何気なく使っている言葉の意味

「天使の微笑み」

 

「皆さん」は「天使の微笑み」という「ことわざ」を「使った事」は、有りませんか?。

 

「天使(エンジェル)の微笑み」(てんしのほほえみ)の意味は

 

・「新生児」の「笑顔」

・「天使」のような「微笑み」

・「天使」のような「微笑」(びしょう)

・「慈愛に溢れた(あふれた)微笑み」

 

   だ、そうです。

 

「エンジェル」(天使)は「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」に「登場する」

「神の使者」です。

「神の意志」を「人間」に「伝える役割り」を、持っているそうです。

 

「性別」が無く「決まった姿」も、無いそうです。

「守護神」(しゅごしん)とも言われ「正体不明」の「像」(ぞう・「姿」)です。

 

「似た言葉」で「キューピット」(「縁」を取り持つ「神」)が、有ります。

「キューピット」は「ローマ神話」に「登場する」「恋の神」

『「ヴィーナス」の「子』』です。

 

『「翼の生え」た「弓矢」を持つ「裸の少年」』で「彼の、放った矢」に、当たった者」は

「恋に悩む」と「言われて」います。

ギリシャ神話」では「愛の神」「エロス」と、言われています。

 

「森永・エンジェル」の「デザイン」は「森永・キューピット」の

「間違い」の様な、気がします。

 

 

「天使の微笑み」の「同類語」を「検索」しても、出て来ません。

 

・「天使の寝相」(ねぞう)

・「天使の恋

・「天使の羽・ランドセル」

・「天使のブラ」

・「天使の分け前

・「天使のささやき」

・「白衣の天使」

・「神のような」

・「清らかな心」

・「純情無垢」(じゅんじょうむく))

 

     辺りが「妥当」な、気がします。

 

「天使の微笑み」の「対義語」としては

 

・「悪魔のささやき」

・「享楽的な」(きょうらくてきな)

・「通俗的な」(つうぞくてきな)

・「麻酔効果」(ますいこうか」

・「遠隔操作」(えんかくそうさ)

・「誘導する」

・「マインドコントロール

・「自由を奪う」

・「口説き文句」

・「邪心」(じゃしん)

・「見えない支配」

・「洗脳」(せんのう)

・「甘美」(かんび)

・「自己陶酔」(じことうすい)

・「メロドラマ」

・「呪縛」(じゅばく)

・「追い込む」

・「人格支配」(じんかくしはい)

・「霊感」(れいかん)

・「甘いささやき」

・「危険なささやき」

・「汚い心」(きたないこころ)

・「悪意」

・「邪な気持ち」(よこしまな きもち)

 

   辺りが「該当」するそうです。

 

 

「日本人」は「3」で「括る」(くくる) のが「好きな」ようです。

 

「歌の世界」でも「三人娘」が、いました。

 

「初代・3人娘」は

・「美空 ひばり」・「江利 チエミ」・「雪村 いづみ」

 

「2代目・3人娘」は

・「伊東 ゆかり」・「中尾 ミエ」・「園 まり」

 

「3代目・3人娘」は

・「黛  ジュン」・「小川  知子」・「奥村  チヨ」

 

「4代目・3人娘」は

・「小柳 ルミ子」・「天地 真理」・「南 沙織」

 

「5代目・3人娘」は

・「山口 百恵」・「森 昌子」・「桜田 淳子」

 

   でした。

 

「以後」の「3人娘」を、私は知りません。

 

「御三家」(ごさんけ)という「言い回し」は「徳川 御三家」から「生まれた言葉」だと、

   私は思っています。

「徳川 御三家」とは

紀州家」(きしゅうけ)・「尾張家」(おわりけ)・「水戸家」(みとけ)です。

「将軍」は「将軍家」・「御三家」から「排出」(はいしゅつ)する

「決まり」が、有ったようです。

 

暴れん坊将軍」と、言われた「8代将軍」・「徳川 吉宗」(とくがわよしむね)は

紀州家」でした。

「徳川最後」の「15代将軍」・「徳川  慶喜」(とくがわよしのぶ)は「水戸家」でした。

「何故か」「徳川御三家」の中で「1番勢力が強かった」「尾張家」からは

「一人も」「将軍」に「選ばれなかった」そうです。

「理由」は、分かりません。

 

「男の歌手」でも「御三家」という「言い方」を、しました。

 

「初代・御三家」は

・「橋  幸夫」・「舟木  一夫」・「西郷 輝彦」

 

「初代・三羽ガラス」という「言い方」をすると

・「橋 幸夫」・「舟木 一夫」・「三田 明」だった「記憶」が、有ります。

 

「2代目・御三家」は

・「郷 ひろみ」・「西城 秀樹」・「野口 五郎」

 

「3代目・御三家」は

・「田原 俊彦」・「近藤 真彦」・「野村 義男」

 

   でした。

 

「以後」の「御三家」を、私は知りません。

 

 

  とにかく、私が「中学生時代」には

「小指の思い出」(伊東 ゆかり)

「ゆうべの秘密」(小川  知子)

「恋の奴隷」(奥村 チヨ)

 

  といった「現在」では

「セクハラ」と言われ「発売禁止」に、なりかねない「曲名」が「主流」でした。

 

  私が「好きだった歌手」は「小川  知子」でした。

 

「小川 知子」は「「1949年・1月生まれ」で、私より「5歳・年上」です。

「小川 知子」は「18歳の時」「カーレーサー」で「福沢 諭吉」の「曽孫」(ひまご)である

「福沢 幸雄」(ふくざわ さちお)と「交際」を「始め」ました。

 

  しかし「恋人」の「福沢 幸雄」は「1969年・2月」「テスト走行中」に

「事故死」してしまいました。

  その直後「「小川 知子」は「夜のヒットスタジオ」という「番組」で

セシールカット・ヘアー」姿で「泣き崩れ」ながら「初恋の人」という「歌」を、歌い

「テレビ界」に「衝撃」を「与え」「伝説化」しました

 

  私は「当時」「中学・2年生」でした。

「テレビ」を見ていて「一緒に泣いて」しまいました。

「以後」「 熱烈なファン」に、なりました。

「LP・レコード」も買いました。

 

  そして「不思議な事に」私が「中学3年生の時」「初めて会い」「10年間交際」し

「手を握っただけ」で「別れた人」は「字」こそ違え「名前」は「同じ読み方」でした。

「名字」も「一字違い」でした。

 

 

「小川  知子」「初恋の人」「作詞」:「有馬 美恵子」「作曲」::「鈴木 淳」

 

そよ風みたいにしのぶ  あの人はもう

私の事などみんな 忘れたかしら

のばらをいつも 両手に抱いて

朝の窓辺に 届けてくれた

何故だか逢えなくなって 恋しい人なの

 

麦わら帽子のような 匂いをさせて

私を海辺へつれて 走った人よ

光の中を もつれるように

はずんだ胸は 熱かったわね

懐かしがっても遠い 夢の人なの

 

小麦色した あの日の笑顔

私一人が 知っているのに

今なら恋だと分かる はるかな人なの

 

「当時」「中学・2年生」だった私は「純真無垢」(じゅんしんむく)な「少年」でした。

「この歳まで」に「長年に至り」「色々な現実を見て」「色々な話を聞いて」

「ひねくれ者」になってしまった「今の私」には

「デヴュー曲」で「ゆうべの秘密」を「歌っていた人」が「2曲目」で「泣きながら」

「初恋の人」を「歌った」事に「違和感」(いわかん)を「禁じ得」ません 。

 

  私は「方向音痴」の「感性」に「迷ってしまった」のかも、知れません。

  今は、もちろん「小川  知子」の「ファン」では、ありません。

 

 

「らんちゅう飼育」

 

「1・6・12」

 

「師匠」から「ライン」で「連絡」が、有りました。

「ライン」に「書かれた言葉」を「そのまま」に「写し」ます。

 

「お世話」になっております。

「先程」「愛好家」から「尾開き」・「身体のバランス」が「非常に良い「当歳黒子」の

「らんちゅう」が「入り」ました。

「クオリティ」としては「種用」「会用」等にも「使えるぐらい」の「レベル」ですが

「大きさが小さい」ので「格安」で「ご案内」致します。

「是非」「ご検討」下さいませ。

 

「種用」(たねよう)とは「今年」私がしたように「仔引き」(こびき・「卵」から育てる事)を

「する際」「親魚」として「使う魚」の事です。

「らんちゅう」は「血統」(けっとう)が「全て」と、言われています。

「良い稚魚」は「良い親魚」からしか「生まれ」ません。

 

「蛙の子は蛙」(カエルの子はカエル)です。

「鳶が鷹を産む」(トンビがタカをうむ)事は、有りません。

  従って、「仔引き」をする際には「所有している」「親魚」の中で「1番良い親魚」を

  使います。

 

「会用」とは「品評会」に「出品」しても「恥ずかしくない」程「良い・らんちゅう」と

  いう事です。

 

  そうした「良型の魚の出現率」は「1,000匹に・1匹」と「聞いた記憶」が、有ります。

  その様な「ハイ・スペック」(レベルの高い)「素晴らしい」「らんちゅう・25匹」を

「格安の値段・7,000円」で「譲ってくれる」と「言ってきてくれた」のです。

 

  その「レベル」の「らんちゅう」で、あれば「欲しがる愛好家」は「多数」いるはずですが

「真っ先に」私に「声をかけてくれた」そうです。

 

  私は「隣町」に住む「田村さん」の「奥さん」に「電話して」「金魚の飼育施設」を

「貸してもらえる事」を「確認」し「了解」を、得ました。

  そして「師匠」に「是非譲って欲しい」と「連絡」してから「現地」に赴きました。

 

「師匠」と「顔を合わす」のは「3回目」ですが「過去2回」は「マスク」をしていたので

「初めての顔」に「見え」ました。

 

「師匠」は「大学4年生」の:、私の「三女」(末っ子)より「1学年歳下」の「20歳」です。

「父親と一緒」に「数種類の金魚」を「取り扱う」「金魚屋」を「運営」して、います。

「金魚」で「多くの利益を上げる」気は、無いそうです。

  その代わり、「野菜」を作ったり(ミニ・トマト等)「外国人と一緒」に「事業」を

「立ち上げ」たり「色々な仕事」に「チャレンジ」しているそうです。

 

「道の駅」や「祭り」等「各種イベント」で

金魚すくい」(「1回」「100円」で・すくった金魚の「持ち帰り」は「300円」を

「開催する」等「従来の」「金魚屋」の「イメージ」とは「かけ離れた」

「アイデア」を持つ「青年」です。

「金魚の仕入れルート」も「数多く持って」おり「関西」まで「行くこと」も、有るそうです。

「バイタリティー」の「塊」(かたまり)の様な、人です。

 

  とにかく「若い」くせに「色々な事」を「知って」います。

  また「発想力が高く」「色々な夢」を、持っています。

「爽やかさ」(さわやかさ)も、あります。

  私の「1番上の孫」と「4歳」しか「違いません」が「話が合い」ます。

「話」をしていると「あっという間」に「時間が経って」しまいます。

 

「上記・25匹」の「稚魚」は「今までに、私が見てきた」「稚魚」とは「レベル」が

「違い」ました。

「将来性」を「感じ」ました。

   私は「一軍」と「呼ぶ事」に、しました。

 

「師匠」は「三軍の稚魚・35匹」を「3,000円」で「譲ってくれる」と、言いました。

「一軍の稚魚」より「一回り大きい稚魚」です。

「三軍の稚魚」とは言え「数回の選別」を「乗り切った稚魚」です。

「わずかの欠点」があり「現在」「三軍に甘んじている」も「将来」「一軍に昇格」する

「素質」は「十分にある」「稚魚」です。

 

「勿論」私は「譲ってもらい」ました。

「師匠」は「おまけ」と言い「二軍の稚魚・5匹」を「無償」(ただ)で「譲って」くれました。

 

「素直に言います」が、私は「仔引き」した「稚魚」に「あまり期待して」いません。

「親魚」の「レベル」が「良くない」からです。

   初めて「師匠」に会った時「親魚」の「動画」を見せたら「一目で」

「1匹・200円」と、言われました。

 

「親魚」の「きょうだい魚」には「エラ欠け」が多く、しかも「ウロコ」が「不揃い」の為

「本来」「親魚」として「使ってはいけない」「らんちゅう」でした。

 

「今年も」「金魚の飼育施設」を「借りる」「田村さん」の「御主人」は「12年前」

「病気」で「亡くなった」そうです。

「らんちゅう」を「専門」に「飼育」し「全日本・らんちゅう・大会」の「審査員」を

「務めた」(つとめた)「高名な人」です。

「奥さん」は「亡・田村さん」は「師匠の父親」と「親交が有った」事を

 「 思い出した」そうです。

 

   私も「若い時」(30年位前)「田村さん」から「1匹の・らんちゅう」を

「譲って貰った事」が、有りました。

  とにかく「凄い・らんちゅう」が「泳いで」でいました。

  1匹」「10万円で購入した「10cm位」の大きさの「らんちゅう」も「泳いで」いました。

 

「ペットショップ」の「らんちゅう」しか「見た事が無かった」私には

「正に」「目からウロコが落ちる」思いをした「記憶」が、有ります。

   私は「初心者向け」の「らんちゅう・1匹」を「格安」で「譲って貰った」

「記憶」が、有ります。

 

「田村さん」の「飼育施設」には「コンクリート造り」の

「坪池」(つぼいけ・「畳2枚の広さ」)が「十数面」ある他

「大小様々な」「プラ船」(「保温資材」を使った「プラスチック製」の」池」』で

「移動可能」な「水槽」)が「10面近く」有ります。

 

「亡・田村さん」は「らんちゅう専門」で「飼育」していました。

「趣味」でやっており「金魚屋」では、有りませんでした。

  しかし「興味がある人」には「格安」で「譲ってあげた事」があったと

「奥さん」から「聞いた事」が、有ります。

 

    私は「去年」「田村さん」が「亡くなっていた事」を、「偶然に」知りました。

   そして、私は、「田村さん」の「自宅を訪れ」(おとずれ)」ました。

「息子さん」が「らんちゅう」を「趣味」で「飼育」している「池・2面」以外は

「活用していない事」を「奥さん」から「教えてもらい」ました。

 

「奥さん」にとっても「らんちゅう飼育」は「亡くなった」「田村さん」との

「思い出」が有り「設備」を「壊す事」に「ためらいが有った」のだと、思います。

「田村さん」が「亡くなっから「12年間」「そのままにしていた」様でした。

 

  私は「初対面にも拘らず」「図々しく」「池」を「貸して欲しい」と

「懇願」(こんがん)しました。

「奥さん」は「最初」私を「胡散臭い男」(うさんくさいおとこ)だと「思った」そうです。

 

  私は「らんちゅう飼育への思い」を「熱く語り」ました。

  そして、私の「粘り勝ち」で「OK」を「貰いまし」た。

「賃料」は「格安」で「口頭だけ」の「契約」でした。

 

「奥さんは」「笑いながら」

「軒を貸して母屋を取られる」事は「無いよね」と、言いました。

 

「軒を貸して母屋を取られる」(のきをかしておもやをとられる)の、意味は

 

・「一部を貸したばかりに、全部を取られる」

・「好意でした事に対し、裏切られる」

 

   です。

 

 

「1・6・14」

 

「親魚・9匹」・『「4月」に「師匠から譲ってもらった」「19匹」の「稚魚」の内

「生き残った」』・6匹」

「今回譲ってもらった」『「二軍・「三軍」の「稚魚」・40匹」』

「合計・55匹」を「田村さん」の「三つの池」に「預け」ました。

 

「池の掃除」・「水張り」は「昨日」に「行い」ました。

「らんちゅう」が「アンモニア中毒」で「死なないよう」

バクテリア」が「大量に住み着いている」「シュロの皮」と「水」も

「池」に「投入」しました。

 

「エサやり」は「奥さん」に「お願い」しました。

「エサ」は「粉のり」と「ニボシのだし粉」だけです。

 

「一軍」の「25匹」の「稚魚」は「5匹」ずつ「5個」の「プランター・水槽」で

  私が「家のベランダ」で「飼育」する事に、しました。

 

  私は「その夜」「大量のミジンコ」を「捕獲し」「稚魚」に「与え」ました。

「一部は」「養殖用」に、しました。

「師匠から」「好意」で「譲って貰った」「稚魚」に対し「出来る範囲」で

「可愛がって」やろうと、私は思っています。

 

「金魚」を「大きく育てる」のは「簡単」です。

「広々とした」「環境」で「少数飼育」するだけです。

「金魚」の「成長のスピード」と「1匹あたり」が「占有」できる「水面の広さ」は

「ほぼ比例」するという「ネットの記事」を「読んだ事」が、あります。

 

「去年」「ベランダ」で「プランター」で「作った水槽」の中で「育てていた」

「らんちゅう」を「田村さん」の「坪池」に「放流したら」「らんちゅう」を

「1週間ごと」に「視察」すると

「見る度に」「一回り大きくなっていて」「ビックリ」しました。

「もっとも」「無限大に」「大きくなる事」は、有りません、

「一般的」には「15cm」が「限度」と、言われています。

 

 

 

「自然薯栽培」

 

「1・6・9」

 

「神のお告げ」が、あったのかも知れません。

   あるいは「天使に微笑まれた」のかも、知れません。

「昨年10月」に「採取」した「自然薯のムカゴ」の「夢を見て」「目覚め」ました。

 

「コンビニ」の「レジ袋」に入れ「テーブルの上」に「無造作」に「放置」してあった

「ムカゴ」を「思い出し」ました。

 

「袋を開ける」と「100個以上」と「思われる」「ムカゴ」が「発芽」していました。

「中には」「ツル」が「5cm位」「伸びている物」も有り

「根」が「こんがらかる」ように「伸びて」いました。

 

「土」も「水分」も無い「環境」で「起きた事象」に、私は「改めて」

「生命力の凄さ」を「感じ」ました。

 

「ムカゴ」とは「葉の光合成」によりできた「澱粉」(デンプン)が「イモ」に行かず

「葉のつけねあたり」についた「丸い」「肉芽」(にくが)です。

「成分」は「自然薯」と「同じ」です。

 

「ネット」で「検索」すると「43種類」の「レシピ」(「調理方法」)が、有るそうです。

  私が「今年」「購入した」「種イモ」は

「ムカゴ」を「1年間かけ」「育てた物」です。

  私は「発芽したムカゴ」で「種イモ」を「作る事」に、しました。

 

「取り敢えず」「こんがらがった根」を「慎重」に「ほどき」「バラし」

「砂の中」に「埋め」ました。

「培養土」(ばいようど)を「作り」「植え替え」する「予定」でした。

 

  その「作業」に「取り掛かろう」と、していた時「師匠」から「ライン」で「連絡”」が

「有り」ました。

  私は「頭の中を整理」して「優先順位」を「決め」ました。

  私は「昔から」「同時期」に「複数の問題」が「発生」しても

「慌てる事無く」「事の本質を分析」し

「正しい」「優先順位を決め」「物事」を「スムーズ」に「進める」「習慣」が、有りました。

 

「らんちゅう」の「稚魚」を「獲得できるチャンス」は「今しか無い」と、思いました。

「師匠」が、私に「「好意的」で、有っても「飼育スペース」を「勘案」(かんあん)すれば

「他の購入希望者」に「売却される」のは「目に見えて」いました。

 

  一方「ムカゴ」は「厳しい環境」に「負けない」「生命力」を「持って」います。

  しかも「砂の中」に「仮植え」してあります。

「培養土」の中に「定植する」のが「数日遅れても」「致命傷」には「ならない」と

  私は「判断」しました。

 

  たとえ「間違った判断」だったとしても「自分の為した判断」なので

「悔いる」(くいる)事は、しません。

 

「ムカゴ」の「栽培」は「次回のブログ」で「紹介」させてもらう、つもりです。

 

 

 

「セクハラ的」「曲名」「歌詞」が「横行する中」

「3代目・3人娘」の「1人」・「黛 ジュン」(まゆずみじゅん)は

「天使の誘惑」という「爽やかな」(さわやかな)「歌」を、歌いました。

「1,968年」に「第10回・日本レコード大賞」を「受賞」しました。

   私は、特に「黛 ジュン」を「歌が上手い」とも思えず「好きでも」ありませんでした。

 

黛ジュン」は「1,948年生まれ」の「歌手」「女優」でした。

「実兄」は「三木 たかし」という「有名な作曲家」でした。

 

「三木 たかし」の「代表作」としては

 

・「津軽海峡冬景色」(「石川 さゆり」)

・「能登半島」(「石川 さゆり」)

・「風の盆恋歌(「石川 さゆり」)

・「つぐない」(「テレサ・テン」)

・「時の流れに身をまかせ」(「テレサ・テン」)

・「みずいろの手紙」(「あべ 静江」)

・「禁じられた恋」(「森山 良子」)

・「遣らずの雨」(「川中 美幸」)

・「夜桜お七」(「坂本 冬美」)

・「北の蛍」(「森 進一」)

・「昭和たずねびと」(「石原 裕次郎」)

 

   他「昭和を代表する」「名曲」を「数多く作曲」しました。

   私も「酔った勢い」で「何曲」かを「歌った記憶」が、有ります。

   (特に「津軽海峡冬景色」)

 

 

「黛 ジュン」「天使の誘惑」「作詞」:「なかにし 礼」「作曲」:「鈴木 邦彦」

 

好きなのに あの人はいない

話し相手は 涙だけなの

幸せは オレンジ色の

雲の流れに 流れて消えた

私の唇に(くちびるに)  人さし指で

くちづけして あきらめた人

ごめんなさいね あの日のことは

恋の意味さえ 知らずにいたの

 

砂浜で 泣きまねすると

やさしい声が 流れてくるの

思い出は オレンジ色の

雲のかなたに 浮かんでいるの

私の唇に 人さし指で

口づけして あきらめた人

今此処に(ここに)  あの人がいたら

陽にやけた(ひにやけた)胸に 飛び込むでしょう

飛び込むでしょう・・・・・

 

 

「天使の微笑み」を「英語」で言うと

 

「Angel  Smil

 

(天使の微笑み)

 

と、言うそうです。