何気なく使っている言葉の意味

明日は明日の風が吹く

 

「皆さん」は「明日は明日の風が吹く」(あしたはあしたのかぜがふく) と、いう

「ことわざ」を「使った事」が「有り」ませんか?。

 

明日は明日の風が吹く」の「意味」は

 

・「成り行き」に「任せて生きて行く」のも「良い事」だ。

 

・「たとえ」「今日の風が強く」ても「明日の風は強い」とは「限ら」ない。

   「明日になれ」ば「違う風」が「吹く事」も、あろう。

   「分からぬ明日」を「案じて」も「始まら」ない。

 

・「日々、新しい物が生まれ」「変化の多い時代」を「過ごす現代人」は

   「今日はこうだから」「明日もこうなる」という「計算式」は「成り立たない時代」に

   「生きて」いる。

 

・「ストレス」を「溜めない」様に「自分なり」に「思考を柔軟」にしながら

   「生きて行く」のが「ベスト」である。

 

  だ、そうです。

 

 

明日は明日の風が吹く」を「座右の銘」に「している人」は「多い」そうです。

「絶え間の無い変化」に「あっさり」「飲み込まれて」しまわない様に

明日は明日の風が吹く」「精神」を「大事にしている」ようです。

 

「成り行き任せ」でも「いいじゃないか」という「考え方」は「今の時代」を「象徴」し

「自然でラクな生き方」へと「導いている」と、思います。

 

 

明日は明日の風が吹く」は「映画で使われ」た「セリフ」で「有名」に、成りました。

「映画」「風と共に去りぬ」(「Gone with the wind」) で「名女優」「ヴィヴィアン・リー」が

「扮した」「スカーレット・オハラ」(「男の主演」は「クラーク・ゲーブル」扮する

「レッド・バトラー」)  が「言った」

「Tomorrow is another day 」(明日は明日の風が吹く) で「一躍」「有名」に、成りました。

 

「映画のシーン」では「スカーレット・オハラ」が「苦境に立たされ」た「場面」で

「私には、故郷がある」「明日は、また別の日が、あるはずよ」と「物事が良い方向へ向かう」

   事を「信じ」「放たれた」「名セリフ」です。

 

「映画」では「明日は良い日になる」と「希望を持つ」「使い方」に、なっていますが

「現代の使い方」「成り行きに任せる」とは「ニュアンス」に「ズレ」を「感じ」ます。

「もっとも」「誰しも」「明日がある」と「前向き」に「考える事」は

「望ましい事」と「思い」ます。

 

 

「昔」(「1,964年・4月」〜「1,969年・4月」) 「NHK・総合テレビ」で

ひょっこりひょうたん島」という「人形劇」が「放映」されました。

「私達子供」には「大人気」でした。

 

「サンデー先生」と「5人の子供達」(「博士」「チャッピ」「ダンプ」「プリン」「テゲ」) の

「冒険物語」でした。

ドン・ガバチョ」という「大統領」も「登場」し「未来を信ずる歌」を「歌い」ました。

 

 

ドン・ガバチョ」(藤村 有弘)    「未来を信ずる歌」

 「作詞」:「井上 ひさし」「作曲」:「宇野 誠一郎」

 

やるぞレッツゴー  みておれ ガバチョ

あーやりゃ  こーなって  あーなって  こーなるでちょ

何が何でも  やりぬくでちょ

頭のちょっといい  ドン・ガバチョ  ホイ

ドンドン ガバチョで  ドン・ガバチョ  ホイ

 

今日がダメなら  明日にしまちょ

明日がダメなら  明後日 (あさって) にしまちょ

明後日がダメなら  明々後日 (しあさって) にしまちょ

どこまで行っても  明日がある  ホイ

ちょい ちょい ちょーいの  ドン・ガバチョ  ホイ

 

 

「因みに」「しあさって」の「次の日」は「弥の明後日」(「やのあさって」と「言い」ます。

「私の家の方」では「やなさって」と「言って」います。

「やのあさって」の「次の日」は「五明後日」(「ごあさって」と、言うそうです。

「ごあさって」の「次の日」は「普通」に「6日先」(「むいかさき」) で、良いそうです。

 

「一般的」に「使われている」のは「あさって」まで、です。

「あした」→「あさって」→「3日先」→「4日先」→「5日先」と、言えば

「分かり易い」と「思い」ます。

 

  私の「悪い癖」で「しつこくて」「申し訳有りません」が「過去」の「言い方」は

 

「1日前」は「昨日」「きのう」「さくじつ」

「2日前」は「一昨日」「おととい」「おとつい」

「3日前」は「一昨々日」「さきおととい」「さきおとつい」

「4日前」は「普通」に「4日前」

  と「言う」そうです。

「言葉」は「簡単な方が良い」と、思います。

 

 

明日は明日の風が吹く」の「類義語」と、しては

 

・「明日のことは明日案じよ」

     (「明日のこと」は「明日のこと」「何が起きるか分からない」ので

      「今日から心配」しても「仕方ない」と、いう事。)

 

・「明日は明日の神が守る」

     (「明日の事」を「心配しても」「どうにもならない」と、いう事。)

 

・「沈む瀬 (しずむせ ) あれば、浮かぶ瀬あり」

     (「人の運命」は「変わりやすいもの」で、今「不幸・不運」であっても

   「良い事」が「待ち受けているかも知れない」ので「クヨクヨしない」事の「たとえ」)

 

  辺りが「妥当」だ、そうです。

 

 

明日は明日の風が吹く」の「対義語」と、しては

 

・「明日食う塩辛 ( しおから ) に、今日から水を飲む」

     (「手回しが良い」様に「見えて」「実は」「無意味な事」の「たとえ」)

 

・「明日知らぬ世」(あすしらぬよ」

     (「今日は無事に過ごせた」としても「明日のこと」は「分からない」)

 

 

・「明日ありと思う心の仇桜」( あすありとおもうこころのあだざくら )

      (「明日はどうなるか分からない」という「世の中」や「人生」の「無常」を「説いた言葉」

       「仇桜」とは「取りやすい桜の花」の事で「はかないもの」の「たとえ」)

 

  辺りが「妥当」だ、そうです。 

 

 

「サイモン と ガーファンクル」は「明日に架ける橋」(「Bridge Over Troubled Water」)

  (あすにかけるはし)という「歌」を、歌いました。

「troubled  water」とは「荒波・荒れた海」が「転じて」「混乱状態」という「意味」です。

 

「サイモン & ガーファンクル」は「1,964年」に「デヴュー」し「1,970年」に

「活動停止」しました。

「フォーク」「フォーク・ロック」を「代表」する「ユニット」として「数々のヒット曲」を

「世に送り出し」「後続のアーティスト」に「多大な影響を与え」ました。

 

「女性が歌っているのでは?」と「勘違いしそうな程」「透き通るような」「ハイトーン」で

「しっとり」と「歌って」います。

「ところどころ」で「グッと力の入った男らしさ」も「感じる」「メッセージソング」です。

「尾崎 紀世彦」を「初め」「何人か」が「この曲」を「カバー」しています。

 

 

「サイモン &ガーファンクル」「作詞」:「ポール・サイモン」「作曲」「ポール・サイモン

 

「和訳」は「訳す人によって違います」「従って」「色々な訳詩」があります。

「尾崎 紀世彦」の「カバー曲」の方が「感動的な詩」かも、しれません。

 

君が疲れ果て、途方にくれて

涙さえ浮かべていたら

ボクがその涙を拭いてあげる

 

ボクは、いつも君のそばにいるから

辛いとき、友達も見つからない時

ボクが橋となって

激流の中に立ち尽くす

君を救い出してあげるよ

 

ボクが激流に身を投げ出し

橋となって、立ち尽くす

君を救い出してあげるよ

 

君が挫折し、希望を失って

一人街を彷徨い(さまよい)

つらく寂しい夕暮れを迎えた時は

ボクが君を慰めてあげるよ

 

暗闇が訪れ、苦しみに包まれた時も

ボクは、必ず君の味方だよ

 

激流に架かる橋のように

この身を投げ出してあげる

 

さあ、立ち上がって!

前に向かって歩き出すんだ!

 

暗闇が去って、輝く時が来たんだ

君の行く手には、いくつもの希望がある

みんな輝いているだろう?

 

友が必要な時は、振り返ってごらん

いつも君の後ろにボクがいる

 

激流に架かる橋のように

君の心の支えになってあげるよ

 

そう、激流に架かる橋のように

君の心の支えになってあげるよ

 

 

 

「2,019・7・22」(月)「21:00〜22:48」

 

『「ドラマBiz「リーガル・ハート〜いのちの再建弁護士〜」』「第1話」が

テレビ東京」で「放送」されました。

「現役弁護士」「村松 謙一」を「モデル」にした「テレビドラマ」です。

 

「主演」「反町 隆史」が「演じる」「村越 誠一・弁護士」は

「瀕死の会社」を「倒産させまい」と「奔走し」

『「0.01%」でも「希望がある限り」「諦めない」』「熱き弁護士」です。

 

「第1話」の「あらすじ」は

「倒産」により「自殺者」が、出たり「一家離散」する事も「珍しくない」「現実の中」

『「銀行」に「80%」の「債権放棄」』を「熱き心」で「必死に頼み」

「紆余曲折の末」「同意」させる「晴れ技」を「やってのけ」ました。

 

「企業を再建」し「企業で働く人間」と「その家族」の「命」を「守り」ました。

「第2話以降」も「同じテーマ」になると「思い」ます。

 

  私は「現役の頃」「債権放棄」を「組織決定」させるのに「両手・両足の指の数」を

「足した位の案件」で「途方もない労力を費やした」「経験」が、あったので

「非常に身近」に「感じ」られる「ドラマ」です。

 

 

「テレビドラマ」の中で「村越弁護士」は「ラクダの背を折った最後の一本の藁」と、いう

「ことわざ」を「使い」「銀行員」を「説得」しました。

 

ラクダの背を折った最後の一本のワラ」の「意味」は

 

ラクダ」は「背中」に「一杯の荷物」を「背負わされて」います。

「もう、これ以上は重くて無理」と、いう「状況の時」「一本のワラ」の、ように

「軽い物」なら「大丈夫」と「思って」「一本のワラ」を「ラクダの背中」に

「載せ(のせ)てしまった」ら「ラクダの背骨」は「折れて」しまいました。

 

「結局」は「全ての荷物」が「運べなくなってしまった」と、いう事を「表現」しています。

「限界を超えた状況」の中では「些細な事」が「大事故」を「引き起こす原因」に

「成る」と、いう「戒め」(いましめ) の「ことわざ」です。

 

「人間の心」も「一杯一杯の状況の時」「更なる負荷」を「与えられる」と

「壊れて」しまいます。

  私は「人には言えない」ような「バカな事」を、してしまった「経験」が、あります。

 

  もし「あなた」が「窮地に陥っている」のなら「恥ずる事」なく「周囲の人」に

「訴えるべき」だと

「今の私」なら「断言」できます。

 

「黙って」いても「周りの人」は「自分の状況」を「分かってくれているはずだ」という

「考え」を「持っている」と、したら「その考え方」は「間違って」います。

「言わぬことは聞こえぬ」です。

 

「家族の中」でも「言わぬことを聞こえる耳」を「持っている人」は「いない」と

 「今の 私」なら「断言」できます。

 

「自分にしか出来ない」と、いう「考え方」も「間違い」です。

「大きな声」で「SOS」を「発信」すれば「誰か」が「必ず」「助けて」くれます。

 

  そして「大事」なのは「考え方」を「変えること」だと、私は思います。

「切羽詰まった顔」を、していたら「女神も近寄り」ません。

「どうにかなるさ」=「なんとかなるさ」と「開き直る事」が「大切」だと、私は思います。

  そして「明日は明日の風が吹く」と「開き直る事」が「大切」だと、私は思います。

 

 

「坂本 九」(さかもときゅう)は「明日があるさ」という「歌」を、歌いました。

 

「坂本 九」は「1,941年12月生まれ」の「歌手」「俳優」「司会者」でした。

「愛称」は「九ちゃん」(きゅうちゃん) でした。

「妻」は「清純派女優」の「代表」と「言われて」いた「柏木 由紀子」です。

 

「坂本 九」は「1,960年」「キーが高め」で「ハスキー」な「独特の歌唱法」で

「悲しき六十才」を「歌い」「ソロ・デヴュー」しました。

「1,961年」「上を向いて歩こう」が「日本」「海外」で「大ヒット」しました。

 

「海外」では「SUKIYAKI」(すきやき)の「曲名」で「歌われ」ました。

アメリカ」で「100万枚」の「レコード売上」を「記録」し「最も権威」ある

「ヒットチャート誌」で「3週連続」で「世界一」と「掲載」されました。

 

  その後、は「国際的な活動」・「司会者」・「俳優」・「舞台俳優」・「チャリティー活動」

「福祉活動」が「中心」と、なりました。

 

「1,963年」には「見上げてごらん夜空(よる)の星を」「明日があるさ」を、歌い

「大ヒット」しました。

「1,964年」には「幸せなら手をたたこう」を「歌い」「大ヒット」しました。

「1,965年」には「涙くんさよなら」を「歌い」「大ヒット」しました。

「1,966年」には「レットキス」(「ジェンカ」)を「歌い」「大ヒット」しました。

 

「1,985年」「日本航空123便墜落事故」に「遭遇」し「死去」しました。

「享年」「44歳」でした。

「普段」「全日空」しか「乗らなかった」にも「拘らず」「満席」の為「やむを得ず」

日航」を「使った」という「運のなさ」が「坂本 九」の「宿命」だったのかも、知れません。

 

「坂本 九」の「不慮の死」は「日本音楽会」・「歌手界」・「芸能界」に、とって

「大きな損失」と、言われましたが「社会貢献」してきた「福祉界」に、とっても

「大きな損失」でした。

 

 

「坂本 九」「明日があるさ」「作詞」:「青島 幸男」「作曲」「中村 八大」

 

いつもの駅で  いつも逢う

セーラー服の  お下げ髪

もうくる頃  もうくる頃

今日も待ちぼうけ

明日がある  明日がある  明日があるさ

 

ぬれてるあの娘  コウモリへ

さそってあげよと  待っている

声かけよう  声かけよう

だまって見てる僕

明日がある  明日がある  明日があるさ

 

今日こそはと  待ちうけて

うしろ姿を  つけて行く

あの角まで  あの角まで

今日はもうヤメタ

明日がある  明日がある  明日があるさ

 

思いきって  ダイアル

ふるえる指で  回したよ

ベルがなるよ  ベルがなるよ

出るまで待てぬ僕

明日がある  明日がある  明日があるさ

 

はじめて行った  喫茶店

たった一言  好きですと

ここまで出て  ここまで出て

とうとう云えぬ (いえぬ) ボク

明日がある  明日がある  明日があるさ

 

明日がある  明日がある

若い僕には  夢かある

いつかきっと  いつかきっと

わかってくれるだろう

明日がある  明日がある  明日があるさ

 

 

明日は明日の風が吹く」を「英語」で「言う」と

 

「Tomorrow’s  wind will blow 」

 

(明日は明日の風が吹く)

 

と、言うそうです。