何気なく使っている言葉の意味

「噴火山の 上で・踊る」

(「ふんかざんの うえで・おどる」)

 

「皆さん」は

「噴火山の 上で・踊る」

   と、いう

 

「ことわざ」を

「使っ た・事」が

「有・り」ませんか?

 

「噴火山の 上で・踊る」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「極 め・て」」

 「危険 な・状況」に

 「置かれ て・いる」

 「事」に

 

 「気 付 か・ず」に
 「呑・気」に
 (「のん・き」)

 「浮か れ・て」

 

 「好 き・勝手」な
 「事」を

 「し て・いる」

 「人・々」に

 

 「注意 を・喚起」

    し た

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「噴火山の 上で・踊る」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「フランス・革命 後」に

 「台・頭」し

 「皇帝 に・まで」

 「上 り・詰めた」


 「ナポレオン・ボナパルト」が

 「没 落・後」の

 「フランス に・於い」て

 「多・く」の

 

 「貴 族・達」が

 「毎夜. の・様」に

 「舞踏会 を・開き」

 「遊ぶ姿 を・見て」

 

 「民衆 の・不満」が

 「募・り」
 (「つの・り」)

 「政情が 不安・だった」

 「時」に

 

 「サルバンディ・伯爵」が

 「言 っ・た 」と

 「伝え ら・れる」

 「言・葉」

 

 「我々は 噴火山の 上で

    踊っている のだ」が

 

 「由来 に・なった」

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「噴火山の 上で・踊る」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「会社 の・経営」が

 「ピンチ だとも・知らず」に

 「噴火山の 上で・踊る」

 「様」に

 

 「社 員・一同」

 「呑・気」に

 「アフター・ファイブ」を

 「楽し ん・で」いた。

 

・「彼・女」に
 「新し い・彼」が

 「出来 た・事」も

 「知 ら・ず」に

 

 「彼」は

 「相変 わ・らず」

 「噴火山の 上で・踊る」

 「様」に

 

 「彼・女」は
 「自分 に・首ったけ」

    だ と

 「慢 心・して」いた。

 

「噴火山の 上で・踊る」の

「類 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「知らぬ が・仏」

    「しらぬ が・ほとけ」)

 

・「知っ て・しまえ」ば

 「心配 に・なったり」

 「腹 が・立ったり」
 「する様 な・事」でも

 

 「知ら な・けれ」ば

 「平静 で・いられる」

 「事」の

 「例・え」です。

 

 「又」

 「本人だけ が・知らず」に

 「すまし て・いる」
 「様・子」を

 

 「馬鹿 に・して」
 「嘲る 場合・にも

 (「あざける」)

 「用い ら・れる」

 

 「江・戸」
 「いろは・かるた」に

 「登・場・する」

 「ことわざ」です。

 

「噴火山の 上で・踊る」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「知る が・煩悩」

   (「しる が・ぼんのう」)

 

・「な ま・じ」

 「偶・然」に

 「知っ て・しまった」
 「為」に

 

 「そ れ・まで」は

 「無か っ・た」

 「悩み や・心配事」が

 「生まれる と・いう」

 

 「意・味」の

 「慣 用・句」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「松平 健」は

(「まつだいら けん」)

 

「 叩け ボンゴ 響け サンバ

    踊れ 南の カルナバル」の

「歌詞 が・ある」

 

マツケン サンバ・Ⅱ」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2,004・年」に

「リリース」

   し た

「20 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「松平 健」は

「1,953 年・生まれ」で

「愛知 県・豊橋 市」

「出・身」の

 

「俳・優」
「歌・手」です。

 

「県・立」
豊橋 工業・高校」を

「中 退・後」に

「寿司職人 を・経て」

 

「1,970・年」

「17 歳の・時」に

「俳優 を・目指し」て

「単 身・上京」しました。

 

「石原 裕次郎」に

「憧 れ・て」

「石 原・プロダクション」への

「入・社」を

 

「直訴 するも・叶わず」

東宝 テレビ・

   プロダクション」に

「入・団」しました。

 

「1,972・年」に

「日 本・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・ドラマ」

 

「マドモアゼル 通り」に

「出・演」し
「俳 優・デビュー」

   しました。

 

「1,978・年」に

「テレビ・朝日 系」で

「放 送・され」た

「時代 劇・ドラマ」

 

「暴れん坊 将軍」の

「主・役」
「8 代目・将軍」

「徳川 吉宗」に

 

「抜 擢・され」

   ました。

 

「同・番組」は

「2,008 年・まで」

「放送 回数・832 回」を

「数 え・る」

 

「長寿番組 に・なり」

「松平 健」は

「時代 劇・スター」と

「認 知・され」

 

NHK・総合」で

「放 送・され」た

「大 河・ドラマ」

   に も

 

「数 多・く」

「出・演」しました。


「歌・手」と

   して は

 

「1,980・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「夜明け まで」で

「デビュー」し

「テレビ・朝日 系」で

「放 送・され」た

 

「テレビ・ドラマ」

「走れ!熱血刑事」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」ました。

 

「代 表・曲」に

 

マツケン サンバ・Ⅱ」

マツケン サンバ・Ⅰ」

「夢 灯り」等が

「有・り」ます。

 

「2,004・年」に

「リリース」した

「20 th・シングル」

マツケン サンバ・Ⅱ」は

 

「和服姿 で・踊る」

「多・く」の

「バック・ダンサー 」を

「従 え・て」

 

「派・手」な

「和服 衣装 を・着て」

「ちょんまげ・姿」で

「熱 唱・する」

 

「パフォーマンス」が

「時代劇 を・観ない」

「若い世代・から」も

「人気 を・博し」

 

「自 身・最高位」を

「記 録・する」

オリコン・3 位」の
「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。


「2,008・年」に

「自 身・初」の

「東 京・ドーム」

   で の

 

「コンサート」を

「開・催」しました。

 

「現 在・68 歳」

   です が

 

「テレビ・ドラマ」

「バラエティー・番組」

「等」で

「活 躍・して」います。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,990・年」

「27 歳の・時」に

「2 才・年下」の

「女・優」

 

「大地 真央」と

「結婚 し・ました」が

「2,003・年」に

「離・婚」しました。

 

「2,005・年」
「52 歳の・時」に

「15 才・年下」の

「元・女優」

 

「松本 友里」と

「再婚 し・ました」が

「2,010・年」に

「死・別」しました。

 

「2,015・年」

「61 歳の・時」に

「当・時」
「40 歳・代」の

 

「一般 人・女性」と

「再 々・婚」
   しました。


「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「2,004・年」の

マツケン サンバ・Ⅱ」と

「2,021・年」の

マツケン サンバ・Ⅱ」で

       (「特 別・枠」)

 

「通 算・2 回」

「出・場」しました。

 

 

「松平 健」

マツケン サンバ・Ⅱ」

「作・詞」「吉峯 暁子」

「作・曲」「宮川 彬良」

 

叩け ボンゴ 響け サンバ

踊れ 南の カルナバル

誰も 彼も 浮かれ 騒ぎ

光る汗 が はじけ とぶ

 

熱い風 に 体 あずけ

心ゆく まで 踊れ ば

波も 歌う よ 愛の サンバ を

胸に あふれる この リズム

 

オーレ オレ マツケン サンバ

オーレ オレ マツケン サンバ

あぁ 恋せよ アミーゴ

踊ろう セニョリータ

眠りさえ 忘れて 踊り 明かそう

サンバ ビバ サンバ

マ・ツ・ケ・ン サンバ オレ!

 

叩け ボンゴ 響け サンバ

踊れ 南の カルナバル

夢の ように 時は 過ぎて

はずむ 南の 恋の夜

 

灼けた 素肌 夏を 抱いて

(「やけた」)

愛を ささやき 踊れば

白い 渚に 恋も 輝き

風に 誘われ 歌い出す

 

オーレ オレ マツケン サンバ

オーレ オレ マツケン サンバ

あぁ 恋せよ アミーゴ

踊ろう セニョリータ

眠りさえ 忘れて 踊り 明かそう

サンバ ビバ サンバ

マ・ツ・ケ・ン サンバ オレ!

 

オレ!

 

 

※「大山 鳴動して・鼠一匹」

 (「たいざん めいどうして・
   ねずみ いっぴき」)


「大山 鳴動して・鼠 一匹」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「大きな 山が・鳴り響き」

 「噴火が 起きるの・では」と

 「恐れ て・いた」ら

 「実 際・には」

 

 「小さな・ネズミ」が
 「1 匹 出て・来た」

 「だ け・だった」

 「事」より

 

 「大・袈裟」に
 (「おお・げさ」)

 「騒い だ・わり」に

 「結果 は・小さかった」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「大山 鳴動して・鼠 一匹」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「古代 ローマ・時代」の

 「南 イタリア の・詩人」

 「ホラティウス」の

 「下・記」

 

 「ラテン・語」の

 「詩 の・一節」が

 「由・来」だ、そうです。

 

 「parturient montes,

    nascecetur ridculus mos

 

 (「山々が 出産しようと

    している。

     滑稽な ネズミ が

        (「こっけい」)

     生まれるで あろう」)

 

 「こ れ・が」

 「16 世紀・頃」に

 「日本 に・伝わり」

 「大山 鳴動して・鼠一匹」と

 

 「訳され た・のが」

 「始 ま・り」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「大山 鳴動して・鼠 一匹」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「天気 予報・では」

 「大嵐 に・厳重注意」

 「だっ た・ので」

 「停電 に・備えて」

 

 「ローソク」を

 「準 備・した」が

 「結・果」は
 「小 雨・程度」だった。

 

 「正・に」

 「大山 鳴動して・鼠 一匹」で

 「拍子 抜け・して」

     しまった。

 

・「地震 が・あり」

 「ケータイ・から」

 「大き な・警報音」が

 「鳴 り・響き」

 

 「警 戒・した」が

 「すぐ に・収まり」

 「大山 鳴動して・鼠 一匹」

    だった。

 

 「し か・し」

 「2,011・3・11」に

 「発 生・した」

 「東 日本・大震災」の

 

 「例も ある・ので」

 「油 断・大敵」だ。

 

「大山 鳴動して・鼠 一匹」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「蛇が 出そうで・蚊も 出ぬ」

   (「じゃが でそうで・かも でぬ」)

 

・「大き な・ヘビ」が

 「出る の・では」と

 「恐ろしい・予感」が

 「有っ た・もの」の

 

 「実 際・には」

 「カ の・ような」

 「小さ な・もの」

    さ え

 

 「出てこ な・かった」

 「事」より

 「転 じ・て」

 

 「何か 大きな・事」が

 「起きそう に・思えて」も

 「実際 は・何も 起きず」

 「拍子抜け すると・いう」

 

 「意・味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 「大袈裟 に・言う」や

 「ホラ を・吹く」

    と、いう

 「意 味・でも」

 

 「用 い・られ」る

    そうです。

 

「大山 鳴動して・鼠 一匹」の

「対 義・語」を

「検 索・して」も

「出 て・来」ません。

 

・「高 を・括る」

   (「たか を・くくる」)

 

・「物事 の・程度」を

 「勝手に 判断・して」

 「たいした・事」が

 「無 い・だろう」と

 

 「見 くび・り」

 「見 下・す」

    と、いう

 「ネガティヴ」な

 

 「ニュアンス」を

 「持・つ」

 「慣 用・句」です。

   

 「辺・り」が

 「妥・当」な
 「気」が、します。

 

 

「Superfly」は

(「スーパー・フライ」)

 

「愛をこめて 花束を

   大袈裟 だけど 受け取って」の

「歌詞 が・ある」

 

「愛を こめて 花束を」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2,008・年」に

「リリース」

   し た

「4 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました

 

「スーパー・フライ」は

「2,004・年」に

「ボーカル」の

「越智 志保」と

(「おち しほ」)

 

「ギター」の

「多保 孝一」

(「たほ こういち」)

   に、より

 

「愛媛 県・松山 市」で

「結 成・され」た

「男 女・2 人 組」の

「音 楽・ヂュオ」です。

 

「同・年」に

「結 成・から」

「わ ず・か」

「半・年」で

 

「多保」が

「脱・退」し

「活動 の・舞台」を

「裏方へ と・移し」

 

「志帆 の・楽曲」の

「作・曲」と

「編・曲」に
「専・念」しました。

 

「これ に・より」

「志保」の

「ソロ・ユニット」に

「成・る」も

 

「Super tly」の

「芸・名」は

「継・続」しました。

 

「越智 志帆」は

「1,984・年」

「生 ま・れ」で

「愛媛 県・今治 市」

 

「出・身」の

「歌・手」です。

 

「3 歳の 時・から」

「ピアノ」と

「ギター」を

「習 い・始め」ました

 

「県・立」

今治 北・高校」を

「卒 業・後」

 

「松山 東雲・短期 大学」

    (「しののめ」)

「秘 書・科」に

「進・学」し
「卒・業」しました。

 

「大学 生・時代」は

「松 山・大学」の

「軽 音楽・部」に

「所・属」し

 

「多保 孝一」と

「知 り・合い」

「Superfly」を

「結・成」しました。

 

「2,007・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「ハロー・ハロー」で

「メジャー・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

オリコン・31 位」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「愛をこめて 花束を」

「Beautiful」

「輝く月の ように」等が

「有・り」ます。

 

「153・cm」と

「小・柄」で

「華 奢・ながら」

(「きゃ しゃ」)

 

「パワフル」で

「圧 倒・的」な

「歌 唱・力」と

「人・々」に


「元気 と・共感」を

「与え る・歌詞」で

「多く の・ファン」を

「魅 了・して」います。

 

「2,008・年」に

「リリース」した

「4 th・シングル」

「愛をこめて花束を」が

 

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」た
「テレビ・ドラマ」

エジソンの 母」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」

オリコン・13 位」

「な が・ら」

 

「Yuo Tube・での」

「ミュージック・ビデオ」の

「再 生・回数」が

「1 億回 を・超え」

 

「シングル・曲」で

「自 身・最大」の

「セールス」に

「成・り」ました。

 

「2,010・年」に

「リリース」

   し た

「7 th・シングル」

 

「My Best Of My Lire」が

「選抜 高校・野球大会」の

「入 場・行進曲」に

「採 用・され」ました。

 

「同・年」に

「リリース」した

「10 th・シングル」

「Wild flower & Cover」が

 

「シングル・曲」で

「自 身・初」の

オリコン・1位」に

「成・り」ました。

 

「2,015・年」に

「Beautiful」で

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました

 

「アルバム」

   で は

 

「2,008・年」に

「リリース」した

「ファースト・アルバム」

「Superfly」〜

 

「2,012・年」に

「リリース」した

「4 th・アルバム」

「Force」まで

 

「4・作品」が

「連 続・して」
オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2,013・年」の

「ファースト」

ベスト・アルバム

「Superfly BEST」と

 

「2,017・年」の

「セカンド」

ベスト・アルバム

「LOVE PEACE & FIRE」の

 

「2・作品」が

「連 続・して」
オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2,019・年」に

「リリース」した

「25 th・シングル」

「Ambitious」が

 

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・ドラマ」

「わたし、定時で

   帰ります」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」

   ました。

 

「同・年」に

「リリース」した

「4 th・配信限定」

   シングル」

 

「フレア」が

NHK・テレビ」で

「放 送・され」た

「連続 テレビ・小説」

 

「スカーレット」の
「主 題・歌」に

「起 用・され」

   ました。

 

「2,020 年・4 月」に

「デビュー・13 周年」を

「記 念・して」

「リリース」した

 

「サード・D V D 」

「Superfly Arena」が

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「私・生活」
   で は

 

「2,018・年」

「34 歳の・時」に

「4 才・年上」で

「ロック・バンド」

 

「フジ・ファブリック」

「キーボード・奏者」の

「金澤 ダイスケ」と

「結・婚」し


「2,022 年・5 月」に
「第・一子」が

「誕・生」しました。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「2,015・年」の

「Beautiful」〜

「2,020・年」の

「愛をこめて 花束を」まで

      (「2 回・目」)

 

「通 算・5 回」

「出・場」しました。

 

 

「Superfly」

「愛をこめて花束を」

「作・詞」「越智 志保」

「作・曲」「多保 孝一」

 

二人で 写真を 撮ろう 

懐かしい この景色 と

あの日 と 同じポーズ で 

おどけて みせて 欲しい

 

見上げる 空の青さ を 

気まぐれ に 雲は 流れ

キレイ な もの は 

遠くに あるから キレイ なの

 

約束した とおり あなた と

ここに こられて

本当に 良かった わ

この 込み上がる 気持ち が 

愛じゃない なら

何が 愛か わからない ほど

 

愛を こめて 花束 を 

大袈裟 だけど 受け取って

理由なんて 訊かないで よね

            (「きかない「) 

今だけ すべて 忘れて 

笑わない で 受けとめて

照れて いないで

 

昨日  と よく似た 今日は 

何気ない 別れ道を

分かって 選びそびれ た 

臆病の せい でしょう

 

私は 泣くのが 得意で

最初から 慰め  を

当てに してた わ

何度も 間違った 道 選び 続け て

正しく ここに 戻って きたの

 

巡り巡る 時を超え 

いつも あなた の  所へと

この 心 舞い戻って ゆく

無理に 描く 理想 より 

笑い合える 今日の 方が

ずっと 幸せね

 

violet.indigo.black.and.blue  

「紫色・藍色・黒色・青色」)

 flame.yellow.purple.sKyblue 

(「赤色・黄色・紫色・空色」)

pink.yellow.green.ash.brown 
(「ピンク・黄色・緑色・茶色」)

あなたに 贈る 色は・・・?

 

巡り巡る 時を 超え 
いつも あなたの 所へ と

この 心 舞い戻って ゆく

ありがとう も 言い出せず に 

甘えて いた

今日 ここへ 来る までは

 

愛を こめて 花束を 

大袈裟 だけど 受け取って

理由なんて 訊かない でね

今だけ すべて 忘れて 

笑わないで 受けとめて

本当の わたし を

 

いつまでも そばに いて

 

 

「噴火山の 上で・踊る」を

「フランス・語」で

 

 「Nous damsons sur un volcano」と

 

 (「噴火山の 上で・踊る」)

 

 「言・う」そうです。