何気なく使っている言葉の意味

「匙 を・投げる」

(「さじ を・なげる」)

 

「皆さん」は

「匙 を・投げる」

   と、いう

 

「慣 用・句」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「匙 を・投げる」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「こ れ・以上」

 「どんな に・努力して」も

 「成功 する・見込み」が

 「無 く・なり」

 

 「あきらめ」て

 「断念 して・しまう」

    と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「匙 を・投げる」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「匙」とは

 (「さじ」)

 「カレー・ライス」や

 「チャーハン」

 「等」を

 

 「食べ る・時」に
 「使・う」

 「スプーン」の

 「事」です。

 

 「現 代・では」

 「薬 の・調合」は

 「薬 剤・師」の

 「仕 事・です」が

 「江 戸・時代」は
 「医・者」が
 「行っ て・いた」

    そうです。

 

 「江戸・時代 」は

 「手 術・する」

 「事」は

 「ほとん ど・無く」

 

 「殆ど の・医者」は
 「漢 方・医」で

 「漢方薬 を・調合する」

 「時」は

 

 「薬匙 を・使い」

 (「くすりさじ」)

 「代 々・伝わる」

 「秘伝 の・漢方薬」を

 「調・合」しました。

 

 「しかし」

 「病状 が・悪化」し

 「手の打 ち・よう」が

 「無 く・なり」

 

 「病気 に・効く」

 「漢 方・薬」を

 「調合でき・なく」

 「成っ た・時」に

 

 「治・療」を
 「あき ら・め」て

 「調 合・用 の

 「薬・匙」を

 

 「投 げ・出した」

 「事」が
 「匙 を・投げる」

    と、いう

 

 「慣 用・句」の

 「由・来」に

 「成 っ・た」そうです。

 

「匙 を・投げる」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼」は
 「若 い・頃」

 「どんな に・劣勢」に

 「成っ・て」も

 

 「諦 め・ず」に

 「匙を 投げる・事」

 「無・く」

 「粘 り・強く」

 

 「したたか」に

 「勝・利」を
 「掴 み・取って」
 「来・た」そうだ。

 

・「諦 め・て」

 「匙を 投げ・たら」

 「全・て」

 「終わ っ・て」しまう。

 

 「起 死・回生」の

 「挽 回・策」が

 (「ばん かい・さく」)

 「必・ず」

 「有・る」はずだ。

 

 「諦め る・のは」

 「ま だ・早」い。

 

「匙 を・投げる」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「万 策・尽きる」
   (「ばん さく・つきる」)

 

・「あり と・あらゆる」

 「手段 や・方法」を

 「試し た・もの」の

 「効果 が・無く」

 「こ れ・以上」

 「なすすべ が・なく」

 「諦 め・る」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「匙 を・投げる」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

・「往生際 が・悪い」

   (「おうじょうぎわ が・わるい」)

 

・「死 ぬ・ほど」の

 「ピンチ」に

 「追 い・込まれ」て
 「挽回 や・逆転」 の

 

 「望・み」も

 「な い・まま」に

 「あきらめ が・悪く」

 「未練が ま・しく」


 「グズグズ・している」
    と、いう

 「意・味」だ

      そうです。

 

 

「渥美 清」は

(「あつみ きよし」)

 

「さじを なげる は

   まだまだ 早い」の

「歌詞 が・ある」

 

「泣いて たまるか」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,966・年」に

「リリース」

   し た

「サード・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「渥美 清」は

「1,928 年・生まれ」で

「東京 都・台東 区」

「出・身」の


「俳・優」
「コメディアン」

「タレント」

「歌・手」で

「愛・称」は
「寅 さん」でした。

 

「私・立」
巣鴨・高校」を

「卒 業・後」

 

「中央・大学」に

「進 学・しました」が

「中・退」しました。

 

「浅 草」の

「ストリップ・劇場」

「フランス・座」の

「専 属・コメディアン」を

「経・て」

 

「1,956・年」

「28 歳の・時」に

「日 本・テレビ」で

「放 送・され」た

 

「テレビ・ドラマ」

「すいれん夫人と バラ娘」に

「出・演」し

「俳 優・デビュー」しました。

 

「1,961・年」〜

「1,966・年」まで

NHK ・テレビ」で

「放 送・され」た

 

「バラエティ・番組」

「夢で あいましょう」に

「レギュラー・出演」し

「コメディアン」

 

「渥美 清」の

「名・前」を
「全 国・区」に

   しました。

 

「1,969・年」に

「松 竹・映画」で

「男は つらいよ」が

「上 映・され」ました。

 

「渥美 清」は

「下 町・育ち」の

「テキ・屋」で

「風 来・坊」の

(「ふう らい・ぼう」) 

 

「主 人・公」

「車 寅次郎」を

(「くるま とらじろう」) 

「演・じ」ました。

 

「同・映画」は

「関係者 の・思惑」 を

「超え る・大ヒット」と

「成・り」

 

「シリーズ・化」

   しました。

 

「渥美 清」は

「フーテン の・寅」を

「27 年・間」

「48 作・演じ」

 

「ギネス・記録」に
「認 定・され」
   ました。

 

男はつらいよ

   シリーズ」は

「国民 的・映画」

   と、して

 

「日 本・中」の

「多く の・人」

   か ら

「愛 さ・れ」ました。

 

「昔・気質」で

「人情 味・溢れる」

「寅 さん」の

「姿」に

 

「元気 付け・られ」た

「人」は

「少な く・無い」と

「思・い」ます。

 

「晩・年」は

「体」に

「無理 を・強いて」の

「仕・事」と、なりました。

「1,989・年」の

「檀 ふみ」が

「マドンナ」を

「務 め・た」

「42・作」

「ぼくの 伯父さん」

「以・降」は

「体 調・不調」の

 

「渥美 清」に

「配 慮・して」

「立 っ・て」

「演じる・シーン」は

「少 な・く」

「成・り」ました。

 

「晩 年・には」

「立って・いる

「事」も

「ま ま・ならず」に

 

「寅 さん」の

「トランク」を

「椅 子・代わり」に

「使 用・して」いました。

「歌・手」と
   して は

 

「1,962・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「彼奴ばかりが なぜもてる」で

(「きゃつ」)

「デビュー」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「男は つらいよ」

「泣いて たまるか」

「七つの 子」等が

「有・り」ます。

 

「1,966・年」に

「リリース」した

「サード・シングル」

「泣いて たまるか」が

 

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「連・続」

「テレビ・ドラマ」

 

「泣いて たまるか」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「1,970・年」に

「リリース」した

「5 th・シングル」

「男は つらいよ」が

 

「フジ・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「連・続」

「テレビ・ドラマ」

「男は つらいよ」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「1,991・年」に

「肝臓 ガン が・発覚」し

「1,994 年・には」

「肺 に・転移」しました。

 

「医者 の・忠告」を

「は ね・のけ」て

「1,995・年」の

後藤久美子」が

 

「マドンナ」の

「48・作」

「寅次郎 紅の花」まで

「主演 し・続け」ました。

 

「1,996・年」に
「転移 性・肺がん」の

「診・断」で

「逝・去」しました。

 

「享・年」
「69・歳」でした。

 

「没・後」に

「日 本・政府」より

「国 民・栄誉賞」が

「贈 ら・れ」ました。

 

「俳優 と・して」
「国 民・栄誉」を

「受 賞・した」

   の は

 

「1,984・年」に

「没 し・た」

「長谷川 一夫」に

(「はせがわ かずお」)


「次 い・で」

「史・上」

「二人・目」でした。

 

「私・生活」
   で は

 

「1,969・年」

「41 歳の・時」に

「17 才・年下」の

「一般 人・女性」と


「結・婚」し
「一 男・一女」を

「儲・け」ました。

 

「紅 白・歌合戦」

   へ の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「渥美 清」

「泣いて たまるか」

「作・詞」「良池 まもる」

「作・曲」「木下 忠司」

 

天が 泣いたら 雨に なる

(「そら」)

山が 泣くときゃ 水が 出る

俺が 泣いても なんにも 出ない

意地 が 涙を・・・
泣いて 泣いて たまるか ヨ

通せんぼ

 

海は 涙の 貯金箱

川は 涙の 通り道

栓を したとて 誰かが こぼす

(「せん」)

ぐち と ため息・・・
泣いて 泣いて たまるか ヨ

骨に しむ

 

上を 向いたら キリ が ない

下を 向いたら アト が ない

さじ を なげる は 

まだ まだ 早い

五分 の 魂・・・
(「ごぶ の たましい」)

泣いて 泣いて たまるか ヨ

夢が ある

 

 

※「箸にも 棒に も・かから ない」

  (「はしにも ぼうに も・

        かから ない」)

 

「箸にも 棒にも・かから ない」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「あまり」に

 「ひ ど・すぎ」て
 「どう にも・こうにも」

 「手が つけられ・ない」や

 

 「何」の

 「取り柄 も・なく」

 「使いもの に・ならない」

    と、いう

 

 「ネガティヴ」な

 「ニュアンス」で

 「使われ て・いる」

 「ことわざ」だ、そうです。

 

「箸にも 棒にも・かから ない」の

「語・源」は
「下・記」だ、そうです。

・「細くて 短い・箸」で

 「つかもう と・して」も

 「大き な・棒」に

 「から め・て」

 

 「取ろう と・して」も

 「引っ 掛・かる」

 「事」が

 「無 い・程」に

 

 「ど う・にも」

 「扱 え・ない」

 「事」を

 「たと え・た」

 

 「ことわざ」で

 「目上 の・人」に

 「対 し・て」

 「使 う・事」は

 

 「ご・法度」だ

      (「はっと」)

       そうです。

 

 「そ し・て」

 「どう にも・こう にも」

 「扱 い・にくい」や

 「物事 が・ひどく」て

 


 「取り柄 が・ない」

    と、いう

 「意 味・合い」で

 「使 わ れる・様」に

 

 「成っ た・事」が

 「ことわざ」の

 「由・来」だ

       そうです。

 

「箸にも 棒にも・かから ない」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「学校 の・成績」が

 「ひど く・て」

 「箸にも 棒にも・

    かから ない」と

 

 「思っ て・いた」

 「企 業・から」

 「補欠 で・内定」を
    もらえた。

 

・「自分 の・能力」では

 「箸にも 棒にも・

    かから ない」と

 「分かっ て・いて」も

 

 「ダメ・元」でも
 「当たっ て・砕けろ」で

 「チャレンジ・だけ」は

 「し て」みたい。

 

「箸にも 棒にも・かから ない」の

「類 義・語」は

「下記」だ、そうです。

 

・「煮ても焼いて も・食えない」

   (「にてもやいて も・

       くえない」)

・「食用 に・ならない」

 「も の」は

 「煮 よ・う」が

 「焼 こ・う」が

 

 「食 べ・る」

 「事」が

 「出 来・ない」

 「事」より

 

 「相・手」が

 「し た・たか」で

 「ど の・よう」な

 「手・段」を


 「用 い・て」も

 「手に 負え・ない」

    と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「箸にも 棒にも・かから ない」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「瓦も 磨け ば・玉と なる」

   (「かわらも みがけ ば・

       たまと なる」)

 「瓦」で も

 「磨・け」ば
 「光 を・放つ」

 「事」よ り

 

 「た と・え」

 「素質 が・無い」と

 「思われ て・いる」

 「人」でも

 

 「努力 を・続ける」

 「事 に・より」

 「優れ た・人物」に

 「な る・事」が

 

 「出 来・る」

    と、いう

 「た と・え」の

 「ことわざ」です。


 「辺・り」が

 「妥・当」な

 「気」が、します。

 

 

「竹内 まりや」は

(「たけうち」)

 

「明るいだけが 取り柄 でも

   私だって 命がけの 恋に

   憧れる」の

「歌詞 が・ある」

 

「純愛 ラプソディ」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,994・年」に

「リリース」

   し た

「24 th・シングル」で

 

「日 本・テレビ 系」で

「放 送・された」

「酒井 法子」

「主・演」の

 

「テレビ・ドラマ」

「出逢った頃の 君でいて」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」

 

「大・ヒット」し

「自身 の・代表曲」の

「一・曲」に

「成・り」ました。

 

「竹内 まりや」は

「1,955 年・生まれ」で

「島根 県・出雲 市」

「出・身」の

「シンガーソング・
   ライター」

「作 詞・家」

「作 曲・家」です。

 

「地・元」の

「県・立」
「大 社・高校」の

「2 年生 の・9 月」〜

 

「3 年生 の・8 月」まで

「AFS・留学 制度」を

「利 用・して」

「1 年・間」

 

「米・国」の

ロックフォールズ・
   高等 学校」に

「留・学」しました。

「大 社・高校」を

「卒 業・後」に
慶應 義塾・大学」

「文 学・部」に

 

「進・学」し
「卒・業」しました。

 

「大 学・在学中」は

「アマチュア・バンド」に

「所・属」し

「キーボード」と

 

「バック・コーラス」を

「担 当・して」

   いました。

 

「1,978・年」

「23 歳の・時」に

「リリース」

   し た

 

「ファースト・シングル」

「戻っておいで・私の時間」で

「デビュー」し

「ルックス」より

 

「アイドル・歌手」

   と、して の

「評・価」を

「受・け」ました。

 

「人 気・曲」に

 

「純愛 ラプソディ」

「シングル アゲイン

「カムフラージュ」等が

「有・り」ます。

 

「1,979・年」に

「リリース

   し た

「サード・シングル」


「SEPTEMBER」で

「レコード・大賞・

   新人 賞」他

「各種 新人賞・レース」を

 

「総・ナメ」に

   しました。

 

「1,980・年」に

「リリース」

   し た

「サード・アルバム」

 

「LOVE SONGS」が

「自 身・初」の
オリコン・1 位」に

「成・り」ました。


「1,984・年」に

「リリース」した

「6 th・アルバム」

「VARIETY」

 

「1,987・年」に

「リリース」した

「7 th・アルバム」

「REQUEST」

 

「1,992・年」に

「リリース」した

「8 th・アルバム」

「Quiet Life」

 

「1,998・年」に

「リリース」した

「27 th・シングル」

「カムフラージュ」

 

「2,001・年」に

「リリース」した

「9 th・アルバム」

「Bon Appetit!」

 

「2,007・年」に

「リリース」した

「10 th・アルバム」

「Denim」

 

「2,014・年」に

「リリース」し た

「11 th・アルバム」

「TRAD」が

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2,019・年」に

「芸術 選奨・
   文部科学大臣 賞」を

「受・賞」しました。

 

「同・年」に

「デビュー・

   40 周年」を

「記 念・して」

 

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」し

「特別 企画・枠」で

「出・場」し

「いのちの 歌」を

「熱・唱」しました。

 

「2,020 年・1 月」に

「リリース」

   し た

「45 th・シングル」

 

「いのちの 歌」が

オリコン・1 位」の

「快・挙」に

「成・り」ました。


「64 歳・10 ヶ月」

   で の

「1 位・獲得」は

「歴 代・史上」

 

「最 年長・記録」に

「成・り」

「昭和・平成・令和」の

「3・時代」で

 

オリコン・1 位」を

「獲 得・した」

「史 上・初」の

「女 性・アーティスト」に

「成・り」ました。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,982・年」

「27 歳の・時」に

「1 歳・年上」で

「クリスマス・イブ」等で

 

「知 ら・れ」る

「シンガーソングライター」

「ミュージシャン」の

「山下 達郎」と

 

「結・婚」し

「1,984・年」に

「長・女」が

「誕・生」しました。

 

「紅 白・歌合戦」

   へ は

 

「山下 達郎」が

「大・晦日」は
「自・宅」で

「ゆっ・くり」と

「過ご す・もの」

   と の

「考 え・よ り」

「二 人・共」


「出・場」を

「控え て・いました」が

「上・述」の

「通・り」

「2,019・年」に

「特 別・枠」で

「1 回・だけ」

「出・場」しました。

 

「竹内 まりや」

「純愛 ラプソディ」

「作・詞」「作・曲」
「竹内 まりや」

 

明るい だけ が 取り柄 でも

私だって 命がけの 恋に

憧れる こと が ある

ドラマティック な 出来事 は

起こるはず も ないくらい に

平凡 を 生きて きた

あなた との 出逢いの 日を

境に して

すべて が 輝き 始め て

思い は 募る ばかり

       (「つのる」)

愛し方 何ひとつ

知らない まま で

飛び込んだ ぬくもり は

他の 誰かの もの だけど

タイムカード を 押すたび に

ふと 感じる 物足り なさ

いつしか 消えて たの

 

恋の 舞台 に 上がって も

脇役 しか もらえなく て

セリフ は いつでも ひとり言

見えぬ 鎖に つながれ た

     (「くさり」)

あなた の 心奪う のは

ルール 違反で しょうか

遅すぎた めぐり逢い を

悔やみ ながら

過去に やきもち 焼いたって

戻せない 時まで は

片づいて ゆく 仲間達に ため息

どこまでも 主役には なれない

私でも いいの

人を こんなに 好きに なり

優しさと 強さ 知った わ

それだけ で 幸せ

 

形では 愛の深さは 測れない

                       (「はかれ」)

さよなら が 永遠の 絆に

変わる ことも ある

二度と 会えない ふたり でも

胸の中 で 生き続ける

大好き な 微笑み

          (「ほほえみ」)

So , I sing this rhapsody for you 

So , I sing this rhapsody for you 

 

「匙 を・投げる」を

「英・語」で

 「Throw a spoon」と

 

 (「匙 を・投げる」)

 

 「言・う」そうです。