何気なく使っている言葉の意味

「思い を・馳せる」

(「おもい を・はせる」)

 

「皆さん」は

「思い を・馳せる」

   と、いう

 

「慣 用・句」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「思い を・馳せる」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「遠くの人 や・物事」を

 「思 い・やる」

    と、いう

 「意・味」の

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

 「た と・え」ば

 「行き たい・場所」や

 「会いたい 人が・いて」も

 「それが 不可能な・時」に

 

 「せ め・て」

 「思いだけ でも・届く」
 「様」にと

 「願う 様な・気持ち」で

 

 「使わ れる・表現」で

 「距離 に・限らず」

 「過去 や・未来」の

 「様」に

 

 「時間 を・超える」

 「事」も

 「可能 な・慣用句」だ

    そうです。

 

「思い を・馳せる」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「馳 せ・る」には

 「馬が走る が・ごとく」

 「速 い・スピード」で

 「し か・も」

 

 「遠く・まで」

    と、いう

 「ニュアンス」が

 「有・る」そうです。

 

 「そ こ・から」

 「自分の 力だけ・では」

 「行け ない・様」な

 「遠 い・場所」に

 

 「心 を・向ける」や

 「向か わ・せる」

    と、いう

 「意・味」で

 

 「思い を・馳せる」

    と、いう

 「表現 が・使われる」

 「様」に

 

 「成っ た・事」が

 「由・来」だ

    そうです。

「思い を・馳せる」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼」は

 「父母の 命日・には」

 「帰 郷・して」

 「墓参り を・しながら」

 

 「昔 の・思い出」に

 「思い を・馳せていた」

    そうだ。

 

・「彼・女」は
 「ルーティン・ワーク」に

 「疲れた 時・には」

 「遠 く・離れた」

 

 「故郷 の・景色」に

 「思い を・馳せて」

 「気分 転換・している」

    そうだ。

 

「思い を・馳せる」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「思い を・巡らす」

   (「おもい を・めぐらす」)

 

・「思い を・馳せる」は

 「思 う・対象」が
 「遠くの人 や・物事」に

 「限定 される・のに」

 「対 し・て」

 「思い を・巡らせる」は

 「目の前の・人」や

 「身近 な・物事」に

 「付 い・て」

 「あれ これ と・考える」
 「際」にも

 「使 用・出来」る

 「汎用性 の・高い」

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「思い を・馳せる」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

「少・し」
「ニュアンス」が

「違 う・気」が

   しますが

 

・「尻に 火が・付く」

   (「しりに ひが・つく」)

 

・「事態 が・差し迫って」

 「追い詰め・られた」
 「状況 に・なる」

 「事」より

 

 「目先 の・こと」で

 「手一杯 に・なり」

 「他 の・こと」を

 「考え て・いる」

 

 「余裕 が・ない」

    と、いう

 「意・味」の

 「慣 用・句」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な

 「気」が、します。

 

 

「倉木 麻衣」は

(「くらき まい」)

 

「色なき 風に 思い馳せ て

   触れた手の 温もり 今も」の

「歌詞 が・ある」

 

渡月橋 〜 君想ふ 〜」

(「とげつきょう」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「渡 月 橋」は

「京都 府」の

桂川 に・架かる」

「橋」で

 

「観光地 と・して」

「有・名」だ

   そうです。

 

「2,017・年」に

「リリース」

   し た

「41 th・シングル」で

 

「映・画」
「名探偵 コナン」

「から 紅の 恋歌」の

「主 題・歌」に

 

「起 用・され」て

「大・ヒット」し
「自身 の・代表曲」に

「成・り」ました。

 

「倉木 麻衣」は

「1,982 年・生まれ」で

「千葉 県・船橋 市」
「出・身」の


「歌・手」

「大学 客員・

   準 教授」です。

 

「4 歳 の・時」に

「先生 を・招き」

「ピアノ」を

「習 い・始める」も

 

「先 生・から」

「ピアノ・より」
「歌 の・方」が

「向い て・いる」と

 

「アドバイス」を

「受・け」て

「歌 手・志望」に

「成・り」ました。

 

「中学生 の・時」に

「自作 の・デモテープ」を

「数・多く」の

「レコード・会社」に

「送・り」

「高 校・生」に

「成っ て・から」の

「デビュー」を

「提 案・され」て

 

「そ れ・まで」は

「英語 の・勉強」や

「様々な・経験 を

「積・み」

「デモテープ」を

「何・本」も

「作る べき・との」

「助言 を・受け」ました。

 

「地元 に・在する」

「私・立」

「聖徳 大学 附属

   女子・高校」に

「進 学・する」も

 

「同 校・では」

「芸 能・活動」は

「一 切・禁止」の

「為」に

 

「デビュー 」が

「決ま っ・た」

「高校 3・年生」の

「時」に

 

京都市 に・在する」

「私・立」

立命館 宇治・高校」に

「編・入」しました。

 

「高 校・卒業 後」

立命館・大学」

「産業 社会・学部」に

「進・学」し

 

「芸 能・活動」と

「両 立・して」

「4 年・間」で

「卒・業」しました。

 

「1,999・年」
「高校 在学・中」で

「17 歳の・時」に

「リリース・した」

 

「ファースト・シングル」

Love, Day After Tomorrow」で

「デビュー」しました。

 

「同・曲」は
「新人 では・異例」の

「140・万枚」を

「売 り・上げ」る

「ミリオン・セラー」を

「記 録・する」

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

渡月橋〜君 想ふ〜」

「Secret my heart」

「Time after time」等が

「有・り」ます。

 

「2,000・年」に

「リリース」

   し た

「セカンド・シングル」

 

Stay by my side」が

「自 身・初」の

オリコン・1位」に

「成・り」ました。

 

「同・年」に

「リリース」

   し た
「サード・シングル」

 

Secret of my heart」が

「ミリオン・セラー」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「こ の・時点」で

オリコン・トップ」

「15 位・以内」に

「3・曲」が

 

「同・時」に

「登場する と・いう」

「快・挙」を

「成 し・遂げ」ました。

 

「2,000 年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・アルバム」

 

「delicious way」が

「アルバム・売り上げ」

「歴 代・9 位」

   と、なる

 

「350・万枚」を

「突 破・する」

「記録 的・大ヒット」に

「成・り」ました。

 

「以・後」も

「連 続・して」

「ヒット・曲」が

「続・き」

 

「2,000・年」に

「リリース・した」

「ファースト」

「映 像・作品」

「FIRST CUT」

 

「2,001・年」に

「リリース・した」

「セカンド・アルバム」

「Perfect Crime」

 

「2,002・年」に

「リリース・した」

「11 th・シングル」

Winter Bells

 

「同・年」に

「リリース・した」

「サード・アルバム」

「FAIRY TALE」

 

「2,003・年」に

「リリース・した」

「4 th・アルバム」

「If Believe」

 

「2,004・年」に

「リリース・した」

「ファースト」

ベスト・アルバム

「Wish You The Best」

 

「2,009・年」に

「リリース・した」

「8 th・アルバム」

「touch Me!」

 

「同・年」に

「リリース・した」

「セカンド」

ベスト・アルバム
「ALL MY BEST」

 

「2,021 年・6 月」に

「リリース・した」

「4 th・DVD シングル」

「ZEROからハジメテ」が

 

「各・々」

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「1,999・年」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」
Love, Day After Tomorrow」〜

 

「2,021 年・6 月」に

「リリース・した」
「4 th・DVDシングル」

「ZEROからハジメテ」まで

「リリース・した」

「シングル・曲」

「46 作品・全て」が

オリコン

「トップ・10 入り」し


「累計 の・C D 」

「売 り・上げ」は

「2,000・万枚」を

「突 破・して」います。

 

「2,000・年」の

Secret of my heart」〜

「2,017・年」の

渡月橋  〜君 想う〜」まで

 

「人 気・アニメ」
「名 探偵・コナン」

「21・作品」の

「主題歌 を・担当」し

 

「ギネス」
「世 界・新記録」に

「認 定・され」

   ました。

 

「2015・年」に

「母・校」
立命館・大学」

「産業社会・学部」の


「客 員・准教授」に

「就・任」しました。

 

「現 在・39 歳」

   です か

「結 婚・歴」は

「無・い」様 です。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「2,003・年」の

Stay by my side」〜

「2,017・年」の

渡月橋 君 想ふ」まで

 

「通 算・4回」

「出・場」しました。

 

「倉木 麻衣」

渡月橋 〜 君想ふ」

「作・詞」「作・曲」
「倉木 麻衣」

 

寄り添う 二人 に 
君が オーバーラップ

色なき 風に 思い 馳せ て

触れた 手の 温もり 今 も

Stop 時間を 止めて

 

そう いつの日 だって

君の 言葉 忘れない の

会いたい 時に 会え ない

会いたい 時に 会え ない

切なくて もどかしい

 

から 紅に 染まる 渡月橋

(「くれないに そまる」)

導かれる 日 願って

川の 流れ に 祈りを 込めて

I've been thinking about you 

I've been thinking about you 
いつも こころ 君の そば

 

いにしえ の 景色 変わり なく

今 この 瞳に 映し出す

                 (「うつしだす」)

彩り ゆく 季節 超えて

(「いろどり」)

Stock 覚えて いますか?

 

ねぇ いつに なったら

また 巡り会える の かな

会いたい 時に 会え ない

会いたい 時に 会え ない

この胸 を 焦がす の

 

から 紅に 水くくる とき

君 との 想い つなげて

川の 流れに 祈りを 込めて

I've been thinking about you 

I've been thinking about you 

いつも 君 を 探して る

 

君と なら 不安 さえ 

どんな 時も 消えて いくよ

いつに なったら 優しく

抱きしめ られる の かな

 

から 紅の 紅葉達 さえ

        (「もみじたち」)

熱い 思い を 告げて は

ゆらり 揺れて 歌って います

I've been thinking about you 

I've been thinking about you 

いつも いつも 君 想 ふ

 

 

※「思案 に・暮れる」

  (「しあん に・くれる」)

 

「思案 に・暮れる」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「な か・なか」

 「良 い・アイデア」や

 「案」が

 「浮か ば・ない」や

 

 「迷っ て・考え」が

 「定ま ら・ない」

    と、いう

 「意・味」の

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「思案 に・暮れる」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「思・案」とは
 「考える・事」に

 「没頭する と・いう」

 「意・味」で

 

 「暮 れ・る」とは

 「日 が・暮れる」

    と、いう

 「意・味」で

 

 「思案 に・暮れる」とは

 「日 が・暮れる」

 「くらい・まで」

 「考 え・て」も

 

 「アイデア」が

 「浮か ば・ない」

 「事 が・由来」だ

    そうです。

 

「思案 に・暮れる」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼」は

 「仕事 に・失敗して」

 「落ち込ん で・いる」

 「同・僚」を

 「何と か・励まそう」と

 「思案 に・暮れた」が

 「掛けら・れる」

 「言・葉」が

 「思い 付か・なかった」

    そうだ。

 

・「そ ん・な」に

 「思案 に・暮れる」

 「様」な

 「難し い・質問」を

 

 「し た・つもり」は

 「無い の・だが」

 「彼・女」は

 「貝 の・よう」に

 

 「黙っ て・しまった」

      の で

 「待 つ・事」に

    した。

 

「思案 に・暮れる」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「途方 に・暮れる」
   (「とほう に・くれる」)

 

・「手段 や・方法」が

 「見つ か・らず」に
 「ど う・すれ」ば

 「良 い・のか」

 

 「分から なく・なり」

 「困 り・果てる」
    と、いう

 「意・味」の

 

 「慣 用・句」だ

    そうです。

 

「思案 に・暮れる」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出て来」ません。


・「肩の 荷が・下りる」

   (「かたの にが・おりる」)

 

・「考え て・いた」

 「事」や

 「迷っ て・いた」

 「事」の

 

 「答え が・見つかり」

 「プレッシャー・から」

 「解 放・され」て

 「気が 楽に・なる」や

 

 「清 々・する」
    と、いう

 「意・味」の

 「慣 用・句」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「青江 三奈」は

(「あおえ みな」)

 

「どうすりゃ いいのさ

    思案橋」の

「歌詞 が・ある」

 

「長崎 ブルース」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「思 案 橋」は

「橋の 名前・では」

「無・く」

長崎市 に・在する」

「丸山 と・並ぶ」

「歓 楽・街」です。

 

「1,968・年」に

「リリース・した」

「11 th・シングル」で

「自 身・2 番目」の

 

「セールス」を 

「記 録・して」

「代表曲 の・一曲」に

「成・り」ました。

 

「青江 三奈」は

「1,941 年・生まれ」で

「東京 都・江東 区」

「出・身」の

 

「演・歌」

「歌 謡・曲」

「歌・手」です。

 

「作 詞・家」

「川内 康範」が

「週 刊・新潮」

   に て

 

「連 載・され」た

「小・説」

「恍・惚」の

(「こう・こつ」)

「ヒロイン」の

 

「歌手 の・名前」に

「由・来」し

「青江 三奈」と

「名・付け」ました。

 

「私・立」

「成徳 学園・高等部」に

「在 学・中」の

「頃」か ら

 

「銀 座 に・ある」

「銀・巴里」の

(「ぎん・パリ」)

「ステージ 」で

「歌 っ・て」いました。

 

「高 校 卒業・後」に

「一・時」

「西武・百貨店」に

「就 職・する」も

 

「歌手 の・夢」を
「諦 め・られず」に

「わず か・1 年」で

「退・職」し

 

「ナイト・クラブ」で

「歌っている・姿」を

「音 楽・関係者」に

「見初 め・られ」て

「スカウト・され」

   ました。

 

「1,966・年」
「25 歳の・時」に

「リリース・した」

「ファースト・シングル」

 

「恍惚の ブルース」で

「デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

「80・万枚」の

「売 り・上げ」を

「記 録・する」

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

「紅 白・歌合戦」に 

「初・出場」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「池袋の 夜」

「長崎町 ブルース」

伊勢佐木町 ブルース」等が

「有・り」ます。

 

「1,968・年」に

「リリース・した」

「歌 い・出し」の

「部・分」が

 

「色 っ・ぽい」

「吐・息」で 

(「と・いき」 )

「有・名」な

 

「7 th・シングル」

「伊勢佐木 町

   ブルース」が

「100・万枚」を

 

「同・年」に

「リリース・した」

「11 th・シングル」

「長崎 ブルース」が

 

「120・万枚」を

「売り・上げ」る

「ミリオン・セラー」に

「成・り」

 

「伊勢佐木 町

   ブルース」で

「レコード・大賞・

   歌唱 賞」他

 

「各・賞」を

「総・ナメ」に

   しました。

 

「1,969・年」に
「リリース・した」

「16 th・シングル」

「池袋の 夜」が

 

「150・万枚」の

「売 り・上げ」を

「記 録・して」

「自身・最大」の

 

「ヒット・曲」に

「成・り」

「史 上・初」の

「2 年・連続」で

 

「レコード・大賞・
   歌唱 賞」を

「受・賞」

   しました。

 

「この 頃・より」
「三 奈」は

「同・じ」く

「ハスキー・ボイス」で

 

「同 期・デビュー」の

「演 歌・歌手」

「森 進一」と
「共」に

 

「ため いき・路線」

「歌・手」と

「呼 ば・れ」

   ました。

 

「1,998・年」に

「背中 の・激痛」で

「受・診」し

「ガ ン の 中・でも」

 

「一・番」

「や っ・かい」な

「膵 臓・癌」と

(「すい ぞう・がん」) 

 

「診 断・され」

   ました。

 

「し か・し」

「三 奈」は

「周り の・人達」に

「病 を・伏せ」て

「歌 い・続け」

   ました。

 

「1,999・年」に

「入院先 の・病院」で

「9・時間」を

「要・し」た

 

「大・手術」に

「耐・え」て

「無事 に・成功」し

「退 院・して」

 

「歌 手・活動」

   へ の

「復・帰」を

「図・り」ました。

 

「し か・し」

「2,002 年・2 月」に

「体調 が・悪化」し

「再・入院」し

 

「そ の・後」

「入・退院」を

「繰 り・返す」も

「同 年・7 月」に

「膵 臓・ガン」の

「診・断・にて」

「帰ら ぬ・人」に

「成・り」ました。

 

「享・年」
(「きょう・ねん」)
「60・歳」でした。

 

「葬・儀」と

「告 別・式」では

「親・友」の

「水前寺 清子」が

 

「歌 手・仲間」を

「代 表・して」

「弔・辞」を

 (「ちょうじ」) 

「読・み」ました。

 

「私・生活」
   で  は

 

「世間 的・には」

「独・身」と

「認 知‥され」て

「います」が

 

「死」の

「わ ず・か」

「2 ヶ月・前」に

「作 曲・歌」の

 

「花 礼ニ」と

「結・婚」

   しました。

 

「花 礼ニ」は

「高・校」を

「卒 業・した」
「ば か・り」の

 

「三 奈」の

「才・能」を

「見・出し」

(「みい・だし」)

 

「人 気・歌手」に

「育 て・上げ」た

「恩・人」でした。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,966 年」の

「恍惚の ブルース」〜

「1,990 年」の

「恍惚の ブルース」まで

     (「2 回・目」) 

 

「通 算・18 回」

「出・場」しました。

 

 

「青江 三奈」

「長崎 ブルース」

「作・詞」「吉川 静夫」

「作・曲」「渡久地 政信」

 

遭えば 別れが こんなに つらい

逢わ なきゃ 夜が やるせない

どうすりゃ いいのさ 思案橋

丸山 せつない 恋 灯り

                    (「こい あかり」)

ああ せつない 長崎ブルース よ

 

泣いて すがれば 好きだと 抱いて

とかせた 帯ひも 南蛮屏風

                     (「なんばんびょうぶ」)

ガラス の 絵にさえ 紅が つく

                            (「べに」)

男と 女の 恋 ごころ

ああ 女の 長崎ブルース よ

 

石の たたみ を 歩いた とき も

二つの 肩が はなれ ない

ザボン の かおり の うす 月夜

死んでも 忘れぬ 恋 すがた

ああ 忘れぬ 長崎ブルース よ

 

 

「思い を・馳せる」を

「英・語」で

 「think about」と

 

 (「思い を・馳せる」)

 

 「言・う」そうです。