何気なく使っている言葉の意味

「頭は生きているうちに使え」

 

「皆さん」は「頭は生きているうちに使え」という「名言」を「使った事」が

「有り」ませんか?。

 

  私は「急に」この「名言」を「思い出し」「ネット」で「検索」しました。

  すると「驚いた事」に

「頭と◯◯◯は、生きているうちに使え」と「出て来」ました。

  私が、この「名言」を「覚えた時」には「◯◯◯」は「無かった」「気」が、します。

「◯◯◯」は「肉体」を「象徴」(しょうちょう)する「言葉」と「捉え」(とらえ)ました。

 

「◯◯◯」は「男性のみが持つ」「体の一部」の「俗語」です。

「英語」で言うと「△△△」と、言います。

「△△△」は「Peninsula」(ペニンシュラ半島)に「由来」する「言葉」だと

   私は「記憶」して、います。

 

  私が「支店を回っていた頃」「△△△」の「呼び方」は

イタリア半島」が「語源」だと「女性の役職者」に「教えて」あげました。

「その女性」は「ためらいも見せず」「ずいぶん下を向いていますね」と、答えました。

 

「ネット」に「出ている」から「大丈夫」と「調子に乗り」「書き写し」たら

  私は「セクハラ」だと、言われ「ブログ」も「強制解約」されかねません。

  私には、まだ「少しだけ」は「人を疑う気持ち」が「残って」います。

 

 

「頭と◯◯◯は、生きているうちに使え」

 

  この「名言」を「言った」のは

「一代」で「世界の・HONDA」(ホンダ)を「築き上げた」「本田 宗一郎」です。

「朝の・3分間スピーチ」で「社員を前に」「この言葉を使い」「訓示」したそうです。

 

「昔」は「セクハラ」という「概念」は無く「思う気持ち」を「ストレートな表現」で

「ぶつける事」が「出来た」様、です。

「故に」「言葉に重みがあり」「人を感動させる事」が「出来た」と、私は思います。

 

「頭」も「肉体」も「生きている時」しか「使え」ません。

「死んでしまえば」「脳みそ」は「腐って」「溶けて」しまうそうです。

「肉体」も「ただの物体」に、なってしまいます。

 

「特に」「脳」は「使えば使うほど」「強くなる」と「言われて」います、

「適切に栄養を摂取」し「血流を良く」し「新鮮な酸素」を「大量に送り込み」さえ、すれば

「脳の機能」は「ドンドン」と「ハイスペック化」するそうです。

 

「普段から」「頭も肉体もあまり使わない」で「負荷(ふか) の無い」

「温存型」の「人生を送っている人」は

「ガンガン」と「頭と肉体」に「負荷をかけて」下さい。

 

「歳をとって」「頭も肉体」も「思うように動かなくなって」しまったら

「前進」は「困難になって」しまいます。

   私は「この歳の自分」を「支えて」いるのは「気力」だと「思って」います。

 

「気力」が「無くなった」ら「考える事」も「肉体を使う事」も「億劫」(おっくう) に、なり

「蝉の抜け殻」(せみのぬけがら) の様に「魂」(たましい) の無い「単なる物体」に

「成ってしまう」「気」が、します。

 

 

「脳の構造」と「脳の機能」としては

 

※「大脳

・「大脳皮質」

   「知的活動」『「運動」や「感覚」』

・「大脳辺縁系

   「本能」「情動」「記憶」(海馬・かいば)

・「大脳基底核

    「学習」「運動調節」「筋緊張」

 

※「間脳」

・「視床

   「感覚情報を集約」

   「自律神経の中枢」

   「ホルモン分泌」(成長ホルモン等)

 

※「脳幹」

・「中脳」

   「脳神経」

   「生命活動」

・「延髄」(えんずい・「脳」と、繋がっている)

   「呼吸などの生命維持中枢」

 

※「小脳」

   「運動調節」

   「平衡感覚」

 

※「脊髄」(せきずい・「脳」と、繋がっている)

  「反射中枢」

 

 

「大脳の中」には「右脳」(うのう) と「左脳」(さのう) が有り「違った役割」を、しています。

   よく「右脳人間」又は「左脳人間」という「言い方」を、します。

 

※「右脳の役割」と、しては

 

・「喜怒哀楽(きどあいらく)等の感情を司る(つかさどる)」

・「感性を司る」

・「直感力を司る」

・「空間認識力(くうかんにんしきりょく・「自分の周囲の事」が、よく見えている) を司る」

・「イメージで物事を捉える力を司る」  

 

※「右脳の働きが活発な人の特徴」と、しては

 

・「喜怒哀楽が豊かで感動しやすい」

・「感性に長けて(たけて) いる」

・「直感が冴えている」

・「空間認識力に長けている」

・「想像力が豊かである」

・「暗記能力に長けている」

・「どちらかと言うと、女性が多く持つ能力である」

 

※「左脳」の「役割」と、しては

・「論理的・理論的思考司る」

・「計算能力・数理的推理を司る」

・「冷静沈着な判断をする能力を司る」

・「データで物事を捉える力を司る」

・「言語認識」(聞く・話す) の力を司る」

 

※「左脳の働きが活発な人の特徴」と、しては

 

・「冷静沈着・理論的思考に長けている」

・「筋道立てて考える力に長けている」

・「客観的に物事を分析する力に長けている」

・「論理的で論破(ろんぱ) が得意」

・「計算が得意」

・「几帳面な傾向が強い」

・「どちらかと言うと、男性が多く持つ能力である」

 

  が、有るそうです。

 

「右脳の働き」の「強い人」は「いわゆる」「文系」と「言われて」います。

「左脳の働き」の「強い人」は「いわゆる」「理系」と「言われて」います。

「右脳の働き」;と「左脳の働き」が「5「対」5」の人が「ベスト」だ、そうです。

 

「脳」は「鍛える事」が「可能」だ、そうです。

 

・「読書」を、する

     (「因みに」私は「20年以上」「本」も「新聞」も「読んで」いません )

 

・「1日の終わりにその日の出来事を思い出す」

 

・「睡眠をしっかりと取る」

     (「因みに」私の「睡眠時間」は「バラバラ」です)

 

・「新しい事に挑戦する」

 

・「人と、たくさん会話する」

 

・「ランニングをする」

     (「因みに」私は「ランニング」どころか「早足」も、「できません) 

     ( 「身体を鍛えよう」という「気」も、有りません)

 

・「行った事がない所に行く」

 

・「利き手と逆の手で生活する」

     (「因みに」私は、やった事が、有りません)

 

「頭を使う」の「類似語」と、しては

 

・「工夫する」

・「知恵を絞る」

・「上手い方法を何とか考える」

・「創意工夫を加える」

・「策をこらす」

・「考えをめぐらす」

・「心を砕く」

・「深く気を配る」

・「苦心する」

・「腐心する」(ふしんする)

 

「頭を使う」の「対義語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

・「考え無しに」

・「何も考えずに」

・「無計画な」

・「後先を考えない」

・「場当たり的な」

・「行き当たりばったり」

・「むやみやたらと」

・「考慮の足りない」

・「配慮の足りない」

・「向こう見ず」

・「無謀」

 

    辺りが「妥当」な「気」が、します。

 

 

 

「石川 さゆり」は「能登半島」という「歌」を、歌いました。

能登半島」は「イタリア半島」と「真逆」に「上に向いて突き出て」います。

 

「石川 さゆり」は「1,958年・1月生まれ」の「演歌歌手」「女優」です。

「1,973年」「15歳の時」「アイドル歌手」として「デヴュー」しました。

  しかし「花の中3トリオ」(「山口 百恵」「桜田 淳子」「森 昌子」) の「陰に隠れ」

「大きな人気」を「獲得する」には「至りません」でした。

 

「1,977年」「津軽海峡冬景色」で「大ブレイク」しました。

「第19・日本レコード大賞・歌唱賞」他「数々の「音楽賞」を「受賞」しました。

「第28回・紅白歌合戦」にも「初出場」しました。

  私も「酔った勢い」で、「歌った事」が、有ります。

 

  その後も「能登半島」「暖流」「沈丁花」(じんちょうげ)「波止場しぐれ」「天城越え

夫婦善哉」(めおとぜんざい)「滝の白糸」「風の盆恋歌」(かぜのぼんこいうた) など

「次々と」「ヒット曲」を「世に送り出し」「日本を代表」する

「女性・演歌歌手」の「1人」と、なりました。

紅白歌合戦」には「女性歌手」としては「史上最多」の「49回・出場」して、います。

 

「2,018年・3月」「芸術選奨(げいじゅつせんしょう)文部科学大臣賞」を「受賞」しました。

「2019年・5月」「日本政府」より「紫綬褒章」(しじゅほうしょう)を「受賞」しました。

 

 

「石川 さゆり」「能登半島」「作詞」:「阿久 悠」「作曲」:「三木 たかし」

 

夜明け間近 (よあけまぢか) 北の海は波も荒く

心細い旅の女 泣かせるよう

ほつれ髪を指に巻いて 溜息「ためいき)つき

通り過ぎる景色ばかり 見つめていた

十九なかばの 恋知らず

十九なかばで 恋を知り

あなた あなたたずねて 行く旅は

夏から秋への 能登半島

 

ここにいると 旅の葉書 もらった時

胸の奥で何か急に はじけたよう

一夜だけの旅の支度 すぐにつくり

熱い胸にとびこみたい 私だった

十九なかばの 恋知らず

十九なかばで 恋を知り

すべて すべて 投げ出し 駆けつける (かけつける)

夏から秋への 能登半島

 

あなた あなた たずねて 行く旅は

夏から秋への 能登半島

 

 

「昔」「ボボ・ブラジル」と言う「アメリカ合衆国*」出身の「プロレスラー」が、いました。

「黒い魔人」(くろいまじん)と言われ「20世紀を代表する」「黒人レスラー」でした。

「リング・ネーム」の「ブラジル」は「当時」「人種差別の強かった・アメリカ合衆国」を

「離れ」「人種差別のないブラジル国」に「行きたい」という「意味」で、名付けたそうです。

 

「1,924年生まれ」で「身長」「195cm」「体重」「127kg」と

「均整の取れた」「体躯」(たいく)でした。

 

「1,957年」「初来日」し「日本プロレス」と「全日本プロレス」で「闘う為」「通算15回」

「来日」しました。

 

「当時」私は「3歳」で「白黒テレビ」が「普及し始めた時期」でした。

「テレビの有る家」は「部落」でも「数軒しか」有りませんでした。

「何故か」「私の祖父母の家」には「テレビ」が、有りました。

 

「プロレス中継」の「時間」になると「近所の人達」が「集まって」来ました。

「1番の好カード」は「力道山」対「ボボ・ブラジル」でした。

「相撲力士」で「関脇まで務めた」「力道山」の「必殺技」は「張り手」を「イメージ」させる

「空手チョップ」でした。

 

力道山」は「朝鮮人」で「あることを理由?」に「大関への昇進」を「阻まれ」「失意し」

「相撲界」を、見限り「プロレス界」に「転身」しました。

 

「転身後」「日本プロレス」を「設立」し「全国民のヒーロー」と、なりました。

「皆」「プロレス」を「ストーリーの有るショー」と「感じつつも」「力道山」を

「応援」しました。

 

ボボ・ブラジル」の「必殺技」は「長身から繰り出される」

ココバット」・「アイアン・ヘッドバット」と、言われた「頭突き」でした。

「派手な技」では、有りませんでしたが「技を食うと」「お互いに」「マット」に

「ひっくり返り」「のたうち回り」ました。

 

  今、思うと「ボボ・ブラジル」も「ある意味」で「生きているうちに頭を使った一人」

  だったのかも、知れません。

「固い頭蓋骨」(かたいずがいこつ) に「鍛え上げる」には

「想像を絶する努力」が、有ったはずです。

 

「祭り」で「神輿を担ぐのが好きな人」には「神輿だこ」が「出来」ます。

「神輿だこ」の「成分」は「関節液」です。

ボボ・ブラジル」の「前頭」には「たこ」は、有りませんでした。

「ヒョットして」「固い頭」は「持って生まれた」「闘いの武器」だったのかも、知れません。

 

「1,963年12月」「力道山」は「住吉会一家」の「暴力団員」「村田 勝志」と

「足を踏んだ、踏まない」で「喧嘩」となり「登山ナイフ」で「ナイフの根元」まで 

「届く程深く刺され」ました。

「直接の死因」には「成りません」でしたが「この傷が原因」で「同月」死亡」しました。

「享年・40歳」でした。

 

力道山亡き後」は「読売・ジャイアンツ」に「ピッチャー」として「入団」するも

「不慮の事故」で「退団」を「余儀なくされた」「身長」「209cm」「体重」「135kg」の

ジャイアント・馬場」が「プロレス界」を「牽引」(けんいん)しました。

 

ボボ・ブラジル」は「ジャイアント・馬場」そして「次世代のエース」となった

アントニオ猪木」とも「頭突き1本やり」で「闘い」ました。

アメリカ」でも「レジェンド」として「1,990年代初頭」まで「マット」に「上がり」ました。

「1,998年・1月」「脳梗塞」により「死去」しました。

「享年・73歳」でした。

 

「他に」この「時代」に「印象が強い」「外国人レスラー」と、しては

 

・「反則技」の「噛みつき男」「フレッド・ブラッシー

・「鉄の爪を持つ男」「フリッツ・フォン・エリック」

・「バック・ドロップ」が「武器」の「鉄人」「ルー・テーズ

・「呪術師」(じゅじゅつし)の「異名」を「持つ男」「アブドーラ・ザ・ブッチャー

 

    辺りが、「脳裏」に「浮かび」ます。

 

 

「太陽の光」が、無いと「光合成」が「出来」ず「自然薯は「育ち」ません。

「太陽の光」が、無いと「水温が上がらず」「食欲が活性化」しない為

「金魚」も「成長」しません。

 

「今、願う事」は「太陽の女神」(たいようのじょしん)と、呼ばれる

天照大神」「あまてらすおおみかみ)が「機嫌」を直し「天岩戸」(あまのいわと)から出て来て

「地上」に「真っ赤な太陽」の「光」を「注いでくれる事」です。

 

 

「美空 ひばり」は「真っ赤な太陽」という「歌」を、歌いました。

 

「私達の年代の人達」は「美空 ひばり」の「名前」を「聞くだけ」で

「背筋がピーン」と「伸びる」のでは、ないでしょうか?。

  それほど「偉大な歌手」でした。

 

「美空 ひばり」は「1,937年5月生まれ」の「歌手」「女優」でした。

「12歳」で「歌手デヴュー」し「天才少女歌手」と「謳われ」(うたわれ)

「自他共に」「歌謡界の女王」と/「認められる存在」に、成りました。

「女性」として「史上初」の「国民栄誉賞」を「受賞」しました。

 

「身長」「147cm」と「小柄」ながら「テレビ」で「見る姿」は

「ズット大きく見え」ました。

「愛称」は「お嬢」(おじょう) でした。

 

「敗戦まもない」「1,946年」に「9歳の時」「NHK・素人のど自慢」に「出場」し

「予選」で「リンゴの唄」を「歌い」ました。

「聞いていた人」は「誰も」が「合格」を「確信」しました。

  しかし「鐘は」「鳴りません」でした。

 

「歌はプロより上手い」が「子供が大人の恋愛の歌」を「歌う」のは、けしからん」

「真っ赤なドレス」も「良くない」と

「本質」(のど自慢) と「関係ない」「理不尽な評価」で「若い芽を摘む」ように

「古賀 政男」を含む「審査員」は「不合格」と、しました。

 

「1,949年」「12歳の時」「悲しき口笛」で「主演女優」を「果たし」「同主題歌」も

「当時、史上最高の売り上げ」を「記録」しました。

「1952年」「15歳の時」「主演した映画の主題曲」となった「リンゴ追分」が

「自身が持つ記録」を「更新する「ヒット曲」と、成りました。

 

「美空 ひばり」は「歌手」として「有名」ですが「150本を超える映画」に

「主演女優」として「出演」した「大女優である事」は「あまり知られて」いないと、思います。

「映画」で「美空ひばり」と「共演する事」が「大スターへの登竜門」でした。

 

「1,954年」「17歳の時」「ひばりのマドロスさん」で

NHK紅白歌合戦」に「初出場」しました。

「1,960年」「哀愁波止場」で「第2回・日本レコード大賞・歌唱賞」を「受賞」し

「歌謡界の女王」の「異名」を、取りました。

 

「1,962年」「25歳の時l「美空 ひばり」の「アタック」により「小林 旭」と「結婚」しました。

「間を取り持った」のは「美空 ひばり」の「父親代わり」と「名乗っていた」

暴力団」「山口組・2代目組長」でした。

「現代では」「マル暴」と「接触」が有るだけで「芸能界」を「永久追放」されるでしょう。

 

「小林 旭」は「いわば」「愛情の無い」まま「結婚させられ」ました。

「当然のよう」に「2年余り」で、「離婚」年」しました。 

美空ひばり」は「一生懸命尽くしました」が「気持ち」が「伝わらなかった」そうです。

 

「1,970年」には「史上初」となる「紅組司会者」と「歌の・大トリ」を「務め」ました。

「美空 ひばり」は「NHK紅白歌合戦」に「第5回」・「第8回〜23回」まで「17回連続」

「計・18回」出場」しました。

 

美空ひばり」は「1,985年」「48歳の時」「体調不良を訴え」「3ヶ月間」「入院」しました。

「病名」は「重度の慢性肝炎」及び

「突発性大腿骨壊死症」(とっぱつせいだいたいこつえししょう・「大腿骨」(だいたいこつ)の

「骨組織」が「壊死」(えし・「体の組織の一部が死んでいく事」)でした。

 

 「元号」が「昭和」から「平成」に「変わった」「1,989年」「51歳の時」

「美空 ひばり」は「川の流れのように」という

「生涯最後」の「シングル」を「発表」しました。

 

  私は「You Tube」で「歌」を「聞き」ました」

「この歌」に対する、私の「感想」を「書かせてもらい」ます。

「私」とは「美空 ひばり」の事です。

 

  私は「時が経つ」のも「気付か無かった程」「がむしゃら」に「苦難に遭遇しながら」

「前だけを見つめて」「長い道のり」を「歩き続け」・「生きて」来ました。

 

  私は「死が近づいている」のを「悟り」「これまでの人生」を「振り返って」見ました。

「目的」も「目標」も「わからないまま」に「周囲の期待」や

「時代の流れ」に「翻弄」(ほんろう)されて」きた「私の人生」でした。

「皆さん」にも「色々な試練」が「待ち受けているかも「知れません」が

「いつか必ず良い事があるはず」なので「希望を捨てず」に「頑張って下さい」

 

  私は「流れ」が「ゆったり」とした「広い川」を「小さな舟に乗り」「下り」(くだり)ます。

「大きな海」に「たどり着く頃」には「私の命」は「絶えている」でしょう。

「私は」「海の藻屑」(うみのもくず) と、なるでしょう。

 

「そんな意味」を「込めて」「美空 ひばり」は「川の流れのように」を

「歌っていた」ような「気」が、します。

 

 

「1,989・6・24」「美空 ひばり」は「呼吸不全」の為「逝去」しました。

「享年」「53歳」でした。

「同年・7・22」に「青山葬儀場」で、行われた「葬儀」には「4万2千人」が「弔問」しました。

「美空 ひばり」を「慕った・歌手仲間達」は「川の流れのように」を、歌い

「墓前」(ぼぜん) に「捧げ」(ささげ) ました。

 

 

「美空 ひばり」「真っ赤な太陽」「作詞」:「吉岡 治」「作曲」:「原 信夫」

 

まっかに燃えた  太陽だから

真夏の海は  恋の季節なの

渚をはしる  ふたりの髪に

せつなくなびく  甘い潮風よ

激しい 愛に灼けた(やけた)  素肌は

燃える  こころの  恋のときめき

忘れず  残すため

まっかに燃えた  太陽だから

真夏の海は  恋の季節なの

 

いつかは沈む  太陽だから

涙にぬれた  恋の季節なの

渚にきえた  ふたりの恋に

砕ける(くだける)波が  白く目にしみる

くちづけかわし  永遠(とわ)を誓った

愛の孤独  海にながして

激しく  身をまかす

いつかは沈む  太陽だから

涙にぬれた  恋の季節なの

恋の季節なの  恋の季節なの

恋の季節なの  恋の季節なの  

 

 

「頭は生きているうちに使え}を「英語」で

 

「Use your head while you’re alive」

 

   (頭は生きているうちに使え)

 

   と、言うそうです。