何気なく使っている言葉の意味

「沽券 に・関わる」

(「こけん に・かかわる」)

 

「皆さん」は

「沽券 に・関わる」

   と、いう

 

「慣 用・句」を

「使った・事」は

「有・り」ませんか?

 

「沽券 に・関わる」の

「意・味」は
「下・記」だ、そうです。

 

・「人 の・値打ち」や

 「面 目・体面」に

 「差 し・障り」が

          (「さわり」)

 

 「有・る」
    と、いう

 「意・味」だ

    そうです。

 

「沽券 に・関わる」の

「語・源」は

「下・記」だ、そうです。

・「沽・券」と は

 「い わ・ゆる」

 「権 利・証」の

 「事」で

 

 「江 戸・時代」で は

 「町・屋敷」を

 「持っ て・いる」

 「事」は

 

 「正・式」な
 「江 戸・町民」の

 「証」でした。

 (「あかし」)

 

 「そ の・ため」

 「沽・券」を

 「持 つ・事」が

 「ステータス」や

 

 「身分 の・証明」に

 「直 結・した」

    そうです。

 

 「時代 が・進み」

 「人」の

 「値 打・ち」や

 「面・目」

 

 「体・面」

    と、いう

 「意・味」で

 「沽・券」が
 「使 わ・れる」

 「様」に

 「成・り」

 

 「沽券 に・関わる」

    と、いう

 「慣 用・句」が

 「生 ま・れた」そうです。

 

「沽券 に・関わる」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「私 利・私欲」の

 「為」に

 「生き て・いる」と

 「思われ る・事」は

 

 「彼」に

    とって は

 「沽券 に・関わる」

 「問・題」だ、そうだ。

 

・「仕・事」も
 「一人・前」に
 「出 来・る」の に

 「い つ・まで」も

 

 「上・司」の

 「パシリ・ばかり」を

 「やら せ・られ」て

    いて は

 

 「彼・女」の

 「沽券 に・関わる」
 「事」に

 「成・る」だろう。

 

「沽券 に・関わる」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「立つ瀬 が・ない」

   (「たつせ が・ない」)

 

 「瀬」と は

 「川 の・水」が

 「浅・く」て

 「人」が

 

 「歩い て・渡れる」

 「場・所」の

 「事」です。

 

 「立つ瀬 が・ない」

    と は

 「自分 の・立場」や

 「存 在・価値」を

 

 「失 っ・て」

 「苦境 に・陥る」

    と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「沽券 に・関わる」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

・「恥も 外聞 も・ない」

   (「はじも がいぶん も・ない」)

 

 「自分 の・した」

 「悪 い・行い」を

 「恥ず か・しい」と

 「思 わ・ない」や


 「人 の・目」を

 「気 に・せず」

 「な り・ふり」

 「構 わ・ず」に

 

 「物事 を・行う」

    と、いう

 「意・味」だ

    そうです。

 

 

「北原 ミレイ」は

(「きたはら みれい」)

 

「ざんげ の 値打ち も ない」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

「1,970・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

「北原 ミレイ」は

「1,948 年・生まれ」で

「愛知 県・豊川 市」
「出・身」の

「演 歌・歌手」で

「ド ス の・効いた」

「歌・声」が
「特・徴」です。

 

「私・立」
「桜 丘・高校」

「在 学・中」は

「テニス」の

「名・手」で
「特 待・生」

   でした。

「高 校・2 年生」の

「時」よ り

「浜松 市・在住」の

「作曲家 に・師事」し

 

「高 校・卒業 後」に

「単 身・上京」し

「ナイト・クラブ」で

「歌 い・なが」ら

 

「浜口 庫之助」他

「多く の・作曲家」に

「師・事」し
「実力 を・磨き」ました。

 

「銀・座」の
「クラブ」で

「歌 う・姿」と

「歌・声」を

 

「作 詞・家」の

「阿久 悠」に

「見 出・され」

   ました。

 

「1,970・年」

「22 歳の・時」に

「リリース」

   し た

 

「ファースト・シングル」

「ざんげ の 値打ちも ない」が

「東 映・映画」

「すべ公 番長」の

 

「挿 入・歌」に

「起 用・され」

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「代 表・曲」に

 

「石狩 挽歌」

(「いしかり ばんか」)

「ざんげの 値打ちも ない」

「風の 午後」等 が

「有・り」ます。

「1,975・年」に

「リリース」し た

「8 th・シングル」

「石狩 挽歌」が

 

「大 ヒット」し

「自身 の・代表 曲」の

「一・曲」に

「成・り」ました。

「そ の・後」も

「毎・年」
「新・曲」を

「リリース」し

 

「2,021 年・1 月」に

「58 th・シングル」

「人生の 贈り物」を

「リリース」しました。

 

「私・生活」

   で は

 

「現 在・73 歳」

   です が

「結 婚・歴」は

「無・く」


「独・身」を

「貫 い・て」

「来・た」そうです。

 

「紅 白・歌合戦」

   へ の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「北原 ミレイ」

「ざんげ の 値打ちも ない」

「作・詞」「阿久 悠」

「作・曲」「村井 邦彦」

 

あれは 二月 の 寒い 夜

やっと 十四 に なった 頃

窓に ちらちら 雪が 降り

部屋は ひえびえ 暗かっ た

愛と 云うの じゃ ない けれど

   (「いう」)

私は 抱かれ て みた かった

 

あれは 五月 の 雨の 夜

今日で 十五 と 云う 時に

安い 指輪 を 贈ら れて

花を 一輪 かざられ て

愛と 云うの じゃ ない けれど

私は 捧げ て みた かった

 (「ささげ」)

 

あれは 八月 暑い 夜

すねて 一九 を 超えた 頃

細い ナイフ を 光らせ て

にくい 男を 待って いた

愛と 云うの じゃ ない けれど

私は 捨てられ つらか った

 

あれは 何月 風の 夜

とうに 二十歳 も 過ぎた 頃

鉄の 格子 の 空を 見て

   (「こうし」)

月の 姿が さみしく て

愛と 云うの じゃ ない けれど

私は 誰か が ほしか った

 

そして こうして 暗い 夜

年も 忘れ た 今日の こと

街に ゆらゆら 灯り つき

                    (「あかり」)

みんな 祈り を する とき に

ざんげ の 値打ち も ない けれど

私は 話し て みたか った

 

 

※「痩せて も・枯れても」

  (「やせて も・かれても」)

 

「痩せて も・枯れても」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「た と・え」

 「どん な・に」

 「落ちぶ  れ・よう」

    と も

 

 「誇・り」や

 「志」は

 (「こころざし」)

 「持 ち・続ける」

    と、いう

 

 「気・概」を

 (「き・がい」)
 「示・す」

 「言・葉」だ、そうです。

 

「痩せて も・枯れても」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「江 戸・時代」の

 「昔」に

 「傘・張り」の
 「内・職」で

 「生・計」を
 「立て て・いた」

 「主君 を・持た ない」

 「浪・人」が

 

 「痩せて も 枯れて も

    武士 の 端くれ

    無礼を 申す と

    容赦 は せんぞ」と

 

 「強がっ て・いた」

 「事」が

 「由・来」だ

    そうです。

 

 「端 く・れ」

 (「はし」)

    と は

 

 「木・材」の
 「木・端」の

  (「こっ・ぱ」)

 「事」で

 

 「浪・人」は

 「武士 の・誇り」は

 「持っ て・いる」

 「も の」の

 

 「自・分」が

 「痩 せ・衰え」

 (「や せ・おとろえ」)

 「他・人」

    か ら

 

 「蔑 す・まれ」て
 (「さげ」)

 「い る・事」や

 「かろう じ・て」

 「武士 の・仲間」の

 

 「すみ っ・こ」に

 「加・え」て

 「もらって・いる」

 「事」を

 「認 識・して」
    お り

 「切 な・い」

 「言・葉」です。

 

「痩せて も・枯れても」の

「代 表・的」な

「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです、

・「痩せて も・枯れても」
 「誇 り・だけ」は

 「失 わ・ず」

 「人 の・ふんどし」で

 

 「相撲 を・取る」

 「様」な

 「真・似」は

 「し た・く」無い。

 

・「武士は 食わね ど・高楊枝」

    (「ぶしは くわね ど・

        たかようじ」)

    と、いう

 

 「ことわざ」が

 「有・る」が

 「痩せて も・枯れても」

 「物 乞・い」や

  (「もの ご・い」)

 

 「不・正」を

 「し て・まで」

 「生き延 び・たく」は

 「無」い。

 

「痩せて も・枯れても」の

「類 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

・「沈丁花 は・枯れても 芳し」

   (「じんちょうげ は・

        かれても かんばし」)

 

 「沈 丁・花」の

 「花」は

 「春」に

 「咲 き・ます」が

 

 「他 の・花」に

 「比 べ・て」も

 「一 番・香り」が

 「強・い」と

 

 「言 わ・れる」
 「ほ ど」

 「良 い・香り」の

 「印 象・的」な

 

 「芳・香」を
 (「ほう・こう」)

 「放・ち」ます。

 「そ し・て」

 「沈 丁・花」の
 「花」は

 「枯 れ・て」も

 

 「良 い・香り」が

 「残 っ・て」
    います。

 

 「そ の・特徴」

    よ り

 「すぐ れ・た」

 「も の」は

 

 「そ の・魅力」や

 「価・値」を

 「失・う」
 「事」は

 

 「無・い」
    と、いう

 「意・味」だ
    そうです。

 

「痩せて も・枯れても」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「昔 千里 も・今 一里」

   (「むかし せんり も・

       いま いちり」)

 

 「すぐれ た・能力」を

 「持 つ・人」も

 「年 を・取る」と

 「人並 み・以下」に

 

 「劣っ て・しまう」

    と、いう

 「意・味」だ

    そうです。

 

 

「今井 美樹」は

(「いまい みき」)

 

「P R I D E」

(「プライド・誇り」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,996・年」に

「リリース」

   し た

「12 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「今井 美樹」は

「1,963 年・生まれ」で

「宮崎 県・児湯 郡・

   高鍋 町」

 

「出・身」の
「歌・手」
「女・優」です。

 

「中学 生・時代」に

「ピアノ」の

「弾 き・語り」を

「始・め」ました。

 

「県・立」

「高 鍋・高校」

「在 学・中」は

「陸上部 に・所属」し

「短 距離・走」で

「インター・ハイ」に
「出・場」

   しました。

 

「高 校・卒業 後」に

「スチュワーデス」を

(「フライト・アテンダント」)

「目 指・し」て

 

「単・身」に て

「上・京」 しました。

 

「1,983・年」
「20 歳の・時」に

「ファッション・系」

「女 性・情報誌」

 

「エムシー・シスター」で
「モデル」

   と、して

「デビュー」しました。

 

「翌・年」に

「250・人」が

「参 加・する」

「オーディ・ション」で

 

「選 抜・され」

「TBS ・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・ドラマ」

 

「輝き たいの」に

「出・演」し

「女 優・デビュー」

   しました。

 

「1,986・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「黄昏 の モノローグ」で

(「たそがれ」)(「独り言」)

「歌 手・デビュー」

   しました。

 

「同・曲」は
「日 本・テレビ 系」で

「放 送・され」た

「テレビ・ドラマ」

「妻たち の 初体験」の

「主 題・歌」に

「起 用・され」

   ました。

 

「代 表・曲」に

 

「PRIDE」

「PIECE OF WISH」

「Miss You」等 が

「有・り」ます。

 

「1,988・年」に

「リリース」し た

「4 th・シングル」

「彼女と TIP ON DUO」が

 

「資 生・堂」

「秋の キャンペーン・

   ソング」に

「採 用・され」て

 

「ヒット・曲」に

「成・り」

「ブレイク」しました。

 

「1,990・年」

「テレビ・ドラマ」

「あした が あるから」で

「主・演」し

 

「自身 が・歌った」

「主 題・歌」

「7 th・シングル」

PIECE OF MY WISH」が

 

「自 身・初」の

「ミリオン・セラー」に

「成・り」ました。

 

「1,994・年」に

「リリース」し た

「10 th・シングル」

「Miss You」が

 

「テレビ・ドラマ」

「禁断 の 果実」の

「主 題・歌」に

「採・用」さ れ

「シングル」で

「自 身・初」の

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「1,996・年」に

「リリース」し た

「12 th・シングル」

「PRIDE」が

オリコン・1 位」で

「ミリオン・セラー」の

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

「自・身」の
「代 表 ・曲」の

「一・曲」に

「成・り」

 

「2,006・年」に

「同・曲」で

「紅 白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「1,988・年」の

「サード・アルバム」

「Bewith」

 

「1,991・年」の

「6 th・アルバム」

「alluvial」

 

「1,992・年」の

「7 th・アルバム」

「flow into space」

 

「1,993・年」の

「セカンド」

ベスト・アルバム
「Ivory Ⅱ」が

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「現 在・58 歳」

   です が

「2,020 年・11 月」に

「デビュー・35 周年」を

 

「記 念・して」

「8 th・ベスト アルバム」

「Classic Ivory」を

「リリース」しました。

 

「私・生活」
   で は

 

「1,999・年」

「36 歳の・時」に

「1 歳・年上」で

「歌・手」

「ギタリスト」の

「布袋 寅泰」と

(「ほてい ともやす」)

「結・婚」しました。

 

「二・人」が

「出会 っ・た」

「時」

「布 袋」は

 

「赤道小町 ドキッ」が

「代 表・曲」の

「山下 久美子」と

「結婚 して・おり」

 

「美 樹」の

「略 奪・結婚」と

「世 間・から」

「騒 が・れ」ました。

 

「2,002・年」に

「長・女」が

「誕・生」しました。

 

「2,012・年」

   か ら

「家 族・3 人」で

「ロンドン」に

 

「居・住」

「し て・い る」

   そうです。

 

「紅 白・歌合戦」

   へ は

 

「2,006・年」の

「PRIDE」と

「2,015・年」の

PIECE OF MY WISH」で

 

「通 算・2 回」

「出・場」しました。

 

 

「今井 美樹」

「P R I D E」

「作・詞」「作・曲」

「布袋 寅泰」

 

私は 今 

南の 一つ星 を 

見上げ て 誓った

どんな 時も 

微笑み を

絶やさず に 

歩いて 行こう と

 

貴方を 想う と 

ただ せつなく て 

涙を 流して は

星に 願い を 

月に 祈り を 

捧げる ため だけ に

(「ささげる」)

生きて きた

 

だけど 今は 

貴方への 愛こそ が 

私の プライド

 

やさしさ とは 

許し合う ことを 知る 

最後の 真実

わがまま さえ 

愛しく 思えた なら 

(「いとしく」)

本当に 幸せ

 

貴方は 私に 

自由と 孤独 を 

教えて くれた 人

夜が 来るたび に

無口に なって 

震える 肩を

抱きしめて いた

 

だけど 今は 

貴方への 愛こそ が 

私の プライド

 

いつか 私も 

空を 飛べる はず 

ずっと 信じて いた

翼が あったら

飛んで ゆく のに 

貴方の 胸に 今すぐに でも

 

見上げ て みて 

南の 一つの 星を 

素敵な 空で しょう

私は 今 

貴方への 愛だけ に 

笑っ て 泣いて る

 

 

「沽券 に・関わる」を

「英・語」で

 「My pride is at stake」と

 

 (「沽券 に・関わる」)

 

 「言・う」そうです。