何気なく使っている言葉の意味

「人事を尽くして天命を待つ」

 

「皆さん」は「人事を尽くして天命を待つ」と言う「ことわざ」を

「使った事」は、有りませんか?。

「この言葉」を「座右の銘」に「している人」は「多い」そうです。

 

「人事を尽くして天命を待つ」の、意味は

 

『どのような「結果になっても後悔しない程」やるべきことは、やり尽くした」』ので

「心を静か」にして「運をください」と「神に祈る事」

 です。

 

「人事」とは『人間の「出来る範囲」の事柄』という「意味」です。

「天命」とは『天から与えられた「使命」・

『天から与えられた「運命」』と、いう「意味」です。

 

「使命」とは「この世に生まれてきて、果たすべき役割」という「意味」です。

「運命」とは『「人の意思」を超えて、身の上に起きる「めぐり合わせ」』という

「意味」です。

 

   いずれにしても「天命」とは『「自分の意思」では、どうすることもできない、

「見えない大きな力」によって「定められている」』という「意味」です。

「但し」「運命」は「宿命」と違い「努力により変えられる」と、言われています。

 

「人事を尽くして天命を待つ」は「中国」の「読史官見」(とくしかんけん)という

「書物が出展」の「故事」だそうです。

 

「人事を尽くして天命に聴す」(てんめいにまかす)「即ち」

『全てを「やり切った」のだから「後は天命に」任す』が

「語源」となった、そうです。

「日本」で「四字熟語」として「書く場合」は「人事天命」と、書くそうです。

 

「人事を尽くして天命を待つ」の「類義語」と、しては

 

・「天は自ら助くる者を助く」が、あります。

   「イギリス」の「作家・医師」「サミュエル・スマイルズ」が

  「著書・自由論」の中で、言った「名言」です。

  「意味」は

  『人に「頼らず努力する者」には「天の助け」(神の助け) が有り」成功する』 

   です。

 

「自由論」は「福沢諭吉」の「著書・学問のすすめ」と並び

「明治の2大書籍」と、言われています。

「現代の日本人」でも「サミュエル・スマイルズ」の「名言」を

座右の銘」と「している人は多い」そうです。

 

・「後は野となれ山となれ」も「似た言葉」です。

   「意味」は

   「するだけの事は、したのだから、後の事は知った事では無い、勝手にしやがれ

     という「開き直り」・「自棄的」(じきてき・ヤケクソ」な、「気持ち」です。

 

「人事を尽くして天命を待つ」の「反対語」を「検索」しても「出て来」ません。

 

・「困った時の神頼み」=「苦しい時の神頼み」の、意味は

   「普段」「神」を信じていない人」が「何の努力も無く」「困った時・「苦しい時」のみ

   「神を拝む」こと。

   「転じて」「調子が良い・身勝手」な、こと。

     が「妥当」な、気がします。

 

「ブログ」「夢なき者に成功なし」でも「書かせてもらい」ましたが

「人の能力」とは

「知力」・「体力」・「胆力」(たんりょく・根性)  ・  「魅力」・「徳」「運」の

「6能力」+「経験値」の「多寡」(たか・多いか少ないかの量)で「決まる」そうです。

 

「運」も「「大事な能力」です。

「コンビニュエンス・ストア」で「700円以上」の「買い物」を、すると「期間限定」で

「クジ引き」が、できます。

「当たり」が「出る確率」は「1/2」と「聞いた事」が、有ります。

 

  私は、いつも『「こんな物で「運」を「使いたくない」』と「言い」ながら

「クジ引き」を、して来ました。

  しかし「当たり」が「出る方」が「ズット多かった」気が、します。

 

「数年前」には「6枚引いて」「全部当たった事」が、有りました。

「同じ月」に「毎日1枚ずつ引いて」「6日連続」で「当たった事」も、有りました。

  いずれの「確率」も「1/128」(1/2の6乗」です。

  私は「運」を「無駄使いしてしまった」と「心配」しました。

 

 

「沢田 研二」は「 勝手にしやがれという「歌」を歌いました。

 

沢田 研二」は「1,948年6月生まれ」の「歌手」「俳優」です。

「ニックネーム」は「ジュリー」です。

「妻」は「女優」の「田中裕子」で「前妻」は「ザ・ピーナッツ」の「伊藤 エミ」でした。

 

「1960年代後半」の「グループ・サウンズ」「全盛時」から「スーパースター」として

「活躍」し「ソロ」「転向後」の「シングル売上」は

「歴代1位」の「「座」を「保って」います、

 

「1,967年」「「ザ・タイガース」の「ヴォーカル」として「僕のマリー」を歌い

「デヴュー」しました

「セカンドシングル」「シーサイド・バウンド」で「人気が爆発」しました。

「続く」「モナリザの微笑み」そして「きみだけに愛を」で「一気に」

グループ・サウンズ」(GS)の「頂点」へと「躍り出」ました。

 

  とりわけ「容姿端麗」な「沢田 研二」(ジュリー)は「貴公子的存在」として

「10代の少女・20代の女性」を中心に「熱狂的な人気」を「獲得」しました。

「1,971年1月」「日本武道館」で「開催」された

ザ・タイガース ・ビューティフル・コンサート」を以って

「グループ」は「惜しまれ」つつ「解散」しました。

 

ザ・タイガース」の「歌の中」で「唯一」「花の首飾り」という「1曲だけ」

「トッポ」(加橋かつみ) が「甲高い声」で「ヴォーカル」を「務めた」「記憶」が

   私には「残って」います。

 

「沢田 研二」は「1971年・11月」に「ソロ・デヴュー」しました。

「1973年」「危険なふたり」で「第4回・日本歌謡大賞」を「受賞」し「ソロとして」の

「人気」を「確固(かっこ)たるもの」と、しました。

 

「1,977年」「勝手にしやがれ」で「日本・レコード大賞」を始め「同年の主要な賞レース」を

「独占」しました。

パナマ帽」を「客席に飛ばす」という「パフォーマンス」は

「子供が学校で真似する」ほど「大きな話題」と、成りました。

NHK紅白歌合戦」には「通算・17回」出場」して、います。

 

「1,975年」に「7年間の交際」を、経て「ザ・ピーナッツ」のx

「伊藤 エミ」(当時34歳・7歳年上)と、「結婚」しました。 

   しかし「1,987年」に「慰謝料」「18億円」を「支払い」「離婚」し

「不倫関係」にあった「田中 裕子」と「1,989年」に「再婚」しました。

 

「沢田 研二」「勝手にしやがれ」「作詞」:「阿久 悠」「作曲」:「大野克夫

 

壁ぎわに 寝返りうって

背中で きいている

やっぱりお前は 出て行くんだな

悪いことばかりじゃ ないと

想い出 かき集め

鞄につめこむ 気配がしてる

行ったきりなら しあわせになるがいい

戻る気になりゃ いつでもおいで

せめて少しは カッコつけさせてくれ

寝たふりしてる間に 出て行ってくれ

アア  アアア  アアア  アア

アア  アアア  アアア  アア

 

バーボンのボトルを 抱いて

夜ふけの窓に立つ

お前がふらふら 行くのが見える

さよならと いうのもなぜか

しらけた 感じだし

あばよとサラリと 送ってみるか

別にふざけて 困らせたわけじゃない

愛というのに 照れてただけだよ

 

夜というのに 派手なレコードかけて

朝までふざけよう ワンマンショーで

アア  アアア  アアア  アア

アア  アアア  アアア  アア

 

夜というのに 派手なレコードかけて

朝までふざけよう ワンマンショーで

アア  アアア  アアア  アア

アア  アアア  アアア  アア

 

 

「作詞」した「阿久 悠」(あくゆう)は「作家」であると共に

「昭和を代表する」「作詞家」でした。

「作詞家」として「歴代最多」の「5回」「日本・レコード大賞」を「受賞」しました。

「日本・レコード大賞・作詞賞」も「歴代最多」の「7回」受賞」しました。

「日本作詞大賞」も「歴代最多」の「8回」「受賞」しました。

 

  私の「記憶に深い歌」を「列挙」(れっきょ)します。

 

・「また逢う日まで」(「尾崎 紀世彦」)

・「ジョニイへの伝言」(「ペドロ & カプリシャス」)

・「北の宿から」(「都 はるみ」)

・「勝手にしやがれ」(「沢田 研二」)

・「UFO」(「ピンク・レディー」)

・「サウスポー」(「ピンク・レディー」)

・「ウォンテッド」(「ピンク・レディー」)

・「モンスター」(「ピンク・レディー」)

・「雨の慕情」(「八代 亜紀」)

・「もしもピアノが弾けたなら」(「西田 敏行」)

・「契り」(「五木 ひろし」)

・「北の蛍」(「森 進一」)

 

 

 

「らんちゅう・飼育」

 

「1・7・11 (木)」

 

ハローワーク」に行った帰りに「田村さん」の「池」を「視察」しました。

  今「田村さん」に「預かってもらっている金魚」は

 

・「去年生まれ」で「今年の仔引き」の「親魚」として「活躍」した「9匹」

・「「31・4・4」「師匠」から「譲ってもらった」「青子」「19匹」の内「生き残った「6匹」

      (「親魚」と「遜色ない位」「大きく」なりました)

・「31・4・25」「仔引き」により「孵化」し「黒子位」にまで「成長」した「30匹」

・「1・6・12」「師匠」から「譲ってもらった」「2軍・3軍」の「虎ハゲ」「40匹」

 

   「計・85匹」を「4面の水槽」で「奥さん」に「エサやり」を、してもらい

   「飼育」して、もらって、います。

 

「4面の水槽」の内「20尾」を「飼育しているプラスチック製の水槽」の

「飼育水」が「少し弱って」いました。

「奥さん」にも「指摘され」ましたが「エアーホース」が「水槽の下敷き」に、なり

「酸素」が「供給されて」いませんでした。

 

   私は「直ぐに」「水替え用」に「準備しておいた水槽」に「金魚」を「移し替え」ました。 

「丁度」「雨が止んでいました。

「残り」の「3面の水槽の水」は「後2日は持ちそうな気配」でしたが

「ついで」に「水替え」しました。

「早めに水替え」する「デメリット」は「何も有り」ません。

 

  私は「いつかから」か、分かりませんがか「やるべき事を、やらない人間」・

「面倒な事を後回しにする人間」・「頼まれた事を、やらない人間」・

「意地悪な人間」を「嫌い」に、なりました。

  そのせいで「諍い」(いさかい・言い争い) に、なった事も「有った気」が、します。

  私の「モットー」は「思い立ったが吉日」(おもいたったがきちじつ・直ぐに実行)です。

 

「昔」「ある市」の「市長さん」は「すぐやる課」という「部署」を「作り」ました。

「市民の声」に「直ぐに反応」し「たらい回し」を「極力せず」

「速やかに問題を解決する」「趣旨」だと、私は「理解して」いました。

 

「奥さん」は「亡き、田村さんの名前」と「私の名前」が「同じ」事もあって

   私の事を「死んだ父ちゃん」の「生まれ変わりの様だ」と「よく言い」ます。

「父ちゃんが生きていた」ら「良い話し相手」に「なったのに」とも「よく言い」ます。

 

「亡き、田村さん」は「全日本・らんちゅう・大会」の「審査委員」を「務めて」いただけに

「県外」からも「多くの来訪客」が「有った」そうです。

「実直な人柄」で「らんちゅうの良し悪し」を「見抜く力」が「高かった」様に

「人の良し悪し」を「見抜く力」も「高かった」様です。

「気に入らない人」は「寄せ付けなかった」そうです。

 

「奥さん」は「交通事故」で「怪我」を、したため「杖を突いて」歩いています。

  しかし、私が「作業」していると「いつも」「家の中から出て来」「水槽の縁」に座り

「色々話し」ながら「父ちゃんも、そうやっていたよ」と「言う事」も、有ります。

 

「エサやり」は「奥さん」に「お願い」しています。

「9時」「12時」「15時」の「3回」と「らんちゅうの愛好家」は「絶対に与えない?」

「粉のり」と「にぼし粉」を「金魚の成長状況」「水の汚れのスピード」から

  私が「判断して決めた」「エサの量」を「忠実に守って」「実践」してくれて、います。

バクテリア」が「タップリ」の「飼育水」の、せいか「1匹」も「病気に感染」せず

「勿論」「1匹」の「金魚」も「死んで」いません。

 

「奥さん」は「笑いながら」「給料をもらわない」と「割に合わないね」と、言います。

  私は「収入」も「無い」し「蓄え」も「無い」ので

『「出世払い」にしてくれ」』と、頼んでいます。

 

  いつか、「らんちゅう」と「自然薯」が「お金を生む」様に、なれば

「出来る限りの恩返し」を、 するつもりです。

「そうなる時の姿」は「見えています」が「今はは言え」ません。

 

「奥さん」は「独り言」を「言った気」が、しました。

「難聴の私」には「聞こえません」でした。

「耳」では「聞こえませんでしたが」「心」で

 「早く出世してもらわないと困る」と「聞こえた気」が、しました。

 

 

それにしても「今年の7月」は「雨」が「多すぎ」ます。

私の「自然薯」も「日照不足」(にっしょうぶそく)で

「成長不足」に、ならないか、心配です。

 

 

「オーヤン・フィーフィー」(欧陽・菲菲)は「雨の御堂筋」という「歌」を、歌いました。

 

「出だしの歌詞」「小ぬか雨」とは「雨の粒」が「糠( ぬか) の様に小さい雨」の事です。

   私は「霧雨」(きりさめ)だと、思っています。

 

「オーヤン・フィーフィー」は

「1,949年9月生まれ」の「台湾出身」の「歌手」です。

「1,971年」に「雨の御堂筋」で「日本・レコード大賞・新人賞」を「受賞」しました。

「1,983年」に「ラヴ・イズ・オーバー」で「「第25回・日本レコード大賞」を

「受賞」しました。

 

「ラヴ・イズ・オーバー」は「布施明」が「歌った」「そっとおやすみ」と並び

「スナック」の「閉店の定番曲」で、私も良く「歌わされ」ました。

 

「オーヤン・フィーフィー」は「台湾」を「代表する」「人気歌手」でした。

「日本」では「NHK紅白歌合戦」にも「3回」出場」しています。

「姪っ子」(めいっこ)は「天才・チェロリスト」と言われている「オーヤン・ナナ」です。

 

 

「欧陽 菲菲」「雨の御堂筋」「作詞」:「林 春生」「作曲」:「The Vhentures 」 

 

小ぬか雨降る  御堂筋

心変わりな  夜の雨

あなた・・・・あなたは何処よ(どこよ)

あなたをたずねて  南へ歩く

 

本町あたりに  あなたはいると

風の知らせを  背中てきいて

こんな・・・・女がひとり

探していたことを  誰かつたえて

 

あゝ降る雨に  泣きながら

肌(み)をよせて  傘もささず

濡れて・・・・夜の

いちょう並木は  枯葉をおとし

雨の舗道は  淋しく(さみしく)光る

あなた・・・・あなたのかげを

あなたを偲んで(しのんで  南へ歩く

 

あゝ降る雨に  泣きながら

肌(み)をよせて  傘もささず

濡れて・・・・夜の

梅田新道  心斎橋と

雨の舗道は  淋しく(さみしく)光る

あなた・・・・あなたのかげを

あなたを偲んで(しのんで  )  南へ歩く

 

 

「人事を尽くして天命を待つ」を「英語」で、言うと

 

「God helps here who help themselves 」

 

(天は自ら助くる者を助く)

 

と、言うそうです。