何気なく使っている言葉の意味

「泣いて 暮らすも 一生・
   笑って 暮らすも 一生」

(「ないて くらすも いっしょう・
    わらって くらすも いっしょう」)

 

「皆さん」は

「泣いて 暮らすも 一生・
   笑って 暮らすも 一生」

   と、いう

 

「ことわざ」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「泣いて 暮らすも 一生・
   笑って 暮らすも 一生」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「泣いて 暮らす・のも」

 「笑って 暮らす・のも」

 「同じ 一生・なら」

 「くよ くよ・せず」に

 

 「楽し く・笑って」

 「暮ら す・方」が

 「得 で・良い」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 「仮・に」

 「嫌なこと が・あって」も

 「人生 には・苦労」は

 「つきもの と・考え」て

 

 「いつ まで も・うじうじ」と

 「思 い・悩まず」に

 「小さな 事に・こだわらず」

 「明るく 生きる・べき」と

 

 「い う・教え」も

 「含ん で・いる」

    そうです。

 

 「徳 島 県」の

 「阿波踊り の・掛け声」

 「踊る阿呆に 見る阿呆、

    同じ阿呆なら 踊らにゃ 損々」を

 

 「何 と・なく」
 「連 想 して・しまい」

    ました。

 

「泣いて 暮らすも 一生・
   笑って 暮らすも 一生」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「ドイツ」の

 「次 の・ことわざ」が

 「由・来」だ
    そうです。

 

 「Die Lebensspanne ist dieselbe,

    ob man sie lachend oder 

    weinend verbringt」

 

 (「笑って 暮らすも 一生、

     泣いて 暮らすも 一生」)

 

 「日・本」の

 「ことわざ・とは」

 「泣く と・笑う」が

 「逆」です。

 

「泣いて 暮らすも 一生・
   笑って 暮らすも 一生」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「泣いて 暮らすも 一生・
      笑って 暮らすも 一生」と

 「い う・ことわざ」が

 「有・る」が

 

 「昭和 60 年・代」に

 「指圧 療法・創始者」の

 「浪越 徳次郎」が

 (「なみこしとくじろう」)

 

 「アーッ・ハッハ」と

 「豪快に 笑い・ながら」

 「指圧の 心は・母心、
    押せば 命の・泉湧く」と

 

 「名・言」を

 「放っ た・事」を

 「思 い・出し」て
    しまった。

 

・「彼・女」は

 「泣いて 暮らすも 一生・

      笑って 暮らすも 一生」

    と、いう

 

 「ことわざ」を

 「座右 の・銘」に

 「している・ので」

 「何・時」も

 

 「笑顔を 絶や・した」

 「事 が・無く」

 「こちら の・気持ち」も

 「それに つら・れて」

 

 「明る く・なって」

    しまう。

 

「泣いて 暮らすも 一生・

   笑って 暮らすも 一生」の

「類 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「笑う 顔に・矢立たず」

   (「わらうかおにやたたず」)

 

・「笑顔の 者・には」

 「矢を 向け・られ」ず

 「攻撃 出来・ない」

 「事」から

 

 「普・段」
 「憎いと 思って・いる」
 「相 手・でも」
 「笑顔で 接して・くれ」ば

 

 「自・然」と

 「憎しみ や・敵意」が

 「消え て・しまう」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」です。

 

「泣いて 暮らすも 一生・
   笑って 暮らすも 一生」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

「少・し」
「ニュアンス」が

「違・う」

「気 が・します」が

 

・「ため息を つくと・幸せが 逃げる」

 (「ためいきを つくと・

     しあわせが にげる」)

 

・「あ る・時」

 「ため息 を・不快」に

 「感じ た・人」が

 「ため息を 吐いた・人」に

 

 「こ の・よう」に

 「言 い・聞かせ」て

 「止め させた・こと」が

 「始 ま・り」で

 

 「ため息 を・吐く」

    ほど の

 「ネガティヴ」な

 「生 き・方」は

 

 「不幸 な・生活」と

 「い う・意味」で

 「伝 承・され」た

 「迷・信」です。

 

 「実 際・には」

 「ため息 を・吐く」と

 「バランス の・崩れ」た

 「自律神経 の・回復」に

 

 「効果 が・ある」と

 「言わ れ・て」います。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「ハニー・ナイツ」は

 

「泣いて いるの か

   笑って いるの か」の

「歌詞 が・ある」

 

「ふりむか ないで」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,972・年」に

「リリース」

   し た

「シングル・曲」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「ハニー・ナイツ」は
「1,958・年」に

「結 成・した」

「男 性・4 人 組」の

 

「コーラス・グループ」

   でした。

 

「1,974・年」に

「解 散・する」

   まで、に

「C M・ソング」や

 

「アニメ・ソング」を

「中・心」に
「5,000 曲・以上」を

「吹 き・込み」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「ふりむか ないで」

「オー・チン・チン」

ウルトラマン・A」等が

「有・り」ます。

 

「1,972・年」に

「リリース」

   し た

「シングル・曲」

 

「ふりむか ないで」が

エメロン

   クリーム リンス」の

「C M・ソング」に

 

「起 用・され」て

「大・ヒット」

   しました。

 

「レコード・では」

「6 番 まで・です」が

「原 曲・では」

「72 番・まで」

 

「都市名 の・入った」

「歌・詞」が
「作ら れて・いた」
   そうです。

 

「紅 白・歌合戦」

   へ の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「ハニー・ナイツ」
「ふりむか ないで」

「作・詞」「池田 友彦」

「作・曲」「小林 亜星」

 

泣いて いるの か 笑って いるの か

うしろ 姿の すてきな あなた

ついて ゆきたい あなたの あとを

ふりむか ないで 東京の 人

 

ポプラ 並木に ちらつく 雪が

あなた の 足を 急がせる のか

しばれる 道が 気にかかる のか

待って 欲しいな 札幌の 人

 

あなた 祭りの 一番町 で

     (「いちばんちょう」)

ふと ゆきあって 目と目が あった

ゆかた 姿の すてきな あなた

ささやき たいな 仙台の 人

 

雨の 今池 小さな スナック

(「いまいけ」)

一人 ぼんやり している あなた

ほろり 涙が まつげ に たまる

抱きしめ たいな 名古屋の 人

 

今にも 空が 泣き出し そうな

道頓堀 の 橋の たもとで

(「どうとんぼり」)

何を 思案の こいさん 一人

声かけ たいな 大阪の 人

 

泣いて いるの か 笑って いるの か

那珂川 ばたに たたずむ あなた

(「なかがわ」)

ついて ゆきたい あなたの あとを

ふりむか ないで 博多の 女

 

 

※「今 泣いた カラス が・もう笑う」

  (「いま ないた カラス が・

      もうわらう」)

 

「今 泣いた カラス が・もう笑う」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「主・に」
 「子供 や・赤ちゃん」が

 「たった 今・まで」

 「泣いて いた・のに」

 

 「あっと いう・間」に
 「機嫌 を・直し」て

 「笑っ て・いる」
 「様・子」を

 

 「例 え・た」

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 「大人 に・対し」て

 「使わ れる・事」は

 「ま れ・です」が

 「喜 怒・哀楽」が

 (「き ど・あいらく」)

 

 「激し い・人」に
 「皮肉 を・込め」て

 「わざと 使う・場合」が

 「有 り・ます」が

 

 「失礼 な・表現」と

 「思われ かねない・ので」

 「注意 が・必要」だ

    そうです。

 

「今 泣いた カラス が・もう笑う」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「カラス」の

 「脳 の・大きさ」は

 「ニワトリ の・5 倍」も

 「有・り」

 

 「鳥類の 中・では」

 「1 番・目」に

 「動物の 中・でも」

 「チンパンジー 」に

 

 「次 い・で」

 「2 番・目」に

 「知能 が・高く」

 「7 歳・程度」の

 

 「人間.の・知能」に

 「匹敵 する・とも」

 「言わ れて・いる」

    そうです。

 

 「しか し・ながら」

 「真っ黒 な・容姿」や

 「集積所 の・ゴミ」を

 「荒らす 等・より

 

 「ず る・賢い」
    と、いう

 「イメージ」が

 「有・り」ます。

 

 「こ の・ずる賢い」

 「カラス」を

 「泣いて いる・時」に
 「欲し い・もの」を

 

 「与 え・たり」

 「喜 ば・せる」と

 「直・ぐ」に

 「機嫌 を・直し」て


 「ニコ・ニコ」と

 「笑・う」
 「あど け・ない」

 「子供 の・ずるさ」に

 

 「例え た・事」が

 「ことわざ」の

 「由・来」だ

    そうです。

 

「今 泣いた カラス が・もう笑う」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「さっき・まで」

 「泣い て・いた」

 「子・供」が
 「欲し い・物」を

 

 「買って もらっ・たら」

 「今 泣いた カラス が・もう笑う」

 「様」に

 「笑 っ・て」いる。

 

 「子供 の・感情」の

 「変化の 激しさ・には」

 「手 こ・ずる」が

 「無邪気 で・憎め」ない。

 

・「友・人」は
 「感情 の・起伏」が

 「非・常」に
 「激 し・く」て

 

 「今 泣いた カラス が・もう笑う」

 「様」に

 「気分 が・コロコロ」と

 「変・化」する。

 

「今 泣いた カラス が・もう笑う」の

「類 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。


・「お 天気屋・さん」

    (「お てんきや・さん」)

 

・「天・気」は
 「その 時・その時」で

 「色々 と・変わる」

 「事」から

 

 「機嫌 や・気分」が

 「変わり やすい・人」と

 「い う・意味」の

 「慣 用・句」です。

 

「今 泣いた カラス が・もう笑う」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「泰 然・自若」

   (「たい ぜん・じじゃく」)

 

・「緊 迫・した」

 「状況 に・あって」も

 「常・に」

 「落ち 着き・払って」

 

 「冷静 な・様子」

    と、いう

 「意・味」の

 「四 字・熟語」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「いきもの がかり」は

 

「笑いながら泣くような日々を

   泣きながら笑うような日々を」 の

「歌詞 が・ある」

 

「笑 顔」

   と、いう

「歌を歌い」ました。

 

「2,013・年」に

「リリース」

   し た

「26 th・シングル」で

 

「東 宝・映画」

「ポケット・モンスター」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

 

「レコード・大賞・
   優秀 作品賞」を

「受・賞」しました。

 

「いきもの がかり」は

 

「1,999・年」に

「結 成・した」

「吉岡 聖恵」と
(「よしおか きよえ」)

 

「山下 穂尊」と

(「やました ほたか」)

「水野 良樹・から」

「成・る」

 

「男 女・3 人 組」の

「音 楽・グループ」

   です。

 

「神奈川 県」

「海老名・市立」
「海老名・小学校」

「時 代・から」の

 

「同 級・生」で

「有 っ・た」

「山下 穂尊」と

「水野 良樹」は

 

「1,999 年・2 月」

「県・立」
「厚木・高校」

「3 年生 の・時」に

 

「男 性・2 人 組」の

「アマチュア

   バンド」を

「結・成」しました。

 

「同 年・11 月」に

「県・立」
「海老名・高校」

「1 年・生」の

 

「吉岡 聖恵」が

「ボーカル」

   と、して

「加・入」し

 

「現・在」の
「男 女・3 人 組」

「体・制」に

「成・り」ました。

 

「いきもの がかり」

   と、いう

「バンド・名」は
「山下 と・水野」が

 

「小学・1 年生」の
「時」に

「係・活動」で

「金・魚」に

 

「エサ を・あげる」

「生き物 係・だった」

(「いきもの がかり」)

「事」に

 

「由・来」し

「名 付・け」ました。

 

「2 年・間」の

「インディーズ」

「経・験」を

「経・て」

 

「2,006・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」


「SAKURA」で

「メジャー・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

オリコン・17 位」の

「スマッシュ・ヒット」

   なが ら

 

「NTT DENPO ・
   115」の

「 C M・ソング」に

「起 用・され」


「ロング・セラー」を

「記 録・して」

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「ありがとう」

「YELL」

(「エール」)

「笑 顔」等が

「有・り」ます。

 

「2,009・年」に

「リリース」

   し た

「15 th・シングル」

 

「YELL」が

「N H K・テレビ」の

「みんなの うた」に

「採 用・され」


「レコード・大賞・
   優秀 作品 賞」と

「日本 有線・大賞」を

「受・賞」し


「シングル・曲」で

「自 身・最高 位」の

オリコン・2 位」に

「成・り」ました。

 

「2,010・年」に

「リリース・した」

「18 th・シングル」

「ありがとう」が

 

「N H K・テレビ」の

「連続 テレビ・小説」

「ゲゲゲ の 女房」の

「主 題・歌」に


「起 用・され」て

「レコード・大賞・
   優秀 作品 賞」を

「受・賞」し

 

「シングル・曲」で

「自身 最高位・タイ」の

オリコン・2 位」に

「成・り」

 

「そ れ・まで」

「若者 を・中心」

   と、した

「支 持・層」が

 

「幅 広い ・世代」に

「拡・大」しました。

 

「同・年」に

「自 身・初」の

「日本 武道館・での」

「ライブ を・開催」し

 

「成功 を・収め」

   ました。

 

「2,012・年」に

「リリース・した」

「24 th・シングル」

「風が 吹いている」が

 

「N H k・テレビ」

「ロンドン オリンピック・
   パラリンピック」の

「番組 テーマ・ソング」に

 

「起 用・され」て

オリコン・3 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「レコード・大賞・
「優秀 作品 賞」を

「受・賞」しました。

 

「アルバム」

   で は

 

「2,008・年」に

「リリース・した」

「サード・アルバム」

My song your song

 

「2,009・年」に

「リリース・した」

「4 th・アルバム」

ハジマリノウタ

 

「2,012・年」に

「リリース・した」

「5 th・アルバム」

「NEWTRAL」

 

「2,013・年」に

「リリース・した」

「6 th・アルバム」

「 I 」

 

「2,014・年」に

「リリース・した」

「7 th・アルバム」

「FUN! FUN! FANFARE!」と

 

「5・作品」が

「連 続・して」

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2,010・年」に

「リリース・した」

「ファースト」

ベスト・アルバム

「BEST セレクション」

 

「2,012・年」に

「リリース・した」

「セカンド」

ベスト・アルバム

「バラ ー 丼」

 

「2,016・年」に

「リリース・した」

「サード」

ベスト・アルバム

「てんねん 記念 メンバーズ」と


ベスト・アルバム

「3 作品が 連続・して」

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「レコード・大賞」

   で は

「通算 7 回・各賞」を

「受・賞」しました。

 

「数・々」の
「ヒット・曲」を
「世」に

「送 り・出し」


「音 楽・ファン」が

「選・ぶ」
「好きな アーティスト・
   ランキング」で

 

「2,010・年〜 

   2,013・年」まで

「4 年・連続」で
「2・位」に

「成・り」ました。

 

「2,021 年・6 月」に

「山下 穂尊」が

「音楽 の・方向性」の

「違い を・理由」に

 

「同 年・夏」を
「以っ・て」

「グループ」を
「脱 退・し」

 

「芸 能 界」を

「引 退・する」と

「発 表・して」

「大き な・話題」に

 

「成・り」

「ファン」に

「ショック」を

「与・え」ました。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「2,008・年」の

「SAKURA」〜

「2,019・年」の

「風が 吹いて いる」まで

 

「通 算・11 回」

「出・場」しました。

 

 

「いきもの がかり」

「笑 顔」

「作・詞」「作・曲」

「水野 良樹」

 

だから 僕は 笑って ほしいんだ

だから 君と 生きて いたいんだ

かけがえの ない ひとよ

僕は 君を 守り続け たい

君が そこに いてくれる こと が

ただ その小さな 奇跡が

なによりも あたたかい だから

僕は 強く なりたい

 

花が また 咲いて いる

僕は ちっぽけな 一歩を 踏む

思い出に 変わる この日々 に

何度も サヨナラ を するよ

 

どこ までも どこ までも

明るく なれる 君の 声が

いつ だって 一番の ひかり

背中を ちゃんと 押して いるよ

 

優しい ひとに なりたい

いつもの 君が 言ったね

心の なかで くすぶる

切ない もの つたえて よ

そうさ 君が 笑ってくれる なら

僕は なんでも できるよ なんて

ちょっと 強がってる かな でも ね

なぜ か 勇気が わくんだ

花が 散って 咲くように なんども

しあわせを 繰り返せた なら

そうやって 生きて いこう

だから 僕は 強く なりたい

 

ごめんね と 言えなく て

もどかしさ を ぶつけたりも した

いちばん 近くに いること に

甘えて ばかり じゃ だめだね

 

楽しい ひとで ありたい

受け入れる ことを 恐れず

ひたむき な 時を かさねて

たしかな もの みつけ たい

 

抱えきれぬ さびしさの なかで

もしも 君が ひとりで いるの なら

ばかみたい に がむしゃら に

僕は ずっと 手を 伸ばしたい んだ

わかりあうこと は 難しい けど

分かち合うこと は 僕にも できる

ただ となりに いるから

いつも 君の そばに いるから

 

いつだって 真ん中に あるよ

たいせつな ものは ここに ある

つつむような 君の その手が 優しい

強く 握り返す よ

 

いつか ちょっと 悲しいことも ある

でも ぜんぶ 笑えたら いい

ぜんぶ 抱え 生きて いけたら いい

すべてが また 変わって しまって も

なんどでも 花を 咲かせよう

しあわせ に なれる ように

君と ともに 歩いて いける ように

笑いながら 泣くような 日々 を

泣きながら 笑うような 日々 を

そうやって 生きて いこう

だから 僕は 強く なりたい

 

 

「泣いて 暮らすも 一生・
   笑って 暮らすも 一生」を

「英・語」で

 

 「Live your life crying,

    live your life laughing」と

 

 (「泣いて 暮らすも 一生・
    笑って 暮らすも 一生」)

 

 「言・う」そうです。