何気なく使っている言葉の意味

「目は 心の・鏡」

(「めは こころの・かがみ」)

 

「皆さん」は

「目は 心の・鏡」

   と、いう

 

「慣 用・句」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「目は 心の・鏡」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「目」は

 「その 人の・心の中」を

 「映し出す 鏡で・あり」

 「目 を・見れ」ば

 

 「その人 の・心」の

 「様・子」や

 「考えて いる・事」

 「言い たい・事」が

 「自然 に・分かる」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「目は 心の・鏡」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「英語 の・ことわざ」

 「The eye is the mirror

    of the soul」の

 「日本語・訳」

 

 「目は 心の・鏡」が

 「由・来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「目は 心の・鏡」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「目は 心の・鏡」と

 「言・う」が

 「友 人・には」

 「相手の 目を・見て」

 

 「何が 言いたい・のか」

 「理 解・出来」る

 「優 れた・感性」が

 「有」る。

 

・「目は 心の・鏡」

    と、いう

 「ことわざ」が

 「有・る」が

 

 「彼・女」の

 「訴 える・様」な

 「潤 んだ・瞳」は

 (「うるんだ」)

 

 「一 体・何」を」

 「意味 して・いる」の

    だろうか ?

「目は 心の・鏡」

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「目は 口ほどに・物を言う」

   (「めは くちほどに・

       ものをいう」)


・「人・間」が
 「喜怒哀楽 の・感情」を

 「最も顕著に 表す・のが」

 「目だという 事・から」

 

 「何・も

 「言わ なく・とも」

 「目の 表情・から」

 「相手 の・感情」が

 

 「読 み・取れる」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「目は 心の・鏡」

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「言わぬ 事は・聞こえぬ」

   (「いわぬ こととは・

        きこえぬ」)

 

・「どん な・に」

 「親しい 間柄・でも」

 「目で 訴える・だけ」で
 「自分 の・気持ち」を

 

 「相手に 伝える・事」は

 「不・可能」で

 「口に 出して・言葉」で

 「言わな・けれ」ば

 

 「自分 の・気持ち」や

 「自分 の・考え」は

 「相手に 伝わら・ない」と

 「い う・意味」で

 

 「特・に」

 「大切 な・事」は

 「ハッキリ と・説明」し

 「誤解の 無い・様」に

 

 「す べ・き」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「高橋 洋子」は

(「たかはし ようこ」)


「運命さえ まだ知らない

   いたいけな 瞳」の

「歌詞 が・ある」

 

「残酷な天使の テーゼ」

                       (「命題」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「いたいけ・とは」

「漢・字」で
「幼気 と・書き」

「可愛 ら・しい」や

 

「いじ ら・しい」

   と、いう

「意・味」だ

   そうです。

 

「1995・年」に

「リリース」

   し た

「11 th・シングル」で

 

「ロング・ヒット」し

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「高橋 洋子」は

「1966 年・生まれ」で

「東京 都・出身」の
「歌・手」です。

 

「2 歳の・頃」に

「父 親・から」

「ピアノ を・習い始め」

「小学生 時代・には」

 

滝野川 少年少女・

   合唱団」の

「メンバー」でした。

「神奈川県に 在・する」

「私立 の・女子校」

「洗足 学園・高校」

(「せんぞくがくえん」)

「在学 中・には」

 

「バンドを・組み」

「音 楽・活動」を

「行・い」ました。

 

「高校 卒業・後」は

洗足学園音楽・大学」

「音 楽・学部」に

「進 学・する」も

「芸 能・活動」が

「多忙 に・なり」

「中・退」しました。

 

「1986・年」

「20 歳の・時」に

「久保田 利伸」の

「バック・コーラス・

   オーディション」に

 

「合・格」し
「芸能界・入り」

   しました。

 

「デビュー・以前」は

「ウィンク」
「今井 美樹」

松任谷 由美」等の

「バック・コーラス」を  

「務 め・て」いました。

 

「1991・年」
「25 歳の・時」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

「P.S. I miss your」で

「バラード 歌手と・して」

「メジャー・デビュー」を

「果 た・し」ました。

 

「同・曲」は
オリコン・87 位」の

「スマッシュ・ヒット」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「残酷な天使の テーゼ」

「魂の ルフラン」

「心よ原始に 戻れ」等が

「有・り」ます。

 

「1992・年」に

「リリース・した」

「4 th・シングル」

「もう一度 逢いたくて」で

 

「レコード・大賞・
   新人賞」を

「受・賞」しました。

 

「1994・年」〜
「1995 年・まで」

アメリカ」の

「ロサンゼルス」に

 

「音 楽・留学」

   しました。

 

「1995・年」に

「リリース・した」

「11 th・シングル」

「残酷 な 天使 の テーゼ」が

 

「テレビ・東京 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・アニメ」

「新世紀 エヴァンゲリオン」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「同・曲」は

オリコン・27 位」

   ながら も

「ロング・ヒット」し

 

「ミリオン・セラー」を

「記 録・して」

「平・成」の

「カラオケ・

   ランキング」で

 

「1・位」に

「成・り」

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

(「紅 白・出場」は

    この 1 回・のみ」)

 

「ち な・み」に

 

「2・位」は

「一青  窈」が

(「ひとと よう」)

「歌 唱・した」

ハナミズキ

 

「3・位」は
「MONGOL 800」が

「歌 唱・した」

「小さな 恋のうた」

 

「4・位」は

スピッツ」が

「歌 唱・した」

「チェリー」

 

「5・位」は
「GRieeeN」が

(「グリーン」)

「歌 唱・した」

「キセキ」だ、そうです。

 

「1992・年」に

「リリース・した」

「14 th・シングル」

「魂の ルフラン」が

 

「アニメ・映画」

「新世紀 エヴァンゲリオン
   劇場  シド 新生」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

 

「自 身・最高位」の

オリコン・3 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「2015・年」に
「ロサンゼルス」で

「開 催・され」た
「アニメ・エキスポ」で

 

「最終日 の・トリ」を

「務・め」ました。

 

「2020 年」に
「高橋 竜子・名義」で
「テレビ・アニメ」

「ギャルと 恐竜」の

 

「エンディング・

   テーマ」を

「担・当」しました。

 

「現 在・57 歳」

   です が

 

「2023 年・5 月」に

「最 新・シングル」で

「30 th・シングル」の

EVANGELION ETERNAL」を

 

「リリース・する」等

「第・一線」で
「活躍 して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」
   で は

 

「1995・年」

「29 歳の・時」に

「一般人・男性」と

「結 婚・し」

 

「1997・年」に

「第一子・長女」が

「誕 生・した」

   そうです。



「高橋 洋子」

「残酷な天使の テーゼ」

「作・詞」「及川 眠子」

「作・曲」「佐藤 英敏」

 

残酷な 天使のように
少年よ 神話になれ

 

蒼い風がいま 胸の

(「あおい」)

ドアを 叩いても
私だけをただ 見つめて
微笑んでる あなた
そっと ふれるもの

もとめることに 夢中 で
運命さえ まだ知らない

いたいけな 瞳

 

だけどいつか 気付くでしょう
その背中には 遥か未来

めざすための 羽根があること

 

残酷な天使の テーゼ
窓辺からやがて 飛び立つ
ほとばしる熱い パトスで

                       (「感情」)
思い出を 裏切るなら
この宇宙を 抱いて輝く

  (「そら」)
少年よ 神話になれ

 

ずっと眠ってる 私の

愛の 揺りかご
あなただけが 夢の使者に

呼ばれる 朝がくる
細い 首筋を

月あかりが 映してる
世界中の時を 止めて

閉じこめたい けど

 

もしもふたり 逢えたことに

意味が あるなら
私はそう自由を 知るための

バイブル

 

残酷な天使の テーゼ
悲しみが そしてはじまる
抱きしめた 命のかたち
その夢に 目覚めたとき
誰よりも 光を放つ
少年よ 神話になれ

 

人は愛をつむぎ ながら

歴史を つくる
女神なんて なれないまま

私は 生きる

 

残酷な天使の テーゼ
窓辺からやがて 飛び立つ
ほとばしる熱い パトスで
思い出を 裏切るなら
この宇宙を 抱いて輝く
少年よ 神話になれ

 

 

※「鏡は 女の・魂」

   (「かがみは おんなの・

        たましい」)

 

「鏡は 女の・魂」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「鏡」

 「女性 に・とって」

 「命とも いえる・程」に

 「大切 な・ものだ」と

 

 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 「又」

 「昔の 鏡は・青銅製」で

 「絶えず 磨か・ない」と

 「表面 が・曇って」

 

 「映ら なく・なった」

 「事」より
 「手入れを よく・して」

 「曇らせ ない・様」に

 

 「して おく・べき」と

 「い う・戒め」も

 「含ま れて・いる」

    そうです。

 

「鏡は 女の・魂」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「鏡で 自分の・顔」を

 「チェック・した」り

 「メイク を・直した」り
 「す る・事」は

 

 「女性 に・とって」は

 「日常の 一部・だから」

 「鏡」

 「女性 の・重要」な

 

 「アイテム で・ある」

 「事 が・由来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「鏡は 女の・魂」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「鏡は 女の・魂」と

 「言・う」が

 「友・人」は

 「オシャレ」で


 「男 性・なの」に

 「手・鏡」を
 「肌身 離・さず」

 「持 ち・歩いて」いた。

 

・「鏡は 女の・魂」

    と、いう

 「ことわざ」が

 「有・る」が

 

 「彼・女」は

 「何・時」も

 「ほと ん・ど」
 「素 嬪・だった」が
 (「スッピン」)

 

 「それ で・も」

 「十・分」に
 「魅 力・的」

    だった。

 

「鏡は 女の・魂」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「掛け替え の・無い」

   (「かけがえ の・ない」)

 

・「無 く・なった」ら

 「他 に・代わり」と

 「成 る・もの」が

 「無・い」

 

 「この 上・なく」

 「大切 な・もの」

    と、いう

 「意・味」の

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「鏡は 女の・魂」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「刀は 武士の・魂」

   (「かたなは ぶしの・
       たましい」)

 

・「刀」は

 「武士の 精神が・宿る」

 「一番 大切な・もの」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 

「長渕 剛」は

(「ながぶち つよし」)

 

「夜の顔を 鏡で映せ ば

   なんて 悲しい顔」の

「歌詞 が・ある」

 

「素 顔」

(「す がお」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1979・年」に

「リリース・した」

「セカンド・アルバム」

「逆 流」に

 

「収 録・され」て

   います。

 

「同・アルバム」は

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・作」に

「成・り」ました。

 

「長渕 剛」は

「1956 年・生まれ」で

「鹿児島 県・日置 市」

「出・身」の

 

「シンガー・ソング・

   ライター」

「俳・優」

「書 道・家」で

 

「1980 年・代」〜

「1990 年・代」に

「か け・て」の

「日・本」の


「代 表・的」な

「アーティスト」の

「一・人」です。


「県・立」

「鹿児島 南・高校」を

「卒 業・後」に

「福岡市に 在・する」

 

「九州 産業・大学」

「芸 術・学部」に

「進 学・する」も

「中・退」しました。

 

「大学入学 と・同時」に

「プロ・デビュー」を
「目 指・し」て
「福 岡・市内」の

 

「ライブ・ハウス」

「昭・和」で

「ライブ・活動」を

「始・め」ました。

 

「1976・年」

「20 歳の・時」に

ヤマハ・主催」の

「オーディション」で

 

「入・賞」し
「スカウト を・受け」
「デビュー」が

「決 ま・り」ました。

 

「1977・年」に
「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「雨の 嵐山」で

「メジャー・デビュー」を

「果 た・し」ました。

 

「同・曲」は

オリコン・53 位」と

「振 い・ません」

   でした。

 

「続 い・て」
「リリース・した」

「楽・曲」も
「鳴 かず・飛ばず」で

 

「3 年・間」の

「下 積み・生活」を

「余儀 なく・され」

   ました。

 

「代 表・曲」に

 

「乾 杯」

「とんぼ」

「素 顔」等が

「有・り」ます。

 

「1980・年」に

「リリース・した」

「5 th・シングル」

「順 子」が


「98・万枚」を

「セールス・して」

「自 身・初」の

オリコン・1 位」の

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「1988・年」に

「リリース・した」

「18 th・シングル」

「乾 杯」が

 

「キリン・ビール」

「ラガー・ビール」の
「C M・ソング」に
「起 用・され」て

 

オリコン・1 位」の

「大 ヒット曲 に・なり」

「レコード・大賞・
   金 賞」を

「受・賞」し

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「同・年」に

「リリース・した」

「20 th・シングル」

「とんぼ」が

 

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」

「自・身」が
「主 演・した」

 

「同・名」の

「テレビ・ドラマ」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

 

「104・万枚」を

「セールス・する」

「ミリオン・セラー」を

「記 録・して」

 

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「1991・年」に

「リリース・した」

「24 th・シングル」

「しゃぼん 玉」が

 

「フ ジ・テレビ 系」で

「放 送・され」

「自・身」が

「主 演・した」

「同・名」の

「テレビ・ドラマ」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

 

「111・万枚」を

「セールス・する」

「ミリオン・セラー」を

「記 録・して」

 

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「現 在・まで」に

 

「59・作品」の

「シングル・曲」を

「リリース」し

「内・8 作品」が

 

「47・作品」の

「アルバム・曲」を

「リリース」し

「内・12 作品」が

 

「各・々」

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・作」に

「成・り」ました。

 

「現 在・67 歳」

   です が

 

「2024・年」に

「最新 の・シングル」で

「59 th・シングル」

「黒いマントと

   真っ赤なリンゴ」を

 

「リリース・する」等

「コンサート」を

「中・心」に
「第 一線・にて」

 

「活躍 して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」
   で は

 

「1982・年」
「26 歳の・時」に

「5 才・年下」の

「女 優・歌手」で

 

「トップ・アイドル」の

「石野 真子」と

(「いしの まこ」)

「結 婚・する」も

 

「翌・年」の

「1983・年」に

「長渕 の・D V」が

(「家庭 内・暴力」 ) 
「決定 的・理由」で

 

「スピード・離婚」
   しました。

 

「1987・年」

「31 歳の・時」に

「1 才・年上」で
「アクション・女優」の

 

「志穂美 悦子」と
(「しほみ えつこ」)

「再・婚」

   しました。

 

「悦 子」は

「空手 の・有段者」で

「長渕 が・暴力」を

「振るおう と・した」ら

 

「返り討ち に・あい」

「以・後」
「暴力 は・収まった」

   そうです。

 

「1995・年」
「警視庁 薬物・対策課」
   に、よる

「家 宅・捜査」で

 

「大 麻・1 g」が

「発 見・され」

   ました。

 

「長 渕」は

「使用 を・認め」

「現行犯 逮捕・され」

   ました。

 

「こ の・事件」の

「捜 査・過程」で

「国生 さゆり・との」

(「こくしょう さゆり」)
「不・倫」が

 

「明るみ に・なり」

「長 渕」は

「歌手生命 の・危機」に

「陥 り・ました」が

 

「悦 子」の

「内助 の・功」で

「芸 能・界」に

「復・帰」しました。

 

「二人の 間・には」

「二 男・一女」が

「誕 生・した」

   そうです。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1990・年」の

「乾 杯」〜

「2014・年」の

「明日へ 続く道」まで

 

「通 算・4 回」

「出・場」しました。

 

 

「長渕 剛」

「素 顔」

「作・詞」「作・曲」
「長渕 剛」

 

夜の顔を 鏡で映せば

なんて 悲しい顔なの
強がり ばかりで

素直に なれない

なんて 悲しい顔なの


こんな 私の  

どこが 好きなの
なぜに そんなに

やさしい の
私が かわいそうに

見える から
それとも なつかしく

思えた から


気まぐれ だったら

やめて ちょうだい
本気で 好きに

なりそう だから
あなたの 前では

きれいで いたいし
かわいい女で  いたいの
厚化粧は 嫌いでしょう

でも 今の私
昔の私じゃ ないから

 

「私は いつも

   嘘を ついてきたわ!」
お前は いつも

そう 言うけれど
けして それは

裏切りじゃ ないんだし
そこまで 自分を

責める事も ないさ


お前の 素顔が

きれいだったから こそ
あの時 手鏡おくったんだ
お前の過去を 化粧で

かくすため じゃなく
素直な心を 映せばいい


誤解 しないで  

聞いて 欲しいんだ
俺が今まで して来た事は
時の手のひらの 中で

お前に 示した
精一杯の 愛だったんだ
さあ化粧を おとしたら

髪を とかして
このまま 静かに眠ろう

 

 

「目は 心の・鏡」を

「英・語」で

 

 「Eyes are the mirror of 

    the soul」と

 

 (「目は 心の・鏡」)

 

 「言・う」そうです。