何気なく使っている言葉の意味

「小さく産んで大きく育てる」

 

 皆さんは「小さく産んで大きく育てる」という「ことわざ」を「知って」いますか?

「子を持つ親」「祖父母」なら「聞いた事」は、有ると思います。

 

その意味は、

 

・「小さな赤ん坊」を「産んで」「大きな子」に「成長させる」ほうが

   「楽」で「賢明」

     (しかし、「赤ん坊」を「意図的に」「小さく産もう」と、思っても「出来ない」)

     (又「小さく産んだ」から「楽だった」と言う話を「聞いた事」は、ありません)

 

・「事業」なども「無理な借金」などせず「小資本」で始め

   「だんだん大きくする」のが「良いやり方」

 

    だそうです。

 

 

・「低出生体重児」(ていしゅっしょうたいじゅうじ)とは、

   「生まれた時」「2,500g未満」の「赤ちゃん」のことです。

 

・「未熟児」(みじゅくじ)とは、

   「呼吸機能」「哺乳能力」(ほにゅうのうりょく)等、「本来」「赤ちゃん」に備わるべき

   「生命機能」が「成熟していない」「新生児」のことです。

 

・「早産児」(そうざんじ)とは、

   「在胎週数」(ざいたいしゅうすう)が「「37週未満」で「生まれた」

   「赤ちゃん」のことです。

   「胎児・37週〜42週」で、生まれた「赤ちゃん」は

   「正常出生児」(せいじょうしゅっせいじ)と、呼ばれるそうです。

 

  これらの「非正常出生児」には「ママ達」の「ダイエット志向」「高齢出産の増加」

「喫煙率の増加」「不妊治療」等が「要因」となる事も、あるそうです。

「昔は」「死産」(しざん)に繋がった(つながった)「ケース」も、あった様です。

 

「現在」は「医療技術の進歩」「両親」の「慈愛」(じあい)により

「正常出生児」と「何ら遜色無く」(なんらそんしょくなく)「成長」出来るそうです。

 

「慈愛」(じあい)の意味は

『「親」が「我が子」を「いつくしみ・かわいがる」「深い愛情」』

 です。

 

「わが子」を「虐待」(ぎゃくたい)し「殺す親」も「ごく稀(まれ)に」いますが

「法の下」で「裁かれ」「鬼畜生(おにちくしょう)にも劣る」と言われながら

「残りの人生」で「罪を償うべき」(つみをつぐなうべき)だと、私は思っています。

 

「鬼畜生」は「鬼畜」(きちく)から「転じた」(てんじた)言葉です。

「鬼畜」の意味は

「人を人とも思わない」ような「残酷な行為」「非道な行為」をする人

 です。

 

「手紙の最後」に『ご「自愛」下さいませ』と「書く人」が、います。

「自愛」(じあい)の意味は

 

『「自分自身」を「いつくしみ」「かわいがる」「大切にする」』

 です。

 

 

「小さく産んで大きく育てる」の「類似語」を「検索」しても、出て来ません。

 

「量より質」

「大器晩成」(たいきばんせい)

「じっくり時間をかけて」

「焦る事なく」(あせることなく)

「欲をかかず地道に」

「堅実経営」(けんじつけいえい)

「答えを急がない」

「急いては事を仕損じる」(せいてはことをしそんじる)

「物事を小さく始めて大きく育てる」

「山椒は小粒でピリリと辛い」(さんしょはこつぶでぴりりとからい)

トランジスタ・グラマー」

 

  辺りが「妥当」な気が、します。

 

 

「「小さく産んで大きく育てる」の「反対語」を「検索」しても、出て来ません。

 

「大は小を兼ねる」

「大きい事はいい事だ」

「質より量」

「スタートダッシュ

「ウサギとカメ」

竜頭蛇尾」(りゅうとうだび)

「看板倒れ」

「評判倒れ」

 

辺りが「妥当」な、気がします。

 

 

「産む」(うむ)と「生む」(うむ)の「使い分け」に「迷った事」が、有りませんか?。

 

「産む」という「言葉」は

 

「出産時」「その直後の時点」を「指した」「言葉」です。

「出産」のみを指す「言葉」です。

 

「生む」という「言葉」は

 

「時間の制限無く」使える「言葉」です。

「産んだ子供」が「大きく」なったら「生んだ子供」と「使い分け」ます。

「出産以外」にも使える「表現」です。

「生む」は「産む」より「幅広い意味」で、使うことが出来ます。

「使い分け」に「迷った時」は「生む」を「選ぶ」のが「無難」です。

 

 

  私が「支店を回っていた頃「小代」(しょうだい)と言う「名字」の

「優秀な若者」がいました。

「小代さん」は、私を「慕って」(したって)くれていました。

 

  私は「大小」(だいしょう)という「言葉」は「聞いた事」は、有りましたが

「小大」(しょうだい)と言う「言葉」を「聞いた事」は、有りませんでした。

 私は「支店での仕事の帰り」「電車の中」で「チュウハイ」を飲みながら考えていました。

そして「針小棒大」(しんしょうぼうだい)と言う「四字熟語」を、思い出しました。

 

針小棒大」の「意味」は

 

「針程の小さな事」を「棒のように大きく」言うこと

「小さな物事」を「大袈裟」(おおげさ)に言うこと

「話を大きく誇張(こちょう)」すること

「騒ぎを大きくする」こと

 

  です。

 

 

針小棒大」の「類義語」としては

 

「大言壮語」(たいげんそうご)

  (「実力以上」に「大きな事」を言うこと

「大風呂敷」(おおぶろしき)

  (「出来そうもない」「大袈裟な計画・話」という意味で「大風呂敷を広げる」と使う

「過大評価」(かだいひょうか)

  (「物事」を「実際より「高く見積る」「高く評価」すること

 

 辺りが、「該当」するそうです。

 

 私は『「針小」棒大」』を『「心小」「棒大」』と、読み替えました、

そして「ある時」「女性のスタッフさん」に

「私」は「心大棒小」(しんだいぼうしょう)

  (「心は大きい」が「棒は小さい」)

 と言った事が、有りました。

 

「スタッフさん」は、私を「しばらくの間」「睨み(にらみ)付けるように」見ていました。

 私は「セクハラ」と「言われる事」を「覚悟」しました。

しかし、「スタッフさん」は、しばらくして「笑って許して」くれました。

 

 

「和田 アキ子」は「笑って許して」という「歌」を、歌いました。

「和田 アキ子」は「1,950年生まれ」で「在日韓国人」でしたが「帰化」(きか)しました。

「15歳」から「ジャズ喫茶」や「ゴーゴークラブ」で「歌い始め」ました。

『「和製」「リズム・アンド・ブルー」の「女王」』と「呼ばれて」いました。

 

「174cm」の「大柄な体躯(たいく)」と「自由奔放な言動」より

「女番長」と、言われていました。

「笑って許して」で「NHK紅白歌合戦」に「初出場」しました。

 

「和田 アキ子」「笑って許して」「作詞」:「阿久 悠」「作曲」:「羽根田 武邦」

 

笑って許して  小さなことと

笑って許して  こんな私を

抱きしめて  許すといってよ

いまはあなたひとり  あなたひとり

命ときめ  命ときめ  愛しているの

愛しているの  しんじてほしい

笑って許して  恋のあやまち

笑って許して  おねがいよ

 

たったひとこと  ほほえみ見せて

たったひとこと  ことばがほしい

いじめても  許すといってよ

いまはあなたひとり  あなたひとり

命ときめ  命ときめ  愛しているの

愛しているの  しんじてほしい

笑って許して  なんでもないと

笑って許して お願いよ

 

  和田アキ子」は「あの鐘を鳴らすのはあなた」という「歌」を、歌っていました。

  私は「就業時間」の「終わりを告げる」「チャイム」(鐘の音)と共に

「退社」(たいしゃ)する人を「鐘と共に去りぬ」と、思っていました。

 

  私は「何故か」「私達の時代」に「活躍」した「外国の有名女優」の「名前」を

「覚えて」います。

 

「映画名」「風と共に去りぬ」「ヴィヴィアン・リー」「役名」「スカーレット・オハラ

 

「映画名」「ローマの休日」「オードリー・ヘプバーン」「役名」「アン王女」

 

「映画名」「カサブランカ」(白ユリ)「イングリッド・バーグマン」「役名」「記憶なし」

 

「映画名」「シェルブールの雨傘」「カトリーヌ・ドヌーブ」「役名」「記憶なし」

 

「映画名」「ひまわり」「ソフィア・ローレン」「役名」「記憶なし」

 

「映画名」「記憶なし」「グレース・ケリー」「役名」「記憶なし」

 

「映画名」「記憶なし」「ブリジッド・バルドー」「記憶なし」

 

  以上の内「ローマの休日」を「映画館」で、見ました。

 

 

「31・5・16」

 

「31・5・9」に「産卵」した「卵」が「孵化」し

「稚魚」(針仔・はりこ)が「泳いでいる」のを私は「発見」しました。

 

  私は「毎日」「卵の孵化状況」を「観察して」していましたが

「見過ごして」しまいました。

「他にも」「泳いでいる稚魚」がいないか「目を皿のようにして」「探し」ましたが

「見つける事」は、出来ませんでした。

 

「らんちゅうの稚魚」は「他の金魚と同じく」「黒色」をしています。

「黒色の水槽」が「保護色」となり「見つけられなかった」のかも、知れません。

「ひしゃく」で「ひとすくい」すると「10匹近く」の「稚魚」が「入って」いました。

 

  私は「慌てて」「粉末のり」と「にぼし粉」を「水槽」に「投入」しました。

「何匹かの稚魚」が「水面に浮き上がって」「餌を突くように」「食べている」のが

「かろうじて」見えました。

 

「その晩」私は「田んぼ」で「ミジンコ」を「捕獲し」「産まれたばかり」の

「稚魚」がいる「水槽」に「投入」しました。

「日中に」「ミジンコのいる田んぼ」を「確認して」ありました。

「ミジンコ」は「懐中電灯の光」に「集まり」「水面に浮き上がってくる」ので

「夜」しか「採取」出来ません。

「夜明け」に「採る方法」もあるそうですが、私には「採れません」でした。

 

「大量」の「ミジンコ」が「集まる」と「あたかも」「竜巻のように」

「水中」で「回転しながら」「泳ぎ回り」ます。

「いわしの大群」と「似た光景」です。

  私は「トルネード」(竜巻)と呼んでいます。

 

「網を設置」し「網」に「懐中電灯の光」を「当てると」

「ミジンコ」は「勝手に」網の中に入って」きます。

「田んぼの泥」を「すくうことなく」「捕獲」できます。

 

「西田 佐知子」(にしださちこ・「関口 宏」の)妻の「歌」

「東京ブルース」の「歌詞」の「一節」に

 

「泣いた女が  バカなのか」

「だました男が  悪いのか」

 

 が、有ります。

 

 私は「つぶやくように」「歌いながら」「ミジンコ」を「採って」います。

 

「だました私が  悪いのか」

「それとも  ミジンコが  バカなのか」

 

「去年」私は「4月〜5月」の間「平日」は「会社から帰った後」「9時〜12時」まで、

「金曜日」は「明け方」まで「あちこち」で「ミジンコ」を「採取」しました。

「この頃」私は、「自分」は「狩猟民族」(「縄文人」)だと「思って」いました。

 

  しかし「ミジンコ」は「環境変化」に対して「非常に」「デリケート」な「生物」で

「1匹」も「採れない日」が「何度も」有りました。

「6月」になると「水中生物」が「多くなり」「ミジンコ」を「食べてしまう」ので

「全く」「取れなく」なりました。

 

「この頃」私は「ミジンコ」の「代替物」(だいたいぶつ)を「試行錯誤」しながら

「探して」いました。

  そして「たどり着いた」のが「粉末のり」と「にぼし粉」でした。

 

「稚魚」は「好んで食べてくれました。

「栄養学的」にも「カルシウム」を「多量に含んで」おり

「骨格が丈夫」に、なります。

  また、「カロチン」を「含んで」おり「金魚の色」を「鮮やか」(あざやか)にする

「効果」も「期待でき」そうです。

 

「市販の金魚のエサ」のように「水質」を「悪化させる事」も少なく「水替え」も

「かなり少なくて」すみます。

 

  私は「安定して」「ミジンコ」を「確保する」ため「水槽に残っていた」「ミジンコ」で

「繁殖させる事」を「試み」ました。

「色々な方法」で「試行錯誤」しました。

 

  そして「ある程度」の「成果」が「出るように」なりました。

「この頃」私は『「自分」は「狩猟民族」(「縄文人」)から「農耕民族」(「弥生人」)に

「進化した』と、思いました。

 

縄文時代」〜「弥生時代」の「1万年間」の「歴史」を「僅か」「3ヶ月間」で

「駆け抜けてしまった事」より、私は「この時期」「自分」を

時をかける少女」(原田知世・はらだともよ)と「名乗って」いました。

 

「孵化直後」の「稚魚」は「長さ」は「3mm〜5mm」位有りますが

「横幅」は「0.3mm」位しか無く『「大人」の「ミジンコ」』を

「食べる事」は「不可能」です。

 

  私は「水槽」に「ミジンコの好物」「イースト菌」を「稚魚に影響しない」よう

「薄めに」に「入れ」ました。

「ミジンコ」は「群がって」「集まって」来ました。

 

「ミジンコ」は「子供」(「親と同じ姿」をした「クローン」)を、産むはずです。

「子供の大きさ」であれば「稚魚の口」に「入り」ます。

  私の「考える」「同じ水槽の中」で「ミジンコ」が「増殖」し「稚魚」が「育つ」という

ユートピア」(理想郷・りそうきょう)です。

 

ユートピア」の意味は

『「想像上」に「描かれた」(えがかれた)「理想上」の「世界」』です。

「儚い夢」(はかないゆめ)で終わる「可能性大」です。

 

「稚魚」は「孵化後」「「2〜3日」は「ヨークサック」

  (「腹」についている「栄養の詰まった袋」(「日本語」で「さいのう?」)

  の栄養で「ジット」「水槽の中」で、暮らしています。

「ヨークサック」の「栄養」を「使い果たす」と「エサ」を「求めて」泳ぎ出します。

 

 つまり「31・5・14」には「孵化していた」という事です。

 

「泳ぎ出し」「エサ」に「遭遇(そうぐう)出来ない稚魚」は

「餓死」(がし)してしまいます。

「稚魚」が「餓死」せず「泳ぎ回って」いるのは「何か」を「食べていた」からです。

 

「稚魚」が「食べていた物」は「バクテリア」だったと、私は思います。

バクテリア」(細菌)の「大きさ」は「約  1ミクロン」(「1mm」の「1000分の1」)で

「細胞」が有ります。

「十分に」「稚魚のエサ」と、なり得ます。

 

 一方「様々な病気」を「引き起こす」「ウィルス」には「細胞」が無く

「他の生物」の「細胞」に「寄生」し「増殖」(ぞうしょく)します。

  私の「水槽」には「大量」の「バクテリア」が「住み着いて」います。

「ウイルス」は「バクテリア」に「阻まれ」(はばまれ)「金魚」に「寄生」できないはずです。

「結果的に」「金魚」は「病気にかからない」と、私は思っています。

 

「師匠」から『「譲ってもらった」「6匹の金魚」』は「順調に」大きくなっています。

「来月」には「隣町」の「田村さん」から「借りる予定」の「大きく広い池」に

「引っ越し」させようとと、考えています。

 

「先月孵化した」「稚魚」も「順調」に「育って」います。

「同じ親から生まれても」「個体」に「かなり差」が、あります。

「可哀想」ですが「選別」し「ダメな稚魚」は「淘汰」(とうた)せねば、なりません。

「最終的」には「何回かの選別」を経て「200匹位」にするつもりです。

 

「自然薯のツル」も「竹に巻き付き」「上へ、上へ」と「伸びて」います。

 

  それぞれの「経過」に付いては「このブログ」で「報告させてもらう」つもりです。

 

 

  私は「今回」「生まれてくれた」「稚魚」(「針仔」・はりこ)に「心を込めて」

「こんにちは赤ちゃん」と、言いました。 

『「小さく産まれ」ても、私が「大きく育ててあげる」』と「約束」しました。

 

 

梓 みちよ」は「こんにちは赤ちゃん」という「歌」を、歌いました。

「梓 みちよ」は「1,943年生まれ」で「宝塚音楽学校」を「中退」した

「歌手・女優」です。

 

「1,962年」「こんにちは赤ちゃん」が「大ヒット」し

「第5回 日本レコード大賞」を「受賞」しました。

「第14回 NHK紅白歌合戦」に「初出場」を「果たし」ました。

 

  また「1,963年3月」の「第36回 選抜高校野球」の

「開会式入場行進曲」に「採用」されました。

「当時」私は「9歳」でしたが「高校野球」と「赤ちゃん」の「コラボ」が

「ピント」来なかったのを「覚えて」います。

 

「1,964年5月」に「開催」された「学習院初等科同窓会」に「招待」され

昭和天皇」の「御前」(ごぜん)で「この歌」を「披露」(ひろう)しました。

「明治時代以降」において「日本芸能界初」の「天覧歌謡曲」(てんらんかようきょく)に

  なりました。

 

 

「梓 みちよ」「こんにちは赤ちゃん」「作詞」:「永 六輔」「作曲」:「中村 八大」

 

こんにちは赤ちゃん  あなたの笑顔

こんにちは赤ちゃん  あなたの泣き声

その小さな手  つぶらな瞳(ひとみ)

はじめまして  わたしがママよ

こんにちは赤ちゃん  あなたの生命(いのち)

こんにちは赤ちゃん  あなたの未来に

このしあわせが  パパの希望よ(のぞみよ)

はじめまして  わたしがママよ

 

ふたりだけの  愛のしるし

すこやかに美しく  育てと祈る

こんにちは赤ちゃん  お願いがあるの

こんにちは赤ちゃん  ときどきはパパと

ホラふたりだけの  静かな夜を

つくってほしいの  おやすみなさい

お願い赤ちゃん  おやすみ赤ちゃん

わたしがママよ

 

 

「小さく産んで大きく育てる」を「英語」で

 

「have a small baby and  raise him to grow big」

 

(「小さな赤ちゃん」を「大きく」「育てあげる」)

 

と、言うそうです。