何気なく使っている言葉の意味

 

「自慢 高慢・馬鹿のうち」
(「じまん こうまん・ばかのうち」)

 

「皆さん」は

「自慢 高慢・馬鹿のうち」

   と、いう

 

「ことわざ」を

「使った・事」は

「有・り」ませんか。

 

「自慢 高慢・馬鹿のうち」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「自惚 れ・て」
 (「うぬぼ れ・て」)

 「自 慢・した」り

 「偉そう に・している」

 「者」は

 「愚 か・者」の

 「仲・間」だ

    と、いう

 「意・味」の

 

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「自慢 高慢・馬鹿のうち」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「自分 の・優れて」

 「い る・ところ」を

 「他 の・人」に

 「自 慢・した」り

 

 「自・分」が
 「優れ て・いる」と

 「思い 込ん・で」
 「他 の・人」を

 

 「軽く 見る・人」は

 「知恵が 足り・ない」
 「人と 同じだと・いう」

 「事」や

 

 「高慢 に・なる」と

 「他の人 の・意見」や

 「考 え・方」を

 「受 け・入れ ず」

 

 「固 定・観念」に

 「と ら・われ」て

 「自由 な・発想」が

 「出来 なく・なり」

 

 「仮・に」

 「プライド」が

 「傷 付・く」と

 「感情的 に・なり」

 

 「知・恵」が

 「働か なく・なる」

 「事」が

 「由来 に・なっ・た」

 

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「自慢 高慢・馬鹿のうち」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「自慢 高慢・馬鹿のうち」

    と、いう

 「ことわざ」が

 「有・る」が


 「彼」は

 「初心 忘れる・べかざる」の

 「様」に

 「謙虚 な・気持ち」を

 

 「い つ・まで」も

 「持 ち・続ける」

 「様」に

 「意 識・して」


 「言動 して・いる」

    そうだ。

 

・「友・人」は
 「ちょっ・と」

 「ほめ ら・れた」

 「位」で

 

 「自慢 して・いる」が

 「自慢 高慢・馬鹿のうち」で

 「今・後」の

 「大き な・成長」を


 「期 待・する」

 「事」は
 「おそ ら・く」

 「無・理」だろう。

 

「自慢高慢・馬鹿のうち」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「慢 心・する」
    (「まん しん・する」

 

・「過度な 自信・から」

 「他人 を・あなどる」や

 「何・で」も

 「上手 く・出来る」と

 

 「おご り・高ぶる」と

 「い う・意味」の
 「慣 用・句」だ
    そうです。

 

 「高 圧・的」や

 「思いやり が・無い」と

 「い う・ネガティヴ」な

 「イメージ」を

 

 「持つ 人も・おり」

 「使 い・方」に

 「注意 が・必要」だ

    そうです。

 

「自慢高慢・馬鹿のうち」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「上手の 猫が・爪を隠す」

    (「じょうずの ネコ が・

        つめをかくす」)

 

・「優れ た・才能」や

 「実力の ある・人」は

 「そ れ・を」

 「む や・み」に

 

 「ひけら か・す」

 「事 を・しない」と

 「い う・意味」の

 「ことわざ」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な

 「気」月、します。

 

 

「鶴田 浩二」は

(「つるた こうじ」)

 

「馬鹿と 阿呆の

   からみあい」の

「歌詞 が・ある

 

「傷だらけ の 人生」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1970・年」に

「リリース」

   し た

「16 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に
「成・り」ました。

 

「鶴田 浩二」は

「1,924 年・生まれ」で

(「大 正・13 年」) 

「兵庫 県・西宮 市」

「出・身」の

 

「俳・優」

「歌・手」です。

 

「昭和を 代表・する」
「映画俳優 の・一人」

   と、して

「数 多・く」の

 

「映・画」や

「テレビ・ドラマ」で
「主・演」

   しました。

 

「2 年・間」の

「海 軍・での」

「戦 争・体験」を

「経・て」

 

「1948・年」

「24 歳の・時」に

「長谷川  一夫」

「主・演」の

「東 宝・映画」

「遊侠の 群れ」で

(「ゆうきょうの むれ」)

「俳 優・デビュー」
   しました。

 

「甘さと・翳り」を

(「あまさ と・かげり」)

「兼 ね・備え」た

「天賦 の・美貌」で

(「てんぷ の・びぼう」)

 

「一躍 に・して」

「トップ・スター」の

「座」に

「踊 り・出」て

 

「1949・年」に

フランチェスカ の 鐘」で

「初・主演」を

「果 た・し」ました。

 

「佐田 啓二」

(「中井 貴一 の・父」)

「高橋 貞二」と

「共・に」

 

「松竹 三羽・ガラス」と
「謳 わ・れ」

(「うた わ・れ」)
   ました。

 

「1950 年・代」に
「入 っ・て」も

「甘 い・美貌」と

「虚無 の・匂い」を

 

「漂 わ・せ」て

「スター・街道」を
「駆 け・上がり」
   ました。

 

「芸 能・雑誌」

「平凡 や・明星」の
「人気 投票・では」

「池部 良」

(「いけべ りょう」)


「長谷川 一夫」を

「大き く・引き離し」

「断・トツ」の
「1 位 と・なり」

 

「プロマイド」の

「売 り・上げ」も
「追随を 許し・ません」
(「ついずい を・ゆるし」)
   でした。

 

「歌・手」と

   して は

 

「1952・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「男の 夜曲」で

「メジャー・デビュー」
   しました。

 

「俳・優」の
「鶴田 浩二・です」と

「挨 拶・して」

「歌・手」が

 

「本業 との・態度」は

「一 切・見せず」

「手の 汗が・付かぬ」

「様」に

 

「ハンド・マイク」に
「ハンカチ を・添え」

「音程 を・確かめる」

「様」に

 

「左・手」を
「耳 に・あてがう」

「独特 の・歌唱法」が

「評判 に・なり」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「傷だらけ の 人生」

赤と黒 の ブルース」

「戦 友」等が

「有・り」ます。

 

「1970・年」に

「リリース・した」

「16 th・シングル」

「傷だらけ の 人生」が

 

「自身 が・主演した」

「同名 の・映画」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」

 

「ミリオン・セラー」を

「記 録・する」

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「そ の・後」も

「次・々」と
「ヒット・曲」を
「飛 ば・し」て

 

「戦・後」を

「代 表・する」

「大・スター」に

「成・り」ました。

 

「1953・年」

「29 歳の・時」に

「鶴田 浩二」

「襲 撃・事件」が

 

「発・生」

   しました。

 

「当・時」の

「鶴田 浩二」は

「芸 能・界」で
「美空 ひばり」の

 

「兄 貴・的

(「あに き・てき」)

「存・在」でした。

 

「美空 ひばり」の

「父 親・代わり」を

「自称 して・いた」

「暴力 団・山口組」の

 

「三代 目・組長」

「田岡  一雄」の

「指示 で・起き」た

「襲 撃・事件」でした。

 

「後・に」
「田岡 一雄」は

「鶴田 浩二」の

「脅しや・暴力」に

 

「屈 せ・ず」に

「筋を 通す・生き方」に

「敬 服・して」
「和・解」しました。

 

「三代目 の・前」で

「堂々 と・して」

「いら れる・のは」

「鶴田 しか・いない」と

 

「周囲 の・関係者」は

「驚きを 隠す・事」が

「出 来・ません」

   でした。

 

「襲撃 事件・後」も

「鶴田 浩二」の

「人気 は・衰えず」

「1 日 の・出演」で

 

「300・万円」の
「日本 映画・史上」

「最高 の・ギャラ」を

「得」ました。

 

「1985・年」に

「肺・ガン」を

「発 症・した」

「事」が

 

「判 明・する」も

「本 人・には」

「告知 され・ません

   でした。

 

「1,987・年」に

「肺・ガン」の

「診 断・にて」

「都内 の・病院」で

 

「62 年・間」の

「生・涯」に

(「しょう・がい」)
「幕 を・下ろし」

   ました。

 

「葬 儀・には」

「軍服 を・着た」

「多くの・戦友」も

「参・列」し

 

「軍・歌」を

「歌 い・ながら」

「見 送・り」
   ました。

 

「鶴田 浩二」の

「死・から」

「僅・か」

「1 か月 後・には」

 

「同 じ・く」

「昭・和」の

「大 スター・だった」

「石原 裕次郎」が

 

「肝 臓・ガン」の

「診 断・にて」

「52・歳」で

「没・し」ました。

 

「更・に」

「1 年 後・には」

「昭和 の・歌姫」と

「呼ば れて・いた」

 

「美空 ひばり」が

「肺・炎」の

「診 断・にて」

「52・歳」で

 

「死・去」し

「昭・和」を

「代 表・する」

「大・スター」が


「次・々」に

「永・眠」

   しました。

 

「私・生活」
   で は

 

「戦 後・初」の

「海外 ロケ・映画」

「ハワイ の 夜」で

「共 演・した」

 

「岸 恵子」と

「恋人関係 に・なり」

「戦 後・最大」の

「ロマンス」と

 

「騒が れ・ました」が

「恵子 が・所属する」

「松 竹・映画」は

「結婚 を・許さず」

 

「傷 心・した」
「鶴田 浩二」は

「自 殺・未遂」を

「図・り」ました。

 

「失意 の・どん底

   に、いた

「鶴田 浩二」を

「励まし た・のが」

 

「女・優」の

「中尾 照子」

(「なかお てるこ」)

   でした。

 

「1955・年」

「31 歳の・時」に

「二・人」は

「結・婚」しました。

 

「二人 の・間」

   に は

「3 人 の・娘」が

「誕・生」しました。

 
「三・女」は
「女・優」の
「鶴田 さやか」

   です。

 

「紅 白・歌合戦」

   へ の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「鶴田 浩二」

「傷だらけ の人生」

「作・詞」「藤田 まさと」

「作・曲」「吉田 正」

 

  〈 セリフ 〉

 

「古い奴 だと、お思い でしょうが、

   古い奴 こそ

   新しい ものを、欲しがる もんで、

   ござい ます。

   どこに 新しい ものが、

   ござい ましょう。

   生まれた 土地は 荒れ放題、

   今の 世の中、

   右も左 も 真っ暗闇 じゃ、

            (「まっくらやみ」)

   ございません か。」

 

    〈 歌 〉

 

何から 何まで  真っ暗闇 よ

すじ の 通らぬ こと ばかり

右を 向いて も 左を 見て も

馬鹿 と 阿呆 の からみ あい

どこに 男の ゆめ が ある

 

  〈 セリフ 〉

 

「好いた 惚れた と、

   けだもの ごっこ、が

   まかり 通る 世の中 で、

   ござい ます。

   好いた 惚れた は、もともと、

   心が 決める もの・・・
   こんな こと を、申し上げる、

   私 も

   やっぱり 古い 人間 で、

   ござん しょう かね。」

 

   〈 歌 〉

 

ひとつ の 心に 重なる 心

それが 恋 なら それも よし

しょせん この世 は 男 と 女

意地に 裂かれる 恋も あり

       (「さかれる」) 

夢に 消さ れる 意地 も ある

 


  〈 セリフ 〉

 

「なんだ かんだ と、

   お説教 じみた こと を、

   申して参りましたが

   そういう 私 も、

   日陰育ち の ひねくれ 者、

   お天道様 に、背中を 向けて 歩く

(「おてんとうさま」)

   馬鹿な 人間 で、ございます。」

 

   〈 歌 〉

 

真っ平 御免 と 大手 を 振って

(「まっぴら ごめん」) 

歩きたい けど 歩け ない

嫌だ 嫌です お天道様 よ

日陰育ち の 泣き どころ

明るすぎ ます 俺ら には

                   (「おいら」) 

 

 

※「自慢は 知恵の・行き止まり」

(「じまんは ちえの・いきどまり」)

 

「自慢は 知恵の・行き止まり」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「自 慢・する」
 「様」に

 「成・る」と

 「そ れ・以上」

 

 「良 く・しよう」

    と、いう

 「気 持・ち」が
 「無 く・なり」

 

 「進歩 する・事」

 「無・く」

 「止まっ た・まま」と

 「い う・意味」の

 

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「自慢は 知恵の・行き止まり」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「人 に・向かって」

 「自・分」の

 「自 慢・ばかり」に

 「夢中 に・なって」は

 

 「今・以上」に

 「進 歩・する」や

 「向 上・する」

 「努・力」を

 

 「しよ う・と」は

 「しな く・なる 」

    と、いう」

 「た と・え」が

 

 「由・来」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「自慢は 知恵の・行き止まり」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「友・人」は

 「昔の 栄光に・すがり」

 「昔の 自慢話・ばかり」

 「し て・いる」が

 

 「自慢は 知恵の・行き止まり」で

  「当 時・から」

 「何 の・進歩」も

 「無」い。

 

・「彼・女」は

 「自慢は 知恵の・行き止まり」

    と、いう

 「ことわざ」を

 

 「座右 の・銘」に

 「して いる・ので」

 「どこ まで・伸びる」か

 「楽 し・み」だ。

 

「自慢は 知恵の・行き止まり」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「高慢は 出世の・行き止まり」

  (「こうまんは しゅっせの・

      いきどまり」)

 

・「自分 の・地位」に

 「うぬ ぼ・れ」て

 「他人 を・見下す」

 「様」に

 

 「成 っ・た」ら

 「そ れ・以上」の
 「出・世」は

 「望 め・ない」と

 

 「い う・意味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「自慢は 知恵の・行き止まり」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「能ある 鷹は・爪を隠す」

   (「のうある たかは・
       つめをかくす」)

 

・「言 わ・ず」と
 「知・れ」た

 「有・名」な
 「ことわざ」です。  

 

 「優れ た・能力」の

 「有 る・人」は
 「それ を・無駄」に

 「ひけらか し・たり」は

 

 「しない と・いう」

 「意・味」の

 「ことわざ」

    です。

 

 「爪を 隠す・とは」

 「爪が 見えない・様」に

 「隠 す・事」で

 「無・く」

 

 「む や・み」に

 「爪 を・使って」

 「獲物 を・脅す」

 「行・為」を

 

 「し な・い 」

    と・いう

 「意・味」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

   

 

「村下 孝蔵」は

(「むらした こうぞう」)

 

「バス通り 裏の 路地

   行き止まり の 恋だから」の

「歌詞 が・ある」

 

「踊 り 子」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1983・年」に

「リリース」

   し た

「6 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に
「成・り」ました。

 

「歌詞 に・ある」

「林檎 の・花」は

(「りんご の・はな」)

青森県 の・県花」に

「成っ て・おり」

 

「5 月 初旬〜・
「5 月 中旬」に

「咲 き・そろう」

   そうです。

 

「村下 孝蔵」は

「1953 年・生まれ」で

「熊本 県・水俣 市」

「出・身」の

 

「シンガーソング・
   ライター」です。

 

「中学生 時代・から」

「平 泳・ぎ」の

「選手 と・して」

「活・躍」し

 

「私・立」

「鎮 西・高校」に

(「ちん ぜい」)

「水泳 部・特待生」で

「進・学」し

 

「九 州・大会」

「100 m・平泳ぎ」で

「優・勝」

   しました。

 

「1971・年」

「高 校・卒業後」に

新日鉄・八幡 製作所」に

「就 職・する」も

 

「歌手 の・夢」を

「捨 て・切れず」に

「同・年」に

「退・職」しました。

 

「1972・年」

「19 歳の・時」に

「広 島・県」に

「開 校・する」

 

「日本 デザイナー・学院」

「インテリア

   デザイン・科」に

「入・学」し

 

「学校 の・仲間」と

「フォーク・グループ」を

「結・成」

   しました。

 

「卒 業・後」は

ヤマハ」に

「就・職」し

「ピアノ」の

 

「調 律・師」と

   し て

「働 き・なが」ら

「弾 き・語り」の

 

「アルバイト」

「等」で

「音 楽・活動」を

「行・い」ました。

 

「1979・年」に

CBSソニー

「主・催」の

「オーディション」で

「グランプリ」を

「獲・得」し

「歌 手・デビュー」が

「決・定」しました。

 

「1980・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「月 あかり」で

「メジャー・デビュー」

   しました。

 

「代 表・曲」に

 

「初 恋」

「踊 り 子」

ロマンスカー」等が

「有・り」ます。

 

「1983・年」に

「リリース・した」

「サード・シングル」

「初 恋」が

 

「50・万枚」を

「売 り・上げ」る

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「一躍 に・して」

「人 気・歌手」の

「仲 間・入り」を

「果 た・し」ました。

 

「そ の・後」も

「踊 り 子」

ロマンスカー
「等」の

 

「ヒット・曲」を

「世」に

「送 り・出し」

   ました が

 

「1999 年・6 月」

「コンサート」の

「リハーサル・中」に

「倒・れ」

 

「高血圧 性・脳内出血」の

「診 断・にて」

「46 歳 の・若さ」で

「急・逝」しました。

(「きゅう・せい」)

 

「私・生活」

   で は

 

「1979・年」

「デビュー・1 年前」で

「26 歳の・時」に

「ピアノ・講師」の

 

「一般人・女性」と

「結・婚」しました。

 

「1980・年」に

「長女 が・誕生する」も

「1985・年」に

「離・婚」しました。

 

「時・期」は

「不 明・です」が

「一般 人・女性」と

「再・婚」し

 

「村 下」が

「死 去・した」

「1999 年・まで」

「寄 り・添い」ました。

 

「紅 白・歌合戦」

   へ の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「村下 孝蔵」

「踊 り 子」

「作・詞」「作・曲」
「村下 孝蔵」

 

答え を 出さず に

いつまで も 暮らせ ない

バス通り 裏の 路地 

行き止まり の 恋だから

 

何処か に 行きたい 

林檎の 花が 咲いてる

(「リンゴ」)

暖かい 所なら 

何処へ でも 行く

 

つまさきで 立った まま 

君を 愛して きた

南向き の 窓から 

見て いた 空が

踊り だす くるくる と 

軽い めまい の 後

写真 を ばらまいた よう に 

心 が 乱れる

 

表紙 の とれてる  

愛だ から かくし あい

ボロボロ の 台詞 だけ 

              (「セリフ」)

語り合う 日々 が 続き

                

坂道 を 駆ける

子供たち の ようだね

倒れ そうな まま 二人 

走って いた ね

 

つまさき で 立った まま 

僕を 愛して きた

狭い 舞台 の 上で 

ふらつく 踊り子

愛し てる 愛せ ない 

言葉 を かえ ながら

かけひき だけ の 愛は 

見え なく なって ゆく

 

つまさきで 立った まま 

二人 愛して きた

狭い 舞台 の 上で 

ふらつく 踊り子

若すぎ た それだけ が 

すべて の 答え だと

涙をこらえた まま 

つまさき 立ち の  恋

 

 

「自慢 高慢・馬鹿のうち」を

「英・語」で

 

 「Of the proud idots」と

 

 (「自慢 高慢・馬鹿のうち」)

 

 「言・う」そうです。