何気なく使っている言葉の意味

「奮闘 努力」

 

「皆さん」は「奮闘 努力」(「ふんとう どりょく」) と、いう「四字熟語」を

「使った事」は「有り」ませんか?。

 

「奮闘 努力」の「意味」は「下記」だ、そうです。

 

・「奮闘」とは「力を出して・戦う事」です。

 「努力」とは「ある・目的」の為に「力を・尽くし」て「励む事」です。

 

・「目的に・対し」「気を・奮い起こし」(「ふるいおこし」)

 「努め・励む事」(「つとめ・はげむこと」です。

 

 

「奮闘 努力」の「類義語」は「下記」だ、そうです。

 

・「獅子 奮迅」(「しし ふんじん」)

 

 (「激しい・勢い」で「物事に・対処する事」)

 

・「勇往 邁進」(「ゆうおう まいしん」)

 

 (「恐れる事・無く」「目標・目的」に「向かって」「ひたすら・前進する事 」)

 

・「不撓 不屈」(「ふとう ふくつ」)

 

 (「強い意志を・持ち」「苦労や・困難」に「くじけない事」)

 

 

「奮闘 努力」の「対義語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

・「酔生 夢死」(「すいせい むし」)

 

 (「酔生」とは「酔った様に・生きる事」

 「夢死」とは「夢の様に・儚く(「はかなく」) 死ぬ事」で「無意味に・一生を送る事」)

 

 辺りが「妥当な 気」が、します。

 

 

「渥美 清」は「奮闘努力 の 甲斐もなく」の「歌詞」が「有る」

男はつらいよ」と、いう「歌」を、歌いました。

 

「渥美 清」(「あつみ きよし」) は「1,928年・生まれ」の「俳優」「コメディアン」です。

男はつらいよ・シリーズ」で「下町育ち」の「テキ屋」で「風来坊」(「ふうらいぼう」) の

「主人公」「車 寅次郎」(「くるま とらじろう」) を「演じ」ました。

「寅 さん」と、して「広く・国民的人気」を「博した」「昭和の・名優」です。

「没・後」に「日本 政府」より「国民 栄誉賞」 を「受賞」しました。

 

「1,969年」「松竹・映画」で「男はつらいよ」が「上映」されました。

「関係者の・思惑」(おもわく」) を「超える」「大ヒット」と、なり「シリーズ・化」しました。

「渥美 清」は「フーテンの・寅」を「27・年間」「48・作」「演じ」

「ギネス・記録」に「認定」されました。

 

男はつらいよ・シリーズ」は「国民的・映画」と、して「日本中の・多くの人」から

「愛され」ました。

「テレビ・ドラマ」にも「出演・しました」が「フーテンの・寅」の「イメージ」を

「乗り越える事」は「出来」ませんでした。

 

「晩年」は「体に・無理」を「強いて」(「しいて」) の「仕事」と、なりました。

「42・作」「以降」は「病気に・なった」「渥美 清」に「配慮」し

「立って」「演じる・シーン」は「少なく」なりました。

「晩年」には「立っている事」も「ままならず」「寅さんの・トランク」を

「椅子 代わり」に「使用」して、いました。

 

「1,991年」「肝臓がんが・見つかり」「1,994年」には「肺に・転移」しました。

「医者の・忠告」を「はねのけ」「48・作」まで「主演 し続け」ました。

「1,996年」「転移性・肺がん」の、為「68・歳」で「この世を・去り」ました。

 

「没・後」「日本 政府」より「国民 栄誉賞」が「贈られ」ました。

「俳優」と、して「国民 栄誉賞を・受賞した」のは「1,984年に・没した」

「長谷川 一夫」(「はせがわ かずお」) に「次いで」「二人・目」です。

 

 

 

渥美清」「男はつらいよ」「作詞」:「星野 哲郎」「作曲」:「山本 直純」

 

<セリフ>

 

私 生まれも 育ちも 葛飾 柴又 (「かつしか しばまた」) です。

帝釈天 (「たいしゃくてん」) で  うぶ湯 (「うぶゆ」) を 使い

姓は 車 (「せいは くるま」) 名は 寅次郎 (「とらじろう」)

人 呼んで 「フーテンの・寅」と、発します

 

俺が いたんじゃ お嫁に 行けぬ

わかっちゃ いるんだ 妹よ

いつか おまえ の よろこぶ ような

偉い 兄貴 に なりたく て

奮闘 努力 の 甲斐も なく

今日も 涙の 日が 落ちる 日が 落ちる

 

ドブに 落ちて も 根のある 奴は (「やつは」)

いつかは 蓮 (「はちす」) の 花と 咲く

意地は 張って も 心の 中じゃ

泣いて いるんだ 兄さん は

目方で 男が 売れる なら  (「目方」(「めかた」) とは「重量 の事」)

こんな 苦労も

こんな 苦労も かけまい に かけまい に

 

男と ゆうもの つらい もの

顔で 笑って

顔で 笑って 腹で 泣く 腹で 泣く 

 

<セリフ>

 

とかく 西に 行きまし ても

東に 行きまし ても

土地 土地の おあ兄貴さん (「おあ にいさん」) お姐さん (「おあ ねいさん」) に

ごやっかい かけがちなる 若造 (「わかぞう」) です

以後 見苦しき 面体 (「めんてい」) お見知り おかれ まして

今日こう 万端 (「ばんたん」) ひきたって (「今から のち、あらゆる「事柄」で  引き立てる」)

よろしく おたのみ 申します

 

 

テキ屋」の「フーテンの・寅さん」には「たった 一人」だけ

「血の 繋がった」「妹」が「居ま」した。

テキ屋」とは「各地の・祭り等の 縁日」で「言葉 巧み」(「ことば たくみ」) に

「いかがわしい・品物」を「売りつける・商売」です。

 

「寅さん」は「堅気  (「かたぎ」) で・無い」「自分の・存在」が「邪魔」を、して

「妹」が「嫁に・行けない」と「思って」おり「いつも・謝って」いました。

「寅さん」は「テキ屋」ですが「義理・人情に 厚く」「正義感の・強い人」でした。

「各地を・旅し」「行き先々」で「恋に・落ちます」が「結局」「結ばれる事・無く」

「次の・旅」に「出発」しました。

 

「映画」「007・シリーズ」で「主人公」「ジェームス・ボンド」と「共演した・女優」を

「ボンド・ガール」と「呼び」「一流の・女優」への「登竜門」(「とうりゅうもん」) でした。

「寅さん」と「共演した・女優」は「マドンナ」と「呼ばれ」「一流女優・ばかり」でした。

「次回の・マドンナ」は「誰か?」「皆」が「興味 津々」(「きょうみ しんしん」) でした。

 

「パソコン」で「男はつらいよ」「歴代・48作」の「マドンナ」を「調べて」みました。

「何人かの・女優」は「何回も・共演」しています。

「皆んな」「一世を・風靡した」(「いっせいを・ふうびした」)「女優 ばかり」です。

「長くなります」が「記憶を・辿る」(「たどる」)「意味」で「48・作」を「書き」ます。

 

 

     「女優名」          「公開年」  「役名」  「役柄」

 

「第1作」「光本 幸子」(「みつもと さちこ」)「1,969年」「坪内 冬子」「御前様の 娘」

「第2作」「佐藤 オリエ」(「さとう おりえ」)「1,969年」「坪内 夏子」「音楽家

「第3作」「新珠 三千代」(「あらたま みちよ」)「1,970年」「志津」「旅館の 女主人」

「第4作」「栗原 小巻」(「くりはら こまき」)「1,970年」「宇佐美 春子」「幼稚園の 先生」

「第5作」「長山 藍子」(「ながやま あいこ」)「1,970年」「三浦 節子」「美容師」

「第6作」「若尾 文子」(「わかお あやこ」)「1,971年」「明石 夕子」「おばちゃんの 遠縁」

「第7作」「榊原 るみ」(「さかきばら るみ」)「1,971年」「太田 花子」「紡績工場 勤務」

「第8作」「池内 淳子」(「いけうち じゅんこ」)「1,971年」「六波羅 貴子」「喫茶店 経営」

「第9作」「吉永 小百合」(「よしながさゆり」)「1,972年」「高見 歌子」「OL」

「第10作」「八千草 薫」(「やちぐさ かおる」)「1,972年」「志村 千代」「美容院 経営」

「第11作」「浅丘 ルリ子」(「あさおか るりこ」「1,973年」「リリー」「旅回りの 歌手」

「第12作」「岸 恵子」(「きし けいこ」)            「1,973年」「柳 りつ子」「画家」  

「第13作」「吉永 小百合」(「よしなが さゆり」)「1,974年」「鈴木 歌子」「図書館 勤務」

「第14作」「十朱 幸代」(「とわけ ゆきよ」)       「1,974年」「木谷 涼子」「看護師」

「第15作」「浅丘 ルリ子」(「あさおか るりこ」)「1,975年」「リリー」「旅回りの 歌手」

「第16作」「樫山 文枝」(「かしやま ふみえ」)「1,975年」「筧 礼子」「大学の 考古学助手」

「第17作」「大地 貴和子」(「だいち きわこ」)「1,975年」「ぼたん」「芸者」

「第18作」「京 マチ子」(「きょう まちこ」)「1,976年」「柳生 綾」「未亡人」

「第19作」「真野 響子」(「まの きょうこ」)「1,977年」「堤 鞠子」「運送会社の 事務員」

「第20作」「藤村 志保」(「ふじむら しほ」)「1,977年」「島田 静子」「土産店 経営」

「第21作」「木の実 ナナ」(「きのみ なな」)「1,978年」「紅 菜々子」「松竹歌劇団 スター」

「第22作」「大原 麗子」(「おおはら れいこ」)「1,978年」「水野 早苗」「とらやの お手伝い」

「第23作」「桃井 かおり」(「ももい かおり」)「1,979年」「入江 ひとみ」「田園調布の お嬢様」

「第24作」「香川 京子」(「かがわ きょうこ」)「1,979年」「高井 圭子」「「翻訳家」

「第25作」「浅丘 ルリ子」(「あさおか るりこ」)「1980年」「リリー」「旅回りの 歌手」

「第26作」「伊藤 蘭」(「いとう らん」)               「1,980年」「水島 すみれ」「学生」

「第27作」「松坂 慶子」(「まつざか けいこ」)「1,981年」「浜田 ふみ」「芸者」

「第28作」「音無 美紀子」(「おとなし みきこ」)「1,981年」「倉富 光枝」「「旅館の 仲居」

「第29作」「いしだ あゆみ」(「いしだ あゆみ」)「1,982年」「かがり」「陶芸家の お手伝い」

「第30作」「田中 裕子」(「たなか ゆうこ」)       「1,982年」「小川 蛍子」「デパート 店員」

「第31作」「都 はるみ」(「みやこ はるみ」)        「1,983年」「京 はるみ」「演歌 歌手」

「第32作」「竹下 景子」(「たけした けいこ」)     「1,983年」「石橋 明子」「蓮台寺の 娘」

「第33作」「中原 理恵」(「なかはら りえ」)         「1,984年」「小暮 風子」「美容師」

「第34作」「大原 麗子」(「おおはら れいこ」)       「1,984年」「富永 ふじ子」「主婦」

「第35作」「樋口 可南子」「ひぐち かなこ」)        「1,985年」「江上 若菜」「印刷会社 勤務」

「第36作」「栗原 小巻」(「くりはら こまき」)     「1,985年」「島崎 真知子」「小学校 教諭」

「第37作」「志穂美 悦子」(「しほみ えつこ」) 「1,986年」「島崎 美保」「コンパニオン」

「第38作」「竹下 景子」「たけした けいこ」)     「1,987年」「上野 りん子」「獣医師の 娘」

「第39作」「秋吉 久美子」(「あきよし くみこ」)「1,987年」「高井 隆子」「化粧品 販売」

「第40作」「三田 佳子」(「みた よしこ」)           「1,988年」「原田 真知子」「女医」

「第41作」「竹下 景子」(「たけした けいこ」)     「1,989年」「江上 久美子」「観光 ガイド」

「第42作」「後藤 久美子」(「ごとう くみこ」)      「1,989年」「及川 泉」「学生」

「第43作」「夏木 マリ」(「なつき まり」)     「1,990年」「及川 礼子」「クラブの チーママ」
「第44作」「吉田 日出子」(「よしだ ひでこ」)  「1,991年」「聖子」「「料亭 経営」

「第45作」「風吹 ジュン」「ふぶき じゅん」)   「1,992年」「富永 蝶子」「理髪店 経営」

「第46作」「松坂 慶子」(「まつざか けいこ」)  「1,993年」「坂出 葉子」「料理店 経営」

「第47作」「かたせ 梨乃」(「かたせ りの」)     「1,994年」「宮 典子」「主婦」

「第48作」「浅丘 ルリ子」「あさおか るりこ」)「1,995年」「リリー」「旅回りの 歌手」

「全作品」「倍賞 千恵子」(「ばいしょう ちえこ」)       「寅さん」と「同じ血を・引く」

「たった 一人」の「妹」

 

「書き写し・終わり」「頭に浮かんだ・ことわざ」は

「多くの人」が「座右の・銘」(「ざゆうの・めい」) に、している「下記」です。

 

・「塵も 積もれば・山と なる」(「ちりも つもれば・やまと なる」)

 (「塵のように・小さな事」でも「積もり・積もれ」ば「山の様に・大きな事」に、なるので

 「疎かに (「おろそかに」) しては・いけない」と、いう「たとえ」)

 

・「継続は・力なり」(「けいぞくは・ちからなり」)

 (「個々の・成果」は「微々たる・物」で「有って」も「地道に・成果を 積み上げれ」ば

 「やがて」「目標を・達成出来る」事の「たとえ」)

 

・「千里の 道も・一歩 から」(「せんりの みちも・いっぽ から」)

 (「大きな・事柄」でも「一歩ずつ・着実」に「目の前の事」を「こなせ」ば

 「やがて・目標に 到達出来る」事の「たとえ」)

 

「渥美 清」は「1,969年」〜「1,989年」まで「毎年」「几帳面」(「きちょうめん」) に

「2・作」づつ「制作・し続けた事」及び

「体調を・壊した後」も「1,990年」〜「1,995年」(「逝去する・前年」) まで

「命を・削りながら」(「いのちを・けずりながら」)「毎年」「1・作」を「制作」した

「渥美 清」の「執念」(「しゅうねん」) には「頭が・下がり」ます。

 

 

※「十姉妹」(「じゅうしまつ」)

 

「皆さん」は「十姉妹」と、いう「鳥」を「知って」いますか?。

「十姉妹」は「スズメ・目」「カエデチョウ・科」に「属する」

「体長・12cm」「体重・12g」の「小鳥」です。

 

「十姉妹」は「原産は・中国」ですが「江戸時代」に「日本人の 手により・品種改良」され

「飼い鳥」(「かいどり・ペット」) と、して「飼われるよう」に、なりました。

 その為「野生」には「十姉妹」と、いう「鳥」は「存在」しません。

「十姉妹」は「飼いやすい・小鳥」と、して「知られて」います。

 

「漢字」で「十姉妹」と「書く」のは「オス」でも「メス」でも

「10人の・姉妹」(「しまい」) の様に「仲が良い」からだと「言われて」います。

「子育ても・上手」で「家族仲良く・暮らす」ので「初めて・小鳥を飼う人」には

「お勧めの・鳥」(「おすすめの・とり」) だ、そうです。

 

「母性愛が・強く」「他の鳥の・卵」も、かえします。

「色」は「白に・茶や黒」の「模様」が「基本」ですが「様々な・模様」が「有り」

「目も・楽しませて」くれます。

 

 

「天才・漫画家」と「言われ」た「赤塚 不二夫」(「あかつか ふじお」) は

「おそ松 くん」と、いう「漫画」を「書き」ました。

「1,962年」〜「1,967年」まで「少年・サンデー」で「連載」されました。

「有名な・漫画」「天才・バカボン」「以前の・作品」です。

 

「松野・家」に「生まれ」た「男の・六つ子」の「日常生活」を「書いた・漫画」です。

「六つ子」の「名前」や「由来」は「下記」です。

 

・「長男」「おそ 松」「お粗末」(「おそまつ」) が「由来」

 

・「二男」「から 松」「唐松」(「からまつ」) が「由来」

・「三男」「チョロ 松」「チョロチョロ と動く・子供の 愛称」「ちょろ 松」が「由来」

 

・「四男」「一 松」(「格子 模様の・一種」)「市松 模様」(「いちまつ もよう」) が「由来」

 

・「五男」「十四 松」「ピーチクパーチク」「あ喋りな事」より「鳥の・十姉妹」が「由来」

 

・「六男」「トド 松」「椴松」(「とどまつ」) が「由来」

 

 

「南 こうせつ と・かぐや姫」は「妹」(「いもうと」) と、いう「歌」を、歌いました。

「南 こうせつ と・かぐや姫」は「1,970年」に「結成」された

「3人・組」の「フォーク・グループ」です。

「1,971年」「青春」で「デビュー」しました。

「1,973年」「神田川」を「発売」し「160 万枚」「売り上げる・大ヒット」に、なりました。

 

「私が・大学生の 時」に「住んでいた・アパート」は「神田川」から「20m・位」しか

「離れて いません」でした。

 私は「この歌を・口ずさみながら」「銭湯」(「せんとう」) に「行き」ました。

「南 こうせつ と・かぐや姫」は「紅白・歌合戦」への「出場依頼を・辞退」しました。

 

「1,973年」「赤ちょうちん」を「リリース」し「これを・機に」「グループ・名」を

かぐや姫」に「変え」ました。

「同年」「妹」(「いもうと」) を「リリース」しました。

「1,975年」「東京 神田共立 講堂」で「行われた・解散・コンサート」を「最後」に

「解散」しました。

 

 

かぐや姫」「妹」「作詞」:「喜多 條忠」「作曲」:「南 こうせつ」

 

妹よ

ふすま 一枚 隔てて 今 (「へだてて いま」)

小さな 寝息 (「ねいき」) を たてて いる 妹よ

お前は 夜が 夜が 明ける と 雪の ような

花嫁 衣装 (「はなよめ いしょう」) を 着るの か

 

妹よ

お前は 器量が 悪い (「きりょうが わるい」) の だから

俺は ずいぶん 心配して いたんだ

あいつは 俺の友達 だから

たまには 三人 (「さんにん」) で 酒でも 飲もう や

 

妹よ

父が 死に 母が 死に お前 ひとり

お前 ひとり だけが 心の きがかり

明朝 (「あした」) お前が 出てゆく 前に

あの 味噌汁 の 作り方を 書いて ゆけ

 

妹よ

あいつは とっても いい奴 だから

どんな ことが あっても 我慢 しなさい

そして どうしても どうしても

どうしても だめだった ら

帰って おいで 妹よ・・・

 

 

「奮闘 努力」を「英語」で「言う」と

 

「dairy efforts」

 

 (「日々 努力する」)

 

 と「言う」そうです。