何気なく使っている言葉の意味

「ない もの・ねだり」

「皆さん」は

「ない もの・ねだり」

   と、いう

 

「慣用・句」を
「使った・事」は

「有・り」ませんか?

 

「ない もの・ねだり」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

「漢・字」に

「する」と

「無い 物・強請り」と

「書・く」そうです。

 

「強 請・る」と は

(「ね だ・る」)

「甘 え・て」

「欲し い・もの」を

 

「要 求・する」
   と、いう

「意・味」だ

   そうです。


「ない もの・ねだり」

   と は

「自・分」に

「無 い・もの」を

 

「欲 し・がる」

「事」や

「いく・ら」

「頑 張っ・て」も

 

「実・現」

「出 来・ない」

「事」を

 

「無理 に・願う」

   と、いう

「意・味」だ

   そうです。

 

「ない もの・ねだり」の

「由・来」「語・源」は

「特 に・無い」様 です。

 

「ない もの・ねだり」の

「代表・敵」な

「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「ああ・だった」ら

 「い い」の に

 「こう・だったら」ら

 「い い」の に、と

 

 「ない もの・ねだり」を

 「し て」も

 「無・理」な

 「事」だ と

 

 「分かっ・て」

 「い て」も

 「つ い」

   「うっ・かり」と

 

 「考え て・しまう」

       の は

 「ヒョット」し て

 

 「 人」が

 「生ま・れ」

 「な が・ら」に

 「持っ て・いる」

 

 「性」(「さ が」)

 「な の・かも」

 「知・れ」ない。

 

・「あ と」

 「身・長」が

 「10・cm」

 「高かっ た・ら」と

 

 「若 い・頃」

 「ない もの・ねだり」

 「し た・時期」が

 「有っ・た」が

 

 「親 の・遺伝」

 「な の」で

 「ど う・にも」

 「成・ら」な かった。

 

「ない もの・ねだり」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「水中 に・火を求む」

   (「すいちゅう に・ひをもとむ」)

 

 「水 の・中」に

 「火」は

 「存 在・しない」

 「事」よ り

 

 「叶う・はず」が

 「無・い」

 「望み を・抱く」

    と、いう

 

 「意・味」だ

    そうです。

 

「ない もの・ねだり」の

「対義・語」を

「検・策」して も

「出て・来」ません。


・「蟹 は 甲羅 に 似せ て・

    穴を 掘る」

   (「かに は こうら に にせ て・

     あなを ほる」)

 

 「カ ニ」は

 「大 き・けれ」ば

 「大き い・なり」に

 

 「小 さ・けれ」ば

 「小さ い・なり」に

 「そ れ・ぞれ」

 

 「自分 の・体」に

 「合っ た・穴」を

 「掘っ て・住む」

 「事」か ら

 

 「自・分」の

 「力・量」に

 「合 わ・せ」て

 「振 る・舞い」

 

 「望・み」を

 「持 つ・べき」

    と、いう

 「意・味」です。

 

 「辺・り」が

 「妥・当」な

 「気」が、します。

 

 

「中原 理恵」は

(「なかはら りえ」)

 

「ない もの ねだり の

   子守 唄」の

「歌詞 が・ある」

 

「東京 ららばい」

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「中原 理恵」は

「1958 年・生まれ」で

「北海道・函館 市」

「出・身」の

 

「元・歌手」

「女・優」

「タレント」です。

 

「私・立」

「遺愛 女子・高校」を

「卒業・後」
「歌手 を・目指し」

 

「単・身」に て

「上・京」しました。

 

「1,978・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・アルバム」

 

「TOUCH ME」で

「歌 手・デビュー」
   しました。

 

「デビュー・当時」は

「19・歳」でした が

「大人っ ぽい・曲調」に

「合わせ る・為」に

 

「年・齢」を

「21・歳」に

「偽っ・て」いました。

 

「代 表・曲」に

 

「東京 ららばい」

「ディスコ・レディー」

「マギー への 手紙」等 が

「有・り」ます。

 

「同・年」に

「リリース」

   し た

「ファースト・シングル」

 

「東京 ららばい」が

「大 ヒット・曲」に

「成・り」

 

「レコード・大賞・
   新人 賞」他

「各・賞」を

「総・ナメ」に、して

 

「紅白・歌合戦」に

「初・出演」しました。

 

(「紅白・出場」は

  「この・1 回 のみ」)

 

「同・年」に

「リリース」

   し た

「第・2 弾」

 

「ディスク・レディー」も

「ヒット」しました。

 

「1,981・年」〜

「1,982・年」に

「フジ・テレビ 系」で

「放 送・された」

 

「欣・ドン」に

「レギュラー・出演」し

「演 技・力」や

「カン の・良さ」と

 

トーク の・切れ味」が

「高 く・評価」さ れ

「人・気」が

「爆・発」しました。

 

「そ の・後」は

「人 気・映画」

「男は つらいよ」の

「マドンナ・役」や

 

「サスペンス・

   ドラマ」等 で

「主・演」し

 

「女・優」と

「して」も

「活・躍」しました。

 

「1986・年」に

「テレビ・朝日 系」で

「放・送」が
「開 始・され」た

「ミュージック・

   ステーション」で

「関口 宏」

(「初・代」)

 

タモリ

(「二・代 目」) と

「共・に」

 

「パートナー」と

   し て

「司 会・進行 役」を

「務・め」ました。

 

「1,987・年」に
「同・番組」を

「降 板・後」は

「主・に」

 

「ドラマ・出演」等 で

「女・優」

   と、して

「活・躍」しました。

 

「2,000・年」に

「芸 能・界」を
「引・退」しました。

 

「私・生活」で は

「現・在」

「63・歳」

   です が

 

「独・身」を

「貫い・て」

「来・て」

 

「函 館」で

「姉・夫婦」と

「暮 ら・して」
「い る」そうです。

 

 

「中原 理恵」

「東京 ららばい」

「作・詞」:「松本 隆」

「作・曲」:「筒美 京平」

 

午前三時 の 東京湾 (「ベイ」) は

港の 店の ライトで 揺れる

誘う あなた は 奥の カウンター

まるで 人生 飲み干す よう に

苦い 瞳 を して ブランデー あけ た

(「にがい め」)

名前 は? そう、仇名 なら ある わ

                       (「あだな」)

生まれ は? もう、とうに 忘れた の

ねんねん ころり

寝ころんで 眠り ましょう か

東京 ララバイ 地下 が ある 

ビル が ある 星 に 手が 届く けど

東京 ララバイ ふれ合う 愛が ない 

だから 朝 まで

ないもの ねだり の 子守唄

 

午前六時 の 山手通り

シャワー の 水で 涙を 洗う

鏡の 私 二重 映し に

        (「にじゅう うつし」)

レース の 服の 少女 が 映る

                               (「うつる」)

愛 を うばった 二年 が 映る

愛した? そう、

数知れない わね

別れた? そう、

慣れっこ みたい よ

ねんねん ころり 寝ころん で

眠り ましょう か

東京 ララバイ 夢が ない 

明日が ない  

人生 は もどれ ない

東京 ララバイ あなた も

ついて いない 

だから お互い

ないもの ねだり の 子守唄

 

孤独 さ    そう、みんな 同じ よ

送る よ いい、車 を 拾う わ

ねんねん ころり 寝ころん で

眠り ましょう か

東京 ララバイ 部屋 が ある 

窓 が ある 

タワー も 見える けど

東京 ララバイ 倖せ 見え ない 

                 (「しあわせ」)

だから 死ぬ まで

ないもの ねだり の 子守唄

 

 

※「我田・引水」

  (「がでん・いんすい」)

 

「我田・引水」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「我・儘」で

(「わが・まま」)

「他人 の・事」は

「考 え・ず」に

 

「私 利・私欲」の

(「し り・しよく」)

「為」に

「行 動・したり」


「自・分」に

「都合 の・良い」

「理屈 を・こねる」

   と、いう

 

「意・味」だ

   そうです。

 

「我田・引水」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

「昔」は

「雨 の・少ない」

「夏 の・時期」

   に は

 

「皆」が

「少 し・でも」

「多・く」

「自分 の・田」に

 

「水を・引こう」と

「水・争い」が

「起・き」ました。

 

「水・争い」が

「起 き・ない」
「様」に

「中立 的・立場」の

 

「代 表・者」が

「責任 を・持って」

「水・配り」を

「す る・こと」に

 

「成っ・て」
「い ま・した」が

「何・と」

 

「そ の・責任者」が

「自分 の・田」に

「多・く」

「水 が・入る」様 に

 

「操 作・した」

「事」が

「由・来」だ

   そうです。

 

「我田・引水」の

「代表・的」な

「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「彼 の・考え方」や

 「行・動」は

 「自 己・中心的」な

 「我田・引水」で

 

 「そ の・せい」で

 「部・下」は

 「大き・な」
 「迷・惑」を

 

 「被っ・て」いる。
 (「こうむっ・て」)

 

・「職 権・濫用」の

 (「しょっ けん・らんよう」)

 「我田・引水」で

 

 「本・来」
 「皆」で

 「使 う・べき」
 「経・費」を

 

 「上・司」は

 「一・人」で

 「使 い・果たし」て

    しまった。

 

「我田・引水」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

・「自 分・勝手」
   (「じぶん・かって」)

 「我・儘」で

 「他・人」の

 「事」は

 「考 え・ず」に

 

 「自分 の・都合」
   「だ け」を

 「考 え・る」

    と、いう

 

 「意・味」だ

    そうです。

 

「我田・引水」の
「対義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「利 他・主義」

   (「り た・しゅぎ」)

 

 「利 己・主義」の
 (「り こ・しゅぎ」)

 「対 義・語」で

 

 「自・分」を

 「犠牲 に・して」

 「他・人」の

 「為」に

 

 「行 動・する」
    と、いう

 「意・味」だ

    そうです。

 

 

「太田 裕美」は

(「おおた ひろみ」)

 

「最後の わがまま

   贈りもの を ねだる わ」の

「歌詞 が・ある」

 

「木綿 の ハンカチーフ」

(「もめん」)

   と、いう

「歌 を・歌い」ました。

 

「木綿 の・ハンカチーフ」は

「数・百円」で

「手 に・入り」

「ねだ る・事」は

 

「ない もの・ねだり」

   で は

「有・り」ません。

 

「偶・燃」に も

「作・詞」「作・曲」は

「東京 ららばい」と

「同 じ・コンビ」です。

 

「1,975・年」に

「リリース」

   し た

「4 th・シングル」で

 

「大 ヒット・曲」に

「成・り」ました。

 

「太田 裕美」は

「1,955 年・生まれ」で

「東京 都・荒川 区」

「出・身」の

 

「歌・手」

「シンガーソング

   ライター」です。

 

「小 学・3 年生」の

「時」に

「家 庭・教師」を

「迎・え」て

「ピアノ」を

「習 い・始め」

「小学・生」の

「時」は

「コーラス・部」に

「所・属」しました。

 

「1,967・年」に

「私・立」

「上野 学園・中学」

「音 声・指導 科」

 

「声 楽・科」に

「進・学」しました。

 

「中 学・3 年生」の

「時」に

「友・人」の

「代 わ・り」に

 

「スクール・メイツ」の

「オーディション」を

「受・け」て

「合・格」し

 

「学校 に・内緒」で

「タレント・養成所」

「東京 音楽・学院」に

「入・学」しました。

 

「1,974・年」に
「リリース」し た

「ファースト・シングル」

「雨 だれ」を

 

「ピアノ」

「弾 き・語り」で

「歌・唱」し て

「デビュー」し

 

「同・曲」で

「レコード・大賞・
   新人 賞」を

「受・賞」しました。

 

「代表・曲」に

 

「木綿の ハンカチーフ」

「さらば シベリア鉄道

「赤い ハイヒール」等 が

「有・り」ます。

 

「1,975・年」に

「リリース」

   し た

「4 th・シングル」

 

「木綿 のハンカチーフ」が

「87・万枚」を

「売 り・上げ」

オリコン・4 位」で

 

「自・身」

「最・大」の

「ヒット・曲」に

   し て

 

「代 表・曲」に

「成・り」

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。


「当・時」は

「アイドル・歌手」の

「様」な

「扱い を・受け」

 

「学 園・祭」に

「多 数・出演」し

「学園・祭」の

「女・王」の

 

「異・名」を

「取・り」ました。

 

「木綿の ハンカチーフ」は

「現・在」で も

「幅広 い・世 代」の

「人・達」か ら

 

「深 い・愛着」と

「思 い・入れ」を

「寄 せ・られ」

 

「多・く」の

「ファン」に

「愛・され」て

「い る」そうです。

 

「1,982・年」に

「歌 手・活動」を

「一 時・休業」し

「ニューヨーク」に

 

「8 ヶ月・間」

「単 身・留学」

   しました。

 

「現・在」

「66・歳」

   です が

 

「2,020・年」に は

「20 回・以上」の

「ライブ」に

「参 加・する」等

「現役 と・して」

「第・一線」で

「活 躍・して」
「い る」そうです。

 

「私・生活」で は

 

「1,985・年」

「30 歳の・時」に

「1 歳・年上」で

「実 業・家」

 

「音・楽」

「プロヂューサー」の

「福岡 智彦」と

「結・婚」しました。

 

「1,989・年」に

「長・女」が

 

「1,991・年」に

「二・女」が

「誕・生」しました。

 

「紅白・歌合戦」に は

 

「1,976・年」の

「木綿の ハンカチーフ」〜

「1,980・年」の

「南 風・SOUTH WIND」ま で

 

「5 年・連続」で

「出・場」しました。

 

 

「太田 裕美」

「木綿 の ハンカチーフ」

「作・詞」:「松本 隆」

「作・曲」:「筒美 京平」

 

恋人 よ ぼく は 旅立つ

東へ と 向かう 列車 で

はなやいだ 街 で 

君 への 贈りもの

探す 探す つもり だ

いいえ あなた 私 は

欲しい もの は ない のよ

ただ 都会 の 絵の具 に

染まら ない で 帰って

染まら ない で 帰って

 

恋人 よ 半年 が 過ぎ

逢えない が 泣かないで くれ

都会で 流行り の 

       (「はやり」)

指輪 を 送る よ

君 に 君 に 似合う はず だ

いいえ 星 の ダイヤ も

海 に 眠る 真珠 も

きっと あなた の キス ほど

きらめく はず ない もの

きらめく はず ない もの

 

恋人 よ いま も 素顔 で

くち紅 も つけない まま か

(「べに」)

見違う よう な 

スーツ 着た ぼく の

写真 写真 を 見て くれ

いいえ 草 に ねころぶ

あなた が 好きだった の

でも 木枯らし の ビル街

からだ に 気を つけて ね

からだ に 気を つけて ね

 

恋人 よ 君 を 忘れ て

変わって く 

ぼく を 許して

毎日 愉快 に 過ごす 街角

  (「ゆかい」)

ぼく は ぼく は 帰れ ない

あなた 最後 の わがまま

贈りもの を ねだる わ

ねえ 涙 拭く 木綿 の

          (「ふく」)

ハンカチーフ 下さい

ハンカチーフ 下さい

 

 

「ない もの・ねだり」を

「英・語」で

 

 「crying for the moon」と


 (「月が 欲しい と・

     泣いて いる」)

 

 「言・う」そうです。