何気なく使っている言葉の意味

「濡れ手 で・粟」

(「ぬれて で・あわ」)

 

「皆さん」は

「濡れ手 で・粟」

   と、いう

 

「慣用・句」を

「使った・事」は

「有・‘り」ませんか?

 

「濡れ手 で・粟」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「濡れ手 で・泡」と

「書・き」

「いく ら」

「努 力・して」も

 

「報わ れ・ない」と

「解 釈・する」

   の は

「間・違い」です。

 

「粟」と は

(「ア ワ」)

「イネ・科」の

 

「雑・穀」の

   (「ざっ・こく」)

「事」で

 

「日・本」で は

「古・く」は

「米 の・代わり」に

「食 べ・られて」いました。

 

「ア ワ」「キ ビ」「ヒ エ」は

「学校 の・授業」で

「聞い た・事」が

「有 る・だけ」で

 

「農 家・育ち」の

「私」で も

「見 た・事」は

「有・り」ません。

 

「小粒 で・軽い」

   の で

「濡れ た・手」で

「つか む」と

 

「手 の・ひら」

「以・外」に

「手 の・濡れた」

「部・分」に

 

「たく さん」

「粟」が

「付い て・くる」

   の で

 

「骨 を・折らず」に

「利益 を・得る」

   と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「濡れ手 で・粟」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

「歌 舞・伎」の

(「か ぶ・き」)

「下 記・一節」が

「由・来」だ、そうです。

 

「棹の 雫か 濡れ手で 粟

(「さおの しずくか ぬれてで あわ」)

   思いがけ なく 手に 入る 百両

   こいつぁ 春から 縁起が いいわぇ」

 

「濡れ手 で・粟」の

「代表・的」な

「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「濡れ手 で・粟」で

 「得 た・もの」

       な ど

 「身 に・付かず」

 

 「水 の・泡」の

 「様」に

 「消 え・去って」

 「しま・う」だろう。

 

・「濡れ手 で・粟」を

 「つか ん・だ」

 「経験 の・有る」

 「人」は

 

 「おそ ら・く」
 「地道 に・働く」

 「事」が

 

 「バカ・らしく」

 「成っ・て」

    しまうだろう。

 

「濡れ手 で・粟」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「漁夫 の・利」

   (「ぎょふ の・り」)

 

 「鷸」が

 (「シギ」)

 「蛤 の・肉」を

 (「ハマグリ」)

 

 「食 べ・よう」と
 「し ま・した」が

 「ハマグリ」に

 

 「嘴」を

 (「クチバシ」)

 「は さ・まれ」ました。

 

 「シギ  は・ハマグリ」に

 「今日 も・明日」も

 「雨」が

 「降ら な・けれ」ば

 

 「死ん だ・ハマグリ」に

 「成っ て・しまう」

 「だろ・う」と

 「言・う」と

 

 「ハマグリ」は

 「今日 も・明日」も

 「クチバシ」を

 「使え な・かった」ら

 

 「飢 え・て」
 (「う え・て」)

 「死ん だ・シギ」に

 「成っ て・しまう」

 「だろ・う」と

 「言っ・て」

 

 「互・い」に

 「譲 り・ません」

 (「ゆず り」)

   でした。

 

 「そ こ・へ」

 「漁師 が・来て」

 「シギ」も

 「ハマグリ」も

 

 「捕 え・て」

 (「つかま え・て」)

    しまいました。

 

 「こ の・こと」が

 「由・来」に

 「成・り」

 

 「漁夫 の・利」

    と は

 「当 事・者」

 「同・士」が

 

 「争っ て・いる」
 「う ち」に

 「第・三者」が

 

 「何」の

 「苦労 も・無く」

 「利益 を・さらう」

    と、いう

 

 「たと・え」に

 「成っ・た」

    そうです。

 

「濡れ手 で・粟」の

「対義・語」は

「下・記」だ、そうです。

・「骨折り損 の・くたびれ 儲け」

   (「ほねおりぞん の・

       くたびれ もうけ」)

 

 「苦労 を・して」

 「た く・さん」の

 「時・間」と

 「エネルギー」を

 

 「消 費・した」

    の に

 「得 た・もの」は

 「疲 労・だけ」で

 

 「無駄 な・事」を

 「し て・しまった」

    と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

 

「中西 保志」は

(「なかにし やすし」)

 

「最後の 雨に

   濡れない ように」の

「歌詞 が・有る」

 

「最後 の 雨」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「1,992・年」に

「リリース」

   し た

「セカンド・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「歌・ネット」の

「表 示・階数」は

「132・万回」を

「超・え」

 

「異・常」に

「大 き・な」
「数・字」に

「成っ・て」います。

 

「中西 保志」は

「1,961 年・生まれ」で

「奈良 県・奈良 市」

「出・身」の

 

「歌・手」で

「バラード・シンガー」

   と、して

「知 ら・れて」います。

 

「奈 良・市立」

「春 日・中学」

「時・代」は

 

「生 徒・会長」を

「務 め・て」

   いました。

 

「私・立」

「清 風・高校」を

「卒 業・後」に

 

同志社・大学」

「経済・学部」に

「進・楽」しました。

 

「大学・時代」は

「バンド を・結成」し

「ボーカル」を

「担 当・して」いました。

 

「大学・卒業 後」は

「地・元」の

「百 貨・店」に
「就 職・する」 も

 

「ストレス」で

「体調 を・崩し」

「職」を

「転・々」と、しました。

 

「フリーター」を

   し ながら

「路 上・ライブ」を

「して いた・ところ」が

 

「芸 能・事務所」の

「目 に・留まり」

「27 歳の・時」に

「上・京」しました。

 

「1,992・年」

「31 歳の・時」に

「ファースト・シングル」

「愛しか ないよ」を

 

「リリース」

   し て

「デビュー」しました。

 

「代表・曲」に

 

「最後 の 雨」

「千年前 から 見つめて いた」

「Another Rain」等 が

「有・り」ます。

 

「同・年」に

「リリース」

   し た

「セカンド・シングル」

 

「最後 の 雨」が

「80・万枚」を

「売 り・上げる」

 

「ロング・ヒット」に

「成・り」

 

「杏 里」他

「さま ざま」な

「アーティスト」に

「カバー・され」

 

「若 い・世代」に も

「なじみ の・歌」に

「成って・いる」

   そうです。

 

「1,995・年」の

「ファースト」

ベスト・アルバム

「It's only a Ballade」が

 

「自 身・最高 位」の

オリコン・2 位」に

「成・り」ました。

 

「現・在」

「60・歳」

   です が

 

「ライブ」を

「中・心」に

「第・一線」で

「幅・広く」

 

「活 躍・して」

「い る」そうです。

 

「私・生活」で は

 

「時期 は・不明」

   です が

「一般人・女性」と

「結 婚・して」

 

「子供 が・2 人」

「い る」そうです。

 

「紅白・歌合戦」

   へ の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「中西 保志」

「最後 の 雨」

「作・詞」:「夏目 純」

「作・曲」:「都志見 隆」

 

さよなら 呟く君が

        (「つぶやく」)

僕の 傘 残し て 駆け出して ゆく

哀しみ 降り出す 街中 で 

銀色 に 煙って

君 だけ 消せ ない

最後の 雨に 濡れない よう に

追い 掛けて ただ 抱き寄せ 

瞳 閉じた

本気 で 忘れる くらい なら

泣ける ほど 愛したり しない

誰か に 盗られる くらい なら

            (「とられる」)

強く 抱い て 君を 壊し たい

                         (「こわし」)

 

ほどいた 髪を 広げ て 僕の 夜 
包んだ 優しい人 さ・・・

不安な 波に さらわ れる 

砂の 城 怖く て

誰か を 求めた の?

強がり だけ を 覚え させた ね

微笑み は もう 二人 の 夢を 見ない

本気 で 忘れる くらい なら

泣ける ほど 愛したり しない

さよなら を 言った 唇も

僕のもの さ 君を 忘れない

 

明日 の 君を 救える 愛は

僕じゃ ない でも この まま 

見つめて いる

言葉 に 出来ない のが 愛さ

言葉 では 君を 繋げ ない

                   (「つなげ」)

行き場 ない 愛が とまら ない

傘を 捨て て 雨を 見上げて いた

 

本気 で 忘れる くらい なら

泣ける ほど 愛したり しない

誰か に 盗られる くらい なら

強く 抱いて 君を 壊し たい

 

 

※「コツ を・掴む」

  (「コツ を・つかむ」)

 

「コツ を・掴む」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「漢・字」

   で  は

「骨 を・掴む」と
「書・く」そうです。


「物・事」の

「要・点」を

「把・握」し

 

「核・心」を

「外 さ・ない」

「様・子」や

 

「要・領」を

「得・た」

「様・子」の

「事」だ、そうです。

 

「コツ を・掴む」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

「骨」の

(「コツ」) 

「由・来」は

 

「芸・道」の

「奥・義」や

(「おう・ぎ」)

「中核 と・なる」

「大・切」な

「ポイント」の

「事」だ、そうです。

 

「人体 の・骨」の

「様」に

「隠・れ」た

「と こ・ろ」で

 

「物・事」を

「支 え・て」

「い る」

「本 質・部分」で

 

「主」に

「仕・事」や

「技・術」

「等」の

 

「要・領」や

「勘・どころ」

   と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「コツ を・掴む」

   と は

「コ ツ」を

 

「自分 の・もの」に

「する」

   と、いう

「意・味」だ、 そうです。

   

「コツ を・掴む」の

「代表・的」な

「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「コツ を・掴む」
 「コ ツ」は

 「経・験」と

 「学・習」だ、そうだ。

 

 「そし・て」

 「よ り・良く」

 「出来・る」

    に は

 

 「ど う・すれば」
 「良 い・か」を 

 「常」に

 「考え て・いる」

 「事」が

 「大 切・だ」と

 「言 わ・れて」

 「い る」そうだ。

 

・「子供 の・頃」や

 「若 い・時期」は

 「コツ を・掴む」

    の が

 

 「簡 単・だった」が

 「年齢 と・共」に

 「難 し・く」

 「成っ・て」きた。

 

「コツ を・掴む」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「要点 を・押さえる」

   (「ようてん を・おさえる」)

 

 「物・事」の

 「中」で

 「重・要」な

 「部・分」を

 

 「理 解・する」

    と、いう

 「意・味」だ

    そうです。

 

「コツ を・掴む」の

「対義・語」を

「検・策」して も

「出 て・来」ません。

 

・「要領 が・悪い」

   (「ようりょう が・わるい」)

 

 「要・領」と は

 「上 手・く」
 「物・事」を

 「行・う」

 

 「手・段」や

 「方・法」

    等 を

 

 「意 味・する」

 「言・葉」です。

    

 

 「要領 が・悪い」

    と は

 「段 取・り」が

 「キチン」と

 「出 来・て」

 「い な・い」
 「事」や

 

 「手際 が・悪い」

    と、いう

 「意・味」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な

 「気」が、します。

 

   

「久保田 早紀」は

(「くぼた さき」)

 

「鳥や 雲や 夢まで も

   つかもう と している」の

「歌詞 が・ある」

 

「異 邦人」

(「い ほうじん」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「異 邦人」と は

「主・に」

「西 洋・人」を

「指 し・て」います。

 

「1,979・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」で

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「代表・曲」に

 

「異 邦人」

ピアニッシモ で」

「夢 飛行」等 が

「有・り」ます。

 

「久保田 早紀」は

「1,958 年・生まれ」で

「東京 都・国立 市」

「出・身」の

 

「シンガー・ソング・
   ライター」です。

 

「4・歳」か ら

「クラシック」

「ピアノ」を

「習 い・始め」ました。

 

「13 歳の・時」に

「バンド を ・結成」し

「キー・ボード」を

「担・当」し

 

「文 化・祭」

   等 で

「演・奏」を

「披 露・して」いました。


「共立 女子・高校」を

「経・て」

「共立 女子・短期 大学」

「文 学・科」に

「進・学」しました。

 

「1,979・年」に

「短大 を・卒業」

「す る」と

「三 洋・電機」が

 

「タイアップ 」に

「付・き」

「デビュー」が

「決 ま・り」ました。

 

「同・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「異 邦人」で

「デビュー」

   しました。

「当・時」

「流 行して・いた」

「エーゲ・海」

「地 中・海」等 の

 

「異 国・情緒」を

「連 想・させる」

「歌・詞」と

「メロディ」で

 

「サブ・タイトル」

   に は

シルクロード」の

「テーマ」が

「付・され」ました。

 

「タイアップ」

   し た

「三 洋・電機」の

 

「カラー・テレビ」の

「C・M」が

「放 送・される」に

「連・れ」て

 

「オリエンタル」で

「神 秘・的」な

「曲・詞」と

「歌・声」に

 

「早 紀」の

「美・貌」も
「相・まって」

「最 終・的」に

 

「144・万枚」を

「売 り・上げる」

「ミリオン・セラー」に

「成・り」ました。

 

「テレビ・出演」の

「時」は

「ピアノ・弾き 語り」で

「歌・い」

 

「一・躍」

「話・題」の

「ニュー・ミュージック」

「歌・手」に、なりました。

 

「以・後」も

「シンガーソング・

   ライター」

   と、して の

 

「活・動」を

「続 け・る」も

 

「異 邦人」の

「久保田 早紀」の

「イメージ」は

「ぬぐ え・ず」

「デビュー・曲」を

「超 え・る」

「ヒット・曲」

   に は


「恵ま れ・ません」

   でした。

 

「1,985・年」

「結婚 を・機」に

「芸 能・界」を

「引・退」しました。

 

「現・在」

「63・歳」

「で す」が

 

「キリスト・教」の

「音 楽・伝道者」

   と、して

「讃美歌 を・歌い」

 

「コンサート」や

「講・演」等 で

「活 躍・して」

「い る」そうです。

 

「私・生活」で は

 

「1,985・年」

「26 歳の・時」に

「1 歳・年上」で

「音 楽・家」の

 

「久米 大作」と

「結・婚」しました。

 

「39 歳の・時」に

「長・い」

「不 妊・治療」を

「経・て」

 

「長・男」を

「出・産」しました。

 

「紅白・歌合戦」

   ヘ の

「出 場・歴」は

「無・い」様 です。

 

 

「久保田 早紀」

「異 邦人」

「作・詞」「作・曲」

「久保田 早紀」

 

子供たち が 空に 向かい 

両手 を ひろげ

鳥や 雲や 夢まで も

つかもう と して いる

その姿 は きのうまで の

何も 知らない 私

あなた に この 指が

届く と 信じて いた

 

空と 大地 が ふれあう 彼方

                                (「かなた」)

過去から の 旅人 を 呼んでる 道

あなた に とって 私

ただ の 通り すがり

ちょっと ふり向いて みただけ の

異邦人

 

市場へ 行く 人の波 に 身体 を 預け

                                  (「からだ」)

石だたみ の 街角 を 

ゆらゆら と さまよう

祈り の 声 ひずめ の 音

歌うよう な ざわめき

私を 置きざり に

過ぎて ゆく 白い 朝

 

時間 旅行 が 心 の 傷を

(「じかん りょこう」)

なぜかしら 埋めて ゆく

不思議 な 道

サヨナラ だけ の  手紙

迷い続け て 書き

あと は 哀しみ を もて余す 異邦人

あと は 哀しみ を もて余す 異邦人

 

 

「濡れ手 で・粟」を

「英・語」で

 

 「make easy gain」と

 

 (「簡単に 利益 を・得る」)

 

 「言・う」そうです。