何気なく使ってる言葉の意味

「臭いものには蓋をしろ」

 

「皆さん」は「臭いものには蓋をしろ」(くさいものにはふたをしろ) と、いう

「ことわざ」を「使った事」が「有り」ませんか?。

 

 

「臭いものには蓋をしろ」の「意味」は

 

・「都合の悪い事」を「外に漏れない」様に「隠して」しまう事。

 

・「失敗や悪事などの問題」を「解決しようとするのでは無く」

   「あくまでも」「一時しのぎ」で「やり過ごそう」と、する事。

 

・「面倒臭い事」は「次の人達」に「任せよう」と、する事。

 

・「テレビドラマ」に「よく出て」くる「企業の隠ぺい体質」を「意味」する事。

 

   です。

 

 

「臭いものには蓋をしろ」の「類似語」と、しては

 

・「お茶を濁す」(おちゃをにごす))

 

   「お茶」とは「抹茶の事」で「茶道の作法」を「よく知らない者」が「程よく茶を濁らせ」

   「それらしい抹茶に見える」よう「取り繕う」(とりつくろう) と、する事。

 

「いいかげん」な「その場しのぎ 」で「誤魔化し」(ごまかし) たり

「取り繕う」(とりつくろう) と、する事。

 

・「しらを切る」(しらをきる)

 

   「漢字」では「白を切る」と「書き」ます。

 

  「知って」いながら:、わざと「知らないふり」を、したり「しらばくれる」事。

 

・「屁を放って尻つぼめる」(へをひってしりつぼめる)

 

   「失敗をした後」で、「あわてて」「相手に気付かれないよう」に「失敗を隠したり」

   「ごまかしたりする」事。

 

・「姑息」(こそく)

 

   「一時しのぎの、間に合わせ」の事。

   「根本的な解決では無く」「その場しのぎに過ぎない手段」の事。

 

   辺りが「該当する」そうです。

 

 

「臭いものには蓋をしろ」の「対義語」と、しては

 

・「膿んだものは潰せ」(うんだものはつぶせ)

 

   「化膿した腫れ物」(かのうしたはれもの) は「膿( うみ) を出した方」が「治りが早い」様に

   「害になるもの」は「思い切って」「根本から取り除けば」「思いのほか良い結果が出る」事。

 

・「頭隠して尻隠さず」(あたまかくしてしりかくさず)

 

   「悪事や欠点などの一部だけを隠し」「全部を隠したつもり」で、いる事。

 

   「その場しのぎ」に「隠しても」「臭いもの」の「悪臭」は「どこからか漏れてしまう」事。

 

   「悪臭に慣れきった」「本人」は「うまく隠せた」と「思っていたとして」も

   「臭いもの」の「悪臭」は「他人」には「誤魔化せない」事。

 

・「臭いにおい」は「元から断たなきゃダメ」

    「何かのコマーシャル」で、「テレビ放映されていた」気が、します。

 

   辺りが「ふさわしい」そうです。

 

 

「森高 千里」は「臭いものにはフタをしろ」という「歌」を、歌いました。

 

「森高 千里」は「1,969年・生まれ」の「歌手」「シンガーソング・ライター」「女優」

「タレント」を「こなす」「マルチ・プレイヤー」でした。

「音楽」に「於いて」は「コスプレ衣装」で「ヴォーカル」「ギター」「ドラム」「ピアノ」他

「何でも」「こなし」ました。

 

「1,987年」「歌手」として「メジャー・デヴュー」しました。

「夫」は「俳優」の「江口 洋介」です。

 

「1,992年」に「私がオバさんになっても」が「ヒット」し「女性ファン」の

「心を掴み」ました。

「1,993年」に「渡良瀬橋」(わたらせばし)「「風に吹かれて」が「ヒット」し「新たな路線」を

「確立」しました。

 

 

「森高 千里」「臭いものにはフタをしろ」「作詞」:「森高 千里」「作曲」:「斎藤 英夫」

 

ある日突然知らない男が  私を呼びとめて

いいかロックンロールを知らなきゃ  もぐりと呼ばれるぜ

オレは10回  ストーンズ 見に行ったぜ

 

あんた一体なにがいいたいの  私をバカにして

そんな言い方平気でしていると  おじさんと呼ぶわよ

私ロックはダメなの  ストレートよ

 

話したいのはわかるけど  おじさん

昔話は苦手  本でも書いたら おじさん

 

腰をフリフリ歌って踊れば  みんな忘れちゃうわ

理屈ばかりじゃお腹が出るわよ  誰かさんみたいに

私もぐりでいいのよ  好きにするわ

 

あとは私にまかせてよ  おじさん

昔話は苦手  本でも書いてたら ねえおじさん

 

腰をフリフリ歌って踊れば  みんな忘れちゃうわ

あんた知ってるだけじゃだめなのよ  身体使わなくちゃ

ほんと理屈は得意ね  ねえおじさん

 

私もぐりでいいのよ  ねえおじさん

これがロックンロールよ  ねえおじさん  

 

 

「ブログ」「芽生える」で「麻丘 めぐみ」が「歌った」「芽生え」という「歌」に

「芽生え」という「歌詞」が無く「芽生え」を「連想させる歌詞」も「無い」と

   私は「書き」ました。

「この曲」にも「臭いものにはフタをしろ」という「歌詞」は「有り」ません。

 

「作詞」した「美人・ロック・アーティスト」である「森高 千里」が「何故」「この歌」に

「臭いものにはフタをしろ」と、いう「曲名」を「付けた」のか「考えて」見ました。

「You  tube」を「見ている」と「森高 千里」は「腰をフリフリ」しながら「リズミカル」に

「歌って」います。

 

・「ストーンズ」とは「世界のロック界」を「牽引した」「レットイットビー」(なるがまま)で

    「有名」な「イギリス」の「ロックバンド」「ザ・ビートルズ」(「ヴォーカル」は

    「ポール・マッカートニー」) の 「次世代」の「イギリス」の「ロック・バンド」

    「ザ・ローリングストーンズ」  (「ヴォーカル」は「ミック・ジャガー」) の,事です。

 

  「ビートルズ」は「優等生タイプ」だったのに対し「ローリングストーンズ」は

  「不良」を「イメージ」させる「ロック・バンド」でした。

  「ヴォーカル」の「ミック・ジャガー」は「腰をフリフリ」しながら

  「セクシー」に「歌い」ました。

 

・「おじさん」とは「常識を振りかざす」「臭い物」の「代名詞」だと「思い」ます。

 

・「ロックはダメなのストレート」とは

 

    「ウイスキー」を「飲む時」

   「ロック」とは「氷」を、入れて「薄めながら飲む」事、です。

   「ストレート」とは「水も氷も入れず「生の濃さ」(きのこさ)で「飲む」事です。

 

・「昔話」とは「「ザ・ビートルズ」の、事だと「思い」ます。

 

・「理屈は得意」とは「机上で」「口先のみでで常識論」を「唱えるだけ」で

   「身体を使わない人」「理屈屋」の  事、だと「思い」ます。

 

・「私、もぐりでいいの」とは

 

   「世界一」は「無理だけど」「日本一」を「目指している」

      と「言う意味」だと「思います。

 

・「臭いものには蓋をしろ」とは

 

    「常識的で紳士ぶった」「ビートルズ」の事など「忘れ」て

    「ちょい悪おじさん」の「ローリング・ストーンズ」の「歌」を「聴け」という「意味」だと

      私は「解釈」しました。

 

    「クソ真面目」に「現実を根本から直そう」と「シャカリキ」に「闘って」も

    「結局」は「大きな敵」に「踏み潰されて」しまいます。

    「臭いもの」に「蓋をして」「真実に目をつぶる」事も「たまには大事」だと

    「忠告している」のだと、私は「解釈」しました。

 

 

※「八重垣神社・祇園祭

 

「8月・4日」(日)〜「8月・5日」(月) に「夏祭り」が「開催され」ました。

 

「八重垣神社」を「中心」と、した「10町内」から「合計・「20数基」の「神輿」(みこし) が

「繰り出され」ます。

「笛と太鼓」の「軽快な囃子(はやし) の「リズム」に「合わせ」て「担がれる神輿」は

「上下左右」に「激し揺れ」ます。

「町内毎に」着る「半纏」(はんてん) =法被(はっぴ) が「違い」ます。

 

「この地方独特のスタイル」で「ありゃー・どした」の「威勢の良い掛け声」で

「練り歩く姿」は「見ている人の心」をも「踊らせ」ます。

「神輿の行列」に「冷水」を「浴びせ掛ける」のも「この祭り」の「特色」です。

「炎天下の中」で「重い神輿を担ぎ」「汗ビッショリ」に、なった「担ぎ手」は

「冷たい水」を「かけてくれ」と「せがみ」ます。

 

「8月・4日」(日) は

 

「それぞれ」「自分の町内」を「練り歩き」ます。

「地元の人」だけでは「重い神輿」を「担ぎ切れ」ません。

「市外」から「多くの人が集結」し「ゆかりのある町」の「神輿」を「担いで」くれます。

 

「休憩所」では「囃子連」(はやしれん)が

 

「笛」・「大太鼓」(おおど)・「小太鼓」(つけ)・「大鼓」(おおつづみ・おおかわ)

「小鼓」(こつづみ・こかわ)・「鉦」(かね・ちゃんちき) の「メンバー」で

「大漁節」「早馬鹿」(はやばか・「曲の調子」が「徐々に早くなる」) 等「10曲程度」を

「披露」(ひろう) します。

 

「夕方」から「全国でも珍しい」「女性だけで担ぐ」「女神輿」が「始まり」ます。

「各町内」から「1基づつ・計「10基」の「女神輿」が「あでやかさ」を「競い」ます。

 

「濃いめに化粧」し「色々な髪形にゆい」「髪かざり」を「付け

「半纏」「鯉口シャツ」「股引き」「足袋」を「着衣」し

雪駄」を「履いた」「女性」は「普段」より「りりしく」「美しく」見えます。

 

「女神輿」は「担ぐ人の肩の高さが揃い」「静かに担ぐ」ので「長時間」「担ぎ続ける事」が

「可能」です。

「私の妻」「義妹」(ぎまい) も「若い頃」は「自分の名前を書いた」

「提灯」(ちょうちん) を「片手」に「担いで」いました。

 

「従来」「女性」は「神輿に触れる事」も「許されていません」でした。

「何故か」「この祇園祭」は「女人禁制」(にょにんきんせい) の「旧例」が「緩和」され

「大手を振って」「女神輿」を「担げる様に」なったそうです。 

 

「従って」「遠くから」「多くの女性」が「集まり」ます。

「女性を目当て」に「チャラ男」が「ドンドン」集まります。

 

「8月・5日」(日) は

 

「10町内」から「集まった・20基以上の神輿」は「小学校に集合」します。

「儀式」を「終える」と「年番町」を「先頭」に「小学校」を「出発」します。

「その後」「延々と連なって」「市街」を「練り歩き」ながら「連合渡御」(れんごうとぎょ)

 します。

 

「今年の年番町」は「去年の9月」まで、私が「勤務していた会社」の「支店」が、ある

「西本町」でした。

「支店」からも「4人」が「参加」した、そうです。

「昔は」「会社の名前の入った」「はっぴ」を「着て」いましたが「現在では」

「町内の人達」と「同じはっぴ」を「着ている」そうです。

 

「支店のすぐ近く」に「俳優」だった「地井 武男」の「生家」が、有り」ます。

「地井 武男」は「生前」には「毎年祭りに参加」して、いました

「神輿の上に乗り」「音頭を取っていた」そうです。

   私は「自分の町内」;の、事で「手一杯」だった、ので「見た事」は「有り」ませんでした。

 

「夕刻4時過ぎ」に「年番町から次々」と「八重垣神社」に「神輿が入いり」ました。

「T字路」で「広いスペース」で「神輿をもむ」と「祭りは最高潮」に「達します。

「担ぎ手の掛け声」「神輿を取り囲む」「応援団」にも「力が入り」ます。

「見物する人垣」が「何重も」「出来」ます。

 

  そして「全ての神輿」「石段を上り」「神社の境内」に「集合」します。

「神社での儀式」が「終わる」と「それぞれの町内」に「戻り」「時間まで」

「神輿をもみ続け」ます。

 

あれは「4年前」でした。

 

「当時」私は「支店を回る仕事」を、していました。

「血圧の薬」を「飲んでいても」「楽に」「200・オーバー」する事が

「頻繁」に「有り」ました。

 

「そんな時」には「頭が」「ぼーっ」と、なり「自由に体も動かず」「真っ直ぐ歩くこと」も

「出来ず」「反対方向から歩いてくる人」と「何度もぶつかって」しまいました。

「駅の階段」の「上り下り」も「手すりに捕まらなけれ」ば「無理」でした。

 

「そんな中」「祭りの裏方」を「手伝う」ため「集合場所」の「会館」に「行き」ました。

  しかし、私は「何も手伝う事が出来ません」でした。

「皆んな」に「家に帰って休め」と「言われ」「帰って寝て」しまいました。

 

  そして「2,017・3・8」に「脳梗塞」に「罹患」して、しまいました。

「私が入院した事」は「町内中」に「あっという間」に「広まって」しまいました。

   私が「祭りに出る事」は「無理」と言うのが「皆んな」の「共通認識」でした。

脳梗塞発症前」より「元気になる事」は「あり得ない」と「考える」のが

「普通」だったと、思います。

 

「回復した事」を「知っている人」も「いるはず」ですか「祭りに出ろ」と

「積極的」に「誘う人」は「誰もいません」でした。

「祭りに出たせい」で「病気が再発」したら「誰もが」「嫌な思いをする」はずです。

 

「喪中の人」が「祭りに出る事」を「嫌われる」様に

  私も「祭りに出る事」を「嫌われている気」が、します。

 

「町内の人」と「顔を合わせ」ても「体は大丈夫ですか?」と「尋ねる人」ばかりです。

   私が「祭りに出」て「タバコ」を「吸いながら」「酒を飲んでいれ」ば

「皆んな」に「嫌な思い」を、させると「重い」ます。

 

  私は「3年間」「祭り」に「遠ざかって」います。

「お囃子」は「耳に入ってきます」が「神輿」は「見た事」が「有り」ません。

「屋台」に「買い物をしに繰り出した事」も「有り」ません。

「毎年」「千葉テレビ」で「旭・七夕祭り」と「一緒」に「特集番組」が「放映され」ますが

「見る気が起きる」か「分かり」ません。

 

  私は「若い頃」「祭りキチガイ」では「有り」ませんが「祭り大好き人間」でした。

「神輿の花形」で、ある「先棒」(さきぼう)を「担いだ事」は「有り」ませんが

「重くて」「目立たない」「後棒」を「2日間」「担ぎ切った事」が、「有り」ました。

「翌日」は「全身筋肉痛」で「歩くのも大変だった事」が「何年間」あった事を

「思い出して」います。

 

「1番印象的なの」は「後、数十分」で「祭りが」「終わってしまう時間」に、なると

「誰か」が「これまでのの掛け声」違う「明日はないぞ・ヨーイヨヤサ」と「叫ぶ」と

「皆んな」も「追随」し「最後の力をふり絞り」「神輿を担いだ事」です。

 

「1年間待ち続けた」「祭り」が「もう少しで」「終わってしまう」

「次に担げる」のは「1年後」あるいは「何かの事情」で「担げないかも知れない」

「祭り」は「華やか」ですが「祭りの終わり」には「淋しい気持ち」「複雑な気持ち」が

「湧いて」きます。

 

  そして「祭りが終わった」「翌日」には「あちこちに散らばったゴミ」を「掃除したり」

「祭り前の姿」に「復旧」します。

  そこには「むなしさ」とか「せつなさ」という「感情」が「湧き起こり」ます。

 

 

「吉田 拓郎」(よしだ たくろう)は「祭りのあと」という「歌」を、歌いました。

 

「吉田 拓郎」は「1,946年・生まれ」の「シンガーソング・ライター」

「作詞家」「作曲家」「編曲家」「音楽プロデューサー」です。

「日本」の「シンガーソング・ライター」の「草分け的存在」でした。

「マイナー」であった「「フォーク」と「ロック」を「メジャー」へ「引き上げ」ました。

 

「最初の妻」は「四角 桂子」(「よすみ けいこ「六文銭」の「ヴォーカル」)

「2番目の妻」は「浅田 美代子」(「元・アイドル歌手」「女優」「タレント」)

「現在の妻」は「森下愛子」(「女優」)

  です。

 

「1,972年」に「結婚しようよ」が「大ヒット」しました。

「当時」は「男性」も「女性と同じ位 長髪」に、するのが「ブーム」でした。

  (「僕の髪が肩までのびて君と同じようになったら約束どおり町の教会で結婚しようよ」) の

「歌詞」で「始まる歌」は「当時」「主流、」で、あった「反体制的な歌」に「飽きたりていた」

「若者」に「迎合」(げいごう) されました。

 

「同年」に「森 進一」に「提供した楽曲」(「作曲」)「襟裳岬」(えりもみさき)が

「日本・レコード大賞」を「受賞」しました。

「当時」「国民的な大イベント」で、あった「表彰式」に「吉田 拓郎」は「上下共に」

ジーンズ姿」で「登場」し「平然」と「賞」を「受け取り」ました。

「多くの関係者」から「批判が続出」し「物議を醸し」(ぶつぎをかもし) ました。

 

「かまやつ ひろし」に「提供」した「我が良き友よ」他「提供」した「多くの曲」が

「大ヒット」しました。

「1,975年」には「高額納税者・歌手部門」で「第・5位」に、なりました。

「井上 陽水」は「第・7位」でした。

「森山 良子」にも「歌ってよ夕陽の歌を」を「提供」し「以後」「9森山 良子」は

「フォークの女王」と「呼ばれ」ました。

 

「1,970年代後半」には「キャンディーズ」に「やさしい悪魔」「石野 真子」(いしの まこ)に

狼なんか怖くない」を「提供」しました。

 

「吉田 拓郎」が「歌った歌」は「自身の生き方」「恋愛経験」を「テーマ」と、した「歌」で

「当初」は「体制に迎合する軟弱な歌」と「バッシング」を「浴び」ました。

「多くの若者達」は「体制に反対する事」を「ステータス」(「社会的地位・身分」だと

「考えて」いました。

 

「百万本のバラ」「知床旅情」(しれとこりょじょう) 等、を「歌い」

「過激派・メンバー」と「獄中結婚」(ごくちゅうけっこん) した「東京大学・卒業」の「歌手」

「加藤 登紀子」は「多く」の「反戦歌」を、歌いました。

「反体制」を「唱える大学生」の「象徴的存在」でした。

 

「折しも」「連合赤軍」による「あさま山荘事件」「リンチ殺人事件」が「発生」しました。

「若者の気持ち」は「引いて」しまいました。

「若者達」は「ひたすら」「反体制」を「訴える歌」に「疑問」を「感じ始め」ました。

 

  そして「吉田 拓郎」の「歌」の様な「明るい未来」を「感じさせる歌」が「若者の間」に

「徐々に浸透して」来ました。

「人の気持ち」は「移ろいやすいもの」でした。

「吉田 拓郎」は「いつのまにか」「時代のヒーロー」と、なりました。

 

「吉田 拓郎」の「影響」を「受け」南こうせつかぐや姫」が「歌った」「神田川」の、様な

「人の持つ感情」を「素直に表現する歌」が「数多く排出」されました。

「吉田 拓郎」は

「ある意味」で「織田 信長」の様な「風雲児」(ふううんじ・「社会の変動に乗じて活躍」する

「英雄的人物」) だったのかも、しれません。

 

 

「吉田 拓郎」「祭りのあと」「作詞」:「岡本 おさみ」:「作曲」:「吉田 拓郎」

 

祭りのあとの  淋しさが

いやでもやって  くるのなら

祭りのあとの  淋しさは

たとえば 女で  まぎらわし

もう帰ろう  もう帰ってしまおう

寝静まった  街を抜けて

 

人を怨む(うらむ)も  恥ずかしく

人をほめるも  恥ずかしく

なんのために  憎む(にくむ)のか

なんの怨み(うらみ)で  憎むのか

もう眠ろう  もう  眠ってしまおう

臥待月(ふしまちづき)の  出るまでは    (臥待月」とは「8月・19日」に「昇る」「月」)

 

日々を慰安(いあん)が  吹き荒れて

帰ってゆける  場所がない

日々を 慰安が 吹き抜けて

死んでしまうに  早すぎる

もう笑おう  もう笑って しまおう

昨日の夢は  冗談だったんだと

 

祭りのあとの  淋しさは

死んだ女に  くれてやろ

祭りのあとの  淋しさは

死んだ男に  くれてやろ

もう怨むまい  もう怨むのは よそう

今宵(こよい)の酒に  酔いしれて

 

もう怨むまい  もう怨むのは よそう

今宵の酒に  酔いしれて

 

※「3連目」の「日々を慰安が吹き荒れて」は

「詩人」「吉野弘」の「詩」の「1行」を「引用」した「歌詞」です。

 

「慰安」の「意味」は

「心をなぐさめること(」「労をねぎらうこと」です。

 

 

「臭いものには蓋をしろ」を「英語」で言う」と

 

「Put a lid on it」   「lid」は「蓋」(ふた)という「意味」

 

   (「公表しないで隠しておく」)

 

   と「言う」そうです。