何気なく使っている言葉の意味

「しば・れる」

 

「皆さん」は

「しば・れる」

   と、いう

 

「慣 用・句」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「しば・れる」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「しば・れる」を

 「漢字 に・する」と

 「凍・れる」と

 「書・く」そうです。

 

 「北海道」や

 「東北 地方」

 「特・有」の

 「方言・だと」

 「思って・いる」

 「人 」が

 「い る」

 「そうです」が

 

 「しば・れる」を

 「厳しく・冷え込み」

 「痛い ほど・寒い」

    と、いう

 

 「感覚的 な・表現」を

 「正 し・く」

 「使っ て・いる」

 「人」が

 

 「95 %・以上」で

 「全国・共通 語」と

 「認知・出来」る

 「言・葉」だ、そうです。

 

「しば・れる」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「余り に・寒く」

 「体 が・縛られ」て

 「身動 き・出来ない」

 「様」に

 

 「感じ る・事」が

 「由・来」だ、そうです。

 

 「外・気」が

 「氷点下 15 °c 以下」に

 「冷 え・込んだ」

 「快晴 の・朝」で

 

 「湿度 が・高く」

 「風 の・無い 日」に

 「ご く・まれ」に

 「霧 が・氷結」し

 

 「幻 想・的」で

 「神 秘・的」な

 「ダイヤモンド・

    ダスト」に

 

 「遭遇・出来る」

    そうです。


 「ダイヤモンド・
    ダスト」と

 「似 た・現象」の
 「オーロラ」は

 

 「北・米」や

 「北・欧」で

 「ご く・まれ」に

 「見 ら・れる」

    そうです。

 

「しば・れる」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「大学生 の・時」

 「同 じ・部活」で

 「北海道・育ち」の

 「人 に・聞いた」が

 

 「真冬 に・なる」と

 「外」は

 「しば・れる」

    「様」に

 「寒 く・て」も

 

 「家 の・中」は

 「暖・炉」等の

 「暖房・設備」が

 「充実して・いて」

 

 「快・適」に

   「過 ご・せる」そうだ。

 

・「彼」は

 「しば・れる」

 「様」な

 「寒 さ・なの」に

 

 「手・袋」を

 「家・に」
 「忘れ て・来て」

 「しまった」ら

 

 「彼・女」は

 「自分 の・コート」の

 「ポケット の・中」に

 「彼の手 を・誘い」

 

 「にぎ り・しめ」て

 「温め て・くれた」

       そうだ。

 

「しば・れる」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

・「極・寒」

   (「ごっ・かん」)

 

・「きわめ て・寒い」

 「事」や

 「非常 に・寒い」

 「事」で

 

 「冬 の・寒さ」の

 「最も厳しい・時期」

    と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「しば・れる」

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「寒さ が・緩む」

   (「さむさ が・ゆるむ」)

 

・「そ れ・まで」の
 「厳しかった・寒さ」が

 「和 ら・ぎ」

 (「やわ ら・ぎ」)

 

 「落 ち・着く」

    と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

 

「鶴岡 正義」と・

「東京・ロマンチカ」は

(「つるおか まさよし」)

 

「こんなに しばれる 星空 だから

   語り明かした 吹雪の 夜を」の

「歌詞 が・ある」

 

「小樽の ひとよ」

(「おたる」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,967・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」で

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「東京・ロマンチカ」は

「1,965・年」に

「作 曲・家」の
「鶴岡 正義 を・中心」に

 

「結成・した」

「男性・7 人 組」の

「コーラス・

   グループ」で

 

「ムード・歌謡」を

「代 表・する」

「グループ」の

「一・つ」です。

 

「1,967・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」で

 

「北海道・小樽 市」の

「ご 当地・ソング」

「小樽の 人よ」で

「デビュー」しました。

 

「同・曲」は

「テレビ・朝日 系」で

「放 送・され」た
「テレビ・ドラマ」

 

「霧のロマン 小樽の女」の

「主題歌 に・起用され」

「150・万枚」を

「セールス・する」

 

「ミリオン・セラー」の

「大 ヒット曲 に・なり」

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「小樽の 人よ」

「君は心の 妻だから」

「旅路の 人よ」等が

「有・り」ます。

 

「1,968・年」に

「リリース」

   し た

「8 th・シングル」

 

「旅路の 人よ」で

「レコード・大賞・

   歌唱 賞」を

「受・賞」しました。

 

「1,969・年」に

「リリース」

   し た

「10 th・シングル」

 

「君は心の 妻だから」が

「自身・2 番目」の

「50・万枚」を

「セールス・し」

 

「日本有線・大賞・

   スター 賞」を

「受・賞」しました。

 

「2,014・年」に

「グループ」の

「リーダー」で

「ギター・奏者」の

 

「鶴岡 正義」が

「レコード・大賞・
   功労 賞」を

「受・賞」しました。

 

「ボーカル」の

「三條 正人」は

(「さんじょう まさと」)

「1,943 年・生まれ」で

 

「滋賀 県・大津 市」

「出・身」の

「歌・手」です。

「県・立」

膳所・高校」を

「卒 業・後」

 

「法政・大学」に

「進・学」しました。

 

「大学・在学 中」に

「コーラス・グループ」を

「結・成」し

「ダンス・ホール」で

 

「プロ・歌手」

   と、して

「活・動」を

「始・め」ました。

 

「1,967・年」

「24 歳の・時」に

「鶴岡 正義 と・
   東京ロマンチカ」に

 

「リード・ボーカル」

   と、して

「迎え入 れ・られ」
   ました。

 

「甘 く・切なく」

「且・つ」

「美 し・く」

「哀愁 を・帯びた」

「歌・声」は
「ムード歌謡・全盛期」

   で、あった

「当・時」の

「大人 の・心」を

「大 き・く」
「揺 さ・振り」ました。

 

「1,973・年」

「30 歳の・時」に

「1 才・年下」の

「大・女優」

 

「香山 美子」と

(「かやま よしこ」)

「結・婚」し

「長・男」を

「儲・け」ました。

 

「2,017 年・10 月」

「悪性・リンパ腫」の

(「血液 の・ガン」)

「診断・にて」

 

「家・族」に

「看取ら れ・ながら」

「永・眠」しました。

 

「享・年」
「74・歳」でした。

 

「紅白・歌合戦」

   に は

 

「1,968・年」の

「小樽の 人よ」〜

「1,973・年」の

「君は心の 妻だから」まで

(「2 回・目」)

 

「6 年・連続」で

「出・場」しました。

 

「鶴岡 正義」と・

「東京 ロマンチカ」

「小樽の 人よ」

「作・詞」「池田 充男」

「作・曲」「鶴岡 正義」

 

逢いたい 気持ち が 

まま なら ぬ

北国の 町は つめたく 遠い

粉雪 まいちる 小樽の 駅に

ああ ひとり 残して 

来た けれど

忘れは しない 愛する 人よ

 

二人で 歩いた 塩谷の 浜辺

                (「しおやの はまべ」)

偲べば 懐かし 古代の 文字 よ

(「しのべば なつかし」)

悲しい 別れ を 二人で 泣いた

ああ 白い 小指 の つめたさ が

この手の 中に いまでも 残る

 

小樽は 寒かろ 東京 も

こんなに しばれる 星空 だから

語り明かし た 吹雪の 夜を 

ああ 思い出してる 僕 だから

かならず いくよ 待ってて おくれ

待ってて おくれ

 

 

※「凍て つ・く」

  (「いて つ・く」)

 

「凍て つ・く」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

・「凍 り・つく」の

 (「こお り・つく」

 「比 喩・的」な

 (「ひ ゆ・てき」)

 「表・現」で

 「や や」

 「文 学・的」な

 「表現 の・中」で
 「しば・しば」

 

 「使 わ・れる」

 「事」が

 「多 い・言葉」だ

    そうです。

 

「凍て つ・く」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

 「辺・り」の

 「空・気」が

 「凍 る・ほど」に

 (「こお る」)

 「寒 い・事」が

 「由・来」だ

    そうです。

 

「凍て つ・く」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「こんな」に

 「凍てつ く・夜」は

 「鍋物 を・肴」に

             (「さかな」)

 

 「熱・燗」で

 (「あつ・かん」)

 「体を温める・のが」

 「一・番」だ。

 

・「凍て つ・く」

 「様」な

 「寒さ の・中」

 「二人 は・ベンチ」で

 

 「身」を

 「寄 せ・合って」
 「星・空」を

 「見上 げ・て」いた。

 

「凍て つ・く」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。


・「氷結・する」

   (「ひょうけつ・する」)

 

・「一般・的」には
 「空・気」が

 「凝 固・点」(「0° C」)

 (「ぎょう こ・てん」)
 「以下 に・なり」

 

 「液・体」が
 「凝・固」し

 「固化・する」

 (「こか」)

    と、いう

 

 「意・味」だ

    そうです。

 

「凍て つ・く」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「うだるよう な・暑さ」

   (「うだるよう な・あつさ」)

 

・「うだる」は

 「暑・さ」を

 「形容・する」

 「表・現」で

 

 「最 高・級」の

 「暑・さ」を

 「意味・する」

 「言・葉」だ、そうです。

 

 

・「桂 銀淑」と「浜 圭介」は

   (「けい うんすく」と

    「はま けいすけ」)

 

「夜の札幌 あなたに 逢えて

   凍てつく 心に 灯りが ともる」の

「歌詞 が・ある」

「北 空港」

(「きた くうこう」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,987・年」に

「リリース」
   し た

「作 曲・家」

 

「浜 圭介」と

「桂 銀淑」の

「師 弟・コンビ」に

   よ る

 

「初」の

「ヂュエット・ソング」で

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

You Tube」で

「聴い て・いる」と

「浜 圭介」の

「歌・声」は

 

「石原 裕次郎」の

「歌声 と・歌い方」を

「彷彿 と・させ」ます。

(「ほうふつ」)

 

「浜 圭介」は

「1,946 年・生まれ」で

「中国・満州

「出・身」の

 

「作 曲・家」

「元・歌手」です。

 

「1,974・年」
「28 歳の・時」に

「1 才・年下」で

「歌・手」の

 

「奥村 チヨ」と

「結・婚」しました。

 

「二・人」は

「おしどり・夫婦」

   と、して

「知られ て・います」が

 

「残念・ながら」
「子供・には」

「恵まれ・なかった」
「様」です。

「作 曲・家」

   と、して

「提供・した」
「代 表・曲」に


「終着 駅」

(「奧村 チヨ」)

「そして 神戸」

(「クール・ファイブ」)

 

「雨」

(「三善 英史」)

「街の 灯り」

(「堺 正章」)

 

「折 鶴」

(「千葉 紘子」

「酔っ払っちゃた」

(「内海 美幸」)

 

「ホテル」

(「島津 ゆたか」)

「望郷 じょんがら」

(「細川 たかし」)

 

「すずめの 涙」「夢 おんな」

「酔いどれて」「北 空港」

「真夜中の シャワー」

(「桂 銀淑」)

 

「石狩 挽歌」

(「北原 ミレイ」)

「舟 唄」「雨の 慕情」

(「八代 亜紀」)

 

「哀しみ本線 日本海

(「森 昌子」)

「心 凍らせて」

(「高山 巌」) 等

 

「数 え・上げれ」ば

「キ リ」が

   ありません。

 

「2,005・年」に

「紫綬・褒章」を

「しじゅ・ほうしょう」)
「受・賞」しました。

 

「桂 銀淑」は

(「けい うんすく」)

「1,961年・生まれ」で

「韓国・ソウル 市」

「出・身」の

「演歌・歌手」

「モデル」です。

 

「1,977・年」

「高校生 の・時」に

「韓国 の・モデル」

   と、して

 

「芸能 界・入り」

   しました。

 

「1,979・年」に

「韓・国」で

「歌手・デビュー」
   しました。

 

「浜 圭介」に

「見出・され」て

「1,985・年」

「24 歳の・時」に

 

「ファースト・シングル」

「大阪 暮色」で

「日本・デビュー」

   しました。

 

「独・特」の

「ハスキー・ボイス」が

「視 聴・者」の

「心 を・とらえ」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「北 空港」

「すずめの 涙」

「べサメ ムーチョ」等が

「有・り」ます。

 

「1,987・年」に

「リリース」し た

「セカンド・シングル」

「すずめの 涙」が

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「同・年」に

「リリース」した

「ファースト」

「デュエット・曲」

「北 空港」は

「数・ある」

「デュエット・曲」の

「中」でも

「人気 が・高く」

「常 に・上位」に

「ランク・イン」
「して・いる」そうです。

 

「以・後」も

「1,988・年」の

「4 th・シングル」
「夢 おんな」

 

「1,989・年」の

「5 th・シングル」

「酔いどれ て」

 

「1,990・年」の

「7 th・シングル」

「真夜中の シャワー」

 

「1,991・年」の

「9 th・シングル」

「悲しみの 訪問客」

 

「1,994・年」の

「12 th・シングル」

「花のように 鳥のように」

 

「1,995・年」の

「13 th・シングル」

「べサメ ムーチョ」等

 

「ヒット・曲」を

「連・発」し

「多くの・音楽 賞」を

「受・賞」しました。

「レコード・大賞」

   で は

「通 算・5 回」

「各・賞」を
「受・賞」しました。

 

「2,007 年・11月」

覚醒剤 取締法・違反」で

(「所・持」)

「現行 犯・逮捕」
   されました。

 

「桂 銀淑」は

「自分 が・使うつもり」と

「容疑 を・認め」
「謝・罪」しました。

 

「同 年・12 月」に

「懲役・1 年 6ヶ月」

「執行 猶予・3年」の

「有 罪・判決」を

 

「東京・地裁」

   か ら

「言 い・渡され」

   ました。

 

「こ の・結果」

「桂 銀淑」は

「国 外・追放」と
「成・り」

 

「日 本・で」の
「活・動」に

「終 止・符」が

「打 た・れ」ました。

 

「現在・60 歳です」が

「韓・国」で
「再・始動」し
「2,019・年」に
「37 年・振り」に

 

「アルバム」

「Re : Birth」を

「リリース・した」

   そうです。

 

「私・生活」

   で は

「1,992・年」

「31 歳の・時」に

「実 業・家」の

「キム・ヨンス」と

 

「結・婚」し
「玉 の・輿」と

(「たま の・こし「)

「話題 に・なる」も

 

「1998・年」に

「離・婚」しました。

「二人 の・間」に

「子供 は・いない」

   そうです。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,988・年」の

「すずめの 涙」〜

「1,994・年」の

「花のように 鳥のように」まで

 

「7 年・連続」で

「出・場」しました。

 

 

「桂 銀淑」&「浜 圭介」

「北 空港」

「作・詞」「やしろ よう」

「作・曲」「浜 圭介」

 

〈女〉

夜の 札幌 あなたに 逢え て

凍てつく 心に 灯りが ともる

                     (「あかり」)

 

〈男〉

これから は 二人だ よ 

もう 泣かない で

ついて おいで よ

淚を 捨てて 過去さえ 捨てて

 

〈男・女〉

愛が 飛び立つ 北 空港

 

〈男〉

夜の 札幌 おまえに 惚れ て

                              (「ほれ」)

さすらう 旅路 に 明日が 見える

 

〈女〉

信じて も いいです ね 

もう あなた だけ

命 尽くす わ

淚を 捨てて 過去さえ 捨てて

 

〈男・女〉

愛が 飛び立つ 北 空港

 

〈女〉

夜の 札幌 舞い散る 雪も

 

〈男〉

二人の 夜空 で 

咲く花 に なる

どこまで も 一緒 だよ 

もう 離れず に

 

〈女〉

夢を 探そう

 

〈男・女〉

淚を 捨てて 過去さえ 捨てて

愛が 飛び立つ 北 空港

 

 

「しば・れる」を

「英・語」で

「Be tied up」と

 

(「しば・れる」)

 

「言・う」そうです。