何気なく使っている言葉の意味

「幽霊の 正体見たり・

   枯れ 尾花」

(「ゆうれいのしょうたいみたり・
    かれ おばな」)

 


「幽霊の 正体見たり・

   枯れ 尾花」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「尾 花・とは」

   (「お ばな」)
 「ススキ の・穂」の

 「事」だ、そうです。

 

 「幽霊 だと・思って」

 「恐れ て・いた」
 「も の」が

 「よ く・見た」ら

 

 「枯・れ」た

 「ススキ の・穂」

 「だった と・いう」

 「事・より」


 「疑 心・暗鬼」で

 (「ぎ しん・あんき」)

 「物事 を・見る」と

 「悪 い・方」に

 「想像 が・膨らんで」

 

 「あり も・しない」

 「事」を

 「恐れ る・様」に

 「成る と・いう」

 

 「意・味」の
 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「幽霊の 正体見たり・

   枯れ 尾花」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「江 戸・時代」の

 「俳・人」

 「横井 也有」の

 (「よこい やゆう」)

 「俳 文・集」

 

 「鶉・衣」に
 (「うずら・ごろも」)

 「記 さ・れた」

 「下 記・一節」


 「化物の 正体見たり・

    枯れ 尾花」が

 (「ばけものの しょうたいみたり・

     かれ おばな」)

 

 「変 化・した」

 「句・だと」

 「言わ れて・いる」

    そうです。

 

「幽霊の 正体見たり・

   枯れ尾花」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼」は

 「上司 とは・怖いもの」と

 「勝・手」に

 「思い 込んで・いた」が

 

 「幽霊の 正体見たり・

       枯れ 尾花」で

 「優し い・人」も

 「いる事 を・知り」


 「目・から」

 「鱗 が・落ちた」

 (「うろこ」)

    そうだ。

 

・「子供 の・頃」

 「真っ暗 な・山道」を

 「下 校・中」に

 「ヒ タ・ヒタ」と

 

 「誰・か」が

 「追いかけ・くる」

 「様」な

 「気 が・して」

 

 「怖 く・なり」

 「全速力 で・走って」

 「家 に・帰った」

 「記憶 が・ある」が

 

 「幽霊の 正体見たり・

      枯れ 尾花」で

 「聞こえ て・いた」

 「音」は

 

 「自分 の・足音」

    だった。

 

「幽霊の 正体見たり・
   枯れ 尾花」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「疑いは 暗中 の・人影」

   (「うたがいは あんちゅう の・

       ひとかげ」)

 

・「疑い の・心」を

 「持っ て・見る」と

 「何でも ない・事」
    で も

 

 「疑 わ・しく」

 「見え て・くる」

    と、いう

 「意・味」の

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「幽霊の 正体見たり・

   枯れ 尾花」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

 

「出 て・来」

   ません。

 

・「慧・眼」
   (「けい・がん」)

 

・「物・事」の
 「本質 や・裏側」を

 「鋭 く・見抜く」

 「眼力 と・いう」

 

 「意・味」の

 「二 字・熟語」

    です

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「吉田 拓郎」は

(「よしだ たくろう」)

 

「浴衣の 君は 尾花の 簪」の

(「ゆかたの きみは

    ススキ の かんざし」)

「歌詞 が・ある」

 

「旅 の 宿」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,972・年」に

「リリース」

   し た

「5 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「吉田 拓郎」は

「1,946 年・生まれ」で

「広島 県・広島 市」

「出・身」の

 

「シンガーソング・
   ライター」

「作詞 家・作曲家」

「音 楽・プロデューサー」
   です。

 

「当・時」

「アンダー・グラウンド」と

「評価され て・いた」

「フォーク・ソング」を

 

「メジャー・シーン」

   へ と

「引 き・上げ」

「日・本」の


「シンガーソング・

   ライター」の

「草分け 的・存在」と

「称 さ・れ」ました。

 

「県・立」
「皆実 高校・在学中」に

「曲・作り」を

「始・め」

 

「高 校・卒業 後」に

「広島 修道・大学」

商学部 に・進学」し
「卒・業」しました。

 

「大学 在学・中」に

「コロンビア・レコード」
「主・催」の
「フォーク・コンテスト」で

 

「3 位 に・なり」

「和製 ボブ・デュラン」と

「期 待・され」て

「芸能 界・入り」しました。

 

「1,970・年」

「24 歳の・時」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

 

「イメージの 詩」で

「デビュー」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「旅 の 宿」

「結婚 しようよ」

「夏 休 み」等が

「有・り」ます。

 

「1,972・年」に
「リリース」

   し た

「4 th・シングル」

 

「結婚 しようよ」が

オリコン・3 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「当・時」は

「男性 も・女性」と

「同 じ・位」の

「髪 の・長さ」の

 

「長髪 に・する」

   の が

「ブーム」でした。

 

 「僕の髪が 肩まで のびて

    君と 同じように なったら

    約束どおり 町の教会 で

    結婚しようよ」の

 

「歌詞で 始まる・歌」は

「当時 主流で・あった」

「反体制的 な・歌」に

「飽きたり て・いた」

 

「若 者・達」に

「迎 合・され」

(「げい ごう」)

   ました。

 

「吉田 拓郎」が

「歌っ た・歌」は

「自身 の・生き方」や

「恋 愛・経験」を

 

「テーマ と・した」
「歌・詞」で

「当・初」は

「体制 に・なびく」

 

「軟弱 な・歌」と

(「なんじゃく」)
「バッシング」を

「浴・び」ました。

 

「多く の・若者」は

「体制 に・反対する」

「事」を

「自・身」の

「ステータス」

(「社会的 地位・身分」)

   だ と

「考 え・て」

   いました。

 

「折 し・も」

連合赤軍 に・よる」

「あさま 山荘・事件」や

「リンチ 殺人・事件」が

 

「発・生」し

「若者 の・気持ち」は
「引い て・しまい」

「反体制 の・流行」は

 

「冷め て・しまい」

「ひ た・すら」

「反・体制」を
「訴え る・歌」に

 

「疑・問」を
「感 じ・始め」て

   しまい、ました。

 

「そ し・て」

「吉田 拓郎」の

「歌 の・様」な

「明る い・未来」を


「感じ させる・歌」が
「若者 の・間」に

「徐々に 浸透・して」

「来」ました。

 

「人 の・気持ち」は

「移ろ い・やすく」

「吉田 拓郎」は
「いつ の 間・にか」

 

「時・代」の
「ヒーロー」に

「祭り 上げ・られ」

   ました。

 

「同・年」に

「森 進一」に

「提供 した・楽曲」

「襟 裳 岬」が

(「えりも みさき」)

 

「日本・レコード・大賞」の

「栄・冠」に

「輝・き」ました。

 

「国 民・的 」な

「大・イベント」で

「有 っ・た」
「表 彰・式」に


「吉田 拓郎」は

「上 下・共」に

ジーンズ・姿」で
「登・場」し


「平然 と・賞」を
「受 け・取り」

「多・く」の

「関係 者・から」

 

「批判 が・続出」し

「物議 を・醸し」

(「ぶつぎ を・かもし」)

   ました。

 

「1,972・年」に

「リリース・した」

「5 th・シングル」

「旅 の 宿」が

 

「シングル・曲」

「アルバム・曲」を

「通・じ」て
「自 身・唯一」の

 

オリコン・1 位」で

「自 身・最大」の

「セールス」を

「記 録・する」


「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「現 在・76 歳」

   です が

 

「2,022 年・6 月」に

「同 年・末」を

「以 っ・て」

「第・一線」を

 

「引 退・する」と

「発・表」しました。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,972・年」

「26 歳の・時」に

「6 才・年下」で

「歌・手」の

 

「四角 佳子」と

「結・婚」し

「時・期」は

「不 明・です」が

 

「第一子・女児」が

「誕 生・する」も

「1,975・年」に

「離・婚」しました。

 

「1,977・年」

「31 歳の・時」に

「10 才・年下」の

「女・優」

 

「歌・手」
「タレント」の

「浅田 美代子」と

「再 婚・する」も

 

「1,984・年」に

「離・婚」しました。

 

「1,986・年」

「40 歳の・時」に

「12 才・年下」で

「女・優」の

 

「森下 愛子」と

「三 度・目」の

「結・婚」を

   しました。

 

「二・人」は
「おしどり・夫婦」

   と、して

「良好 な・関係」が

 

「続い て・いる」
「そ う・です」が

「残 念・ながら」

「子 宝・には」

 

「恵ま れ・なかった」

   そうです。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,994・年」に

「外は 白い 雪の夜」で

 

「1 回・のみ」

「出・場」しました。

 

 

「吉田 拓郎」

「旅 の 宿」

「作・詞」「岡本 おさみ」

「作・曲」「吉田 拓郎」

 

浴衣の きみ は 尾花の 簪

(「ゆかた」)

(「ススキ の かんざし」)

熱燗徳利 の 首 つまんで

(「あつかんとっくり」)

もう いっぱい いかが なんて

みょうに 色っぽい ね

 

ぼくは ぼくで 胡座を かいて

                   (「あぐら」)

きみ の 頬と 耳は まっかっか

あゝ 風流だ なんて

ひとつ 俳句でも ひねって

 

部屋の 灯りをすっかり 消して

      (「あかり」)

風呂あがり の 髪 いい香り

上弦の月 だったっけ

(「じょうげんのつき」)

ひさしぶり だね 月見る なんて

 

ぼく は すっかり 酔っちまって

きみ の 膝枕に うっとり

もう 飲みすぎっち まって

きみ を 抱く気にも なれない みたい

 

 

※「坊主 の・花簪」

  (「ぼうず の・はなかんざし」)

 

「坊主の・花簪」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「持っ て・いて」も

 「何の 役・にも」

 「立 た・ず」に

 「使 い・道」が

 

 「全 く・無い」

 「と いう・意味」の

 「ことわざ」だ
       そうです。

 

「坊主の・花簪」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「花 簪・とは」

 (「は な・かんざし」)

 「造花 で・飾った」

 「かんざし の・事」だ

    そうです。

 

 「坊 主・頭」の

 「僧 侶・には」

 「簪 を・挿す」

 (「かんざし を・さす」)

 「事」が

 

 「出来 ない・こと」が

 「由来 に・なった」

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「坊主の・花簪」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「機 械・音痴」の

 「彼」は

 「スマート・フォン」の

 「便利 な・機能」を

 

 「全・く」

 「使い こな・せず」

 「正・に」

 「坊主 の・花簪」だ。

 

・「昔」は

 「良く 活用・した」

 「辞 書・だが」

 「パソコン」が

 

 「発 達・した」

 「現 在・では」

 「本棚 を・飾る」

       だけ の

 

 「坊主の・花簪」に

 「成 っ・て」

       しまった。

 

「坊主の・花簪」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「無用 の・長物」
   (「むよう の・ちょうぶつ」)

 

・「有 っ・て」も

 「かえ っ・て」
 「邪魔 に・なる」

 「位」で

 

 「役に 立た・ない」

 「物」

    と、いう

 「意・味」の

 

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 「ち な・み」に

 「ピラミッド」

 「万里 の・長城」

 「戦 艦・大和」は

 

 「世 界・三大」

 「無用 の・長物」と

 「言わ れて・いる」

    そうです。

 

「坊主 の・花簪」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「枯れ木も 山の・賑わい」

   (「かれきも やまの・

       にぎわい」)

 

・「何も ない・山より」も

 「葉っ ぱ・一枚」

 「付い て・いない」

 「枯れ木・でも」

 

 「あ る・方」が

 「それ は・それ」で

 「趣がある 事・から」

 (「おもむき」)

 「転 じ・て」

 

 「つまら ない・もの」

 「必要 ない・もの」で

 「有 っ・て」も

 「無 い・より」は

 

 「あっ た・方」が

 「ましだ と・いう」

 「意・味」の

 「ことわざ」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「ペギー・葉山」は

(「ペギー・はやま」)

 

「坊さん かんざし

   買うを みた」の

「歌詞 が・ある」

 

「南国土佐を 後にして」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,959・年」に

「リリース」

   し た

「シングル・曲」で

 

「大 ヒット・曲」に
「成・り」ました。

 

「ペギー・葉山」は
「1,933 年・生まれ」で

「東京 都・新宿 区」

「出・身」の

 

「歌・手」

「タレント」

   でした。

 

「青山 学院・高等部」

「在 学・中」に

「進駐 軍・キャンプ」で

「歌 い・始め」

 

「歌 う・姿」を

「見 て・いた」

「音 楽・関係者」に
「見初 め・られ」て

「スカウト・され」

   ました。

 

「高校 を・卒業」

「後」の

「1,952・年」

「19 歳の・時」に

 

「ファースト・シングル」

「ドミノ」で

「デビュー」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「南国土佐を 後にして」
「学生 時代」

「ケ・セラ・セラ」等が

「有・り」ます。

 

「1,954・年」に

「リリース・した」

「シングル・曲」

「月光の チャペル」で

 

「紅 白・初 出場」を

「果 た・し」ました。

 

「1,959・年」に

「発 売・した」

「南国土佐を 後にして」が

「本人 も・出演した」

 

「同名 の・映画」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

「200・万枚」を

 

「売 り・上げる」

「空・前」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「ポピュラー」

「歌謡曲 界・での」

「不動 の・地位」を

「築・き」ました。

 

「1,980・年」に

「ロサンゼルス」で

「開 催・され」た

「日米 修好・百年祭」に

 

「日 本・代表」

   と、して

「招 か・れ」

   ました。

 

「そ の・際」

「ミュージカル」

サウンド・オブ・

   ミュージック」を

 

「鑑・賞」し
「帰 国・後」に

「劇 中・歌」

「ドレミ の・歌」を

 

「自・ら」が
「訳 詞・歌唱」し

「国・民」に
「紹・介」しました。

 

「ド」は

「ドーナッツ」の

「ド」で

「始 ま・る」

 

「ドレミ の・歌」は

「音楽 の・教科書」に

「採 用・される」等

「皆 に・愛され」ました。

 

「1,964・年」に

「発 売・した」

「学 生・時代」が

「ロング・ヒット」し

 

「ミリオン・セラー」を

「記 録・して」

「自・身」の

「代 表・曲」の

 

「一・曲」に

「成・り」ました。

 

「1,995・年」に

「紫 綬・褒章」を

(「し じゅ・ほうしょう」)

「受・賞」しました。

 

「2,004・年」に

「旭 日・小綬章」を

(「きょく じつ・

    しょうじゅしょう」)

「受・賞」しました。

 

「2,007・年」に

「日本 歌手・協会」の

「7 代・目」

「会長 に・就任」し

 

「2,010・年」

   ま で

「務・め」ました。

 

「デビュー・から」

「60 年・以上」

「第・一線」で

「活躍 し・続ける」も

 

「2,017 年・4 月」

「肺炎 の・診断にて」

「83・歳」で

「永・眠」しました。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,965・年」

「32 歳の・時」に

「10 歳・年上」の

「二枚 目・俳優」

 

「根上 淳」と

(「ねがみ じゅん」)

「結・婚」し

「1,968・年」に

 

「長・男」が
「誕・生」しました。

 

「根 上」は

「1,998・年」に

「糖 尿・病」が

「原・因」の

 

「脳・梗塞」で
「倒・れ」
「死 去・する」

「2,005 年・まで」

 

「ペギー」が

「歌 手・活動」を

「続 け・ながら」

「懸・命」に

 

「7 年・間」に

「亘・る」

「在 宅・介護」を

「続・け」ました。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,954・年」の

「月光の チャペル」〜

「1,989・年」の

「南国土佐を 後にして」まで

         (「2 回・目」)

 

「通 算・14 回」

「出・場」しました。

 

 

「ペギー・葉山」
「南国土佐を 後にして」

「作・詞」「作・曲」
「武政 英策」

 

南国土佐を 後にして

都へ 来てから 幾年ぞ

                  (「いくとせ」)

思い出し ます 故郷の 友が

門出に 歌った よさこい節

(「かどで」)

土佐の 高知 の 播磨屋橋 で

                  (「はりまやばし」)

坊さん かんざし 買うを みた

 

月の浜辺 で 焚火 を 囲み

                 (「たきび」)

しばしの 娯楽 の 一時 を

                        (「ひととき」)

わたし も 自慢 の 声 張り上げ て

歌うよ 土佐 の よさこい節

みませ 見せましょ 浦戸 を あけて

                             (「うらど」)

月の 名所 は 桂浜

 

国の 父さん 室戸の 沖で

鯨 釣った と 言う 便り

(「クジラ」)

わたし も 負けず に 励んだ 後で

歌うよ 土佐 の よさこい節

言うたち いかん ちゃ 

おらんく の 池にゃ

潮吹く 魚が 泳ぎ よる

(「しおふく」)

よさこい よさこい

 

 

「幽霊の 正体見たり・枯れ尾花」を

「英・語」で

 

 「seeing the true identity of ghosts 

    and witherd tail fiowerrs」と

 

 (「幽霊の 正体見たり・枯れ尾花」)

 

 「言・う」そうです。