何気なく使っている言葉の意味

「他山 の・石」

(「たざん の・いし」)

 

「皆さん」は

「他山 の・石」

   と、いう


「ことわざ」を

「使っ た・事」は

「有・り」ませんか?

 

「他山 の・石」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「他・人」の
 「誤っ た・言行」も

 「自分の・行い」の

 「良・い」

 

 「参考 に・なる」

    と、いう

 「意・味」の

 「ことわざ」だ、そうです。

 

「他山 の・石」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「紀元前・11 世紀 頃」に

 「編 纂・され」た

 「中・国」の
 「最古 の・詩集」

 

 「詩経 に・記された」

 「下 記・一節」が

 「由・来」だ

    そうです。

 

 「他山の石、以て 玉を攻むべし」

 

 (「他の山 から 出た

     つまらない石 でも、

     それを 砥石に すれば

          (「といし」)

     宝石を 磨くのに 役立つ」)

 

 「転 じ・て」

 「自分 の・修養」の

 「助けや 戒め に・なる」

 「他・人」の

 

 「誤っ た・言行」

    と、いう

 「意味 に・なった」

    そうです。

 

「他山 の・石」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「先輩 の・失敗」を

 「他山 の・石」

    と、して

 「同 じ・過ち」を

 

 「犯 さ・ない」

 「様」に

 「十分 に・注意」を

    すべきだ。

 

・「彼」は

 「上・司」の

 「血も涙 も・ない」

 「仕打ち を・受け」て

 

 「そ の・対応」を

 「他山 の・石」と

 「捉 え・て」

 「将・来」は

 

 「人の心 に・寄り添う」

 「上司 に・なる」と

 「決心 を・した」

    そうだ。

 

「他山 の・石」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「人の振り 見て・我が振り 直せ」

   (「ひとのふり みて・

       わがふり なおせ」)

 

・「他人の・行動」を

 「見・て」

 「我が身 に・置き換え」て
 「良い所 は・見習い」

 

 「悪い所 は・改めよ」

    と、いう

 「意・味」の

 「ことわざ」だ、そうです。

 

「他山 の・石」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「爪の垢 を・煎じて 飲む」

   (「つめのあか を・

       せんじて のむ」)

 

・「優れ た・人」を

 「模範 と・して」
 「あやかろう と・する」

 「事」を

 

 「たとえ」た

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 

「玉置 浩二」は

(「たまき こうじ」)

 

「石コロ けとばし

   夕陽に 泣いた」の

「歌詞 が・ある」

 

「田 園」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,996・年」に

「リリース」

   し た

「11 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に
「成・り」ました。

 

「玉置 浩二」は

「1,958 年・生まれ」で

「北海道・旭川 市」

「出・身」の

 

「ミュージシャン」

「俳・優」

「ロック・バンド」
「安全 地帯」の

 

「ボーカル」

   です。

 

「中学生・時代」は

「生 徒・会長」に

「選 ば・れる」等
「文 武・両道」の

 

「優等生・ながら」

「同 級・生」と

「ロック・バンド」
「安全 地帯」を

 

「結・成」し
「文 化・祭」等で

「ステージ」に

「立・ち」ました。

 

「高・校・中退 後」

「1981・年」
「22 歳の・時」に

「上・京」し


「井上 陽水」の

「バックバンド」

   と、して

「活・動」しました。

 

「1982・年」に

「全・員」が
「北海道・出身」で

「男 性・5 人 組」の

 

「ロック・バンド」

「安全 地帯」の

「ボーカル と・して」

「リリース」した

 

「ファースト・シングル」

「萌黄金の スナック」で

「デビュー」しました。

 

「同・曲」は

オリコン・圏外」

   でした。

 

「1,983・年」に

「リリース」

   した

「4 th・シングル」

 

「ワインレッドの 心」が

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「一躍 に・して」

「全国 に・その名」が

「知 れ・渡り」ました。

 

「1,984年」に

「リリース」した

「7 th・シングル」

「恋の 予感」

 

「同・年」に

「リリース」した

「8 th・シングル」

「熱 視線」が

 

「立 て・続け」に

「ヒット」

   しました。

 

「1,985・年」に

「リリース」した

「9 th・シングル」

「悲しみにさよなら」が

 

オリコン・1 位」に

「成・り」

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「1,986・年」に

「映・画」
「プルシアンブルーの肖像」に

「出・演」し

 

「俳 優 と・して
「デビュー」

   しました。

 

「1,987・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「All I Do」で

「ソロ・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

オリコン・10 位」に

「成・り」ました。

 

「1,993・年」に

「安全 地帯」の

「活動 を・休止」し

「ソロ・活動」に

 

「専・念」
   しました。

 

「1,996・年」に

NHK」の

「大 河・ドラマ」

「秀 吉」に

 

「足利 義昭・役」で

「出・演」しました。

 

「同・年」に

「リリース」した

「11 th・シングル」

「田 園」が

 

「自らが・出演」し

「フジ・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・ドラマ」


「コーチ」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」て

 

「自 身・最高位」の

オリコン・2 位」の

「大 ヒット・曲」に
「成・り」

 

「紅 白・歌合戦」に

「ソロ歌手と・して」

「初・出場」しました。

 

「紅 白・では
「バック・バンド」に
TOKIO」を

「据・え」て

 

「59・9 %」の

「最 高・視聴率」を

「記・録」しました。

 

「2,010・年」に

「安全 地帯」の

「活 動・再開」を

「発・表」しました。

 

「玉置 浩二」は

「ボーカル の・他」に

「ギター」

「パーカッション」

 

「キーボード」

「ドラム」と

「マルチ・プレーヤー」」

   と、して

 

「才・能」を
「発 揮・して」

   います。

 

「山下 達郎」は

「玉置 浩二」を

「日本 で・最」も

「過少 評価・されて いる」

 

「ミュージシャン」と

「評・し」ました。

 

「ミスター・チルドレン」の

「メンバー」は

「玉置 浩二」は

「天才 で・あり」

 

「最 も・尊敬する」

「ミュージシャン」の
「一・人」と

「評・し」ました。

 

「徳永 英明」や

コブクロ」の

「メンバー」は

「玉置 浩二」は

 

「日 本・一」

「歌 が・上手い」と

「評・し」ました。

 

「現 在・63 歳」

   ですか

 

「ソロ・活動」と

「安全 地帯」の

「ボーカル と・して」

「精 力・的」に

 

「活動 して・いる」

   そうです。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,983・年」

「25 歳の・時」に

「同・郷」の

(「北海道・旭川 市」)

 

「一般人・女性」と

「結 婚・しました」が

「1,986・年」に

「離・婚」しました。

 

「1,991・年」

「33 歳の・時」に

「6 才・年下」で

「セーラー服と 機関銃」で

 

「有・名」な

「女・優」
「歌・手」の

「薬師丸 ひろ子」と


「再 婚・し」

「大 物・カップル」

「誕・生」と

「騒が れ・ました」が

 

「1,998・年」に

「離・婚」しました。

 

「1,999・年」
「41 歳の・時」に

「1 才・年上」で

「ツアー・バンド」で

 

「キー・ボード」を

「担当 して・いた」

「安藤 さと子」と

「3 度・目」の

 

「結婚 を・しました」が

「2,007・年」に

「離・婚」しました。

 

「2,010・年」

「52 歳の・時」に

「9 才・年下」で

「タレント」

 

「女・優」の
「青田 典子」と

「4 度目の・結婚」を

   しました。

 

「いずれ の・妻との」

「間」にも

「子供 は・いない」

   そうです。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,996・年」の

「田 園」〜

「2,020・年」の

「田 園」まで

(「特 別・枠」)

 

「通 算・2 回」

「出・場」しました。

 

 

「玉置 浩二」

「田 園」

「作・詞」「作・曲」
「玉置 浩二」


石コロ けとばし

夕陽に 泣いた 僕

夜空 見上げて

星に 祈ってた 君

アブラ に まみれて

黙り込んだ あいつ

仕事 ほっぽらかして

ほおづえ つく あの 娘

                          (「こ」)

 

何も できない で

誰も 救えない で

悲しみ ひとつ も

いやせ ない で

カッコ つけて ない で

やれる もんだけ で

毎日 何かを

頑張って いりゃ

 

生きて いくんだ

それで いいんだ

ビル に 飲み込まれ

街に はじかれ て

それでも その手を

離さない で

僕が いるんだ

みんな いるんだ

愛は ここに ある

君は どこへも いけない

 

ひだまり の なか

がむしゃら に 走る 僕

そろばん はじいて

頭 かかえてた 君

から の ミルクビン に

タンポポ さす あいつ

道を はずれちゃっ て

とほう に 暮れる あの 娘

 

何もうばわないで

誰も 傷付けない で

幸せ ひとつも 守れない で

そんなに 急がない で

そんなに あせらない で

明日も 何かを

頑張って いりゃ

 

生きて いくんだ

それで いいんだ

波に 巻き込まれ

風に 飛ばされ て

それでも その目を

つぶらない で

僕が いるんだ

みんな いるんだ

そして 君が いる

他に 何が できる

 

生きて いくんだ

それで いいんだ

ビル に 飲み込まれ

街に はじかれ て

それでも その手を

離さない で

君も いるんだ

みんな ここに いる

愛は どこへも いかない

 

 

※「雨垂れ 石を・穿つ」

  (「あまだれ いしを・うがつ」)

 

「雨垂れ 石を・穿つ」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「雨・だれ」とは

 「軒 や・庇」から

 (「のき」) (「ひさし」)

 「ポタ・ポタ」と

 

 「した たり・ながら」

 「落 ち・る」
 「雨 の・しずく」の

 「事」で

 

 「穿・つ」とは

 (「うがつ」)

 「穴 を・開ける」

 「事」で

 

 「雨垂れ 石を・穿つ」

    と は

 「少 し・ずつ」

 「したた り・落ちる」

 

 「雨 の・しずく」

    で も

 「長 い・間」

 「同 じ・場所」に

 

 「落 ち・続ける」と

 「や が・て」は

 「硬 い・石」

    に も

 

 「穴 を・開ける」

    と、いう

 「た と・え」だ

    そうです。

 

 「小さ な・力」

    で も

 「粘 り・強く」

 「積 み・重ねれ」ば

 

 「成・果」を

 「得 ら・れる」

    と、いう

 「意・味」で

 

 「努力 を・継続する」

 「事」の

 「大 切・さ」を

 「説 い・た」

 

 「前 向・き」な

 「ことわざ」だ

    そうです。

 

「雨垂れ 石を・穿つ」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「中国 の・漢書

 「枚乗伝」に

 「記 さ・れ」た
 「下 記・一節」が

 

 「ことわざ」の

 「由・来」だ

    そうです。

 

   「泰山の 雨の滴り は・石を穿つ」

 

   (「泰山から 染み出る 雨の雫 が

     滴り落ちる だけでも、それが

     繰り返される と 石に 穴を開ける」)

 

「雨垂れ 石を・穿つ」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「雨垂れ 石を・穿つ」と

 「口 で・言う」

 「事」は

 「簡 単・だ」が

 

 「言うは 易く・

    行うは 難し」で

    (「いうは やすく・
        おこなうは かたし」)

 

 「毎・日」

 「辛 抱・強く」
 「継 続・する」

 「事」は

 

 「そんな・に」
 「簡単では・無い」と
 「彼」は

 「知って・いた」そうだ。

 

・「彼」は

 「雨垂れ 石を・穿つ」

 「様」に

 「頑張っ て・来た」が

 

 「それ を・他人」に

 「アピール・する」
 「事」は

 「無かっ・た」そうだ。

 

「雨垂れ 石を・穿つ」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「塵も 積もれ ば・山と なる」

   (「ちりも つもれ ば・
       やまと なる」)

 

・「チ リ」の

 「様」に

 「一 つ・一つ」は

 「取る に・足りない」

 

 「小さな・もの」

    で も

 「そ・れ」が

 「積 み・重なる」と

 

 「山 の・様」に

 「大き な・もの」に

 「成る と・いう

 「意・味」で

 

 「小さ な・事」でも

 「疎か に・して」は

 (「おろそか」)

 「い け・ない」

    と、いう

 

 「戒・め」の

 「意 味・でも」

 「使 わ・れる」

 「ことわざ」だ、そうです。

 

「雨垂れ 石を・穿つ」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「焼け石 に・水」

   (「やけいし に・みず」)

 

・「焼・石」とは

 「真っ・赤」に

 「焼け て・いる」

 「石 の・事」で

 

 「非常 に・熱く」て
 「水 を・かけて」も
 「ジュ・ワッ」と

 「音」を

 

 「立て る・だけ」で

 「な か・なか」

 「熱が 下が ら・ない」

 「事」より


 「わずか・ばかり」の

 「自 助・努力 や

 「外 部・援助」

    で は

 

 「何 の・役にも」

 「立 た・ない」

    と、いう

 「意・味」の


 「ことわざ」だ

    そうです。

 

 

「小柳 ルミ子」は

(「こやなぎ るみこ」)

 

「雨だれ が

   ひとつぶ 頬に」 の

「歌詞 が・ある」

 

「京の にわか雨」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,972・年」に

「リリース」

   し た

「5 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「小柳 ルミ子」は

「1,952 年・生まれ」で

「福岡 県・福岡 市」

「出・身」の

 

「歌・手」
「女・優」です。

 

「母・親」の
「期待 を・受け」て

「幼少 の・頃」

   よ り

 

「8・種類」の

「習 い・事」に

「通・い」ました。

 

「私・立」

「築紫 女学院・
   中学校」を

「卒 業・後」

 

「競争 率・17 倍」で
「超・難関」の

「宝塚 音楽・学校」に

「入・学」し


「1,970・年」に
「同・校」を

「首・席」で

「卒・業」しました。

 

「1971・年」に

「宝 塚・歌劇団」に
「入 団・する」も

「2ヶ月 で・退団」し

 

「N H K」の

「連続 テレビ・小説」

「虹」で

「女 優・デビュー」しました。

 

「同・年」に

「リリース」

   し た
「ファースト・シングル」

 

「私の 城下町」で

「歌 手・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は

オリコン・1 位」で

「160・万枚」を

「売 り・上げ」る

 

「ミリオン・セラー」を

「記・録」し

「レコード・大賞・
   最優秀 新人賞」を

「受・賞」し

 

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「代 表・曲」に

 

「わたしの 城下町」

「瀬戸の 花嫁」

「京の にわか雨」等が

「有・り」ます。

 

「1,972・年」に

「リリース」

   し た

「セカンド・シングル」

 

「瀬戸の 花嫁」が

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」


「レコード・大賞・
   歌唱 賞」を

「受・賞」しました。

 

「同・年」に

「リリース」

   した
「5 th・シングル」

 

「京の にわか雨」が

オリコン・1 位」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「京都 を・代表する」

「ご 当地・ソング」の

「一・曲」に
「成・り」ました。

 

「1,974・年」に

「リリース」

   し た

「13 th・シングル」

 

「冬の 駅」が

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「同 年・代」の

「天地 真理」
「南 沙織」と

「共・に」

 

「当・時」

「新・三 人娘」と
(「さんにんむすめ」)

「呼 ば・れ」

 

「1970 年代・前半」を

「代 表・する」

「アイドル」に

「成・り」ました。

 

「1,970・年代」
「後・半」〜

「1,980・年代」に

「至・る」と

 

「アイドル」を
「卒・業」し
「正統 派・歌手」に

「転・身」し

   

「逢いたくて 北国へ」
「星 の 砂」

「今さら ジロー」

「お久し ぶりね」等の

 

「ヒット・曲」を

「連・発」しました。

 

「女優 と・して」は

「1983・年」に

「映・画」
「白蛇抄」で

 

「日 本・アカデミー 賞」

「最 優秀・

   主演 女優賞」を

「受・賞」しました。

 

「タレント と・して」は

「機転 の・利いた」

「コメント」が
「評 価・され」て

 

ザ・ドリフターズ」の

「コント・番組」

「8 時だよ!全員集合」の
「最多 出場・ゲスト」でした。

 

「現 在・69 歳」

   です か

「2,021 年・4 月」に

「57 th・シングル」

 

「深夜零時、乱れ心」を

「リリース・する」等

「現・役」で

「活躍して・いる」様 です。

 

「私・生活」

   で は

 

「1,989・年」

「37 歳の・時」に

「13 歳・年下」で

「無名 の・ダンサー」

 

「大澄 賢也」と

「電 撃・結婚」し

「世・間」を

「驚 か・せ」ました。

 

「二・人」は

「おしどり・夫婦」と
「呼 ば・れ」て
「い ま・した」が

 

「子供 は・なく」

「2,000・年」に

「離・婚」しました。

 

「紅 白・歌合戦」

   に は

 

「1,971・年」の

「私の 城下町」〜

「1,988・年」の

「愛のセレブレイション」まで

 

「18 年・連続」で

「出・場」しました。

 

 

「小柳 ルミ子」

「京の にわか雨」

「作・詞」「なかにし 礼」

「作・曲」「平尾 昌晃」

 

雨だれが ひとつぶ 頬に

                        (「ほほ」)

見上げて みれば お寺の 屋根や

細い道を ぬらして

にわか雨 が ふる

私には 傘も ない

抱きよせる 人も ない

ひとりぼっち 泣き ながら

さがす 京都の 町に

あの人 の 面影

誰も いない 心に

にわか雨 が 降る

 

日が 暮れて 鴉が 帰る

             (「カラス」)

人は みな 家路を 急ぐ

河岸を ぬらして

(「かわぎし」)

にわか雨 が ふる

雨の日 も 鐘は 鳴る

むせぶように 鐘が 鳴る

指を折って かぞえ ながら

祈る 京都の 町に

あの人 の 幸せ

愛を さがす 心に

 にわか雨 が 降る

 

 

「他山 の・石」を

「英・語」で


 「Stone from other mountains」と

 

 (「他山 の・石」)

 

 「言・う」そうです。