何気なく使っている言葉の意味

コロンブスの卵」

 

「皆さん」は「コロンブスの卵」と言う「ことわざ」を「使った事」が、有りませんか。?

 

コロンブスの卵」の「意味」は

 

『「誰か」が「初めて」「成功した後」に、それを「真似さすれば」

「苦労無く」「容易に出来る」事は「多い」が

「自分」が『「最初」に「思いつき」「実行する事」は「難しい」』

 

  です。

 

クリストファー・コロンブス」は「15世紀後半」に「活躍」した

「イタリア生まれ」の「冒険家」です。

大航海時代」には「スペイン」の「航海者」として

「世界を開拓」(植民地化)「奴隷収拾」(どれいしゅうしゅう)を、しました。

 

「初めて」「西回り航海」する事を思いつき「アメリカ大陸」を「発見」し

「一躍有名」(いちやくゆうめい)に、なりました。

 

コロンブス」の「偉業」(いぎょう)を「讃える」「パーティー」が「開催」されました。

コロンブス」の「快挙」(かいきょ)を「妬んだ」(ねたんだ)「誰か」が

『たまたま「西へ進み」「見つけただけの事」で「大した「手柄」では無い」』

  という意味の「嫌味」(いやみ)を、言いました。

 

  (「当時」は「新大陸」へ「到達する」には「東回り航海」しかない、と「考える」のが

「常識」で「過去」に「西回り航海」を「実践」(じっせん)した人は、いませんでした)

 

 

コロンブス」は「卓上」に有った「ゆで卵」を「指差し」「パーティー出席者一同」に

「誰か」この「卵」を「立てる事ができますか?」と、問いました。

「皆は」いろいろと「試み」(こころみ)ましたが、出来ませんでした。

コロンブス」は「ゆで卵」の「お尻の部分」を「ポンと殻(から)を割って」

「立てました」

 

「皆は」『なんだ「簡単」じゃないか』と、言いました。

コロンブス」は『「何事」も『「種明かし」された事を「後から真似る事」は

「簡単に見える」が「最初に行う事」には「発想」と「実行力」が無ければ「不可能」だ。

『「新大陸発見」も「同じだ」』と「静かに」  言いました。

コロンブス」の「言葉」に「異議を唱える(となえる)者」は「誰も」いませんでした。 

 

コロンブス」の「偉業」は「人間の持つ」『「先入観」・「固定観念」』を

「捨て去る事」で「なし得た」と、私は思っています。

 

コロンブスの卵」の「同義語」「類似語」を「ネット」で「検索」しても

  出て来ません。

 

『「頭の柔らかさ」から来る「ひらめき」』

『「アイデア」・「着眼点」』

『「先駆者」・「パイオニア」』

『「自由奔放・「意外性」』

『「型破り」・「独創的」』

『「規格外」・「常識外れ」』

 

  辺りが「妥当な気」が、します。

 

コロンブスの卵」の「対義語」「反対語」を「ネット」で「検索」しても

  出て来ません。

 

『「先入観」・「固定観念」』

『「失敗を恐れる」・「経験値が少ない」』

『「頑固」・「融通がきかない」』

『「旧態依然」・「現状維持」』

『「こだわり」・「固執」』

『「主観的」・「排他的」』

 

  辺りが「妥当な気」が、します。

 

「卵」の付く「ことわざ」として、私が「真っ先」に浮かんだのは

 

『「金の卵を産む」「鵞鳥」(がちょう)を「殺すな」』(イソップ寓話)

 

  です。その「意味」は

 

『「大事に」「育てていれば」「長く続くはずの利益」を「目先の欲」に、かられて

「無駄にするな」

 

  です。

 

・「ある所」に「1日に1個」ずつ「金の卵を産む」「ガチョウ」を

   「持っている男」がいました。

・「男」は「ガチョウ」の「お腹」には「沢山」(たくさん)の

   「金の卵」が詰まっているいると思い、

  「ガチョウ」を「殺し」「お腹」を「割き」(さき)ました。

 

・  しかし「お腹の中」には「何も」入っていませんでした。

・「毎日」「大事に育てていれば」「1日に1個」は「金の卵」を「産んで」くれたのに

    「以後」「何も手にする事」が「出来なくなって」しまいました。

 

「欲深い行動」「先の事を考えない行動」の「愚かさを」は

「結局」「損をする事」の「例え」です。

「ビジネスの世界」にも「当てはまる」そうです。

 

「ガチョウ」と「アヒル」は「良く似て」います。

「共に」「カモ目・カモ科」です。

「人間の手」により「家畜化」(かちくか)され「翼」(つばさ)はあるものの、飛べません。

 

「ガチョウ」は「雁(がん)亜科」(あか)です。(「ハクチョウ」を含む)

アンデルセン童話」の「みにくいアヒルの子」は「みにくいガチョウの子」が

「正しかった」のかも、知れません。

 

「アヒル」は「ディズニー」の「ドナルドダック」の「イメージ」が有ります。

「ペット」の「イメージ」が、ありますが、「一般に流通」している

「鴨肉」(かもにく)「合鴨肉」(あいがもにく)は「アヒル」の、肉だそうです。

 

「知らぬが仏」です。

「知る事は」必ずしも「良い事」では無いと、私は思っています。

「知るが煩悩」(しるがぼんのう)です。

 

「ガチョウ」は「アヒル」より「一回り」大きいです。

『「ガチョウの肝臓」「フォアグラ」』は「キャビア」・「「トリュフ」と並び

「世界3大珍味」と、言われています。

 

鳥インフルエンザ」の関係より「日本」では「フォアグラ」は「製造禁止」です。

「海外」から「輸入」される為「高値」で「取り引き」されています。

『「私のような」「庶民の口」』に、入る事は「滅多に」ありません。

 

 

「日本」にも、似た意味の「ことわざ」があります。

 

「慌てる乞食は貰いが少ない」(あわてるこじきはもらいがすくない)  

  その意味は

 

・『「少しでも早く」「たくさん貰おうと」「欲張る」「乞食」「こじき)は

  「施す(ほどこす)人」に『「欲深さ」(よくふかさ)を「見透かされ」て「反感」を買い」

  「かえって」「もらい分」が「減ってしまう」』

 

・『「慌てて」(あわてて)「急ぎすぎる」と 「結果的」に「失敗」したり、

      かえって「損をする」ことの「たとえ」』

 

     だ、そうです。

 

 

「卵」と言うと「他に」も「有名」な「ことわざ」が有ります。

 

『「鶏(にわとり)が先」か「卵が先」か』

その意味は

 

・「どちらが先」に「誕生したか」という「因果性」(いんがせい)を「問う」「言葉」です。

・「ニワトリ」は「卵」から「産まれ」ます。

・「ニワトリ」は「卵」を「産み」ます。

・「結論が出ない」時に「使う言葉」です。

 

・「親子丼」を「食べる」時『「鶏肉」を先に食べる」』か

   『「とじ卵」を先に食べる」』かの「問題」であれば「哲学者」で無くても

  「答え」を「導き出す」事が  「出来る」かも、知れません。

 

「一人前」の「寿司」を「食べる時」「1番好きな寿司」を「最初に食べるか」

「最後に食べるか」の「問題」に「似ている気」がします。

  私は「一番好きな寿司」を「最初に」食べます。

「最初に食べた方」が「より美味く感じる」と「信じて」いるからです。

 

コロンブス」が「アメリカ大陸」に「上陸」すると「先住民」がいました、

『「荒野」』(こうや)で「暮らす」「インディアン」です。

コロンブス」率いる「スペイン軍」は「インディアン」を

「大虐殺」(だいぎゃくさつ)による「非人道的弾圧」をしました。

コロンブス」は「英雄」(えいゆう)として「祭り上げられる」べき

「人物像」では、無いと、私は考えています。

 

 

 「中島みゆき」は「荒野より」(こうやより)という「歌」を、歌いました。

中島みゆき」は「松山千春」より「2歳」「先輩」で「共に」「北海道出身」です。

「一時」「結婚」するのでは?と「噂」された様ですが「破局」したそうです。

「二人の共通点」には「歌が上手い」「難しい歌が多い」があると、私は思っています。

 

中島みゆき」「荒野より」「作詞」:「作曲」:「中島みゆき

 

望みは何かと訊かれたら(きかれたら」  君がこの星に居てくれることだ

力は何かと訊かれたら  君を思えば立ち直れることだ

 

僕は走っているだろう  君と走っているだろう

あいだにどんな距離が  あっても

僕は笑っているだろう  君と笑っているだろう

あいだにどんな時が  流れても

 

荒野より君に告ぐ(つぐ)    僕の為に立ち停まるな

荒野より君を呼ぶ  後悔など何もない

朝陽(あさひ)の昇らぬ日は来ても  君の声を疑う日はないだろう

誓いは嵐にちぎれても  君の声を忘れる日はないだろう

 

僕は歌っているだろう  君と歌っているだろう

あいだにどんな距離が  あっても

僕は生きているだろう  君と生きているだろう

あいだにどんな時が  流れても

 

荒野より君に告ぐ  僕の為に立ち停まるな

荒野より君を呼ぶ  後悔など何もない

 

僕は走っているだろう  君と走っているだろう

あいだにどんな距離が  あっても

僕は笑っているだろう  君と笑っているだろう

あいだにどんな時が  流れても

 

荒野より君に告ぐ  僕の為に立ち停まるな

荒野より君を呼ぶ  後悔など何もない

荒野より君に告ぐ  僕の為に立ち停まるな

荒野より君を呼ぶ  後悔など何もない

 

「前回のブログ」「芽生える」で「自然薯栽培」の「写真」「7枚」を

「知人の力」を借り「添付」し「投稿」しました。

  しかし、「文章」に「誤字」「脱字」「衍字」(えんじ・不要な文字)が、あった為

「編集画面」に、戻し「訂正」した上で「再投稿」しました。

  すると「写真」は「消えて」しまいました。

 

  私は「極度」の「機械音痴」(きかいおんち)で「方向音痴」でも、あります。

「知人」は「パソコン」と「iPad」を「ケーブル」で、つないで「作業」していました。

  何をしているのか、私には「チンプンカンプン」でした。

 

 「覚えよう」という「気力」も「湧いて」来ません。

  今後「写真・動画」を「ブログ」に「添付する場合」は

「訂正」が「発生しない様」に

「文書作成」→「推敲」(すいこう)→「校正」(こうせい)してから「行うように」します。

 

 

 

「らんちゅう飼育」

 

  私は「30歳代」にも「数種類」の「金魚」を「何十匹」か「飼って」いました。

「らんちゅう」は「1匹」だけでした。

「ガラスの水槽」で飼ったり、「家具屋」で「作ってもらった」

「木枠」(きわく)の「水槽」で「飼っていた時期」も、ありました。

 

「最後」は「小さな水槽」で「たくさん」の「金魚」を「飼って」いました。

  ある時「停電」があり「エアーポンプ」から「酸素」を送れず

「酸欠」で「全滅」しました。

「過密飼育」で無ければ「「助かっていた」はずでした。

 

「6年前」「ホームセンター」の「園芸コーナー」で「黒く」「長方形に近い」

「船形」の「プランター」を、発見しました。

  それを見て『「脚の部分」に「空いて」(あいて)いる「2ヶ所」の穴」』を 

「塞げば」(ふさげば)「立派な水槽」になりそうだと、私は感じました。

「黒い水槽」の中で「泳ぐ」「赤い金魚」は「映える」(はえる)と、思いました。

「黒」と「赤」は、私の「好きな」「色の組み合わせ」です。

 

「上見」(うわみ・上から見る事」)で「鑑賞」するのが「ベスト」と言われる

「らんちゅう」の「水槽」には「最適」だと、私は感じました。

「大きな」「ガラスの水槽」だと「5,000円位」します。

 

プランター」で作った「水槽」であれば「穴を塞ぐ材料」を含めても「500円位」です。

「容量」は「プランター」の「水槽」の方が「大きい」です。

「金魚」にとって「良い環境」と、私は思いました。

 

  私は「支店を回っていた頃」「らんちゅうを専門」に「繁殖」(はんしょく)させている

「後輩」がいました。

  私は「後輩の自宅」を「訪れ」「11匹」の「あまりに程度の良く無い」「らんちゅう」を

「譲り受け」ました。(「稚魚」を「卒業」したばかりの「金魚」でした)

  (「勿論」「金魚の価値」以上の「謝礼」は、しました。

 

  私は「帰宅」し「ベランダ」に「井戸水」を「汲み置き」してあった

「3個の水槽」に「金魚」を「水合わせ」(みずあわせ)した後「放流」(ほうりゅう)しました。

「水合わせ」とは「水槽」に「金魚」の入っている「ビニール袋」を浮かべ「温度差」を

「徐々に解消」する事です。

  しかし、「金魚」は「次々」に「死んで」しまいました。

 

  私は「ネット」で「金魚の生態」を含め「色々」「調べまくり」ました。

  そして「金魚の死の原因」は「バクテリア不足」が「原因」の

アンモニア中毒」だった事が「分かり」ました。

 

バクテリア」は「40億年前に誕生した」「生命の起源」です。

「そうした「力強さを持つ」「細菌」こそが「生物の命」を「守る」

「守護神」(しゅごしん)だと、私は思いました。

「以後」「バクテリア」を「基幹」(きかん)とした「飼育」をする様になってから

「1匹の金魚」も「病気になった事が無く」「死なせた事もない」と「豪語」していました。

 

 

  私は「今年の3月」「偶然に」「金魚の師匠」(きんぎょのししょう)と

  「素直に尊敬」できる「青年」と知り合い」ました。

  まだ「2回」しか「会っていない」ので「「詳しい事は」分かりません。

 

「師匠」は「父親と共に」「金魚屋」を「経営」しているようです。

「20歳そこそこ」の「青年」ですが「保育園の頃」から「金魚」に「携わって」来た為

「金魚の事」は「知り尽くして」いるようです。

 

「会社」の「ホームページ」を見ると「金魚の知識」もさることながら「パソコンの知識」も

  私には「到底手が届くレベル」では、ありません。

  私の「自然薯栽培」にも「興味を持ってくれ」「手伝える事」があれば

「協力する」と、言ってくれました。

 

「31・4・4」

 

「師匠」から「ライン」で「らんちゅうの青仔・19匹」「入荷」したとの

「連絡」が、ありました。

「購入」するのであれば「取り置き」(「他の人」には売らず「商品」を保管する事)

   してくれるとの事、でした。

「値段」は「信じられない程」「安値」でした。

 

「電話」すると「道の駅」で「金魚すくい」を「開催している」ので

  「取りに来て欲しい」との事、でした。

 

「金魚の稚魚」も「出世魚」と同じく「成長するごと」に「呼び方」が、変わります。

「卵が孵化」→「針仔」(はりこ)→「青仔」(あおこ)→「黒仔」(くろこ)

  →「虎ハゲ」(とらはげ・「黒色」から「金魚の色」に「変化」する「過程」)

 →「当歳」(とうさい)

 「金魚の年齢」の「数え方」は「人間」の「数え年」と同じ」です。

「生まれた時点」で「1歳となり」「正月」には「明け2歳」となります。

  (「誕生日」で「歳」を数えるのでは無く「正月」を「基準」に「歳」を、数えます。

 

  私は「自然薯栽培」の「作業中」でしたが「直ぐに」「現地」に、駆けつけました。

「師匠」は「1回・100円」で「金魚すくい」を「開催」しており

「多くの人」が、参加していました。

 

  私は「師匠」に『「自作の「プランター水槽」』に「金魚を放流」してくれる様

「頼み」ました。

  私の「水槽」の中で「らんちゅう」以外の「金魚」が

「見栄えするか」知りたかったからです。

 

「師匠」は「金魚すくいですくった金魚」を「ビニールの透明袋」に「水と一緒に」入れ

「酸素」で「膨らませて」「顧客」に、渡していました。

 

「大きな」「ガラス」の「水槽の中」で「成魚」の「らんちゅう」も、売っていました。

「3匹」「泳いで」いましたが「見ている間に」「1匹」を

「3,000円」で「買った人」が、いました。

 

「誰か」が「残りの2匹」の「値段」を尋ねると「師匠」は「5,000円」と、答えました。

「横」からしか「見れず」「尾形」は「よく見えません」が

「色合い」「頭のこぶ」「背中の美しさ」より、もっと「高くても良い」と、

  私は、思いました。

 

  私は「その光景」を見ながら考えていました。

・「金魚すくい」で得た「金魚」を「飼う」「水槽」が「家」に、あるのか?

・「金魚」が「アンモニア中毒」で「死なない様」な「バクテリア」が大量に入った

   「水」を「準備」出来ているのか?

 

「1人」の「少女」(中学生位)は「金魚すくいの天才」なのか「10匹以上」

「すくって」いました。

  私は「母親らしき女性」に「水槽は有るか」と「問い」ました。

「女性」は「メダカ」を「飼っている池」は有るが、「既に「メダカ」で一杯」と

「答え」ました。

 

  私は「ペガサス」に積んであった「プランター」で作った「水槽」「2個」と

「手作り」の「猫よけカバー」を「プレゼント」しました。

  (「1個」は「金魚の飼育用」「1個」は「水替え用」)

 

「水槽」の「底」には「シュロの皮」を敷いてあり「大量」の「バクテリア」が

「住み着いて」います。

「女性」は「地元」に住んでいるそうです。

  私の「住まい」を聞かれましたが、私は「答えません」でした。

「水槽のお礼」と言われ「道の駅」で「売っていた」「イチゴ1パック」を

「手渡され」私は「遠慮なく」頂きました。

 

  私の「行為」は「明らかに」「師匠」の「営業妨害」でした。

  私は「師匠」に「謝りながら」「少額」を支払って「19匹の青仔」を

  譲って」もらいました。

 

「師匠」は「道の駅」で「委託販売」も、していました。

「金魚の傍(かたわら)に」「金魚の飼い方」を「書いた」

「説明書き」が、置いてありました。

「店員さん」に聞くと「結構」「購入者」がいると「答え」ました。

 

「売れ残った金魚」には「まめ」に「酸素補給」に来てくれるので「助かる」と

「言って」いました。

「道の駅」の「従業員さん」達に「師匠」は「可愛がられている」と、私は感じました。

  「説明書き」には「会社名」と「携帯番号」が「書いて」有りました。

「その番号」に「電話して」「出会い」が「始まり」ました。

 

 

「31・4・5」

 

私は「19匹の青仔」を「去年」「稚魚」を育てた様に

「粉のり」」(焼きそば」等にかける)

「煮干しの粉」(「だし」を取るに使う」)

  で「飼育」を「始め」ました。

 

「どちらも」「小さく粉砕」され「稚魚の口」に入りやすく

「味覚」が良いのか「良く食べ」て、くれます。

「カルシウム」が「豊富」に「入っている」ので「骨が丈夫」になったせいか?

「体が奇形」(「体が曲がる」「体が折れる」)な「稚魚」は、見当たりません

 

「田んぼ」で「ミジンコ」が「採れ始め」たので「与え」ました。

「ミジンコ」の「大きさ」は「種類」により「異なり」ますが「0.5mm〜2mm」です。

「水槽の中」で「生きて」いる事が「出来る」為「金魚」は「好きな時」に、食べられます。

「昔」は「ミジンコ」だけで「稚魚」〜「成魚」を「育て上げた」そうです。

 

「ミジンコウキクサ」も「与え」ました。

「ミジンコウキクサ」は「世界一小さい」(0.3mm〜0.6mm)「ウキクサ」で

「金魚」・「メダカ」の「おやつ」と「呼ばれて」います。

 

「らんちゅう」の「愛好家」は「「稚魚のエサ」として「塩水湖」に

「生息」(せいそく)する「ブラインシュリンプ」(「成魚で」体長」「1mm」以下)の

「卵」を「孵化」させ「幼生」(ようせい)を「エサ」として「与えて」います。

「非常に小さい」為「針仔の口」にも「楽に」「入り」ます。

 

   私は「天邪鬼」(あまのじゃく・あまんじゃく」)なので「使って」いません。

「天邪鬼」の意味は

「わざと」「人に逆らう言動をする人」

  です。

ブラインシュリンプ」を「使わない理由」を「こじつける」としたら「下記の3点」です。

 

・「ブラインシュリンプ」の「卵」は「比較的」「高価」である。

・「卵」を「孵化器」(ふかき)で「幼生」にするのに「手間」が、かかる。

・「元々」「塩水湖」に「生息」する「生物」なので「淡水」の中では

   「長時間」「生きている事」ができず「死骸」(しがい)が「水質」を「悪化」させる。

 

   私は「当日夜遅く」「エサ」として「少量」の「きな粉」を「与える」つもりでした。

「誤って」「大量の」「きな粉」を「水槽」に「こぼして」しまいました。

「水質が悪化」する事は、分かっていました。

「その時」私は「ワイン」を「飲んで」いて「おっくうな気分」でした。

「翌日」「水替えすれば良い」と「判断」してしまいました。

 

「31・4・6」

 

「朝起きて」「水槽を見回ると」「水が腐っていて」

「13匹の稚魚」が「死んで」いました。

   私は「直ぐに行動」を「モットー」にしていただけに

「昨夜」「水替え」しなかった事を「強く後悔」しました。

 

   しかし「不幸中の幸い」で「良型」の「6匹」が「生き残って」いました。

「別の水槽」 に「移し替えると」「元気よく」「泳ぎ始め」ました。

 

「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」(ししはわがこをせんじんのたににおとす)という

「ことわざ」が、あります。意味は

 

「獅子」(ライオン)は「自分の子」に「試練」(しれん)を「与え」

「這い上がってきた子供」だけを「立派に育てる」

 

   です。

 

「結果的」に「私の為した行為」は「これに近い行為」になったのかも、知れません。

「死んだ弱い金魚」は「いずれ」「淘汰」(とうた)される

「宿命(しゅくめい)だったのだと、私は「ポジティブ」に「考える事」に、しました。

 

「後悔」を「引きずらない」よう「気分一新」(きぶんいっしん)し

「生き残った」「6匹」を「順調に育てて」います。

「1匹」は「虎ハゲ」を過ぎ「金魚らしい色」に、なっています。

「来年」「6匹の金魚」は「親」となり「子孫を残す」気がします。

 

「因みに」「運命」は「努力」により「変える事が出来る」そうですが

「宿命」(しゅくめい)は、いくら「抗っても」(あらがっても)

「変える事は出来ない」そうです。

 

「好意」で分けてもらった「金魚」が「死んでしまった事を「師匠」に「報告」しました。

「師匠」から「先人の知恵」「他の愛好家の飼育方法」等を

「参考」にするよう「窘め」(たしなめ)られました。

 

 

「31・4・16」・「31・4・18」

 

「去年」「購入」した「明け2歳」が「産卵」しました。

「親魚」は「10cm」位しかなく「子供」が「子供を産んだ」「感じ」でした。

「ウッカリ」「見過ごして」しまいそうなくらい「小さな」「卵」でした。

 

「ネット」では「誰しもが」『「水温」の「積数(せきすう)が

「100度」になると「孵化」』すると「書いて」あります。

  (「例として」「水温」が「20度」であれば「5日」で「孵化」)

  私の「金魚の卵」は「8日」経っても」「孵化」しませんでした。

 

  私は「師匠」に連絡して「 子引き」(「卵」から育てる)に「失敗した」ので

「稚魚」を「購入したい」と「お願い」しました。

「師匠」は「思いがけない時」に「孵化」する事があるので

「卵」を「流す」(捨てる事)のは「もう少し待て」と「アドバイス」してくれました。

 

「31・4・25」

 

「卵」が「孵化」しました。

「師匠の言葉」は「正解」でした。

「マニュアル」通りに「行動」していたら「貴重な命」を「捨てて」しまうところでした。

「孵化当初」は「目を凝らしても」「稚魚」を「見つける事」が出来ませんでした。

「針仔」どころか『「糸仔」(いとこ)・「毛仔」(けこ)』と

「呼ぶ」のが「ふさわしい」程「小さかった」です。

 

「現在」は「泳ぎ方」が「分かる程」までに「成長して」くれました。

「与えるエサ」は「6匹」の青仔」と同じです。

「水の」「傷み」(いたみ)は「殆ど」ありません。

 

「ミジンコ」が「採れる様」になったので「与えています」が「ミジンコ」に

「食べられそう」です。

「恐らく」ミジンコ」の「産んだ子供」を食べているのかも知れません。

「ミジンコ」は「親と同じ姿」の「クローン」の「子供」を「産み」ます。

 

「31・5・9」

 

  私が「気に入っている」「らんちゅう」が「産卵」しました。

『「受精卵」(じゅせいらん)・「有精卵」(ゆうせいらん)』を「得る」為に

『「メス1匹」・「オス2匹」』の「組合せ」で「出来た」「卵」です。(これまでも同じ)

 

「今回も」「寿司」の「軍艦巻」に使われる「トビコ」(「トビウオ」の「卵」)と

「同じ位」「小さな卵」でした。

「この卵」が「孵化」し「秋」には「10cm」の「らんちゅう」にまで

「成長」する「イメージ」が「湧いて」来ません。

 

 「因みに」(ちなみに)「主な」「卵」の「呼び方」と「親魚」の呼び方」は

 

・「筋子」(すじこ・未熟な卵)「イクラ」(成熟した卵)→「鮭」(さけ)の卵

・「数の子」(かずのこ)→「鰊」(にしん)の卵

・「キャビア」→「チョウザメ」の卵

・「カラスミ」→「「ボラ」の卵

・「トビコ」→「トビウオ」の卵

 

     辺りが「有名」だそうです。

 

 

  私が「大学生時代」に「住んでいた」「アパート」(島田荘)の「隣部屋」に

「同じ大学」で「1年先輩」の「今野さん」が「住んで」いました。

 

「今野さん」は「ナレオ」という「ロックバンド」で

「トランペット」を「吹いて」いました。

「ナレオ」は「ネット」で「検索」すると「出てくる」「有名なバンド」でした。

「1,946年」に「ハワイアンバンド」として「結成」されましたが、

「私達の時代」には「ロックバンド」として「活躍」していました。

 

「ダンスパーティ」(ダンパ)でも「演奏」していました。

「当時」の「ダンパ」は「カップル」で「入場」し「社交ダンス」を「踊り」ました。

 

「ダンパ」で踊る「種類」としては「主に」

「ワルツ」・「タンゴ」・「ルンバ」・「チャチャチャ」・「ジルバ」・「マンボ」

「チークダンス」(正統派では無い)でした。

 

「今野さん」は『「タダ券」あげるから「誰か誘っておいでよ」と

「よく言って」くれました。

   しかし「ダンパ」が「開催」されるのは「夜」なので

「彼女」を「誘うこと」は、出来ませんでした。

「終わる頃」には「最終列車」は、とうに「無くなって」いました。

 

  私が「初めて」「ダンパ」に行ったのは「大学4年生」の時でした。

「勿論」「今野さん」は「トランペット」を「吹いて」いました。

  「今野さん」は「留年」(りゅうねん)していました。

 

「私と一緒」に行ってくれた人」は「マフラー」を「編んでくれた人」でした。

   私は「一張羅」(いっちょうら)の「背広」を、着ました。

「その人」も「ドレッシィ」な「出で立ち」(いでたち・身ごしらえ)でした。

 

  私は「ダンス」というと「中学生時代」にやった「フォークダンス」と

  皆んなで行った「ゴーゴー喫茶」で踊った「ゴーゴーダンス」しか「踊れません」でした。

 

「ステップ」が「比較的簡単な」「ルンバ」は「その人」の「ステップ」を「真似て」

「何とか」「踊りました」が「殆ど」は「回りの人達の踊り」を「無視して」

「チークダンス」でした。

 

「金魚達」には「踊りのセンス」が、ありそうです。

「ワルツ」を「踊る様に」「泳いで」います。

 

 

 

千昌夫」(せんまさお)は「星影のワルツ」という「「歌」を、歌いました。

千昌夫」は「1,947年」生まれです。

「人気絶頂期」の「バブル期」に「不動産投資」に「失敗」し、「多くの債権者」から

「債務免除」を、受けました。

   私も「少しだけ」「関わり」ました。

 

千昌夫」「星影のワルツ」「作詞」「白鳥園枝」「作曲」「遠藤実

 

別れることは  つらいけど

仕方がないんだ  君のため

別れに星影の  ワルツをうたおう

冷たい心じゃ  ないんだよ

冷たい心じゃ  ないんだよ

今でも好きだ  死ぬ程に

 

一緒になれる  幸せを

二人で夢見た  ほほえんだ

別れに星影の  ワルツをうたおう

あんなに愛した  仲なのに

あんなに愛した  仲なのに

涙がにじむ  夜の窓

 

さよならなんて  どうしても

いえないだろうな  泣くだろうな

別れに星影の  ワルツをうたおう

遠くで祈ろう  倖せを

遠くで祈ろう  倖せを

今夜も星が  降るようだ

 

 

『「コロンブス」の「卵」』を「英語」で

 

「Columbus Egg 」

 

(コロンブス」の「卵」)

 

と、言うそうです。