」で「中・退」し

「単身・上京」しました。

 

「1,989・年」

「16 歳 の・時」に

イー・コンセプト」が

「開・催」した

 

「オーディション」に

「合・格」し

「同・事務所」に

「所・属」しました。

 

「同・年」に

「テレビ・朝日 系」で

「放送・された」

「テレビ・ドラマ」

 

「高速戦隊 ターボレンジャー」に

「高校生・役」で「出・演」し

「女優・デビュー」しました。

 

「1,990・年」に

「アイドル・グループ」

「東京・パフォーマンス」に

「所・属」し

「歌手・デビュー」しました。

 

「1,991・年」に

「フジ・テレビ 系」で

「放送・された」

「バラエティ・番組」

 

ダウンタウン

   ごっつええ感じ」に

「レギュラー・出演」し

 

「アイドル・ながら」
「お・笑い」に

「体・当たり」し

 

「茶の・間」の

「人気を・博し」ました、

 

「1,994・年」に

「小室 哲哉」の

「プロヂュース」に よる

 

「4 th・シングル」

「恋しさ (「いとしさ」) と

   せつなさと 心強さと」を

「リリース」し

 

「202・万枚」を

「売り・上げ」

「シングル」では

「歴代・22 位」で

 

「女・性」の

「ソロ・歌手」では

「初」と、なる

 

「ダブル・ミリオン」を

「記・録」しました。

 

「同・年」「同・曲」で

「日本・レコード大賞・優秀賞」

「日本・有線放送・音楽優秀賞」を

「受・賞」し

 

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「1,995・年」に

「小室・ファミリー」を

「離・れ」

 

「独自の・活動」を

「始・め」ました。

 

「しかし」

「華原 朋美」も

「同じ・でした」が

 

「小室 哲哉」と、いう

「後ろ・盾」を

「失・う」と

 

「ヒット・曲」に

「恵ま・れず」

「女優・業」に

「専・念」しました。

 

「2,001・年」に

ハムレット」で

「オフィーリア・役」を

「演・じ」

 

「舞・台」に
「初・出演」しました。

 

「2,004・年」に

「日本・テレビ 系」で
「放送・された」

「連・続」「テレビ ・ドラマ」

 

「光とともに・・
   自閉症児を抱えて」で
「初・主演」し

「好・演」しました。

 

「同・クール」で

「フジ・テレビ 系」で

「放送・された」

「テレビ・ドラマ」

 

「アットホーム・グッド」で

「主・演」し

「2・作品」の「ドラマ」を

「掛け・持ち」しました。

 

「2,005・年」に

「日本・テレビ 系」

「テレビ・ドラマ」

「溺れる 人」で

 

「アルコール・依存症」の

「女・性」を「演・じ」

「その・演技」が

「高く・評価」され

 

「放送文化・演技賞」を

「受・賞」しました。

 

「2,019・年」に

「映・画」

「人魚の 眠る家」で

 

「日本・アカデミー賞

「優秀・主演 女優賞」を

 

「映・画」

「北の 桜守」で

 

「日本・アカデミー賞

「優秀・助演 女優賞」を 

「ダブル・受賞」しました。

 

「2,020・年」に

「N H K」

「連続・テレビ 小説」

「おちよやん」に

 

「レギュラー・出演」

   しました。

 

「私・生活」と、しては

 

「2,005・年」

「32 歳の・時」に

「25 歳・年上」の

「俳・優」

 

「市村 正親」と

「結・婚」しました。

 

「2,008・年」に

「第一子・長男」を

「出・産」しました。

 

「2,012・年」に

「二・男」を

「出・産」しました

 

 

「篠原 涼子」

恋しさと せつなさと 心強さと

「作・詞」「作・曲」:「小室 哲哉」

 

恋しさ (「いとしさ」) と 

せつなさと 心強さと

いつも 感じている 

あなたへと 向かって

あやまち は おそれずに

進む あなたを

涙は 見せないで 

見つめて いたいよ

 

遠い 空を あの日も 

眺めて (「ながめて」) いた

やりかけの 青春も 経験も 

そのままで

永遠を 夢見ていた  

あの日を 今

もう 2度 と くりかえさずに  

もどらずに 生きること

出来なくて あこがれ て

でも 少しずつ

理解って (「わかって」) きた 

戦う こと!!

 

悲しくて 泣きたくて 

叫びたく ても

あなた を 信じ てる 

言葉に できない

あやまち は おそれず に  

進む あなたを

涙は 見せないで 

信じて いたいよ

 

誰の目 にも 

とまること ないまま

街角の ポスターは 

色あせて 消えていく

だけど あなたへの  

想いは きっと

消えない で いつまで も 

迷わずに 残っている

偶然 でも 会えなくて

でも 世界中で  1人 だけ は 

伝え たい!!

 

恋しさと せつなさと  

心強さと

いつも 感じている  

あなたへと 向かって

あやまち は おそれず に

進む あなたを

涙は 見せないで 

見つめて いたいよ

 

 

「踏んだり・蹴ったり」を

「英・語」で

 

 「It's one after another」

 

 (「次から・次へと」) と

 

 「言・う」そうです。