何気なく使っている言葉の意味

「足下 から・鳥が立つ」

(「あしもと から・とりがたつ」)

 

「皆さん」は

「足下 から・鳥が立つ」

   と、いう

 

「ことわざ」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「足下 から・鳥が立つ」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「足・下」は

 「足元 や・足許」とも

 「表 記・される」

    そうです。

 

 「足下 から・鳥が立つ」

    と は

 「身近 な・ところ」

    か ら

 

 「予 期・せぬ」

 「悪 い・事態」や

 「トラブル」が

 「起 き・て」

 

 「驚 い・て」

 「戸 惑・う」

    と、いう

 「意・味」や

 

 「急・に」
 「思 い・付いた」
 「様」に

 「あわ て・て」

 

 「物・事」を

 「始 め・る」
    と、いう

 「意・味」で

 

 「巣・立つ」
    と、いう

 「ニュアンス」は

 「無・い」そうです。

 

「足下 から・鳥が立つ」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「草むら 潜んで・いる」

 「鳥」は

 「そばに 行く・まで」は

 「人には 見え・ません」が

 

 「ごく 近く・まで」

 「寄っ て・行く」と

 「踏み つぶ・される」と

 「思・い」

 

 「鳥」は

 「急 に・飛び立ち」

 「そ の・羽音」に

 「人間 の・方」が

 

 「驚い て・しまう」

 「事」が

 「由・来」の

 「ことわざ」で

 

 「京・都」の

 「いろは・かるた」

    に も

 「登・場」します。

 

「足下 から・鳥が立つ」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「結 婚・して」

 「二人で・住む」

 「マイホーム」を

 「建て た・けれど」

 

 「足下 から・鳥が立つ」

 「様」に

 「夫 の・海外転勤」が

 「決まっ・て」しまった。

 

・「結婚式 の・会場」まで

 「予 約 した・のに」

 「足下 から・鳥が立つ」

 「様」に

 

 「親戚 の・反対」で

 「婚・約」が
 「破棄 に・なって」

    しまった。

 

「足下 から・鳥が立つ」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「青天 の・霹靂」

 (「せいてん の・へきれき」)

 

・「全・く」
 「予想 して・いない」

 「出 来・事」が
 「起こる と・いう」

 

 「意味 の・慣用句」で

 「新 聞・記事」や

 「小・説」等で

 「使わ れる・事」が

 

 「多・い」
 「表・現」だ

    そうです。

 

「足下 から・鳥が立つ」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「予 定・調和」

   (「よ てい・ちょうわ」)

 

・「ドラマ や・映画」の

 「筋書きで・使われる」

 「言・葉」で

 「最初 から・最後まで」

 

 「予定通り に・進行して」

 「驚き や・新鮮味」が

 「無・い」
    と、いう

 

 「どちらか」と

 「言・え」ば

 「ネガティヴ」な

 「ニュアンス」を

 

 「持 つ・表現」だ
    そうです。

 

 

「菅田 将暉」は

(「すだ まさき」)

 

「ベランダ で 水をやる 君の

   足元に 小さな 虹」の

「歌詞 が・ある」

 

「虹」

(「にじ」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「2,020 年・11 月」に

「リリース」

   し た

「5 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「菅田 将暉」は

「1,993 年・生まれ」で

「大阪 府・箕面 市」

            (「みのお し」)

「出・身」の

 

「俳・優」

「歌・手」です。

 

「2,008・年」

「府・立」
「池 田・高校」

「1 年生 の・時」に

 

ジュノン・スーパーボーイ・
   コンテスト に 応募」し

「スカウト・され」

   ました。

 

「同・年」に

仮面ライダー・W」の

「W・主役」

「フィリップ」の

 

「オーディション」に

「2,000 人の・中」

   から

「選 出・され」ました。

 

「2,009・年」

「高校 2 年生の・時」に

「中・退」し

「単 身・上京」しました。

 

「同・年」に
仮面ライダー・W」の

「主役 を・演じ」

「俳 優・デビュー」しました。

 

「2,013・年」に

「主演・した」

「映・画」

「共 食い」で

 

「日本・アカデミー賞

   新人 賞」を

「受・賞」しました。

 

「そ の・後」

「多く の・映画」や
「テレビ・ドラマ」で

「主・演」し

 

「数・々」の
「主 演・男優 賞」を

「受・賞」しました。

 

「歌・手」と

   して は

 

「2,017・年」に

「リリース」

   した

「ファースト・シングル」

 

「見たことも無い 景色」で

「歌 手・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

オリコン・5 位」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「虹」

「まちがい さがし」

「さよなら エレジー」等が

「有・り」ます。

 

「2,019・年」に

「リリース」した

「ファースト」

「配 信・シングル」

 

「まちがい さがし」が

「フジ・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・ドラマ」

 

「パーフェクト・
   ワールド」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

 

「自 身・初」の

オリコン・1 位」に

「成・り」

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

(「紅 白・出場」は

「こ の 1 回・のみ」)

 

「2,020・年」に

「リリース」した

「5 th・シングル」

「虹」が

 

「東 宝・映画」

「STAND BY ME

   ドラえもん 2」の

「主 題・歌」に

 

「起 用・され」て

オリコン・2 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「2,021 年・11 月」に

「リリース」した

「6 th・シングル」

「ラスト・シーン」が

 

「TBS・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・ドラマ」

「日本 沈没 希望の人」の

 

「主 題・歌」に

「起 用・され」

   ました。

 

「私・生活」

   で は

 

「2,021 年・11 月」

「28 歳の・時」に

「3 才・年下」で

「モデル・女優」の

 

「小松 菜奈」と

「4 年・越し」の

「片想い を・実らせ」て

「結・婚」しました。

 

 

「菅田 将暉」

「虹」

「作・詞」「作・曲」

「石崎 ひゅーい」

 

泣いて いいんだよ

そんな 一言で 僕は

救われたんだ よ

ほんとに ありがとう

情けない けれ ど 

だらしない けれ ど

君を 想う事 だけで 

明日 が 輝く

 

ありのままの 二人で いいよ

陽だまり 見つけて 遊ぼうよ

ベランダ で 水をやる 君の

足元 に 小さな 虹 ねぇ

 

一生 そばに いるから 

一生 そばに いて

一生 離れない ように 

一生 懸命に

きつく 結んだ 目が

ほどけない よう に

かたく つないだ 手を

離さない から

 

ママ の 優しさと

パパ の 泣き虫 は

まるで 僕らのよう でさ 

未来が 愛しい

       (「いとしい」)

 

大きな事じゃ なくて いいよ

自分らしく いれたら いいよ

ひとり ぼっち 迷った 時は

あの頃 を 思い出して ああ

 

さみしい 夜を 半分 

僕に 預けて 欲しい

うれしい 日々 は 十分に 

笑い合って いたい

どんな 言葉でも 足りない よな

君のぬくもり に 触れた せい かな

 

家族や 友達の こと 

こんな 僕の こと

いつも 大事に 笑うから 

泣けて くるん だよ

何にも なかった 空に 

ぽつんと 輝いて いた

「ありがとう」に 代わる 言葉

ずっと 探して いたん だ

 

一生 そばに いるから 

一生 そばに いて

一生 離れない ように 

一生 懸命 に

きつく 結んだ 目が

ほどけない よう に

かたく つないだ 手を

離さない から

離さない から

 

 

※「波 に・千鳥」

  (「なみ に・ちどり」)

 

「波 に・千鳥」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「絵 に・なる」

 「様」な

 「調・和」の
 「良 い・もの」や

 

 「取 り・合わせ」の

 「良 い・もの」

 「似合っ て・いる」

 「も の」を

 

 「たとえ」た

 「表・現」だ

    そうです。

 

「波 に・千鳥」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「千・鳥」とは
 (「ち・どり」)
 「鳥 の・種類」で

 「無・く」


 「水辺 に・すみ」

 「群れ て・飛ぶ」

 「小・鳥」の

 「総・称」です。

 

 「そ の」

 「千鳥 と・波」を

 「組 み・合わせ」た

 「波 千鳥・紋様」は

 

 「波間 を・世間」に

 「たとえ」て

 「共」に

 「荒・波」を

 

 「乗り越え て・行く」

    と、いう

 「意・味」が

 「有・り」

 

 「夫 婦・円満」や

 「家 内・安全」等

 「縁起 の・良い」

 「柄・模様」です。

 

 「ま た」

 「千・鳥」には
 「千・取り」に

 「か け・て」

 

 「勝 運・祈願」や

 「目 標・達成」の

 「意・味」も

 「有・り」

 

 「どちら」も

 「縁起 の・良い」

 「柄・模様」

    と、して

 

 「平 安・時代」から

 「親しまれ て・来た」

 「事」が

 「由・来」だ、そうです。

 

「波 に・千鳥」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼 と・彼女」が

 「並・ぶ」と

 「波 に・千鳥」の

 「様」に

 

 「絵 に・なる」

 「カップル」だ。

 

・「かき 氷・店」の

 「氷」の

 「のぼり・旗」

    に は

 

 「波 に・千鳥」が

 「必・ず」

 「描かれ て・いる」

    そうだ。

 

「波 に・千鳥」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「梅 に・鶯」
   (「うめ に・ウグイス」)

 

・「日・本」の
 「詩歌 や・絵画」に

 (「しいか」)

 「於 け・る」

 

 「伝 統・的」な

 「絵 に・なる」

 「良・い」

 「組 み・合わせ」

 

 「又・は」

 「仲の 良い・間柄」

    と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「波 に・千鳥」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「猿 に・烏帽子」

   (「さる に・えぼし」)

 

・「烏・帽子」とは

    (「え・ぼし」)

 「平 安・時代」から

 「現代 に・かけ」て

 

 「和 装・で」の

 「礼 服・着装」の

 「際・に」
 「成 人・男性」が

 

 「か ぶ・る」

 「帽子 の・事」で

 「大相撲 の・行司」が

 「着 用・して」います。

 

 「猿 に・烏帽子」

    と は

 「見かけ は・立派だが」

 「中身 が・無い」や

 

 「人・柄」に

 「ふさわし く・ない」
 「服装 や・言動」

    と、いう

 

 「意・味」の

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 

「研 ナオコ」は

(「けん なおこ」)

 

「かもめは かもめ

   ひとりで 空をゆくのが

   お似合い」の

「歌詞 が・ある」

 

「かもめは かもめ」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,978・年」に

「リリース」

   し た

「16 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「研 ナオコ」は

「1,953 年・生まれ」で

「静岡 県・伊豆 市」

「出・身」の

 

「歌・手」

「女・優」

「コメディ・アンヌ」です。

(「喜 劇・女優」) 

 

「1,967・年」

「14 歳の・時」に

「ちびっこ・のど自慢」で

「準・優勝」し

 

「歌・手」を
「目 指・す」
「様」に

「成・り」ました。

 

「1,970・年」に

「県・立」

「三島南 高等・学校」を
「中・退」し

 

「歌手 を・目指し」

「単 身・にて」

「上・京」し

 

「宝 塚・劇場」の
「エレベーター・ガール」の

「アルバイト」も

「経・験」しました。

 

「ナオコ・節」とも

「称・され」る

「アンニュイ」な

(「けだるい」)

「歌・声」と

「歌 唱・法」で

「1,970 年代・中盤」〜

「1,980 年代・中盤」

   に、かけて

 

「数・々」の
「ヒット ・曲」を

「世」に

「送 り・出し」ました。

 

「最・初」に

「お 笑い・タレント」

   と、して

「開・花」しました。

 

「ロンパリ な・目」と

「上 を・向い て」

「穴 が・丸見え」の

「鼻」で

 

「ギャ・ハハ」と

「笑う 大きな・口」を

「トレード・マーク」

   と、して

 

ザ・ドリフターズ
   と の

「共・演」で
「人気 を・博し」

 

「茶 の・間」の
「人・々」を

「笑 わ・せ」ました。

 

「天 才・バカボン」で

「知 ら・れる」

「漫 画・家」の

「赤塚  不二夫」は

 

「研 ナオコ」の

「ファン・クラブ」の

「会・長」でした。

 

「あ る・日」

「マイク を・持ち」

「ステージ」に

「立・ち」ました。

 

「私」は

「モノマネ・でも」

「やるのか ?」と

「思・い」ました。

 

「しかし」

「歌い出し の・一節」の

「歌声 を・聞いて」

「ビックリ」しました。

 

「今・まで」に

「聞いた事の・無い」

「様」な

「ものうい な・歌声」でした。

 

「お 笑い・タレント」

   と、ばかり

「思って・いた」

   の で

 

「ギャップ の・大きさ」に

「驚く と・共」に

「人は 見かけ に・よらぬ もの」と

「つくづく・思い」ました。

 

「歌って いる・時」の
「顔」も

「お 笑い・タレント」の

「顔・では」

「有 り・ません」でした。

 

「1,971・年」
「18 歳の・時」に

「大都会の やさぐれ女」で

「歌 手・デビュー」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「かもめは かもめ」

「夏を あきらめて」

「あばよ」等が

「有・り」ます。

 

「1,973・年」に

「美 人・画家」で

「知 ら・れ」た

「岩田 専太郎」から

 

「百年 に・一人」

「出る か・出ないか」の

「不・世出」の

(「ふ・せいしゅつ」)

 

「美・人」と
「絶 賛・され」

(「ぜっ さん」) 

   ました。

 

「1,976・年」に

「リリース」した

「11 th・シングル」

「LA - LA - LA」で

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「同・年」に

「あんな」に

「笑わ せる・事」が

「出来 る・なら」

 

「泣か せる・事」も

「出来 る・はず」と
「中島 みゆき」は

「思・い」

 

「初 め・て」

「他 の・歌手」に

「提 供・した」

「泣か せる・楽曲」で

 

「12 th・シングル」と

「成・る」

「あばよ」が


「自身・初」の
オリコン・1位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「レコード・大賞・
   歌唱 賞」を

「受・賞」しました。

 

「同・曲」を

「聴 い・て」

(「きいて」)

「多く の・女性」が

「泣 い・た」そうです。

 

「1,977・年」に

「厚生 省・麻薬 特捜部」の

「家 宅・捜査」を

「受・け」

 

「大・麻 」や

「喫 煙・具」 等を

「押 収・され」

   ました。

 

「東 京・地検」

「刑 事・部」は

「事案 が・軽微」

   と、して

 

「不 起訴・処分」に

(「前歴 は・付く」が

「前科 は・付かない」)

   しました。

 

「こ の・ため」

「半 年・間」の

「謹慎 を・余儀無く」

   され ました。

 

「1,978・年」に

「謹慎 が・解け」た

「復 帰・作」

   と、して

 

「中島 みゆき」が

「提供 した・楽曲」で

「18 th・シングル」と

「成・る」

 

「かもめは かもめ」が

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「レコード・大賞・

   金 賞」を

「受・賞」し

 

「20 人 の・歌手」に

「カバー・され」

「自身 の・代表曲」の

「一・曲」に

「成・り」ました。

 

「1,982・年」に

「サザンオール・スターズ」の

「リーダー 兼・ボーカル」の

「桑田 佳祐」から

 

「提供 を・受けた」

「楽・曲」で

「29 th・シングル」と

「成・る」

 

「夏を あきらめて」を

「リリース」し

「レコード・大賞・

   金 賞」を

「受・賞」しました。

 

「2,001・年」

「48 歳の・時」に
「日 本・テレビ」の

「愛は地球 を・救う」で

 

「歴 代・初」の

「女・性」の

「チャリティー ・マラソン」を
「走・り」

 

「85・km」を

「完・走」しました。

 

「現 在・68 歳」

   です が

「病 気・がち」で

「第一線・から」は

「退い て・いる」

   そうです。

 

「私・生活」
   で は

 

「1,981・年」

「27 歳の・時」に

「コンサート・経営会社」の

「社・長」

 

「箕輪 勇ニ 氏」と

「結 婚・しました」が

「1,985・年」に

「離・婚」しました。

 

「二人 の・間」に

「子・供」は

「いなかった」
   そうです。

 

「1,987・年」

「34 歳の・時」に

「6 才・年下」で

バツ・イチ」の

 

「番組 制作・会社」の

「スタッフ・だった」

「野口 典夫 氏」と

「再・婚」し

 

「1,987・年」に

「第 一子・長男」が

「1,989・年」に

「第 二子・長女」が

「誕・生」しました。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,976・年」の

「LA- LA- LA」〜

「1,993・年」の

「かもめは かもめ」まで

   (「2 回・目」)

 

「通 算・11 回」

「出・場」しました。

 

 

「研 ナオコ」

「かもめは かもめ」

「作・詞」「作・曲」

「中島 みゆき」

 

あきらめ ました 

あなたの こと は

もう 電話 も かけ ない

あなたの 側に 誰が いて も

うらやむ だけ かなしい

 

かもめは かもめ

孔雀や 鳩や

(「くじゃくや はと」)

まして や 女 には なれない

あなたの 望む 素直な女 には

はじめ から なれ ない

 

青空 を 渡るより も

見たい 夢は ある けれど

かもめは かもめ 

ひとりで 空を

ゆくのが お似合い

 

あきらめ ました 

あなたの こと は

もう ゆくえ も 知ら ない

あなたが どこ で 何を しても

何 ひとつ 私 では 合わ ない

 

かもめは かもめ

孔雀や 鳩や

まして や 女 には なれ ない

あなたの 望む 素直な女 には

最後 まで なれ ない

 

この海 を 失くして でも

ほしい 愛 は ある けれど

かもめは かもめ ひとりで 海を

ゆくのが お似合い

 

 

「足下 から・鳥が立つ」を

「英・語」で

 

 「Birds stand from your feet」と

 

 (「足下 から・鳥が立つ」)

 

 「言・う」そうです。