何気なく使っている言葉の意味

「可もなく不可も・なし」

(「かもなく ふかも・なし」)

 

「皆さん」は

「可もなく 不可も・なし」

   と、いう

「慣 用・句」を

 

「使った・事」は

「有・り」ませんか?

 

「可もなく 不可も・なし」の

「意・味」は
「下・記」だ、そうです。

・「特に 良くも・なく」

 「か と・いって」

 「特に 悪くも・なく」

 「ごく普通で・平凡」と

 

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「可もなく 不可も・なし」の

「由・来」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「釈 迦・キリスト」と

 (「しゃか」)

 「並・び」
 「世界 三聖の・一人」

 (「せかい さんせいじん」)

 

 「孔 子」の

 (「こう し」)

 「下 記・言葉」が

 「由 来・だと」

 

 「言わ れて・いる」

    そうです。

 

 「自分の 意志を・貫い」て

 「世を 捨てた・人物」と

 「比 較・して」

 「自分 の・こと」を

 (「孔子」)

 

 「可もなく 不可も・なし」と

 (「ある 生き方・だけ」を
  「良い とも・しない」し

  「あ る・生き方」を

 「駄目 とも・しない」)

 

  「述 べ・た」

        そうです。

 

「可もなく 不可も・なし」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「自然薯 を・食べた」

 「事が 無い・人」は

 「多い の・かも」

 「知・れ」ません。

 「スーパー・等」で
 「売って・いる」
 「ナ ガ・イモ」と

 「自 然・薯」は

 

 「似て 非・なる」

 「根・菜」です。

 

 「自 然・薯」は

 「野山に 生息・して」

 「くねり ながら・土中」を

 「真下 に・伸びて」います。

 

 「ナガイモ より・細い」

    もの の

 「すり・鉢」が

 「持ち 上がる・程」の

 

 「強い 粘りが・特長」で

 「山菜 の・王様」と

 「呼ば れ・て」います。

 

 「私」は

 「そ の・自然薯」を

 「市民農園 の・畑」で

 「栽 培 して・おり」

 

 「先・日」

 「10 本・程度」を
 「試 し・堀り」

 (「ためし・ぼり」)
    しました。

 

 「小さな・種イモ」で

 「栽培 した・自然薯」は

 「それ ほど・大きく」は

 「成ら ない・だろう」と

 

 「たか を・くくって」

 「地・中」に
 「斜め に・敷いた」

 「長さ・50 cm」の

 

 「あぜ波板 に・這わせ」て

 「栽・培」しました。


 「とこ ろ・が」

 「内・3 本」は

 「あぜ波板・から」

 「は み・出し」て

 

 「50 cm・程度」が

 「土中 を・真下」に

 「突 き・刺さって」

    いました。

 

 「内・1 本」は

 「太 い・ところ」が

 「手 の・親指」と

 「人差し指」で

 

 「丸を 作った・太さ」で

 「野山 で・掘った」

 「天然の 自然薯・では」

 「見たことが 無い・程」に

 

 「成長 して・いて」

 「折らない・様」に

 「掘り上げる・のに」

 「苦・労」しました。

 

 「夏 の・暑さ」で

 「早・く」に

 「ツル と・葉」が

 「枯れ た・もの」は

 

 「光合成・不足」で

 「長さ は・30 cm」

 「太さは 親指・程度」

 「し か・無く」

 

 「試し堀 の・成果」は

 「可もなく 不可も・なし」

    でした。

 

 「一・方」

 「期待 して・いた」

 「大き な・種イモ」は

 「50 cm の・あぜ波板」を

 

 「強力 補修・テープ」
 「ゴリラ・テープ」で

 「2 枚 繋ぎ・合わせ」て

 「栽 培・しました」が

 

 「自 然・薯」は

 「テープの 下に・もぐり込み」

 「あぜ波板の つなぎめ・から」

 「土中に 突き・刺さって」

 「しまった・為」に

 「繋いだ・あぜ波板」を

 「外さな・けれ」ば

 「掘る 事が・出来ず」に

 

 「出 来・栄え」を

 「確認 する・事」は

 「出 来・ません」
    でした。


 「も し・も」

 「来年 も・健康」で

 「挑戦 出来る・なら」

 「これら の・事」は

 

 「良・い」

 「反・省・材料」に

 「成・り」ました。

 

・「友・人」の

 「娘達 の・容姿」は

 「可もなく 不可も・なし」

    だ が

 

 「性・格」は
 「極め て・良く」

 「老 若・男女」

 (「ろうにゃく・なんにょ」)

 

 「皆」に

 「好かれ て・いる

    そうだ。

 

「可もなく 不可も・なし」の

「類 義・語」を

「検 索・して」も

「ピン と・来」ません。

 

・「有 り・触れた」

   (「あり・ふれた」)

 

・「何処に でも・あり」

 「普通 で・あり」

 「珍しく も・ない」と

 「い う・意味」の

 

 「慣 用・句」で

 「有り触れ た・毎日」が

 「代表的 な・使用例」

    です。

 

「可もなく 不可も・なし」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「傑 出・した」

   (「けっしゅつ・した」)

 

・「多くの ものの・中」で

 「ず ば・抜け」て

 「優れ て・いる」

    と、いう

 

 「意・味」の
 「慣 用・句」

    です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

「Ado」は

(「ア ド」) 

 

「可もなく 不可もない

   メロディー」の

「歌詞 が・ある」

 

「うっせぇわ」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2020・年」に

「リリース・した」

「ファースト」

「デジタル・シングル」で

 

オリコン・1 位」の

「大ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「ア ド」は

「2002 年・生まれ」で

「東京 都・出身」の

「女 性・歌手」で

 

「本・名」は
「非・公開」

   です。

 

「社会 や・大人」に

「対 し・て」

「感じ て・いる」

「不満 や・非難」を

 

「毒 々・しい」

「歌詞 に・込め」て

「透明感・ある」

「歌・声」で

 

「唯 一・無二」の

(「ゆ いつ・むに」)

「世 界・観」を

「歌 い・上げ」て

   います。

 

「一 度・聴く」と

「病 み・付き」に
(「や み・つき」)

「成・る」

 

「中 毒・性」の

「有・る」

「独特 な・歌声」や

「高 い・歌唱力」と

 

「豊かな・表現力」で

「話題に なって・いる」

「アーティスト」だ

   そうです。

 

「小学生 の・時」に

「ニコ ニコ・動画」等

「顔 を・出さず」に

「活 動・する」

 

「歌い手 の・文化」に

「興味 を・持ち」

「2017・年」

「高校生 の・時」に

 

「ニコ ニコ・動画」へ

「歌っ て・みた」

「動・画」を

「投・稿」し

 

「歌・手」と

   して の

「活・動」を

「始・め」ました。

 

「2020・年」

「高 校・3 年生」で

「18 歳の・時」に

「リリース・した」

 

「ファースト・配信」
「デジタル・シングル」

「うっせぇわ」で

「メジャー・デビュー」を 

 

「果 た・し」

   ました。

 

「同・曲」は

「デビュー・曲」

   なが ら

ビルボード・ジャパン」の

 

「Hot・100」

「ランキング」で

「総 合・1 位」に

「成・り」

 

You Tube・での」

「ミュージック・ビデオ」の

「再 生・回数」が

「1 億・回」を

 

「ストリーミング」

「再 生・回数」が

「3 億・回」を

「突・破」し

 

「ソ ロ・歌手」と

   して は

「史・上」

「最年少・記録」を

 

「打 ち・立て」
   ました。

 

「代 表・曲」に

 

「うっせえわ」

「私は 最強」

「新 時 代」等が

「有・り」ます。

 

「2021・年」に

「リリース・した」

「サード・配信」
「デジタル・シングル」

 

「ギラギラ」の

「ストリーミング」

「再 生・回数」が

「うっせぇわ」に

 

「続・き」

「自 身・2 曲目」の

「1 億・回」を

「突・破」しました。

 

「同・年」に

「リリース・した」

「4 th・配信」

「デジタル・シングル」

 

「踊」の

「ストリーミング」

「再 生・回数」が

「自 身・3 曲目」の

 

「1 億回 を・突破」し

「レコード・大賞・

   特別 賞」を

「受・賞」しました。

 

「2022 年・1 月」に

「リリース」

   し た

「ファースト・アルバム」

 

「狂 言」が

「自 身・初」の

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2024 年・7 月」に

「リリース・した」

「セカンド・アルバム」

「残 夢」が

(「ざんむ」)

 

オリコン・1 位」に

「成・り」

「アルバム・作品」が

「デビュー・から」

 

「2 作品・連続」で

オリコン・1 位」の

「快・挙」を
「成 し・遂げ」ました。

 

「2022 年・6 月」に

「リリース・した」

「10 th・配信」

「デジタル・シングル」

 

「新 時 代」が

You Tube・チャンネル」で

「公 開・され」た

ONE PIECE FILM RED」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」

「配 信・サイト」で

「16 冠 を・達成」し

 

ビルボード・ランキング」で

「総 合 1 位 と・なる」

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「同 年・6 月」に

「リリース・した」

「11 th・配信」

「デジタル・シングル」

「私は 最強」が

ビルボード・ランキング」

「総 合・3 位」に

「成・り」

 

「同 年・7 月」に

「リリース・した」

「12 th・配信」

「デジタル・シングル」

 

「逆 光」が

ビルボード・ランキング」

「総合 2・位」に

「成・り」

 

ビルボード・ジャパン
   Hot ・100」に

「於 い・て」

「私は 最強」

 

「新 時 代」

「逆 光」が

「史上初 と・なる」
「総 合・1 - 3 位」を


「独占 する・快挙」を

「成 し・遂げ」ました。

 

「2023 年・7 月」に

「リリース・した」

「21 th・配信」

「デジタル・シングル」

 

「向 日 葵」が

(「ヒマワリ」)

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」た

 

福原遥深田恭子

「W・主演」の

「テレビ・ドラマ」

「18/40 

   ふたりなら 夢も恋も」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」

   ました。

 

「同 年・9 月」に

「リリース・した」

「18 th・配信」

「デジタル・シングル」

 

「唱」が

(「しょう」)

ビルボード

    ランキング」で

「総 合・1 位」に

「成・り」

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

(「紅 白・出場」は

    この 1 回・のみ」)

 

「現 在・22 歳」

   です が

「結・婚」は
「未・だ」の 様 です。

 

「Ado」

「うっせぇわ」

「作・詞」「作・曲」
「syudou」

 

正しさとは 愚かさとは
それが何か 見せつけてやる

ちっちゃな頃から 優等生
気づいたら 大人になっていた
ナイフの様な 思考回路
持ち合わせる訳も なく

でも遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは 誰かのせい
あてもなくただ 混乱するエイデイ

それも そっか
最新の流行は 当然の把握
経済の動向も 通勤時チェック
純情な精神で入社し ワーク
社会人じゃ当然の ルールです

はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたが思うより 健康です
一切合切 凡庸な

(「いっさいがっさい ぼんよう」)
あなたじゃ 分からないかもね
嗚呼 よく似合う

(「ああ」)
その可もなく不可もない メロディー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
頭の出来が違うので 問題はナシ

つっても私 模範人間
殴ったりするのは ノーセンキュー
だったら 言葉の銃口

その頭に突きつけて 撃てば
マジヤバない?止まれやしない
不平不満垂れて 成れの果て
サディスティックに 変貌する精神

クソ だりぃな
酒が空いた グラスあれば

直ぐに 注ぎなさい
皆がつまみ易いように 串外しなさい
会計や注文は 先陣を切る
不文律最低限の マナーです

はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
くせぇ口塞げや 限界です
絶対絶対現代の代弁者は 私やろがい
もう 見飽きたわ
二番煎じ 言い換えのパロディ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
丸々と肉付いた その顔面にバツ

うっせぇうっせぇうっせぇわ
私が俗に言う 天才です

うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたが思うより 健康です
一切合切 凡庸な
あなたじゃ 分からないかもね
嗚呼 つまらねぇ
何回聞かせるんだ そのメモリー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
アタシも 大概だけど
どうだっていいぜ 問題はナシ

 

 

 

※「差し 障り・ない」

   (「さしさわり・ない」)

 

「差し 障り・ない」の

「意・味」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「物事を 行う・際」に

 「発 生・する」

 「不都合 や・支障」が

 「無・く」

 

 「特に 問題・ない」と

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「差し 障り・ない」の

「由・来」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「差し障り・とは」

 「妨げ に・なる」や

 (「さまたげ」)

 「悪い 影響が・ある」

 

 「都合が 悪く・なる」

 「支障 が・ある」

    と、いう

 「意・味」で


 「差し 障り・ない」

    と は

 「これらを 否定・した」

 「事」が

 

 「由・来」の
 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「差し 障り・ない」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は
「下・記」だ、そうです。


・「彼 と・彼女」は

 「高校生 の・時」

 「授業 が・終わった」

 「放 課・後」に

 

 「人目 の・少ない」

 「公園 の・ベンチ」で

 「差し 障り・ない」

 「話・題」で


 「時間 を・つぶす」

 「事」が

 「日 課・だった」

    そうだ。

 

・「彼・女」は
 「人当たりが・良く」

 「相・手」に

 「差し 障り・ない」


 「範・囲」で
 「皆 の・情報」を

 「聞き 出す・のが」

 「上・手」だった。

 

「差し 障り・ない」の

「類 義・語」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「差し 支え・ない」

   (「さしつかえ・ない」)

・「差し支・える」を
   (「さしつか・える」)

 「否 定・した」

 「言 い・回し」で

 

 「問題 が・ない」や

 「支障 が・ない」

 「邪魔に なら・ない」と

 「い う・意味」の

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「差し 障り・ない」の

「対 義・語」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「支障 を・きたす」

   (「ししょう を・きたす」)

 

・「物・事」の

 「妨げ に・なる」や

 「邪魔 に・なる」

 「差し障り に・なる」と

 

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

 

「谷村 新司」は

(「たにむら しんじ」)

 

「さしさわりない 妻よりは

   狂った女に なりたい」の

「歌詞 が・ある」

 

「夜 顔」
(「よる がお」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1995・年」に

「リリース」

   し た

「8 th・ベストアルバム」

 

「シングル A面・

   コレクション」に

「収 録・され」て

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「谷村 新司」は

「1948 年・生まれ」で

「大阪 府・河内長野 市」
           (「かわちながの」)
「出・身」の

「シンガー・ソング

   ライター」

「タレント」

「作 詞・家」

 

「作 曲・家」

「大 学・教授」

   でした。

 

「府・立」
大和川・高校」を

(「やまとがわ」)
「卒 業・後」に

 

大阪府に 在・する」
桃山学院・大学」

「社 会・学部」に

「進 学・する」も

 

「バンド・活動」に

「熱・中」し

「中 退」しました。

 

「1971・年」に

「同 じ・く」

「シンガー・ソング

   ライター」の

「堀内 孝雄」

(「ほりうち たかお」)

「ドラム・担当」の

「矢沢 透」の

(「やざわとおる」)

 

「男 性・3人」で

「フォーク・グループ」

「アリス」を

「結・成」しました。

 

「アリス」の

「代 表・曲」に

 

「チャンピオン」

「冬の 稲妻」

「秋止 符」等が

(「しゅうしふ」)

「有・り」ます。

 

「1979・年」に

「アリス と・して」の

「活・動」と

「並 行・して」

 

「3・人」は

「各・々」
「ソ ロ・活動」を

「開・始」しました。

 

「谷村 新司」は

「1979・年」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

 

「陽は また 昇る」で
(「ひ」)

「ソ ロ・デビュー」を

「果  た・し」ました。

「同・曲」は
「フ ジ・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「同・名」の

「テレビ・ドラマ」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

オリコン・22 位」の

 

「スマッシュ・ヒット」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「昴」

(「すばる」)

「群 青」

(「ぐんじょう」)

「いい日 旅立ち」等が

「有・り」ます。

 

「1980・年」に

「リリース・した」

「セカンド・シングル」

「昴」

 

「ニッカ・ウィスキー」
「スーパー・ニッカ」の

「C M・ソング」に

「起 用・され」て

 

オリコン・2 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

「自身 の・代表曲」の

 

「一・曲」に

「成・り」ました。

 

「アリス と・して」の

「活動 休止・後」の

「1982 年・から」

「本 格・的」に

 

「ソ ロ・活動」を

「開・始」し

「数・多く」の

「大 ヒット・曲」を

 

「世」に

「送 り・出し」

   ました。

 

「2004・年」に
「中国に 在・する」
「上海 音楽・学院」の

「教授 に・就任」し

 

「5 年間・勤め」

「多くの・生徒」を

「アーティスト と・して」

「巣立 た・せ」ました。

 

「2013 ・年」に
「毎日 芸術・賞」と

「芸術 選奨・

   文部科学 大臣賞」を

「受・賞」しました。

 

「2015・年」に

「紫 綬・褒章」を

(「しじゅ・ほうしょう」)

「受・賞」しました。

 

「2022 年・には」

「アリス」の

「結 成・50 周年」を

「記 念・して」

 

「有 明・アリーナ」で

「3人 に・よる」

「記 念・ライブ」を

「開・催」し

「大・好評」を
「博・し」ました。

 

「2023 年・3 月」に

「大 腸・ガンの

「手術 を・受け」

「療養 を・続ける」も

 

「2023・10・8」に

腸炎の 診断・にて

「帰ら ぬ・人」に

「成・り」ました。

 

「享・年」

(「きょうねん」)

(「満年齢+1 歳」)
「75・歳」でした。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1987・年」の

「昴・すばる 」〜

「2003・年」の
「いい日 旅立ち」まで

 

「通 算・1 6 回」

「出 場」しました。

 

 

「谷村 新司」

「夜 顔」

「作・詞」「作・曲」

「谷村 新司」

 

気休めだけの 言葉に

体も 慣れたわ
今では やつれた

指のリング さえ
重くて 痛いわ

この まま
愛を忘れた 骸達が

              (「むくろたち」)

繰り返す 道化芝居に
最後の幕を 下ろすには

裏切ること だけね

行きずりの人に 声かけて

視線で 誘ってみる
やさしい 妻の顔を捨てて

女の 顔になる

幸福を 求める度に
不幸福になる 何故なの

(「ふしあわせ」)
だいそれた 望みじゃないわ
ぬくもりが欲しい それだけ
愛が静かに こぼれてゆく

二人の指の 隙間から
さしさわりない 妻よりは

狂った女に なりたい

行きずりの人に 声かけて

視線で 誘ってみる
やさしい妻の 顔を捨てて

女の 顔になる

見知らぬ 人に

抱かれ ながら
涙がほほを ぬらす
悲しい仮面の その下で
妖しく 燃えてゆく

(「あやしく」)

 

 

「可もなく 不可も・なし」を

「英・語」で

「neither good nor bad」と

 

(「可もなく 不可も・なし」)

 

「言・う」そうです。