何気なく使っている言葉の意味

「盾と矛」

 

「皆さん」は「盾と矛」(たてとほこ) という「ことわざ」を「使った事」が、有りますか?。

 

「盾と矛」は『「中国戦国時代」の「思想家」「韓非」(かんぴ) 』の「著書」

韓非子」(かんぴし・「思想書」に「由来」する」)「有名な故事」です。

 

韓非子」を「人の名前」だと「勘違いしている人」が、いるかも知れません。

「孫氏」(そんし)も「孫武」(そんぶ)が「書いた「兵法書」(へいほうしょ)で

「人の名前」では、ありません。

 

孔子」(こうし・「世界3聖人の「1人」)・「孟子」(もうし)・「荀子」(じゅんし)

老子」(ろうし)・「荘子」(そうし)・「墨子」(ぼくし)とは、「教科書」にも出ていた

「実在した」「中国」の「思想家」です。

「それぞれの教え」を、私は知りません。

 

 

「昔」「楚の国」(そのくに) に

「盾」(たて)と「矛」(ほこ)を「売る商人」が、いました。

 

「自分」が売る’「盾」と「矛」を

 

・「自分の盾」は「堅固」(けんご) で『どんな「鋭利」(えいり)な「矛・刃」(やいば) も、

    「突き通す」ことは「出来ない」と「自慢」していました。

 

・「自分の矛」は「鋭利」(えいり) で「突き通せない物」は「無い」と

   「自慢」していました。

 

  それを「聞いたある人」が「尋ね」ました。

『では、あなたの「矛」で、あなたの「盾」を「突いた」ら、どうなりますか?』

 

「商人」は「言い返す言葉」が、見つかりませんでした。

 

『「物事」の「辻褄」(つじつま) が「合わない様」』を「言い表して」います。

 

「矛盾」(むじゅん) という「言葉の由来」です。

「何故」「矛と盾」(ほことたて)で無く「盾と矛」(たてとほこ) という

「いい回し」(表現) になったのか?

「ネット」で「検索」しても、分かりません。

 

「矛盾」の「類義語」と、しては

 

「不一致」

「相反する」

「ちぐはぐ」

「相容れない」(あいいれない)

「理屈に合わない」

「筋が通らない」

「首尾一貫していない」

「道理にかなっていない」

「整合性がない」

「一貫性がない」

 

等が、有るそうです。

 

「矛盾」の「対義語」と、しては

 

「理にかなっている」

「筋が通っている」

「整合性がある」

「説得力がある」

「食い違いがない」

「均衡性の取れた」

 

等が、有るそうです。

 

「世の中」には「理不尽」(りふじん・「物事の筋道が立たない事」)

「不条理」(ふじょうり・「道理に反している事」) な

「矛盾」した事が「溢れて」(あふれて) います。

 

  それらに「反発」し「抵抗」しても「ごまめの歯ぎしり」で「終わる」事を

  私は「知って」います。

『「竹槍」(たけやり1本」』を「武器」に「鉄砲隊」(てっぽうたい) に

「突撃」(とつげき)しても「返り討ちに合う」事は

「自明の理」(じめいのり・「説明する必要も無い程」「明確な「道理・論理」)です。

 

「ごまめの歯ぎしり」の、意味は

 

・「ごまめ」とは「カタクチイワシ」(セグロイワシ) を「煮干し」(にぼし) に、した物で

   「実力のない者」の「たとえ」です。

・「実力のない者」が、やたらと「憤慨し」(ふんがいし)「いきり立つ」事です。

・「そうした行為」が「無駄である事」の「たとえ」です。

 

「退職した今」でも「社会の矛盾」に「遭遇(そうぐう) する機会は、たまには有ります。

「自分自身に対する矛盾」(「自己矛盾」)に「遭遇する機会」は「増えている」気が、します。

 

  しかし「今の私」には「遊び心」・「いたずら心」・「心の余裕」が、有ります。

「自己矛盾」は「やむを得ない」と

「寛大な心」になり「自分自身」を「許す」事に、しています。

  しかし「嘘をつく自分」を「許す気持ち」には、なれません、

 

  ただ「一貫性」(いっかんせい) を「保てる様」(たもてるよう)

「努力」・「発想の転換」で「自己矛盾」を「回避出来る」様に

「一所懸命」(いっしょけんめい・「一生懸命と、ほぼ同じ意味」に、考えます。

 

『「矛盾」(一貫性がない) する「言動」をとる人) した

「言動」を「する人』の「特徴」』としては

 

・『「自分」を「取り繕う」(とりつくろう) のが「上手」で「口が上手い」』

・『「昨日と今日」「先程と今」とで「言っている事」・「やっている事」が「変わる」』

・『「誰からも好かれよう」と「意見を変える」ので

   「八方美人」(はっぽうびじん)と「言われる」』

・『「自分の言った言葉や行動」に「責任感」を「持っていない」為

    「適当なこと」を「口にする」・「適当な行動」をする』

・『「上記の言動」より「信念がない」と「言われる」』

・『「心が揺らぎやすい性格」を「持っている」為「他人の意見」に「流されやすい」』

・『「相手から」「間違い」を「指摘」されても「間違い」を、認めない」』

・『「気が短く」「飽きっぽい」(あきっぽい) 為「集中力が持続せず」

   「物事を浅く捉えて 」(とらえて) しまう」』

・『「思いつき」だけで「話す事」・「行動する事」が多く「自覚の無いまま」

    「嘘」を述べる」(うそをのべる)』

・『「自分の利益」のみを追求」し「他者の利益」に「無頓着(むとんちゃく)」』

・『「立場が変わると」「言う事」・「やる事」が、変わる』

・『「自分に甘く」「人に厳しい」』

・『「矛盾」を「無視」する」』

 

等が、あるそうです。

 

「ブログ」「泳ぎ続けなければ死んでしまう魚」の中で

「今年仔引き」した「稚魚」は「色変わり」するまで「選別しない」と

  私は「啖呵を切り」(たんかをきり) ました。

 

  しかし「舌の根が乾かぬうち」(したのねがかわかぬうち) に

「選別せざるを得ない」「羽目」(はめ)に「陥って」(おちいって) しまいました。

「完全」に「自己矛盾」(じこむじゅん)です。

 

「一応」「矛盾」を「回避できる方法」を「必死」で、考えました。

しかし「答え」を「見つける事」は「出来ません」でした。

そして「自己矛盾」は「止む無し」(やむなし) との「結論」に、至りました。

「苦渋の選択」(くじゅうのせんたく)で「稚魚の選別」を、行いました。

 

「矛盾する「考え」・行動」を「取らざるを得なくなった」のは

「師匠から譲って」もらった「一軍の稚魚・25匹」に「起因」(きいん) しました。

 

「1個の水槽で・5匹」・「5個の水槽」を「使って飼育する」と「決めた」為

「水替え用の水槽」を「確保」すると

「稚魚の為に使える水槽」が「不足」して、しまいました。

  私には「初めて仔引き」した「稚魚」を「5cm位」に、なるまでは

「自分の手」で「育てたい」という「強い願望」が、有りました。

 

「田村さん」の「大きな池」では「小さな稚魚」を「見つけるのが大変」で

「管理」(「水替え等」) に「支障を、きたし」ます。

「来月中」には「大きな池」に「引越し」できると、思います。

  それまでは「自分の手元に置きたい」という気持ちを「変える事」は、出来ませんでした。

「時のいたずら」のように「時間が被って」(じかんがかぶって) しまいました。

 

  私は「穴を掘り」「数十匹」の「選別した稚魚」を「埋め」ました。

  そして「実父」の「戒名」(かいみょう) と「似た響きのある」

「光明院・凡金・慈愛・清居士」(「こうみょういん・ぼんきん・じあい・せいこじ」 )

  という「戒名」を「殺した」「稚魚」に、付けました。

 

「稚魚」が「メス 」ならば「清大姉」(せいたいし) と「名付けるべき」ですが

  まだ「オス」「メス」が「判別」「出来ません」ので「清居士」(せいこじ) と、しました。

 

  私の実家の「宗教」「真言宗」(しんごんしゅう・「空海」(くうかい) が「開祖」) の場合

「戒名」は「9文字」が「一般的」ですが「まれに」「清」(せい) が付く「10文字」の

「戒名」を「持つ人」がいます。

「女性の場合」は「清大姉」(せいたいし)と「10文字」の「戒名」を「持つ人」が、います。

 

「一般的」には「生前」に「檀家」(だんか)として「お寺」への「貢献度」のみならず

「社会貢献」が「高かった人」が「10文字」の「戒名」を「貰う」と、言われています。

 

「私の実父」は「10文字の戒名」を「持って」います。

「理由」は、分かりません。

「貧乏な農家」なので「お寺」に「多額の寄付」など「出来る訳」は、有りません。

  私が知る限り「父の社会貢献」は、私が「小学生時代」に「無理矢理」やらせられた

「小学校の・PTA会長」位しか「思い当たり」ません。

 

「僻み根性」(ひがみこんじょう) で『「金」で「戒名を買った」と言う声』も、

「噂で」聞きました

「兄の話」では「お金で買った」「戒名」では「絶対に無い」そうです。

  今、私が死んだら「7文字位」の「戒名」しか「付けてもらえない」気」が、します。

 

「選別」により死んだ「稚魚達」は「凡金」(凡庸な金魚) ながら

「生前」私に「光明」(「明るい希望」)を、もたらした「功績」より

「10文字」の「戒名」を、付けました。

「稚魚達」も「成仏」(じょうぶつ) してくれると、思います。

 

 

「小川 範子」(おがわ のりこ)は「矛盾」(むじゅん) という「歌」を、歌いました。

 

「小川 範子」は「1,973生まれ」の「歌手」・「女優」です。

「1,980年代」の「アイドル歌手」です。

「6歳」の時「劇団・東京宝映」に「所属」し「子役」として「活動」しました。

「少女ヌード」で「有名人」に、なったそうです。

 

「初期の子役」として「テレビ・ドラマ」「鉄道公安官」「噂の刑事トミーとマツ

  といった「番組」で「活躍」した、そうです。

「1,987年」「14歳の時」「3年B組・金八先生」で

「妊娠する中学生役」で「出演」した、そうです。

 

「同じ年」「涙をたばねて」という「歌」で「歌手デヴュー」したそうです。

「5作連続」「オリコン・チャート」「トップ10入り」し「アイドル歌手」として

「人気を博した」そうです。

 

「歌手デヴュー」して「初めて歌った舞台」が「早稲田祭」だったそうです。

早稲田大学」の「校風」に憧れ

「社会科学部」(夜間?) に「入学した」そうです。

『「入学後」も「学業と、芸能活動」を「両立」』し「4年間で卒業」したそうです。

 

森村誠一・サスペンス」等「多くの」「ミステリー・ドラマ」「サスペンス・ドラマ」に

「出演」したそうです。

「ネット」の「YouTube」を見ると「歌っている姿」は「可愛い容貌」で

「歌」も「下手」では、ありません。

「中森 明菜」の「歌」に「似ている」気が、します。

 

  私が「小川 範子」の「名前」を「知らなかった」のは、その当時

「テレビ」を、見ている「時間的余裕」が「無かった」せいなのかも、しれません。

 

 

「小川 範子」「矛盾」「作詞」:「松井 五郎」「作曲」:「徳永 英明」

 

唇にすぐに ふれてくる

せつない視線

そらしたり そっとからめたり

どうなるの?

 

あどけない 素顔の影から

あなたを見てる

年齢なんか 忘れてしまった

さみしがり・・・・

 

じっとして いたって

つまらないだけ  そう言われて

気持ちが 熟すより

先に燃え出す  夕暮れを見た

あゝ矛盾に襲われる  あゝ爪のさきまで

怖くて知りたいこと

あゝ矛盾に襲われる  あゝふれられたいほど

涙が邪魔をしている   つ・ら・い・わ

 

じらしているわけじゃ  ないけれど

背中を向けた

無防備なシルエットになると

わかってた

 

とまどう こと  よりも

傷つくほうが   悔やまないわ

せがんだ愛なんて

続かないもの   苦しむだけ

 

あゝ矛盾がふるえてる  あゝ爪のさきにまで

怖くて知りたいこと

あゝ矛盾がふるえてる  あゝふれられたいほど

涙が邪魔をしてる

 

唇が逃げられなくなる

あなたが近い

とまらない胸の高鳴りは

どうなるの? いま

 

 

 

「ムカゴ栽培」

 

「レジ袋」の中で「発芽」し「根が伸び」た「ムカゴ」を「ほぐして」

「砂の中」に「仮植え」したのは「失敗だった」のかも、知れません。

 

  伸びていた「ツル」は「溶けるように」「短くなって」いました。

  もちろん「ツルの先端」にあった「成長点」も「無くなって」いました。

「伸びていた根」も「枯れたように「元気」が、ありません。

 

「空気の中」で「順調に育っていた野菜」が「砂の中」では「ダメになって」しまいました。

「常識・マニュアル」を「疑う」私の「悪い癖」が

「鎌首」(かまくび) を持ち上げて」しまいました。

 

「不思議」な事に「小粒のムカゴ」ほど「早熟」で「ツルを伸ばし」

「根を張りめぐらして」います。

「小粒のムカゴ」は「養分が少なく」「自分の養分」を「使って」

「ツル」を「長くのばす」事が「出来ません。

「ムカゴの世界」にも「大器晩成」という「言葉」が「通用する」のかも、しれません。

 

「良かれと思って」「為した行為」が「裏目に出て」しまいました。

「培養土」に「定植」しても「無駄なことになる?」という

「気持ち」を「払拭」(ふっしょく)し

「粒が大きめ」の「ムカゴ」「130個・程度」を「実家の庭」で「育てる事」に、決めました。

 

  私は「少し傾斜を付けた」

「あぜ波板」の上に「培養土」を「盛り」ました。

「あぜ波板」は「トタン板」を「交互」に「波の様な溝」が出来るよう「に曲げた」物です。

 

「自然薯栽培に使った」「あぜ波板」より

「はるかに廉価 ( れんか)」で「手間」も、かかりません。

「使う砂の量」も「僅か」(わずか) です。

「溝幅」は「1cm位」で「長さは・49cm」です。

「この溝に沿って」「新イモ」を「這わす」予定です。

  仮に「上手くいった」ら「細く」て「ほぼ、まっすぐ」な「新イモ」が、出来るはずです。

 

  私が「今回自然薯栽培」で「使った種イモ」は「小指ほどの太さ」しか、ありませんが

「長さ」は「60cm位」有りました。

  もし「ムカゴ」が「同じ様な大きさ」に「育ったら」

「斜め」に「40cm弱」「あぜ波板の上」を「這った後」「地面」に「突き刺さる様」に

「真下」に「伸びるはず」です。

 

   しかし「残念なだら」その様な「新イモ」に「成長する確率」は「0%」と、思います。

 

・「定植時期」が「2ヶ月遅い」

・「ムカゴ」が「ウイルス」に「罹患」(りかん) している為「成長が鈍いはず」

 

  だからです。

 

  私は「二の跌を踏む」(にのてつをふむ)=「同じ轍を踏む」(おなじてつをふむ) 事は、

「極力避けて」います。

 

「ニの轍を踏む」=「同じ轍踏む」の、意味は

 

・「同じ失敗」を「繰り返す」事

・「通り過ぎた車」の「車輪跡」(わだち)に「はまり込んで転倒する」事

 

  です。

 

「轍」(「わだち」)とは「ぬかるみ等に出来た「車輪の跡」のことです。

「古いことわざ」なので「わだち」は「牛車の車輪」が「作った物」だと

  私は、思っています。

 

「似た言い回し」に「二の足を踏む」が、有ります。意味は

 

・「一歩目は」は「進む」も「二歩目」は「ためらって」「足踏み」する事

・「思い切れず」に「迷う」(ためらう)・「尻込みする」(しりごみする) 事

 

  です。

 

「自然薯栽培」で「種イモ」を「消毒しなかった失敗」を「糧とし」(かてとし)

「ムカゴ」を「消毒」してから「定植」しました。

「20cm」〜「30cm」に「育て」ば「成功」と、私は思っています。

 

「ブログ」「不撓不屈」(ふとうふくつ)で

「消毒せずに使った」「種イモ」の「成功率」を「20%程度」と、私は言いました。

「ムカゴ」の「成功率」は「5%以下」と、私は「踏んで」います。

「自然薯栽培」と「同じ様」に「砂の温度の上昇」を「抑える為

「砂の上」に「遮光(しゃこ) ネット」を「敷き」ました。

 

「後は野となれ山となれ」の「心境」です。

 

「後は野となれ山となれ」の意味は

 

・「目先のこと」さえ「解決」できれば「後」は、どうなっても構わない

・「やれる事は全てした」ので、後のことは「知ったことでは無い」という

    「開き直りの心境」の事です。

 

「以前にも使った言葉」ですが「鬼が出るか蛇が出るか」(おにがでるかじゃがでるか) と

「似た表現」です。

 

 

「ゆず」という「2人組」の歌手 (デュオ) は「人生の応援ソング」を、歌いました。

 

  ちなみに「1人」で「歌う事」・「演奏する事」を「「ソロ」と、言います。

「2人」を「デュオ」(デュエット)と、言います。

「3人」を「トリオ」と、言います。

「4人」を「カルテット」と、言います。

「5人」を「クインテット」と、言います。

「6人」を「セクステット」と、言います。

 

  私は「現役の時」「この言葉」を「使い」「危うく」(あやうく)「セクハラ」と

「言われそう」に、なりました。

  しかし「言葉の意味」を「説明」すると「納得してもらった」「記憶」が、有ります。

 

「7人」を「セブテット」と、言います。

「8人」を「オクテット」と、言います。

「9人」を「ノネット」と、いいます。

「10人」を「デクテット」と、言います。

 

「10人以上」を「何というか」分かりません。

「歌」では「グループ」「ユニット」

「演奏」では「アンサンブル」「オーケストラ」

   位しか、思い付きません。

 

「ゆず」は「タッタ」という「歌」を、歌いました。

  この「歌」も、私に「勇気を与え」「励まし」ます。

「ゆず」の歌は「スポーツ・応援ソング」の他「人生の応援ソング」として

「定番」(ていばん) です。

 

 

「ゆず」は「1,996年」に「結成された」「日本」の「フォークデュオ」です。

「スタート」は「路上ライブ」でした。

「北川  悠仁」(きたがわ ゆうじん)と「岩澤 厚治」(いわさわ こうじ)は

「中学校の同級生」だ、 そうです。

 

「1,998年」「2人のアルバイト先」で、食べた「柚子シャーベット」より「芸名」を

「ゆず」と、しました。

「1,998年」「夏色」「少年」が「ブレイク」し「ファースト・アルバム」は「100万枚」近い

「売り上げ」を「記録」しました。

フォークソング復興」の「立役者」と、言われました。

  (「松山千春」の「フォーク・ソング」とは「かなりイメージが違います」)  が。

 

「2,003年」「2,004年」「2,009年」「2,011年」「2,013年「2,015年」「2,016年」

「2,017年」「2,018年」には「NHK・紅白・歌合戦」に「出場」しました。

「2,017年」には「栄光の架橋」(えいこうのかけはし) という「歌」で

「大トリ」を「務め」ました。

「ゆず」の「ファン」を「ゆずっこ」と、呼ぶそうです。

 

「歌詞」には「前向きな言葉」が「多く」

「井上 陽水」(いのうえ ようすい) に「似た「フォーク・ソング」に、私には聞こえます。

 

「同じフォーク・ソング」でも「女目線」で「破綻した恋」を

「切々と」(せつせつと」歌う

「松山 千春」の「歌」とは「別次元の世界」を、感じます。

  ただし、(「君を忘れない」という「歌」は「前向きな歌」です)

  私は「松山 千春」の歌は、「演歌」に近いと、思っています。

 

「タッタ」の「歌詞には「日本神話」

「天岩戸(あまのいわど) の話」が、出て来ます。

 

天照大神」(あまてらすおおみかみ・「太陽の女神・「日本人」の「総氏神」) は

「弟」の「スサノヲノミコト」の

「常軌を逸した」(じょうきをいっした)「イタズラ」に「腹を立て」

「天岩戸」に「引きこもリ」ました。

 

「太陽の光」を失い「世の中」は「真っ暗闇」(まっくらやみ) に、なりました。

「作物が育たず」「病気が蔓延(まんえん)する」等「様々な弊害」(へいがい)が、起こりました。

 

「困り果て」た「万の神」(よろずのかみ)は「様々の策」を使い

天照大神」に「天岩戸」を「開けさせようと」「画策」しましたが「ダメ」でした。

  そして、遂に「天岩戸」は開かれ「真っ暗な闇の世界」に「太陽」が「戻って」来ました。

「世の中」は「再び」「明るく・平和な時代」に「戻った」と、言われています。

 

「どの様な策」で「天岩戸」を「開けさせたのか」を「書く」と「長く」なります。

「興味のある人」は「自分」で「ネット」で「検索」して、下さい。

 

 

「ゆず」「タッタ」「作詞」:「北川 悠仁」「作曲」「北川 悠仁・JIN」

 

完全無欠のヒーロー  そんな奴いなくたって

ひょっとしたらひょんなことで  誰かを救えるかも

どうした?君は太陽  曇り空隠れてたら

この世界はまるで  真っ暗闇だ

 

太古の岩戸開きたい  めっちゃ弾け誘ってみよう

あれ?ちょっとこっち覗いたっしょ?

ノックするから  よかったら出ておいでよ  さあ

 

たった一度きりの人生  勝った負けたの人生じゃねぇぞ

死ぬほど転んで見つかる  大切な宝物もある

待った!急がなくてもいいよ  ちょっと寄り道もしようぜ

何度でも幕は開けるよ  スタートライン  さあ位置についたら

よーいドン

 

土曜の夜だっての に  一人でつまんなくしてんなら

楽しめることを一緒に  見つけたいのさ

 

カッコつかない自分だって  めっちゃ笑い飛ばしてしまおう

実はまだ  本気出しちゃいねーぞ

こっから始まる  俺たちを見てくれよ  さぁ

 

たった一度きりの人生  泣いてばりじゃダメだ

あっちこっち覗いてみたって  誰かと比べてみたって

いなくなるなんて言ってないで  立ってまた歩き出そうぜ

誰も辿り着いたことない  ゴールテープをいつか切るために

よーいドン  さあ  よーいドン

 

一歩ずつ  一歩ずつ  君の歩幅でいいから

大丈夫  大丈夫

その先へ  もっと先へ  まだ行ける  WOW  WOW  WOW

君となら  僕らなら  きっと

 

たった一度きりの人生  勝った負けただけじゃねえぞ

死ぬほど転んで見つかる  大切な宝物もある

待った!急がなくてもいいよ  ちょっと寄り道もしようぜ

何度でも幕は開けるよ  スタートライン  さあ位置についたら

よーいドン

 

たった一度きりの人生  泣いてばかりじゃダメだ

あっちこっち覗いてみたって  誰かと比べてみたって

いなくなるなるなんて言ってないで  立ってまた歩き出そうぜ

誰も辿り着いたことない  ゴールテープをいつか切るために

よーいドン  よーいドン  さぁ  よーいドン  よーいドン

 

 

「矛盾」を「英語」で

 

「Contradiction」

 

(矛盾)

 

と、言うそうです