何気なく使っている言葉の意味

「流れ に・棹 さす」

(「ながれ に・さお さす」)

 

「皆 さん」は「流れ に・棹 さす」と、いう

「慣 用・句」を

「使っ た・事」は「有・り」ませんか?。

 

「流れ に・棹 さす」と「聞 い・て」

「も し」「流・れ」を「止 め・る」

「流 ・れ」に「逆らっ・て」「舟」の

「勢・い」を「削・ぐ」(「そ・ぐ」) 事 を

 

「連 想・した」「人」が「い る」と

「し た・なら」ば「そ れ」は

「大 き・な」「感・違い」です。

 

「おそら く」「脇・から」

「邪魔 を・する」を

「意 味・す る」

 

「水 を・さす」と

「混 同」「(こん・どう」)

「し て・いる」と

「思 わ・れ」ます。

 

「平・成」「1 8・年」に

「文 化・庁」が「実・施」し た

「統 計・調査」に「よ る」と

 

「日・本」「国・民」の

「約」「6 0 ・% 」の

「人」が

 

「言 葉 の・意 味」を

「間 違 え・て」い る

「日 本・語」の「代 表・格」な

「言・葉」だ、そうです。

 

「更・に」「2 0  % 」の「人」は

「渡 し・舟」で「川 を・渡った」

「経・験」が「無・い」せい か

 

「流れ に・棹 さす」と、いう

「言 葉・自体」を

「聞い た・事」が「無・く」

 

「意・味」が「見・当」も

「つ か・ない」と、いう

「回 答・結 果」

「だっ た」そうです。

 

「千葉 県」と「東京 都」の

「境」を「流 れ・る」

「江戸 川」を「渡・る」為  に

 

「千葉 県」「松戸 市」と

「東京 都」「葛飾 区」を

「渡 し・舟」で「結・ぶ」

「矢切り の・渡し」は

 

「1,982 年」に「細川 たかし」が

「歌っ・た」「矢切り の 渡し」が

「大・ヒット」した 事 に より

 

「全 国・的」に「有・名」な

「観 光・スポット」と、なり

「渡 し・舟」に「乗 る・為」に

 

「年・間」「2 0・万人」「以・上」の

「観 光・客」が

「訪 れ・た」(「おとずれ・た」) 事 も

「有っ・た」そうです。

 

「流れ に・棹 さす」の

「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「ただ で・さえ」「流・れ」に

「乗っ て・いる」「舟」に

「更・に」「船・頭」(「せん・どう」) が

「長 い・竿」(「さお」) を

 

「川・底」に「刺 し・て」

「舟」を「漕・げ」(「こ・げ」) ば

「スピード」が「加 速・する」と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「流れ に・棹 さす」の

「由・来」は

「下・記」だ、そうです。

 

「明治 の・文豪」「夏目 漱石」の

「代 表・作」の「一・つ」で「有・る」

「草 枕」(「くさ まくら」) の

「冒・頭」(「ぼうとう」) の

 

「次 の・一節」が

「由・来」だ、そうです。

 

「知 に 働け ば・角 が 立つ」

 (「ち に はたらけ ば・かど が たつ」)

「情 に 棹 させ ば・流さ れる」

 (「じょう に さお させ ば・ながさ れる」)

 

「知」を「優 先・させ」て

「生 き・る」と

「人 間・関係」が「悪 く・なり」

 

「情」の「おもむ く・まま」に

「生 き・る」と

「情」に「引きず ら・れ る」と、いう

「意・味」だ、そうです。

 

「流れ に・棹 さす」の
「代 表・的」な「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「仕・事」で「好・成績」を「挙・げ」

 「表・賞」され て「気 分・良く」

 「して・いた」ら

 

 「彼・女」か ら「愛」の「告・白」の

 「メール」が「届・い」た。

 

 「こん な」「流れ に・棹 さす」様 な

 「幸・運」が「重 な・り」「逆・に」

 「罰」(「ばち」) が「当た ら・ない」か

 「少・し」「怖・く」(「こわ・く」) なった。

 

・「流れ に・棹 さす」と「言・う」が

 「こう も」「順 調・に」

 「事 が・運ぶ」と は

 「夢 に・も」「思・わ」なかった。

 

「流れ に・棹 さす」の

「類義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「上げ潮 に・乗る」

 (「あげしお に・のる」)

 

 「勢・い」が「上 向 く・まま」に
 「物・事」が「順・調」に「進・む」事 や

 「充 ・実」して「行・く」と。いう

 「意・味」だ、そうです。

 

・「追風 に 帆 を・揚げる」

 (「おいて に ほ を・あげる」)

 「追 い・風」(「お い・かぜ」) に

 「帆 を・揚げ」れ ば

 「船」は「速・く」「進・む」事 から

 

 「物・事」が「思い の・まま」に

 「上手・く」「順・調」に

 「行・く」と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「流れ に・棹 さす」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「茨 の 道 を・行く」

 (「いばら の みち を・ゆく」)

 

 「難・儀」(「なん・ぎ」)で

 「厳 し・い」事 の

 「多 い・道」を「進・む」事 を

 

 「余・儀」(「よ・ぎ 」)「無・く」

 「さ れ・る 」  と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

 

「稲垣 潤一」(「いながき じゅんいち」) は

「クリスマス キャロル が 流れる 頃」の

「歌・詞」が「有・る」

 

「クリスマス キャロル の 頃 には」

   と、いう

「歌」を「歌・い」ました。

 

「1,992 年」に「リリース」し た

「2 7 th・シングル」で

オリコン・1 位」に、なりました。

 

「稲垣 潤一」は「1,953 年・生まれ」で

「宮城 県」「仙台 市」「出・身」の

「歌・手」「ミュージシャン」です。

 

「父」が「終 戦・後」「満・州」か ら

「母」の「疎 開・先」(「そ かい・さき」)

「仙台 市」に「居・住」し「稲垣」が

「誕・生」しました。

 

「中学 生」の「時」「本 格・的」に

「バンド・活動」を「始・め」

「県・立」「宮城県 工業・高校」を

「卒 業・後」「上・京」しました。

 

「横須賀」や「立川」の

「米 軍・キャンプ」で

「演・奏」を「続け た・後」

 

「1,982 年」に「ファースト・シングル」

「雨 の リグレット」で

「メジャー・デビュー」しました。

「同・曲」は「オリコン・6 5 位」でした。

 

「同・年」に「リリース」し た

「サード・シングル」

「ドラマティック・レイン」が

オリコン・8 位」に、なりました。

 

「1,986 年」の「6 th ・アルバム」

「REALIST」〜

「1,989 年」の「9 th・アルバム」

「HEAT & SOUL」ま で

 

「アルバム」「4 作・連続」で

オリコン・1 位」に、なりました。

 

「1,992 年」に「リリース」し た

「2 7 th ・シングル」

「クリスマスキャロル の 頃 には」が

 

「シングル」で は「初」の

オリコン・1 位」に、なりました。

 

「同・曲」は「170・万枚」を

「売 り・上げ」る

「ミリオン・セラー」に

「成・り」ました。

 

「現・在」「6 7・歳」です が

「テレビ」「ラジオ」「コンサート」

「イベント」等「第・一線」で

「活 躍 して・いる」そうです。

 

「私・生活」と、して は

 

「時・期」は「不・明」です が

「8 歳・年上」の「一般 人・女性」と

「結・婚」しました。

 

「妻」は「内助 の・功」で

       (「ないじょの・こう」)

「稲垣」が「デビュー・前」の

「下積 み・時代」か ら

 

「3 0  年・以上」「稲垣」を

「支 え・続け」ました が

「2,006 年」に「病・気」で

「他・界」しました。

 

「紅白・歌合戦」に は

 

「1,987 年」に「11 th ・シングル」

「思い出 の ビーチクラブ」で

 

「1・回」だ け「出・場」しました。

 

 

「稲垣 潤一」「クリスマスキャロル の 頃 には」

「作・詞」:「秋元 康」「作・曲」:「三井 誠」

 

クリスマス キャロル が 流れる 頃 には

君 と 僕 の 答え も きっと 出ている だろう

クリスマス キャロル が 流れる 頃 には

誰 を 愛してる のか 今 は 見えなく ても

 

この 手 を 少し 伸ば せば

届いて いた のに

1 mm 何か 足り ない

愛 の すれ 違い

 

お互い を わかり すぎて いて

心 が よそ見 できない のさ

 

クリスマス キャロル が 聞こえる 頃 まで

出会う 前 に 戻って もっと 自由 で いよう

クリスマス キャロル が 聞こえる 頃 まで

何 が 大切 なのか ひとり 考え たい

 

誰か が そば に いる のは

暖かい けれど

背中 を 毛布 代わり に

抱き合え ない から

 

近すぎ て 見えない 支え は

離れ て みれば わかる らしい

 

クリスマス キャロル が 流れる 頃 には

君 と 僕 の 答え も きっと 出ている だろう

クリスマス キャロル が 流れる 頃 には

誰 を 愛してる のか 今 は 見えなく ても

 

クリスマス キャロル が 流れる 頃 には

どういう 君 と 僕 に 雪 は 降る の だろうか ?

クリスマス キャロル が 流れる 頃 には

どういう 君 と 僕 に 雪 は 降る の だろうか ?

 

 

※「深い 川 は・静か に 流れる」

 (「ふかいかわ は・しずか に ながれる」)

 

「ブラジル」を「流 れ・る」

「アマゾン・川」は
「河・口」か ら「1,000・km」

「遡・上」(「そ・じょう」) し た

 

「オビドス・村」「付・近」で

「水・深」が「9 1・m」「有・り」

「世界・一」「深・い」「川・底」と

「言 われ て・い る」そうです。

 

「深い 川 は・静か に 流れる」の
「意・味」は

「下・記」だ、そうです。

 

「真」に「能・力」の「有・る」

「人」や

「思 慮 (「し りょ」) ・深い」

「人」は

 

「悠・燃」(「ゆう・ぜん」) と、して 

「やたら」に
「騒 ぎ 立て・ない」と、いう

「たとえ」だ、そうです。

 

「深い 川 は・静か に 流れる」の

「由・来」は「英・語」の

「Still water run deep」の

「日本 語・訳」

 

(「深 い・川」の「流・れ」は

「浅 い・川」の 様 に

「水・音」を「立 て・ず」

「静・か」で「有・る」)

 

(「静・か」に「流 れ・る」

「川」は「深・い」) が

「由・来」だ、そうです。

 

「深い 川 は・静か に 流れる」の

「代 表・的」な「使 用・例」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「深い 川 は・静か に 流れる」と

 「言・う」の、だか ら「寡・黙」な

                                    (「か・もく」) 

 「彼」に も「きっと」「考・え」が

 「有・る」に「違・い」ない。

 

・「深い 川 は・静か に 流れる」と

 「言・う」が

 

 「彼・女」は「いつも」

 「ドッシリ」と「構 え て・いて」

 「やたら」に は「動 ぜ・ず」

 「感 心・させ」られる。

 

「深い 川 は・静か に 流れる」の

「類 魏・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「大智 は 愚 の・如 し」

  (「だいち は ぐ の・ごと し」)

 

 「知・恵」の「有・る」「人」は

 「そ れ」を「ひけら かす」事 は

 「しない」か ら

 

 「一・見」「愚・か」に

                  (「おろ・か」) 

 「見 え・る」と、いう

 「意・味」だ、そうです。

 

「深い 川 は・静か に 流れる」の

「対 義・語」は

「下・記」だ、そうです。

 

・「鳴くネコ は・ネズミ を 捕ら ぬ」
 (「なく ねこ は・ねずみ を とら ぬ」)

 

 「口・数」の「多 い・人」に「限っ・て」

 「口 先・ばかり」 で「実 行・力」が

 「無・い」事  の

 「たとえ」だ、そうです。

 

 

CHEMISTRY」(「ケミストリー」) は

「最期 の 川」(「さいご  の かわ」) と、いう

「歌」を「歌・い」ました。

 

「2,008 年」に「リリース」し た

「5 th・アルバム」

「Face to Face」に

「収 録・され」て、います。

 

「同・アルバム」は

オリコン・3 位」に、なりました。

 

「ケミストリー」は「2,001 年」に

「結 成・され」た

 

「男 性・2 人組」(「ヂュオ」) の

「ツィン・ボーカル」

「ユニット」です。

 

「1,999 年」に「テレビ・東京」が

「企 画・した」「オーディション・番組」

ASAYAN 」で「二・人」が

「選 ば・れ」ました。

 

「二・人」の「才・能」が

「一・つ」に、なる と

「どんな」「相 乗・効果」が

「派・生」(「はせい」) する か

 

「実・験」したい と、いう

「趣・旨」(「しゅ・し」) か ら

「プロヂューサー」が

「ヂュオ」を「提・案」し

 

「英・語」で「化 学・反応」を

「意・味」す る

「ケミストリー」と

「名・付け」ました。

 

「2,001 年」に「ファースト・シングル」

「PIECE OF A DREAM」で

「メジャー・デビュー」しました。

 

「同・曲」は

オリコン・1 位」と、なり

「ミリオン・セラー」を

「記・録」しました。

 

「同・年」に「リリース」し た

「セカンド・シングル」

Point of No Return

 

「サード・シングル」

You Go Your Way」が

オリコン・1 位」と、なり

 

「デビュー」か ら「シングル」

「3・作」が「連 続・して」

オリコン・1 位」に、なりました。

 

「2,002 年」の「5 th・シングル

「FLOATIN」

「6 th ・シングル」

IT Takes Two」と

 

「2,003 年」の「8 th ・シングル」

「アシタ ヘ カエル」も

オリコン・1 位」に、なりました。

 

「2,001 年」に「リリース」し た

「ファースト・アルバム」

The Way We Are」〜

 

「2,004 年」に「リリース」し た

「サード・アルバム」

「One × One」ま で

 

「アルバム」が

「3・作」「連・続」で

オリコン・1 位」に

「成・り」ました。

 

「特・に」

「ファースト」アルバム」

「The Way Are」は

「アルバム」「売 り・上げ」

 

「歴・代」「4 2・位」と、なる

「247・万枚」を「記・録」し

「男・性」アーティスト」の

 

「デビュー・アルバム」

「売 り・上げ」

「歴・代」「1・位」を

「樹・立」しました。

 

「2,003 年」に「リリース」し た

「ファースト」「コンセプト・アルバム」

Between the Lines」と

 

「2,005 年」に「リリース」し た

「セカンド」コンセプト・アルバム」

Hot Chemistry」が

 

「連・続」で

オリコン・「1 位」に、なりました。

 

「2,006 年」に「リリース」し た

「ファースト」「ベスト・アルバム
「ALL THE BEST」が

オリコン・1 位」に、なりました。

 

「2,011 年」か ら

「川畑 要」「堂珍 嘉邦」の

「本・名で

 

「個 人・活動」を「開・始」し

「ヂュオ」と、して の

「活・動」を

「休・止」しました。

 

「2,017 年」に

「ヂュオ」と、して の

「活・動」を「再・開」し

「6 年・振り」と、なる

 

「3 5 th ・シングル」

「Windy /ユメノツヅキ」を

「リリース」しました。

 

「同・曲」は

オリコン・7 位」に、なりました。

 

「紅白・歌合戦」に は

「2,001 年」の「You Go Your Way」〜

「2,005 年」の「almost in love」ま で

 

「5 年・連続」で「出・場」しました。

 

CHEMISTRY」「最期 の 川」

「作・詞」:「秋元 康」

「作・曲」:「井上 ヨシマサ」

 

「なぜ に 空 見上げる の だろう ?

どこか で 立ち 止まる 度 (「たび」)

誰 にも 話せ ない 悲しみ を

心 が 話し かける

 

歩いて 来た 長い 道 を

ここ から 振り返れ ば

僕 が 思う より も

輝いた 日々 だと 教え られ た

 

どんな 時 も

僕 の そば で

君 が 共に 笑った

過ぎた 歳月 (「とき」) は

何か が 足り なく て・・・
でも 気づいた のは

“ 愛 こそ が すべて ” さ

 

「しあわせ だった ?」なん て

聞かない で くれ

愛しき (「いとしき」) 人

腕に 抱きしめ て

僕 が 聞き たい よ

君 が しあわせ だった か ?

終わら ない 道 は きっと ない

見送る 人

涙 拭い て (「ふい て」)

背中  見届け て・・・
僕 は 一人 きり

この 川 を 今 渡る

 

僕 が いなく なった 後 は

時々 空 見上げ て

 

君 の こと を ずっと

太陽 の 近く で 見守っ てる

 

姿 かたち

見え なく ても

きっと 君 は 感じ る

目 を 閉じれ ば

懐かしい ぬくもり

そう 孤独 を 包む

僕 は 陽射し (「ひざし」) に なる

 

どれだけ 愛して たか

思い 出して

大事 な 人

君 を 残す こと

それ が つら かった

前 へ 歩いて 欲しい

永遠 の 愛 は きっと ある

忘れ ない で

一人 じゃ ない

離れ 離れ でも

君 の その 胸 に

僕 は まだ 生きて いる

 

「しあわせ だった ?」なん て

聞かない で くれ

愛しき 人

腕 に 抱き しめ て

僕 が 聞き たい よ

君 が しあわせ だった か ?

終わら ない 道 は きっと ない

見送る 人

涙 拭い て
背中 見届 けて・・・
僕 は 一人 きり

この 川 を 今 渡る

 

何 も 悔い (「くい」) は ない

生まれ て よかった

心 から ありがとう

 

 

「流れ に・棹 さす」を「英・語」で

 

 「Go with the stream」

 

 (「流・れ」と「共」に「行・く」) と

 

 「言・う」そうです。