何気なく使っている言葉の意味

「恩に・着る」

(「おんに・きる」)

 

「皆さん」は「恩に・着る」

    と、いう

「慣用・句」を「使った・事」は

「有・り」ませんか?

 

「恩に・着る」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです」

 

「恩に・着ります」は

「誤・表現」で

「恩に・着ます」が

「正しい・使い方」です。

 

「恩」とは「他人から・受ける」

「感謝すべき・行為」や

「恵・み」「情・け」と、いう

「意味が・有る」そうです。

 

「恩に・着る」とは

 

「他人・から」「恩を・受け」て

「有り・難く」(「あり・がたく」)

「思・う」と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「恩に・着る」の

「由・来」は

「特には・無い」ようです。

 

「恩に・着る」の

「代表・的」な「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「膨大な・仕事量」

       なの で

 「徹・夜」を

 「覚悟して・いた」が

 

 「あなた」が

 「手伝って・くれた」

 「お・陰」で

 「早く・終わ」った。

 

 「心」から

 「恩に・着」ます。

 

・「人と・して」

 「当然の・事」を

 「した・だけ」

        なの で

 

   「特・に」

 「恩に・着る」

   「必・要」は

 「無・い」よ。

 

● 「恩に・着るよ」
 「恩に・着ます」と

 「言われた・時」の

 「返し・言葉」は

 

 「どう いたしまして」

 「気に しないで」が

 「一般・的」に

 「使わ・れて」います。

 

● 「自・分」に「対・して」
 「あえて」「恩」を

 「感じ・させる」様 に

 「仕・向ける」事 は

 

 「恩に・着せられた」と

 「受け止め・られ」

 「逆効果に・なる」ので

 「注意が・必要」です。

 

「恩に・着る」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「かたじけ ない」

 

 「身に余る・親切」や

 「処・遇」に
 「対・して」
 「感謝に・たえない」

 

 「もったい・ない」
    と、いう

 「気持ちを・表す」

 「言・葉」だ、そうです。

 

 「目上の・人」に

 「対・して」は

 

 「かたじけなく・

  存じます」と

 

 「使・う」の が

 「一般・的」です。

 

・「かたじけ ない」と

 「言わ・れた」時 の

 「返し・文句」

   と、して は

 

●「お・礼」の

 「かたじけ ない」に

 「対し・て」は

 

 「どういたし まして」

 「とんでも ございません」

 

●「恐・縮」の

 「かたじけ ない」に

 「対し・て」は

 

 「お気になさらないで・

   ください」と

 

 「使・う」の が
 「一般・的」です。

 

「恩に・着る」の

「対義・語」を

「検索・して」も

「出て・来」ません。

 

・「有り難・迷惑/」
  (「ありがた・めいわく」)

 

 「余計な・お世話」や

 「余計な・お節介」と

 「ほ ぼ」

 「同義・語」で

 

 「他人・から」

 「受けた・親切」に

 「対・して」

 

 「あり がたい」

    と、いう

 「思・い」と

 

 「迷・惑」で

 「不・愉快」

    と、いう

 「思・い」が

 

 「同・時」に

 「混・在」し

 「どちら か」と

 「言・う」と

 

 「迷・惑」で

 「不・愉快」な

 

 「気持・ち」の

 「方」が

 

 「強・い」

       と、いう

 「意・味」です。

 

 「辺・り」が

 「妥当・な」
 「気」が、します。

 

 

「FUNKY MONKEY  BABYS」は

(「ファンキー・モンキー・

 ベイビーズ」)

 

「ありがとう」

 と、いう

「歌を・歌い」ました。

 

「2,013・年」に

「リリース」した

「21 th・シングル」で

 

オリコン・4 位」に

「成・り」ました。

 

「FUNKY MONKEY  BABYS」は

「2,004 年・元旦」に

「結成・した」

「男・性」「3人・組」の

 

「音楽・グループ」で

「全・員」が

「東京都・八王子市」

「出・身」です。

 

「グループ・名」の

「由・来」は

「それ ぞれ」が

「ソロ・活動

「して・いた」

 

「ファンキー・加藤」と

「モン・吉」が

「グループ」を

「結・成」し

 

「ファンキー・

   モンキー」と


「名付・けた」

 事 が

「由・来」です。

 

「ベイビーズ」と は

「グループ」を 

「応援 して・くれる」

「ファン」の 事で

 

「略・称」は

(「りゃく・しょう」) 

「ファン・モン」です。

 

「C・D」の

「イメージ」に

「ふさわ しい」

 

「有名・人」を

「選・び」

 

「ジャケット」の

「顔・写真」と

「プロモーション・

    ビデオ」に

 

「起用・する」

    事 が

 

「特・徴」に

「成っ・て」います。

「今・回」

「紹介・する」

「ありがとう」

   に は

 

「明石家 さんま」が

「起用・されて」います。

 

「代表・曲」に

 

「告 白」「あと ひとつ」

「ちっぽけな 勇気」

「ありがとう」等 が

「有;・リ」ます。

 

「2,006・年」に

「ファースト・シングル」

「そのまんま 東へ」で

「デビュー」しました。

 

「同・曲」は

オリコン

「77・.位」でした。

 

「2,009・年」に

「サード・アルバム」

「ファンキー・モンキー・

   ベイビー・3」が

 

「初」の

オリコン・1位」に

「成・り」ました。

 

「同・年」に

「初」の

「日本・武道館」
   で の

 

「単独・ライブ」を

「開・催」しました。

 

「日本・テレビ 系」で

「放・送」の

「ズームイン」の

 

「テーマ・ソング」

   と、なった

「11 th・シングル」

 

「ヒーロー」で

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「2,010・年」に

「ファースト」

ベスト・アルバム

 

「ファンキー・モンキー・
    ベイビーズ・BEST」を

「リリース」し

 

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2,011・年」に

「4 th・アルバム」

「ファンキー・モンキー・
   ベイビーズ・4」を

 

「リリース」し

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「2,012・年」に

「理・由」は

「不・明」

   です が

 

「2,013・年」に

「実施・予定」の

「全国・ツアー」を

「以っ・て」

 

「グループ」を
「解散・する」と

「発・表」しました。

 

「2,013 年・2 月」に

「グループ」

「結成・時」

    か ら

 

「支えて・くれ」た

「全ての・人」に

「感謝・する」
「ラスト・シングル」

 

「ありがとう」を 

「リリース」しました。

 

「同 年・3 月」に

「セカンド」

ベスト・アルバム

 

「ファンキー・モンキー・
   ベイビーズ・
   LAST BEST」を

「リリース」し

 

オリコン・1 位」に

「成・リ」ました。

 

「同 年・6 月」に

「東京・ドーム」で

「ラスト・ライブ」を

「開・催」し

 

「惜しまれ・ながら」

「グループ」を

「解・散」しました。

 

「紅白・歌合戦」には

 

「2,009・年」の

「ヒーロー」〜

「2,012・年」の

「サヨナラじゃ ない」ま で

 

「4 年・連続」で

「出・場」しました。

 

 

「FUNKY MONKEY  BABYS」

「ありがとう」

「作・詞」:「作・曲」

「FUNKY MONKEY  BABYS」


君に どうしても

聞いておきたい ことが あるんだ

ずっと 強がってた

本当の僕は もっと 臆病で

思ってた よりも 弱くて

でも 何かを してあげたくて

必死に 叫んでいた 歌声は

どれだけ 届いて いましたか?

 

何も 見えない 暗闇の 中で

君の涙に 気付けて いたかな

頼りなく 手探りを していたけど

いつだって 君だけは

僕の 光だった

 

君と 寄り添って 

いくつも 乗り越えた

悲しみの 夜を 僕は 忘れない

いつも そばにいて 

支え合えた 日々と

温かな 君の笑顔に ありがとう

 

ラララ・・・僕は 忘れない

ラララ・・・笑顔に ありがとう

 

眩しいくらいの 夢物語

(「まぶしい」) 

でも うまくは いかない事 ばかり

悔し涙を 何度も 流し

(「くやし なみだ」) 

昨日より 明日を 必死に 探し

そこにあった 君との つながり

僕を照らした 希望の 灯り

                           (「あかり」)

また続いてく 夢物語

旅は 始まった ばかり

 

もしも 離れ離れの 時が きて

もしも 未来が 不安に 染まっても

君と 手を取り 積み重ねてきた

一つの 絆 (「きずな」) だけが

僕の 光なんだ

 

眠れない 夜を 

笑い合った 日々を

君と見た 景色を 

僕は 忘れない

さりげない 言葉に 

その手の 温もりに

僕を 照らしてくれた

笑顔に ありがとう

 

いくつもの 思い出が 愛しくて

立ち止まって しまいそうに なる

それでも 僕は歩いて 行かなくちゃ

今よりも もっと 輝くため

 

きっと この涙も

笑顔に 変わってゆく

いつだって 僕らは

そう 信じていた

 

君と 寄り添って 

いくつも 乗り越えた

悲しみの 夜を 

僕は 忘れない

いつも そばにいて 

支え合えた 日々と

温かな 君の笑顔に

ありがとう

 

ラララ・・・

僕は 忘れない

ラララ・・・

笑顔に ありがとう

ラララ・・・

ずっと 忘れない

ラララ・・・

君への ありがとう

 

 

※「笠に・着る」

(「かさに・きる」)

 

「笠に・着る」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「6・割」の

「人」が

「笠に・着る」の

「意・味」を

 

「感・違い」

   して

「いる」そうです。

 

「笠に・着る」と は

「権威の・ある」

「後援・者」等 を

「頼・り」に、したり

 

「自・分」に

「保証・されて」い る
「地・位」を

「利用・して」


「威張っ・たり」

「自分・勝手」に


「振る・舞う」

    と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「笠に・着る」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

「笠」は「スゲ」や「カヤ」

「編ん・だ」(「あん・だ」)
「雨」や「雪」や「日差・し」を

「防ぐ・為」に

 

「被・る」

(「「かぶ・る」)

「物」で

 

「頭に・被る」

「笠」を

「権力・者」の

「庇・護」 (「ひ・ご」)

 

「又」は

「自・分」の

「権・威」の

「有り・様」に

 

「見立・てた」

   事 が

「笠に・着る」の

「由・来」だ、そうです。

 

「笠に・着る」の

「代表・的」な

「使用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「あの・人」は

 「自・分」の「後ろ・盾」

                  (「うしろ・だて」)

       と、なる

 

 「重・役」の

 「威・光」を

 (「い・こう」) 

 

 「笠に・着て」

 「出世・した」が

 

 「苦労・知らず」で

 「役職に・ふさわしい」

 

 「実・力」が

 「備わって・いない」
       ので

 

 「言・動」が

 「軽・薄」で

 「重・み」が「無」い。

・「彼」と は

 「同じ・立場」の

 「同僚と・して」

 

 「親し・く」

 「接して・いた」が

 

 「出身・した」

 「途・端」に

 「態度を・変え」

 

 「職・位」を

 「笠に・着て」

 「威張り・始め」た。

 

「笠に・着る」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「虎の 威を・借る狐」

  (「トラの いを・かるキツネ」)

 

 「本・来」は

 「弱い・人」が

 

 「強・い」

 「他人の・力」を

 「頼・リ」に

 

 「威・張る」

     と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「笠に・着る」の

「対義・語」を

「検索・して」も

「出て・来」ません。

・「独立・独歩」

  (「どくりつ・どっぽ」)

 

 「周囲の・雑音」に

 「左右・されず」

 「自分の・価値観」や

 「ものさし」で

 

 「世の・中」を

 「計・る」

 (「はか・る」)

 

 「少・し」

 「ひねくれ・者」で

 

 「一匹・狼」に

 「イメージ」が

 「近・い

 「言・葉」です。

 

 「辺・り」が

 「妥当・な」
 「気」が、します。

 

 

「橋 幸夫」は

(「はしゆきお」)

 

潮来 笠」

(「いたこ がさ」)

   と、いう

「歌を・歌い」ました。

 

「1,960・年」に

「リリース」した

「ファースト;・シングル」で

 

オリコン…順位」は

「有・り」ません。

 

「同・年」「同・曲」で

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「橋 幸夫」は

「1,943 年・生まれ」で

「東京都・荒川区
「出・身」の

 

「歌・手」「俳・優」

「作曲・家」です。

 

「代表・曲」に

 

潮来 笠」「雨の中の 二人」

「恋をするなら」「霧 氷」

「江梨子」「子連れ 狼」等 が

「有・り」ます。

 

「呉服・屋」の

「9 人・きょうだい」の

「末っ・子」と、して

「生ま・れ」ました。

 

「城西 大学・付属」

「中学校・ 高等学校」の

「学生・時代」は

「悪・童」で

(「あく・どう」) 

「ボクシング・部」に

「所・属」しました。

 

「心配した・母親」が

「遠藤 実」
「歌謡・教室」に

「通わ・せた」事 が

 

「歌の・世界」に

「入・る」

「キッカケ」に

「成・リ」ました。

 

「1,960・年」

「高校 在学・時」に

「ファースト・シングル」

 

潮来 笠」で

「デビュー」しました。

 

「同・曲」は

「大・ヒット」し

レコード大賞・新人賞」を

「受・賞」し

 

「紅白・歌合戦」に

「初・出場」しました。

 

「後・に」

(「のち・に」) 

「デビュー」した

 

「舟木 一夫」

「西郷 輝彦」と

「共・に」

 

「御・三家」と

(「ご・さんけ」) 

「称・され」


「アイドル・的」

「人・気」を

「集・め」ました。

 

「ちなみ」に

「後・発」の

「三田 明」を

「含め・る」と

 

「四天・王」と

(「してん・のう」) 

「呼ば・れ」ました。

 

「この・時代」に は

オリコン」は

「発足して・おらず」

 

「御三・家」の

「全盛・期」の

オリコン・順位」は

「有・り」ません。

 

「1,962・年」に

「吉永 小百合」との

「ヂュエット・曲」

 

「いつでも 夢を」が

「ミリオン・セラー」を

「記録・する」

 

「大 ヒット・曲」

   と、なり

 

「日本・レコード・大賞」を

「受・賞」しました。

 

「1,966・年」に

「84 th・シングル」

「霧 氷」(「む ひょう」) で

 

「日本・レコード・大賞」を

「受・賞」しました。

 

「大・賞」の

「2 回・受賞」は

「橋」が

「初め・て」でした。

 

「作・年」で

「61・回」を「数・える」

「日本・レコード・大賞」

   です が

 

「複数・回」の

「大・賞」

「受賞・者」は

「下・記」です。

 

「E X I L E」「4・回」

「浜崎 あゆみ」「3・回」

「A K B  48」「2・回」

「乃木坂 46」「2・回」

 

Mr. Children」「2・回」

「安室 奈美恵」「2・回」

「中森 明菜」「2・回」

「五木 ひろし」「2・回」

 

「細川 たかし」「2・回」

「橋 幸夫」「2・回」

 

「1,964・年」に

「邦・楽」に

「初め・て」


「エレキ」

サウンド」を

「導・入」した

 

「54 th・シングル」

「恋をするなら」」で

「レコード・大賞・企画賞」を

「受・賞」しました。

 

「その・後」も

「ゼッケン NO 1 スタートだ」

「涙にさよならを」

「あの娘と僕」と

 

「一・連」の

「リズム系・歌謡曲」を 

「発・表」し

 

「人気と・実力」を

「兼ね・備えた」
「若手 N O 1・歌手」と

「評・価」さ れ

 

「映・画」にも

「多・数」

「出・演」しました。

 

「1971・年」に

「115 th・シングル」

「子連れ 狼」を

「リリース」し

 

「テレビ・ドラマ」

「子連れ 狼」の

「主題・歌」と、なり

「茶の間に・浸透」し

 

「レコード・大賞・大衆賞」を

「受・賞」しました。

 

「2,000・年」に は

「テレビ・ドラマ」

水戸黄門」の

「テーマ・ソング」

 

「ああ 人生に 涙あり」を

「御・三家」で

「歌・い」ました。

 

「2,005・年」に

「橋」の

「デビュー・45 周年」を

「記・念」し

 

茨城県潮来市」の

「前川 あやめ園」に

 

「記念・碑」が

「建・立」

  (「こん・りゅう」)

   さ れ

 

潮来 笠」の

「歌・詞」が

「刻・まれ」ました。

(「きざ・まれ」) 

 

「2,019・年」に は

「大泉 洋」

「主・演」の

 

ラグビー

「テレビ・ドラマ」

ノーサイド・ゲーム」に

 

「西郷 輝彦」と

「共・に」

「出・演」しました。

 

「私・生活」と、しては

 

「1,971・年」

「28 歳 の・時」に

 

「日本・航空」

「国際・線」の

「スチュワーデス」

「だった」

 

「一般人・女性」と

「結・婚」し

「一男・一女」を

「儲・け」ました。

(「もう・け」

 

「2,017・年」

「74 歳 の・時」に

 

「結婚・生活」

「47・年」に、して

「離・婚」しました。

 

「2,018・年」

「75 歳 の・時」に

 

「18 歳・年下」の

「一般人・女性」と

「再・婚」しました。

 

「紅白・歌合戦」には

 

「1,960・年」の

潮来 笠」〜

「1,998・年」の

「いつでも 夢を」ま で

 

「通算・19 回」

「出・場」しました。

 

 

「橋 幸夫」「潮来 笠」

「作・詞」:「佐伯 孝夫」

「作・曲」:「吉田 正」

 

潮来の 伊太郎 

ちょっと 見なれば

薄情 そうな 渡り鳥

それで いいのさ 

あの 移り気な

風が 吹くまま 

西 東 (「にし ひがし」)

なのに ヨー 

なぜに 目に浮く 潮来

 

田笠の 紅緒が

(「たがさの べにお」) 

ちらつくようぢゃ

振り分け 荷物 重かろ に

わけは きくなと 

笑って みせる

粋な 単衣の

(「いきな ひとえ」) 

腕まくり

なのに ヨー 

後髪 引く 潮来

(「うしろがみ」) 

 

旅空 夜空で 

いまさら 知った

女の 胸の 底と 底

ここは 関宿

(「せきやど」) 

大利根川 へ

人に かくして 

流す 花

だって ヨー 

あの娘 (「こ」)

川下 潮来

(「かわしも」) 

 

 

「恩に・着る」を

「英・語」で

 

「I feel indebted to you

   for your kindness」

 

(「ご 親切」「恩に・着ます」) と

 

「言・う」そうです。