何気なく使っている言葉の意味

「情けは人の為ならず」

 

「皆さん」は「情けは人の為ならず」(「なさけはひとのためならず」)

という「ことわざ」を「使った事」が「有り」ませんか?。 

 

「情けは人の為ならず」は「役不足」と、共に「誤用されている言葉」の

「ツー・トップ」だ、そうです。

 

役不足」を「力不足」の「同義語」と「勘違いしている人」が「多い」そうです。

「実は」「対義語」です。

 

「A」『私は「役不足」なので「この仕事」は「務まり」ません』

「B」『私は「力不足」なので「この仕事」は「務まり」ません』

 

「重大な・仕事」を、任されそうになって「断る・場合」は「B」です。

「力不足」とは「与えられた役目」を「果たすだけの力量」が「無い事」です。

 

「A」の「役不足」だと

「自分にとって」は「仕事が軽すぎて・不満」という「意味」に、なります。

役不足」とは「力量に比べ」て「不相応に軽い事」です。

 

「この・難しい仕事」は「自分には・役不足」と「言ってしまう」と「凄い・自信家」と

「勘違いされる・恐れ」が「有り」ます。

 

 

「情けは人の為ならず」を「座右の銘」に「している人」は、「結構いる」そうです。

「そのような人」と「会話しても・大丈夫」に、なるよう

「正しい意味」を「知っておく事」を「お勧め」します。

 

「情けは人の為ならず」の、「意味」を「半数の人」が「間違った解釈をしている」との

文化庁の・統計」が「有り」ます。

「間違った解釈」とは

「情けをかける事」は「かえって・その人の為」には「ならない」と、いう「解釈」です。

 

「情けは人の為ならず」の「正しい・意味」は

 

・「人に情けをかける」と、それが「めぐりめぐって」「自分のためになる」です。

 

・「誰かに親切にしてあげる」と「その人はいつか恩返し・してくれる」です。

 

・「目先の利益ばかり考える」より「先々の事まで考える方」が

    「最終的に自分のメリット」に「なりやすい」です。

 

 

「情けは人の為ならず」の「類義語」と、しては

 

・「思えば思われる」(「自分が相手に好意的に接すれば、相手も好意的になってくれる」)

 

・「人を思うは身を思う」(「他人に情けをかければ、やがては自分の為になる」)

 

・「善因善果」(「ぜんいんぜんか・良い事をすれば、必ず良い報いが有る」)

 

・「積善の家には必ず余慶あり」(「せきぜんのいえにはかならずよけいあり」)

     (「善行を積み重ねた家は、その報いとして子孫に必ず幸福がおとずれる」)

 

 

「情けは人の為ならず」の「対義語」と、しては

 

・「悪因悪果」(「あくいんあっか・悪い行いには、必ず悪い結果や報いがある」)

 

・「情けが仇」(「なさけがあだ・同情や思いやりで、した事が、逆に相手のためにならない」)

 

・「情けも過ぐれば仇となる」(「なさけもすぐればあだとなる」)

     (「過度な親切や同情は、かえって相手にとって、迷惑となる場合がある」)

 

 

「阿部 真央」(「あべまお」) は「情けない男の唄」という「歌」を、歌いました。

 

「阿部 真央」は「1,990年・1月生まれ」の「シンガーソングライター」です。

「愛称」は「あべま」です。

 

「2,009年」「ふりぃ」で「歌手・デヴュー」しました。

「同年」「貴方の恋人になりたいのです」を「リリース」し「オリコンチャート」

「トップ10」に「入り」ました。

 

「2,015年・1月」「CORE  OF SOUL」の「飯塚 啓介」と「結婚」しました。

「同年・9月」「男児を・出産」しました。

「2,016年・3月」「離婚」しました。

 

 

「阿部 真央」「情けない男の唄」「作詞」:「阿部 真央」「作曲」:「阿部 真央」

 

好きなものだけ食べて  好きなだけ笑って

好きな唄だけ歌って  好きなだけ寝よう

 

好きな人だけ愛して  好きなだけキスして

そんな感じで生きられたら  どれだけ素敵なことでしょう

 

何をしてても考えてるんだ  あなたのこと

何にでも当てはめちゃうんだ  あなたのこと

 

大好きさ  こんなに愛しているよ

こんなに本気な俺って  すげぇ久しぶりだよ

どうしてさ?  こっち見てくんないの?

どうか気づいとくれよ  情けない男の唄に

 

何をやってもダメなんだ  つまづいちゃうよ

何をやっても上手くいかないんだ  貴方のせいだ

 

大好きさ  こんなに愛しているよ

こんなに本気な俺って  すげぇ久しぶりだよ

なんでかな?  うまく伝わらないよ

だから唄にのせるよ  情けない男の唄に

 

ハッピーエンドのラブソング  貴方とこんな風に

恋がしたいんだよ  あぁ

 

大好きさ  こんなに愛しているよ

こんな本気な俺って  すげぇ久しぶりだよ

どうしてさ?  こっち見てくんないの?

どうか気づいとくれよ  情けない男の唄に  

 

 

※「台風15号」から「4日目」(「1・9・12」」)

 

「夜・妻」から「聞かされ」私は「兄の家」が「停電のままである事」を「知り」ました。

「知らぬが仏」とは「こういう事」を「言う」の、かも「知れ」ません。 

 

  私は「病院に行く事」と「金魚の水替え・エサやり」と「ブログを書く事」と

「テレビドラマを、見る事」で「1日を・過ごして」いました。

  私は「翌日」「兄に・電話」して「何の力にもなれなかった事」を「詫び」ました。

 

「台風のあった日」「自然樹の・圃場」を、見て「兄の家には寄らず」

  そのまま「帰って」しまいました。

「その時」私には「虫の知らせ」も「聴こえず」「胸騒ぎ」も「有りません」でした。

 

「来てもらって」も「手伝ってもらえる事」は「何も無い」と「言われた」ので

「兄の家」には「行きません」でした。

「午後には」「私の・長男」が「発電機」を「設置しに行く」「予定」でした。

 

 

  私が「17歳で・高校3年生」で、あった「夏休み」に「1日・400mm」を、超える

「大雨が「降り」ました。

「地盤が緩み」「ドーンと・いう音」と、共に「実家の「東側の・山」が

「土砂崩れ」し「家が潰され」ました。

 

「幸い」に「家の・西側」に「そびえていた」「直径・50cm」を「優に超える」

「松の大木」に「支えられ」「家が・ペシャンコ」に、なる事は「避けられ」ました。

 

「家」は「30度位・傾き」「土砂」は「炊事場を「飲み込み」

「座敷」に、まで「侵入」していました。

「全ての障子」が「綺麗な波型」に「破れていた」のが「印象的」でした。

 

  あの「松の・大木」が「無かったらと・思う」と「今でも・ゾッと」します。

「その時」私は「文化放送の・ラジオ番組」「セイ・ヤング」という「深夜放送」を

「聴きながら「受験勉強」を、していました。

 

「当時」「近隣」には「予備校は・無く」「一部の裕福な家で育った人」だけが

蒸気機関車」で「都会まで出て行き」「予備校」に「通って」いました。

「もちろん」私は「予備校は行かず・独学」でした。 

 

  それでも「全・都道府県」が「一斉に実施」した「統一模擬テスト」では

  私は「私大・文系の部」で「県内・4位」の「成績」でした。

「担任」だった「青木 慶成・先生」は「大学受験」に、ついては

「太鼓判」を「押して」くれました。

 

「私と・彼女」は「授業が終わり」「学校から・駅に向かう時」には「皆んなとは違う」

「人通りの少ない・細い道」を「わざと・回り道」を、しながら「帰った事」が

「何度も・有り」ました。

「3年生」に、なると「どちらからともなく」「手を求め」手をつないで・歩って」いました。

 

「私達」が「高校・3年生」の時「行なわれた・修学旅行」(「10月」) は

「観光バス」での「奈良・京都見学」でした。

 

  私達は「修学旅行」では「皆んなと離れ」て「2人で・別行動」しようと

「約束して」いました。

  しかし「引率の・先生」「級友の・目」が「有り」「約束」は「果たせません」でした。

 

 

 

「舟木  一夫」(「ふなき かずお」) は「修学旅行」という「歌」を、歌いました。

 

「舟木  一夫」は「1,944年生まれ」の「歌手」「タレント」です。

「橋 幸夫」「西郷 輝彦」と、共に「御三家」と「呼ばれ」ました。

 

「学生服」と「八重歯」が「トレードマーク」でした。

「デヴュー・当時」は「学園ソング」と「呼ばれる」「高校生活」を「テーマ」と、する

「歌」を「多数・歌い」ました。

 

「1,963年」「高校を卒業したばかり」だった「舟木 一夫」は「母校の・学生服姿」で

「高校三年生」を「歌い」「デヴュー」しました。

「高校三年生」は「大ヒット」し「レコード大賞・新人賞」を「獲得」しました。

「学園三部作」と「言われ」た「修学旅行」「学園広場」も「大ヒット」しました。

 

「1,966年」には「絶唱」「夕笛」「初恋」が「大ヒット」し「絶唱」で

レコード大賞・歌唱賞」に「選ばれ」ました。

「舟木 一夫」の「歌唱力」は「高く・評価」され「第一人者的・存在」に、なりました。

 

「1,967年」「映画」「その人は昔」で「内藤 洋子」と、共に「主演」しました。

「伝説の・漫画」「愛と誠」は「この映画を・ヒント」に「書かれた」そうです。

「コミック界」では「有名」な「エピソード」だ、そうです。

 

「1,970年代」に、なると「多数出演」していた「歌謡映画」が廃れ(「すたれ」)

「歌手」としての「仕事」も「激減」しました。

「これを苦」に「1,970年」「1,971年」「1972年」と「3回」「自殺を図り」ましたが

  いづれも「未遂」に「終わり」ました。

 

 

「舟木 一夫」「修学旅行」「作詞」:「丘灯 至夫」「作曲」:「遠藤 実」

 

二度とかえらぬ  思いで乗せて

クラス友達  肩よせあえば

ベルが鳴る鳴る  プラットホーム

ラララ・・・

汽車はゆく  汽車はゆく

はるばると  はるばると

若いぼくらの  修学旅行

 

地図をひろげて  夢見た町を

僕のカメラで  撮した君を(「うつしたきみを」)

思い出すだろう  いついつまでも

ラララ・・・

汽車はゆく  汽車はゆく

ひとすじに  ひとすじに

若いぼくらの  修学旅行

 

霧の港に  湖畔の宿に(「こはんのやどに」)

名残り(「なごり「)つきない  手と手を振れば

あとを追うよな  小鳥の群よ(「むれよ」)

ラララ・・・

 

汽車はゆく  汽車はゆく

さようなら  さようなら

若いぼくらの  修学旅行

 

 

「情けは人の為ならず」を「英語」で「言う」と

 

「One good turn deserves another」

 

  (「一つの善行はもう一つの善行に値する」)    (「deserve」の意味」は「値する」)

 

  と「言う」そうです